今日は母上のところで女子トーク。以前からちょいちょい気になっていた話に上手く乗ることができて、言いたい事は言ってきた。きっと物忘れ世代だからもう今頃は忘れてしまったかもしれないけど、私自身が言ったかどうかが大切のなのであって、「あの時言えばよかった」という後悔からは逃れられた。
いざというとき私の話は通ってないかもしれない。どうやら書いているらしい終活ノートにも書かれていないかもしれない。けど、私は言った。確かに言った。忘れられてしまうかもしれなくても、私は言ったからもうよいことにする。
大した価値はないと言っていたが、そういうことじゃないんだ。一応わかってて欲しいから。これでいつか言おう、何時か言いたいと思っていた一つが片付いてかなりすっとした。
あとはご希望の後始末についてはまかせておくれ。
一番ややこしいのは人間関係だ。私が意図しなくてもまわりの状況で、私がフォローしないといけなくなったりして、はっきり言ってめんどくさい。だけど今回はマジで気を付けないといけないなと思ったので、怒りよりめんどくささよりどうやって同じ状況にならないように気を付けるかを考えないといけない。
それには私のバドの腕前が今よりかなり上達しないといけないわけで、それは困った困った。そんなに上手くいかないよね。でも、今日はちょっとさすがにめげたわけですよ。そんなにそんなに言わなくていいのでは?ご本人にも聞こえてしまうかも?それを私がフォローする?疲れるよね。
偶然これを読む人はなんのことかわからないだろうけど、人がたくさんいて、誰かが好意で私のためを思ってやってくれたことが、他の人にとってはいやな思いをするようなことだったという、そんな感じ。
上手くなるしかないのか、がんばろうと思う。
何か趣味を始めるとき、道具をそろえる、それもお高いやつやあまり要らない物まで買ってしまう人がいるけど、私はそれほどではない、たぶん。なるべくあるもので間に合わせようとするし、まずはコスパだ。それでも続けている内に道具は増えてしまう。
玉投げにはマイボールを持つという選択肢があって、色々勧められてはいるがまだハウスボールでやっている。投げる方の手にサポーターみたいな、手甲みたいなやつを着けるといいというので、今日借りてつけてみた。はっきり言って効果をビシバシ感じたと言うことはないのだけど、自分がわけもわらずやってしまう悪い癖みたいなところを、道具による矯正に任せてしまえる感があってよいかもしれないとは思った。
そうやって道具がまた増えるのであるが、そんなに高くもなさそうなので買うことにする。ちょっと仰々しくて個人的にはあまり好きではないけど、背に腹はかえられないのである。
ストライクになる条件がちょっとわかった気がする。
誉めれば豚だって空を飛ぶかもしれないのに、全然誉めてくれないのでつまらんとだんだん思い始めている私がいる。バドを教えてくれる人がたくさんいるのだけど、その人達を%でわけて、割合が大きい人(わかりにくいな)なんだけど、とても親切に教えてくれてありがたいのだけど、私は全然できてないらしい。
たまに「これ上手くやれたんじゃね?」と思うことがあるのだけど、全然認めてもらえなくてつまらん。別にプロになるとかそういう話では無いので、指導したところが上手くできていなくても、少しは進歩したって話を少しは織り込んでくれてもよくない?・・・って思うとだんだんつまらなくなってきた。
年もとってるし、若い人みたく身体が気持の通りに動くわけでも無いし、だいたい不器用な方なのに要求が難しすぎてついていけません。
どうやってこの人の割合を減らしていくかをマジで考えている今日この頃さ。
まわりが上手な人達すぎて、私のがんばりなんてちっぽけすぎて、誰も誉めてはくれないのだけど、私バドミントン少しは上手になってきたわ。誰も読んではいないと思われるこの日記の便利なところは、普通なら口に出したり出来ないことをパチパチと打ち込めることよ。キーボードも好きよ。
バドミントンを始めたとき、これは失敗した。選択肢を間違えたととても後悔したことも正直に書いちゃうけど、中途で放り出すのも悔しいし、もう少しやってたら光が見えるのでは?と思ったのも本当だけど、少しずつ少しずつ出来ることが増えてきて、ようやくなんとかシャトルを返せるようになってきて、今、私まぁまぁ上手くないですか?
・・・と、誰に聞いてもたぶん曖昧な微笑みしか返ってこないことは心底よくわかっているので、実際には誰にも聞いたりしないけど、心の中でそう思っている私ってかわいいじゃないか?
・・・たまにはこんなこともつぶやいてみるのだった。
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