舌の色はピンク
DiaryINDEX|past|will
晴れ。 個別に取得できる夏季休暇制度により今日はお休み。 でも7時には目が覚める。 寝具一式を洗って干した。 みるみる乾いて気持ちいい。
トースト食べながら見ていたNHKで デジタルヒューマン という技術を紹介していた。 一つの空間に数十だか数百だかのカメラを設置し、 中央に人間を立たせ多角的に撮影をする。 するとその人の立体CGが画面上に投影される。 この立体CGは あらかじめ用意されているプログラムによって 即時動かすことができる。 表情を変えたり、全身を運動させたり、 本人がその場で振る舞っているかのような映像にもなる…
もともとあった技術の延長で ここからさらにその向上が期待される一方、 番組では触れられていなかったが ディープフェイクの問題もあり、 この先の運用に向けては さまざまな観点から論じることができる。 が今回関心をもったのは、 「分身」 という見方だ。 分身にはかねてから注目していた。 文学における分身は、 「私」のありかを探る試みとして、 かなりあの手この手で追及されてきている。 民話や怪談、突拍子もないSFもひっくるめて、 おおよそ考えうる限りの分身について アプローチしていった批評本は何冊か読んだ。 だが今回のデジタルヒューマンの発想はなかった。 ビジュアルイメージだけの分身。 強いてあげれば人形が近いだろうか。 本人と瓜二つの動く蝋人形。 だがデジタルヒューマンは画面上にしか存在しない。 なにより不気味なのは、 その分身が他者によって動かされている点だ。 自分でもなく、神でもなく、また 「全体の広がりをもつ他者」でもなく、 「ある誰か」によって動かされる… まだあまり考えはまとまらないけど、 途方もない恐ろしさと、 それがゆえの面白さを感じてしまった。
午前中はごろごろと怠け、 午後から在宅勤務となる妻を出迎えて 素麺だけ食べさせてから外へ出た。 夏の盛りを味わうために自転車で走り回るのだ。 平日昼間は人出も少なく、 引っ越し先の周辺を下見するにはちょうどいい。 がまずは鷺ノ宮に向かった。 読みたい本が鷺ノ宮図書館にあるからと 鷺ノ宮駅前まで繰り出して、 さて路上の地図でもないかなと見渡したところに交番が。 中にいた警官も手すきの様子だったから声をかけた。 「すいません、ここらに図書館ありませんか」 「図書館!? 図書館…」 駅前の交番勤務で その土地にある図書館を知らないなんてことがあるのか… 僕が名探偵なら彼は本当の警官ではないとか推理し始めるところだ。 まぁまだこの交番に着任して間もないのだろう。 なんらかの事情で一時的に派遣されてきているだけかもしれないし。 警官は地図を広げて図書館の位置を確認してくれた。 「あぁ、ええとですね、そこの、ドラッグストアがあるでしょう。 あのドラッグストアの右手の道をちょっと進むと、 かりん糖の店があるんです。 すごく有名なお店です。 その店の手前を左に曲がるとすぐです」 "すごく有名な店だからわかるでしょう" というニュアンスだった。 有名だからって目立つわけではないのは自明なんだけど その主観と客観の入れ違いが面白かった。
図書館施設は階下が区民活動センターとして機能しており 今はワクチン接種の会場となっているようだった。 「こんにちは。ワクチン接種に来られた方ですか?」 「いえ、図書館に用があって」 と答えたところ職員は無言でそっぽ向いてしまった。 別に全然いいんだけど これ人によっては この職員の悪評を立てるよなあと思った。
鷺ノ宮図書館は古びていて 洒落っ気も皆無で 到底若者が寄りつく場所ではないのだが 本の品揃えは強い。 決して多いわけじゃないのに 「そうそうコレコレ」 と言いたくなる本がたくさんある。 今日は目当ての経済学の本と、 洋菓子のレシピ本と料理のレシピ本、 あと都市論の本を借りた。
そっから西荻へ。 西荻は変わらないようでゆっくり変わってる。 ここでもやはり、個人商店がつぶれてチェーン店が増えている。 大規模開発の憂き目から逃れているだけで 確実に浸食されていってる。
でも神明通りには生気があった。 神明通りの先にある新居の周辺をかるく流して、 次は荻窪へ。 ここでも一つ図書館に立ち寄る予定だったが 大通り沿いなら図書館への案内板があるかと思われきや 全然見当たらないまま駅に辿り着いてしまった。 スマホには頼りたくないんですねー あれやると 辿り着くことばかりが目的化して経過を楽しめない。 経過の最中生きてないのはいただけない。 なんのために生きてんだって感覚になる。
さすがに暑くて汗もいっぱいかいて ひっさしぶりに自動販売機を使った。 何年ぶりだろう。 人に買うことはあっても 自分のために自動販売機で飲み物買うなんて。 炭酸買って飲み干した。 うまい…。夏の醍醐味。
それから映画を観た。 『サマーフィーリング』。 恋人だか婚約者だか妻だかが倒れて おそらく植物人間状態に、 へたしたら亡くなってたのかも… そのへんは明確にされないけど とにかく主人公は失意のどん底で苦しみながら 彼女の家族や友人とやんわり支え合っていく。 筋書としては彼女の妹と仲良くなるのだが 恋仲にはならない。 お互いの意も明らかにならない。 結果としてぽっと出の女と主人公の男はくっつく。 妹は泣く。 ええー と声をあげてしまった。 それとそうだ、この映画女性の体へのフェティシズムがある。 ホットパンツ多すぎ。 夏を強調したいからって生足率高すぎ。 胸はのきなみ小さめで、 それなのにだいたいの女が胸元開いた服着てる。 それも単にTシャツとかで。 べつにお色気シーンて感じでもないんだけど。 いや眼福だったけど。 あと妹役がジュリエットビノシュそっくりだった。 あれで首がもっと細ければな。
夕飯は炊き込みご飯。 あさりの酒蒸しに醤油と麺つゆとみりんを加えて 生姜とみょうが刻んで いっしょくたにご飯炊いて 大葉を散らした。 大葉合う! これとサラダだけじゃこころもとないから 先日やったエリンギのバター醤油焼きも添えた。 エリンギはほんと食感いい。気持ちいい。
食後はスイカ切って食べた。 大量に食べた。
晴れ。 大晴れ。 でもビビッて洗濯はしなかった。
妻の弁当は豚バラ生姜焼き。 僕は客の少ない中華屋へ。 もやしニラ豚肉炒め定食で700円。 もやし7割ニラ2割豚肉1割だから 到底得とはいえない献立なのだが 食べてみると モヤシはシャキシャキだし 油のからまりは見事で 火の通りや塩の加減なども絶妙、 プロの出来って感じ。めちゃうま。
後輩(部下)の一人は午前中のみ他部署へ駆り出されてるのだけど、 本業務にあたる方の作業の納品について問題がある。 …作業後即納品というスケジュールを踏まず、 僕があらかじめ指定した日付を目標に納品するよう了解してもらっている。 彼が忙しければ、納品は翌日、あるいは翌々日になっても構わない例がほとんどだ。 この納品にあたっては、30分ほどかかる書出し、 15分ほどかかる転送、さらに30分ほどかかる転送という手順を踏む。 書出しにせよ転送にせよ処理中の待ち時間はただ放っておけばよく、 それぞれを実行させるための手作業は1分もかからない。 だから、始業してすぐ数十秒でその処理をして、 他部署へ行って昼休憩のために自席へ戻ってきたら 次の処理を数十秒でし始めて、 休憩明けたらまた最後の処理を数十秒でして… と手際よくさばけば、 時間も労力も割かず順当に納品はできるのだが、 当人としては 「午前中は忙しい」という頭になってしまうのか、 この単純なフローを実践してくれない。 あまりに単純な話だから伝えるのも馬鹿馬鹿しく、 できれば自発的に動いてもらいたいのだけど、 こうやって断絶が発生するのもいかんから、 一度やんわりと懇切丁寧に伝えてあげた。 で今結果的には全然できてないっていう…。 ただ元々できる方ではない彼が …表面上は仕事できるが同じミスを繰り返すのと 理解能力に難がある… 今まかされている他部署の業務はちょっとキツめで、 弱音こそ吐いていないものの これまで接してきた数々の後輩の傾向から察するに 嫌気が募って辞めてしまう可能性がある。 嫌んになったら辞めてしまえばいいじゃん、 という思いはあり、 かつてはそうやってバンバン後輩を こころよく送り出してきたのだが、 今回に限っては深刻な自己都合がある。 その後輩が今辞めてしまった場合、 当の業務は僕に引き継がれる可能性が高い。 ここに看過できない因縁がある。 その業務はもともと僕が十年近く続けてきた仕事で、 しかし僕が他にも多用な仕事をかかえていることと、 一時期立て続けにミスをした (僕が原因のミスではなかったが一連の経緯で 言い訳を一切しなかった結果そう見なされた) ことなどを理由にしてか、 1年ほど前、この後輩に担当が変わったのだった。 当初、僕は多少なりともサポートしてやろうと 彼への助言、指南を時たましていたのだが これが上司に見咎められた。 「--さんは経験浅いから、聞くなら別の人に聞いて」 と上司は後輩に言った。 この発言自体の是非はもはや問う気もないのだが、 こんなやりとりがあった上で、 適任者が他にいないからと また僕に担当を返すような真似を もし当の上司がしたなら、 これはさすがに人を馬鹿にし過ぎである、 絶対に断るつもりでいる。 その上で向こうが「しかしね、」と続けてきたら もうこの会社を見限るつもりでいる。 というわけで、 まぁ一応自分の退職まで懸かっている以上、 後輩の動向は繊細な意識で見守っているのだった。 ちょうどいま別の後輩が その業務について学び始めたようだから あと数ヶ月もてばなんとかなるかな…
誰に見せるわけでもない記述でも 吐き出してみるとちょっとすっきりする。 とはいえ事情はかなり単純化して書いた。 現実はもっと複雑だ。 コロナじゃなければとっくにこの会社は見放してる。 でもこういう時、どんなに心がけて叙述しても、 「俺は悪くない」 になっちゃうんだよな。 「向こうがこんなに悪い」 て証拠ばかり、提示できるもんだからしまくって。 あぁ、いやだいやだ。 こんな葛藤に悩まされることがやはり地獄の正体だ。
突発的に やや高度な技術が要求される画像の加工が要され 全力でチャッチャ!と仕上げたところ クライアントから 感動いたしましたとのメールが。 嬉しいもんだ。 うちの営業によるとこれで 単価とは別に3000円頂戴するらしい。 作業時間はともかく設備や環境を加味すると かなり割安ではあるはずだけれども 自分のやったことと売上がダイレクトにつながってるのは気持ちいい。 「高度な技術が要される突発の仕事」は好き。
秋田の桜皮細工、めちゃくちゃステキだ。 今読んでる植物と行事、という本に出てきたから 検索してみたらなんともはや現代的にアレンジされた意匠が。 本自体は30年近く前のものだから こんな形は想定してなかったろうことを思うと不思議。 桜皮細工は桜の樹皮を加工した伝統工芸で、 かばざいく、と読むらしい。 表記によっては樺細工とも。 っかし実物見て買うにゃあ 秋田くんだりまで遠征せにゃ だ だめえ? まぁあれだけデザインに力入れてるってことは 東京に出張店舗構えたり 百貨店に出店したりなんだりあるんだろうけど。 でも現地でしか買えない方が、本当はいいな。
残業。 意味のない残業。 なんとか意味のあるようにした。 しょうもない2時間。 あぁ今夜は自分の裁量で動けたから 部下は早めに帰らせた。
帰り道にあるちっこいAEONでアーモンドミルク買った。 このAEONが僕は嫌いで、 品ぞろえといい客層といい商品陳列といい照明の具合といい、 およそ店内を構成するほとんどすべてが無機質で、 資本主義社会の醜悪な部分を寄せ集めましたみたいな生気のなさに いつもげんなりする。 なによりどの店員も必ずやる気がないし、仕事をなめてる。 たぶん当人の気質以上に、店内の雰囲気のせいなのだと思う。 でも 自分がちょっと悪印象もちすぎなんじゃないか、 今度行ったらガラッと印象変わったりするんじゃないか… と 偏見捨てて一縷の期待を込めて数カ月に一度来店してみるのだけど 今日もやっぱりダメだった。 こんな店々にたくさんの個人商店がつぶされてきた都市背景を思うと 悔しいやら腹立たしいやら。
夕飯は牛焼肉。 牛肉小間切れを焼肉のタレで味付けただけ。 でもモヤシに活躍してもらった。 キムチも合う。 サンチュが欲しくなると妻が言った。たしかに。
友達の一人が 家族が陰謀論のせいでワクチンを打たないことを ちょっと前にTwitterで嘆いていたのだけど それが先日弟のみ意を翻し接種を決めたらしい。 その言いざまが 「しょうがねえから陰謀に乗ってやる」 だったそうで、 めちゃくちゃ面白いセリフだと思った。 陰謀論にハマってる人というのは、 外側から見てると "陰謀(論)というエリアの中に囚われてる" かのようなのだが、 実際の彼らにとっては、 陰謀は敵なのだ。 当たり前の話なはずだけど今回腑に落ちた。
ところで 陰謀論にハマってる人、というのは あたかも安直な答えにしがみついているようで、 人によっては 思考停止だ、もっと考えろ、もっと勉強しろ、もっと調べろ… と批判するのだろうけど ある人の考え方が どうやら 「これあれだ、陰謀論のやつだ」 と印象づいた程度で 即座にレッテル張って忌避するというのも、 かなり悪質な思考停止ではある。 陰謀論なんてお仕着せの大がかりなジャンルにあっさり振り分けるなよ、 もっと自分の頭でちゃんと細分化して避難しろ。
先日の引っ越し先物件に対する 不動産屋からの返事が なかなかよかったようだ。 明日大家さんからの正式な返答を聞けるらしい。 いよいよ本当にあすこへ引っ越す未来が現実味を帯びてきたな…。
2021年08月18日(水) |
メンタリスト問題についての所感 |
晴れ。 朝慌てて洗濯機をまわし、てんやわんやで干した。 風が強めで気持ちいい。 ちょっとだけ嫌な予感がして布団は干さなかった。 案の定というか、昼に大雨が降った…ようだ。後から知ったが…。 最悪濡れても構わんという衣類しか外干ししなかったのと、 通り雨ならその後晴れて風が吹けばまぁ乾くだろうという算段だった。 じじつ その後晴れたようだし風も十分あったから 帰宅した頃には洗濯物は無事乾いていた。 ただまぁTOKYOの雨に降られた以上は 不衛生なのかもわからんけど… 肌着は外干ししてなかったからいいかなって…
弁当はステーキ。 肉を買うとき、毎回序列がわからなくなる。 3等級と4等級ではどっちが上等なのか…。 一等賞の見なしかたで数字の小さい方が格上なのだろう、 だがやれA4ランクだのA5ランクだのあるからややこしい。 単純な話なのだが目の当たりにした一瞬間は混乱する。 今回は3等級。 170gくらいで1000円する。 本来は一人分だがこれを二人分の弁当とするのは コスト面のみならずステーキの味が濃いから。 味付けは塩コショウとニンニク醤油だけだけど 脂っけが強いんだよな。 今日はニンジンをたっぷり添えた。
ちょっと思ったこと。 あのメンタリストさんの問題、 あらゆる観点から批判しまくれるし 口出すのが本当に馬鹿馬鹿しいんだけど 例によって安直な非難を浴びせっぱなしの モブキャラみたいな連中が絶えないから 公平で公正な立場を目指すものとしての所感を残しておく。
発端となった発言には 個人的な見解として、 といったエクスキューズが置かれていたわけでしょう。 たとえ本心があけすけに見えたとしても、 この言質をないがしろにしてはいけない。
「高齢者やホームレスの生活を保証するための 行政サービスにあたる福祉関係の予算を削減し、 その分を犬猫といった愛玩動物保護の予算にまわすような政策を支持する」 これなら何も問題はないわけです。 実際に、限りある予算の配分は常々上げ下げされているわけだし。 「〜を支持する」という考えまではなんぴとも覆せない。 思想の自由が保証されている以上、 世論の是非に先立って、個人が支持する思想は尊重される。 「韓国人は嫌いだ。絶対に我が家には入れない」 だけだといかにもヘイトスピーチじみているけども、 「韓国人は嫌いだ。祖父や祖父の兄弟は戦争で韓国人に殺された。 だから我が家には絶対に入れない」 といった事情が個人にはあったりするわけです。 その事情はもっと些細な、 他人にとってしてみたらどうでもいいようなこじつけかもしれないけども、 なんにしても「個人的な見解」に限れば、 その考えをもっていること自体は否定されちゃならんわけです。 もちろん企業でこれをやったら差別でアウトです。個人じゃないからね。
しかし表面上つくろった言いざまがどうであれ、 「どうせこういう意図で言ってるんだろう」 と、賢い人ほど本心、本懐を見透かし、批点を見出してしまうわけです。 ただ、憶測が取り入れられた時点で、 理性だとか論理だとかいった ロゴスのフィールドを成立させているルールからは逸脱します。 そうすると感情的な「好き/嫌い」に寄ってしまって、 当然この場合は「嫌い」にそそのかれてしまって、 結果、非難している人は、「個人的な見解」にまとまってしまっている。 社会的善を背負った格好で、公的な意見と信じて疑わないが、 実際には、非難先と土俵が同じという。 「そんなのは織り込み済みだ。 向こうがそのつもりなのだから、 同じように意趣返しとして個人的な批判をぶつけてやるのだ」 とてもいうんなら、 それはとても社会を語る大人のやることじゃねーです。
本音の本音、正直なところでいえば 僕はあの人間を軽蔑、嫌悪していて、 個人的に忌み嫌うのみならず この世から抹消されたほうが世のためだとすら思うし、 彼が叩かれるほど、不利益を被るほど、 制裁されるほど、 この世界から否定されるほど スカッとするところはある、 偽らざる本音としてそれはある、 でもそんな自分を醜いとも思う。 とても。 それは到底、自分が目指すところの カックイー自分 ではない。 漫画でいえば悪役だ。それもモブの。賑やかしの悪。 彼を叩きまくる連中は 自分がその手の しょーもないモブに成り下がってる自覚はあるんだろうか。 叩いてるってほどじゃない穏健な傍観者にせよ、 嫌いなやつが叩かれてる様に ホッ としてはいないか。 寛容とか不寛容とかの話じゃない。 論点を特定できているか。 論点だけを論じていられているか。
ところで今回の争点の一つに、 「個人的な見解だか知らないが、社会的に影響力のある人物として…」 といった難詰もある。 たとえば彼の意見は子どもも見聞きする。 まだ判断能力の身についていない(そのくせ多感な)青少年に、 不健全な思想を植え付けてはならないという。 ところが 「不健全」「反社会的」「反教育的」… これらの判定を早々に下すのは危険だ。 「限られた予算を社会的弱者に多くまわすべきではない」 という命題に対し反論を並べ立てるのは いかにも社会的に正しいようだが、 その正しさは民主主義社会に裏付けられない。 (「一切まわすな」なら別だけど) 子どもに向けて教えるべきは、 何が正しく何が正しくないか、の答えではない。 そんな答えらしきものは、 紐解いてみれば一人の大人の勝手な個人的見解にすぎない。 何が正しく何が正しくないか、を分別する能力を育むほうが 大人に求められる取り組みであって、 個人が正しいと信仰している勝手な答えを植え付けるべきではない。
この話は突き詰めていくと 「だから君らに”個人”を取り扱うのはムリ」 という僕の持論に落ち着く。 (ここからは公平で公正な意見じゃない) 僕は、親は子どもに対して 「これはヨシ。あれはダメ。」 と頭ごなしに教育した方が健全だと思う。 理屈なしで。 でもここに”個人”とか”理性”とか”人権”とかいった、 西欧がその風土、その歴史、その反省から尊重してきた いうなればヨソの観念を持ち込むと、 表面上は清く正しく健全な世界に見えても、 たやすく破綻してしまうんですねー。 動画配信サイトで アホがアホなことを毎日何千何万と発信する時代に、 子どもがそれらの善し悪しを分別できるよう教育できるケースは、 そんな”正しく賢明な親”、”利発で理想的な子ども”は稀だよ。 稀というほどじゃなかったとしても取りこぼしが発生するよ。 ところが”個人”とか”理性”とか”人権”とかを大事にする社会は、 取りこぼしを救済しないわけにはいかない。 それで取りこぼされた子どもたちをどうするって 後追いの策が重ねられていく、 あたかも正しいような論法がこじつけられていく、 そんな秩序は破綻している、と僕は思うのです。
だから最近(いまさら?)ロゴス中心主義への憎悪がすっごい。 正確には、無自覚にそれを信仰している連中か。 回帰とか国粋とかのつもりはなく、 ただただロゴスに根ざした理念の適用が この国ではすでに行き詰まってて このルートはもう行き止まりだから 別口をさぐりましょうよっていう、 それだけなんですけどね。
ついでに感情について。 感情を大事にするのと 感情に振り回されるのは違う。 感情ってのはなあ客観的視点をもちこむと化けるんだ。
夕飯はつけ麺。 先週だか先々週だかに美味しかったから同じものを。 ただし今回はもやしを用意した。 かるく茹でてごま油と塩コショウ。 半分は明日にとっておく。 さらに水に浸して辛みを抜いた白髪ねぎと、 メンマを加えた。 それぞれ、あんまり合わなかった…なぜだ… おそらくもやしはもっとナムルみたいにした方がよかった。 白髪ねぎは万能ねぎの方が合う。 メンマは瓶詰より使い切りパックの方がいいみたい。 夏の間にもっかいつけ麺やろう。 リベンジリベンジ。リトライリトライ。
そういえば解約を申し込んだ保険の書類の返送期限が20日なのに 投函し忘れていた、と思い出し 大通り沿いの郵便ポストまで夜に自転車走らせた。 イヤホン失くしたからこの夏は全然外で音楽聴けてなかったけど 今夜は胸ポケットに忍ばせた端末から 小音量で音楽垂れ流しにして自転車こいだ。 往復6〜7分くらいとはいえかなり浸れた。 AIRのサントラ。 AIRのサントラを聴かずに過ごした夏ってたぶんないな。 20年間。 20年間…?
2021年08月17日(火) |
革命家とだけ仲よくしよう |
小雨。 昨日のような肌寒さはなく、 ほどよく涼しい。
弁当は定番、 鶏もも肉ニンジン玉ねぎ豆板醤炒め。 肉が少々少なめだったから その分野菜を増やした。 普段は入れていない長ネギも刻んで入れた。 がっつり美味かった。 ご飯に合うんだよな。
ロロッロ全巻読み終えた。 わりと淡白な終わり方… クールだけど、 最終回はねらいすぎなくらいシットリなのが好き。 ジーン!てしたいのだ、ジーン!て。 3年生を送る会の回、あのくらいがいい。 キャラはうみちゃんが一番良かった。 ちょろくてうざくてザコで…。
夕飯は豚しゃぶ。 豚バラ肉はあきらか脂っけ多いし 今日こそロースにするつもりだったけど 売り場の前で立ち止まり結局バラ肉買ってしまった。 で、ちょっとでも余計な脂落とせるようにいつもよりは茹でて 冷水に浸す時間も長くした。 あまり差はないかもだけど。 そして豚しゃぶは、肉より玉ねぎのほうが大事だ。 玉ねぎをかなり早めにスライスしておき、 空気にさらしておくことで辛味を抜く。 最後の10〜15分ほどは塩をまぶしてしんなりさせる。 これと万能ねぎ、ポン酢だけで絶品すよ。うまうま。 さらにはちょっぴり添えたカクテキが合うこと合うこと。
空手バカ一代、忍法使いの高校生が登場してきた。 車輪眼の使い手。 学ランきた青少年が目ん玉グルグルまわして 催眠かけたり金縛り発動させる様はかなり新鮮な画だった。
政府の意向、政策の是非について 会社組織と似たような構造で考えることができる、 …と、思い上がる人が多い。 まあ実際には、そのつもりで見なそうとしているわけでなく、 無意識的にそういう目線になっちゃってる例がほとんどだろうけども。 予算の割り振り、人員の割り振り、命令体系、 リスクマネジメント、成長戦略、派閥的阻害、… いかにも転用できような観点は多々ある。 だが国家は、企業に例えるには複雑過ぎる。 ステイクホルダーの規模も深度もまるで違う。 なのに、自分に最も身近な組織体系であるがために、 会社員はつい、会社で培ってきてしまった”目”で マクロスケールを見渡しがちだ。 とくに20代後半〜30代後半までくらいの、 自信と知恵がついてきたあたりの年代があやうい。 視野のレンズがゆがんでいて。
政治家を批判しながら 「これが会社だったら〜」 みたいなトンチンカンな例えをする人がいる。 そういうズレたものの見方は 本当に批判すべき点をぼかしてしまうことになる。
邪魔だ。
政治家ってもっと狡くて小賢しくて強大な敵なのに、 自分の理解に収まる範囲で矮小化して、愚図扱いして。 こういう連中の意見はだいたい小ぬるい。 僕自身は左にも右にも寄りたかないが(右も左も敵だ)、 革命家は魅力的だと思う。 そして革命家に程遠い気質の左派が嫌いだ。ダサいから。
2021年08月16日(月) |
加算的取り組みしか見えない人たち |
小雨。 傘をさすほどじゃない。 朝から肌寒い。 秋、こんにちは。
弁当はビビンパ。 混ぜればできるレトルトの。 冷凍ご飯をレンジで温めてから 少量のサラダ油で炒めて、製品のパック具材と混ぜる。 これが1食分らしいのに 2人分の米と混ぜているから味が薄くなるかもしれない。 と思って目玉焼きを焼いた。 ごま油熱して卵落として火を止めてから半開きの蓋して放置。 塩コショウ。 ばっちし味付けキマッた。 濃くもなく薄くもなくでもほんのちょっとだけ薄く、 そのほんのちょっとのところに スパイスやコチュジャンの辛味甘味が陣取って もんくなく美味かったぜ…。
ネット社会においてのコロナ禍では 一億総批評家化。 政策への批判が入り乱れるが その中で 「政府は何もしてない」 という意見は多く聞く。 「国民にお願いするばかりで」 「ワクチン頼りで」 といった声とともにあり、 なんと浅薄なんだろうとびっくりする。 こいつらのせいで、 庇いたくもない政府を庇うかのような意見をすることになる…。 まずこの手合いは、自分が見聞きできる範囲内でしか事態を捉えていない。 メディアが伝えてくれる(全体から見れば一部の)情報のなかで、 さらに自分がたまたま見聞きした限りにおいて、事態のシルエットを定める。 また、加算的な取り組みでないとそこに意味を見いだせない。 「〜をする努力」と同じように 「〜をしない努力」「〜をさせない努力」といった取り組みはたしかにあるのに、 後者は断然前者に比べれば表面化しにくい。 これ、個人レベルでもありふれてる。 食べないダイエットは地味で地道で退屈で辛い、 一方で◯◯ダイエットと称して いかにも能動的な取り組みにしてみせることで 物事を表層的に撫でることに馴染んだ消費者勢を取り込めるというわけで、 当然ダイエットに限らず あらゆるところに あらゆるかたちで こんな魔の手が潜んでいる。 少なくない人々がその思考法に慣れ親しんでいて、 能動性、積極性、進歩性、成長性といった観念による束縛に負けてる。
ていうかモノスゴク単純に 「ワクチン確保のための外交戦術」とか考えないんだろうか。 誰も教えてくれなくてもちょっと考えればそれって していないわけはない、くらいはわかると思うのだけど。
ついでに… 近代経済学では、経済主体(つまり消費者だ)を、 合理的で賢明な判断のできる人たちとして扱うそうだ。 なるほどだ。 これ、政策でも似たようなものなのだろう。 世の中には非合理的で非理知的で とても賢明とはいえない行動をとっていく人が少なからずいるが、 その存在はなかなか前提にされない。 それはコロナ禍でとことんあらわになった。 皮肉なのは、現実の政策に対して 「いや、こうするべきだ」と 改善された代替案を出しているつもりの市井の意見のほとんどが、 全国民を 「合理的で賢明な選択のできる常識人」と見なしている点だ。 それも、合理性の基準も賢明の基準も常識の基準も 自分自身を軸としているから、実はとても狭い枠組みでしかない。 それは彼らの生活圏では、9割以上の人間に該当するのかもしれない。 しかし現実には、ろくに判断の働かない老人もいる。 ドキュンと蔑まれるようなアウトサイダーすれすれの人々もいる。 引きこもりもいる。 服役中の社会逸脱者もいればホームレスもいる。 あらゆる「例外者」は、しかし国民というくくりにおいては例外ではない。 自分の目に触れないからってそういう人たちを無視するなよな。 そういう世界になって誰より厳しい立場に追い込まれるのはお前だ。 と思えよ。
退勤後、駅構内の連絡通路で、 ただ漫然と通路を直進する僕に対し 前方からいかつめの男が 歩きスマホで階段を下ってくる一幕があった。 階段には「のぼる」と「くだる」の向きが示されていて 左側通行が推奨されているのだが、 男は「のぼる」側から…彼にとって右手側から下ってきている。 僕はお行儀よく通路の左手側を歩いていたから、 つまり二人のどちらかが避けなければならない。 絶対に避けたくねーと思ってそのまま直進するも、 とろとろスマホをいじってる彼は気づきもしない。 いよいよ目の前というところまで迫って、僕は立ち止まった。 ようやく彼も目線を上げ、 目が合うとすんなり進路を譲り、去っていった。 …という一連の流れを、先輩に見られていた。 「絶対に俺はどかないっていう強い意志を感じた、 最後は避けるのかなって思ったら 立ち止まるからビックリした」 幼稚なところを見られたと恥ずかしかったが イヤア格好良かったと先輩は笑っていた。
先輩は昨日が誕生日だったから一言簡便に祝い、 それから互いに誕生日の思い出を語った。 おおよそ誕生日は 「祝われなければならない」 「いい日でないといけない」 というお膳立てがあるぶん、ブルーな事態を招きやすい。 僕の方はいろいろあるが、19歳の誕生日が思い出深い。 映画館でバイトをしていた当時、 周りは今でいう陽キャ大学生が多く、 年中飲み会を催していた。 その中にあって筆頭ともいえる遊び好きの先輩Aが、 僕の誕生日を祝う飲み会を企画してくれた。 ただ先輩Aはやや身勝手でイタイところもあり、 内心こころよく思っていない人は多かった。 それでも僕としっかり仲良くしていた先輩Bがいてくれたから まぁまぁ楽しめるだろうというつもりでいた。 当日、バイト仲間のシフトの都合上、 会は僕と先輩A、Bの三人で始まった。 1時間ほど遅れて皆がゾロゾロやってくる予定だったのだが、 それを待っている間に、先輩AとBが口争いし始めた。 理由は忘れたがかなり些細なことだった、 僕をめぐっての何かだった気がする。 口論は次第に熱を帯びて、 いよいよ手が出るかというところまでいった。 きまずさのあまり黙っていた僕も これは流石にいかんとふるい立ち なんとか場をとりなしたものの Bは怒って店を出ていってしまった。 「ちょっと追ってきます」 と言い残し僕はBを追って、 そのまま店の前で彼の話を聞いた。 何なんだよなアイツ、と憤るBを そうですねえ、そうですねえ、と僕はなだめて、 おおよそ20分ほどかけて機嫌を直してもらった。 「ごめんな。お前の誕生日なのに、雰囲気悪くして。 俺も大人気なかった。こっからは楽しもう」 「いやあ、全然。いいんですよ」 ところが待ち構えていたのは怒りのあまり震えているAだった。 「なあ、おかしくない? オレ一人でほっとかれて。 一人だから席も立てねえし。 お前らがどこ行って、いつ帰ってくるのかもわかんねえし。 電話かけても出ねえしよ。 なあ、おい、お前の誕生日祝うっつってさあ、 オレが、お前の誕生日祝うっつってさあ、 店用意してさ、 それでオレが一人でほっとかれるって、なんなの? なんかおかしくない? おかしいと思わないの?」 逐一ごもっともだった。 何よりいたたまれない。 なんて悲しいことだろうと心が痛み、 わりと心からスイマセンでしたと謝ったのだが、 Aの怒りは収まらず、机の下で僕の足を蹴った。 ここでBがまた熱を吹いた。 「いいじゃないですか別に。 こいつの誕生日会なんでしょ。 こいつが楽しむのが一番でしょ。 ちょっと待たされたくらいでなんなんすか? それで雰囲気悪くして、台無しじゃないすか。 あぁ、あぁ、スイマセンシタ。 悪かった、悪かったですよ。 もうそれでよくないすか? もうやめましょうよ」 こちらはこちらで正しいように思えた。 しかし僕は立場上、なんとも言えない。 いや、今だったらいくらでも取りなせるのだが、 未熟だった当時はなにを言ったらいいか当惑するばかりだった。 AはAで、 自分が理性的で良識のある人物だという自己認識が強いものだから、 「こいつは何も悪くないけど」 と今度は急に僕への態度を改めて、 むしろこの後輩の最大の理解者はオレだといわんばかりの 演説をふるって、Bを攻撃し出した。 僕は早くこの場を去りたかったが、 ちょうど遅れてきたバイト仲間が集まって、 険悪な空気は一度払われ、仕切り直しとなった。 Aが笑い話の調子で一連の顛末を皆に語り、 皆はBをたしなめながらも直前までの剣呑さを察知して どうにか明るい場にしようと試みたが、 結局Bは帰ってしまった。 その際僕にはこの場に居残るよう強く言い含めていたから やむなくその後もガンバッたのだが つらい会だった。 雰囲気を変えたいAが 事前に用意してきたプレゼントを取り出して それがまた 当時流行ってた小川直也のフレーズがプリントされたTシャツという めちゃくちゃ面白くないアイテムで しかしこれをトイレで来てこいという。 ただでさえつまらないのに まだぎこちない雰囲気が尾を引いていたせいもあり 案の定だだすべりした。 陽キャたちの (でもせっかくの誕生日なんだから明るいほうへもってかないと) (こいつをすべらすわけにはいかない) (的確なコメントで笑いになるはずだ) (だれか上手いこと言え、そしたら俺がつないでいく) といった高度な思惑が錯綜している 思考線みたいなものが透けて見えた。 そして結局全員押し黙るというすべりかたに決着した。 最悪な誕生日だった。
夜はこれもまた出来合いのメンチカツコロッケ。 昨日のあまりの中華くらげ、カクテキ。 いつものサラダ。 月曜夜は一週間のうちで 最も手間のかからないようにしたいのだ。 なんとはなしに見ていたグレーテルのかまど、 今回は阿美さんの台湾カステラという、 台湾でカステラ屋を個人的に営んでいる 阿美さんという方のそれを作っていた。 もう由来はどっからでもいいんだな…。 しかし台湾の市場で せっせとカステラを作り売っていく光景はよかった。 生きてる!という感じで。
雨。大雨。 世田谷区には土砂崩れの警報が出たらしい。 居住区域では水害の心配はなさそう。
昼はアラビアータ。 余ってたナスを入れ…忘れた。 このナスはもともと 「ちょっと多いけど週末のアラビに使えるな」 という目論みあって買ったものだから それを余りものとか余ってたとか表現するのは違うんだけど 余剰ナスであることには変わりない。 それを入れるつもりが、すっかり抜け落ちていた。 しかし美味かった。 ちゃんとトマトの甘みがあって。 …トマトは熱すると甘くなる、というのは誤りで、 これこれこういう成分の変化が起こり酸味が減少するから もともとの甘味が際立つのだ〜といった話を 前になんかの料理の本で読んだ。 しかし内実がどうであろうが観測者からしてみれば 味わいが甘くなったことに変わりない。 トマトを主語としたら甘くはなっていないのかもしれないが 味わいの主体を主語としたら甘くなってる。 と、思ってたので妻に話してみたら 僕と同意見だったが さらに激していた。 近頃いくつかその手のすり替えに覚えがあるらしく 苛立ちを禁じ得ないらしい。 ただこうしてみると、 文系と理系、男と女といった二項対立が見え隠れもする。 「トマトは熱したら甘くなる」 この命題へのアプローチは、それ自体は単純だけど取扱注意だ。
午後、雨が強まる一方で止む気配がない。 弱まった頃を見計らってスーパーに出向きたかったが 降雨の最中の方が客が少なくもあるからと家を出た。 途中コンビニで住民票を取得するための手続きを済ませた。 マイナンバーカードの情報を入力し、 三日ほど経ったら手続きが完了するようだ。 それ以降はコンビニで住民票を取得できるとのこと。 便利な世の中ですこと。 こんなご時世じゃなければ べつに多少せわしかろうが区役所に行くんですが。
妻が不動産業者へのメールをしたためてくれた。 担当者にやや問題があり、 契約書および一部の資料に対しての確認事項が5点か6点ほどあった。 つっこむところをつっこんで、 それにまともな返答が返ってくるかはいささか怪しいが、 そっからさらにつっこんで…という手順を踏むつもりでいる。 是非とも電話口では僕が直接交渉してみたいところだ。 ただメールの文面においては、 妻は監査法人系コンサルに籍を置いているだけある。 指摘どころもその整理の仕方も僕よりずっと上手だ。 当人としてはエリート揃いの職場にあって 劣等感を刺激される日々なのかよく落ち込んでいるけれども 世間的に見れば十分に上等だ。
その妻の友達にある本を贈りたいと画策したのだが すでに絶版だった。 人に本を贈るのに古本というのはためらいがあるけれども 気にしないでいいんかな。 時勢柄古本屋をまわるわけにもいかないから しかたなくAmazonに頼るかもしれない。 嫌だな。 本当に嫌だ。 AmazonとGoogleと秋元康と害虫は心の底からきらいなんだ。 小粒の嫌いはもっとたくさんあるものの 巨悪でいうとこの辺が真っ先に浮かぶ。 まあ害虫は個人的に嫌いなだけだ。 あとの3つは人の世をどんどん乱し害してる。 一刻も早く歴史から消し去るべき。
夕方に 妻が腹を空かせていたからリクエストにのった。 ここ数日ニンニクが食べたくて仕方ないのだという。 そういえばエリンギを使いそこねていたと思い出し、 ニンニクとエリンギなら間食にしても大したカロリーじゃないしと バターソテーにした。 バターの時点でよくないかもしれないが少量なので…。 オリーブオイル一たらしに薄く切ったニンニク浮かべて揚げ焼き。 カリカリになったら今度はバターでエリンギを炒める。 ちょびっとだけ醤油を垂らしてこがす。 塩とブラックペッパーで味付け。 バター醤油てあんま好きじゃないけど おもいっきし鉄板焼き店の匂いが広がって浸れる。 ニンニクの香りも相まって。 鉄板焼きそのものよりも 鉄板焼店の匂いがホント好き。 多分幼少期の思い出とかが刺激されてる。
夕飯は刺し身にした。 中トロ。 だけだと寂しいかと思い、ハモの切り身。 だけだと寂しいかと思い、カクテキ。 だけだと寂しいかと思い、中華くらげ。 これに味噌汁とサラダだから、なんだかんだでごちそうになる… 中トロがぶっちぎりで美味かった。
『三体』読み終えた勢いで 『度胸星』を読み直した。いっきに。 すさまじい面白さ。 四冊しかないのにこれだけ面白くていいのか。 訓練パートもテセラックパートも両方好き。 続きを望む声が今もあるけれど これはもうここまででもいいんじゃないかって思う。 だってここまででも面白すぎるから…。
今日は一日涼しく、 日が落ちてからは寒いほどで、 8月も半ばなのに秋の風情が味わえるとはと感動した。 あっついのも好きだけど まだ夏が続いていくさなかに こうやって別の季節の風味を味わえるのはお得。 まるで箸休め。 窓から入る風も秋、鈴虫の声音も秋。 これで数日後にはまた暑い暑いといってヒイヒイできるのだろ。 お得だ…。
で7時前に目が覚めてしまうっていう。 早起き健康スバラシーって思う一方で、 寝たのは2時半くらいだから単純に睡眠時間足りてない。 これで昼寝ができればいいのかもしれないけど 眠気だけあってなかなか仮眠もとれず面白くない。 でもショートスリーパーさんたちは 毎日睡眠時間2時間とか3時間とかなんでしょう、 うちの母親も単に不眠症で 何年間も毎日2時間くらいしか寝てなかったらしい。 休みとなれば昼まで寝ていたころが懐かしい。
昨晩から強い雨。 九州では災害が心配されている。 広島に住む妻の祖父母が心配されたが 広島市はまだマシなようだ。 夜に電話をかけることにした。
昼飯は焼きそば。 ただでさえハイカロリーの要注意飯だが 毎回妻のおねだりに従い渋々天かすを入れてしまう。 うちではフライパンを二つに分けて… という調理法は一度ここに記したか。 一度書いてりゃあいいよな。 毎度毎度どう調理してるか書く労力もばかにならねえ。
何ヵ月ぶりかに実家に行った。 バスで一本、自転車で50分ほどの距離に位置しており 月に一度は帰ってたわけですが コロナ禍では控えざるを得ない。 ただ今日は、実家に届いている書類を回収する目当てがあり、 さらに数か月分の金を置いていきたいのと、 ついでに親が留守なのだ。 本来は顔見せ自体が目的にもなろうが この時期ばっかりは会わない方が都合いい。 小雨の時間帯をねらって傘をさしたまま ゆっくり自転車を進ませるのは体力を使う。 足への負担が高くなるが これはこれでちょうどいい運動になる。 さて家に着き鍵を開け手を洗い、 リビングで必要書類を取り出し どうせならここで書いてしまえと筆を走らせているところで、 トイレから出てきた次兄と目が合った。 次兄は実家暮らしで、僕とは全く仲悪くないが、 お互い無駄口を利くことはない。 挨拶もしない。 このときも目を合わせた一瞬後には無言で去っていった。 それは別にいいのだが、 相手の目線に立ってみると、だいぶ怖かったように思える。 なにしろ今日僕が実家へ寄ることは伝えてないし、 母が留守だから今日は家に一人の休日かーと のんびりトイレに入ってるところへ、 玄関を開け無言でリビングに立ち行く物音…。 トイレ出たくねえー。 と思った。自分だったら。 しかし目が合ったっつってもあんな一瞬で 僕はマスクしっぱなしだったし 椅子に座ってたから背格好もわからなかったろうし ちゃんと自分の弟であることは視認できたんだろうか。 あの次兄は不審者が家に入り込んでても放置してそうなフシすらある。 僕よりずっと立派に社会人してるはずではあるんだけど。
帰りものんびり自転車を走らせた。 なにしろ安全第一だ。 片手に傘を構えたままじゃ自分が事故に遭いやすいのは勿論 油断したら通行人にも不安を与えてしまう。 事故にならなくても 相手に不安を与えた時点でダメなので。 ことさらに人通りが少なく道幅が広い路地を選んで ゆっくり帰りました。
野方の外れに数ヶ月前開店した洋菓子店、 折悪しくオープン直後に緊急事態宣言が発令してしまい 休業状態にあったけれど 今日よぎったら開いてたからシュークリームを買った。 2コで840円。 手痛い出費ではある…本が一冊買える… でもシュークリームは勉強にもなるから…と自分を納得させて買った。
夕飯はラタトゥイユ。 といってもほぼ余りものでやったから ナスはあってもズッキーニはない。 ニンジンだけ先に雪平鍋にトマト缶半量で煮ておき フライパンの方ではオリーブオイルでニンニク熱したら 玉ねぎ大の半量を切って投入、熱が通ったら鍋の方に入れて 今度はパプリカを炒めてやはり熱が通ったら鍋へ、 最後にナスを炒めて鍋に入れて塩とブラックペッパーで味付けて終わり。 薄味。ニンニクと野菜のうまみでしっかり味わえる。 いつも鶏肉足しちゃったり 美味かった。
夕飯作りながら つけっぱなしにしてたテレビで ミーシャが歌ってて あぁもう全然好きじゃねえなあと思った。 いや好きであった時期があるわけではないのだけど 本当に歌が上手い人だナーとほれぼれするところがあって この前のオリンピコー開会式でも おぉこの人の歌声の君が代聴きたいぜ と思ってちゃんと聴いたのだけど これが全然響かなかった。 なんというか こっちは うまーいって感心したいのじゃなくって すごーいって感動したいのだ。 あの場がまさにそう再認識せざるを得ない 表面的な演芸に終始していたから拍車かかった。 世界に通用するとかどうでもいいし、 そんな評価基準をブッとばす新奇さ、 言語表現の追いつかないすさまじさ、 を 求めてる。 って多いんじゃないですか。 僕はそうだ。
夕飯後、妻が彼女の祖父母へ…というか祖母へ 電話をかけている間に洗いものを済ませ、 遅れて電話口に登場しようかと構えていたら あっさり通話を切ってしまっていた。 住まいのあたりはあまり心配なさそうらしい。 避難経路も把握しているようだ。 足が悪いようだから心配なのだけど。
シュークリームめちゃんこ美味しかった。 クリームが、なんだこれは、黒蜜?を含んでいるのか、 濃厚なんだけどしつこくなくて、 甘みが口内でしっとりふくらむ感じ。 再現できる気はしない。 参考になるようなならないような。 まあ再現できないからって勉強にならないわけじゃないからな。 840円の価値は十分にあった。
満を持して、三体の最終巻を読んだ。 読み切った…。 読み切るのが惜しかったけど結末まで辿り着いてしまった。 結末まで辿り着いてしまった。 結末まで辿り着いてしまった感に支配されて 結末まで辿り着いてしまったとしか言えなくなってる。
クライマックス読みながらほんの一瞬だけ、 宇宙という極大マクロのスケールと 自分という極小ミクロのスケールの対比が 経験的に実感できる感覚を味わえて それだけでもこの長い物語を追ってきた甲斐があった。 もう読み直しても実感はできない。 ただ実感した瞬間の記憶を掘り返すことはできる。 恐怖中の恐怖。 たまに思い返してゾッとしよ。
2021年08月13日(金) |
ひろゆき=パリストン説 |
小雨。 傘を差さずに済む程度。
電車内に母親と娘二人の三人組。 まだ園児とみられる娘二人はお行儀良かったが 20代半ばひょっとすると前半と思しき母親は マスクをずらして鼻を露出させたまま喋りっぱなしで参った。 でもあれ自分以外の全員がきちんとマスク装着してたら だいたい成立しちゃうんだよな。 いや厳密にはしないけど、言い分の余地は発生する。 彼女の中では彼女は正しい。
弁当は定番。ひき肉とナスの豆板醤炒め。 今回は牛豚の合い挽き肉にした。 ちょっとだけマンネリ回避。 まー豚肉のみのが美味しいかな…。 本当は豚肉赤身が望ましいのだけど 1パック量が多いんだよな。 一回で使い切れない。 挽肉は開けたら即使い切りたいし。 でも引っ越したら食材の事情がガラッと変わってくる。 これまで長年使ってきた冷蔵庫は、 ほとんど一人暮らし用といえるサイズで、 二人暮らしでも困りはしないけれど 毎日欠かさず毎食自炊してる身としては かなり小さい…ようだ、世間的には。 だから買い出しの頻度が高い。 買う、使う、のサイクルが早い。 これはこれで利点もあった。 ほとんど常に鮮度が落ちないし、 献立をその日の気分で変えやすい。 今後は買いだめができるようになるから、 食材の確保はしやすい一方で、 買ってから時間が経ってるとか 事前に一週間分の献立組み立てておかなきゃとか、 面倒も増える。 でもきっと支出は抑えられる。 一長一短だなあ。 いやまあ三長一短くらいにはなるかな。
『セクシー田中さん』4巻読んだ。 業務中あやうく泣きそうになった。 サードプレイスってこういうことだよなあ。 田中さんには居場所がある、っていう現在が 絵でひと目で表されていてグッとくる。 というかもはや田中さんが何してても感動しがち。 なお業務中というのはそういう仕事なだけで マンガ読んでサボってるというわけではないです。
桜井のりおの 『ロロッロ!』読んだ。2巻まで。すごい面白い。 僕ヤバだけでもギャグが面白いのわかるけど 1話ごとの構成も上手いしネタも豊富で圧巻。 シモネタギャグ漫画の完成版という感じ。 『みつどもえ』も読みたくなるな。 …みつどもえだっけ?
僕ヤバは更新されるたびに Twitter上で話題になっていて あれちょっと気持ち悪い。 陰キャ界の陽キャな立ち位置というか。
スクールカーストの上位って スタイリッシュで 発言力があって 取り巻きがいて 流行を抑えててたまには流行の発信者でもあって、 そういった 「正しい強さ」 みたいな価値観の体現者に対して 「そうじゃない自分」 という認識をTwitter上ではカウンター的に価値化していて、 社会的に適応されていない自分像というのを うまく言語化したり戯画化したりするほど この界隈では人気が得られる構図があって、 それが行き着くとこまで行き着くと結局は その界隈において スタイリッシュで 発言力があって 取り巻きがいて 流行を抑えててたまには流行の発信者でもあって、 ていう 新生の 「正しい強さ」 の体現者がもてはやされる、 このお生憎。
僕ヤバ の話題大好きなファンはそういうとこある。 わかってますよ、的な。 これの良さがわかる人間だけでつるみましょう、 言語感覚をともにしましょう、 おれたち流行最先端… みたいな… オエー きもちわる
いや言い過ぎか。 陰キャ界の陽キャみたいな人たちの気持ち悪さというのはある。 でも僕ヤバをこれみよがしに話題にするファンたちに対しては、 別に責め立てることもない…ただ個人的に ちょっとオエッてなっった瞬間があった。
Twitterの使い方、それこそ誰にとっても自由なはずだけど、 正誤じゃなく好悪の問題で、 よそから話題ひっぱってきて語りがちな手合は好かない。 政治話も芸能話もアニメ話も ニュースのたぐいへのコメント、意見も おおよそ自分自身に主題がないから 外部から引っ張ってきている、 そういう印象が強い。 見ていて痛々しいし、恥ずかしい。 「〜なう。」 って構文はよくできていた。 あれは 今その時を生きている自分 についての声明だったから。
まとめサイト、Twitterにおける ひろゆきの人気について。 ここでいう人気というのは話題性の意で、 批判や嘲笑、中傷も含む。 この男はやはり特異な、面白い人物なのだと思う。 本人の言動そのものの面白さよりも その類まれな立ち位置、キャラクターに興味がある。 もともと、彼自身がまさに 2ちゃんねるを体現したような男で、 その相似性が興味深かった。 一方で近年、メディアへの露出が増え、 SNS上で議論の真似事が取り沙汰されるようになると、 それは従来の2ちゃんねる的イメージから離れてしまった気がした。 個が際立ちすぎて、匿名性の特質が剥落していたからだ。 しかしここでパリストン。 ハンターハンターのパリストンにご登場いただく。 このキャラは作中で当初、 面倒くさい嫌なやつ。という立ち位置で現れて、 そこからドンドン複雑さを増していき 既存のキャラクター像にはない怪奇さで 読者を戸惑わせていった。 結局のところ彼は、 利益や善悪の追求といった目的なしに、 ただ場をひっかきまわしたい奴、 という位置づけで認識される(本当はもっと複雑だけど)。 そう、ひろゆきはパリストンなのだ。 自己顕示欲とか自己評価とか自己肯定感とか、 そうした流行り言葉を全く寄せ付けない。 論破というのも周囲が引っ付けたアイコンで、 実際は議論の勝ち負けを目的とせず、 ただ場を引っかき回したいだけ。 自分がどう思われるか、評価されるかはどうでもいい。 それは個の喪失でもあって、無敵だ。 こんな相手をどう扱えばいいのかといえば、 それもまたまさしく、2ちゃんねるにおける常道だ。 つまり、「荒らしはスルー」するのが一番である…のだが、 なにぶん当人がそこんとこをの霊妙を心得ていて、 なるべく火種を振りまきやすい センセーショナルな言説を振りかざすものだから、 周りが黙っていない。 マスコミの醜悪な部分を特化させた性格を持つ まとめサイト、アフィサイトのたぐいが それをまた煽るものだから、 多くの人が釣られる。 釣られている面々は議論しているつもりで、 その実メタな視点からは議論される対象にしか なりえていない。 まだまだ日本のインターネットが、 ひろゆきの掌から逃れられてない感じがする。
ただ僕は支持者でもなんでもないので、 ひろゆきの発言をしっかり追っかけたこともないし、 実態とのズレは大きいかもしれない。 でもひろゆき=パリストンには自信ありだ。 確信と言っていい。
夕飯はアジの干物。 それだけだと妻が泣くから 昨日余しておいた唐揚げを添えた。 唐揚げうっまあ… アジも美味かった。 魚焼きグリルは通さない。 フライパンにうすく水を張って くつくつ煮立たせるだけ。 ふっくら美味しい。
明日は予定がなんにもない。 朝ねまくってもいい。 でもなんか起きちゃうのだ、ここ一年くらい。 何時に寝ようが、7時かそこらに。 久しぶりに10時くらいまで寝てみたいもんだとも思う。
2021年08月12日(木) |
天使の遅延証明(後編) |
曇り。 朝の時点で、今日はあまり暑くない。 電車は空いていた。 コロナ患者急増中の事情もあり、お盆期間でもあり、 本当ならもっと少なくてもいいはずだが、そううまくはいかないか…
業務中なんかまたアホからアホアホ対応取られた。 依頼主から送られてくる書類をもとに 社内データベースに数値などを打ち込んで情報を照会し、 その結果によって 作業したりしなかったり…といった業務があるのだけども、 書類上にこれまで確認が不要とされていた項目があり、 ある二欄が空白の場合には、 他の情報が作成条件に合致しても、 作業不要となる…という特殊ルールが今日判明した。 それ自体はどうでもよくて、 しかし見逃しがちな項目だから 気をつけましょうねで済ませず、 データベースにそのチェック項目を組み込むか、 または作業するたびに記入している伝票に記載された チェック項目一覧に今回の件を足すか、 どちらかはした方がいいですよねと無能に提言したところ、 ウーン というアホアホな答え。 データベースの方も伝票の方も、 ちょうど数年に一度の更新期を迎え、 各種の書き換えをしているタイミングでもある。 ただ、そうとはいえ見えない事情もありうるから、 却下なら却下でいいのだが、 ウーン から先何も言わない。これがアホだ。 無能さにもいろいろあるが 即座に方針を指し示せない無能さはとことん上には向かない。 即座というほどでもないしな…。 猶予を与えたところで無為に時間が過ぎていく。 同じことを言い回しだけ変えて二度三度伝えて、 あなたのターンですよ、 という調子を言葉尻に込めてやってもこれという返事がない。 もうあんまり呆れ返ってしまい、その場を離れた。 こうしてバカの介護をしているのだが、 今のカイシャとしては、残業をいとわない彼のほうがその一点で 上に立つ適正アリなのだ。 別に、アホでも無能でも上に立っててくれていいんだけど。 何だかんだのしわよせで、将来的にしなくてもいい残業に結びつく、 そういう結果がもたらされるのだけ納得いかない。
妻用の弁当は鶏団子。 醤油黒酢の味付け。 僕の方はインドカレーをナンでいただいた。 ワクチン接種二回目から9日が経つ。 病院では、 およそ1週間から10日で効果が期待できる、 という話を看護師さんから聞いた。 まだ油断はできないが、 換気しっぱなしの客の少ない店で 一人さっさと平らげる分には、そう問題ないだろう。
ナンチャッテではない チャントした唐揚げをいっぺん作ってみたい、 つくらねばならぬ、やり遂げる、 そう思い着手した。 とはいえやはり、そう手間のかかるものでもない。 下味をつけて 衣をつけて 二度揚げする、 つけダレを用意する。 せいぜいこんなものだ。 本当は高級めなブランド鶏肉買いたかったけど スーパーでは売り切れてた。 下味は 醤油みりん塩コショウ練り生姜チューブニンニク。 いつも通りだ。スパイスでも加えりゃあよかったかな。 さて揚げ油は いつもフライパンにやや浮く程度の量しか注いでないが 今日ばっかりはナミナミと… ちゃんと肉全体が浸る量を入れた。 この油は再利用しないからもったいないが… 値段でいえば、2リットル250円のキャノーラ油の、 500ml分にあたる50円分ほど。 これをケチっても20円分はかかるのだから わずか30円で唐揚げの本気が買えるならまぁいいだろう。 汁気をよくふき取った鶏肉に片栗粉を遠慮なくまぶして さらに薄力粉もかけて煮えたぎる油に投入。 3分揚げて 3分休ませたあと、 40秒揚げる。 つけだれは酢漬けの玉ねぎに黒酢とハチミツ加えた汁に ごま油で炒めたニンニクみじん切りを加えたもの。 さてお味は… うん美味い… とても美味い…が… ナンチャッテ唐揚げとほとんど変わらない。 こっから改良の余地あるのか?
荻窪の住居、審査通っちゃったらしい。 緊急連絡先の件があったから 落とされてもおかしくないと思われたけど… あぁ本当にあそこに住むのか… 不安だな…
以下、昨日の続き。
[天使の遅延証明](2/2)
兄は日に何度も少年の部屋を訪れるようなった。あるときは毒づき、あるときは口も開かず、部屋部屋を行ったり来たりしていた。ろくに足の踏み場もなかった少年の部屋には道ができた。少年はたびたび棚に積まれた本やら紙類を置き散らして道をふさいだ。何度ふさいでもすぐに道ができていた。 やたら自分の死について語りたがる兄の本心は読めなかった。だいたいいつも少年にとっては明け透けだった兄を、これまで脅威に感じたことはない。 「なんで生まれたところに戻っちゃうんだろうな。これ、要はロスタイムだろ。8分間だけだって、もうちょっと他に、やっておきたいことありそうなもんだ」 「さんざんシーウィーンで語られてたじゃない。まず僕が立てて見たその仮説からして、信じられるかあやしいもんだって」 「いやあ、でも、俺、なんか実感してるよ。9月末のその日に俺が…んだら、たぶん、俺が産まれ落ちたところに戻るって、なんとなくわかる」 「8分間でしたいことがあるの」 「あるような、ないような」 そこいらにある書類を手すさびに折ったりつついたり弾いたりしている兄を見て少年は違和感をもった。自分も同じ動作を試してみたが数秒も続かなかった。兄の視線に射抜かれている。 「お前さ、ほんとに天使、いると思う?」 「いないよ。あのグラフに絵みたいな図が出るから、勝手にそこに意味を見出して、それを天使って呼びならわしてるだけなんだから」 兄は顔からはみ出るほど口を横へ広げて、 「俺が…ぬとなったら、試してみるか。天使に抵抗してみる。あいつらが俺を連れていくつもりならな」 そう言って書類をにぎりつぶした。
兄の死に様は、常日頃まず動じることのない少年でさえも震え上がる奇景ぶりだった。兄は体育館内の側面に設置された中二階から柵を越えて転落し、真下にあった低鉄棒に直撃した。落下の瞬間を目撃した者はいない。中二階はたいした高さではなく、衝突音も振動も館内にいた他の生徒の活気にかき消される程度のものだった。しかし脛骨を打った勢いで体が半回転し、前頭部を床に打ちつけて、頭蓋内損傷により敢無く死亡した。転落は事故であったと見られている。文化祭に向けて体育館内の飾りつけを下調べしていたところ、柵から強引に身を乗り出した拍子に血流が圧迫され急性心不全が起こり、バランスを崩した…。 少年には信じがたい顛末だった。なにしろあれだけ10月22日を取り沙汰していたのに、まさかその当日に柵から身を乗り出すなんて真似をするだろうか。とはいえ自ら飛び降りるなら一も二もなく屋上を選ぶだろう。やはり事故は事故なのかもしれない。不可解なのは遺体の体勢だった。下半身は側面を向き、ゆるく曲げられた左足の上にぴったり右足が重なっていた。上半身は仰臥位で、両手がそれぞれ胴体の横にふっくらした楕円を描くように広げられ、腰元に指先が接していた。誰かの悪ふざけとしか思えないほど出来すぎていた。兄は一枚の羽根になっていた。 少年は事故現場を直接見てはいない。ただ現場に居合わせた一人が事故直後に撮った写真が出回っていると聞き及び、抗議するという名目で、何人かを通して見せてもらったのだった。 兄の死の情報をグラフには仕立てなかった。少年はなけなしの優しさをしぼりあげ、悲しみに明け暮れる父母に寄り添った。
以来、少年は明るくなった。人という人を小ばかにしたかつての悪態はなりを潜め、悪趣味はすっかり洗い落とされたようだった。部屋中にあふれかえっていたノートやバインダーの類はことごとく処分した。父母との会話が増えた。母とは近所の花々を網羅した図鑑を一緒に作成した。父とは週に一度将棋を指すようになった。 少年とは対照的に教師は軽薄さを失い、押し黙りながら今にも叫びだしそうな不穏さを漂わせていた。伏し目がちなその目は角度によっては凍てついて、何かを隠しているような寒色を瞳際に沈めながら、また角度によってはぎらついて、何かを暴き立てようとしているような熱気が眼球中にみなぎり、老若問わず誰をも寄せつけなかった。 少年は教師との付き合いを再開できないか機を伺っていた。ちょっといいですか、と話しかけても一瞥くれるだけで無視される変事が二度あった。そのまま冬休みを迎え、年が明けた三学期、教師は学校にこなかった。
それきり音信が途絶えていた教師からの連絡を受け取ったのは少年の母だった。電話口で名乗られてすぐに彼女は、あの頃は息子たちがお世話になりましたと礼を述べた。 互いに挨拶を重ね、電話を切ろうとしたところで息子が帰宅した。 かつて青白い少年だった彼も今は溌溂とした青年となっていた。 あの事故から十年の月日が経っていた。
はじめ教師は久しぶりに家を訪ねたいと提案してきたが、それはなるべく避けたいと答えると、では小学校近くの公園にしようと申し出を改めた。電話を通じて聞こえる声からは、あの頃の怖ろしいような雰囲気は感じられなかった。 「先生はいつでもいいんだが。明日でも明後日でも」 「今日これからでもいいですか?」 「おおっ、いいぞいいぞ。ちょっと遅くなるけどな」 彼は青年になった今も、特定の日付に意味を与えられることを忌避していた。その強迫観念は年月とともに薄れてきているものの、あの事故を想起させる関係にある人と、約束の日を取り付けたくはない。
十年ぶりの再会したというのに、教師はほとんど前置きもなく、問わず語りにあれからの身の上話を始めた。 …当時確かに自分は正気を失っていた。しかしそれは事故の一件だけが原因ではない。当時複雑な関係にあった女性の身にも時期を同じくして不幸があった。なにか人知の及ばぬ呪われた因縁を感じ、職も住まいも捨てて失踪した。親戚を頼ることもなく、日雇いでどうにか食いつなぎながら地を這い泥水をすする思いで生きながらえてきた。紆余曲折を経て、去年ようやく会社勤務の働き口を得た。ある同僚と世間話をしていると、都市伝説の一環として”天使の遅延証明”を紹介された。思いの外平静に受け流すことができた自分に驚き、もはやあの日を過去にできていると自覚した途端、当時縁のあった面々に会いたくなって、連絡網を引っ張り出し電話をかけた… 「先週は、その、付き合いのあった女性の地元に行ったんだよ。案外歓迎されて、びっくりしたな」 「僕も歓迎しますよ。お帰りなさい。先生」 「もう先生じゃないよ」 月明りに乏しい夜だった。雲の隙間から僅かにこぼれた月光が蛍光灯の照射と混じり合い、土に残った子どもの足跡を照らしている。雲の挙動によっては光の粒子がちらつき、土埃の身元を照会して、あたかも夜空が昼間の痕跡を見張っているようだった。二人はベンチに座り、当時にはなかった親密さで思い出を語りながら、お互いに本題を探っているらしき気配を感じ取っていた。 思い出話は時系列に沿って進み、やがて事故の日に近づくと、元教師の目が、いつかのようにぎらついた。その瞳にただよう鈍光に堪えかね、本題は青年のほうから切り出した。 「先生は何か、知っていたんですよね。兄が、初めて自分の死を口にしたとき、僕は馬鹿にしたけれど、その後二人で数分抜け出しましたよね」 「うん。口止めされてたわけじゃないが、でもやっぱりこれは口外すべきじゃないと思ってね」 どのように口を割らそうか奸計を巡らすまでもなく、元教師はあっさり白状した。 「"天使の遅延証明"を本当に信じてるかどうかって、訊かれたよ。真面目な顔つきだった。私は信じていると答えた。彼は真面目な顔を奇妙に歪ませて、こう言った。 『生きていることに意味を見出せなくても、死に意味を与えてやることはできる』」 箴言じみた文句の意を読み取るより先に、兄にとってそんなに人生は無味乾燥なものだったのかという、ぼんやりした衝撃があった。兄の言動一つ一つを思い返して検証したくもなった。 「その時は、自分を対象にした言葉なのかどうか、わからんかった。今もわからんけどな」 「あれでけっこう思い悩むタイプだったんですよ。中学の頃は家出とかして」 「悩みね…たしかにあいつは、悩んでいた」 「僕が原因でしたか?」 不穏な沈黙があった。意味の込められた沈黙だった。 「きみは賢い。私はね、いつも通知表の書き方に悩んだよ。明らかに問題はあるのに指摘できなくて」 「兄は、僕の理論が嫌いだったんじゃないですか? 僕はあれ以来、あのサイトを見てません。でも確信していることがあります。兄の死期を明かすこととなったシーウィーの発信者が誰か。はじめは特定しようともしませんでした。でもふいに閃いた。ほんの思いつきです。人に伝わるような根拠はないけれど、なんとなくわかる。兄が取り憑かれた理論の提唱者は、兄自身ですね」 つい今しがたの沈黙とはまた異なる、閉じ込められていた意味をあたりへ拡散させたようなこの沈黙は騒がしかった。二人は目を合わせず会話していた。しかし今、二人の視線の先は交差していた。 「あの夏の終わり…秋の始まりにかけてまでか。あのひと月は楽しかった。いつ思い返しても愉快になれる記憶を量産してるって、当時は思ってたよ。そんな自慢の記憶にまもなく蓋をするなんて見越せようはずもない。でもお兄さんにとっては…違ったんだろう。きみの思いつきについてはなんとも言えない。はぐらかしてるって思うだろうが、私もこれで…」 「僕、兄ちゃんはまだ生きてるって、たまに考えるんですよ」 この公園は新しくもなく、広くもなく、遊具も揃っていない。その割には子どもで賑わうらしく、昼間彼らがどれだけ楽しんでいたか、あちこちにその証が残っている。植木の脇に置かれたサッカーボールはきっとこの公園を利用する子ども全員の共有物で、また明日も使うからと放置しているのだろう。幼い彼らはその明日を全く疑っていない。 「兄ちゃんは天使を騙してやろうとした…。今もしてるんですよ。死んだふりをして確かめるつもりなんだ。僕たちも全員騙されてて、あいつ、本当は生きてるのに…。なんて、こんな風に考えたって、あれでしょう、死んだ者は返ってこないっていうでしょう。起きた過去は変えられませんからね。でも過去の意味を変えることはできるはずです」 「過去の意味ね。難しいことを言う」 「兄のほうがよっぽど、難しいこと言ってたそうじゃないですか」 「知ってるか。シーウィーンが閉鎖するらしい」 むしろまだ存続していたのかと意表を突かれた彼の反応を待たず、元教師は畳み掛けた。 「あの頃、たくさんの人の死亡時刻やら場所やらから、例のグラフをこさえていったよな。ていっても情報の出所があそこじゃ信憑性がない、結局は、半信半疑だった。なあ、"天使の遅延証明"について話した同僚がいると言ったろ。そいつは否定派でね。つい最近親戚の最期を看取ったとかで、まぁ細かい経緯は知らんが、算出してみたそうなんだよ」 「合わなかった?」 「そうだ。合わなかった」 「はあ、まあ、でしょうね。やっぱりなんかの勘違いだったんですね。結局、事実関係をオカルトにこじつけただけだった。小さい頃にありがちな牽強付会だったわけだ」 「小さかったのはきみだけだろ」 「あの頃の僕からしてみても、二人は幼かったですよ」 「はは、懐かしい舌先じゃないか。しかしまあ気になっちゃってな。その後すぐ、自分でもしっかり確かめてみることにした。個人的に懇意にしている病院の事務員にねだって、十数年分のそういったデータを手配してもらったんだ」 「はあ、まあ、昔から見抜いてましたよ。先生は小悪党を手なずけるフェロモンを発してるって」 「するとどうだ。きみのお兄さんのあの日を境にして、これより以前は、ちゃんと羽根が現れるんだよ。そして、これより以後は…」 「羽根が現れない?」 「そうだ。だから、天使はもう遅れてこない。きみのお兄さんは、どういうわけなんだか、人が死んでからの猶予を奪ったんだなあ」 月が雲に隠れようと公園の明度に変わりはないが、あやういところで鬩ぎ合っていた光の均衡が崩れると、園内の事物はことごとく生気を失くした。ゴミ箱の近くに横たわったジュース缶はアルミ製の円柱に過ぎず、砂場のある隆起ある陥没はたまたまそうなった地形でしかない。サッカーボールはただの白黒の球だった。家々に挟まれた狭い路地へ大型車両が侵入したついでに、ヘッドライトの光線が園内をゆっくり一閃していった。低木から一匹の小動物が暗闇へ走り去り、ビニール袋が中空を舞って、静かに落ちていった。 二人の目が合った。 「いや、いや。それはおかしい。遅れてこないっていうんなら、じゃあ、死亡時刻と同時に羽根が現れるはずだ」 「ん? そうか? そうなるか。たしかにそうだな」 「呑み込めてきた。あぁなるほど、そうだ、とんでもないな! 先生、だからね、つまり……。8分じゃなくて、きっと、もっとずっと延びたんですよ」 「猶予が?」 「そうですよ! 8時間? 8日? 8年?」 「今も逃げ延びているとでも?」 「天使は遅れてこないどころじゃない。遅れっぱなしなんです」 昼間の足跡をせいいっぱい隠すようにビニール袋は横たわり、表面に付着した水分が、蛍光灯の光をきらきら反射させていた。光の粒子が水気から立ち上がって、ほんのわずか、上か下か、右か左か、進路に惑うそぶりを見せてから、表面を滑落していった。どこから来たものか自身にも知れない水滴はこの夜長い旅を経て、昼間の名残りを濡らした。 「先生。だからその…女性も」 「もう先生じゃない」 「でも、今なら、ちゃんと僕への通知表が書けるんじゃないですか」 その賢立てに元教師は、いかにも悔しげに笑った。 「自由研究が完成したな」
こうしてかつて少年であった彼は、兄の死に意味を与えてやれた。 天使は実在するかもしれないし、実在しないかもしれない。そのどちらも同じ意味に変革してやった兄と兄の死を、今ではひそかに誇りにしている。
(おわり)
2021年08月11日(水) |
天使の遅延証明(前編) |
晴れ。 この後数日は雨が続くようだ。 出勤時間中に十数分でも降られたらアウトだから 平日の布団洗濯は慎重に日を選ばなければならない。 予報に寄ると今日は通り雨の心配もそうなさそうだからと、 なんとか布団を洗濯して干した。 気持ちいい…。
弁当はナシゴレン。 炒めてソース絡ませるだけでできる横着版。 具もネギだけ。 あと目玉焼きのっけた。ごま油で焼いた。
ヤングガンガンコミックス、 『地獄の教頭』を読んだ。 つ、つつつつまらない…。 なろう系というのか ざまぁ系というのか 拍手喝采コピペ系というのか 悪いやつはもっと強い悪でこらしめる! ドヤ! スカッとしてね! ていうモノスゴイ幼稚な構図で話がまとまってて 現実の善悪の複雑さとか全然出てないし (その雰囲気だけはあるのに) ちょうつまらない。 作中のブラックさというか 暴力性だとか裏社会的な凶悪さも ウシジマくんが切り拓いて整備してくれた道に 甘んじてるって印象が強く…しらける。 Quoraで勧められてたのにな… あそこ漫画がよく引き合いに出されるわりに 根っからの漫画読みはあんまいないからな…
オリンピックとコロナ。 「オリンピック強行するってことは、 国民ばっかりが自粛に応じる必要はないってことですよね!」 という アホなガキの論法が本体まかりとおるはずもないのだが、 しかしアホが多いという事実は受け入れるべきだ。 この手の身勝手な論法の厄介なところは、 見かけ上は強力な言い訳が確保される点だ。 お酒と身を許す論法に似ている。 「酔っていたから仕方ない」というやつだ。 多くの例で 「酔っていたから仕方ない、とするために酒を飲む」 この意味合いが内在しており、 自分の醜さを覆い隠す役割をうまく果たしている。 因果の逆転が完成し、 自分への言い訳が確保される。 自覚のある人間はたびたび自己嫌悪に駆られもするだろう、 自覚のない人間はただただ厄介だ。 自分への言い訳をないものとして扱う。
…ていうか世の中、 自分への言い訳に無頓着すぎやしないか? そんなに向き合いたくないのか。 ダイエット中なのに完食してしまう、 恋人がいるのに別の異性に懸想してしまう、 コロナ禍なのに外遊びしてしまう… 認知的不協和の例を持ち出すまでもなく こんな心の動きは日常にありふれていて、 そのたびにほとんど誰もが、 「でも…だから仕方ない」 と言い訳を持ち出して、自分を納得させる。 傍から見ると滑稽であるし、 自分自身もまっとうに向き合ったなら その醜さに吐き気がするやつ。 への言及を、とんと見ない。
割拠における地獄の正体、 はじめはどんなにしようかちょっと悩んだけど、 この 自分への言い訳 を採用して正解だったと思う。 まごうことなき地獄だ。
夕飯は醤油ラーメン。 暑いけど食べたかった。 生めんを茹でてメンマ入れただけ。 夕飯の記録ももう数カ月続けてるけど こうしてみるとやはり横着は多い。 残業のある月水金は帰宅が22時あたりになるから できればそっから10分くらいで食べたいんだよな。 あー疲れたっつって帰宅したそばから ノンストップで飯作ってるだけ偉いだろう。
「私デバッグが好きなんだ」 と出し抜けに妻が言い出すものだからびっくりした。 僕自身にはほぼ縁がないから実体験とはならないが、 デバッグは地獄といった声は世間に多く聞く。 あるバグを発見する、その原因を突き止める、 どうにか補修する、なぜかうまくいかない、 どうにか補修する、なぜかうまくいった、 それに連動してか今度は別のところにバグができた、 どうにか補修する、なぜか… の繰り返しで終わりが見えない。 やすやすと想像のつく苦しみだ。 だから、普段まず言わないこの言葉を吐いた。 「変わってるね」 へたしたら何十年ぶりに使ったかもしれない。
よくよく話を聞けば、 たしかにゲーム界隈だとかでのそれは怖ろしいのだろうけれども 私が触れる程度のプログラムならば問題点が明確だからそう大変じゃない、 私は問題点を明らかにするのが好きなのだ、 という話だったから納得した。
天使の遅延証明、やはりここにも残しておくことにした。 いっぺんには載せられない(enpitsuは1万字まで…)から 今日明日で分割。
[天使の遅延証明](1/2)
人が息を引き取ってから八分間はまだその人がこの世に留まっていると知れたのは、ある小学生の自由研究がきっかけだった。たいがい人さまを困らせて喜びがちな悪戯好きの同世代の少年と比べてなお、彼には素直でないところがあり…彼の母親いわく「身の毛もよだつ恥さらし」の趣味があり…その気質は夏休みの自由研究のテーマにも表れていたが、誰にも邪魔立てされぬよう、余命幾ばくもない実の祖父を対象とした死期の観察を進めていることは、彼の兄以外には知らせていなかった。 祖父は肺を病んでいた。度重なる手術に身体はすっかり弱りきり、いくつかの合併症も患っていた。少年は病名、病状から似た事例を調べあげ、細かな数字の一切を記録して、祖父の余命の期待値を計算していた。少年の立てた予定日より一日早く、祖父は息を引き取った。 往生際には是非とも立ち会っておきたかったが、大人たちの判断で少年は病院には連れて行かれず、祖父の自宅に置き去りにされていた。真夏の盛りのわずかに手前、蝉の声が幾重にも重なり合う昼日中のことだった。古い家なだけあり、風が通り過ぎるほどよく通る。生ぬるい風が吹き抜けるたび老いた匂いがした。戦前生まれの祖父にとっては文字通りの生家で、お産もここで迎えたとのことだった。 留守居を任された少年は、この上ない好機を得たつもりでせっせと記録をつけていた。写真、書類、登録証…。知りたかった祖父のデータがこれでもかと揃っている。祖父の生年月日からこの家の緯度経度まで、新たに得られた情報を片っ端からノートに書いていく。少年はまっすぐ育っているとはいい難い性情の持ち主ではあったが、真面目だった。彼なりに、真面目に自由研究に取り組んでいた。蚊に刺された腕をかくたび、汗がノートにしたたった。つい指でぬぐう。鉛筆で書かれた文字が滲んだ。こうなると消しゴムをかけるにも苦労する。もともと消しゴムは好きではなかった。あらゆる過去は修正できないものと子どもながらに信じていた。 ふいに蝉の声が止んだ。風も匂いも潜まった。聴覚が失われたような静けさに気を向けると肌感覚が鋭敏になって、背筋をぞわりと撫でられた感触がした。息を立ててはいけない。唾液は呑み込むな。鼓動を止めろ。まばたき一つでさえしてやるものか…。自分の身体の音だけは聞きとられてしまう、ただそれだけの世界に迷い込んでしまった心地だった。 蝉が鳴きはじめた。この時間を書き留めておくことにした。午後3時27分。きっと祖父は、この時間に亡くなったのだ。 ところが夜になって母に問い質してみたところ、医師の告げた臨終時刻は午後3時19分であったという。奇妙なそぐわなさがあった。どこか噛み合ってない感じがした。
「おまえ、バカ。本当に爺ちゃん死んじゃったのに、まだノート書いてんのか」 部屋で頭と鉛筆をひねっていると兄がちょっかいをかけてきた。今朝までの豪放な態度とはまるで違う。身内の死とそれに向き合う親族の感情とに接して、感傷的になっていたらしかった。 「クールでしょ」 「バカ。第一おまえ、そんないっぱい数字ばっか並べても、何がなんだかわかんないだろ」 「僕には僕のやり方があるんだよ。一流のね! いいから放っといて」 兄は一旦その場を離れてはまたやってきて、毒づいたり邪魔したりを繰り返した。慣れない感情の行き場に戸惑っていたのだった。挙句の果てには手伝わせろと迫ってきた。 「兄ちゃんがグラフにしてやるよ。お前も今のうちから、グラフ慣れしといたほうがいいぜ。この世界にはグラフにできないものなんてない。つまり、グラフは世界の全部を表現できるんだからな」 持て余した感情を、いっそ機械的な数値の処理に落とし込むことで、どうにか心理の安定を図ったものらしい。 しかし何より、あの時はただ習得したての技術を試してみたかったのだと後に兄は述懐した。 その試みは兄弟の行く末を決定づけることとなった。
兄の仕立てたグラフ上にはある図形が現れていた。 幾何学の図形ではない。一枚の羽根だった。 兄がどうした法則で数値を始末していったものか少年にはわからなかったから、はじめは兄がデタラメに絵を描いたものと見なしていた。ところが兄は深刻ぶってわなないている。 「これ、本当? 本当に、こうなるの?」 「えらいもん掘り当てちまったな」 少年は歓喜に打ち震えた。 緯度経度にせよ、時刻の数値にせよ、いずれも人間の勝手な尺度であるのだから、神の摂理には関係あるはずがない。関係あるはずがないからこそ、かえって、絶対者の悪戯めいた超越性を感じさせていたのだった。 「兄ちゃん、すごいよ。どうしてこんななるの。どうしよう」 「でもお前、よくわかんない数字が多いよ。この3時27分てなんの時間なんだ?」 「それは…」 少年は仮説を立ててみた。 祖父は息を引き取ると、その…魂というのか、霊というのか、とにかく彼そのものは…死に場所を離れて、この生家までやってきた。祖父に限らず、ひょっとすると、人は死ぬと必ず、生まれ落ちた場所に一度戻ってくるのかもしれない。 そして天使は遅れてやってくる。 死者がどこをさ迷おうが、八分遅れでやってくる… 「この羽根の絵は、天使が遅れてやってきたことの証明なんだよ」 なんてね、と繋げた弟の言い回しを兄は聞き取らず真に受けて、なにやらブツブツ呟いていた。 “シーウィーン”は小中学生を中心としたSNSで、一つの投稿に、文字、画像、映像、図像、音楽、動画を好きなようにまとめられる。ここで語られる話や情報は真偽の如何が重視されない。開設初期はそうでもなかったが、ある時期にここを発生源としたデマが爆発的に広まり、それから皆が皆好き勝手な妄想を表す場となったという歴史がある。おかげで多くの子どもが鬱憤のはけ口として活用していた。クラスメイトの悪口を書こうが、不幸を願おうが、ここに書いてあることは本当じゃないからという言い逃れがかなう分、気軽に呪えるのだった。 都市伝説や陰謀論とも相性がいい。児童の健全な人格形成を阻む有害サイトとして規制対象に挙げられる日が遠くないことは誰の目にも明らかだった。とはいえ、住人として長く留まるアカウントはわずかだった。高校生にもなれば、まだあんなところに出入りしているのかと嘲笑される、今では落ち目のサイトだった。 兄はまだシーウィーンのアカウントを保持していた。 「ちょっと信憑性を高めたいときは、検証したがる連中を刺激して反応を増やすのがコツなんだよな」 「どうするの」 「バカ正直にそのまんま書く必要はないからな。今回だったら、うちらのじいちゃんってポイントはずらせないけど、名前だけ有名人から借りちまおう。同姓同名ってことにすりゃいい。それきっかけで、調べるやつは調べる。調べだしたら、それが一歩目になる。あとは成りゆき任せだ」 ここでの投稿は“シーウィー”と呼ばれている。噂、妄想、知られざる真実、といったニュアンスを含んだネットミームとして認知されていた。兄のシーウィーは当初こそ注目されなかったが、別の人気アカウントがこの内容を剽窃し、再投稿した。シーウィーンでは日常茶飯事のことだった。これをきっかけに“天使の遅延証明”はわずかに話題になった。とはいえそれも一部の物好きが、一部の域内で一時口の端に上げていたにすぎず、やがて誰からも忘れ去られていった。
少年の自由研究は結局未完成のまま、夏休みが終わった。仮説、推論の段階で提出する気にはどうしてもなれなかった。 彼の教師はなんでもいいから提出するよう縋った。 「先生も困っちゃうんだよ。な。夏休みに食べたものとかでいいから」 「覚えてません」 「じゃあこれなら覚えてるっていう、なにか印象深い出来事はなかった?」 「おじいちゃんが八分遅れで死にました」 教師は児童たちの思考様式や生活態度に接近したいという名目で、シーウィーンに出入りしていた。ときには児童になりすまして交流を図ることすらあった。“天使の遅延証明”を知ったのはつい先週で、なかなか好奇心を突かれたが、情報源が情報源なだけに、友人や同僚には話題に挙げられずにいた。 「それ、あれだろう。あの…」 「なんですか?」 「お前だったのか?」 「あ、思い出しました。夏休みに何食べていたか全部」 「な。してるんだろ。その…研究。先生も協力してやろうか」 「結構です」 あたら遠くの方を見る落ち込み方をした教師を哀れんで、いくらかの問答ののち、結局少年は教師を一味に加えてやった。
少年の部屋はこれまでに企ててきた悪だくみの遺産にまみれていたから、いまさら今回の資料を隠す必要はなかった。もとより父母はこの部屋を気味悪がって寄り付こうともしない。少年の方では母を部屋へ誘ってみたこともある。その日の夜、夫婦は珍しく口争いをしていた。声は潜めていたものの、要するに躾がどうのといった話題に違いないと少年は確信していた。 「審美眼ていうんだよ。審美眼が連中にはない」 理解しがたい領分に歩み寄ろうともしない大人たちを少年は常日頃から蔑んでいた。だが、この部屋に入って目を輝かせている教師を見たときには、少年自慢の鉄面皮がひきつった。 そこかしこに散らばった宝物に手を伸ばそうとする教師を遮って、本命の資料を渡してやった。ところがこちらには渋い反応を見せてきたものだから、少年としては面白くない。 「なんだ、こりゃ。デタラメだよこんなの」 「もう来ないでくださいね」 「冗談、冗談だよ」 「こっちは本気ですよ」 「仲よくしよう。酒でも飲むか?」 「結構です」
だが兄の方は教師と親交を深めていた。二年分余らせた花火をいっぺんに燃え上がらせたり、バイクの貸し借りをしていたり、ことわりなく町内のそこかしこを掃き掃除したりと、友人同然の付き合いを楽しんでいた。ただしそれらは兄がシーウィーンに書き込んでいたから知れたわけで、あまりに親しい二人の仲をどこまで信じたものか少年には疑わしかった。 兄のアカウントは次第に人気を集めていった。それに伴い天使の遅延証明”は二度目の流行を迎えた。シーウィーンの外にまで周知されるようなって、いきおい死の秘密に関するシーウィーが激増した。少年は気に留めなかったが兄のほうは全てに目を通して、これはなかなか良くできているの、これはお話にならないのと一つひとつ品評していた。 そして、ある一つのシーウィーに取り憑かれた。 死期を割り出す記述だった。 「俺は死んじまう!」 「いつ? どうやって?」 「10月26日火曜日。何度計算してもそうなる…」 「今年の? もうすぐってこと? バカじゃないの」 「お前は大丈夫だ。でも俺は死んじまう」 「なに本気にしてんのさ」 「お前な、兄ちゃんだって、100%信じてるわけじゃない。でも、お前、たとえ1%でも死ぬって、ああ、1%でも死ぬって思ったら!」 兄弟の言い争いに関してはいつも微笑ましく見守っている教師が、今回ばかりは耐えかねて口を挟んだ。 「大丈夫だ。心配するな。先生がなんとかしてやるからな」 「先生ありがとう。じゃあ、ちょっと」 二人は少年を置いてどこかへ行ってしまった。よほど重大な密談でも交わしているのかと思われきや、ものの二三分で兄だけ戻ってきたものだから拍子抜けした。
(後編へ続く)
|