舌の色はピンク
DiaryINDEX|past|will
2022年02月16日(水) |
妻飯、トランプ、インコ |
晴れ。 トーストをムシャムシャ食らって、 弁当は豚バラ茄子バルサミコソテー。 今夜はいつぶりになるやら、妻に夕飯をつくってもらうつもりでいる。 そのためにキッチン上を整理して、 さらに一部の食材と調味料、食器、調理器具を手配しておいた。 本来であればそれらを各所から取り出すのも調理の大事な工程だけれども とりあえずはヌルく始めてもらう。 懇切丁寧なレシピは昨日のうちに送ってあり、 当人にも承知してもらっている。 あとは夜の仕上がりを御覧じろだ。
大石宇陀児読んでる。面白い。 文章闊達だよなあほれぼれしちゃう。 十代のころ読んでたら影響受けてたのかな。 今となっては ほれぼれしちゃう で片付いてるけども。
オメガトライブキングダムまで読みきった。 ジョジョ模倣から始まって中盤からは新井英樹のにおいも感じ、 そっからは愛と幻想のファシズムも想起された。 ていうか私設武装部隊といえばクロマニヨンってくらい 愛と幻想のファシズムのインパクト強すぎるんだよな。 あれ漫画にしたら面白いだろな。 でオメガトライブキングダム、終盤は独特だった… が、風呂敷たたむのに全力で魅力感じられんかったな。 結局は中盤がよかった。 ていうかほとんど梶くんか。 ブルドーザーのくだり最高だったな。 太陽光線射出よりも兵器バリバリのクーデターよりも ブルドーザーで家破壊のほうがずっと説得力ある。
21時50分帰宅。 僕が手配した指示通りに進めてくれたらしく、 果たして夕飯が出来上がっていた。嬉しい。 クレソン鶏ももスープごはんとサラダ。 美味い。 ニンニクだけ焦がし過ぎで苦かったが 妻は焦げきったくらいが好きだから問題なさそうだった。
原神アップデート。 八重神子は引いてもらえなかった。すりぬけでジンさん2凸目。 八重神子を育てて遊んだらもう離れるという予定だから 引退がちょっと遠ざかってしまった。
遊んで遊んで遊んで遊んでと妻がねだる。 先日買ってきたトランプを開けた。 ブラックジャックに付き合ってやることにした。 何しろルールが簡単だ。 二人きりだから親と子の読み合いの駆け引きは楽しめないが、 それでも100円だけ場においた三本勝負は楽しめた。 二連続で21を出されて負けたけれど。
さらにポーカーに付き合った。 妻はスマホで役を確認しながらの勝負だったが ここでも巻き上げられた。 しかし楽しめたから良いとする。
昼間、なんとかいうインコが庭に来ていたらしい。 写真から伺うに、なかなか大きい。鳩より一回り小さいくらいか。 色が鮮やかな緑で見覚えなかった。 こんなインコが住宅街にいるのか。 というか来るのか。 妻が言うには、いつぞやダーウィンでも特集していたそうだ。 もとは外来種で、食べる量が多く、ちょっとした害獣扱いにもなるらしい。 それでもひと目だけは見ておきたい。
2022年02月15日(火) |
たまり場、保育園、タルムード |
晴れ。 寒いけどさわやか。
弁当は鶏ももキャベツポン酢炒め。 買ったポン酢が柚子果汁入りだった。 ちょっと不安だったがしっかり美味かった。
オメガトライブ読んでる。 15年ぶり…いやもっとになるか…。 10代の終わりごろ、夜勤バイトのあがりに 同じバイトの先輩の住まいによく入り浸っていた。 その先輩は彼氏と同棲していたが、 彼氏が家を開けがちなのをいいことに 僕らはバイト仲間で夜中の3時とか4時に押しかけて 彼氏の漫画を読みあさったり 彼氏のゲームの主人公にひわいな名前をつけて遊んだりしていた。 懐かしい。 あの無軌道に楽しかった日々のある一夜に読んだ思い出がよみがえる。 あの空間は、僕の中でのアジールのイメージにわりと影響を及ぼしている。
夕飯はグラタン。 まぁいいかげん作れんだろってつもりでレシピも見ずにやった。 まずはお湯を沸かしておき、マカロニを茹でる。 バターで玉ねぎとニンニクを炒め、 オリーブオイル足して鶏もも肉としめじも炒める。 火を止めて小麦粉を振って混ぜ合わせる。 水気を切ったマカロニを加える。 牛乳を入れて火をつけ、全体をねっとりさせる。 小さめに切ったジャガイモをレンジで温める。 それらをグラタン皿に入れて、チーズとパン粉をかけ、 200度に予熱しておいたオーブンで焦げ目がつくまで…16分くらい焼く。 その間にサラダとかを用意。
ん、実に美味かった。
食後、ネットスーパーを注文。 6000円分頼むことで500円割引となる。 ああだこうだと悩みながら、妻から保育園情報について聞き取りした。 幼稚園は基本的に3歳からとなるから、 それまでは平日は保育園に預けることとなる。 生後一歳を待たずに入れてくれる園もある。 認可保育園、認証保育園とある。 などなど、調べながら話を聞いた。 5月あたりをめどに見学しに行く必要がありそうだ。 正直なところ劣悪な環境でもいいと思ってるくらいなのだけど。 まぁでもどうあったって事故は避けたいしな。 ただ2歳時点までと割り切るなら性的な方面の危険性については さすがに考えなくていいだろうとも思う。
ユダヤ教の聖典であるタルムード、 たしか生活上の…というか人生上の ありとあらゆる事例に対応できるような指南書で ユダヤ教の実践知が凝縮されている書物だったはずだけど、 これには、キリスト教における聖書のような、決定版というものがないらしい。 常に編纂され続けているんだとか。 それも公会議のような統制もなく、各所で。ビックリ。 いかなる事例にも結論らしい結論を保留するスタイルだからこそ成立しているのだとか。 スバラシイな。
さくらもゆ、千和ルート駆け足で終わらせた。おもしろ。 スッカリ忘れていたストーリーテリング上のギミックが見事だった。 これアニメ化しないかなあ、 序盤に散りばめられた冗長なシーン圧縮して なんとか2クールにおさめてもらって…。 もっと人に知られるべき作品だよな。 こんなにまで「祝福」を徹底してえがいた作品ってない。
2022年02月14日(月) |
バレンタインデイ、AV女優、ストライキ |
晴れ。雪は止んでいる。 ほとんど積もっていない。 それでもテレビは過剰に報道しようとする。 ああ、逆なのだな。 僕は問題ごとを小さく感じるようになれればという境地を目指している。 消費社会は逆だ。 問題ごとを本来より大きくとらえる。 “ざわめき“は消費と相性がいい。
もちろん気象庁が警戒を促すぶんには むしろ大げさな方が望ましいだろう。 今回は大きな事故や障害が起こらなくてよかった。
居間の温度計は12度となっていた。 そこまで差があるとも思えなかったけれど…。
弁当は石焼風ビビンパ。 牛肉とご飯と混ぜて炒めればできちゃうよというもの。 ちょっとおこげができるように仕上げた。
アサイチでバレンタイン特集。 義理チョコを誰にどこまで渡すかといった話題をしていた。 「男の友人知人より、女の友人の方に高いチョコ食べさせたいよね」 と妻に水を向ける。 強い同意を得た。 当然だ、たいていの男はチョコの良し悪しなんか気にしない。 かつての僕もそうだったし。
現役大学生による、私がAV女優になった理由というのを読んだ。 文章の書ける人で、読み物として面白かったが 肝心の”AV女優になりたがった動機”については見えてこなかった。 きっかけは語っているし、内面をさらしてもいるのだが、 もう一歩掘り下げてほしかった。 しかしまあエラク前向き自発的にAV女優という職に取り組んでいる。 中学生の時に初めて見たAVの中で演じていた男優さんと デビュー作でからむというのは壮大なロマンチックを感じた。 写真を見てみると随分可愛らしい顔立ちをしている。 胸がドデカイ時点で僕は性的にはソソられないが こういう人によって業界が良い方向へ変えられていけばいいもんだと 静かに応援することにした。
会社で二人目の陽性反応。 一人目の影響は表立ってはなかったから おそらくは独立の感染者となる。 で今回は営業ではなく現場から。 でも上としては、希望する人にはPCR検査の費用もちますよ、 くらいの対応で、 あとは個々人にこれまで以上に気をつけてね、 ということらしい。 無能先輩は相変わらず “--するしかないよね”構文で無能なコメントを発している。 できる取り組み、いくらでも思いつくけどな。 それを実現させていくための取り組みも、 その途上にある障害を除去していく案も、 合意を形成するために必要なコミュニケーションも、 上や裏や先々の見えにくいところまで見越した上でできる取り組み、 いくらでもある。 しかし今の体制はそうした”動き”をそもそも許さない。 本当に馬鹿馬鹿しい。
漫画版日本の歴史を読んだ。 東京の街並みが何を契機に どう変わっていったかを探ろうとすると 現代史を辿って近代史を学ぶことになる。 それで昭和史も追ってるわけだけど、 今回は日本の歴史を幕末から追ってみた。 いや、面白い。 諸外国との対立、交渉やら軍事的政略やらは その時々の国民の思想に結びついてるし それは土地にも影響する。 ある観測地点を確保しておいて 点と点を線で結びつける学びはいたって面白い。
夕飯はうどん。 僕は豚バラ肉にキムチ、卵、ネギを合わせた温かなもの。 妻は強情にぶっかけ。 お互い美味い美味いと満足していたが やはりこちらの温かみには羨むところがあったようで 一口やると もうちょっともうちょっととよくねだった。
先日妻に 公務員ってストライキできないんだっけと問われまごついてしまったので 情報を整理して改めて答えた。 公務員のストライキは戦後間もなく禁じられている。 戦中にはあらゆる人民運動が規制されていたが、 戦後GHQは日本を軍事的に解体するよう努め、 その一環で民主的な意識を高めるべく、 あらゆる”声を上げる”社会運動を奨励した。 なかには労働争議も含まれる。 ところが一方で、労働争議は共産主義と相性がいい。 この頃すでにアメリカは、ソ連とのイデオロギー対立を深くしていた。 そうした背景のある1947年、 公務員を中心とする大規模ゼネストが起こるという情報がGHQに入る。 決行されれば全国的に鉄道、電信、電話、郵便といった機能が停止する。 社会的混乱はもちろんのこと、 占領している米軍への補給や連絡も寸断されて軍事的な器機にも陥る。 団体は中止すべしとの勧告にも当初従わなかったが、 マッカーサーは重ねて強く中止しろとの命令を下した。 かくして大規模ゼネストは中止に追い込まれ、 たたみかけるようにストライキ法が制定された…。 今だってスト、もっとやったほうがいいのにねと妻が言う。 「対話する機会がないから。対話によって、お互い歩み寄れるんだから」 肯定したい気持ちがないではなかったが、 ストを決行するだけの気概、機運、名目、大義が満たされにくい現状では 断然不利益のほうが多いだろうという つまらないような意見を述べた。
2022年02月13日(日) |
めちゃ寒、チョコレート、さくらもゆ |
晴れ。ウルトラ寒い。 昨日に続き今朝も妻は休日にしてはやや早めの起床。 あんまり寒いから8時半になったらすぐ準備してOKストアに出向き 図書館で返すもん返して 帰宅後すぐに風呂に入った。 入浴後、洗濯機を回す。 今日は午後から雨が降るとのこで部屋干しとなる。
10時半、ミュークルドリーミー。 先週に続き当たり回だった。 あさひのチアフルタイムにも度肝抜かれたが、 ミュークルレインボーをあさひが放つシーンは衝撃だった。 「大丈夫。昔からずっと使ってきたんだ」とあさひが言う。 ああ、隣家幼馴染の定番、窓に向けて矢で呼びかけるあれ、 あれが伏線になってたんか…! みごとすぎる。 そしてあっきーの失恋。 ものわかりよく受け入れて、それを優しく迎える兄とその友人…。 なんて感動的なのだ。 3月で終わってほしくない。 3年生編やんねえかなあ。
昼飯前に、チョコレート作りのためのキャラメルを用意した。 砂糖をドバッとフライパンに入れてあっためるだけ。 色づいてきたら火を止める。 クルミと落花生をごく少量ずつ粉々にしておいたものを キャラメルと混ぜて、オーブンシートに流し、 冷えて固まるまで放置。 それから包丁で執拗に粉末状にして、容器に入れて一旦置いておく。
昼飯は鰹の刺身。 塩と酒を振って数十分おいた甲斐あって実に美味い。 味噌汁とも合うしなあ贅沢だよな。
食後、チョコレートづくり。 製菓用クーベルチュールを170gくらい砕いておく。 生クリームを50mlほど、水あめを一たらし加えて温め、 これでクーベルチュールを溶かす。 なめらかになったら オーブンシートを敷いた正方形の型にそそいで 冷蔵庫で固める。 1時間ほど待ち。
原神ちょっとプレイした。 次の火曜日に更新されたら 八重さんを引けるまでガンバッて、 それを育成し終えたらもう原神はいいかな。 きりないしな。
チョコレート仕上げ。 冷やし固めたチョコレートを包丁で切る。 小型の直方体にしたらもういちど冷蔵庫へ。 コーティング用に100gくらいのクーベルチュールを砕いておく。 これを湯煎で温めて、キッチリ50度に。 で湯煎からおろして、かるく混ぜながら28度に。 でもっかい湯煎にかけて32度に。 テンパリングができたら、 冷やしておいたチョコレートを チョコレートフォークにのせて浸していく。 これが難しい。 難しいけどまあそんなに失敗はなかった。 あったとしたら事前の、チョコを切る作業においてだな。 もっと冷やすべきだった。 でもっとキレイにカットするべきだった。
金箔スプレーを拭いて完成。 見た目は全然。 でも味はよかった。 キャラメルは刻みすぎた。 もうちょっとだけシャリシャリ感を残すべきだった。
母親のためのPCを注文してやった。 4万円ほど。 先月が家に帰らずお金を納められてもいないからと、 今回は僕が買ってやることにした。 火曜か水曜かに実家に届く。
16時くらいから、昨日見損ねた映画を見た。 ザ・ライトハウス。 内容は灯台に遣わされた男が 老上司とともども狂っていく話。 狂いましたその結果…ではなく、 狂っていくさまそのものを見どころにしていて、 役者さんは演じがいがあるだろうなあと思った。 作中はずっと二人だけだからどれだけ互いが狂っても ノーツッコミで進んでいく。 狂ったまま終わった。
夕飯はホワイトアスパラガスのリゾット。 今回はキノコなしのホワイトアスパラガスマシマシ。 実に美味かった。 ダーウィンはキノコ特集。 いろいろあったけど タイワンシロアリダケだったかな、 タイワンシロアリと共生しているキノコが衝撃的だった。 このシロアリ、木に付着している皮だかを食べるのだが ほとんどまったく消化できない。 栄養を得られないまま、そのまんま糞を出す。 その糞の成分をキノコは分解して育つ。 その結果、この糞にはキノコの胞子だかなんだかが付着する。 それをシロアリは食べて栄養とする…という ワケワカランような生き方をしているのだ。 笑ったし、感動した。
食後はノンビリと過ごした。 妻はベビー服などを調べていた。 何点か可愛すぎると紹介された。 たしかにお高いブランド品は可愛い。 よくできている。 僕もたまには傾きそうになるが、 それでもちょっとしたおめかし品については 産まれてくるまでは抑えろと押さえつけた。
雨は22時頃から雪になった。 気象庁は要警戒を促している。 部屋の温度は17度くらい。 寒すぎてなんもやる気オコラナイ。 さくら、もゆ を再プレイ。 こうしてみると、捨て子からの養育、歓待など、だいぶ参考になる。 そしてめっちゃ長い。 今回はさっと流していくけど、 ナハトの一連のエピソードと 十夜のお友達話、 友人キャラの姉への告白シーンは洗い直したい。 真冬の間に。
2022年02月12日(土) |
西松屋、バカ食い、サクラノ詩 |
晴れ。 僕も妻も早めに起きて、 朝食後洗濯機を回し、 寒さに震えながらテレビを見る、 書類を整理するなどしていた。 9時前、近辺の診療所へ電話。 新型コロナワクチン3回目の接種予約が 3月4日金曜日に取れた。 夫婦で同じ日時だから、もしかしたら3月5日には ともども弱っているかもしれないが、今回は早さをとった。 10時ごろOKストアへ行き、一度帰って荷物を置いてから西荻へ。 TSUTAYAでは寅さんではなく、去年一部界隈で話題になっていた ザ・ライトハウスという映画を借りた。 11時半帰宅。 今週も焼きおにぎりを作る。すっかり上手だ。 味噌汁とともにいただく。 食後、母と電話。 ノートPCを新調したいとのこと。 予算5万円程度で携帯性を重視。 僕が探してやることににした。
13時ごろ、妻とお出かけ。 運動不足でもあるからと歩く。 ベビー用品を見るため荻窪へ。 OKって言葉について語った。 大丈夫とか了解とか合点とか、 日本語にもないわけじゃないが、 場合場合でOKの代用となるだけで、 OKにまさらない…。 そんな話をしているうちに荻窪駅近辺まで来て、 妻はまだ歩けそうというから、環八通り沿いに井荻方面へ向かって、 西松屋店舗にまで繰り出してみることにした。 妊娠出産育児について、ひたすら子供の話をしていった。 西松屋は服がいやに安かった。 妻は安物を嫌う。 嫌うとまでいかないかもしれないが なんだかんだで避ける。 産後もこの店舗にはあまり世話にならないだろう。 ただなんとなくの相場は知れた。 室内温度計と、妻の強い要望で 幼児向けのおっとっとを買って店を出た。
帰りも歩き。 途中、公園で休むなどした。 どうすれば子どもに運動をさせられるかについての議論は白熱した。 運動はしてもらいたい点については一致している。 子どもは暇なら運動するだろう。 ただし、本も漫画も多い家庭だ。ゲームや絵本もあるだろう。 屋内遊びを充実させたくもある。 妻は広い遊び場を望んでいる。 小金井のだだっ広い公園を例に挙げていた。 僕は小さな遊び場でも子どもなら楽しめるという考えでいる。 むしろ、限られた環境から 無限の遊びを発掘してほしい考えだ。 また、スマホについての扱いも難しい。 なるべくなら早いうちから持たせたくはない。 だが安全上、管理上はそうもいかないだろう。 10年後、製品や業界への意識がどうなってるかもわからない。
15時過ぎ、わりとヘトヘトになりながら帰宅。 今日はおやつにホットケーキが食べたいという これまた妻からの強い要望をかなえるつもりがあり、 しかしホットケーキミックス粉が足りないから チャッチャとひとり自転車で買いに行って帰って、 一息だけついてホットプレートを出した。 生クリームは妻が立てた。 大量のあんこと混ぜ合わせている。 僕は生地を用意してホットプレートで焼いた。 ざっと予熱してこんなもんだろうという温度にして ええいままよとお玉でそそいだだけなのに スンバらしくきれいなホットケーキが仕上がった。二人で感動。 さらにバニラアイスを盛る。 めちゃうま。 そらうまいわ。 犯罪だな。犯罪。
たらふく食って満腹、 それからは布団をセットして、読書などした。 妻はゲームをやりたがった。 前々から目をつけていた、 ガチョウが人間たちにいたずらをしていくという ただそれだけのゲーム。 2000円を支払って購入。 ダウンロードだけしておき、 妻は書斎で別の作業などしてから、 夕飯を食べ始めるまでこのゲームを楽しんでいた。
夕飯はラム肉。 を、ゴマ油でニンニクと焼き コチュジャンやネギを混ぜ合わせたタレで やや韓国風にいただく。 申し分なく美味かった。 惜しむらくはキャベツの千切りを添えた点で、 これはサンチュなりもやしなりがよかったろう。 ていうかナムルかな。
食後、映画を見るつもりだったが 妻の頭痛がひどいらしく断念。 ホットケーキを食べ終えてから始まり、 夕飯後に決定的になったようだ。 寝室に寝かせると22時くらいまで眠っていた。
その間にサクラノ詩を終わらせた。 チマチマチマチマと進めていたが長かったな。 初回のときにはラストを 徹夜でもうろうとしながらプレイしたから 今回洗い直せてよかった。 名作だなこれ…。 終盤駆け足の感があるけれども 次作につながると思えば問題ない。 でもこれテーマ見にくくないかな。 いや表の主題は明らかなのだが根っこのとこが。 素晴らしき日々にも通じるはずの、 人生と祝福についてみたいなところ。 いやそれも、サクラノ刻で回収してくれるか。 楽しみだな…。 好きなキャラ男女含めて一人もいないけど…。
妻がTwitter上にて懐妊の報告。 とはいえ身近な友人知人には すでに通知してあったから これというやり取りはなし。
入浴して昭和史読んで寝た。
2022年02月11日(金) |
バレンタインディナー、生きている意味 |
祝日…。 晴れ。 雪は結局あまり積もらなかった。 とはいえ部屋は冷え込んでいる。 早寝した割には朝まだ眠気があって、 二度目の目覚ましアラームでようやく布団を出た。
弁当は牛丼風。 玉ねぎと牛肉を生姜にんにく醤油めんつゆで味付けしたもの。 テレビは降雪被害の報道と北京五輪。 どちらも、なにかと大事にしたがるメディアの悪癖がよくでていた。
いつもより10分早く家を出た。 とくに遅れることもなく会社に到着。 時間あったので成城石井に寄った。 ボルチーニソースを買う。420円。高いな…。 乾燥ボルチーニが1000円超だったから手を出せなかったのだ。 とりあえずは今日限りのものだしな。
仕事はひっまひま。 昨日からわかりきってたけど。 ほとんどの人間があほづらで時間が過ぎるの待ってた。 定時で退勤。
夕飯は渋皮栗のラビオリ、ポルチーニ茸とマスカルポーネソース。チョコレートがけ。 11月に食べたイタリアンのコースディナーで 秋のスペシャリテとされていたパスタを思い返して作ってみた。 でもラビオリが買えなかったので 餃子の皮で代用。ラザニアだってそうするしな。 ラビオリカッターはないが、 マドレーヌ型でそれっぽい形になるとネットから得た知恵を拝借。 ラビオリの具は渋皮栗8コと玉ねぎ1/6くらい。 渋皮栗は水気を拭ききっておく。 どちらも細かく刻んで、オリーブオイルでニンニクと一緒にかるく炒める。 なんとなく気分でちょっとだけパプリカパウダーとチリパウダーを振った。 これをスプーンで一すくいして、餃子の皮中央にのっける。 もう一枚餃子の皮を手に取って、周縁を水で濡らし、重ねる。 空気を抜くようにしてピッタリくっつけたらマドレーヌ型で抜く。 鍋にたっぷりのお湯をわかす。 これを繰り返し作っていく。一人前が8コか9コくらいか。 マスカルポーネはたっぷりと…二人前で小さめのミカン1コ分くらい。 これをボルチーニソースに溶かしてちょっとだけ塩コショウする。 バター5gくらいと牛乳大匙3か4くらい入れてチーズが溶けるまでかるく煮る。 チョコレートは先日買ったカカオマス。 つまり甘くないチョコレートを粉末状にしておく。 それとは別に、飾り用に少量を溶かしておく。 沸騰したお湯にちょっぴりオリーブオイルを入れて(できあがりがくっつかないように) ラビオリを数個ずつ入れる。 30秒くらいで浮かび上がってくるからザルですくい取って、水気を切る。 皿に盛ってソースをかける。 チョコレート、イタリアンパセリを散らして完成。
実に美味かったーァ。 実に実に。 チョコレートはまんまだとかなり苦いのだけど クリームソースと合わさるとまろやか。 ていうかチーズと合う合う! 以前食べたレストランでの感動を自宅でも味わえた。 ていうか自分好みにやっただけに今日の方がより味わえたかも。
生きる意味について。 小さい夢と大きな夢がある。 小さい夢は、ヒトカドの人物になって認められたいとか、 これはと誇れるものを書いて読んでもらいたいとか、 あと出入り自由の居を構えたいとか。 でもそれらはたぶん手段であって、目的じゃないのだ。 じゃあなんのために? 死ぬためだ。 満足して死ぬため。 いつ死んでもいい、と思えるようになるために生きている。 そう思えるまでは死ねない。死にたくない。 死ぬ間際に素晴らしい人生だったと思えたら幸福の達成だろう。 なので、素晴らしい人生だからもういつ死んでもいい、 と自身が納得できるように、そのために、 修練も克己も努力も忍耐もある。
当たり前のよーなことを言ってるけど。 もっと掘り下げられるな。 ていうか生きる意味と生きている意味は違うしな。
バレンタインディナーとして妻が撮影してくれた写真、 妻がTwitterに投稿してみたところ いいねがボコボコついて僕としても喜ばしい。
風呂入って早めに寝た。
2022年02月10日(木) |
積雪しない、読みにくい少女漫画、データの取り扱い |
起きた時点で雨だったのが次第にミゾレへ、 そして気づいたら雪になっていた。 今日は23区でも降雪が心配されている。
弁当はヤンニョムチキン。 この前食べた記憶を頼りに、カンで作ってみた。 かるく下味をつけた鶏もも肉を揚げ焼きにして一度取り出し、 油は廃棄。 フライパンでケチャップを火にかけ、 コチュジャンと水あめ、みりんを足して水分を飛ばしていく。 このソースに鶏もも肉をからめていりゴマを振ったら出来上がり。
いや、美味かったね。 もっと甘辛いほうが…衣があったほうが… とか改善点はあるにせよ、ドンドン健康を害する代物になってくからな。 こんくらいでいいのだ。
仕事、ひっまひま。 今日のところは結局は積雪してないけれど。 明日はもっと暇なのが知れているのに、ほんと時間もったいない。 …というだけじゃなく、給金がもったいない。 会社側にムダな負担が生じている。 現場の馬鹿馬鹿しい惰性のせいで。 自分のことだけ考えてる連中は 何もしなくても給料もらえるってことでいいんだろうけど。 中学生の時点からそのテの考え嫌いなんだよな。 よく先生とかガッコ側の目線に立って考えてた。
かげきしょうじょ読み始めた。 なにこれえ面白いじゃん…。 スキなく面白いじゃん。 あのトップの先輩方ってポジション漫画的にいいよなあ 黄金聖闘士みたいなな。あれな。いいよな。
ただこのストーリーものの少女漫画によくある コマ割りの読みにくさについては如何ともしがたい。 これまで3000冊以上の少女漫画読んできたはずだけど ほんの一部で生きてるこれにまだ慣れない。 ちはやふるなんかもこのタイプだ。 なんかこう…なんかこう!
帰り道、雪と関係なく電車が遅延。 車両のドア開けっ放しで7分待ち。寒い…。 つい鉄道会社に悪態尽きたくなる。 「--のせい」ていう対象があると楽なんだろうな。
帰宅後即座に夕飯づくり。 Twitterで見かけた蕪のみぞれ鍋。 蕪を5コ分おろす。大事業。 大根と比べて小さいから難しい。 うっかり気を抜くとおろし器に指を擦ってケガしそうだ。 それでも5コやりきった。 もう二度とやりたくないと思った。
おろした水分ごと鍋に入れて、水を加えて煮立てる。 味の素と少量の醤油、めんつゆで味付け。 余ってた白菜を切って入れて、 さらに豚バラ肉を入れる。 柚子の端っこを切って皮部分だけを千切りにして、 白髪ネギとともに乗っけたら完成。 美味しい…ほっと美味しい。 薄味でもしっかり滋味が感じられる。 蕪のあまさが嬉しい。暖まる。 また冬がやってきたら作ってもいいかもしれない…。
食後夫婦でのんびり居間で過ごしていたら レイチェル・クーの料理番組が始まった。 今期はずっとチョコレート尽くし。 いくらかのレシピ紹介しているさなか、レイチェルが 「イギリスでは、6人に1人が毎日チョコレートを食べてるのよ」 と言っていて、あれ、 これはデータの取扱いがややこしいぞと引っかかった。 文法的には 「6人に1人が毎日チョコレートを食べており、 残る5人は全く食べていない」 または 「6人に1人が毎日チョコレートを食べており、 残る5人は最大で364日食べているがまばらである」 の両方がありうる。 一見すると前者は無茶なようだが、 後者の方はアンケートでしかたどり着けないはずだ。 データで導けるのは前者のほうだけだ。 正確を期するなら、 「イギリスでは年間--kgのチョコレートが消費されている。 1人1日あたり--gを1人前としてみたとき、 国内の人口から換算すると、 6人に1人がチョコレートを毎日食べたらこの量になる」 とこうなる。 だが、 「イギリスでは、6人に1人が毎日チョコレートを食べてるのよ」 だけでは、どちらであるのかはハッキリとはわからない。 こういうの、ナントナクで済ませていいものか。
今朝早めに目が覚めたからかやけに眠く、 0時過ぎには消灯した。
2022年02月09日(水) |
明晰、積雪予報、沈黙交易 |
晴れ。 弁当は昨日のスタミナをご飯にのっけただけ。
賢さについて。 なにかこうある事例について見解を述べたり 所見を表してみたりしたときに、 聞き手はその判断が妥当であるか、情報が正当であるか、 論理的破綻はないか、倫理的に問題はないかなどを審理する。 で。 じゃあそのなんだ… ここでは死刑制度の是非についてを例にしてみよう。 賛成であったり反対であったり、 部分的には反対とか、現状では賛成だが本来的には廃止すべきだとか、 死刑制度自体は肯定するが刑の執行には難点があるだとか、 文化的には、宗教的には、歴史的には、倫理的には、 法律学的には、社会学的には、医学的には、 人権的見地からは、経済的見地からは、… などなど、あらゆる立場から、またあらゆる観点から 答えへはアプローチできるわけだ。 当然、どの立場のどんな観点からの意見に対しても、 反証的な意見は出せる。 その反証的な意見を出せる余地が少なければ少ないほど、 もとの意見の正当性は高いといえる。 端的にいって、賢いと見なされるだろう。 だがここで問題となるのは、何が賢いと見なされるかだ。 その人自身か、その人が導き出した意見がか。
僕は、その人自身の賢さについては、 単独の意見からは追跡困難と思われるのです。 というのも、どんな判断であれ、 その人が仕入れている情報を要素としているために、 仕入れていた情報が少ないばかりに 妥当性の低い判断しか導けなかったという例はありふれている。 しかしだからといって、彼の判断能力が低いと判定できるわけではなく、 しかるべき情報さえあれば、彼は誰よりも高等な判断をしおせたかもしれない。
わかりにくいな…。 死刑の例、全然いきてないし。 あと賢さというか明晰さだな。
往年の松本人志を例にとってみる。 彼には、自らの見解が絶対的に正しいという確信がある。 近年は丸くなってきたが長年ずっとその態度は強固だった。 彼の意見には論理の飛躍が度々見える。 しかしそれは部分が省かれているだけで、 彼の言葉を紡ぎ足していくと、 正当性、妥当性の高い絵図が見えてくる。 ところが、事実に即した知識の光によって照射してみると、 見当違いと断じざるを得ない意見が多々ある。 だがそれは、彼の意見は覆せても、 彼の明晰さを崩れさせはしない。
…もうちょっと語りようがあるなあ。 でも一旦はメモとして、ここまで。
明日夜から都内でも積雪が心配されている。 金曜朝は交通に影響が出そうだ。 金曜は祝日だが会社はある。 これだけコロナ感染者ピーク更新し続けてて、 大雪を警戒するようにとの予報があって、 その上全然仕事が入らない日取りの祝日を、 臨機応変に休日にさせようとしない会社の体制は苛立たしい。 様々な思惑が、打算が、了解が、縛りが 立体交差し合って複雑な事情は組み上がっているわけだが そんな制限は百も承知で、 動ける人間というのはいる。 でもほとんどの人間は動かない。 ちょっと動けば複雑めいた事情なんて かりそめの馬鹿馬鹿しい虚像であったとすぐに知れるのだが、 誰も彼もまず動こうとはしない。 おおよそそういうふうにして組織は成り立っている。 そして腐っていく。 動ける僕はこの会社自身に潰されてしまったから 今は腐敗していくばかりの光景を静観している。
帰り道、江戸川乱歩作品の朗読を聴いた。 なんとかの指輪。短編。 話自体はなんてこともないが言葉選びがすこぶる気持ちがいい。 地の文のない会話劇。 またそのセリフを読み上げていく女性の声が上品で達者でスバラシかった。 しかもちょうど家の前まできたところで聞き終わるという…。
21時50分帰宅、 妻は友達とZoomで話している。 夕飯の味噌ラーメンを用意…といっても お湯を沸かして白髪ネギを水に浸しておくだけだから、 すこし原神をして、それからはPCを触って妻を待った。 22時半を過ぎて夕飯。 味噌ラーメンにもやし炒めとメンマと白髪ネギ。実に美味い。 これにコーンバターを加えれば絶頂ものだが 今日は健康を気にしてやめておいた。 妻はたくさん祝福してもらったようだ。 男の子だったら舞台俳優にしてくれ、 そしたら推す、たくさんお金貢ぐから…などと 冗談交じりに激励されたらしい。
内田樹先生の本にあった文を紹介した。 沈黙交易について。 人類史を遡って、原始的な市場の発生をさぐっていくと “交換”と”贈与”に辿りつく。 それについては文化人類学の基本だが 沈黙交易という言葉は初めて聞いた。 そのミソは、 「何の役に立つのだか知れないもの」が 「誰に贈与されたのだかわからない」からこそ、 返礼義務の精神から”交換”が継続するのだという。 ”交換”は、交換し続けることそのものが目的であって、 有用性の確かな等価物を返戻してしまえば、 そこで”交換”は途絶える。 であるから、途絶えなかった”交換”の連続が、 道具や言語や乗り物や道路といった文明を実現させていった… この時点で相当面白いけど、 この考えを内田先生はレヴィナスに接続する。 私はこの世界に存在してしまった。 他の誰か、あるいは何かからの席を譲り受けてしまった。 “始原の遅れ”。 すでにあるフィールドにおいて、 常に遅れたプレイヤーとしてしか存在できない自己は、 不可避の贈与をされ続けている。 その負い目のような感覚。
僕なりの解釈を交えた論を聞いていた妻は ニーチェにおける「負債」の観念を挙げ、 その弁別について語り合った。
バナナジュースを飲んだあと、 妻はYoutubeを見ながらマタニティヨガに勤しんでいた。 それなりに動画を吟味していったが いずれもそれっぽいヒーリング音楽、 真っ白い部屋に観葉植物、 ちょいスピリチュアル入った語り口と。 いかにもセラピー系の色合いが強く妻ともども参った。
1時に就寝。 寝入り話に妻から出されたお題は冬季五輪の新競技。 オリンピックがなくなった近未来、 七輪ピックというスポーツの祭典が日本で開催されることとなったが 見切り発車すぎて競技は一コだけ、 それは竹馬スケートなる競技で…。 という話を昨晩してやった、その続きを語って寝た。
2022年02月08日(火) |
家出、幼稚な善意、明晰、歓待の家 |
晴れ。寝坊。8時5分起床。 ついスマホをサイレントのまま寝てしまうことが増えたようだ。 少し前に、もっと遅い時間に目覚めて間に合った実績があるから そう慌てずにまずは弁当を用意した。 オムライス。そういえば前回の寝坊もオムライスだったな。 鶏もも肉を切って炒めてケチャップ入れて水分飛ばして 顆粒コンソメ割って入れて 解凍したご飯を入れて木べらで混ぜて 簡易チキンライスできあがり。 バター熱して卵2個を入れて混ぜて火を止めて 予熱で火を通したら簡易オムレツのできあがり。 サラダ菜とともに弁当箱に詰めて完成。 並行して焼いていたトーストを配膳、 コーヒーをガブッと飲んで 顔洗って着替えて洗いものしてトイレ行って 8時28分。 ゴミ出しのない日でヨカッタ。 2分だけテレビを見ながら身支度をととのえる。 10代の家出が増えているという。 反抗期の家出については、 実際決行にいたるかはさておき、 家出したくなるまでは正常な性情だと思う。 ただSNSを通じて事件性に発展するというのは問題だ。 大人側の問題。 番組では女の子の性的被害について取り上げていた。 「うちに泊まっていきなよ」 と呼びかけるのは40代男性に多いそうだ。 僕が厄介だなと思うのは、 彼らにある何割かの下心とは別に、 また同時に何割かの善意がたしかにあるだろうことだ。 それは幼稚な善意であるかもしれないが、 自身への言い訳として強く機能する。 世の中の連中は下心の方にばかり着目するが、 実はこの善意の方が、装置を起動させる 核心的な仕掛けになってるのだ。 …そんな考えを広げてみたかったが、 なにぶんせわしい二分間のさなかであったから やむなく切り上げた。 「きみは家出するなよ」 「でもいつか、したくなると思う」 「じゃあその時は一緒にしよう」 「困る」 8時31分に家を出た。
冬の朝に ロマンスの神様 を聞く。 広瀬香美の。 いかにもベタベタな90年代J-POPで、 懐かしさ以外にはどうということもないんだけれど、 その懐かしさイッポンで冬には聞きたくなる。 小学生3年生の頃よく後楽園のスケート場に遊びに行っていた。 ローラースケート、ローラーブレードを楽しむ施設だったが 冬場だけはアイススケートリンクとなる。 そこでこの曲がよくかかっていた。ことを思いだす。
SMAPの青いイナズマは やはり小学校中学年あたりのころに 自分の部屋もなかったかつての住まいで 居間の片隅に陣取ってガンダムのプラモデルをせっせと組んでいた、 あの寂しく孤独で静かに楽しかった時間と空間を思いだす。
そういう曲いっぱいある。
会社に妻の妊娠を報告した。 現場の上司ではなく、 人事部、総務部、経理部を兼ねる部署の一員へ、 会社の方の制度がどうなんか知らんから今度教えてね、と。 うちの会社ではまだ、男性社員の育休の実例がない。 特別休暇の規定として、 申し訳程度に妻の出産時2日間の有給が認められる程度だ。 だが4月からの法改正により、 雇用側からも育休について声をかける義務が生じる。 そのあたりは向こうも承知しているから、 では改めて社長と相談してみます、とのことで 今日のところは決着した。
これから面談か、それに近い話し合いが生じることになるのだろう。 育休の期間を最小限にとどめたい向こうからすれば、 じゃあどのくらい休みが必要になるのかね、 といった問い方になってくる。 一方で 育休の期間を最大限に延ばしたいこちらからすれば、 じゃあどのくらいまで休みをとらせてもらえるんですか、 といった問い方になり、これでは話が進まない。 しかし僕は会社に…というより現場の上司に強い不信感があり、 信頼関係のない相手に話が通じるとは思えないから、 交渉など一切したくはない。 そのくらいならここは自分の居場所ではなかったと見限って、 職を辞する構えでいたい。 理想は現場を通さずに社長との打ち合わせで 8週間の休みがとれたらいいのだが、 おそらくあんまり現実的ではない…。
荻窪で富澤商店に寄ってカカオマスを買った。初めて。 カカオニブの方が原型に近く、 カカオマスは砂糖と乳製品混ぜ込む直前のチョコレート。 つまり甘くないわけなので、これを料理用に使うのだ。 今回はパスタで使う。
帰宅後は即座に夕飯の用意。 今夜はこの前のリベンジで、大根の煮ものとスタミナ。 大根は前回よりも電子レンジで温める時間を短くしてみた。 味の染みは物足りなくなったが、食感はマシになった。 それでも歯ざわりの悪さがある。 ちゃんと長時間煮たほうがずっと美味しい。 スタミナは前回醤油味だったが今回はソースも加えた。 しかしシックリこない味。 オイスターソースも加えてみた。 まとまりはよくなったものの、やはり何か違う…。 それでも美味しかった。
テレビはこの前録画しておいた地球ドラマチック、 中国の希少動物を見た。 50mの崖から落ちていくインドガンの雛たちが印象的だった。 ほぼ直角の崖から飛び降りて岩肌に身体をぶつけながら 地面へと落着する。 絶対死んだわ… と思われるのにヒョコヒョコ歩きだす。 生きものってすごい。
「もう、元の身体には戻らないんだろうなって、ふと思ったんだけど」 と妻が言う。 それは別にネガティブな目線でもなく、 ただただそう実感したらしい。 これを聞いて僕の方にも、何か掴めそうな気がした。 「何かって?」 「こう…。世界の真理のひとつに接近できそうというか…」 それは今しがたまで見ていた夢を起き抜けに思い出そうとする あの静かな努力に似ている。 ほんの一瞬ゆらめいたそれの影を見つめて、 しかるべき言葉で再編してやれれば、 ある答えを得られる。 これがインスピレーションの気持ちいところなのだが、 今回は捕まえられなかった。 思い描いた像は、 卑近な例でいえば、FF6の世界崩壊前と世界崩壊後だ。 震災、戦災の復興でも似たようなものだけど…。 ここにメタファーが認められる。 ビフォーとアフターの間にある線引き。 捕まえられたら、スゴく面白そうな発想ぽかったんだけどな。 まぁ覚えておけば、どっかでヒラメクかもしれない。
その後しばらく話していたら、 妻にもなにか天啓的なひらめきがあったらしい。 「つかまえた」 という。 だがその真意を聞いても、なにが何やらワカラナイ。 「どうしてわかってくれないの… こんなに私が、アァーッって感動してるのに…」 「そういうの、当人は直感的にゴールに辿り着いてしまうからね…。 ワープするみたいに。 その道筋がどんなであったか振り返って、行きつ戻りつしてやんないと、 人には伝わらないからなあ」
それからコムナルカが面白いという話を妻に振ってみたところ、 この前ハートネットTVで見かけた事例を紹介してくれた。 ある作家…エッセイスト?が自らの住まいを開放しているという。 100平米ほどの居宅のうち、寝室だけは確保して、 あとは出入り自由にしているのだそうだ。 顔なじみではあっても名前を知らなかったりするらしい。 実に興味深い。 僕の頭に思い描いている在り方に近い。 ただ、SNSにより広まっていること、 イベントごとを催したりしていることなどが 妻には引っかかったらしく、そこは僕も同意見だった。 話の流れついでに、僕が思い描いている一つの夢、 食卓による歓待の家について語ってみた。 理念としては賛同してくれるようだ。 しかし現実には難しいと尻込みしていた。
昭和史。 三河ナントカいう炭鉱事業の会社のスト。 人員整理に対する労働組合の激しい反発によって 労組側がストライキ起こしたり 会社側が会社に与する人間集めて第二労組を組織したり 二転三転した結果まぁ労働組合が負けるという。 それ自体よりも、この会社が担当していた炭鉱で起きたらしい ガス爆発事故によって500人以上が死亡しているという事実に愕然。 ひとところで500人以上の事故って想像つかんな。
2022年02月07日(月) |
コムナルカ、料理本自作、宗教、防潮堤 |
晴れ。寒い。
弁当はガパオライス。 いつも通りにつくって、 サァ大葉を切って散らしたら完成だと取り出したところで、 僅かに二枚入ってるだけという事実が発覚。 大葉が二枚! 10枚68円だとちょっと多いかなと思い 48円のものを中身を見もせず買ったのだが よもやこんなことになるとは…。
コムナルカ-8号室の住人図鑑-を読み始めた。 旧ソ連にあった共同住宅。 言うなればアパート型長屋的シェアハウスといったところか。 面白い。 読んでてちょっと思ったけど、 会社のオフィスも自席を完全に仕切って部屋に見立て、 フロアからほぼ出ることのない閉鎖空間としてみたら、 その生活空間での日々はちょっとした読みものになるかもしれない。 例えば災害で会社から出られなくなって、 従業員いずれもがフロア内で数日過ごさなければならず、 それぞれのプライバシーを最低限確保するために 間仕切りで自席を区切って…いうなればネットカフェみたいにして。 で、「部屋」を訪れる形式。 うん、これ、いずれ書く本丸の、花束の試作にはピッタリかもしれない。
昼休み、妻から連絡。 職場で、新型コロナワクチン三回目の職域接種の予定が立ったらしい。 どの日でもいいよと伝えたところ、ひとまず3月11日となった。 だが居住区の接種券も明日から発送されるらしい。 そちらが届いてみてからまた医療機関へ連絡してみて、 3月11日より早く打てるようだったらスケジュールを変更する、 という方針を立てた。
夕飯は昨日の残りのシチュー。 これに僕にはカツを、妻にはソースカツを添えた。 テレビはグレーテルのかまどで、 マザーテレサが貧しき人々に配っていたチョコレートを 題材にしていた。 「宗教って大事なんだなあ」 と妻が言う。 月並なコメントではあるが、教会通いしていた時期もあり、 そのあたりの人よりは宗教学に通じているから それなりの重みは込められている。 「宗教が必要とされない世が実現されるなら まぁそれが一番なのかもしれないけど、 そうはならないからこそ宗教が大事といえるのだろうね」 僕の方は文化と結びついた宗教学がかなり好きだから 現代社会においてだって どれだけ宗教に意義があるか、価値があるかをかなり語れはする。 ただこの、 宗教が必要とならない世の中がが一番ではあるだろう、 という観点は、我ながら秀抜なんじゃないかと思われた。 これはとくに、非宗教家にすごく通じやすいロジックなんじゃないか。 だから”こそ”価値が認められるという。
ここしばらく、 妻が料理を覚えたがっている。 何年も前から言ってはいたのだが、 いよいよ現実味を帯びてきている。 ただ、出産後に炊事しなければならないという ちょっとした強迫観念があったようで、 それは予定上は必要ではないだろうと正した。 「じゃあ、子どもが物心つくまでにはでいいや」 「結局見栄なの?」 「うん」 「子どもに軽蔑されたくないの」 「うん」 「あわよくば尊敬されていたいんだね」 「そう。そうだよ。 料理もできないのかお前は…って…絶対いやだよ。 尊敬されたいよう」 そんな会話をしていて思ったのだが、 料理の超初心者向けのレシピ本を、 自分で作ってしまえばいいのだ。 超初心者向けって、あるにはあるけど、 読者をバカにはしていない。 僕が今回求めるのは、おバカ相手にも通用する、 「ただそれにさえ従えば料理が仕上がる」プログラムコードのようなレシピと、 「従い続けていれば料理の手順、手際、手配が習得できる」体系だ。 だからまずはレトルトカレーから入る。 レトルトカレーとサラダを規定時間内に手際よく配する。 すごく大事だと思われるのだが、 レシピ本ではまず見かけない。
たとえばこんな感じだ…。
まずはサラダを用意します。 具はサラダ菜とトマトだけ。 サラダ菜は食べたい分だけをちぎって、 水でさっと洗い流します。 水気を切ったらサラダ皿へ。 トマトはヘタにあたる上部を切ってから 縦に半分に切って、 さらに食べやすいサイズに切っていきます。 食べない部分はポリ袋に入れておきます。この短い料理時間における簡易ゴミ袋となります。 それぞれを器に持ったらドレッシングをかけてできあがり。
現在のレトルトカレーは、ほとんどが お湯で温めるかレンジで温めるかを選べます。 出来上がりはどちらでも変わりません。 より楽なレンジで温めるとしましょう。
レトルトカレーの包装箱にある説明に従い、 必要に応じて器を用意。 電子レンジで温めます。 指定時間でアツアツになっていなければ、 もう20秒温めてみましょう。
レンジにかけている間に配膳をします。 サラダと水を食卓へ。 箸とスプーンも忘れずに。 カレー皿に白米を盛ります。 温まったレトルトカレーをかけて、 包装袋は臭うから、さきほどトマトのヘタを入れたポリ袋に入れてからゴミ箱に捨てましょう。
…ていう感じか。さらに後片付けとかも入るわけだけど。 しかしこのアイデアは妻には受けなかった。 何分、相手が夫といえでも自分より長じている分野について 教えを請うのは悔しくある、 むしろ夫相手だからこそナオサラ悔しく、 かなうなら独学で道を切り開いていきたいのだという。 しかし夫に頼るのがベストであるとも認めてはいるから、 用意してくれるなら見てみたいもんだといった話に落ち着いた。 こうなってみると俄然やる気もなくなってくる。 ウーン。よっぽど気が向いたらになるか。
内田先生の合気道の話はいつも興味深い。 今回の本では呼吸法について触れていた。 通常、運動においては 身体をどれほど統御できるか、 どれだけの力を発揮し、蓄積していけるかに意識が傾きがちだが、 そうではない、 身体とは9割は思い通りにはならない、 呼吸法に通じるほどその自覚を深めていけるようになった… といった話をしていて興味深かった。 それは自己肯定とはまた別のレベルの、自己への畏怖となるらしい。
昭和史、伊勢湾台風。昭和34年。 台風で死者行方不明者合わせて5000人以上とか…。 ある地帯では120日間にわたって水がひかなかったとか。 想像もつかないような大災害だ。 こっから災害対策が強化されていったらしい。 そういえば週末にテレビで防潮堤の特集をしていた。 90人が暮らす離島に10億円かけて防潮堤作ったけど 当初の名目であったはずの保護対象である農地は 今や荒れ果ててて誰も管理しておらず 島民も減る一方でなんのために建てたんだかという。 それでいて島の風景が変えられてしまっている。 「この島から人がなくなってもあの防潮堤だけが残る」 と島民はぼやいていた。 また一方では宮城の例で、 やはり十数億円かけて立派な防潮堤をおっ建てた。 震災の事例を鑑みて高さは10m。 どれだけの水害にも対応できるとの触れ込みで もともとは住民の合意も得ていたはずだったが いざ建てられてみるとこれが想像以上に高く、 住民からすれば、やはり風景が変わってしまったという。 海とともにあった暮らしから、 景観としての海が奪われてしまったわけだ。 ある漁師は 「もう陸からじゃ波の具合もわからん。 船の具合もわからん。かえって危ないよ」 と笑っていた。 一方で県知事は、自分はどんなに非難されても まったく引くつもりはない、 住民の命が最優先である、 数十年後、数百年後までを見越して、 あってよかったとされればいい、 そのためなら私はこの職を辞すことになっても構わない… とまで覚悟を決めている様子だった。 景観の問題はまちづくりでもよく出てくる。 安全性と景観とはたしかに対立しがちだ。 だからこそ合意形成が必要になってくる。 そこに求められるのは説得よりも納得だ。 コミュ力って程度の言葉に言い表されるほど コミュニケーションの力は矮小じゃない。 課題解決にあたっては工学的観点のみならず 人文学の価値を見直すべきだと思う。 究極的には、人命が最優先、とされなくたっていいのだ。 「いつ死んでも構わない」というつもりで生きていられる、 僕はそれこそ きれいごとの頂点みたいなところにあるお題目、 「今を生きる」 の真髄だと思っているし、究極であると信ずる。 なかなかそうはなれないから 社会的な取り組みが必要になるというだけだ。
あと昭和34年に美智子様が皇室で嫁がれたらしい。 皇族全然わかんないんだよな…。 あの品のいい老婦人が美智子様か。 今は上皇であらせられる当時の皇太子様のお相手を、 宮内庁はじめ華族から探していたらしい。 しかしおの候補も皇室入りは躊躇したようで、 ご本人もほとんど結婚を諦めかけていたらしい。 そこで民間から、美智子様に白羽の矢が立った。 大手企業の社長の娘。 聖心女学院の英文科を主席で卒業。 スポーツも得意で文武両道。 容姿性格とも優れていたとのことだ。 そりゃ宮内庁に目ぇつけられるわ。
|