舌の色はピンク
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2022年02月06日(日) お世話お節介、小説語、公害

曇りがちな晴れ。さぶい。
休日トーストを食べ、布団を洗濯。
洗濯機のまわっている間、
やたら寒かったのでダラダラ妻とテレビを見た。
おしり探偵。
一人じゃまず見ないが
幼児返りしている妻は楽しんでいる。
おしり探偵。
衝撃的な見た目だ。
尻に目鼻がくっついて、肛門で喋っている。
こんなオゲレツがEテレで番組張ってるのか…。
今回は導入編というところで
事件が発生したところで終わった。
「こいつまさか、”事件を解ケツ”とか言い出さないだろうな」
「どうだろ。
あ、でも、失礼こかせていただきますって決め台詞あるよ。
それ言って屁をこく」
「馬鹿野郎」
しかも下半身からじゃなく、尻をかたどっている顔面から
屁をこくらしい。
馬鹿野郎。


洗濯物を干して朝風呂。
パッパッと風呂掃除も済ませて10時半。
ミュークルドリーミー。
今回とってもアタリ回だった。
ユニ様がとうとう身代わり人形であるパチパチブーを
ちあちゃんとすり替えてみせたが、
これまで過ごしてきた日々が忘れられず、
自ら返してくれと涙ながらに懇願。
また、アックムーちゃんに与していたアッキーも、
なんか急に地球災害的な衝撃をもってして
僕が間違っていたーとか言い出して改心。
このアニメらしい無茶な急展開がすさまじいテンポで繰り出されていって
あっちゅーまに和解に進んでいった。
もう後一ヶ月かそこらで今期も終わるのだな。
ミュークルドリーミー、続くんだろうか…。
まだアサヒとの恋物語とかも残ってるけど、
このアニメその気になったら5分で何でもかんでもたためるからな…。
読めない。


昼飯は炊き込みご飯。
これに味噌汁と、菜の花の天ぷらを添えてみた。
爽やかな苦味が美味しい。
しかし衣が活躍しすぎて
美味しいは美味しいのだけれども
ちょっとスナック菓子みたいになってた。


食後、区議会会議録を読みきった。
実に面白かった。
妻は自室で何やら作業をしていたが
13時過ぎからおひるねを所望。
しかしベッドの寝具は洗濯している。
居間のソファを移動し、簡易ベッドの体裁を整えてやった。
スヤスヤ気持ちよさそうに寝ていたが、
僕は映画が見たいのに見られず、
また毛布もないから寒かった。
暖房、きいてるはきいてるけど
真冬のさなかにあってこの部屋はぬくもらない。
おとなしく小型電気ストーブの前で小川洋子を読んだ。
で読みきった。小箱。
ううん?
やっぱ自分には小説を読む能力がイマイチ足りないと見える。
往年の日本文学はするする読めるが、
近年の、いわば小説語で構成されきった小説らしい小説が、
頭に入ってこないところがある。
それでもそれなりに楽しんではいるのだけれど。


ナントカ15時前に妻に起きてもらい、
フォレノワールを食べた。
味のすっかり馴染んだ二日目の理想的美味しさよ。
あっというまの出来事だけれど多幸感あった。


食器を片して、寅さん3作目鑑賞。
自分の縁談そっちのけで他人の縁談をまとめてた。
その行動力とか勢い、スピード感は学べるものがあった。
学べるというのは、実演できそうという意味だ。
やろうと思えばやれるお手本を示してもらった。
ただ終盤眠気に耐えられず多分数秒レベルで何度か寝た。


映画見終えてから、干していた布団を取り込み寝室にセット。
細々した家事を済ませ、16時半、図書館へ。
返すもん返して、新たに会議録を借りてきた。
コロナ禍前のものが欲しかったが一冊しかないし
なんかそれが分厚かったので
コロナ禍による第一回目の緊急事態宣言が発令されたさなかのものを。
一度家に寄って、ポストの上部に恩を置き西荻へ。
DVDをポストにさくっと返却。
道中、芥川の「捨て子」の朗読を聞いていた。
Youtubeから再生しイヤホンで聞く。便利な世の中だな。
なんかやけによくできたイイ話ではあった。
教科書通りのイイ話っつうか。

OKストアで買いものして帰宅。
部屋をあらかたキレイにしてから掃除機がけ。
毎週日曜日のたしなみ。
冬はまだいいけど
夏が近くなったら週一回が足りんよなあ虫さん嫌だから…。
5月には妻は休みに入ってるわけだから
いよいよガンバッテもらいたい。
腹膨らんでるとはいえナンボなんでも
クイックルワイパーくらいはかけられる信じたい。


夕飯はシチュー。
そういえば肉を買っていなかった。
が豚バラ肉を冷凍していた分がちょうど足りた。
今回はオーソドックスに。
といってもうちのオーソドックスなので、
玉ねぎニンジンしめじがドカ盛りで、
肉とジャガイモは少なめ。

シチューを煮込んでいる間、
万葉ことばの本を読んだ。
著者の人物像がなんだか素朴で好感もってしまう。
万葉ことばの使用例として、
私だったらこんなふうに…と文例を挙げてくれるのだけど、
いずれも変哲がなくていい。
「七夕伝説の織姫と彦星ではありませんが、
年に一度の逢瀬とばかりの機会に…』
といった文例を挙げて、
こんな同窓会のお知らせが来たら
おしゃれこの上ないですねと自ら言う。
モノスゴク良いと思う。
こういう人がもっと純粋に尊敬される世の中になったらいい。


夕飯はシチューに加えて、冷凍のカツを出した。
これとサラダ。
たらふく食った。
テレビは北京オリンピックのために
ダーウィンが来ないからと
録画データから映像の世紀を見た。
少しずつ見続けているわけだけどまだまだ先が長い。
今日もヒトラーさんが元気に演説している。


食後、妻は居間にとどまって手帳をこしらえていた。
テレビは何も見るものがない。
録画データからザ・ノンフィクションを再生。
おせっかい不動産。
やってることはスバラシイと思えるけど
番組構成とナレーションが低劣すぎて踏み入ったところはワカラナイ。
嫉妬はしかけた。
ボランティア活動が仕事と一体化しているような働き方だ。
それでいて利益は上げている。
どう低く見積もろうとしても、立派な人だ。
実践してる人間は強いな。


図書館で借りてきたたまごクラブを一緒に読んだ。
ベビー用品をまとう赤子どもはやけに可愛い。
写真を見ていてカワイイ、カワイイと連呼している僕を見て
 ダメだこの人
と妻はつぶやくが向こうも似たようなものだ。
他人もいいところの赤子モデルを見ていてこれなら
我が子に対してはどうなってしまうことだろう。


入浴前にもう一度フォレノワールを食べた。
なんて美味しいのだろう。
これもっと色んな人に食べさせてやりたい。


内田樹先生と、なんとかいう人類学者との対談の本を読み始めた。
内田先生、これからは農業だ、と時代を見抜いて
ご自身も着手しなさってるらしいが
なんでも不在地主で資金だけ提供しているらしい。
根っからのシティボーイだから虫とか嫌なんだそうだ。
スゲーわかる。


妻、ここ数日はお腹の子に
 ハユタロウ、ハユタロウ
と呼びかけている。
どこまで本気なのだか、
 いい名前だと思うんだけどな
とひとりごちている。


キッチン掃除。
これも日曜日のたしなみとして習慣づいている。
キレイになると気持ちがいい。
キッチンペーパー1ロールを一週間程度で使い切ってしまう。
洗いもの用のスポンジも。
家事やコストの面では別にいいんだけれども、
思想的には問題だ。
環境破壊やらSDGsやらとはまた別で、
大量生産大量消費社会に背を向けたい身であるから。
今はまだ及ばない。


昭和史、公害まできた。
キツすぎる。
小学生のころトラウマになったんだよな。
「戦争でもないのに?」
っていうこの世の不条理に耐えかねた。
ただその地域にいたからって、
その日その日を暮らしていた人々が
あるときから人生ブッ壊される…しかも取り返しがつかない。
一回キリの人生がボロクソにされるって。キツイよ。


2022年02月05日(土) ホラーとエロゲ、区議会会議録、マッサラな自己

休日トーストを食べて洗濯。
OKストアで買いもの。
うだうだと本など読んだりしていたが
思い切ってチョコレート細工に手を出した。
チョコレート細工…。魔の道だ。
用意がものすごい面倒くさいし
実作業も面倒くさいし
後片付けにいたってはそれまでの面倒くささを全部足しても
到底かなわない面倒くささ。
しかも大抵上手くいかない…。
とりあえず用意として、OPPシートを二枚隙間なく並べて
マスキングテープを裏から貼って合着させた。
チョコレートはひたすら刻んでボウルに入れる。
でも今回はテンパリングをかなりサボった。
2/3量を湯煎にかけて
本来なら50度まで温度を上げるわけだけど
少量だから温度取りづらいので感覚でやった。
で残りの1/3を入れて混ぜる。
光沢が出てきたような気がするからそれでヨシとして、
OPPシートに塗った。
今回は円形に形作りたいので
スポンジ用の15cm型に巻く格好にしたのだけど
2枚分合着させた境目がくにゃりと折れて
我が野望はついえた。
この時点で手はチョコだらけだし。
それでも冬だから固まってくれるのが幸い。
目当ての形にはならないまでも、
曲線にはなったから見栄えはどうとでもなる。
あまりのチョコも適当にOPPシートに塗って
くるりと曲げたりしておいて冷蔵庫にしまった。

昼飯はオーブンで焼くだけのピザを二枚。
マルゲリータとジェノヴェーゼ。
どちらも美味い。実に美味い。
一枚あたり200円程度でこの幸福感味わえるのは
現代の強みだよなあ健康には悪いけどな。


食後、妻は怖い話を読んでいた。
彼女は怖い話が好きなのだが、
怖がりたいわけではないらしい。
それどころか恐怖的演出が出てくると
嫌になってしまうとも。
そんな性情を長年見てきては
何言ってんだこの女と散々こけにしてきたけれども
ようやく合点がいった。
僕にとってのエロゲーと同じなのだ。
そのジャンルで実現している作風が好きなだけで、
そのジャンルを規定する要素そのものを好んでいるわけではない、
むしろジャマですらある…という点で一致している。
すごいスッキリした。


僕は昨日こしらえたスポンジをカットし、
ダークチェリーを挟んで、
生クリームでナッペした。
なんか大分うまくいった。上手上手。

で西荻へ。
妻のリクエストに応じ、焼肉屋で
ヤンニョムチキンをテイクアウトで買った。
注文してから会計でびっくり。
1740円!
うそだろ…。ちょっとした持ち帰りメニューで
700円かいいトコ900円くらいとにらんでたので衝撃だった。
店内で5分ほど待ち、受け取ってみるとボリュームがある。
「温めるときは、あの、電子レンジで温めればいいですか?」
「うん? 冷たくても美味しいよ! ヤンニョムだからね」
僕はどう温めるのが美味しいのか聞きたいのだ…。
あとヤンニョムだからと言われても理屈がわからない…。
でもこういう理をすっとばした応答、好き。

できればさくらんぼかアメリカンチェリーを買いたかったが
さすがに時期からずれていると見えて買えず。
フォレノワールのデコレーションにしてみたかっただけだから
なくてもいいわけだけど。

帰宅後、フォレノワールを仕上げ。
刻んだチョコレートを上から散らし、
ミントを飾り立て、不揃いのチョコレート細工で囲う。
当初の予定とはずれたものの、
なかなか絵にはなった。
ケーキ表面に散らしたチョコレートが土のように広がり、
その端々からミントが生い茂っているようなビジュアル。
でダークチェリーがゴロゴロ並んでいる。
それなりに美しい。
しかしこの作業中に雪が降った。
ほんの一瞬だったが降った。
そのため急きょ洗濯物を取り込み、
ちょっとだけ手間取った。

がまぁ完成。
妻のカメラで写真に収めてもらい、
さらにコーヒーを淹れてもらっていただく。
美味しい…。
美味しいけど出来たてでまだ味が馴染んでおらず
甘みと酸味とが独立しているような感じ。
明日のほうがもっと美味しくなる。


それから腹の冷えているという妻に
お吸い物をやって、
僕はだらだらとゲームしたり本読んだりをした。
本というのは真っ当な本ではなく会議録だ。
居住区の区議会の。
これが相当面白い。
図書館の新着図書コーナーに陳列されていて
エッ貸してくれんのかよと思って手を出してみたわけだ。
まず国会中継や都議会中継なんかのテレビ映像と比べると
こちらは全部文章だからカッタルサがない。
あと話題が身近で具体的。
施設がどうの、この前の計画の報告がどうの、
あの辺の道が、公園が、家賃がうんぬん。
しかし当たり前っちゃ当たり前だけど
問題にならない点は話題されないから
全文に渡って難点ばっかりが並んでいて
オイこの辺問題ばっかじゃねーか
と鼻白みそうになる。
そんなことはないのだけど。

地域の問題を把握するって大事だと思う。
そりゃそうだろうで流してはいけない。
やれ国交が、輸出入が、アメリカの株価が、
フランスの教育が、指定都市の地価がなどと
国内外の事情を小偉そうに語っていたところで、
自分の住んでいる地域のことを何も知らないんじゃ
いまいち説得力に欠けるというか
いやハッキリいおうすげえダセエよ。
実際、ビジネス市場で会社員をさんざんやってきたあげく、
定年退職した後に居住地域のことを
何も知らなくって取り残される年配者は多いと聞く。
ちょうカッチョ悪いと思うのだけど。
まあ僕は国内外の事情も地域の課題もろくに知りませんが。
危機感はある。強めの興味も。


夕飯、ヤンニョムチキン。
結局レンジで温めた。まぁ美味かった。
そしてボリュームがスサマジかった。
焼肉屋で出す量かコレ。
四人前だとしてもサブメニューとしては多いんじゃないか。
味は濃い。甘辛。かなり甘いし辛い。
唐揚げ風の鶏もも肉に…
コチュジャンとケチャップと、
ハチミツあたりで甘みを足しているのかもしれない。
自分で作ってみたら改良していけそうだ。
しかしカロリーおばけだなこりゃ。

21時くらいまでノンビリして、
それから映画を観た。
バーバリアンズ。
セルビアの若きまなざしとかなんとかサブタイトルがついている。
予想よりも面白かった。
映像的には後姿のカットが印象的、町を踏み歩く姿がすてき。
部屋や道並みも美意識に則って切り取っている。
シナリオとしては、大きな展開はない。
なんにもない空っぽの非行的な青年、
なにがしたいことがあるわけでもなく
なにやってもうまくいかない。
デモから発展した暴動についていきながら
警官隊と戦うよりもその辺の靴屋で盗みを働かこうとしている友達の方が
よっぽど肉感のある生き方をしている。
結末が良かった。
何にもうまくいかず何も成し遂げられないまま
群れの中に出戻って匿名の青年となる…。
その表現手法によって、
現実にもあるであろうデモ隊、暴動隊を構成する一員が、
どこにでもいる青年(名無し、無個性、無属性)であると証されたようだった。

しかし妻はつまらんかったと酷評。
何も起こらなかった、
もっと起承転結のある映画かと思っていた、と。
 アーハイハイこれがオシャレな映画なんでしょうねえ
とくさしている。
僕が鑑賞後に感想を書き残している姿を見ても
「何書いてるの? 感想? つまらなかった、って?」
しかし、つまらないと思ったならつまらないと感想する。
これは重要なことだ。
自身の直感的な感想を、理性的な批評で上書きしてはいけない。


三島の対談集、読み直し終わってしまった。
やっぱ面白いな。どの部分をとっても。
野坂なんとかさん…火垂るの墓の原作者にあたる作家だったか。
彼の弁で、
 自分はあんな反戦的なモノを書いているけれども、
 どこかにはアメリカこの野郎もういっぺんやったるか、
 核兵器がなんだ細菌兵器を太平洋にぶちまけてやるぞ、
という思いがあるというのが印象的だった。
また、三島の発言を受けてとはいえ
 白人女に生殖器を突き立ててやりたいような衝動がある
といった本音も吐露していて(言い方もっと露骨だったけど)、
しかし一方では、
 もう戦争なんか嫌だ、もうあんな思いは金輪際ごめんだ、
という萎えた心もあるらしい。
三島が組織していた楯の会に真っ向から反するような
いわば「日本男児らしからぬ情けなさ」を白状しているわけで、
かえってなんともはや強靭な人だと感服した。

自己を見つめる、自身に正直になる、
まっさらなスナオな本心をとらえる、
って難しいとつくづく思う。
僕はこの日記でなるべくそれをやってきている。
まっさらって醜かったり愚かだったり
論理的に破綻してたりするもんだ。
それを言葉で捕まえようとすると、どうしても秩序立ってしまいがち。
体裁調えたりもするし見栄もつきものだし。

ところで三島といえば一般には、
セルフプロモーションに優れた劇場型作家という見方がある。
彼の文体もあいまって、自己を”装飾的に”扱い、
本来の自分自身の弱さと高潔すぎる理念とのギャップに葛藤し、
…といった評論がされがちだが、僕はそうは思わない。
彼にとっては性情と理念は離反し難く癒着しきっている。
ギャップの生じる隙間もないほどに
性情と理念が無限連続体をなしている。
だから三島が
「自分は自身の政治思想を芸術に(小説に)込めていない」
というの、すごくわかる。
でも大抵の三島論は彼の小説から
政治思想までをすくいとろうとするんだよな。

本来のマッサラな自己そのものを見つめる、
という一つのアクションがあったとして、
三島の場合はそのアクションが起動したと同時に
(即座にではなく同時に)
自己装飾が発生する。
仮面が素顔になりうるわけで、
これはこれで極致なのよな。


2022年02月04日(金) 立春、ココアスポンジ、口論

晴れ。寒い。
立春につき
暦の上では春ですがと
今年もテレビがうそぶいている。
毎年必ず言う。
「暦の上では春」と言ったら
必ず、もれなく、確実に、
「ですが」
と紡がれるこの滑稽さ。

ダンボールとペットボトルを捨て、
朝食はトーストのみ。
弁当は炊き込みご飯。


セトウツミ読み終えた。面白かった。
この人のやる、方法論的な漫才会話は好みではないけれど、
あんまり高度だしさすがに天才を感じる。
なによりキャラを気に入ってしまえるのが漫画の強みだ。
内海いいよね。
実生活でも、こいつが笑うと嬉しいとか勝ったとか
成功感に浸れるってあるけど
内海が笑うとその感覚を疑似体験できる。
ごちそうさまでした。


夕飯は茄子の蒲焼き。
ヘタだけ切ってラップして2分あっためて
包丁で切り込み入れて開いて
サラダ油で焼いて焦げ目がついたら取り出して
醤油と砂糖と酒を中火で煮つめてトロリとしたら
ご飯に盛って山椒振って万能ネギ散らしてうなぎ丼風完成。
味噌汁とサラダ添えていただく。美味しい。


夜、明日のケーキのためのココアスポンジを焼いた。
今回はボリュームを出したいが、
容器へ注ぐ生地の総量は控えめにしないと
膨らみきった後に萎んで
かえってボリューム不足となるキケンがある…
ことについては、もう知れている。
だから理想的に言えば、2台焼くべきなのだ。
1台を3枚にカットするより、
2台を2枚にカットして過剰分を余らせるほうが、
手間はかかるものの確実にキレイな仕上がりをねらえる。
しかしまあ流儀に反する。余らせるというのは。
でどうしたかというと
ココアパウダーをいつもより少なめにした。
プレーンのスポンジ生地に比べて、
このココアパウダーは膨らみを悪くする…ように僕は実感している。
スポンジ生地は密度が低いほうが触感がいい。
味もよく染み込むし。


入浴後、夫婦間でちょっとした口論があった。
お腹に赤ちゃんがいる、というより居続けることとなる妊婦は、
否応なしに毎日毎時お腹のそれを意識せざるを得ないが、
男の方はその感覚のないぶん、
自ら意識していかねば追いつけない…という自覚はあったつもりなのに、
イマイチまだ足りていなかったようだ。
いや並大抵の男よりはずうっとできている自負はあるが、
ことこの話題に関してはどれだけ自分に厳しくてもいいだろう。
徹底的に話し合ったすえ就寝は遅くなったが、
仲良く寝た。


2022年02月03日(木) 節分、鬼の意義、売らない店

晴れ。
なんかめちゃめちゃ寒い。
あと2週…いや10日持ちこたえれば…
でもその後花粉飛び出すのと
虫が起き始めると考えると嫌だけど…


今日は節分。
農水省がどこまで真面目なんだか
豆まきコンプライアンスというのを押し出しているらしい。
投げてオシマイじゃなく環境配慮を見据えようとか
鬼役となる人へは許諾を取りましょうとか。
まぁアホくさいけど名目上はワカランでもない、
が、そのなかにあって
「全ての鬼が悪いと決めつけない」
という項目があって、これは聞き逃せねえよと思った。
いかにも多様性と相性のいいお題目だが
悪の取扱いが転倒している。
「悪を肩代わりさせた表徴的存在」を
鬼と名付けデザインしているのであって、
悪でない鬼は鬼とは呼ばれない。
順序が逆なのだ。
共同体の外にある異人、ストレンジャー、アウトサイダーに
悪を押し付けて共同体内部の安寧を担保する、
そういった装置として機能していた「鬼」に
人性を認めてしまうと鬼は鬼である意義を失う。
それは鬼じゃない別の何かで、
いうなれば同じ地平にある人間となる。
そいつに豆を投げつけるってメチャクチャだからな。
豆まきする以上は、鬼は
悪や不幸や災厄の”表徴でなければならない”。
これは、敵とか対立相手とかにもそれぞれなりの
正義や大義や事情があったりするのを斟酌しましょう、
という認識の是正とは全く別のレベルの話だからな。
ここを混同すると道を誤る。
教育に悪い。
ひじょうに。
農林水産省ふざけるなよ、と憤激がやまない。
だいたいお前らが口出せるのは
食べ物や資源をムダにしないようにね、までと違うんか。
個人的にはおおよそ省庁というものの
…少なくとも表面上の…動きや声明を信頼してきていたから
その分だけ今回は失望した。


アサイチで 売らない店 特集。
製品をお試しできる店舗が増えているとのこと。
その場で買って持ち帰ることはできないが
QRコードから情報を読み取って購入することは可能のようだ。
なるほど現代的ではある。
在庫をかかえるリスクもほぼないし、
店舗スペースも極小で済む。
なにより、おそらくはこれもまた間口だ。
今はまだ「オンラインを通じて買うこともできますよ」だが、
これ本来的には、オンラインでのショッピングを前提とした上で
「オフラインで試すこともできますよ」だ。
段々と慣らしていくわけだ。

経営不振の続く百貨店でも
この形式を取り始めているらしい。
かつては百貨店は、商品を売り場に陳列したことが
画期的な商売であったと何かの本で読んだ。
江戸時代を経て明治に入ってもなお、
店舗における売買と言えば客は店の主人に欲しいものを告げる、
すると店の者が製品を棚や箱や蔵から出して見せてくれる。
そういう商売が常道であったところに現れた百貨店の方式が、
その後には新たな常道となって、今また翻るわけだ。
劣化していってんな。
江戸時代でいい。

さらに、YAMAHAが製造している、
歌ってコミュニケーションの取れる小型AIロボットも
紹介していた。
なるほどたしかに可愛らしい。
愛玩的な要素だけでなく、
高齢層の孤人化が問題視される昨今にあっては意義もある。
だがそれは、その場限りの目的がかなえているだけで、
孤独や孤立を構成している素地については、
解決するどころか逆の取り組みとなっている。
共生型社会のジャマをしている。
「人とつながりにくい世の中だから」
といって、
「人とのつながりにくさ」を強固にしている。
その危険性に無自覚、または目を背けて。
大反対だね。

しかし火の鳥のロビタを思い出す。
つくづく手塚はエライ…
人と寄り添い合えるようになったロボットについて、
最大限に魅力も恐ろしさも描いてみせておいて、
いいとも悪いとも言わない…
かつ
いいとも悪いとも言ってる…


弁当は豚バラ茄子バルサミコソテー。
鉄板で美味い。


妻の定期検診。
退勤後、無事だったとの報告だけ先に聞いた。
これでめでたく名実ともに安定期入りしたこととなる。
ホッッッッッッッッッッ。


西荻で肉屋などに寄り、19時20分頃帰宅。
夜は妻のリクエストでキンパ。
恵方巻きの代わりとでもいうのか。
韓国の海苔巻きなわけだが
作ったことも食べたこともない。
とりあえずほうれん草のナムルを用意。
しいたけは甘めに煮る。
牛肉をごま油で炒め、コチュジャンと焼肉のタレで味付け。
たくあんもかるく炒める。
卵焼きは長めにカット。
海苔巻用の海苔を巻き簾に広げて、
奥1/3を残して白米を薄くのせる。
さらに具材をのせてって、巻く。巻く。
巻いたら15分放置。
全体が馴染んだらカット。
重ねて盛り付け。
まあ美味い…か。うん美味い美味い。
ただ調味料の総量の割には、遠慮がちな味だ。
もうちょっとこう…なんだ…塩気か辛味かの刺激が欲しい。
次にやることがあるとしたらトビコかな。
今回の収穫は巻き簾の扱い。
もう気負いなく巻けるぜ。次は巻き寿司にしよ。


食後で身体が暖まっているうちに
庭へ出て福豆を投げることにした。
自前の庭があるというのは実に頼もしい。
ただ暗いし夜だし、ちょっと控えめに投げていった。
鳥の餌用に枝から吊るしている落花生のリングを
ゴールに見立てて豆を投げ入れていったりした。
大量に余った分は、別の枝に吊るしている鳥の餌用の籠に入れた。
食べるのだろうか。


チョコシューを食べた。
これは先日の余りを冷凍保存じていたもの。
を、半解凍したシューアイス。
美味い。市販品と遜色ないな。
ただ食べ終わった後が虚無だった。
食べたという事実の記憶だけあって
なぜか精神的な実感がなかった。


そっからお義母さんと電話。
という妻がかけた電話をスピーカーホンにして
三人でしゃべった。
安定期に入った報告と、防災についての相談。
互いの最寄りの避難所くらいは
把握しておくことにしましょうと述べた。
また、緊急時には安否確認の連絡を優先しないことを伝えた。


ベビー用品のレンタル用カタログを見た。
膨大な数だ。
見るほどいらんものまで欲しくなったり、
必要だとカンチガイしていくことになるだろう。
選択肢って多けりゃいいわけじゃないのにな。


昭和史を読んでいて
洞爺丸沈没事故というのを知った。
犠牲者1100人。
1500人あまりが没したタイタニック号沈没に次ぐ
世界的にも稀な海難事故らしい。
知らないもんだな。
ていうかタイタニックが映画の影響で有名すぎるのか。


図書館で借りてきた小川洋子、なかなか読み進まない…。
文章めっぽう上手くって小説的に高等で
それだけにナカナカ入っていけない。
小川洋子はストーリーや人物よりも、
なんといっても描写こそ小説の真髄だという理念があるそうで、
創作にあたっても風景や場がまずあって、
その器として人物の動きが用意されていくのだと述べている作家。
まったくもって高等で、
かなうことなら僕も追いかけたいものだが、
いかんせん登っている山が違う。


トキノはこれまで僕が手がけてきた作品に同じく、
論法が肝となる話だ。
作者には何か言いたいことがあり、
それは作品に明示されてもいる。
ただその答えへとたどり着くための道筋を
作品のなかから手繰ろうとすると、
読み手はこんがらがる…ようになっている。
僕が提供したいのは、
読み手の頭のなかでこんがらがった論理の糸筋が描く絵図だ。
その読み手当人にしか描き得ない
「体感的な思考風景」
に美を、あるいは面白さを見出してもらいたい。

という目当てはある。
でも小説的にはやっぱり
小川洋子だったり保坂和志がいうように
描写が先立つというか
描写そのものが小説の本体になってる方が高等だって思う、
憧れるような心持で。


2022年02月02日(水) 戌の日参り、絵馬に見る真心、NFP

晴れ。7時半起床。
のんびり起きてのんびり弁当を作る。
といっても炊き込みご飯を温めて
サラダ詰めるだけ。
朝食は普段のトーストに加えて、
ヨーグルトにレーズンを入れてハチミツをかけたものと、
ソーセージを茹で焼きしてブラックペッパーとマスタードをかけたもの。
半休日なので。美味しかった。

旧布団を洗って干した。
これはもしもどちらかがコロナにかかったら
夫婦が別々に寝られるようするため、居間に置いておくもの。
昨日敷布団も来たし。
食料の備蓄も十分あるし。
それなりの準備は整っている。


今日は土用の戌の日ということで
大宮八幡宮へ安産祈願のお参りに行く。
といっても正式な祈願を頼むまではしない。
なんかえらい料金とるみたいだし、時間もかかるようだし、
何よりコロナ禍でそういった集まりを避けたいので。
だから軽いデート気分で家を出る。
久しぶりにおめかしした妻が
写真撮ってよと庭へ出ていった。
iPadで何枚か撮る。
その度に妻はふざけたようなポーズをする。
「ポーズが下手だね」
「そうなの」

富士見ヶ丘駅への道すがら、
成人年齢引き下げについての話をした。
18歳で成人ですとしておきながら
酒タバコを20歳まで禁じる、
それでは筋が通らないではないかと妻は主張する。
いくらかの方面から検討してみたところ、
酒タバコが許されてないのでは
「成人リストのチェックが満たされていないことになる」、
という見方をしているようだった。
井の頭線に乗っても話を聞き続けたが、
西永福に降りてからは街の観察に入った。
西武池袋線や西武新宿線にも見られる、栄えすぎない、
駅前商店街を起点とした地元住民のための繁華という感じで好印象。

5分少々歩いて大宮八幡宮へ到着。デカイ。
入口となる参道際にかなり目立つログハウス風の民家があった。
全力出した山小屋というか。
そのちょっとさきには幼稚園。デカイ。
多くの子どもたちがワンサカ遊んでいて賑々しい。

目当ての神社にはそれなりに人がいたが
なにぶん敷地が広いから気にならない。
賽銭50円だけ奉納してお参りをした。
無事に子どもが生まれますように、
元気に育ちますように、
妻の身体も健康を保てますように…。

境内に何千枚と重ねられている絵馬を見てみると、
JO1とかいう、おそらくは男性アイドルグループへの
応援とおぼしきメッセージがずらずら並んでいた。
何らかの聖地なんだろうか。
そのほか、合格祈願であったり
願いごとなんでもの枠組みがあったりしたが、
安産祈願の絵馬たちを見てちょっと驚いた。
「子どもが元気に/無事に/健康に生まれますように」と、
ちょっぴりずつ書き方は違うが、
意味としてはほとんど全く同じ文が何百と並んでいる。
まじりけなく、その一心なのだ。どの人も。
泣きそうになってしまった。
折しも自分もそう祈ってきたばかりであるし。
まぁその思いのある人がここへ来るのだからとまとめれば
それまでなのかもしれないが、
しかし親の…あるいは親になろうとしている人の
真心というものを迫真に実感して、
きっともう、人目がなければ泣いていた。

ただこの神社自体はあまり好かない。
あちらこちらにノボリが立っていて、
あれもできるこれもできるという執拗な案内に辟易する。
商売っ気についてはまだしも、
玄妙さや厳かさのないことには失望する。
神社なんていう空間には文字がなければないほどいいのに。

さて去りましょうと来た道を戻る途中、
幼稚園にはさっきよりもさらに多くの子どもたちが遊んでいた。
…この神社には出産を控えた多くの夫婦が来る、
その夫婦たちはお祈りした後に
“元気に遊ぶ子どもたち”を見せつけられるのだ…。
いや別にだからどうってわけでもないけれど。


ちょっとだけ時間があったから
駅の手前で何か買い食いすることにした。
良い匂いに惹かれてパン屋へ。
妻が勝ったカレー風味のパンを一口もらった。美味い。
「かるいお出かけに過ぎないけど、
買い食いとはいえこう何か食べると、
ちょっとはデートの風情があるね」
というと、妻は愛嬌に満ちた声でウンと笑った。

西永福駅で別れ、僕はこのまま出勤。
隣の永福町駅で、なんらかのトラブルがあり
数分の足止めを食らった。
明大前で乗り換えた際に男子大学生の集団とすれ違い、
フレッシュさに驚いてしまった。
若い。みずみずしい。
自分自身を観察して老いたと認識する機会増えたけど
若い人間目の当たりにしたときにはドカンとくるな。
イキイキしてるもんな。

明大前から新宿線直通の本八幡行きに乗れるはずが、
先程の遅延が影響して新宿までしか行けず、
終点となる新宿駅から都営新宿線のホームまであほほど歩かされた。
ここでいうあほほどというのは
道行く人間が全員あほに見えてくるほど、
自分以外の地球上の人類全員があほに思えてくるほどという
病気的な狂気に駆られた状態を指します。
で自分自身もあほと化してようやくホームに着いたら
まさに目の前で電車のドアが締まり走っていくという。
もはや立っていられず四つん這いの獣になって
七つの大海が涸れるまで絶叫、眠れる神々を呼び覚まし、
すべてを業火で焼き尽くして永い眠りについた。


神保町には12時10分ほどに着いた。
時間に余裕があったからちょっとだけ散歩。
数日前、主人が亡くなったとニュースになっていたさぼうるには
臨時休業とだけ貼り紙がしてあった。


仕事は平常運転。
というか暇め。
陽性者が一人出たものの
幸いそれ以上の影響は今のところ見えない。

しかし東京の新規感染者数が
21000人超え。おえ。
都は病床使用率が50%を超過しても
今回は緊急事態宣言を渋りたいらしい。


夕飯はハヤシライス。レトルトの。
妻は早めの花粉症のせいであるのか
鼻がデッぱなしであったが
それでも味わえたようだ。
自作に比べれば肉が断然少ないのが残念であるが
味は申し分ない。とても美味い。


NFPについて妻から尋ねられた。
「知らない」
「じゃあいいかな。きみが知ってたら教えてもらいたかったんだ」
「ちょっとは聞かせてくれよ」
私もうまく説明できないけど、と前置きした妻の弁によれば、
オンライン上をはじめとしたデジタルリソースの
所有権の売買を成立させる技術や仕組みのようだ。
「Twitterでの、一番はじめのツイートの所有権を
オークションにかけて売ったり」
「あ、それは知ってる」
数ヶ月前に話題になって、それなりの興味をもった。
この話題にはいくらかの見地からのアプローチができる。
「僕は私有とか公有とか共有について興味のある方だから、
その視点からいうと…。
もともと、手元にあるなんだって、
これは自分のものだと自分ひとりが主張しても
証明されえないわけだね。
国家っていうのはもともと、
国民の私有財産を保証する機構であるという見方がある」
「それ、面白そう」
「NFPが実現するビジネスモデルについては、
僕はもちろん反対だけれども、
所有とはなんなのかについて
無自覚であった人々に問い直しを促す効能については、
よくやってくれたもんだと思うよ」
それからさらに、NFPは他分野において
市場の間口になるとの見解を示した。
「真っ先に思いつくのはメタバース」
「関係あるの?」
「メタバースって、仮想空間が用意されるわけでしょう。
オープンワールドのフィールドさながらの。
そしたら、その空間内での土地は売買の対象となるよ。
必ずなる。
その土地に建築物をおっ建てたりするわけだ。
人気のある土地は値上がりしたりしてね。
今はまだ、仮想空間の土地なんか買って何になるの?
って意識の人も多いだろうが、
NFPはその間口にもなる。
大麻が覚せい剤の入口になるみたいに」
「うわあ。その未来、嫌だ、すごくありあり想像できる。
うわあ、サイアクだな」
サイアクなのだが、
嫌悪感を共有できたことで気分はマシ。


トキノの大筋が書けた。
ヤッター!
手応えある。
こっから推敲。まだ完成には時間かかるなあ。
でも時間かけるだけで進んでいく段階に入ったといえる。
時間かければかけただけ完成度も高まる。
なのに寝る前の30分は原神にあてた。
これが今の自分なのだな。

毎日少しずつ読み進めている昭和史、
ようやっと戦後処理に入った。
こっから特需、復興、高度経済成長期と
昭和のフィーバーが始まる…。


2022年02月01日(火) 理想的夢想の妄想、三島と石原、男像

晴れ。
寒い。あと2週間…あと2週間経てば気温が上昇し始める…。
花粉も飛び始めるけど…。

弁当はゴマ油で鶏もも肉とキャベツ炒めて
醤油塩砂糖オイスターソース黒酢入れて
ジャーッと強火にして水分飛ばしてできあがり。


夢想、理想、妄想。
出勤途中にも思うようになった。
どこを歩いていてもマンションがある。
そこでフラリと立ち寄って、
任意の部屋にオーッスと入っていてたらいいよなあと。
そういう部屋があったらいい。

やっぱ出入り自由が大事だ。
お店のいいとこってそれよね。開かれてる。
今からいいっていい?もないし、
ピンポンもない。
勝手に行って勝手に入る。勝手に帰る。
あれがいい。

本音の本音で、
今自分がやりたいことを真正面から捉えてみると、
来た人間に食事を振る舞うハウスの住人になりたい。
ここに来ればタダ飯にありつけるという空間。
貧乏学生も落伍者的なおじさんも
生活に倦んだ人妻も
趣味をこじらせた独身男性も
ここには何かあると信じてやってきた会社員も
暇をもてあましたフリーターも
小腹を空かせた子どももやってくる。
社会的弱者のアジール…という志向性を
帯びてしまうかもしれないが、
そのくらいのコンセプトを置くわけでもなく、
ただ、歓待の現場がほしい。
それは自分がほしいから。

ああ…こう恥も外聞もなく書き出してみると、
本当にそれは、夢のような空間だな…。
なにかこう、噛み合っている。
自分の理念と嗜好と生き様と目標と
能力と立場と…噛み合っている。

一時期カフェを運営したい、と思っていたけれど、
あれは目的じゃなくてきっと手段だった。
本当の目的意識はこちらだ。
家族でも友達でも仲間でも客でもない、
でも他人でもない、
そういう人間たちと
“そのときどき”で関係性を形成しては洗い直していく、
これが僕にとっての聖域だ、きっと。
いつかはできるんかな、
とりあえず目標が見えたから
そのいつかへ向けてやることやっていこ。


我が社にとうとう新型コロナの陽性者が出た。
よくここまで持ちこたえたなという感じ。
こっからボロボロいくんだろうけど。
第一号となる彼は営業部所属。
僕の部署とは関わりがほとんどないが、
まわりまわってということならば
どうとでも感染ルートはある。
今は互いにマスクをした上で同空間にいるだけなら
濃厚接触者とは見なされないらしく、
その基準に甘えて会社は何も手立てを講じないようだ。
なめとんのか。


多くの人にとって
血縁の家族が一個人として軽蔑の対象だったり
相容れない仲だったとしても
家族は家族として認めざるを得ず
捨て去ってしまいきれないように、
国においてもそれは似たようなことが言えると思った。
つまり、よくカンチガイのナンチャッテ左翼が
日本への不満、愚痴を並べて
アメリカではどうのドイツではうんぬんと語る様に対して
「じゃあ日本を出ていけよ」
って意見が飛びがちだけれど
生まれも育ちも日本なら
生半可な絶望ではそうそう捨て去れるもんじゃない。
それを、家族への意識と結びつけてみると納得しやすいと思った。
ふと思っただけで、だからどうって話じゃないけど。


帰り道は小説を読むつもりが、
妻の構って攻撃に負けてしまいクイズに付き合った。
妻が頭のなかに思い浮かべたキーワードを当てるというもので、
少ないヒントからガンバッてアプローチしてみたが、
一問目の「食べ物四文字」「タから始まる」(たこ焼き)
二問目の「漢字一文字読み四文字」「ある生物と組み合わせた慣用句がある」(餞)
三問目の「食べ物四文字」「私が好きな料理」「パ行から始まる」(パエリア)
いずれも最終的には答えられたものの、
カンが悪いなと思ったと帰宅してからなじられた。

夕飯は炊き込みご飯。
市販の混ぜて炊きゃあいいという製品に
昨晩からもどした干し椎茸とニンジンとタケノコを刻んで入れる。
醤油とみりんもすこし足した。
副菜の茄子は天ぷら風にした。
これにサラダと味噌汁。
うーん美味しい。
ちょっと多めにしたのにペロリだ。


石原慎太郎がお亡くなりになった。ご冥福をお祈りします。
やはりというか巷では功罪が話題になっている。
功罪。清濁。賛否。
プラスマイナスの絶対値が大きい人。
べつに取り立てて好きってわけじゃないにしても、
総合的に魅力のある存在であったんだとは思う。
しかし文学者としてはあまり触れられていない。
僕が印象深いのは三島由紀夫との対談で、
後輩にあたるものの意見をガンガン衝突させてて、
三島はユーモアにまぎれさせつつも
「君が共和制をとったらおれは君を殺す」
「ちょうど今日は真剣も持参してきている」
みたいな剣呑な言葉を向けていて
かなりヒヤヒヤする内容だった。
あんなに緊張感のある対談見たことない。
いや書き起こされた文章を読んだだけだけど。
でもその場に立ち会わせられているような臨場感があった。
そのちょっと後に楯の会で例のクーデターまがいと割腹やってるから
冗談が冗談になってないんだよな。


週末にネットから注文した荷物がどかどか届く。
一通り開けて、防災避難用リュック、サブのリュック、
スーツケースにとりまとめていった。
どえらい量だ。
それも6月にはまた開けて、見直さなければならない。
しかし、ただただリスクを回避するためとはいえそれでも、
ちゃんとしてるなあと他人事のように感心してしまう。

入浴前、中、後に三島の対談集をパラパラと読み直した。
つくづく面白いな…。
二十歳そこそこの頃に読んだ頃よりもずっと内容が汲み取りやすい。
ただ二十歳そこそこの頃の吸収力が当時めいっぱい
吸い取ってくれた成分を下地にせしめたから今これだけ読めるともいえる。


男の行く先、女の行く先について、妻と話をした。
妻の弁としては、
女性はこれからも女性の立場を向上させたり
守ったりするために戦い続けていくだろう、
しかし男性の方は自分たちを守るために戦えるのだろうか、
女性にはそのために戦ってきた歴史があるからいいが
男性の方にはその術法が蓄積されていないから
かえって困るんじゃないか、という。
ごもっともな話だ。
僕は、男性と一口にいっても、
大雑把に言って僕らより上の世代、僕らあたりの世代、
そしてこれから下の世代といる、
それぞれにとってこの問題は変わってくると整理した。
「下の世代だね。これから大人になっていく男の子たち。
彼らはすごく大変だと思う。
頭悪いような言い方しちゃうけどさ、
カッコイイ男って何?なんだよ。下の世代にとって」
なかなか深みのある論題に思えたので考えてみることにした。


明日は早起きする必要もないからと、
のんびり1時ごろ就寝した。


2022年01月31日(月) 仕事の悪、根性論、対応諦めない従業員

晴れ。
月曜の朝は気力充溢でもないしなんだか慌ただしい。
弁当は角煮を温めて詰めるだけなのだけれど
冷めると豚バラの脂…ラードが白く個体化してしまうから、
自分の分はもうそれでいいとして、
妻の分は弁当箱に詰めずに
飯どきに温めてもらうことにした。


出勤して即、営業から大きめのミスの報告が入った。
すでに印刷所で刷った本の片ページが、
本来あるべき位置より数ミリずれている。
僕はその仕事にはノータッチだったのだが
たまたま担当から免れていただけで
自分が携わる可能性も十分あったから肝が冷えた。
ただ今回のクライアントは特例的で、
セミプロのほぼ個人といえる相手だったから、
大事にはならなかった。
これが大手出版社相手なら大事故だ。

…しかしそれがなんだってんだろう。
見る人が見ればわかるというズレ。
本来あるべき仕上がりが達成されていないという点で
仕事としてはアウトなわけだが
本の内容を何も損ないはしていない。

うちの会社はそうした細かい部分を調整するという業務を
請け負っているから、
その需要あって成り立っている会社ではあるわけだけど
本来的に立ち返ればそれがなんだってんだろう。
何にも社会に貢献しない。
むしろ窮屈にしている…反対のことをしている…
数十年前だったら何ひとつ問題になることのない事柄。
それを厳正に厳正に、自縄自縛的に勝手に厳しくしていって、
その結果がこれだ。
どうでもいいんじゃないか?

反論はいくらも浮かぶ。
というより、なんだかんだいっても後進を育成するにあたっては、
尋常であればどうでもいいとされる細部にこそ意識を払うべき、
また意識せずとも注意できるようにと僕自身戒めてはいる。
しかし俯瞰で…遠大に見通してみたときに、
これは窮屈な社会像の形成に加担してしまっているといえる。

しょうもない仕事だなと呆れかえる。
そっから銭を得ている自分が恥ずかしい。
これだけの自覚があるのに
なんだかんだ理由をつけて辞めてないし。
自己嫌悪ループ。


唇がひび割れている。
カサカサに剥けているわけじゃないのだけれど
中央部あたりがぱっくり割れてしまっていて
笑ったり食べたりする際に口を大きく開くと痛い。
舐めてりゃ治る、ってつもりでいるから放っておいてる。
気合でなんとかする。

根性論、精神論というのは馬鹿にできない。
世にはびこるエセ合理主義の連中は
すぐにコスパなどといって物事を判断しようとするが
根性ほどコスパに特化した機能もそうそうないのだ。

幸福、不幸、満足、不満足、などは
損得勘定のうえで相対化しうるが
最終的には主観に還元される。
その主観のほうを捻じ曲げてしまえ、
という解決方法は驚異的なまでに合理的だ。
何度でも繰り返すが、
感情は定数化しにくいだけの変数に過ぎず、
式の中に組み込めるものだ。
精神や感情を 理 の外に置いてしまうエセ合理主義者は
その方程式を組み立てられない時点で
自らエセである証を強めているようなものだ。

悪名高いうさぎ跳びにしてみても、
その効果が望みにくいどころか肉体への悪影響があると
科学的見地から明らかにされたところでなお、
やる、やらせる意義はある。
もちろん場や相手によって理非は問われるが、
「だから意味がない」というアンチョクな切り捨てをする
エセ合理主義屋は考えが足りない。
鍛錬者にとっての目標を
「その競技において最上の結果を出す」
と決め込んでいる。
だが実際にはその後も言葉が続く。
「最上の結果を出すことによって…を得る」
となるはずだ。
それは自己実現、栄誉、金、異性、なんだってあるだろうが、
そこからさらに言葉は続く。
「…を得ることによって…を達成する」
さらに
「…を達成することによって…をすることによって…を……」
こう続けていくと最終的には主観による態度が待ち受ける。
精神論はここで作用してくるのだ。
必ずここに影響する。

ちょっと論が弱いか。
もーちっと詰めよう。
あくまでここはメモ書きの場だからな。


夕方図書館から電話が入ってきた。
十中八九、本の取り寄せができたとの連絡だろうと踏んで、
仕事中でもあったから出なかったのだけれど、
1分くらいかかり続けていた。
平日の、夕方とはいえ17時前で…それでも諦めないのだな。
で18時半過ぎの休憩時間に折り返しの電話を入れてみた。
「おそらく取り寄せの件だと思われるのですが」
「少々お待ちください」
こっから4分ほど保留のまま放置された。
そんなことがあるのか…と待ち続け、
ようやく事情の明かされたところによると、
現在システム障害が発生しているとのこと。
どうあれ週末にはまた図書館に伺うし、
まず取り寄せの件なのだろうし、
またそれでなくても緊急性があるとは思えないからと
もう打ち切りたかったのだが向こうが諦めてくれない。
全然苛立ちはしなかったけどややまいった。
早く自席にも戻りたかったし…。
そして結局は取り寄せの件だった。週末に行こ。


あと従兄弟から電話がかかってきた。
こちらも仕事中だったから出れず。
21時50分ごろなら可能、それ以降でもOKと
LINEでメッセージを送った。
で実際には21時30分には連絡可能になった。
というか、最寄り駅から自宅への帰り道の20分弱の間を
この電話にあてるのが最も都合がいい。
折しも妻から、気分が不調との連絡が入っている。
帰宅したら妻を第一にしたいところ…であったけれども、
イトコはじゃあ22時頃にかけますとの返事。
こちらが、それ以降でもOKと添えたのを受けての返事だから
まったく問題はないのだけれど
正直21時半からがベストだ…しかし向こうがこう返事してきた以上は…
とぐるぐる考えて
結局22時の電話を待つことにした。
向こうの都合を優先。

21時50分に帰宅。
妻の気分をなだめて、夕飯を作りながら連絡を待つ。
22時1分に着信。
2月下旬に予定していた結婚式は
コロナの影響をかんがみて延期するとのこと。
がどの月も埋まっているようで、
予定は12月25日となったらしい。
その連絡を一軒一軒にしているわけだ。
タイヘンすぎる…。簡単な言葉でだがねぎらった。


夕飯はうどん。
昨日の昼もうどんだったけど構わん。
なにしろ昨日鶏むね肉を茹でた出し汁が残っている。
豚バラの下茹で汁もブレンドしてあるしなあっ。
さらには白菜まである。
だいぶ薄味になってしまった。
妻は相変わらずぶっかけを所望したから従った。
でも大根おろし添えるのを忘れた…。


図書館の件を話してみた。
その流れで、なんらかの販売店で
店員さんに商品の置き場を探してもらう際にはカッコで
(あなたがその場所を把握していてすぐに示しうるのなら)
と含意を込めるよね、言えないけどね、
そして伝わらず結局は長々と探し回られたりして
申し訳ないわ
ないならないでいいのに待たせないでくれと苛立つわで
もう散々、ってありがちだよなという話をした。


この前図書館で借りてきた本に
万葉かなの本があって
そっから妻が
 はろはろに
という言葉を紹介してくれた。
意味は忘れたがスバラシイんじゃないでしょうか。
はろはろに。
音だけでも。


2022年01月30日(日) 名付け検討、口論、人生の祝福

晴れ。
休日トースト、日曜美術館。
月岡芳年。
幕末の時点で人気の浮世絵師で
明治入ってからは
当時は写真もなく文字だけだった新聞において
絵で時事…西南戦争などを伝えられるから
各社からひっぱりだこだったらしい。
絵も良かった。色っぽかった。


図書館では妻のリクエストで名付けに関する本と、
取り寄せていた小川洋子の小箱を借りた。
一旦本だけ家に置いて今度はOKストアへ。
防災用の食品をあれこれ買った。
帰宅後、即風呂。
入浴後、最近読んでた本のスキャン。
これと思ったページだけを厳選して
iPadで撮影していく…めちゃくちゃ面倒だが…
ひたすらやる。


昼は焼きおにぎり。
毎回反省点を正しているから
目に見えて上手になっていく。
ただ今回、途中でサランラップがからんだ。
本体の方。
…もはや世間的にはありふれすぎてて
わざわざ不満の声すら聞かなくなっているが
それでもこれは人の気分を大きく害してくれるものだ…。
爪でガリガリやって、一周して、
まだダメで、…を何度繰り返したろう、
今回ばかりはもう諦めて捨てるのが最も賢明ではあった、
だが買ったばかりの50mものを今時点で捨てるのは
もったいないとかの気分や思想の以前に
モノスゴイ悔しさがある。
結局一点のヒッカカリがどうしようもなく
正常な状態に戻すのは無理だったが
異常なままでも意地でも使い切るつもりでいる。

焼きおにぎりは抜群の出来。
きれいな三角形にできたから
焦げ目も均等についている。
お吸い物の合うこと合うこと。


食後、妻とともに名付けの本を見て検討していった。
収穫らしい収穫はなし。
ただ妻が、徒然草に収録されている
鼎にまつわるエピソードを
ネットから拾って聞かせてくれた。
なんでも何をやっても笑いのとれない若者が
ウケ狙いで鼎(三本足の器機)を頭にかぶったら
もう全然取れなくなってしまって
こりゃもう鼻が削げても無理やり取るかうんぬんかんぬん
という…哀愁がベースにあるドタバタ劇。
ここへきて鼎が株が上がってもうた。


ネットで防災用品を買い足した。
コンロなどの大物をひっくるめて、2万3000円分ほど。
さらに、ネットスーパーで備蓄用の食品などを買っていった。
こちらも8000円ほど。
たぶん一人で生きてたら防災グッズなんか買わないだろうな。
食品の備蓄はまだしも。
でもこれが家庭をもつってことか。
こうして意識がはぐくまれていくんか。


夜は角煮。
いつもはたしか下茹での前に焼いてるが今回は焼かなかった。
まずは豚バラ肉に酒をかけておいて十数分放置。
キッチンペーパーで水分拭き取って
まるっとフライパンへ。
長ネギの青い部分とともに水から1時間茹でる。
その間に鶏むね肉も茹でた。
2週間に1回は用意してる。ほとんどサラダ用。1週間分。

バラ肉の下茹でができたら
フライパンで砂糖をキャラメリゼする。
一度火を止めて、酒とみりんを注ぎ混ぜる。
これに豚バラ肉を絡ませる。
色をまとわせたら、水、醤油、ニンニク、黒酢を入れる。
今回は黒酢をおおく入れすぎた。
なかなか酸味が飛ばない…。
が1時間茹でたらだんだん味が馴染んでいった。
そういやあ生姜を入れ忘れてしまったな。


夕飯まで間があるので
ミヤタクラジオを聞きながら原神。
幸せな時間だ…。
おたより、何度か送ろうか悩んだけど
結局送れていない。
自分がネットラジオしてたころは、
送ってくれれば内容なんてナンデモイーヨと思ってたけど、
いざ自分が出す立場となると
あーでもないこーでもないと苦手なんだな。
ただ今回話題にしていたのが
料理だったからこれならいけるのかもしれない。


小川洋子の小箱読み始めた。
この人の小説、
技術的に高度なことやってんなと
いつも惚れ惚れするんだけれど、
魅力の一つである奇想の部分は
イマイチのれないんだよな。
でも奇想を話に仕立て上げる構成力には感嘆。


日曜のお定まり、19時半から
ダーウィンが来たを見ながら夕食。
角煮めちゃウマ…
酸味もないしトロットロ。
即興で加えてみた白菜もよく合うこと。
これで生姜効かせてたらカンペキだったな。

ダーウィンはサメ特集。
サメよりもアジの群れが衝撃的だった。
海中に漂うアジの群れが
マグロやらサメやらに襲われて
ドンドン数減らしてって
さぁどうなるってところで
一匹のサメに群体ごと取り憑いた。
まさしく取り憑くという表現がぴったりくる。
祟り神的な。呪いの黒いモヤモヤ。
番組ではサメが服をまとう様に例えていたが
どう見てもアジが主役だ。
ビジュアルの衝撃が半端じゃなかった。
まんまと逃げ延びてたし。


食後、たまっていた読書メーター用の感想を書いていった。
今月は1日平均84ページほど読んでたらしい。
おお…けっこうな量を読んでるな。
全然足りないんだけどな。
アジール論、フーリエ、フーコー、
エスノメソドロジー、
日常的実践のポイエティーク…


久しぶりに妻と言い争いをした。
産休に入ってから漫画原稿を描く予定について
創作へのスタイルもひっくるめて口論となった。
ヒートアップしてから中断をはさみ、
二人とも謝るべきところを謝ってから
話はまとまったが、
「もう一人謝らなくちゃいけない相手がいるな」
と改まり、妻のお腹へ二人でごめんなさいをした。
荒々しい声を聞かせちゃって悪かったな。

お腹の子はまだ性別もわからないものの、
一旦は
 はゆちゃん おはゆちゃん
と呼んでいる。
名前が霊性の張力となるのだって実感としてわかってきてる。


妻に義母から電話。
縁が絶えるか絶えないかの関係である義父へ
どのように懐妊を伝えるかを話し合った。
どちらかといえば義父実家との関係性を
今後どのように結んでいきたいかが焦点となる。
おそらく僕なら最善の筋書きを用意できる。
だがそう作為的にしないでも、
なるようになれで済ませたいところだ。
人と人との縁を信じたい。
人生のたゆたいに祝福を求めたい。


2022年01月29日(土) 防災用品、セルフレジ小銭、ボランティア活動

晴れ。
休日トーストを食べ洗濯を済ませ、
10時を前に妻と西荻へ向かった。
神明通りを突き進み、珈琲売店で豆を注文。
その間に僕はTSUTAYAに寄って寅さんを借りる。
出たところで妻と合流。
セルフレジ会計のお釣りについて意見を伺ってみた。
「最近増えてきたセルフレジでさ、
小銭を入れるにあたってさ、
財布からチマチマ目当ての硬貨を取ろうとしないで、
毎回、ありったけの小銭を全部入れてしまえばいい、
という考え方があるね」
「あ。気づいてなかった。なるほどね…」
「そうすれば最適解のお釣りが勝手に出てくるわけだから。
人間相手じゃないからね、
別に多く硬貨を入れたって、時間差もないし。
でも、本当にそれでいいのかな?
なにか反対意見を出せるだろうか」
「とりあえず思ったのは、感染対策的にはよくないよね」
妻が即座に出した答えはなるほど納得できた。
人から人へと出回る硬貨は少ないほどいい。
僕の考えの方は、自動化に慣らされていって
アホに傾いていくという危惧だ。
それは単なる暗算能力の低下なんて話ではなく、
自身の力を発揮する機会を逸してしまうこと、
思考や判断を委ねてしまうことへの危惧だ。
だがこれはイマイチ伝わらなかった。
繰り返し語っていく必要があるだろう。

三菱UFJの口座から金をおろし、三井住友の口座へ預金。
共同貯金を二人別々の口座にしたから、
これまでよりも見た目の増え幅が少ない。
共同で見れば今日新たに10万円足されて650万円だけれど
実際にはそれぞれの口座に5万足されて325万円ずつ。
朝三暮四みたいなハナシだけれど…テンション上がんないな。


肉屋に行って豚バラ肉、鶏もも肉、
鶏むね肉、ソーセージを買った。
これで2000円近く。
でも税抜き価格時点から2割還元で
340円ほどの割引券をもらう。
とんでもねー割引率だただでさえ安いのに。

焙煎してもらった珈琲豆を受け取って、
帰り道、妻が花屋に立ち寄っている間、
暇を持て余して十数分間ずっと
地域活動センターの募集要項を見ていた。
地域参画型のイベント企画や
広報誌の作成など、できることはそれなりにありそうだ。
ただし任期が三年間とある。
コミュニティや地域課題の解決について、
それなりに本を読んできたから人よりは知っている方だと思う。
で、よく語られるハナシが、辞められたら困るという。
そりゃそうなんだけど。
軽い気持ちでボランティア始めようとして、
思ってたのと違うとか時間合わないとかで
急に辞めてしまう人は多いらしい。
実際、僕が手を出そうと思っても、
本当に続けられるのか、やはり見当がつかない。
そして家庭環境との折り合いもある。
副業やバイトではなく、
小遣いにもならないボランティア…
でも結果的にはこれが子育てにも役立つ、
そういう考えかたでいいと思う。
たださすがに、妻の出産を控えている身で
初めてのボランティア活動をガッツリ始めようとしても、
向こうも迷惑だろうから今は見送ることとなる。
でもいつかは、いつかはやったんぞ…。

いつのまにやら11時20分になっていたから
帰宅を前に電話で蕎麦屋に出前を頼んだ。
贅沢な話だ。
実店舗を今通り過ぎたところなのに、
コロナ禍で入店したくないからと電話して注文ときた。
帰宅してすぐ、妻は花の始末にアタフタしていた。
今日のメインはラナンキュラス。
色もあいまって乙女風味があった。

帰宅してから10分程度で出前は届いた。
僕はたぬきうどん。妻はせいろ。
妻用にトッピングで大根おろしを注文はしていたが
やや量がこころもとなかったので
冷凍してあった大根おろしを解凍して加えてやった。
一口もらったせいろは美味かったが
この店のたぬきうどんには敵わない。
美味すぎるぞこれは…。
冬の間にもう一回くらいは食べるつもりでいる。


午後はOKストアで買い物を済ませてから、
シュークリームづくりに勤しんだ。
今回はチョコレートシュー。
まずはチョコカスタード。
いつも通りにカスタードクリームをこしらえて、
チョコレートを溶かし混ぜて冷やす。

ちゃんとした工程メモ。
卵黄2コ分とグラニュー糖60gをすり混ぜて
コーンスターチ25g入れてさっと混ぜて
沸騰直前まで温めた牛乳250ml少しずつ加えて
こしながら小鍋にうつして
中火にかけてなめらかなクリームにして
もったりしたらバター入れて火を止めて
チョコ75gを混ぜる。
ラップして冷蔵庫へ。

ココアシュー生地。
薄力粉55gとココアパウダー5gを振るっておく。
全卵2コ分溶いておく。
オーブン200度に予熱。
バター45gを1cm角に切って鍋に入れる。
水50ml牛乳50mlとグラニュー糖と塩一つまみを加えて加熱。
粉類60gを一気に加えて火を止めて木べらで混ぜる、再び加熱。
生地を大ボウルに移して溶き卵を半量加える。
木べらで切るように混ぜる、馴染んできたら練り混ぜる
繰り返し…垂れるくらいにする。
シュー生地を絞り袋に入れて円形にこんもりと丸くする。
濡れた手で先端をおさえる。
たっぷりと水を吹く。
200度で20分、180度で25分、160度で10分焼成。

焼いている間に映画を見始めた。
寅さんシリーズ二作目。
…一作目の方がバツグンに良かったけど
母親の描写みごとだったな。
言葉では言い表しにくい関係性が
サラッと描写されていた。
はたして現代の作品で
あれだけ奥行きある母子関係を描けるだろうか。
寅さんの人物ありきだからなあ。

シュー生地はしっかり焼けた。
うっとりするような最高の膨らみ加減。
今回は上がけ用にチョコレートのグラサージュを用意した。
レシピも見ず、フライパンにドパッと砂糖を入れて加熱、
キャラメルにしたところで火を止めて
生クリームを混ぜ込み、
ブラックココアパウダー、
さらに刻んだチョコレートを入れて
よくかき混ぜながら
とろりとするまで冷ます。
本当はゼラチン、あと水飴も混ぜたら
もっとちゃんとしたグラサージュになるけど
今回はさぼった。

シューの仕上げ。
生地の上1/3をカット。
本体にチョコカスタードを絞り袋でこんもりと注入。
蓋部分をグラサージュに浸す。
粉砂糖を振ってできあがり。
なかなか見た目もよい。
味もよかった。
チョコレート尽くしだから生地が負けるかと思われたが
シュー生地も焼きたてはなかなか強く、
ちゃんと風味を堪能できた。


防災用品の見直し。
買うべきものがたくさんある。
今回は必要となるかもしれないものを
片っ端から揃えていく構えだ。
しかし全方位への備えはかなり難しい。
水害、地震、火事、その他…
なんの災害がくるかもわからんし。
そのときの状況もわからない。
ただ備えはあればあるほどいいということで、
片っ端から買う。
防災避難用リュックは2つ用意してある。
あとスーツケース。


夜は大根を、この前テレビで見たとおりに作った。
大根をカット。
十字に隠し包丁を入れ、面取りをする。
耐熱皿に水を入れて大根を浸し、
表面におでん出汁の素でかける。
濡らしたキッチンペーパーを乗せて
ラップしてレンジで数分温める。
そっから茹でる。キッチンペーパー乗せたまま。
10分ほど茹でたら火を止めて5分おいて味を染み込ませる。
味見してみたところ…美味しくない。
味はいい。
だが大根の食感がかなり悪い。
これが電子レンジによる調理のせいなのか
大根の品質のせいなのかわからない。
また作ってみるとする。

あとスタミナをつくってみた。
定食屋にある、濃いめの野菜炒めだ。
僕が食べたいのは、
両国の定食屋「きじま」の絶品スタミナ。
小学生のときの記憶を頼りに、
ごま油で玉ねぎと白菜とニンジンと
豚バラ肉ともやしを炒め、
醤油と水で溶いた片栗粉を入れてあんにして、
かるくコショウを振ってみた…が
当然ながら記憶の味には程遠い。
で、醤油を少なめにして
ソースを入れてみたら、かなり近づくような気がした。
こちらもまたチャレンジしてみよ。

連城三紀彦の白夜を読み切った。
中盤から後半にかけて
ガーッと読み進めてって気持ちよかった…。
一気読みは久しぶり。
ゼロからこの物語を構築できるのがホント圧巻。
フィクションの凄みを見せつけられた。


いろいろ刺激は調達しているけれど
トキノが書き進められていない。
でも焦らない。
いやちょっとは焦ったほうがいいのか。
でも焦らない。


2022年01月28日(金) 立てこもり中継、個人情報まるだし、世代交代速度

晴れ。
朝っぱらからニュース番組は
埼玉の立てこもり事件でもちきり。
と思ったらリアルタイムで確保。
犯人のパトカーで搬送され、
人質とされていた三人も救急車に乗せられていた。
それかも中継ですといって現場を映し出しながら
事件を説明していたのはNHKでも民放でも変わりなかったが
どう言い繕ってももはや中継の必要はない。
意味はないとは言い切れないが必要はない。
立てこもりと即時報道は
浅間山荘からの神話が永続している感じ。
そりゃ耳目集めるわな。数字とれるんでしょう。
今回の事件は、被疑者のご家族が亡くなった病院から
主治医と理学療法士、介護士が3人連れ立って
被疑者の自宅へ弔問にきたところに猟銃を発砲、
立てこもりとなったらしい、
そのあらましを聞いた妻がそういえばと語りだしたところによると、
10年ほど前に50代の息子が父親を殺害した事件があり、
その動機が、カナエという女みたいな名前をつけられたからだった…
「嫌だね、ネットで調べちゃうと。
本当は気にしなくていいんだろうけど。知っちゃうとね…」
と嘆いていた。


弁当は昨日の筑前煮。
あっためて汁気をぬいて詰めるだけ。
この汁気を抜かなかったばっかりに
過去なんどか煮物の弁当で失敗してきてるからな。
弁当から汁気が染み出してランチボックスはおろか
バッグ内の荷物が濡れてしまうのはとても悲しいものだ。
とてもとても悲しいものだ。


連城三紀彦の白夜読んでる。
他人の人生が書き連ねられているだけで面白いな。
よくいう小説の魅力に、登場人物の人生を追体験できる、
というちょっと浅薄な見方がある。
しかしまあ、個人情報が繊細に扱われすぎる現代にあって、
こうまでまるまると赤裸々々々々々々に
人物の人生を裏の裏まで見せてくれるというのは、
他人のプライバシーを覗き込んでる窃視の背徳感があり、
いやでも興味が湧いてしまう。
こんなに個人情報まるだしってことあるの。
漫画でも映画でもここまで執拗には追わないからなあ。スゴ。


思い出したこと。
この前テレビで
今の中高生に人気の芸人ランキングというのをやっていて
ものすごいこっ恥ずかしさを感じた。
テレビ番組の企画だからそうは見せてないけど、
そもそも今時分の中学生はそんなに芸人に興味ないでしょう。
だから名前を見聞きするだとか、
いつぞやたまたまテレビで見かけてインパクトあって覚えてたとか、
そんな認知度のレベルで票が投じられていったように思えるのに、
ランキング化したら上位が「中高生に人気」となる。
その大人たちの世界の狭さに恥ずかしさを覚えた。

でさらに思ったこと。
今どきは中高生に人気なのはYoutuberなわけでしょう。
…という認識ですらあやしいこと。
ここでポイントなのは後半ではなく前半。
「Youtuberかどうか」ではなく
「中高生」のところ。
僕ら世代が入手した情報からイメージを立てている「中高生」は
現実はたぶん、もう「高校生以上」だ。
2、3年で入れ替わっている世代のエスカレーターの速度に、
多くの大人はついていけていない。
ついていけなくてもいいのだけど
その自覚が足してないことが多い。と思った。


夕飯は豚バラカルビ。
肉屋で買った味付きの、焼きゃあいいやつ。
これをサニーレタスといただく。サンチュ風に。
コチュジャンにもちょっとだけご登場願って…。


Eテレで性と生の学問とかいう番組がやってた。
マスターベーションと言語学、というお題目に惹かれ
自慰を構造主義とかで解体していくのか、
記号論に結び付けていくのか、
それなりの期待を込めて見てみたけど
辞書的な語彙の領域の上澄みをさらっただけで
言語学でもなんでもなかった。
Eテレでこういう真似すんのか。
気分悪いぜ。


妻から
ハイサイおじさん
という曲を教わった。
志村けん扮する 変なおじさん の元ネタらしく、
沖縄民謡がベースにあるようだ。
沖縄っぽい曲とか楽器とか大ニガテなのだけど
(偏見ではなく生理的に)
これにはハマッた。
躁?ってくらいハシャギたおす男女の古いバンド。
そこに祭りとか祝祭の感があって
演奏している場を異空間にしていた。
ドラッグ的に脳にうったえかけるような侵食感がある。
これスサマジー。


れどれ |MAIL