舌の色はピンク
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2022年01月27日(木) |
呪詛、安直の究極、江戸東京博物館 |
晴れ。 こう記録してみると冬ってだいたい晴れだな。 朝起きて晴れてるとそれだけで気分がいい。
弁当は牛肉と玉ねぎのオイスター炒め。 しかし牛肉が十分量ないし 冷凍保存してから日が経っているので こちらは自分の分の弁当とした。 妻には冷凍ソースカツとしじみの佃煮。 トースト食べてゴミをまとめて着替えて朝支度完了。
腰はまだ痛い。 腰に負担かかるとわかりやすい信号が走る。 ビキキ って。 年か。これが。もう。 昔の芸人が脳内に登場して おし マイケル と茶化す。 こちらで勝手にご登場願ったあげく悪いのだが うるせえよと思う。
どいつもこいつも死んじまえという 小便臭い呪念が晴れない。 誰も彼もが幸せでありますように、 生の祝福にまみれて過ごせますようにと心から祈り、 またその理想に向けた社会の実現へと 接近させるような努力だってしているはずでありながら、 無差別的な呪いを膿ましている。
ブッ殺してやりてぇという少年的な攻撃性ではなくて ただただ死ねというフレーズが無限発生するだけの少女的な呪念。
このテの膿みは珍しいものでもない。 そのへんのひとトッ捕まえても 心中漁れば似たような怨嗟が埋もれているだろう。 ただ、これを外へ表すとイタイとされる。 表すにもレベルがある。 公然と言う。 SNSでつぶやく。 ノートに書き残す。 裏紙に書いて捨てる。 誰にも聞かれない独り言でつぶやく。 心の中だけで唱える。…
うまくいかないことがあったら やにわに 死ね、死ねというフレーズが湧く。 このとき、死ねという音韻が先立って、 実際の希死は想起されていない。 この際善悪とか小便臭さとかよりも問題なのは、 本来対話をはじめとした関わり合いや 心身の修練によって止揚させていくべき対立概念を いっせいに無化させるために 死ね という言葉が採用されている点だ。 安直の究極。 リセットボタンを押したがるガキの心理とさほど変わらない。
が、心の奥やどっかには、あるもんだ。 非論理的な呪詛が。 多少なりとも自意識に敏感な人間には。 それをむき出した者から叩かれるというのも難儀な話で、 僕は見て見ぬふりしないために、 受け入れるために、 自覚深めるためにここに書き残す。
江戸東京博物館が改修工事に入るらしい。 営業開始から30年経ち経年劣化が問題になっているようだ。 30年。 江戸東京博物館は僕が生まれ育った家から徒歩10分程度の場所にあり、 落成を楽しみにしていた覚えがある。 小学校低学年の頃にはよく通いつめた。 地下一階にある視聴覚コーナーは当時 入場料がかからないスペースで ただ単に暇だったから、ただ単に冷房が涼しかったから、 よく友達と入り浸っていた。 東海道中膝栗毛を題材にしたスゴロク式のビデオ映像がお気に入りで、 飽きもせず何度も何度も堪能していた。 あの場所が喪われてしまうとなると それなりの寂しさがある。 工事は4月からか。 3月中に一度行けたら…。なんとしてでも行きたい…。
夜は筑前煮。 干し椎茸は一晩かけてもどすのが一番おいしいけど うっかり忘れてたから 水とともに容器に入れてラップして 電子レンジで2分半温めてもどす。 ごま油で鶏肉を皮目から焼き、 小さめの一口大にしたタケノコ、ニンジンを入れる こんにゃくは別鍋でアク抜き。 しいたけは戻し汁ごと入れる。 めんつゆ、醤油、みりん、酒を加えて 20〜30分ほど煮る。 火を止めて5〜10分ほど置いて 味を染み込ませたらできあがり。
うめえ。
食後、どうしてもとねだられて 数字であそぼをを数話一緒に読んで、 それから子どもの名前の検討をした。 妻は古い電子辞書を持ち出して、 ジャンル別索引から花の名前やら マイナー日本語を調べていた。 今日あがった候補は「鼎」。 女の子用ではなく、男の子でカナエ。 乗り気になったのはむしろ妻の方で、 提案した僕の方がやや尻込みしていた。 この感じには中国っぽさがある。 また、まず小中学生には読めないだろう。 どんな字であるか口頭で説明しがたくもある。 それに名に意を込められてもいない。 さいわいまだまだ時間はあるので、 これを候補と置きつつ、これからも探していく。
2022年01月26日(水) |
寝坊、ユートピア、生と死、ロゴスへの反逆 |
曇り。 寝坊した。目が覚めたら8時10分。 スマホをマナーモードにしたまま眠ってしまったようだ。 20分で全てを完了させなければならず高速で動いた。 弁当はオムライス。 8分でチキンライスを仕上げて2分でオムレツ。 トーストを焼き、バター塗るのだけは妻に任せて、 着替えながら食べて着替えて顔洗って歯磨いて荷物まとめて 洗い物以外は大体やりきって8時半に家を出た。 やりゃできんじゃん。
オムライス弁当はしっかり美味かった。 あんな粗雑な作り方したのにな。
ユートピア。 我ながら惚れ惚れするアイデアによって ある像が結ばれているが、 その像の位相をちょっとずらした第二案を夢想してみた。 あまり現実味はないけど。
それは一部の人には理想とされる二重生活、 「都市と地方にそれぞれ拠点をもつ」スタイルを秩序化したものだ。 都市生活に嫌気が差して田舎に移住はしたが、 週に一度なり月に一度なり、街に繰り出したりもしてみたい。 ということで、大都市を…わかりやすく23区を経済特区として、 住人を追い出してしまおう。 それ以外の、店舗を構える店は生きている。 飲食店も服飾店も雑貨店も歯医者もマッサージ屋も 宝石屋も本屋も不動産屋も建設業者も運送業者も 特区内の商業従事者はみーんな公務員となる。 江戸時代にならって木戸門を設えよう。 時間帯によって開け閉めされる。 人々は東京といういわばテーマパークに 「やってくる」こととなる。
言ってることはめちゃくちゃなんだけど 夢想ってのはめちゃくちゃでいいのだ。 核心さえぶれてなければ周縁なんぞどうとでもなる。 核心は、東京という概念から起こせる価値の 極大値の探求だ。 その無防備な東京像、とってもワクワクする。
21時50分帰宅。 ノータイムで夕飯。 っつっても冷凍パスタ。 あたためればできあがる。 しかし2コいっぺんにともなれば 10分ほど温める必要があり、 温めの前後1分ずつを勘定すると 自分でイチから作る時間とそんなに変わらない。 とはいえ二人前で二種類の味が楽しめるのは魅力だ。 妻は蟹とブロッコリーのクリームパスタを、 僕は牛挽肉と茄子のボロネーゼにした。 どちらも美味しかった。油っこくてな。
もっと生物が身近にあった方がいいという話をした。 正確には、死が。 都市生活では死を忌避するあまり 死に類する属性を排斥しすぎてしまう。 虫の死骸でも枯れた花でもそうだし、 老いでも病でも 町のゴミやガラクタでもそうだ。 死から遠ざかった位置を「正常」とされている感覚。 もっと死は生と地続きであると、 不分化のものであると見なしてやるくらいがいい。
これは僕にとってはロゴス市場主義への反逆だ。 何かと何かじゃないことを弁別しないこと。 境界をまやかして、あやふやにものを見ること。 名付けの少ない世界に希望を見出している。 少なくとも日本においては これこそが希望に通ずるはずだ。 というより、これと逆の道こそが絶望に通じやすい。
寝る前、一緒に数字であそぼを読んだ。 大学数学はサッパリわからない。 数学科だった兄が当時 大学数学は高校までとは全く違う、 ほとんど哲学みたいな領域、 お前は数学と言えば計算と思ってるだろうが 別に計算なんかしない、 数字すらほとんど出てこない… などなどとどこか誇るように愚痴っていたのを思い出す。
2022年01月25日(火) |
有休、寅さん、電車内暴行、小論文 |
晴れ。 今日は有休。しかも予定らしい予定もない。 のんびり朝食。 弁当作らないでいいと朝が楽。
普段はじっくり見れない、NHKのアサイチを 妻と一緒にアホ面で見た。 シミシミの大根を30分で作るには。 そりゃあ電子レンジ使うんだろうとわかっちゃーいたが 番組では粉末状のおでん出汁のもとを大根に振りかけてから キッチンペーパーをのせてラップして12分温めていた。 であとは10分煮て5分置いてできあがり。 ずっるー。 そりゃ美味いんじゃないのー。 でも今度やろう。
午前のうちにOKマート行って また大量に食料品を買い込んだ。 帰宅後、入浴。 長風呂して読書。 それから洗濯。 できる家事を一通り終えて しばし原神やった。
昼飯は焼きうどん。 キャベツとニンジン、しめじどっさり。 平日昼間に夫婦で飯を食べられるのは良い。 たらふく食らって、 眠気に耐えられないという妻を十数分だけ寝かせた。
映画鑑賞。 男はつらいよ。 子どもの頃に観光バス内の垂れ流しビデオで見たことはあるが 一本通して鑑賞した覚えはない。 何作か見てみるつもりでシリーズ一作目を見た。 渥美清すご…。 こんなにも鋭い口上切れるのか。 勢いづいたまくしたて、 たたみかけが気持ちいい。 寅さんの存在を理非ひっくるめてヨシとするには 現代に馴染んだ見方を一旦カッコに入れてやる必要があるが そもそも解釈のコードが自分の中にもあると気づいた。 親だな。 あれは実母がヨシとしている人間像だ。
寅さん90分で見やすいし5作目までは見てみたい。 でも最高傑作と謳われる17作目も…。そこまでなっげえな。 週に2本見ればあと2か月。ならいけるか?
映画見終えたあとはちょっと読書して ちょっとトキノ書き進めた。 夕方、妻が仕事を切り上げたタイミングで 西荻にDVDを返しに行…かなければならないはずが、 ここ数日賑わっている 「電車内で煙草を吸っている男を注意した高校生が 十数分にわたって暴行された」事件について 話し込んでしまった。 論点は世間での騒がれ方と同じく ・いかにも危なげな相手に注意をしにいったこと ・暴行されているのに周囲が止められなかったこと この二点が軸。 僕はこのニュースが報道されてから、 全国の多くの家庭で 子どもをもつ親たちが 「だから危ない人相手に指摘なんかしないように」 といった”正しい”指導をしているであろう教育について 掘り下げて語った。 妻は、周囲の人間が行動を起こせなかった現実と 静観した判断そのものの妥当性を受け入れながらも、 それでもなにか動くべきだったと主張した。 「だって、その後の本人にとって全然違うから。 “あのとき誰も助けてくれなかった”って、 本当に、心に大きな傷を残すと思うよ。 仮に、暴行がいきすぎて亡くなったとして…。 親にしてみても、 “どうして誰も助けてくれなかったんだ”って、 絶対やりきれない。 それがね、”助けようとしてくれた人がいた”だと、 やっぱり、全然違うと思う」 起こった事実と結果のみならず 心理心情に重きを置く見方はいかにも彼女らしい。 世の中捨てたもんじゃないといえる希望か、 世の中やっぱりそんなもんだとする絶望か、 検討するまでもなく希望に寄せる方が とうといに決まっている。
西荻へはDVDを返しに行くだけだったから 往復10分で済んだ。 ブランキーの不良の森が10分弱。 ちょうど1曲終わったところで帰宅できた。
東京、新規感染者数1万2000人超え。 2月末にある従兄弟の結婚式について 少なくとも妻が不参加となる旨を打診しなければならない。 僕の方はギリギリまでねばってみるつもりでいる。
夕飯は唐揚げ。 昨日の夜に冷凍してあった鶏もも肉を切りもせず 醤油塩コショウ生姜ニンニクの液ダレに漬け込んでおいた。 それを一口大に切っていき水分をとる。 今回はネギダレをかけていただくから いつもよりしっかり塩分まみれの水分を取っていた。 ボウルに薄力粉をドバッと入れて 肉にまんべんなくもみこみ、 さらに片栗粉をドバッと入れて 肉の表面にまぶしていく。 ネギダレは黒酢と醤油に砂糖を溶かして 長ネギ刻んで入れて煮詰めたもの。 肉をフライパンで揚げ焼き。 両面5分ずつくらい、かるく焦げ目がつくくらいで 油をよく切ってできあがり。 山盛りのキャベツに乗せる。 おぉうまいぜ…。 うまいけど僕はネギダレのビショビショ感が あまり好きじゃないからそのまま食べた。 が味の調整がうまいこといっていただけに、 そのままだとやや味が薄かった。 まあいいか。 本来は塩分抑えなきゃいけない身の上であるし。
だらっとなんとなくハートネットTVを見た。 健常者と障害者のふたりたび。 前半は男性同士、ヤンキーと車椅子生活者。 二人は旅先でALSの患者を訪ねていた。 車椅子生活者の方がSNS上で交信しているそうだ。 寝たきりではあるようだが自宅の設備が充実していて 視線の動きで文字入力ができ 即時読み上げ音声が出力されもするから それなりのコミュニケーションがとれていた。 できることは全部やっておくこと というメッセージを送っていた。 グッときてしまった。
後半はギャルと視覚障害者。 見晴らしのいい拓けた場所に出てきて 一面に野原を見渡せる光景を見たギャルが 「地球の半分くらい見えるー」 と言っていて これ出すトコに出せば まぎれもない名言だよなあと感心した。 彼女にとって地球の半分くらいに違いなかったわけだし この強固な主観は 詩の本質に迫ってる。
手作りのアジール、寅さんに言及している箇所だけ妻に読ませてみた。 面白い、と 大学一年生向けという感じだね、の二言。 貪欲さが足りない。
本読んでて小論文のことを思い出した。 高校の時きらいすぎた。 苦手だった。 当時すでにエラソーな文章は書き散らしていたし 能力的にはさほど問題はきっとなかった。 しかし、小論文という体裁、枠組み、望まんとするところが とうとうわからなかった。 意味不明だ。 あと多分、あれって手書きだから 文章を構成する脳の回路がまるで違っていた。 そして一秒も小論文のことを考えたくなかった。 小論文て言葉見聞きするだけで吐きそうだったな。
寝る前に読んでる日本語が危ないの本で ギャル文字やギャル文化について文人らが トークをしているさなかでの 高橋源一郎の言が面白かった。 「eggというギャル向け雑誌を購読してみている」 「読者投稿によって成り立っている文化がある」 「数年間追い続けて本を読んだ感想という投稿が一件だけあった」 「読んだ本は”世界の中心で、愛をさけぶ”。」 「感想は四文字」 「『意味プー』」 「衝撃と感銘があった。こんな簡単な小説も読めないのかという驚き」 「そして実は、この四文字で批評が成り立ってるんじゃないかと…」 異様にツボにはまってしまい、しばらく笑った。 意味プー。 ああ、いいな。意味プー…。
2022年01月24日(月) |
介護、市民的成熟、自己都合 |
晴れ。 月曜朝とはいえ明日が休みだと思うと張り切れる。 先週と同じくコーヒーは多めに入れた。 着替えはめちゃ厚着。万全。
弁当は牛丼風。 玉ねぎと牛肉いためて、 肉屋で牛肉買ったらついてきた牛丼のたれを合わせて ただ煮込んだだけ。
朝イチでヤングケアラー特集。 中学生の頃から認知症の祖母とうつ病の母を介護してきたという 女性を取り上げていた。 直感的に、そりゃタイヘンだ、そりゃかわいそうだ、 といった感情が湧いてくるが、 それはつまり彼女の境遇を特別視しているからであって、 ほとんど「例外者」と見なすに等しい。 だが彼女の境遇はもっと身近でありふれているものであると 認識すべきだろう。 どこにでもいる、スタンダードな例であると。 そうしないと数々の取り組みから振るい落とされてしまう。
番組では、中学生の17人に1人が ヤングケアラーであるという数字を伝えていた。 衝撃的だ。100人中6人か。 この割合は今後増える一方であるのは間違いなく、 覚悟しておく必要があるのだが 自分自身に覚悟が足りていなかった。 現時点でその数字は恐ろしい。
この先老人は増えるばかりであるし、 若年層は減るばかり。 医療の進歩は長寿化を促し 健康寿命をも延ばしうるけれども、 双方には大きな開きがある。 しかし医療の進歩は「いいこと」で、 長寿化、死を遠ざけうる可能性の検討も「いいこと」だから、 この流れを誰も止められない。
ヤングケアラーを支えるためには 衰弱しつつある行政の福祉サービスだけではまかなえない。 市民の一人ひとりが何かを諦めていかないといけない。 増税と言われれば多くの人間が憤るが ことを単純化させてくれていると思う。 じゃあ互助的な地縁を結んでいけるのか。 日常的にボランティアに従事できるのか。 消費社会が日々絶え間なく刺激してくる欲望への刺激に耐えられるのか。 「何を諦めていける?」 この問いが迫ってきている。
僕はボランティア活動に従事して行きたくはある。 地縁だって深めていきたい。 何も望んでやりたいわけじゃない。 ただ、諦めの一環として、 見て見ぬふりせず向き合っていくために、 すべきだからやるという話だ。
多くの人が 社会とただ呼び習わしているその社会は、 成熟した市民を成員として構成されている集合体を 前提としているくせに、 自分自身の市民的成熟からは無関心すぎる。
でも考えの及んでいない未成熟な市民も 社会の立派な成員ではあるのだ…。
「人は思っているより多い」 と最近つくづく思う。 なかなか伝わりづらい観念だけどものすごい大事。
弁当美味かった。 自分で作る牛丼より美味かった。さすがにな。
関連会社でコロナ陽性者が出た。 とうとうって感じ。よくここまでもったな。 でも弊社には濃厚接触者なしとの判断で、 みなさんも気をつけてね で終わり。 せめて仕事に余裕のある人間だけでも 残業なしであがらせてやれと思うのだが放置。 遺憾ながら自己判断で後輩に定時で上がってもかまわないと告げた。 しかしこの後輩は 「かかっても無症状って話なんで…」 とノンキしていて 結果的に僕の勝手で帰らせたような格好になった。
わかっちゃいたけど物事の基準が自己都合にかかっていて幼稚にすぎる。 僕より歳上なのだけどな…。 なげかわ…し…。
帰りには西荻のTSUTAYAに寄って 映画1本を返すと同時に 寅さんをイヨイヨ借りた。 シリーズ一作目。 こいつ今の社会問題意識を解決はしてくれないだろうけど 糸口を与えてくれそうな気がするんだよな。
夕飯は明太子。 先日の妻の希望をかなえた格好となる。 しじみの佃煮。味噌汁。 美味しい…。しみじみ美味しい。 これに煮物がありゃあ完璧なんだけど。
食後、風呂入るのが煩わしくって 今朝考えた話を妻に聞かせたりした。 そして家を買うことへの戸惑いの気持ちも語った。 …社会善と自らの幸せとを調和させて、 どちらかに傾かずどちらにも折り合いをつけて相克していく、 その答えを出すのではなく絶え間なく答えを出していくことが 「大人」に求められる生き方だと思われるのだが、 社会善と自らの幸せは対立はあまりにも容易く対立する。 家なんぞ買って、安全圏でふんぞりかえってていいの? って気持ちがある。 正直なところ、妻がいなかったら僕は、 あちこちの都市をまわって地域の事務所を訪ね、 あるかないかの賃金で糊口をしのいで 自分にできる手伝いをしていく、そういう生活をしちゃうと思う。 でも 自らの幸せ を見限ってしまうのも問題だ。 人には、自らの幸せだって追い求めていいんだよと言ってあげたいし、 自らの幸せあってこその社会奉仕だよとも諭してやりたい。 なればこそ、それをいう自分自身が "エゴイスティックな"幸福追求をあんまり手放してしまうと 説得力というか 理論に重みがなくなって ふわふわしてしまう、きっと。
毎日いろいろ考えてるなあ こんど一日くらいはなぁんも難しいこと考えんと ただただ遊んだり呆けたりするお休みの日を設けてもいいかもしれない。 なんでもかんでも思考に結び付けられる今は ある意味では絶好調だし別にそれで疲れたりもしないけど メリハリはいるからなきっと。
2022年01月23日(日) |
読書、アジール、老害 |
起きたら8時半を過ぎていた。ぐっすり。 よく眠れて気持ちがいい。 でもまだ腰が痛い。 グッと体を起こす際に痛む。 昨日よりはちょっとましになったくらい。
休日トースト食べて さぁと動き出すこともなくだらだらとテレビを見た。 白井なんとかいう建築家。 渡仏しても勉強つまらぬとかなっちゃって日本戻ってきて 地方の小さい仕事をそつそつとおなしていたようだ。 当時の流行…モダニズム設計に反して 無意味な空間の多い不合理な建物を残している。 自宅は滴々居と名付けているがこれは雨漏れするからとのこと。 いや実に良い家だった。
ソファにかけながら本を読んだりして午前中はのったり過ごした。 寒い。 あんまり寒いから昼飯をはやめに作ることにした。 チャーハン。 ベーコンとキャベツで。 めたんこ美味かった。
飯食い終わって図書館。 返すもん返して、シュークリームのレシピ本借りて小川洋子を予約した。 OKマートで買い物。 結局吉野家の缶詰見つからんかったな。500円…。
妻は文芸同人仲間とオンライン飲み会。 僕はひたすら読書。 その時間の充実にあたっての位置を整える。 居間には一人掛け用ソファを二台並べているが、 一台を90度回転させてクッションをずらすと、 頭と腰を傾けて預けられるようになる。 そのだらけた、安穏とした姿勢で本を読んでいると眠気が襲ってくる。 あらがわず寝る。 起きたり読んだりを繰り返しながら30分くらいは寝たか。
夕方、掃除機掛け。 終わった後に、冷凍しておいたみかんをいただいた。 夏の給食でたまに出るのスキだったのよな。 食べにくいけど。やっぱり好き。
シャルル・フーリエのファランジュについて調べたい。 というかちょっと調べて興味を持ったから本で読んでみたい。 1620人程度の、自給自足の共同体。
Eテレの ターシャの森という番組を見た。 ターシャ・テューダーはアメリカ人だったと思うけど 番組が取り上げていたのは北欧の一家? わかんねえな…。 三つ編みの似合うやたら可愛い幼女2名が 無口そうなお父さんと ターシャの残したレシピを参考に パンケーキみたいなのを作ってた。 見た目がかなり不格好だったのだけれど 幸せココにありという感じで 見せつけられたというな感があった。
夕飯はハヤシライス。 玉ねぎじっくり炒めて、 生のトマト1コ使って、 赤ワイン足して オタフクソースも足して、 できあがりには生クリームもかけた、 味付けマシマシの極旨絶品の仕上がり。 さらにトロトロのオムレツでも乗せりゃあ そりゃあ昇天ものの美味しさだろうけど いかんせんカロリー激ヤバだからなそこまではできない。 でもお茶碗3杯分くらいは食べた。 食べ終わってから眠気。 わっかりやすく血糖値アゲアゲ。あぶねえな。
Eテレで美術番組。 抽象画描いてる78歳のおっさん。 フランスにおける絵画の賞で最高峰の栄誉を授かったりしてるらしい。 でも落書きにしか見えない。 あまりにありふれた月並な感想だけど。 抽象画、抽象画ね…。 おっさんは若い頃ピカソと対面する機会があって、 そのときこういわれたそうだ。 「私は1秒ごとに作品を創り出している。 お前とこう向き合っているだけで その時間が失われている。 お前は私から生まれる作品を奪っているに等しい」 みたいな言葉。かっけえな。 おっさんがそれにどう応えたか、 おっさんの口述がヤタラわかりにくかったけど 要は目を逸らさなかったから それで気に入られて 明日からオレんとこ来いってなったらしい。 でも40歳までくすぶってたとか。
もう長らくフランスに住んでフランスで活動しているそうだ。 ところが折悪しくコロナ禍でフランスに帰れなくなってしまった、 その期間に姫路の西島に行った一部始終を取材は追っていた。 この西島は日本神話において、 ここから日本という島国を形作られておりましてうんぬんと 宮司が説明していた。 で今はどうかといえば、 生コン採石のために禿山となっている。 それもまた今の日本を形作っていると思えば、 と宮司は肯定的に捉えており、 おっさんはおっさんで ウンウンこれはこれで美しいとか言ってる。 でもおっさんは 社会全とか社会悪とかいうレベルじゃなくって 自分の美でしか審理していない。 経緯がどうであれそれに伴う問題がなんであれ、 今見えているその景色が自分にとって美しい…… ここまでいってると、いききってて良いなと思った。
おっさんは島に一つの小学校に赴いて(招かれて?) 子どもたちに絵を描かせていた。 20畳ほどの大きな画用紙2枚に、 それぞれ火の神、海の神というお題で 思い思いの絵を描かせる。 で一段落ついて子どもたちが給食食べてる間に、 上から思い切り水彩を塗りたくっていった。 子どもたちの絵が台無しに。 でもこれも、 自分の美しか見てないという点では良かった。 子どもたちの絵は糧。 大事なのは自分の芸術。いききってる。
妻が文芸同人仲間と話していて 次の同人誌のテーマをどうするか悩んだ結果、 アジールにしたらしい。 別に僕のものではないが、 それでも重要なテーマをぱくられたような意識が働く。 アジール。 時の権力が及ばない場所。 原初にはすべての土地がアジールであり、 権力機構による統治、支配の始まりとともに、 アジールは駆逐されていく。
現代の子どもたちに、 これという逃げ場のないのがカワイソーだと妻が言う。 しかしここにはパラドックスがある。 子どもたちにとって大人たちの目が届かない逃げ場が もし本当にあるのなら それは大人たちにバレていないわけだから、 こうして間抜けにも僕たちは、 逃げ場がなくてカワイソーだね、と言いおおせてしまう。 という逆説が成り立つ。 そう言い聞かせてやると 自分なりに納得していた。
寝室では日本語文衰退の憂いみたいなテーマの本を読み進めた。 国文学研究者や中国史研究者、小説家、俳家といった 現代国語の関係者を多く集めて 彼らの意見を寄せ集めた 軸があるようなないような 芯が通っているような通ってないような本。 語ってる面白いんだけど、 現代への憂いみたいな部分には難がある。
老害、について。 もう10年くらいは前だったか、 現代的価値観に対応しきれていない年配者の振る舞いや難癖を 老害 と名付けて反感の共有ができたところまではよかったにせよだ、 今や「老害的なもの」を片っぱしから「老害」とレッテル貼りしてしまい、 明らかに行き過ぎている。 なんでもかんでも肯定するわけにはいかないが なんでもかんでも否定的態度で臨む構えも愚か。 温故知新の言を持ち出すまでもなく 前世代の言には玉もある。 それを石々のなかから発掘せよという話でもあるし、 また「自世代の肯定」にも接続されるがこれについて省く。
で それらをこんなにも踏まえた僕がなお思う。 この本、「老害」臭が強い…。 「だから今の若い人たちには想像力がないんです」とか言っちゃう。 いや、発言の切り抜きじゃなく全体の論に沿ってみれば、 僻見や牽強付会が認められるとはいえ一聴の価値はある、 しかしこんな語り口じゃ “此岸の面々”の納得は得られても “彼岸の面々に”一聴してもらえんだろうという。 一部のフェミニズムもそうだけど、 「向こう側に声を届ける」にあたって 声を大きくすることばかりが取り沙汰されて、 耳を傾けさせる態度にかけているのは問題だ。
読書、読書、読書。 読書量が足りない。 全然足りない。
2022年01月22日(土) |
シュークリーム、映画、夜散歩 |
晴れ。8時起床。 どっさり洗濯して干したら OKマートへお買い物。 防災用のつもりで食料品をかなりの量買い込んだ。 吉野家の牛丼缶詰を2コ買った。 ほぼ5割引でも490円。 ただし2024年までもつ。すげえ。 と思ってたら帰宅後、1コしかないのに気づく。 会計後、商品を入れる際に落としてしまったかと、 一応店舗に電話を入れた。 届いてはないが、もしそれらしきものが見つかったら 電話をくれるとのこと。 忙しいところに申し訳ないが490円はデカイ…。
昼飯は焼きおにぎりと先日の豚汁。 鯛味噌でこんがりと。 午前中に見たEテレの料理アニメを信じて、 一度両面を焼いてから味噌ダレを塗って再度両面を焼いた。 たしかに形が崩れず、かつ美味しくできた。 晴れた日の和室に 焼きおにぎりと豚汁の湯気はよく似合う。 気分のいい休日。
午後、西荻へ。 肉屋で肉を買い、古本屋を見て、 八百屋で野菜を書い、TSUTAYAで映画を借り、 そっからさらにもう一つの古本屋へ行って、 でリサイクルショップでテレビについて相談。 家電の寿命は7年ほどという業界基準みたいなものがあるらしい。 で、 リサイクルショップに買いに来る人というのは 賃貸住まいの一人ぐらしが多く、 すると多くの賃貸契約が2年であるから、 買い替えを見越して最低でも2年は動くような製品を売りたい、 だから店が中古品を買い取れるのは製造5年以内のものとなる… とても納得のいく説明だった。 うちのテレビは何も不具合ないけれど もう10年経ってるからきっと処分には費用がかかってしまう。
帰り道、これまではたぶん休業していた古本屋が開いていたから立ち寄る。 けっこうカタメ。 久生十蘭の未読作が売ってたから買った。 さらに本屋に寄って本を買う。 今日は合計で4000円分くらい買ったか。 手作りのアジールが手に入ってよかった。 日常的実践のポイエティーク、 すぐ中古で見つかるだろと思ってたら全然ない。 新品で買うかな。
帰宅して、シュークリームづくり。 何はさておきカスタードクリームを用意。 薄力粉20gは振るっておく。 ボウルに卵黄2コと上白糖46g入れて白っぽくなるまですり混ぜる。 薄力粉を加えさっと混ぜる。 沸騰直前まで温めた牛乳265mlを少しずつ加える。 こしながら小鍋に移す。 バニラオイルを数滴加える。 中火にかけて木ベラで絶えず混ぜながらとろみをつける。 筋がしっかり残るくらいもったりとした状態になったら火から下ろす。 バットに広げてラップを密着させ、粗熱をとってから冷蔵庫で冷やす。
シュー生地。 まずは準備。 全卵2コを小ボウルに溶いておく。常温に。 薄力粉35gと強力粉35gを計量し、ふるいにかけておく。小ボウルに。 天板をキレイにしておき薄くバターか油を塗って、強力粉を薄くふる。 セルクル5.5cmを用意しておく。 絞り袋と丸口金、星口金、霧吹きを用意しておく。 ・無塩バター 50g ・水 120ml ・塩 2つまみ ・グラニュー糖 小さじ1 ・生クリーム130ml ・ラム酒 小さじ1 ・カスタードクリーム 300g ・粉糖 それぞれ用意しておく。
1.バターを細かく等分に(1cm角に)切って鍋に入れる 2.オーブンを200度に予熱する ☆予熱完了後も必ず10分以上は熱しておく 3.水120mlと塩二つまみ、グラニュー糖小さじ1を加えて中火にかける ☆しっかり沸騰させる 4.粉類70g分を一気に加え、すぐに火を止めて木べらで混ぜる ☆全体がまとまってきたら再度中火にかけて、よく混ぜながら加熱する 5.鍋の底に薄く皮膜が張るようになったらすぐに火を止める ☆生地の温度が80度を超えると油脂が出てきてしまう 6.生地を大ボウルに移して、溶き卵を半量加える ☆木べらで切るように混ぜる 馴染んできたら練り混ぜる 7.全体がよく混ざり合ったら残りの卵を少しずつ加え、切る練るを繰り返す ☆卵2コ分より少なくて済むかもしれないし、もっといるかもしれない 様子見ながら加減する ☆木べらから垂れた生地が、10cm高さくらいの三角形になったら生地完成 8.シュー生地を直径1cmの丸口金をつけた絞り袋につめて、 天板に直径5.5cmの円形で8個絞り出す ☆こんもりと丸く →あんまり平べったくせず、立体的に(縦にも盛る) 9.濡れた手で先端を軽く抑える 10.30cmくらい離れたところから、霧吹きでたっぷりと水を吹く ☆生地を大きく膨らますため 11.200度のオーブンで20分、 180度に落として25分、 160度に落として10分焼く ☆オーブンの開閉は迅速に行う ☆焼成するまでは絶対に開けないこと 12.出したらケーキクーラーで冷ます 13.カスタードクリームをなめらかにしておく 14.中ボウルに、生クリームを入れてラム酒足して九分立てにする 15.カスタードを混ぜあわせる ☆泡立てず、さっくりと 16.直径1cmの星口金をつけた絞り袋に詰めて、 シューの上三分の一をカットして(組み合わせが乱れないよう注意)、 クリームをたっぷりつめる 17.粉糖かけてできあがり
だけど今日はさらに、クッキーシューにするために… クッキー生地。 無塩バター40gをさいの目にして常温放置、 粉砂糖30gをふるっておき、、 薄力粉80gも別にふるっておいて、 全卵15gを常温にしておく。 無塩バターを泡だて器ですり混ぜ、 粉砂糖をを入れてよく混ぜる。 さらに全卵を少しずつ入れて混ぜ、 薄力粉入れてゴムベラで切るようにサッと混ぜる。 汁気がなくなったら生地をまとめて、 冷蔵庫で二時間寝かせる。前日に用意しておくのが理想。 二時間経ったら薄い円形に整形。 シュー生地の上に重ねて焼成すればクッキーシューとなる。
クリームはカスタードと生クリームを半々混ぜたもの。 これを焼きあがったシューに絞っていく。
夕飯前に映画見た。悪人伝。 マ・ドンソクが観たかっただけだけど… 凡作だった。 というか思ってたより娯楽映画にふりきってた。 音楽いらない。台無し感ある。 でもアクション映画としてならいるんだよな。 韓国ノワール映画の魅力って暴力にあって、 バイオレンスじゃない、むきだしの暴力が病みつき要素あって、 その象徴がマ・ドンソクであるのに 今作はいかにもバイオレンスだった。 これならアメリカ映画でいいんじゃないのっていう。 終盤も生ぬるいし。 ラストは取引の説明なくていいだろ…。 エンディングロールも音楽じゃなくて 暴行してる音とうめき声だけを淡々と流すだけでいいのに なにかと勿体ない映画だった。
夕飯はお刺身。 妊婦だからと念のため絶っていた妻に付き合って 僕が口にするのも3ヶ月ぶりほどになるか。 冬の寒ブリ。 きくきく。 副菜として添えた大根はじっくり2時間にて 茅野だしの味をしみ込ませたもの。 美味しかったな。 味噌汁も同じだしでいただいて美味しかった。
クッキーシュー、ザクザクに仕上がって面白い。 砂糖溶かしてキャラメルがけにした。 めちゃウマ。 でもキャラメルの味が強くって せっかくカスタードクリーム美味しくできたのに (正確には生クリームと混ぜてるからクレームディプロマット) 風味が感じ取れないようになっちゃったな。 これならクッキーシューの時点で十分に美味しい。 でもキャラメルかけると見た目がグッとよくなる。
夜、妻と散歩した。 話題は主に、家の購入について。 こうした スケールの大きい話、取り返しのつかない話、 自分の未来を規定していく話を 好まない夫像というのは世間にありふれているが、 自分もまたその一角だ。 そんなことよりも与太話か、 社会的不安についての分析、 世相、人文について語っていたいと思ってしまう。 しかし妻が懸念するように、 ローンの支払いを想定すると 家を買える年齢が迫ってきている、 確かにもう悠長に構えてはいられないのだろう。 だが都市社会学や都市史といった都市論を学ぶほど、 この「ローンで家を買う」という秩序体系自体に 反感を覚えてもしまう。 踏み切れないのは理念に因るところが大きい。
7分歩いて西友へ。 キッチン消耗品、 それなりに品質の良いマスク、 節分に向けて福豆とかを買う。 5%オフだったけど3000円越え。 出費かさんでるな。
男の子の名前が難航している。 コレ、という字や音がなかなか思いつかない。 なまじっか大量のフィクションに触れてきているから すぐにコレはあの作品で見た、コレあのキャラを彷彿とさせられる… とかいってすぐNGにしてしまう。 冗談交じりに、 全一 という名前を出してみた。ゼンイチ。 全であり一。一であり全。 いいじゃん、と妻が笑う。 まさかな。 しかし我智(ガチ)は即座に否定されたというのに。
晴れ。 豚バラ肉と茄子のバルサミコソテー。
ペットボトルの処理をしている最中に 腰をやった。 わかりやすく ビキビキッ ていう。 ぎっくり腰だったら動けないレベルだろうから それに比べれば随分軽い。 ただどの姿勢をとっても痛い。 歩けはする。ゆっくり慎重になら…。
最近よく THE BLUE HERB 聴いてる。 リリックがどうのというつもりはなく とにかく声がいい。 曲もあいまって耳に気持ちいい。
来週の火曜日に休みを取った。 用事があるわけじゃない。 ただコロナの急速拡大に対して 会社が何一つとして措置を取らないから 自主的に一日だけでも出勤を控えておこうとする いわば自助努力だ。 映画でもみよっかな。
弁当美味かった。 鉄板だなこれは。
東京新規感染者数9700人。 うええ。
帰りの電車、 空いても混んでもいない、 車両内にちらほら立ち乗客がいる程度の 混み具合だったのだけど、 僕から2,3mほど離れた位置にいた男性が 何かを落とした。 金属音。 しかしなんの音かまでは判別がつかない。 多くの乗客が音の鳴った方を見やった。 そこまでは日常の風景だ。 がしかし、何の音か判別がつかなかったせいか、 誰も彼も視線を切らない。 つごう1分ほど、そっちの方を見続けていた。
日常風景が変わってしまったのを実感した。 度重なる無差別殺傷事件とそれをとりまく報道、 わめきたてによって、以前よりも人々の警戒心は あきらかに強まっている。 公共の場はもうすっかり安全ではない。 すくなくとも、安心できる場ではない。
あと駅についてからの帰り道、 暗い通りを歩いていると 自転車乗ってタバコ吸ってる不届き者が すぐ横をよぎっていった。 まぁそれはいい。よくないけどいい。 それから1分ほど歩いた地点で、 側溝に捨てられている煙草を発見した。 まだ火がついている。 車も通ってはいなかった。 まず間違いなくさきほどの自転車男だ。 歩きならまだしも自転車からなら、 ここという吟味もせず投げ捨てたのだろう。 危ない。本当に危ない。 庭から伸びた枝葉、 道路際に追いやられた塵芥、ゴミに どううっかり火種がうつるか知れたものではない。 この乾燥しきった真冬、たやすく火事になりうる。 しかしこんなもん完全犯罪だ。 ボヤが起ころうと、監視カメラもなしに 犯人の特定には至るまいよ。 いらいら…。 「いや燃えないから。火事とかなるわけないからw 心配しすぎでしょw」 みたいな態度とられようものならお前、おまえ…。 ……。…。 暗い気分になった。
そうして帰宅してみると。 妻が伝説の少女漫画、フルーツバスケットを読んでいる。 今無料配信しているらしい。 読むほどに心がほだされていっている。 みんなイイコでみんな幸せになってほしいとのことだ。 そう言っている妻は全くひねこびてない。 今巷ではタコピーの現在が話題だが これも読んだそうだ。 しかし子供が憂き目に遭っているのがつらいらしい。 フルバの方ははみんなイイコで、みんな幸せになってね、 みんな幸せになるんだよと繰り返し繰り返し呟いていた。
夕飯、ペペロンチーノ。 ベーコンとたっぷりキャベツで。 美味しい。 すっかり失敗知らずで美味しく、 味付けは申し分ないんだけれども 店の麺とは食感に隔絶の差がある。 レベルアップ計ってみるか。
夜になっても腰の痛み引かず。 ジンジンてレベルだから日常生活に支障はない。 これが始まりじゃないといいのだけど。
2022年01月20日(木) |
朝の立ち回り、恥知らずのマクドナルド |
晴れ。 7時45分からの朝の立ち周りをしっかり記述してみる。 まず居間のエアコンは前日夜に予約してあるから、 起床した時点でちょっとは暖かい。 靴下を履く。 テレビをつける。NHKにして音量を上げる。 コップに水道水をついで飲む。 フライパンに油を引いて火をつける。 玉ねぎを1/3ほど切って大きめのみじん切りにして炒める。 残りはラップして冷蔵庫へ。 鶏もも肉は指先くらいの大きさに切って炒める。 ニンジンも大きめのみじん切り。 小鍋に水を入れてニンジンを全部入れてかるく煮ておく。 キッチンの引き出しからポリ袋を取り出して、 一時的なゴミ袋にする。 フライパンに豆板醤を加えて混ぜる。火は弱火に。 その間にトイレ。 お小水を済ませて手を洗い、食パン2枚をトースターにセット。まだ焼かない。 マグカップに牛乳を入れてレンジへ。まだ暖めない。 7時50分、前日に予約しておいた炊飯器が炊けたら 夫婦それぞれの弁当箱に詰めていく。 この時点で冷凍ブロッコリーも入れる。自然解凍がねらい。 ニンジンをフライパンの方に移して、 オイスターソースを加えて強火に。 木べらでガッと混ぜていく。火を止める。 専用の小型カップに水を入れてトースターに注ぎ、 3分半加熱。 キッチン上の生ゴミをまとめてゴミ箱へ。 冷蔵庫からトースト用発酵バターを取り出しておく。 小鍋で水を加熱。 8時直前、NHKの朝ドラを絶対に観たくないので 民放にチャンネルを切り替えておく。 トーストが焼けたら電子レンジで牛乳を2分温める。 トーストに発酵バターを塗りたくり、食卓に置く。 水を注いだコップも食卓へ。 自分用のマグカップに砂糖とインスタントコーヒー豆を入れて、 小鍋で沸かせたお湯を注ぐ。 レンジの加熱が終わる直前、 妻用の電熱ストーブの電源をつけて、 寝室の妻に呼びかけ起床させる。 牛乳が温まったら少量を僕のコーヒーに注ぎ、 あとは妻用として食卓へ。 自分用の電熱ストーブもつけて、 これから着る服を温めておく。 食べ終わったら食器をシンクへ。 洗面所へ向かい、歯を磨く。 歯磨きは4,5分かけたいから居間へと戻り、 テレビを見ながらちょっとした散らかりを片付ける。 歯磨きを終えたら着替え。 スラックスを履き、半袖の肌着を身に着け、カイロを貼る。 長袖の肌着を着て、シャツ、カーディガンを重ねる。 フライパンや皿、コップなどを洗う。 弁当の仕上げ。サラダ菜をちぎって入れて、 ドレッシングを少量たらす。 僕の弁当箱は箸とともにランチボックスへ。 キッチンをさっと拭いて、 燃えるゴミをまとめる。 新しいゴミ袋をセットする。 もうトイレに行きたくなってるのでここでまたお小水。 これで8時28分。 2分間は猶予があるから、 ストーブの前で温まってる妻のもとで わずかにコミュニケーションをとって、 30分になったらコートを羽織り、ニット帽をかぶる。 マスクを装着。 ポケットにはWimax、スマホ、 キーケース、ワイヤレスイヤホン。 居間のエアコンが1時間後に切れるようにして、 8時32分に家を出る。 この時間に出れば、急がず歩いても 信号につかまっても51分の電車には間に合う。
車両内は寒かった。足先がひどく冷える。
昼休み、弁当をたいらげた後に郵便局へ。 寒中見舞用の切手を64円が20枚分で1280円分買い、 さらにワクチン接種券申請書の封筒の分も買ってこちらはそのまま出した。 その足でドラッグストアに寄り、水と缶コーヒーを買って店を出て会社へ向かうさなか、 マクドナルドが立ちふさがる。 店の前に立ち並ぶ客が歩道を占拠しているのだ。 迷惑すぎる。 この場合、客たちをそう責められはしない。 いや個人的には文句のつけどころは多々あるのだが、 責任の所在は明らかにマクドナルドの方にある。 ここの店舗はレジカウンターが外に開かれている。 つまりレジ待ちの客を店舗内に格納できるつくりになっていない。 マクドナルドは昨日今日商売をはじめたわけでは勿論ない。 ここははじめから、外に客を並ばせる仕様になっているわけだ。 大資本がコスト削減のために。 公道に客を並ばせることを予め盛り込んでいる。
飲食店における行列にはおそらく厳しい取り締まり条令はないのだろう。 たまに列の整理を見かけても、近隣のお店の迷惑になるから…といった調子で、 おそらく法的には問題がない。 ”だから” マクドナルドに心底腹が立つ。醜い。汚い。呆れかえる。 恥を知れよ。
社会学者の松原なんとかさんは、 資本主義そのものがルールのグレーゾーンを開拓するよう動機づけられており、 この開拓したものが富を得ることが、資本主義の創造性の源泉の一つになっている… と説いている。 まったく正しいと思うが、…が、 その”が、”が大事なのだ。この”が”に人間が詰められている。 人間。 山本七平は書いてたっけな。
東京新規感染者数8600人。 前日比1000人増は微増ではないが割合でいえばドカンという印象は薄い。 しかし検査数の限界や、わざわざ検査してない人まで含めると 潜在的にはもう相当数に昇っているだろう。
帰りは西荻に寄って、 TSUTAYAで映画を借りられないものか下見。 ねらっていたタイトルは検索機にひっかかり、 ジャンルも知れたがあるはずの場所にはなかった。 図書館のように、現在位置を知らせるようにもできるはずなのに こういうとこでつまづいてるから 配信サービスに遅れをとりっぱなしになるんだよな。 自分もTSUTAYA店員だったからこそいう。 まぁじっくり探す面白さこそが店舗の魅力なんだけれど、 今日はとっとと帰りたかったから諦めた。
八百屋でいくらかの野菜を買ってMyROADへ。 この施設に入るための入り口にあたる階段には 高確率でウーバーイーツに従事している人間が 堂々と自転車を止めて座り込んでいる。 煙草を吸っていることも多い。 そして大抵、やや強面でふんぞりかえっている。 僕は彼らを町を腐すゴミだと認識しているから 蹴るか蹴らないかのすぐ間際を大股で踏み歩き 舌打ちを一発だけする。 マクドナルドの例の通り 彼ら自身よりかは こうした現実を容認というか前提においている ウーバーイーツのシステムに問題があるのだけど こいつらにも恥を知ってほしいんだよな。 お前ら一人ひとりの心がけ次第で ウーバーイーツへの僻見や悪評だって 確実に翻しうるのに 真逆のことやってる。 あのバカげた経営戦略にのっとって 個人事業主って扱いにされてるけど 看板背負ってる以上は 真っ当な振る舞いを心がけるべきでしょうに バカだから自分勝手に振る舞って 社会が悪いとか政治がアホだとか 見当違いの文句言ってる。
と 気分害されながら施設に入ってみると BGMにあの オフィシャルヒゲなんとかいう害音が。 メロディーも歌詞も歌詞の乗せ方も リズムも編曲も演奏も あますところなくダッサイダッサイ救いようのない、 ダサさが凝縮された害虫用の楽曲が流れていて もうどうしようもなく追い詰められたところで、 肉屋の割引券が見つからない。 先週土曜日に、2割還元を見越して散財をした成果であるところの 400円超えの割引券…。 それを失くしていたなら それ自体は自分の責任なのだけど よりにもよってこんな汚物曲を聞かされながら 一刻も早く立ち去りたいさなかで ないぞ、ないぞと探さなければならない時間は もう もう こうやって人は発狂していくのかと実体験していく心地で あぁ無差別刺傷とか本人に利するところのない犯罪って 無数の不運や不遇の線が重なって特濃の点になったところで 起こったりするんだろうなあと思った。 いや自分にはそんなケは到底ないのだけど ずーっと延長線上にはあるんだろうなと。
そうして帰り道、妻から電話からかかってきて 今つまらん思いをさせられたばかりなのだと打ち明けると ことさらに愛嬌を振る舞ってくれたから助かった。 妻がいてよかった。 やはり孤独はアブねーんだろなと思う。 わかりやすい例だ。
夕飯は豚汁。 茄子の揚げ浸し。 たくあん。 妻の要望でたくあんにはマヨネーズを添えた。 で久しぶりに映像の世紀を見た。 第一次世界大戦と第二次世界大戦の間。 のアメリカの隆盛と、株価大暴落。 科学分野の発展による夢、希望に満ち満ちた1920年代のアメリカ、 そりゃあ誰もが憧れるよなあという明るさと熱狂が 映像によく表れていた。 Youtuberの先祖みたいな連中がいっぱいいたけど。
夫の育休について調べた。 よくわからないが少なくとも8週間、 希望すれば何ヶ月間かとれるのだろう。
分娩の同意書にいくらかの情報を書き込んでいった。 血液型のRhの型まで書くのに驚いた。 まず間違いなくプラスなんだろうけど 怖いから過去の書類から確認をとらなければならない。
最近にしては遅く、23時過ぎに入浴。 出てから妻に、素読について語った。 かつて日本では、 子どもにとっての学習といえば算術と国語で、 国語というのは素読と書道であったらしい。 素読とは大雑把にいえば四書を読みあげること、 つまるところは論語の音読で、 意味がわからなくても ただひたすらそれを読み上げ続けることが のちの知識人にとっての素養になったと これまで数々の本で読んできた。 なんとなくわかる。 言語が覚束ない子どものうちに、 言うなれば一流の音楽をたたきこむわけだ。 言語の裏にあるコード、背景の秩序、 語と語との関係性… そういった構造を知らず知らず会得する。 言語能力についても期待できるだろうが なにより言語センスが磨かれること請け合いだ。 その後の学習においての素地にもなるし、 大人になっての処世にも計り知れない影響があるだろう。
あんまり子どもにあれこれを押し付けて 当人の羽ばたきの余地を狭めてやりたくはないが これに関しては実施したい。 幼いうちから英語を聴かせて…とかクラシックを… よりも優先して、多少当人が嫌がったとしても、 頭ごなしにさせてしまいたくはある。 でも女の子相手だったら無理かも… 厳しくできない…
ちょうどいい機会だからと ロシア・フォルマリズムについて調べなおしてみた。 日常言語と詩言語とは別のもので、 すでに見知っているはずの語句を、 すぐに既知のそれと認知されないように、 あえて認知されにくくなるような読ませ方をするために まわりくどいような文章となる…
あらためて考えてみると、これは文体確立の大いなるヒントとなる。 これまでも日常風景の異化は努めてしてきている。 舗装されきった思考プロセスを不通にしてやること。 現実の認知をまやかす。
見知っている道で立ち止まる。 耳を澄ます。 普段と違うことをやる。 音楽を聴く、 この路地にテーブルを置いてフルコースディナーをしたなら、 この見知った風景も異化される。 思考プロセスに夾雑物を混ぜ込んでやること。 ある言葉をその言葉であると即座に承知させないこと。 意味の位相をずらすこと。 意義に意味をかしずかせること。
ずらす。ずらす。ずらす。
2022年01月19日(水) |
芥川賞直木賞、異界、アジール |
晴れ。 冬は晴れが多くて良い。良い。ヨヨイノヨイ。 寒いったらありゃしない。
弁当はナシゴレン。エビ入り。今日は目玉焼きもつけた。 美味かったなーそして辛かった。満足度が高い。
東京、新規感染者数7300人超。 「オミクロン株は軽症状」「インフルエンザと変わらない」 といった声がもはや通説となっている。 しかし僕のところは妻が喘息もちで妊婦で もし罹患したら産婦人科医に通えなくなる点で やはり警戒が必要で、 というか周りが油断できる状況と反比例して むしろ警戒を高めなければならない。
うちの会社の仕事は出勤の必要性があるのだけれど 部分的には自宅でできる業務もある。 その体制へもっていくにあたっては 厄介ごとはあるものの決して困難ではなく 十分検討の余地があるのに 取り組んでみようともしないから 従業員にナメられるのだ。 体制改善の声をあげる動きは どんな企図であるかに関わらず 動こうとする構えそのものを 今の上司につぶされたしな。 誰に見捨てられても文句の言えない会社。
21時50分に帰宅。 妻は今日さっさか病院に行ってきたらしい。 血液検査については内科ならどこでもいいようだったからと、 喘息で世話になっている先生に相談してみたところ、 妊婦なら全然問題ない、 数値でいえば今の倍くらい出てたら問題だけど、 まだまだ心配いらないよとの所見をもらったそうで、 精密検査までは不要との判断をくだしたようだった。 僕としてもほっとした。
夕飯は餃子。西荻の冷凍の。最近めっきりお世話になってる。 実はカロリー量もそう高くはないし、 月イチくらいならアリにしている。手軽で美味しい。満足度が高い。
芥川賞と直木賞の受賞作品が決まった。 直木賞は米澤穂信先生。 ひいきの作家であるので嬉しい。 受賞作である黒牢城はまだ読んでいない。 純文学以外は優先順位が低くなる。 理想はカフェとか旅先なんだよな。とっておこ。 で芥川賞が ウーバーイーツに従事する青年を題材にとった作品だとか。 うっわあ…。反吐が出るな。 去年だか一昨年はアイドルの推しをテーマにしてた作品だったし、 そういう 「現代社会のトリミング」 みたいな後追いが正統派文学作品だと位置づけられるの 愚の愚の愚じゃないのか本当に。本当に。 コンビニ人間も それ散々マンガで描かれきってるでしょ って程度のもんだったし恥ずかしい。 ただ今回の作品については紹介文を目にしただけで 実際に読んでみたわけじゃないから まぁいい切れはしないんだけれども いまこの時代にあってウーバーイーツを題材にとってるだけで もう恥ずかしすぎる。 でレビューに「考えされられた」系の感想が並ぶという。 馬鹿馬鹿しい。
MicroSoftがナントカいうゲーム会社を 7兆円以上の額で買収。 メタバース市場を見据えての投資のようだ。 メタバース。 オンライン上のデジタル空間で人々が仮想現実を共有する。 僕にとっては怨敵となりうるが 敵のことは知っておかなければならない。 ただ現時点ではどうなるものかよく知れない。 インターネットが、世の多くの人にとっては 実質 www…ワールドワイドウェブで共有されているように、 メタバースも「一つのだだっぴろい空間」となるのだろうか。 実際にはそうはならないだろう。 かつてのチャットルームのように、それぞれに空間が用意される。 そこへアカウントそれぞれのアバターで入室する。 じゃあその分だけアカウントが、アバターが、登録が必要となるわけで、 これは面倒以上に、つまらん、白ける仕様だ。 ルールを熟知している者向けの、 より体制的、秩序的、奴隷的のクローズドシステム。 世界を模したような おおおおーーーーーーーー…きな町が インターネット上で再現されてるなら面白そうとは思うのだけど。
テレビ画面には メタバースのプロモーション映像が流されていた。 世界各国といえるビジュアルの人々が デジタル上で寄り集まっている。 そのなかにヒジャブをまとった女性がいるのに目をつけて、 「やはりイスラム圏の女性はこういう場でも 肌を隠さなければならないのかな」 と妻が疑問を口にしたので私見を述べた。 ヒンドゥーのカースト制度により 職業選択の自由が制限されているインドで、 プログラマーやシステムエンジニアは 戒律が規定されていった当時にはなかった職業であるから 誰もに拓かれた成り上がりの梯子だということで 最下層の人間でも目指せる、だからインドは工学が強い… という話でも見受けられる通り、 イスラムにおいてもデジタル仮想空間における振る舞いなどは 戒律を規定する原典には記述がないわけであるから、 そこについては緩いか、あるいは議論の余地は望める。 ただし、原理的には神による被造物の模造自体を禁じているはずだ。 だから中東圏では絵画は発達していない。代わりに模様が発展を遂げた。 そんな文化圏において、人間をデジタル空間上に再現させる試みが どれだけ受け入れられるだろうか。 とはいえ、遵法主義で知られるユダヤ教ですら、 旧来の戒律を現代社会に適合させようとする学者一派が 勢力を増しているとも聞くし、 中東圏の映画を見ていれば、 イスラムだって原理主義は少数派で、 相当現代に迎合しているだろうことも見当がつく。 で仮想空間上の女性が肌を見せるかみせないかは せいぜいファッション程度の意識にとどめられるんじゃないか、 そんな話をした。
アジールについても話題にしてみた。 アジール。 中東圏における第三空間。 日本語では、聖域とか逃げ場所とか訳されもする。 駆け込み寺はかなり近しいだろうが、 それよりかは広義に扱えるはずの場所。 ある人にとっては馴染みの居酒屋だろうし、 親戚の家や、橋の下、物置、秘密基地、 人によってアジールは多岐に渡るだろう。 それを規定するのは場所ではなく場所性だ。 どんな場所だってアジールになりうる。
ちょうど今日、異界について考えていた。 異界。異界感。 それはルーティンワークの真反対にある。 毎日同じような生活をしていれば、 どの場所も知れていくものになる。 それこそが大人になることだ。 この日常化を厭がる人間は旅に出る。 旅先には異界が広がり、旅情は異界感を促進してくれる。
子どもの頃にはどこもかしこも異界だらけだ。 世界は知らない場所であふれている。 知っている場所ですら、時と状況ですぐに異界となる。 単純な話、子どもは夜を知らない。 夜の電車、夜の学校、夜の道、 なんだったら自宅だって、夜になれば容易く異界に化ける。
あんまり他の人間がどうかは知れないが、 僕は異界と異界感を求めている。 もっと他に的確な言葉もあるかもしれない。 ただ今日、いったん、しっくりきた。 非日常とかノスタルジーとか熱狂とか センチメンタリズムとかロマンチックとか そういうんじゃない。 異界。 人の少なくなった夜の電車で ふと迷い込んだような心地になる、 あの感じ。
ある人は言うだろう、 「世界はもっと広いものだよ。 あなたが知ってる狭い世界だけで、 知ってるとか知らないとか判断しないで、 もっといろんなところに行ってみたり、 いろんなことをしたらいいんだよ。 自分の世界が広がるよ」と。 僕はこの手の言説を軽んじている。 低級な解決方法だなと見下してやまない。 実際僕も旅は好きであるし、 新しいことをすれば世界が拓ける。 しかし、知っている場所を知らない場所へと転化させる、 その魔術的作用の方が高度な知性の働きであると信ずる。 だから、ロシア・フォルマリズムが言うところの 異化 こそは僕にとって目指すべき境地だ。
ネット空間は場所ではないが、 場所性は認められる。 そこは少なくとも一時期は、 僕にとっても異界でありアジールだった。 今時分にあっても、ある人のある時期にとっては アジールとなるのだろう。 メタバースね。 敵は敵でもせめて好敵と見なせますように。
2022年01月18日(火) |
妻健康診断結果、木製ボドゲ、クイズ番組 |
晴れ。 こっからが冬のピークか。 例年になく冬の終わりが怖い。 これまでは恋しいばかりだった時期、 啓蟄 が、これからは意味性具体性をもって迫ってくる。 つまり、字義通り、虫が目覚めだす…。 土の中で眠ってくれているこの期間は心穏やかだけれど、 三月にもなれば湧いてくるのだ。 雑草取りは2月の末からやるとしよう。 あとは部屋をきれいに、清潔に保つこと。
弁当はローストビーフサンド。 玉ねぎ薄切りをオリーブオイルで炒めておいてブラックペッパーを振る。 トーストにマスタードを塗り、 サラダ菜とローストビーフをこんもり挟んでいく。 できあがりはボリューム不足に見える。
九段下に着いてから 信号待ちの間に 地域活動支援センターみたいなトコに寄って いくつかチラシを貰ってきた。 ボランティアには興味がある。 かつては いかがわしさや やらしさとか なんかこう出会いを求めて…みたいな意識が見えてイヤだったけど それどころじゃなく地域課題は切迫しているし 今後は自助努力が急速に求められていくだろうから 今のうちから慣れておきたいというのもあるし 割と自分自身の主題とも噛み合ってる。 「善行」って意識よりは 「地域課題への取り組み」なのだよな。 社会の成員としての成熟が 成熟した社会へと往還していくのだとかなんとか まあいろいろ言える。
チラシにある募集は多くが平日昼間のものだった。 数は少ないが土日の募集もある。 子どもが産まれる前に…とも思うけど ウーン ジレンマだな。 それまでにしておくべきこと多い。
なんのきっかけもなく なんとなくふと思ったこと。 いま北朝鮮のトップが代替わりして、 でだ、 諸外国に友好的な国交を求めたら…を夢想した。 これまでの反動があるから、 相当の祝福をもって受け入れられる気がする。 ちょっとだけ具体性をもたせてみると、 おそらくアメリカ相手の極秘会談から始まる。 大統領と、外務長官や国防省やらの要人に交渉する。 ……我々にも自国民への面目と威信があるから 屈したとされるわけにはいかないが、 安全保障と市場経済に関する取り決めについては 極力意向に沿う格好で応じる、 ただしこちらから要求したものとはしない、 そこで貴国に”英雄”を立てる。 長官でもベテラン外交官でも若手上院議員でもいい、 ある誰かが、私に交渉をしたのだ。 極めて困難な道程であったと、 映画になるような物語に仕立てるがよろしい。 そして、私が応じた。……
いやもう全然だからどうって話ではないんだけど。 こういう未来が訪れたならちょっと面白いかなと思った。 実際、こんだけワルモン扱いされてきた北朝鮮が 懐全開にして和睦を求めてきたら 観光客が殺到するだろうなって。少なくとも一時的には。 いやちょっと楽観にすぎるかな。 ことを単純化しすぎてもいるか。
ローストビーフサンド美味しかった。 でも味が相殺されてるな…。 ローストビーフ、結局はそのまんまを食べるのが 一番美味しいんじゃないだろうか。
帰宅とともにポストに投函されていた 妻の健康診断検査結果を手渡す。 要再検査。 白血球の数が基準値を上回っているとのこと。 白血球の増大は、白血病や血腫の危険があるとのこと。 ただし基準値より大幅に高いわけではなく、 また去年も高めではあったから皮膚科の先生に相談してみたところ まぁそんなもんだろうと様子見を推されたようだった。 原因としては、アレルギー反応、喫煙、ストレス、 さらに妊娠でも増えるようだ。 白血球の増加とはつまり 「身体の異常に抗おうと反応し」すぎているとのことだから、 アトピー性皮膚炎なんかあると高めになりやすいらしい。 禁煙は9月中旬からだからまだその影響もあるだろうし、 あまり心配はいらないだろう。 とはいえ不安は除きたいからと、再検査は強くすすめた。
夕飯は天ぷら。 カリフラワー。大葉。パプリカ。上州ネギ。 玉ねぎとニンジンのかき揚げ。 それにお吸いもの。ぜいたくだねー。 揚げたて美味し。 今日はちゃんと岩塩でいただいた。 冬のカリフラワーの美味しさには驚がく。 かき揚げも美味しい。幸せだ…。 ほんの数年前までは天ぷら毛嫌いしていたものだけど。 自分で作るようになって目覚めたパターン。
テレビはなんとなくつけていたクイズ番組。 普段は見ないけどたまたま気になる問題だったから 二人で挑んでみてしまった。 脳トレ的な。 その流れで、続く難読漢字問題にも挑んだ。 脹脛[フクラハギ]はなんとかクリアしたが コメカミだけが読めなかった。 ていうか漢字変換にも出てこないな。 番組構成とか難易度の裏側まで推し量ると 低俗まるだし番組なんだけれど こうして家族で楽しむものなんだよなこれは。 いかにもお茶の間向けの。 くらだないと嘲りつつなんだかんだで楽しんでしまい敗北感。
21時半過ぎ。スイーツを食べた。 妻の会社の付き合いで頂戴したもの。 ヒルトン東京謹製のアフタヌーンティーセットを 冷凍でお届けという代物で、 昨日のうちに同僚とオンラインチャットしながら食べたそうなのだが 特別に常套なわけでもなく きみが作った菓子のほうが美味しいよ と妻が事前に言っていたので その触れ込みのもと頬張ってみると意想外の美味しさがあった。 見た目もいい。 プチガトーがポコポコ並んでいるだけで目が嬉しい。 出色はガトーショコラ。 ムースがいい仕事してる。 チョコレートらしいチョコレートを久しぶりに食べた。 タルト・オ・フリュイはオーソドックスながら気取らず、 果物の味を前面に出してきていた。 ベリーの酸味が嬉しい。 あとはホワイトチョコレートによる ビジュアル重視のケーキとかあったけど 僕らはホワイトチョコを好かない。 とくに、苺の造形を模した苺味のプチガトーは 色や形を再現するために ホワイトチョコレートが多めに使われていて ヘンに甘ったるく食べきれず残してしまった。
22時過ぎ、遊ぼう遊ぼうと妻がねだる。 カードゲームをしよう、 いや麻雀をしようとやる気を見せるが 僕の方では簡便に済ませたい。 何かないかと部屋を見渡して KATTE NI SHIYAGARE が目についた。 積み木パズルのようなゲームで、 開けた覚えはあるのに遊んだ記憶はない。 説明書を読むとスグできそうはあり、 試してみたところなかなか楽しめた。 対戦ではなく協力型。 しかし互いの心理を読み合う必要があるという、 それなりに思考力も試されるゲームだった。 プレイ語妻は、なにかこうした木製ゲームはないものかと、 アフリカの伝統ボードゲームを調べていた。
寝入りばなに妻に聞かせる即興のお話、 昨晩は悪くなかったから 久しぶりにメモっておく。 お題が 破魔矢 だった。
…破魔矢の原料を生業としている採取人がいる。 原料は魔の山に自生している。 採取人は危険を顧みず原料を確保する。 この原料は採取人から加工職人へと手渡される。 加工職人は原料を選別し、削り、不純物を除去し、 秘伝の液に浸し、燻し、天日干しして、また削り、 切り、油を塗り、形を整え…と七面倒臭い手順を踏んで 矢に仕上げていく。 ただし天日干しをしている間に、しばしば破魔矢泥棒が現れる。 泥棒のせいで数は半分以下になってしまう。 まだ破魔矢にもなってない未完成品ではあるが、 この時点のそれは食すと実に美味いので、 病みつきになった者がくすねてしまうらしかった。 そうして数少なくも完成した破魔矢は、 デザイン業者の手により小奇麗にパッケージされ、 使い手のもとに届く。 使い手には破魔矢で射抜く対象がある。 魔の山である。 恐るべき魔の山を、破魔退魔の念で駆逐してやろうと、 破魔矢を射る。 突き刺さるごとに魔の山が蠢く。たしかな手応え。 だがこれは、魔の山の生存戦略であった。 使い手は何も知らないが、射た破魔矢は種となって 山でまた芽吹きだす。 そうして山は繁茂する。 いわば使い手は魔の山を育ててしまっているのだった。 採取人はそのカラクリに感づいている。 だが自らの食い扶持を優先して、知らんぷりをこいている。 破魔矢泥棒こそは破魔矢が元凶と知っていて、 この循環を止めてやろうという正義の一心で 盗みを働きだしたのだが、 なにぶんその美味しさに取り憑かれてしまったものだから、 すべては盗まずに結局循環の恩恵に与っている。 使い手がその真相を知ったときどうなるか?
…までは語られることなく妻が寝入ったから、 この話はここまでとなった。
入浴後、ちょっとだけ読書。 しながらだらだらとスマホ。
睡眠時間を長めにとるようにしたいという妻の要請に従い、 0時半就寝。 寝入りばなにどんなお話を聞かせたかは覚えていない。
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