舌の色はピンク
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明日の健康診断に向けて 今夜21時以降は飲食を控えねばならない。 普段なら月曜は21時に退勤し帰宅後飯作って食べるのが22時を過ぎる。 今日は18時半の休憩時に食べることにした。
大ロースカツ定職ドカ食い。 しかし脂身で後半ウェップとなった。 年っすかねえ。
帰って、妻の分だけ飯を用意する。 あまりもの。筑前煮とポテサラ。 ついでにエンガワの刺身をつけてやった。
グレーテルのかまど。 渋沢栄一のオートミール。 NHKの渋沢栄一推しきっついな。 大河でやってるからって各番組でゴリ押し。
「拝金主義の人がお札になるって初めてだよね」 と妻が悪態をつく。 善導的成果については一切なかったことにして、 あえて詰って遊んでいるのだ。 渋沢栄一は毎朝決まってオートミールを食べていたらしい。 氏の生活ぶりが紹介されるごとに 「バカ舌で有名でした」 と合いの手を入れる妻。 オンラインでは許されないような中傷の数々。 僕は夕飯を済ませてきていたから 席を離れて洗いものをしていたのだが、 氏の写真が映し出されたらしい場面で 妻が ダッッッッサ!!!!! と叫ぶので笑ってしまった。 見れば、ハット帽にステッキと西洋風の出で立ち。ふざけたような蝶ネクタイ。 着る人が着れば、ひょっとすると一端の着こなしになるのかもしれないが、 氏はお世辞にもスタイルがいいとはいえず、たしかに着られているようにしか見えない。 「だからってそんな」 「だって! 見て! ださいよね、これ…うわダッッッッサ!!」
彼女は知らないが 僕の方では仕事で氏の名前は因縁があり 愉快じゃない思いをさせられてきている。 彼女の大暴れは家庭内でしか許されないし 家庭内でも褒められたものじゃないはずだが まったく胸がすく思いがした。
今はローテーブルに並んで座り TVを見ながら飯を食うのが常だが ゆくゆくはダイニングテーブルを囲み 椅子に着席して向き合う恰好で食事する生活がお望みらしい。 正確には、椅子を使わない床生活にも愛着があるそうなのだが、 たわむれに椅子生活を想像してみたところ、 どうにも家庭内不和が想起される。 90年代のドラマや邦画や漫画にありがちだった、 食卓を囲んでの カチャ…カチャ… という 沈黙の中で響く食器音。 父親が子供になにか問いかける。 そっけなく返す子ども。 教育者ぶりながら悪態をつく父親。 たしなめる母親。 逆上する父親。 的確に批点を指摘する子供。 きれる親父。 さけぶガキ。 泣きさけぶヒス女。 ちょっとステレオタイプだけど こんなんホント多かった。 舞台は決まってダイニングテーブル。
まぁこれとは逆に、 本当に仲良くて明るい、笑いの絶えない家族というのもあるだろう。 ダイニングテーブルを囲んで。 しかしこれはこれで病理だと思うのです。 個人的な見方に過ぎないけども。僻見。
月曜だからやる気なし。 まぁあんまりこう自分で 自分を下等に縛るような真似はしない方がいいんだけど 今しばらくは許してほしい月曜はやる気なし。
プリチャン、今回からセレクション。 というか再放送。 第一話。 前にも見たけど、 改めてみると第一話の時点では桃山がちゃんと人間してて、 尻込みしたりびびったり、感情がある。 それを、えもちゃんとかめが姉とかアンジュさんとかが つぎつぎに やってみなくちゃわからない、 わからなかったらやってみよう という例の呪文でけしかけて、 そうして あのモンスターができあがってしまったわけだ。 桃山というポジティブの権化めいた化物が…。
ミュークルドリーミー、まいらちゃんのお笑い回。 その時点で期待できなかったけど その通りの出来だった。 でもことこ先輩のキャラがすっかり仕上がってるな。 冷静にずれたことをいう、 または的確だけど身も蓋もないことをいう。 総じてコメント力が高い…。 かっこいい…。 ゆに様たちを除くと ことこ先輩が一番好きかも知らん。
ニチアサアニメを見ながら 本を一冊要点部分だけスキャンしてPDF化する作業をしてるんですが もう嫌気がさしてきた。 iphoneのメモアプリからスキャン機能を使って撮影。 本開いてカメラ合わせてパシャ。次へ。 どんなに手早く済ませても1ぺージあたり40秒はかかる。 で、いっぺんにファイル化していけるのは23枚分まで。 23まで到達したら、ポインタを操作してトリミングする。 処理時間合わせて1ページあたり20秒くらい。 この処理は連続して行わないと、ファイルが消失する。 で、保存する。保存まわりに確認ダイアログはないので、 操作ミス一つでファイルは消失する。 ファイル名は勝手につく。 画像(および画像内文面)と何の関係もない英単語の羅列や、 意味不明の数字の羅列で、勝手にファイル名がつく。 つかないこともある。 これらをLINEのKEEPに保存する。 保存を選ぶと何の処理時間も発生せずに「保存しました」と言ってくるが、 当然処理は完了していないし、 処理自体を実は受け付けてない、ということがたびたびある…
ということで、アホみたいな時間と手間がかかる。 ここからさらに、PDFをPC上でTIF化して レベル調整やトーンカーブ調整して傾き正してまたトリミングして… とするからマジで不毛だ。 いやメモアプリのあほさがなければまだいいのだが… しかしメモアプリは購入したものなわけでもないし デフォで入ってるアプリを使わせてもらってる身なのだから そんな文句を言うもんじゃない とアエナフは指摘する。 でもよお Appleはそういう商売してるわけだろう。 端末代とか 広告とか サービス料 などいっさいに含まれてるわけで 支払いがないから実感ないだけで こちらはコストを負担してないわけじゃない。 ガンガン文句をいっていい立場だと思う。 というかクレームしてるわけでもないしな。 独り言で罵らせてもらってるだけだ。 あほあほアプリ。
夕飯は筑前煮。 ごま油で鶏もも肉炒めて ニンジン加えて 水であく抜きしたごぼう加えて レンチンしてもどした干しシイタケ加えて 軽く茹でたこんにゃく加えて 醤油とめんつゆとみりんと酒と 干しシイタケの戻し汁加えて煮て放置、 20分くらいしたら火を止めて冷まして味をしみ込ませる。 うまかった。 あまってるポテサラとたくあんとウールガイも添えた。 わりと盛沢山。
流星ワールドアクター面白い。 でも前評判通りたしかに、個別ルートが伏線投げっぱなしで終わる。 伏線というか、事態が解決されてないままというか… 話の上では大団円て感じなんだけど これ結局問題は据え置きだよね、っていう。 でも事態が進展してる最中はずーっと面白くてすごい。 それだけに期待がすかされたような気がしてしまうのだな。 低評価もうなずけるけど… でも途中はあまりに面白い… 評価がむずかしい…
割拠に いいねがもらえた! 人形の語りのくだりだ。 ねじこんでよかった。 もともと口にしていた私論は入れたくはなかったけど 人のなかに人がいる という主題に沿うからぴったりだったんよな。 一人でもそれを面白いと思ってくれたなら励みになる。 ああ、めちゃくちゃ純粋だ。 さすがに大抵の物書きは、 1ではそうそう喜べないだろう。 この気持ちを大事にしていきたい。 10の褒められが当然になって100の讃美に慣れきって そうなったときに 1しか認められなかったとき 人はがっかりするんだと思う。 したくない。 1を大事にしたい。
内見しに行った。 結論からいえば、見送らせていただいた。
…スウェーデンハウスと謳った物件はかなり上等で、 書庫つきの書斎は壁一面の本棚が備え付けられ、 段組みもよく練られており これは収納量も使い勝手も申し分ない。 納屋は2畳ながら物置部屋としては十分。換気扇もついている。 洋室はスタンダードだったがウッドテラスに出ることができる。 日当たりも抜群で、茶菓子など用意してのんびりする分には さぞや気分がいいだろう。 2Fのリビングは窓いっぱいに太陽光を受け止めてて開放感あった。 キッチンが素晴らしい。引き出しの数、収納量が抜群。 キッチンの脇からは小さいテラスに出ることができた。 廊下を伝って寝室。ウォークインクローゼット。 全部屋エアコン付。 惜しいのは、建築物としては連棟式で独立した戸建てではないこと。 連なっているお隣には大家さんが済んでいる。 この大家さんが内見に同伴していたのだが、 なかなか好人物だった。 今年還暦を迎えるそうだが、ここまで未婚できているらしい。 福井出身で、三代遡れば御典医の家系だそうだ。 音楽きちがいらしく、CDやレコードが山積みだという。 不動産屋の方が出番なく、 物件の細かい部分の紹介のほとんどをこの壮年男性が懇切丁寧にしてくれた。 前の住人や他の内見者の情報も洗いざらい。 不動産屋の方は個人情報の取り扱いが厳しい昨今のようだから、 悪用するつもりのないこちらとしては、ただ楽しい話が聞けた。 以前はカナダ人の男性が住んでいたそうだ。 向こうの人らしく、大人数集まって 音楽爆音でかけたパーティーなんかもしてたとか。 そういう面からすると、 まだずっと常識的な範疇で生活できるはずの僕らは 気負いなく生活できるかとも思われたが、 懸念としては、本来想定していなかった三鷹であること、 好条件ではあってもガツンとくる"ときめき"が感じられなかったこと、 戸建て物件ではないこと… といった、批点というほどでもない難点があった。
内見を終えて、ルノアールで茶をしばきながら妻と相談。 かなり難しい判断であったものの、 見送ることにしたのだった。
結局引っ越しは決行せず、 今の物件をまた契約更新するかもしれない。 16万ほどフイにすることになるが、 ワクチン接種などの都合もあり、 契約更新料をケチって焦るよりはと、方針を改めた。
三鷹駅前の信号で 妻が見知らぬおばあちゃんに話しかけられた。 妻のトップスの留金が壊れているらしく ベルト仕掛けが垂れ下がっているのを指摘してくれたのだ。 「ありがとうございます。あれ、でもこれ、やりにく…」 「ふふ。彼に直してもらったら?」 「いえ。任せられないので」 「まあ! おほほほ。言われちゃったわねえ」 すごくいいおばあさんだと思った。 僕は終始アハハハと笑っていた。
帰り道、5月分の貯金を共同口座にしに行った。 550万円。 各々の口座にも十分な額はあるが、 家を買うにはまだまだこころもとない。
昼飯はぶっかけ。大根おろし付き。 アラビアータにするはずが、トマト缶がなかった。
夕飯はナシゴレン。 えびせん、トマト、リーフと目玉焼きがのる。 ついでにポテサラつくった。かぼちゃ入り。 じゃがいもレンチンしてから茹でて その間に玉ねぎを塩水に浸しておいて 20分くらい待ってじゃがいも引き上げて冷水に浸けて その間にニンジン切って玉ねぎ入れた塩水に加えて じゃがいも手で剥いてお湯に戻して かぼちゃレンチンして ベーコンオリーブオイルで炒めて じゃがいもボウルに入れてつぶして かぼちゃも加えてつぶして たまねぎの辛みが抜けないから半分はベーコンとともに炒めて オイルごとボウルに加えて キュウリ切って入れて 塩コショウマヨネーズで味整えてできあがり。 一時期ネット上で話題になってたけど ポテサラはじゅうぶん面倒な部類に入る。 なにしろメインじゃないし、 ついでに用意する惣菜ものとしては手間がかかる。 ポテサラを作る目的の献立なら面倒とは見なさないだろう。 実際に手を動かしている時間はたかが知れているし、 工数も少ない。失敗要素が少なく、簡単だ。 だが毎日料理をしていく中でポッと現れるポテサラは、面倒だ。
ヘテロトピアを投稿した企画の 企画主のアカウントがTwitter上で #私服を晒すと創作の傾向がわかる というタグで自撮り写真(顔は写してないが)を上げてて すげーがっかりした。 くだらないタグはたくさんあるし それにのっかる人を片っ端から否定したいわけでもないけど 創作は創作それ自体を目的としていてほしいのに こうやってコンテンツ化されると萎える。 まあネット上の 「創作」 って文字列自体が大分うさんくさいものであることは、 20年前から続く系譜だとも思うけど。 創作好き同士つながろう! みたいな姿勢になんら不純さを感じないほど鈍感ならば向いてないし、 不純さを感じておきながら敢えてってことなら せめてエクスキューズはかっこよくあってほしい。 屁理屈こねくりまわすでもいいから。
三体買った。買っちゃった。 冒頭、SFはお預けで文化大革命から。 4月に文革について調べてたから ちょうどいいくらいの前知識になってる。 しかしまー こっからドンドン広がってくんだろうなというスケール感を 早くもビシバシ感じさせる視角で楽しい。 怒涛の人だかりを上空から俯瞰してるような視点。 こういうのあんまり読んできてないからな。 たまにゃあいいな。
住まいと仕事の地理学、 日本における住宅ローン初期制度のとこまできた。 都市開発、都市学、まちづくり、 似たような本をたくさん読んで 同じような話をたくさん見てきて 全然覚えてないから 何度でも楽しめる。
今は 「場所」 への想念を高めていきたいのが第一だから いいのだ、覚えなくても。 そう言い聞かせている。
これも認知不協和の一種なんか…? 社会心理学講義が認知不協和理論まできた。 実験の例が多く出てくる。 正直言って信用ならない。 反論も弱いと思う。
昼はオムライス。 うまかった。 弁当にするにあたってはケチャップの水分量が難しい。 バターの加減も。 今回は割とうまくいった。 たぶん、次回にいかされもしないだろうけど…。
立川の殺傷事件、 19歳の男が風俗嬢を滅多刺しにしたやつ。 “70箇所も刺しておいて「残忍であるとはいえない」って、 どんだけ男は守られてんだ” って意味合いのツイートがプチバズッてた。 いかにもなフェミ女。 こういう考えのないやつのせいで男女の対立がむやみに深まり かえって女の立場が悪くなる。悪役だなあ。 そもそもの「残忍であるとはいえない」という言い回しにに何かひっかかるところがあり 調べてみると 元捜査一課の理事官という立場の人の発言らしい。 「19歳という年齢も鑑みると、カッとなって犯行に及んだんでしょう。 計画性があるとは思えず、残忍であるとはいえない」 これはいわゆる、法律(裁判/判例)における用語が 一般的な日本語とずれた意味合いで使われるというやつで、 ここでいう残忍でないとは「計画的でない」から導かれているだけの文言だ。 そういった事情を知らなくとも、一般的な読解力で判断できると思うけど。 あと今回、犯人が19歳少年だったというだけで、 これが19歳少女であったとしても、ほぼ同じコメントが返ってくるだろう。 少なくとも、この元理事感の発言を根拠としているのだから、 「19歳」にだけ焦点があてられるべきであって、 男か女かは(この発言には)関係ない。 結局この勘違いフェミは 「女は社会制度でも実生活でも常に危険に脅かされているし、 実際の被害にも遭っている。 男の方は女と同等の脅威にさらされておらず、 またそのことに無自覚無関心で実生活を過ごし、 その上加害者になってもなお、社会制度から守られるのか」 という非難を…あるいは問題提起をしたいのだろう。 その言い分自体はいい。 人によって是非は問われるかもしれないが、 まぁ個人的には支持してやりたいくらいだ。 だが、今回の事件および元理事官のコメント(それも切り抜きコメント)と結びつけて 自らの主張を絡ませるのは牽強付会だ。 はじめに主張があって、そこから理屈を発生させている。 これが典型的な世にいう「感情論」で、ちょっとでもものを考える人間から忌み嫌われる。 だから、本来なら最も味方にしたいはずの、 理性的で知性的な方々を敵にまわすこととなる。 そして、 理知的でない,しかし一見してみたところ理知が働いていそうな、 たちの悪い支持者を得てしまう。 その支持者は過分に(感情論的に)当該主張を賛美してしまうから 発信者にとっては気持ちいいし、 反対論者がドンドン魔物に見えてくる。 断絶が深まる。 発信者と支持者の主張は気持ちのいい輪の中で先鋭化していく。 けったくそわるいな。 本当に、こいつらはフェミニズムの敵だ。 こいつらがさえずるほど女性の立場を悪くする。
割拠、中盤を書き進めてる。 人心のために社会心理学、 場所論のためにまちづくりや都市論、 ギミックのために密教、源信あたりの仏教、 …などなどの本をじゃぶじゃぶ読み続けた成果を吐き出してる感じで すっごい楽しい。
高円寺駅前のホテルの入口に ストリートミュージシャン。 ギター一本と、よく通る歌声。 これホテル客やホテル経営側にとっては大いに迷惑だろうな。 と、思うけれども いつもの習癖で これを否定し尽くしては町が死ぬ。つまらない町になる。 しかしまたさらにその一方で、 高円寺っていう、先人たちが開拓してきてくれた土壌にのっかって そこで路上ライブするって こんにちにおいては いわばお膳立てされたお坊ちゃんに見えて あれはどうなんだろう。
この どうなんだろう は今敢えて使いました。 こういう話のとき どうなんだろう で締めるやつ、いる。 自分の言葉により発生する責任を回避しようとして でもホラ文脈からボクちんの言いたいことは伝わるでしょ… ていう汚いやり口。 すげぇだせぇぜ。 今どき高円寺で路上ライブするくらいださい。 「自分」が希薄だったり、自信がなかったり、 弱さを認めきれなかったりするのは、まあ仕方ない。 人間だ。 でもこちらがそれをだせぇと直感してしまうのも、まあ仕方ない。 直感までは制御しきれない。 どちらも褒められたもんじゃないだろう。 互いに律していこう。 なあアエナフ。
明日の内見の結果次第だけど 引っ越しの準備をとりあえず頭で進めてる。 うーん、恐怖していたほどにはつらくない…かな? もし三鷹だったら2〜3回は面倒な小物詰めてチャリで運んでもいいしな。
少女漫画読んでて思ったこと。 仁義なき婿取り読んでて、 やくざの親分が刀の鞘を掴む、 その手のアップを描いたコマがあって、 すげー上手いと感動した。 というのは、別に画力そのものの問題じゃなくて、 もしこれが写実的な絵だったら それこそ写真をトレス、 で上手な絵になっちゃうんだけど、 このたびは少女漫画のタッチで描いた手が しっかり鞘を握っている。 これは完全なるフィクションを描いてるわけで、 まぁ単純な話なんだけどスゲーと思った。
高円寺の路上ライブ、について追記。 なんか突発的に町で音楽やりたくなったから高円寺来たぜ、 弾くぜ、歌うぜ、 ていう、 いわば酔っ払い的な犯行はいいと思う。 酒が入ってる必要はないですが。 夢を背負って!とか あなたに聞かせたい歌が!とか そういうなまぬるい体温じゃなしに ただ純粋に 目的なしにやってきた人というのは なんとなくすぐわかる。 あれは気分がいい。
久しぶりに駅前で 臨時の雇われがモンスターエナジーを配っていた。 企業戦略に与することはどんな言い訳をたてようと屈したも同然だから 本当は無視するべきであるのについ受け取ってしまう。 会社で飲む。ねるねるねるねの味がする。 偏差値がだだ下がりするような不健康な甘さ。 快楽的。 子供向け。
一時期ジャンクな食べ物が大きらいになって カップ麺やスナック菓子を受け付けられなくなった。 今でもカップ麺は避けたい(でも年に一回くらい食べたくなる)けど わかりやすい糖分とか脂質とか炭水化物、 化けものじみた糖質のたぐいはストレスあると悪魔的訴求力を発する。 自分への理由付けにもなるし。 「だってストレスがあるから仕方ない」。 酒やタバコもそうだ。だってストレスが。 この手の商売は壊滅したらいいと思うし (どうせ闇市場は生き残る。闇市場さえあればいい) 消費者も抵抗していくべきと考えるから だから 本当は受け取っちゃいけなかったのに 自分を甘やかしてしまった。
昼飯。がいしょく。 ただ店舗構えてみましたというやる気のない店構えで タンメンと餃子だけを専門にしているラーメン店に入ってみた。 先客が一人いるだけで客席まわりに店員はいない。 客席自体10にも満たない。 食券を買い席につこうとすると厨房から声が。 聞き取れない。 「はい?」 「タンメンだけですか?」 「はい」 そのまま返事はなかった。 どうやら一人で切り盛りしているようだ。 看板からして、個人店というよりはオーナーが出資しているところへ 雇われがたったひとりで任さされている。 という図式まるだしで褒められない。 その人もアジア系の外国人のようだし。 タンメンは…野菜ドカ盛りだった。 それはいい。タンメンなんて塩味がきいてて野菜たっぷりならそれでいい。 でも塩っけが感じられない。パンチもない。 胡椒を入れた。入れすぎた。 後半はウェップって感じに。 もういかないかな…。
妻がかなり好条件の賃貸物件を探し当ててくれた。 三鷹で定期借家だから当初の希望からずれるところはあるが それでも広さ間取り家賃立地設備それぞれ申し分ない。 ソッコーで取られそうだから慎重に話し合うまでもなく 土曜朝イチの内見を予約をしてもらった。 展望展望。 三鷹に住む想像をして楽しんだ。
なんか…とっても「三体」が見たくなってきてる。 話題の中国小説の。 おおがかりな三部作という触れ込みだったから 何年後かに完結するのかと思いきや もう三部目が出てるらしく それも大好評のようだ。 しかし買い揃えるとハードカバーで 上下巻とかもあるみたいだから1万近くするか…? おっきいな…。 かといって図書館では予約何十もあるだろうし。
「テスカトリポカ」も読みたいんだよな。 同じような衝動だから どっちか読めば大分満たされるんだろうけど。
あと、とっといてある「百年の孤独」。 いよいよ読みたい…。でも今もってなおとっておきたくもある…。
アートフィルムをたくさん見てきたおかげで 知らぬ間にビジュアルそのものを楽しむチャンネルが構成されたらしく 小説的な方面での視界も広まった。 ひいては詩的世界での呼吸につながる。 物の名前に興味がなかったが、 物そのものや物の運動、物品詞に美意識を働かすことができる。
テレワークのできない業務につき (本当は部署によりできるが上が全面的に承知しない) 毎日出勤しているものの 緊急事態宣言下においては 退勤できそうな社員は定時前でもあがっていいとされている。 この取り組みは好意的に受けとめられてるようだ。 どの部署も毎日半数とまではいわないが それに近い人数が早上がりさせてもらっている。 だが僕のところはそうはならない。 無能な先輩がびびって、あがらそうとしない。 あがらせた、という判断による責任にびびってるのだが 仕事はないし 見通しの裏付けもあるのにあほみたいだ。 まぁあほなんだけども…
夕飯はエビチリ。 前までは冷凍エビ使っていたけれど 剥き身のバナエイエビ使うようになってからは プリップリが楽しめてもう戻れない。
昨日見た夢の件を妻に話してみた。 すっかり夢を見なくなってしまってたんだけど というで切り出し方をしてみた時点で 寝る前にお話しをしてるからじゃない、と冗談めかして言われた。 たしかに毎夜、寝物語を聞かせている。 あれが夢の代わりだったのか。 なかなか面白い説だ。
夢を見た。 昨日間取り図を見て、内見に行こうか検討していた物件を実際に見に行く。 部屋のいちいちをありありと覚えている。 マンションにしてはありえないような広さだった。 玄関を空けてすぐに四畳半の部屋がある。白い。狭い。小さい冷蔵庫がついていた。 申し訳ばかりに収納もある。 ここは寝室に適しているかもしれない。 二、三の部屋を抜けて居間へ。 和室だ。調度品がいくつか備え付けられている。 神棚だか仏壇だかの成れの果てが壁に埋め込まれていた。 清掃業者の私物がそこらじゅうに放ったらかされていて、 ここで生活していく実感まで疑似体験できた。
起きて、嫌な夢をみたと思った。 いい内容だったから、夢であったことにがっかりしたわけだけれど、 とするといい夢も悪い夢も、どちらも嫌ということになる。 夢ってそんなんだったっけ。 ずっと…もう二年以上もまともに夢なんて見てなかったら、わからない。
仕事は今日も余裕あった。 だんだん入ってきたので昨日ほどではない。 ある作業を後輩に教えた。 なんておれは教え方が上手いのだろうと惚れ惚れしたが 誰が褒めてくれるわけでもない。査定にもつながらない。 数年前までの讃えられぶりを思い返すとむなしくなる、 というわけでもなく、無感情で日中を過ごした。
弁当は牛肉とタケノコの炒めもの。 先週と違い、オイスターソースを切らしていたから その分だけやや味気なかった。
24時間後世界が滅びるならばといった創作テーマをTwitterで見た。 やれ紅茶を飲んでゆったり過ごすだの(ミッシェルは20年前だ) 最後はきみと一緒にだのなんだのと そういう連中のおもわくを木っ端みじんに蹴散らすためにも、 1日後世界が終わるならば、必ず、それより前、 23時間以内に世界を破壊し尽くしてやらねばなるまい。 このお題には、「何をしたっていい」という自由が内包され、 またどれだけのことができるものかと、試されてもいる。 したがって、あらゆる破壊活動すら織り込み済みのはずだ。
真っ先に思い浮かぶのは核兵器である。 しかし素人に、ましてや期日内に、 その用意なんてできようはずもない。 それを達成してみようというのである。 一回の化学教師がプルトニウムを盗み出し たった一人で核兵器を製造する映画があったが、 さすがに無理がある。 すでに存在する核兵器を世界中に向けて放てれば御の字だろう。 もちろん細菌兵器でも構わない。 大量殺戮さえかなえばいい。 そして、…これが何より重要なのだが…自分が執行者である必要はない。 23時間以内に核兵器が世界中にポンポン撃ち落とされる現実を実現させればいいのだ。 これは、言論だけでも実現できる可能性はある。 なにしろ、正気が失われたような情勢のさなかで、 究極的には何人かをありえないような狂気に導いてやれればいいのだ。
それにしたって23時間では無理があるだろう、 前準備はいるんじゃないかと…すると…
…今は仮定の話をしている。 連中と同じく 安全圏で、 本当は世界が終わることなどないと知れていながら、 ただ終わるつもりで語っている。 安穏と…。 私はお前らを安全圏から引きずり下ろしてやりたいのです。 私は今日からやるよ。 言論で導いてやる。 一人くらいは気の触れるやつもいるだろう。 世界が終わるとなったら、それより先に世界を滅ぼす、 という考えを、わずかでも広める。 広める。 広めていく。 お前たちの 安穏としたなまぬるい願望を 今ここから侵害する。 もうここから射程圏内だ。
そういう書きものをしてやろうかと思ったが まぁ意地悪いし 割とスレスレなのでやめた。 いや別にやってもいいんだけど 何も賭けたいとは思わない通り過ぎゆく企画で そんな通り魔みたいな真似は 天秤が釣り合わない。 こっちはよくてもあっちに禍根を残しかねないし。
夕飯はまぐろを醤油で15分だけ浸けて 昨晩仕込んで置いたウールガイ足してどんぶりに。 万能ねぎと刻みのりとワサビをのせちゃあそりゃもう絶品よ。 ゴハンすすむすすむ。 食べながらEテレの カップルのなれそめを紹介する番組を見た。 彼女の方が 男として生まれたけど性自認は女で 10代のときは苦しかったが 二十歳で家出 知り合いの誰にも連絡せず返事も返さず失踪 歌舞伎町で二年間バイトしてお金ためて 性適合手術に踏み切り念願かなって女へ 今はYoutuberとして人気を博している… って生い立ちで 失踪のところで スゲー とわくわくした。
おりしも昨日とか今日 重量挙げだかなんだかで トランスジェンダーの女性…体は男性…が優勝した件が 物議をかもしてるらしい。 そらそうだ。 しかしどれだけネット上で おかしいよね と叫ぼうが、 この解決は困難だ。 深くは考えませんが。
昨日に続き平和な一日。
昼飯は豆板醤を熱して鶏もも肉とタマネギとニンジンと一緒に炒めたもの。 葉物に柚子胡椒で味付けした鶏胸肉を載せた。うまい。
大坂なおみが話題。 女子テニス界トップの実力を誇りながら、 試合後の会見を拒否してるんだとか。 本人の弁による拒否の理由はまっとうに思えるが なにかと喚きがちなこれまでの印象もあり、 またプロスポーツ選手として規約に則るべき必要性もあり、 批判的な声も多いようだ。 テニスプレイヤーなんだからテニスうまけりゃいいじゃん という風に見なしてやりたい一方で、 自身がトップアスリートである武井壮の スポーツが人より上手いだけで金は稼げないんですよ という言葉にも頷きたくなる。
そういやあ昨日みた逆転人生もプロスポーツ選手の問題児だった。 今はファンが第一としているお手本のようなバスケットボール選手だが かつては客にコート内から中指立ててたりもして。 バスケうまいだけじゃダメなんですかね。 芸人とか作家でもそうだけど、 こういう人たちはまともに社会生活できなくてもいいんじゃないの?
ちょっと話ずれるけど その能力は別じゃん、て思うこと多い。 イラストレーターに服飾デザインのセンスが求められるとか。
料理しててよく思うのが、 フライパンで火を通しながら 野菜切ってその余りをサランラップでとじて冷蔵庫に入れる、 その一連の流れのなかで、 たとえばサランラップがなかなか剥離しない… といった事態に見舞われると、 フライパンの方の火加減に不都合が生じて、 料理の味が損なわれてしまう。 そういうこと、ある。 調味料の蓋が開かないとか、買っておいたはずの食材が見あたらないとか。 本質的な料理の技能そのものではないはずなのに、 これによって評点が下がってしまう、 ひいては料理下手と見なされてしまうという。 というか料理下手と言われてる人の中には絶対そういう人多いと思うんですねー いやこれこそ料理の段取りなのだから広くいって料理の技術に含まれる ってのは当然言うまでもなく分かった上でですねーいってんですねー そういう言い分は理屈と実際が乖離してしまってるんですねー 不測の事態すべてに気を配って完全無欠の準備を整えた上で調理を始めるようにするというのは 実際的な手間と時間を鑑みるとむしろ料理下手が疑われるし 不測の事態すべてに適切な処理が即座はかれるような臨機応変の対応力がないと 料理ができるとは見なされないって考えかたも実際的でねーし そのへんをですねー考えてみてもらいたいんですねー
と、別に誰に何を言われたわけでもないのに架空の反論をしてみる。 こういう風に、仮想敵を見立てて勝手な反論をするってのは 現代人にありがちな習癖じゃないかと思う。 僕はこの仮想敵に名前を与えてやろうと思う。 人格もビジュアルも与えず、ただ名前と役割だけを。 アエナフ。 おまえの名前はアエナフだ。 意味はない。 おまえは僕に言い訳をさせる糾弾者で、 僕の持論をくらう被弾者でもある。 よろしく、アエナフ。
昼は昨日とっておいた生春巻き。 あと余ってたカボチャとサツマイモ素揚げした。 …せっかくの生春巻きなのに、 妻の弁当にチリソースを入れ忘れてしまいへこんだ。 自分の方には入ってる。
オリンピコー、今も先行き読めない。 中止を求める声もむなしく開催するんだろう、 が中止すべき状況に傾きすぎてる。 大会規模が縮小するようになってくるのかな。
原神、なんか再ハマりしてしまってる。 深層螺旋12層がクリアできてしまったから希望がある。 クリアっつっても星数は1だから先があるし。 で今はみるみる刻晴が育ってて楽しい。 先生のときほどじゃないけど。 あとリソース管理が好きなのかもしれない。 限りある樹脂をどう切り盛りして 天賦本にまわすかとか… 武器育成、レベル突破などをどの順序で進めていくかとか。 仕事の段取りと同じなんだよな。
仕事がひまひまだった。 流石にこう時間がありあまって 誰とのやりとりもなく過ごせているとストレスもたまらない。 やるべきことは見つけられるし。 面白いことに、文章はなかなか書けない。 いやお話の文じゃなければ書けるのだが、 お話を書くには、ダイブ感が必要だ。 職場でできるものじゃない。 そういうわけで、資料となるものを読んだり考えたりした。
誰をひいきしたりもせず、 誰に対しても一定の善意を向ける。 これはたしかに、理想的な綺麗事のようだ。 しかし、友情を否定している。 友情は特定の誰かを特別に扱う。 友情が美徳とされている限りは、 人々を平準化して相対することなく、 任意の誰かを特別視すること自体は認められるはずだ。 そこには自由もある。
友情も恋愛も、場所性に縛られている。 場所あって人と出会い、仲を育んでいくから。 この場所は、ネットワーク上でもありうる。 仮想空間でも空間と見なして、広い意味での場を考察しよう。
割拠を再開。5章目。 5章目はすでに書き終えてる。 6章目で心理学-認知バイアス、人口地理学-アドレスの話にもってって、 7章目でマンションの方に凸かな…。 でもこれだとビナが出てこない…。
帰宅して妻にチリソースの件をさんざん謝った。 あんまり僕が低姿勢だから妻は調子に乗った。 夕飯はぶっかけ。 めんつゆに醤油足してチューブ生姜溶いて 万能ねぎ、揚げ玉。 昨晩のうち冷凍しておいた大根おろしが解凍しきれず残念。 でもうまかった。
今朝はフレンチトースト。 昨晩のうちに卵と牛乳に砂糖足した卵液に 食パンを浸しておいた。 バターで焼いて、うんま。 カロリーのお化けみたいなイメージあったけど まぁアイスとか足さないならいいのかな…。 休日はいつも食パンの四辺をマヨネーズで囲って 卵を落として焼くトーストにしてるから むしろマヨに比べたらましかもしれない。 フレンチトースト、本当は厚切りが望ましいけど 8枚切りでもじゅうぶんだったな。 厚切りにしたらその分だけ不健康だしな。
プリチャン最終回。 順当に終わったか。 やっぱクライマックスって難しい。 物語の盛り上がりとしてのクライマックスと、 エピローグ的な締めとあるから、 どうしても似たような演出でくどくなる。 今回はソルルとルルナが宇宙から贈り物して それが桃山の脳天に直撃して 桃山が目を回してたのが痛快だった。 とうとう粛清かという感じで。 あと最後のライブシーンでは感極まってしまった。 来週からは桃山のナビで シリーズの振り返りするみたいだけど…。
ミュークルは総集編。 残念だけど仕方ない。
ちょっと自前のwindowsのデータ整理した。 itunesの使い勝手の悪さは もう本当に数えきれないほどあるし その一つ一つが馬鹿極まるて感じで むかむかして仕方ないんですが アーティスト名をプロパティから変更する際に 勝手に コロン; が足される仕様はもう馬鹿とかじゃ足りないレベルで頭おかしい。 入力した時点で勝手に付け足されて いちいち消去して 適用してみても 勝手に足されたことになっていて 別アーティストとして認識するって もう 関係者一同全員絶対に二度と社会に出てこないでくれよ。 地面の下で一生恥じていてくれ。生涯を悔いてくれ。 そう呪わずにいられない。
飯は昨日の残りの天ぷら。 フライパンでそのまま焼く。うまい。
図書館へ。 小説借りたくてどれがいいやらねばったが これというものがなかった。 小山田浩子という作家の小説が借りたくて 検索機では出てくるのに棚になくて 職員さんにたずねようが悩むだけ悩んであきらめた。
古本屋が20%オフだったからこちらでもねばったが なにも買えなかった。 中国SFの三体読みたいのだけどな。 いま、ようやく古臭い日本文学ばかりでなく 新しめの小説読みたいって気分になってきてるから。
映画も空振り。 こちらは仕方ないか…新作が振るわなかった。
まぁあんまり作品に追われるような気分もなんだし たまにはいいだろう。
スーパーの帰り、 ベンチが一つあるだけの小さい公園で ちょっくら座って本を読もうと目論んでいたのだが いざ公園の目の前まできて 幼児二人を連れた若い家族が先に入ってしまった。 せっかくの休日の憩いが… という気分が一瞬だけよぎったけれども、 むしろ自分が鼻の差で先に入っていたなら この一家は遠慮したろうし 結果的にはよかったはずだ。
で、感情と論法が同時に発生してるなあと思った。 自然発生といえる利他的な感情と、 利己を抑えるための意識的な論法。 前者は善意だけど、後者は偽善と呼ばれる。 これが同時発生していた。 「せっかくの休日の憩いが…」 の気分すら通過せずに前者の感情だけが発生してれば、 まぁそれなりに善人らしくはある。 だけど後者には後者なりの価値がある。 これは良識と呼ばれるものだ。 はたして善意の塊ばかりが人間的か? エゴを自発的に押さえつける方が 立派とまではいかないがより人間的なのではないか?
芽生えた悪意、敵意、殺意をどれだけ押さえつけられるか。 自分はよくない人間である。 その認識を真っ向から受け止めて、 少しずつでも改善していこうとする働きが、 果たして偽善の一言で一蹴されていいものか? 善人になれない偽善者は それでも善人に近づこうと頑張っている。 人間って、人間の尊厳って、こういうところでしょう。
住まいと仕事の地理学、おもろー。 人口地理学についての本は タイトルにそう銘打ってるわけじゃないからだいぶ探しにくい。 この本にしても、人口地理学そのものを扱っているわけじゃない。 しかし内容は求めていたものだ。 人間が社会的に生きるためにはある場所に根差す必要がある。 ある場所は固定化されるのが望ましいが人間は静止画では生きていられない。 そこで地理的な移動が発生する。 というような観点から、人口地理学に興味を持ったのだった。 この本では歴史人口学の功績による、 日本の戸籍の歴史から人口移動の歴史を追ってくれてるので助かる。 でも理論はよわめかな…。 アドレスの話が出てきてくれてよかった。
アドレス。 第四の住所。 なるほど現代では人間は、住所が特定されにくくはなった。 ただし多くの現代人が、メールアドレスやSNSアカウントを取得している。 ネットワーク空間に内在するアドレス。 アカウントという、新たな人口概念。
アカウント。なりすまし。 戸籍。人物の同定。
場所。地理。 ある場所を占める人格の配置。
割拠。 「権力者が、各自ある地域を領有し、 そこをよりどころにして勢力を張ること。」 拠点の統一者が、ある場所を占める。 ほかの人格も居座るような場所で、強く占める。 他の人格の居場所を威圧するように。
まだまだ考えがまとまらないな。
産婦人科へ。 自宅で採精したブツは専用の容器に入れて、 薄いビニール袋で包んだら タオルにくるむな バッグに入れるな 人肌で温めろ と言われてたんで 来院時すごいそわそわした。 ただでさえ気まずい空間なのに こんないかがわしいものを携えてきて…。 ちょっと待たされてから現れた先生に渡すと 温めなおすから10分ほど待っててくれという。 メシか。 で、その後一緒に見た。顕微鏡による生の映像を。 ほんとにたくさんのクリオネが泳いでるみたいだった。 じゃあ数えますね、と先生がカウンターを片手に目つきを鋭くする。 カチカチカチカチ! びっくり。 一定の区画内で 元気に動き回るのがどれだけいるか、こうして数えるらしい。 産婦人科医こんな能力まで求められるんか。
結果は正常の範疇ということで、まぁ安心した。
帰って冷やし中華。 キュウリとトマトと錦糸卵。ハムはなし。 うまい。夏だ。
食後妻に誘われるままに 寝室でそよ風を浴びながら漫画を読む。 黄金のラフ。 やっぱり面白いなこれは。 ゴルフに興味ないどころか嫌ってすらいるのに楽しめるんだから本もんだ。 そういえば数日前に あさひなぐを最終巻まで読みきった。 うーんよかったけど… やはりインターハイ出場が決まるコクリョウ戦がクライマックスで あそこで最高潮を迎えてしまった感じがある。 あぁあと作者先生のあとがきが感動的だった。
夕暮れ時を見計らってマルエツへ。 昨日赤黒い夕焼けに見入ったから それを期待して。 今日のは地味めだったがこれはこれでなかなかいい空だった。 自然現象には小偉そうに品評与えてもいいからいいな。
帰りの川沿いの道で 初老のおじさんと 中年のおじさんが ほんの一瞬すれ違って あっ どうも あぁこんにちはー というやりとりしてていいなと思った。 このくらいでいいんだよな。 当たり前だけど、どのまちづくりの本読んでても 地縁を大事に といった意味のことが さまざまな文で書かれてる。 それら一つ一つに ウムウムまったくその通り と頷いているくせに今の自分はてんでダメだ。 家の前で隣人の姿に気づいてないふりしてやり過ごしたりとか。 でも朝出勤時に近所の人らしき人が現れたら おはようございまーす と自分から挨拶はできるようになった。 ゴミ捨て場とか。 やはり挨拶はいいな。とくに攻めのあいさつはいい。
いいことをたくさん探していこう。 いいことはいい。
夕飯は失敗した。 天丼にチャレンジしてみたのだが 海老の品質も悪く 下処理も悪く 揚げ方も下手で 天丼のたれも適当にやったらだめだめだった。 ついでに用意した野菜の方はうまかった。 かぼちゃ、茄子、さつまいも、大葉、 玉ねぎとニンジンのかきあげ。
夕飯後親に電話。 兄はもうワクチンを打ったらしい。 やはり二度目がきついんだとか。仕事にならないとか。
今日は全然考えごとがはかどらなかった。 書きものも全然。 明日は…明日こそは…。
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