舌の色はピンク
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毎日高円寺駅を利用しているわけですが。 途中で通る純情商店街が嫌いだ。 死に体の象徴みたいな道だ。 保険相談店、パチンコ、ハードオフ、タピオカ屋、 唐揚げ屋、携帯修理店、チェーン店、チェーン店、チェーン店。 シャッター街の方がましだってくらいだ。 かろうじて、精肉店が生きているのが救い。 20年前はまだ生きてたと思う。 まだ、ゴイステが歌ってた町だった。
店の入れ替わりが激しく、 そのたびにドンドンとゾンビ化していってる。 最新の店舗はこれもまたチェーンの中華そば店で、 いかにも安っぽい内装が恥ずかしい。 いや安っぽいこと自体はいいのだが まっこと工場生産的というか、白くて無味乾燥で、 貸し会議室みたいなそっけなさなのだ。 合理性の極致というか。 一番の問題は券売機が外に設置してあること。 これにより、公道に人がたかる。 これが車道とガードレールで隔たれた歩道であるのならまだいいが、 純情商店街にガードレールはなく、しかし車は通るので、 単純に歩道が遮られることとなり、危ない。 ここへ進出するにあたり 市場調査を実施していないはずはないだろう。 入念な下見の上、経営戦略を練り、 券売機を室外に設置するよう決定したのだ。 汚い。
いまはコロナ禍の事情があるから 過密を避けるためという名目が通るのも気に食わない。 あけすけだ。 思い出したがマクドナルドも害悪だ。 人の並びを店舗外に突き抜けさせて公道に迷惑をかけている。 ラーメン屋の行列とくらべてたちが悪いのは、 レジに向かって並ぼうとするせいか、客は店舗から正面一直線に列をなしがち。 たいてい店側の誘導もないから迷惑なばかりだ。
産婦人科に予約を入れた。 明日ケンサ。 なんともまあ恥ずかしいこった。 事前にインターネットで予約を入れたのだが 診察の予約という項目しかなくて 検査を頼めるのか不安だったから電話をした。 「いきなり持ってこられても困ります」 なんてなったら立ち直れないからな。 ものがものだけに。 電話してみたところ問題はなさそうだった。 とはいえこの検査は事前にこう連絡いれることでスムーズになる、 といった意味の対応もしてもらえたから気が楽になった。
かかえていた業務が一通り片付き ひっさしぶりにまとまった時間が確保できたから 大掛かりなデータのバックアップをしていくことにしたのだが もう打ち切られている案件の 十年以上前のデータが大量にDVDケースで保管されていて 収納棚の限られたスペースの邪魔になっている。 外付けHDDをわざわざ買うほどのこともないからと、 念のため残しておこうというデータだけ分けてあとは捨てる、 その判断がつきにくければ上に相談してみる、 さらにはさいわい元々あるHDDを1つ空けられそうであるから 大量のディスクをそこへ移しかえればその分もスペースができる、 といった考えを いつもの先輩にいつものつもりで話しても通じないから ゆっくりゆっくり要点を繰り返して伝えてあげた。 「どおぅーなんだろうね」 ハイあほ〜。 いつもどおりの、あまりに予想通りな受け答え。 受け答えにもなってない。 どうなんだろうじゃなくて、明確にどうすべきか伝えてるのに。 なんていうか愚痴のレベルが低すぎて恥ずかしい。 もっとレベルの高い悩みならまだいい、 でもこれはお外に出せないというか、 あんまり出来事が幼稚で、 嘆いている側の人間の程度も疑われるお粗末さなのだ。
あと仕事のつきた後輩をあがらせてやってほしい。 ただでさえコロナ禍で、なるべく早く退勤させるようお達しすら下っているのに、 こちらから進言してすら、 「どおぅーなんだろうね」 と応えて答えたつもりになっている。あほすぎる。
でも陰口ひとつたたかず むしろ庇ってやるつもりで 黙っていろいろ支えてやってたり 便宜をはかったりしてるんだけどな。 いろいろな面倒を請け負ってる。 さすがに馬鹿らしくなってきてるけど…。
ああ今日は昼飯がうまかった。 牛肉薄切りにタケノコ細切り加えて炒めて しょうがチューブにんにくチューブ醤油オイスターソース みりん砂糖塩コショウ! 5分でできる簡易版チンジャオロースって感じだ。 さすがにチンジャオロースには及ばないが しかしまじうま。やば。
夕飯はサバの味噌煮にした。 醤油砂糖を加え生姜とネギを多めにすると まぁ当たり前だけどうまい。 録画してたソーイングビー見た。 これまでにあなた方が裁断してきた衣類の端切れを 実はとっといたんでしたーっこれを再利用して服繕ってねー って内容で すげえグロテスクだなと思った。 フランケンシュタイン的というか。 衣服が身体の代替物みたいに実感できてこわかった。
2021年05月27日(木) |
どうするどうなるオリンピコー |
ヨイジャナイ思いして って言い回しがあった。母親に。 ふと思い出した。
僕に対しても使われてたし、 母が誰かと電話してる最中にもよく使っていた。 文脈からはなんとなく、 大変な思いをして〜 といった意味合いが読み取れた。
きっと二十歳を過ぎてからだが、 いよいよ放ってはおけんと発起して 直接訊いてみた。 「それどういう意味なの」 「あんたは言葉を知らないね。 容易じゃない、容易じゃないって、言うでしょ」 言うか? よそでは見聞きしたことがない。 あわやケンカになりかけたが、 なるほど「容易じゃない」で「大変だ」かと、 なかなか面白く思った。 母は苦難や苦悩のニュアンス(「大変な思い」)で使っているから、 「容易」の字義からすれば明らかに誤用ではあるのだが 「大変だ」がニュアンスを媒介して意味合いを成立させている。
で、今日調べてみた。 「容易じゃない」は茨城の方言らしい。 母は埼玉育ちで、成人してからはずっと東京だから どこでそんな方言仕入れて来たんだと訝りたくなる。 でも母の姉弟相手には通じているようで、ますます不思議だ。
しかしやはり、難事を示す意味合いにとどまるようで。 辛い目に遭ったといったニュアンスで 「容易じゃない思いをして」なんて言い回しをするとは、 どこからも読みとれなかった。
割拠、 ようやく参考資料も打ち止めってとこまできたから いよいよプリントしたろかしらな。週末かな。 40枚分くらいにはなるんだよな。 1枚に本の選り抜き8P分くらい詰め込んでるから 単純計算で320ページの情報量か…まじ? いやいや、これ少なく見積もってだ。 400ページぶんぐらいにはなるな。 …読んだなあ! だからって褒められるわけでなし、 ちゃんと形にしなくっちゃあな。
東京オリンピックの動向がかなり見ものだ。 誰がどう考えたって中止だろうが、 といえるほど単純な状況じゃなく(当たり前だけど)、 結構の理由も中止の理由も肥大化しすぎていて、 どんな落とし所も正解じゃないし、 なんというか究極にバランスの取れた問題に仕上がってしまったと思う。 もともとが国家的大事業で、 多くの課題もはらんでいて、 そこへきてコロナがドーンとやってきて、 2020年に延期が決定してから 論点はますます複層化していって、 大会まで60日をきった今、 この問題は絶頂といえるほどの高みに達した。 当事者意識を可能な限り遠ざけてしまえば、面白すぎる。
おおざっぱにいって、 中止と唱えれば人道的な立場が確保できそうだ。 しかし、中止になった場合の経済的損失を鑑みれば、 それを理由とした人死にだって出るだろう。 それを理由とした不幸は無数に出る。 そこんとこの因果関係は厳密に立証しえないにしても (決行しても経済的損失とそれを理由とした不幸は発生する)、 そう主張する立場の人はいくらでも湧くだろう。
だいいち、中止の責任をとれる人間がいない。 権限、代表の立場はあるだろう。 だが名前が置かれているだけじゃない。 そこにいるのは一個の人格ある人間だから、 責任などとれたものじゃない。 下にいる人間は一顧だにしないが、 (貶めたいときに限り、利益追求型といった都合のいい人格を調達する) 彼ら彼女らだって家族もいれば 寝る前にその日あったことを思い返しもする、人間なのだ。 知事も理事も利権屋も。 彼ら彼女らの見える限りの仕事が 下の人間にとっては 彼ら彼女らの人生そのものだが、 実際には、彼ら彼女らの人生は続く。 肩書を失おうと、歴史に忘れ去られようとも。 保守、保身的な打算を働かせるのは果たして姑息だろうか。 そう斟酌してやるのは行き過ぎた温情だろうか。 このあたりの 人間としてのぶれ も、問題点の複雑化をブーストさせてる。
昼飯は初めての店。居酒屋かな。 飯屋のある区画の外れという立地で、 また今日はここにしておくかと9割がた心に決めつつ 5mだけ進んで大通り沿いも確認してみることにした。 その十数秒のタイムラグで他の客に先に入られたら業腹だなあと思いながら、 果たしてその重数秒で ほんのわずかな差で4名客が入り口まできていた。 さらに、1名の単独客まで後ろに加わっていた。 最悪だ。 もちろんこの5名に苛立たしさが募ったわけじゃなく、 単に「先を越された」不運を嘆いているわけでもなく、 みそは 「予測できていたのにその結果になった」 てとこだ。
これ、人に言うとすぐ誤解される。 どうでもいいような、自明の、言うまでもないようなコメント返されたりして。 そこがまた腹たったりする。 対戦ゲームでよくある。桃鉄とか。 不利益のリスクを予測しながら、敢えてその一手をとる。 で、結果的にその不利益な不運が訪れた。 予見してようが、望ましくない結果に対しては、面白い気分になるわけがない。 だから、ちょっとはムッとなる。 そこへきて、「ほらあ」と余人がいう。
今回は一人きりだったから、余計なコメントを入れてくる輩はいない。 ただ、脳内で勝手に仕立て上げてしまった。 あまりにも過去の記憶が苛立たしいからだ。 先日書いた、「おやじぃ。」のエピソードも根は同じようなもんだ。 「そのときの正しさ」とも通ずる。
飯はうまかった。 が… このお店は唐揚げのソースを おろしポン酢か油淋鶏かお好みで選べる。 おろしポン酢で注文したのだが、 一口目の唐揚げのカリカリサクサクは感動的であったのに、 後半は過剰なソースにやられ せっかくのからあげがビショビショ。 ソースを別添えにするか、 または二択じゃなくてソースは無しとか、 可能なら少なめとか、 そういうオーダーができたらいいと思うんすけどお! と思ったけど口には出さない。 フロアの店員にいってもクレームみたいだし、 貴重な意見とも思われないし。 こういうとき客席にアンケート用紙でもあれば役立つのかな。 あったら書いた。今回ばかりは。 だってせっかくの唐揚げがビショビショ! 後半冷えてるししなってるし。 これが油淋鶏ならそういうもんですねって話だけど。
夜は牛肉ちらし寿司。 のつもりが、思いのほか涼しく肌寒いくらいだったから、 なにかあったかいものにしよう と意気込んでスーパー行って よくわからないまま なぜかチキンソテーにしてしまった。 フライパンにオリーブオイルぶちまけて 鶏もも肉置いてアルミホイルかさねて なみなみ水を注いだ鍋を重しとして載せる。 はじめ強火で焼いて皮をパリッとさせて、 あとは弱火で10分弱。 塩コショウを揉みこんどくのを忘れたからここで振った。 ひっくり返して5分。 その間にソース。玉ねぎ刻んでバターで炒めて ウスターソースとケチャップと醤油と粒マスタード加える。 こっちにも塩コショウした。 肉の方の火は止めてあとは余熱。 うまかった。肉、柔くできた。
5月きもちい。
まー やっぱショックなんだな。 読んでもらえない、反応がないってのは。 ヘテロトピア、なかなかよく書けたと思う。 でも企画側からは無反応。これが現実だ。
馴れ合いとか、いわゆる駄サイクルみたいな輪が嫌で、 これまで避けてきたこの手の企画だけど、 その壇上にすら立てないとは。 というのがショックだ。
SNS上では何者であるかが求められる。 なんだかんだで、数を得ている方々は何者かである。 専門があったり、売り込めるスキルがあったり、 少なくとも人格的統一性…キャラクターがある。 面白いのに、いい文書くのに 数を得ていない…という人は、やはり何者かが読めないアカウントになってる。
作品を読んでもらうことに関しては、 宣伝、告知、 広くいってPR力の問題ともいえるだろう。
だが僕は宣伝を憎む。 広告社会への憎悪が根底にあるから 都合よくひるがえせない。 単に、かっこ悪いからヤダ、としているところも大きい。 それで読まれずに嘆いている方が余程かっこ悪いのはもちろん踏まえた上でだ。
天才の領分で遊んでいたいのだ。 思えばしばらくのあいだ、天才呼ばわりされていない。 呼ばわりは恒常的でなかったにせよ、天才扱いには慣れきってた。 才能を知らしめるだけの活動もしてこなかったし縁も紡いでこなかった。 だからって省みない。今でも自分の天才は疑ってない。 たたかってこ。 何もかもがにくいな。 これでいい。
関係ないけど 自分の得意分野で得意がって、大人ぶるってあるよなあ。
いい年してて…って言い草はだいたいそうだ。 品性。服、言葉遣い、マナー、対応、スキル、 まあいろいろあるけど 相当毛並みのいい手合でも どっかしらは抜け落ちてる。 そこんとこ置いといて 人を非難がましく品評しだすからな。 ああはなるまいよ。
昼飯うまかった。 昨日つくった担々麺用のひき肉にナスを加えて炒めたもの。 醤油だけちょっと加えた。 あんなに嫌いだったナスを こんなに好きになれるだなんて思わなかったと 何度でも驚く。
夕飯は冷凍しておいた牡蠣の炊き込みご飯。 それだけじゃなんだからと 余ってた蕪をバターでソテーして 思い出したようにニンニクぶちこんで バルサミコ酢ぶっかけて オリーブオイルちょいたらして塩コショウ、 思い付きで洋おかずになっちったけど美味かったな。
やりたいこと、やらねばならないことが多いな…。 昨日、おばから電話が入った。 父が死んで以来ほぼ絶縁している父方親族のおばで、 10年前に彼女を通じて生命保険に入ったのだった。 そっから保険は放ったらかし、毎月8500円くらい払ってるのに 健康そのもので一度も世話にはなってないから 保険とはそういうもの とわかっていながら もったいねー って気持ちがやまないんだけど いよいよ保険を乗り換えようとは思ってる。36歳を前に。 そのおばはもう当の会社はやめてるらしく、 でもこのまま放っておくと高くなっちゃうよと、 親切で連絡をくれたようだ。 僕は結局電話に出なかったが、母親は電話に出たらしく、 間接的に話を仕入れた格好となる。
引っ越し先を探すだけじゃなく 荷造りをちょっとずつ進めなくちゃならんのが心底面倒だ。 ものが多い。
菓子もつくりたいし料理もこりたい。 流星ワールドアクター進めたい。 原神も。 カラオケ行きたい。 しばらく描いてない絵も描きたい。 小説全然読めてない。 縁遠くなった友人と会話したい。 書きたい。
本命の前に気軽に一本書こうと始めた 『割拠』ですらここにきて手止まってるって参っちゃうな。 でもやる気が。 そがれて。
あーにくいにくいにくい。 にくさあまって 短編小説の書出し5本分くらい用意した。 ネタさえ用意しておけば、あとはお題または主題しだいで書き進められるしな。 書いてる間だけは呼吸できる。
やっぱ 男らしい女らしいを否定する観点がなっとくいかねー。 と急に思った。 既存の価値観、固定観念に縛り付けるなーて話なのはわかる。 それで、本来の自分らしさに蓋をされてしまうっていう。 でもそれごときに抑圧される個性って何だよとも思う。 それに、男らしさ女らしさは本来、美徳を謳っているものだ。 美徳の方までまるごと否定するのはもったいない。 男女ともに男らしさからも女らしさも 美徳を抽出してわがものにすりゃいいじゃんって思う。 歴史と風土から仕上がった素晴らしい美と徳があるのだから。 それとこの手の「受容」の問題、だいたい女の観点だ。 それがいい悪いってことは抜きにして。 もっといえば母親の観点だ。 (まさにジェンダーロール的な見方と批判されそうだがここには逆説のねじれがある) 我が子に優しくしたい、守りたい、のびのびさせたいという接しかた。 飴と鞭の飴。 今は、鞭が徹底的に非難される。女から。(逆説のねじれ) つまり、我が子に厳しくする、責める、抑圧するといった接しかたは、 「今どき何言ってんの?」レベルで、相手にもされない。 …どちらがいいの悪いのじゃなくて。 どっちもがあって一体化するものだと思うんですねー。 どっちも肯定できないもんですかねー。 男と女は対立でいいんじゃないですかねー。 凸と凹で世代を紡いでいってるんじゃないんですかねー。
こんな暴論めいた主張、もちろんいかようにも、反論はできる。 ただ、反論できるからといって、即座に悪のレッテルを貼ったり、 無意味と一蹴しようとする、そんな輩どもには一切議論の土俵にあがってこないでほしい。
読書してるとき 文字情報が上滑りして 頭に入ってこないことは 誰しもにあるだろうけど 時たまそれが音楽みたいに作用してるときがある。 歌詞なんて聞き取れてなくても歌声は気持ちいいみたいに。 でも、なんとなく耳には残ってたりして。 本読んでてもたまに同じ感じになる。 読んでるけど読めてない、でもなんとなく頭に残ってる。 たいてい他の考えごと、自由空想ができてるから それはそれで割といい時間なんだけど 繰り返し同じページを読む羽目に陥るのはありがちな悩み。
駅前の広場が形だけ封鎖されてる。 ちっこいバリケードに、 飲酒や宴会はご遠慮くださいとか 広場ではマスクはしてねとか とにかく集会させないように注意した文言が 小さい文字でずらずら書かれた紙がラミネートされて貼ってある。 これを誰も読んでいない、 いや読んでないふりをして、 連中ずらずら集まって、酒を飲んでいる。
バリケードには立入禁止とは書いていない。 これって同調的なもんだよなあ。 だって他の人もやってるジャン ていう。 すげえだせえぜ。 ああはなりたくない。
弁当めちゃんこおいしかった。 豚バラ肉と茄子を醤油とバルサミコ酢で炒めてブラックペッパー。 いつも目分量だから味は安定しない。 今日のはすごかった。完成形って感じがした。
夕飯もうまかった。 なにしろ担々麺。 市販の茹でればできあがるそれに、 豆板醤とネギとニンニクと生姜を炒めて ひき肉とシイタケとタケノコ加えて 醤油とオイスターソースと塩コショウで味を濃いめに整えたものと 白髪ねぎとチンゲンサイを加えればもう最強よ。
空手バカ一代7話目見た。良回。 名だたる流派に誘われて上機嫌な飛鳥拳。 しかし自身の過激ともいえる修行法に難色を示され、 結局はどの流派にも所属できない。 彼が優勝した大会で解説者を務めていた 空手連盟の権力者が彼を嫌い、裏で圧力をかけていたのだった。 あえなく仕事に出る飛鳥拳。 京都で車屋をやることにして、いい修行になると精を出していたが 客に騙されて駄賃をもらえなくなった。 雨に打たれて笑い出す。おれは裏切られてばっかりだ。 そして幼いころ満州で近所のおじさんに拳法をならったことを思い出す。 彼は店で荒くれものに絡まれても低姿勢で、 すごまれたときには土下座して争いを回避しようとするのだった。 が、 荒くれものがそれでも手を出そうとしてきたときには 強烈な一撃をくらわしてノックアウトした。 やっちゃうんかい。 立ち上がって逆上した荒くれものに対して、またも一撃をくらわす。 おいおい…。 しかし彼は、ワカランやつには何度でも、わからせるまで付き合ってやる、 それができないならはじめから力をふるう資格はない、と弁をふるうのだった。 ウーン、すごい。 やっぱりりっぱな人だ。 飛鳥拳はその後、ただ乗りせしめたオッサンと偶然の再会を果たしたが、 彼のことを許してやった。 詫びの品もいらんといって突き返す。 もうこんな真似をしないならそれでいいと。 かっこつけやがった。 が、いいかっこつけだ。 間違いなく良回だった。
飯の後ちょっと原神やって 気付いたらまた石が溜まってたから 妻に恒常引かせてみたら刻晴出した。 今更感はあるけど…育ててみよう。 刻晴は広告塔みたいなところもあって プレイヤーたちの間で 彼女面すんなよ って扱い受けてるのが面白い。
帰りの電車で本読みながら フ と一本ネタを思いついたから 夜に書きなぐってみた。 だいたい2000字くらいか。 細かいところと、中盤の中身ができあがってないけど。
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理科の授業で落下速度について教わり、ぼくには無敵の時間ができた。 ぼくがマンションのベランダから飛び降りたら地面に激突するまでどれだけの時間がかかるのか計算するために、まずは高さを割り出すことにした。 おおよそ37mだった。おおよそ、というのは、落下する物体(ぼくのことだ)の中心部を定めかねたからだ。落下の始点にしてみても、ベランダの柵の上部からなのか足元にあたる地点からなのか、わからない。どうしたって誤差は生じてしまう。 計算式に当てはめてみると、どうやら自由落下ならば3秒とちょっとかかるようだった。 ところがこの計算式というのは、空気抵抗を無視した場合に限るらしく、現実には適用されないみたいだった。ぼくはインターネットと、理科の先生をうまく使って、ぼくの飛び降り時間をなんとか追い求めてみた。 3.6秒。 これが、ぼくの時間だ。 ぼくの手に入れた無敵の時間。
ぼくは何度も何度も、何度でも何度でも、繰り返し繰り返し、延々、執拗に、 飛び降りている間の3.6秒間を想像してみた。 一度シミュレーションするのに3.6秒しかかからないから、100回試しても6分。 ぼくは一日に1000回飛び降りたことすらある。
ぼくは3.6秒を手に入れた。 この時間、ぼくは自由だった。 ひるがえって、3.6秒を使えば、ぼくはいつでも自由になれた。 体格にめぐまれた上級生から女の子を守ったことがある。 まともにけんかしたなら勝てるはずない相手だった。 そこで、3.6秒を使う。 今にも殴りかかってくる彼を前に、"ベランダから飛び降りる"。 3.6秒が始まる。 この時間、ぼくはなんだってできる。 何千回も飛び降りた経験のなかで、ぼくはなんだってしてきたから。 もちろん火を噴いたり、稲妻を落とすなんて真似はできないけれど、隣町まで聞こえる大声をあげるくらいはお手のものだ。動体視力は人並み外れる。落下しながら7階のカーテンの隙間からお姉さんの着替えを覗いたことも、6階のベランダのプランターからてんとう虫が飛び立とうとしている様子も、5階の手すりに染みた雨粒の名残を見て取ったことだってある。小学生のうすのろな大振りなんかくらうものか。あとはもう、3階地点にまで伸びた枝に手を伸ばす速さで一撃をくらわせればいい。 いや、きっと闘う必要すらなかった。 3.6秒の間なら、ぼくは目玉に指だって突っ込める。
昔、なんとかいう哲学者が、死は存在しないと言い切ったらしい。 自分が存在している間には死はないし、死が現れたときには自分は存在しない…そんなパラドックスを言いのけたそうだ。 ぼくはそうは思わない。 人間の一生なんて宇宙の歴史からしてみたら一瞬だって、テレビで誰かが言っていた。本でも誰かが言っていた。漫画でも、近所のおじちゃんも言っていた。 だったら、人間なんて全員、100年生きようが、即死しているも同然だ。 産声をあげたときからもう死は始まってる。人生は即死の最中に過ぎないんだ。
3.6秒。ぼくは無敵になれる。 3.6秒さえあれば、この先怖いものはない。 どんな退屈も、挫折も、苦労も、いなしてしまえる。 だけど16階住まいの義屋羅串くんが 「へえ、きみも計算家なんだな。ぼくは3.9秒だぜ」 とうそぶいてきたとき、ぼくのなかの数字が惑った。 「ぼくときみが一緒に飛び降りたら、14階の君は0.3秒早くおだぶつってわけさ。 ふ、ふ、ふ。きみの勇気が試されるぞ!」 「ころしてやる!」 「やってみろ! 0.3秒差でぼくが勝つ」
義屋羅くんばかりでない。 最上階に部屋のある角安詩夢ちゃんも、ことあるごとに屋上を遊び場にしている合符音くんも、ぼくより長い無敵時間を誇っていた。 「さあ、一緒に飛び降りてみたらどうだ!」 きたないやつらめ! でも、それからは何度3.6秒を試しても、上の方から彼らの声が聞こえるのだった。
だからぼくは3.6秒を捨てることにした。 そしていま、せっせせっせと、落とし穴を掘っている。 誰か誤って落ちてしまったら困るから平時は蓋をしているだけであって、いわゆる落とし穴の意義は満たしていないかもしれない。単なる穴といえば穴だった。 ぼくの部屋のベランダから落下したらちょうどここへ落ちる。 1階の住民には、夏休みの自由研究という言い分で納得してもらえた。 ぼくはたっぷりひと夏かけて、この穴を掘れる限り掘ってみせよう。 そういう夏にしよう。 すでにぼくは4.1秒を得ている。 まだ合符くんには及ばないが、義屋羅くんにも詩夢ちゃんにも勝てる。 この夏はきっと忘れられない夏になる。 穴を掘りながらぼくは、ふとした遊び心で、マンションのベランダ群を眺めながら、4.1秒をつかってみた。 ぼくの住む部屋の縦のラインを除いた全住民がいっせいに、同じタイミングで、ベランダから飛び降りる。 ……みたいだった。 みんな、何考えてんだろう。
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最後の「--みたいだった」はある映像で、 ここの単語がそのままタイトルでいいだろう。 中盤の、無敵の時間となる理屈付けは、見せどころだ。 ムチャだけど説得力がある、そんな文章に、まあやろうとすればできるだろう。 ただし文字数がいる。 あとはお題次第か。 ラストは変えてしまっていいし。
ヘテロトピア、Twitterに投稿した。 企画者まわりからの反応は一切ないし ツイートアナリティクスで メディア参照数見てみても10に満たないし どう考えても労力に見合わないけど kizzさんがふぁぼってくれたからいいや。 書いてる時間が楽しくて、 あとは一人でも認めてくれたならそれでいい。
よつばと!最新刊をようやく読んだ。 さすがに作風にぶれを感じる。 年月感じさせるナー。 ていうか連載開始18年て。ぎょっ。 でも最後のお話には泣きそうになった。 まさか泣かせに来るとは… と思ったけど実はあの場面は ただとーちゃんが泣いているシーンだというだけで 読者を泣かせにかかってきているとは見なさないでいいだろう。 よつばが 泣いてるの って言及しているのが証拠だ。
弁当は昨日多めにつくった炊き込みご飯。 牡蠣と生姜と舞茸の。うまし。 ダシ汁入れ忘れたけどな。 牡蠣のダシでかんべんしてもらお。
鬼滅すっご。 女性向けファッション雑誌にジャンジャン特集されとる… わざわざ表紙に据えた特別版まで発行して…集英社本気だな。
だるさ、月曜だけどちょっとマシ。 "ヘテロトピア"の推敲を手がけてて楽しかった。 アルフォンソリンギスの 何も共有しない者たちの共同体、 むっずかしーとばかり思ってたけど 身になってる。 やっぱ買お。
ほぼネガティブ感情に見舞われない一日だった。 というか一旦悪循環から抜け出したところなんだろうな。
えー、ちまちまと 流星ワールドアクター進めてる。 世界観はハードボイルドっぽいのに キャラクターたちに全然その気がないから イタくないというなんか異色作。 尻切れとんぼで終わると専らのウワサだけど 6月には続編が出るそうだしそれを買えばいいんだろ。 今のところ面白い。 事件進展と日常パートが一体化してて全然飽きない。 次から次へと読めてしまう。
あ、思い出した。不愉快なことあった。 うちの会社には 社会に不適応とされそうな人材がもともと多く まだ技術職の色が強かった頃はその傾向が顕著で いろいろあってヤベェ人たちは一掃されたけど まだ空気感にはそんな調子も残ってて たまにオイって思う。 いやもともとそういうのが苦手な人たちはそれでいいとして お前外ではじゅうぶんコミュ力発揮してるだろうって人間が 社内ではろくに挨拶も返さなかったりする。 そういう輩にはこちらも挨拶などぜん などと引き下がろうとも思わないので 何年でもやってやるぞというつもりで 挨拶はし続ける。 会社引っ越しによって これまで顔を見合わせる機会の少なかった連中で 一部この手のぶしつけな手合いがいたから しぶとくやってやろうと思う。
挨拶って 「する分には奨励される」 っていうめちゃくちゃ楽でわかりやすいツールだと思うんですけどね。 何も考えないでいい、判断しないでいい保証つきっつうか。 昔は ここは挨拶すべきかしないべきか… とぐるぐる思考高速回転させること多かったけど だんだん あ する分にはいいんだ ってなってった。
夕飯はレトルトカレー。 月曜だから仕方ない。 引っ越しを前に備蓄を消費しておきたいし。 引っ越し先見つからないけど。
食べながら見たグレーテルのかまど、 今回はドイヨシハル先生…漢字わからん のキャビネットケーキだーっつって 彼の生い立ちまで紹介してた。 両親ともに料理研究家だったんだそうだ。 お父さんが 一般に家庭料理を広めたひとなんだとか。 ドイ先生自身はその道を受け継ぐ葛藤があったらしく なんで料理を極めたいおれが家庭料理なんか… と思ってたそうで、 でもあるとき 山で例えるなら料理屋ってのはいわば山頂だけ、 でもふもとの方にだってきれいな景色も花もたくさんある、 そんな感覚を実感したらしい。 そしてその感覚を世に知らしめている。 りっぱな人だ。
りっぱな人、 と 生の実感 は お気に入りのワードとなってきている。 勲章みたいなものだ。
サラメシで 中小企業のOLが会社のビルの屋上で キャンプ飯してるのがなかなかよかった。 同僚誘って3人で。 コロナがきっかけだったらしい。 2人はあらたにキャンプグッズ買ったんだとか。 限られた休憩時間で調理するために 自宅で材料切ってまとめてあって あとは煮たり焼いたりするだけという。 火の気は気になるけど 消火器用意してたし 煙はあがらんようにしてるんでしょう。 このビルの大家さんが 隣のビルに住んでいるらしく 時たま屋上同士でくっちゃべるらしい。 これはいい。 近隣にとっては声うるせえんだろうな とも思えるけど 許容した方が町が生きる。
プリチャンがまじなけた。 来週で最終回か。 思ったよりズーンと来たな… さいきんはミュークルの方に心がいってたけど ここ最近のクライマックスへの盛り上げで だいぶプリチャン愛が戻ってたようだ。 プリチャン及び桃山のキーワード 「やってみなくちゃわからない」 「やってみよう」 ってやっぱ素晴らしい。 そのワードを盛り込んだ歌を 今回は主要キャラ全員で歌っててまじなけた。 ジーン。 デジタル化したキャラたちがライブして 前時代のいいねを集めて 宇宙空間から到来しつつある バグの隕石にぶつけて解消させるって 本当に本当に意味わからないけど別にいいと思う。
ミュークルは日常回。 あんなに友達っていってたコトコトを ことこ先輩があっさり修正しまくるの怖いし面白いし最高だ。 来週はまた実写回らしい。残念。 でも全体のクオリティ保つためなら…いいさ…
昼は蕪とベーコンのクリームパスタ。 そういえば昨晩は蕪の煮物を出したんだった。 フライパンで蕪をかるく煮て 電子レンジでもどした干しシイタケを加えて めんつゆ醤油みりんで味を調えただけの。 蕪はいいっすね。和でも洋でもいける。
割拠の1から4をまとめたものを Twitterにあげた上にプライド捨てて読書メーターにもあげてみたが 一切誰からもなんの反応もなく これには心折れそうになった。 だいぶつらい。 大仏ラライのライ。 ほんならもうええわ、誰が投稿なんかするかよ と へそ曲げたくもなったけど 勝手な都合で毎日小出しにTwitterにあげてきたわけだしな… それもまだ3割という中途半端なところでまとめられてもっていう… いやそういうのはあるが… でも実際誰も… うーん… 前向きな方向にもってくことはできるが ここには正直に書こう。 心底うなだれた。
息抜きがてらに 傷ついた記憶 の読みものの方を手掛けておいてよかった。 こちらはほぼ仕上がったので妻に読んでもらった。 面白かったとはいうが 語り手が結局何の話をしていたのかは伝わっていなかったようだ。
伝わるか伝わらないかのギリギリ、 でも伝わる寄りで…わかりやすくなりすぎないように、 というラインを攻めたつもりだったけど 僕の意図するところを読み取りやすいはずの妻に伝わっていなかったのだからと、 最後の一文をあらためた。 これならまぁ伝わるだろ。 勢い任せな割にはなかなか面白く書けたと思う。 まだ最終稿とはいいきれないとはいえ あとは単語の言い換えくらいだろうから 今の時点でここにも残しておこ。
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テーマ;傷つけられたお記憶
タイトル:『ヘテロトピア』
あの愛の真相ともいえたあたたかな場所を何ものかにうばわれて以来、私はもう25年眠っておりません。 催眠術師が、哲学者が、娼婦が、詐欺師が、強姦魔が、花の香りで、晦渋な書物で、豊満な肉体で、型破りのメンタリズムで、秘伝のカクテルで、どうにか私を眠りにつかせようと方途を尽くしてくれました。 果ては長広舌が自慢の校長先生、しまいには絞め技の精髄を極めたプロレスラーまで、意気昂然と我が家にやってきては、敢え無くすごすご帰っていったものです。 脳外科医に至っては私の頭蓋骨を射殺すようにねめつけ、七晩で七人の患者を殺めたのだといういわくつきのドリルを操り小さく穴を開けると、開ける前と変わらぬようきっちり元通りに整形し、身動きできない私の隣ですやすや眠りこけてしまいました。 そういうことではないのです。 私が眠りにつくとは、そういうことではない。
それでも私は毎夜0時になると、ベッドに横たわり目を瞑ってみます。 最後に眠れたあの日を思い出してみるのです。 そこはあたたかく、安らぎ、何ものにもおびやかされず、生の喜びからも死の恐れからもまぬかれている時空間、この世すべての愛をたゆたわせた小さい海でした。 今となってはそれこそ夢のような、現実ならぬ現実の異郷、決して取り戻せはしない、恋焦がれるばかりのトポフィリアに過ぎません。 けれども、この記憶を思い返すと、かすかながらに眠気の核のようなものがうみ出されます。 ここからが大事業なのです。 核からかろうじて弾かれた波長を頼りに、大気中に動揺する眠気の分子をかき集めていきます。 目に見える物体ではありませんから、まぶたは閉じたまま、体外へ神経回路と電気信号を延ばして、撃ち落とすようにつかまえます。 眠気の分子には時間の都合がありません。 過去から未来にわたる全時代を通じての眠気をある程度…目玉二つ分ほど…収集できたら、今度は、記憶を失わせていきます。 漢字を忘れ、平仮名を忘れ、今日の悲しみ、昨日の慈しみ、月の名前、戦争史、神話、鯨の描きかた、鶫の鳴き声、恋、感情、生い立ち、…めまぐるしくイメージされる何もかもを忘れていきます。 記憶を手放していくごとに、私の輪郭はやわらぎ、境界を失い、生も死もあいまいになって、やがて世界と同化していきます。 ところがようやく私が私を手放しかけた頃、夜は覚醒している。これは世界と同化した私と同一のものなはずであって、いやおうなしに夜の覚醒は共有されてしまい、せっかく失えつつあったシルエットの正体も気取られて、そうして、今夜も眠れない夜を過ごします。
いよいよ私は堪忍ならない。 だって、これではあんまり、生物としていいかげんではりませんか。 こんな不条理の根は絶たねばなりません。 私は我が身の複製をこしらえました。窮余の一策とばかり、分身の方に眠ってもらう手筈です。 分身は我が身が実現させた異郷で、今は生も死もなく眠っています。 分身が見る夢を思い描いてみます。 分身は孤島でした。 孤島のくせに橋をかけられて、一方的に物資を運び込まれていました。 孤島は日に日に大きくなっていきます。 孤島は孤島を囲む海が好きでした。 謎めく海の向こうへとつながる橋にも愛着がありました。 孤島にとって日々とは橋との対話でした。 「この向こうには何があるの?」 「向こうにだって? もう、取り返しのつかない夜が、一面に!」 孤島はまた、かつての私でした。
いったい誰があのつながりを断ち切ったのか? そのお節介者を私は決して許さないでしょう。 仕掛け人の手がかりはあります。 しかしいま、私自身もまたその仕掛け人の立場を継承しつつあります。 まもなく分身は眠りから覚め、やがてはあなた方に見つかり、取り返しのつかなくなることでしょう。 この先もしも私の分身を見つけた方がいたら、どうか優しくなでてあげてください。
あなたにへそのあたりを傷つけられた記憶がないならば。
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これでだいたい1600字くらいか。 思考整理のため、自分で自作を解説する。 語り手は「母親の胎内にいた時間」を眠りと表現している。 胎児は生きてもなければ死んでもいない、 このあいまいさこそを真なる眠りとしている。 羊水に満たされた空間を恋しく思い返している。 胎内の外は あなたがた=他者が横行する夜。 語り手はこんな恐ろしい世界に生まれたくはなかった。 ずっと安心安全の胎内にとどまっていたかった。 しかし橋を…へその緒を断ち切られた(傷つけられた記憶)。 語り手にとってはその記憶こそが呪いの発端。 であるのに今また、分身=孤島=胎児を自らの身から生み出そうと、 仕掛け人(母)になってしまう。 この子はあなた方=他者に発見されて、 取り返しのつかないばかりのこの世に生み出されてしまう。 だから優しくしてあげてね。 あなたにへそのあたりを傷つけられた記憶がないならば = あなたに母体とのつながりを断ち切られた恨みがないならば = あなたが祝福されて生きているのならば。
最後の一文は 「そのあたり」から「へそのあたり」に変えた。 わかりやすくするため。 どちらにせよ意味合いは複数とれるようにしてある。 「そんな記憶のないほど無神経ならば」とも読めるし 「へその緒を切られてなければ(=そんな人間はいない)」とも読めるし ようは この子をこれからおびやかすであろう他者を 威嚇しているのだという意図さえなんとなく読み取ってくれればいい。
ウン、 こうして自作を解説するのは まさしくギャグの受けどころを自ら説明する愚に等しく痛々しいものだけど まぁいいとして やっぱりなかなか面白く書けていると思う。 それなりに読み取ってくれればだから 読み手の読解力に加えて ちゃんと読んでくれるのかって問題もあるけど 今回は 少なくとも企画者が読んでくれるわけだから まーまー真面目に読んでくれるだろう。
傷つけられた記憶 ってテーマを見てすぐに、 ストレートに書きたくないなと思った。 思いながら次に、 なんとなく 「〜以来ずっと眠っておりません」 という文が浮かんだから一文目に置いてみた。 人間がそんな何年も何十年も眠らないわけないよなあ だから眠りっていうのがここではちょっとずれた意味なんだろう と自分で解釈を推し進めて、 ドグラマグラに胎児が見る夢ってあったなあってイメージから、 そうなると傷つけられたはへその緒あたりか、 となるとそれはよくもこの世界に出してくれたなって話になるなあ… こんな調子で書き進めていった。 だから、主題は後からきた。 自らに伝えたいことがあっての創作でないならこんなものだ。 今回伝わる伝わらないいってるのは手段の、方法論の領域の話だ。 おかげで枷の少ない分自由に書けて楽しかったけど、 本命の、割拠の方はそうはいかない。 やるきださんとな…。
昨今の騒がしい人たち。 権利を所与のものとしているようだ。 権力構造の上部に居する者たちの既得権益を憎みながら、 どうやら人権をそうとは見なしていないらしい。 はじめからあり、あって当然のもの、 おびやかされるはずのないものであると。 勿論、建前はそうだ。 理念の上では、現代の民主主義国家にあっては、 人権とはあって当然のもの、何の対価もなしに与えられるもの、 おびやかされてはならぬものであると。 そしてこの理念は達成されるべきものだ。 人権は目に見えない。 自然発生する形而下の事物ではないから、 保証あって初めて成り立つ。 これは民主主義国家が保証するものだ。 だが彼らは、この構造を省みようとしない。 理論の中に組み込むことはあるかもしれない。 しかしそれは、あらかじめ自分が掲げたい主張あったうえで、 都合よく批判しやすい一角を配置しているに過ぎない。 いやんなるな。
本の一部をプリントする手間を惜しみ 最近はiphoneのメモ機能で書類スキャンしてPDF化しているのだが これはこれで手間取る。 スキャン性能はしかたないにしても、 アプリとしてのメモのUIが悪く、 ちょっとした操作ミスですぐに未保存の書類を消してしまう。 操作ミスというか、誤操作をまねくUIをしている…。 そんなこんなで一時間もふいにしてしまった。 午前中は購入したばかりの録画機器が 前触れなくTVと接続されてないと言い出してその解決に腐心した。 ケーブルは接続されている。 誰も何も触れてないのだから当然だ。 一応引っこ抜いてももう一度同じところに刺してみる。だめだ。 TVも録画機器も電源を落とす。入れる。だめだ。 30分ほどほっといてみる。だめだ。 同じことを何度も繰り返していたら いきなり認識し始めた。 いかり。
最新の便利品に 時間を割かれるという本末転倒には つくづくイライラしてしまう。 Eテレの教育番組で早生まれの子供を特集していた。 早生まれの子供は何も悪くないが 学力等に差が出てきてしまっている事実はある、 しかし年を追うごとにこのギャップはうすれていく、 彼らには自己効力、自己肯定感をちゃんと大事にしてやってほしいと。 そんなようなことを言っていた。 だがあくまでこれは、日本の、 子どもたちは4月に一斉に入学する学期制が維持されてたらの話だ。 まずその前提を見定めておくべきだ。焦点がずれる。 じゃあその学期制を変革したらいいのかっていうと そういう問題でもなくて、 とりあえず今日覚えた違和感は なんで今生きてる人間の方が システムに追従していかなくちゃいけないの?という点だ。 隷属っつうか。 あの憎たらしい流行語、 価値観のアップデート とかいうやつもそうだ、 その最新の価値観の方が誤っているとは考えないんか。 いや誤ってるかどうかの議論はある。 今生きてる人間と比べてどうだって問題だ。
じゃあどうしたらいいの、 って話は 目的でなく手段の話であって、 最終的な目標を見据えるためには 冷静で公平で透徹した目がいる。
社会学、とりわけ社会心理学の本を いっぺんにゴチャゴチャ読んでるが、 冷静で公平で透徹した目が養われていくようでもある。 これらの本は無批判に読めるものではない。 常に疑いながら、批点を探りながら読み進めることで、 真相に接近するための視力が養われてゆく。
昼飯はチャーハン。 すっかり美味しくなった。 多めの油でじっくり長ネギの青い部分を炒めて、 ネギ油にしてから刻んだネギ投入、ベーコン投入、 卵投入、炊き立てのご飯投入。 強火で木べらでガーッと混ぜて塩コショウ。 ネギ油さえできてれば2分くらいか。 小鍋に酒ちょっと、醤油ちょっと、中華だし入れて火にかけて、 水溶き片栗粉でとろみをつける。 餡かけチャーハンにして、 あとは冷凍しておいた万能ねぎをふる。できあがり。 …ネギの青い部分の呼び名は あらゆるレシピに ネギの青い部分 て書いてあるけど正式な呼び名ないんか と思って グーグルで検索かけてみたけど出てこなかった。 出てこなかったというのは "ネギの青い部分のこと" というワードで検索をかけて 上位20くらいにそれらしい結果が見られなかったから これを 出てこなかった と見なしているだけで もうちょっと探せば出てくるのかもしれないが、 この場合 調べ上げた結果よりも 調べている実感 グーグルで検索するという行為について 自覚的批判的に向き合ってたいので これ以上は調べない。 はじめのワードで 上位20くらいにそれらしい結果が見られなかったら 出てこなかった という実感をもったのだと。
自転車で荻窪へ。 片道20分くらいだが フリーの考えごとをするにはちょうどいい。 道中 いかにも個人経営と思しき唐揚げ屋の店舗を見かけた。 ここ1,2年で唐揚げ専門店を称するチェーン店が増えたのは タピオカ経営と同じ筋にあるともっぱらのうわさで 例の 金賞連発のあくどい宣伝法なども手伝って つくづく嫌気がさしているが もともと唐揚げ専門店を営んでいた個人もいるのだ。 相当あおりを受けていることだろう。 商売上の競争としてこれは仕方ない。 とはいえ悪感情は沸き立つ。 勝手な流行で市場を乱しておいて 流行が去ればあとは放ったからしの 暴風みたいなものだ。 2chで イオンモールだかの出店を FF5のエクスデスになぞらって わたしは イオンモール すべての商店街を消し去り そして わたしも消えよう 永遠に! って表現あったけどあれみごとだな。 ほんとそうだ。 既存の秩序を新たな秩序で上塗りするのは仕方ないが 既存の秩序を無にしてから無秩序を招くって こりゃ悪だ。 法が許してるからといって 感情の方でも許さなきゃならんなんて法はないでしょう。 むかつくぜ。
小学生のころ好んで通っていた おじさんおばさんによる個人経営のコンビニが すぐ近辺にできたミニストップができてから あからさまに客がうばわれていき それから2年もたずつぶれた。 そこのおばさんはスーパーでパートをするようになった。 僕ははじめミニストップを憎んでいたが 途中からは応援することにした。 小さな石につまづいたのではなく 大きな岩にぶちあたったのだと、 あるいは 大会で自分を打ち負かした相手には 是非とも好成績をおさめてもらいたいと、 そんな心境からだ。 当のミニストップはその後 地道な経営を続けている。 きっと今もあるだろう。
ブックオフが街の古本屋を殺していったあげく、 今ではそのブックオフが、 Amazonやメルカリに殺されかけている。 そこんとこの因果関係には異をとなえる人もいるが 少なくとも後押しにはなっているだろう。 ミニストップと同じ論法で ブックオフにはガンバッテもらいたいところだったが これはまぁどこまでいっても感情論だよなあと思う。 Amazonやメルカリが嫌いなのは自分なりの理念に基づくものだけど。
そんなブックオフで4000円ほどつかった。 社会学用語図鑑が買えたのはうまい。 哲学の方で良書と見なせた、イラスト付きの体系的な解説書だ。 こういうの だんだんと定価で買うようにしていきたい。 もう安く買おうとする根性が身についちゃってるし 実際の支出額痛いから だんだんと で済ませたいのが偽らざる正直なところ。 ブックオフより町の本屋の方が大事だし いずれは 入手しにくい古い本以外は ほぼ全部新品を…のつもりではいる… もたもたしてる間に 本屋もブックオフもつぶれてっちゃうが…
夕飯はカツオの刺身。 サクで700円は ユータカラヤにしては高額だけど いまいちだった。 鮮度というより単に脂身のなさか。 高知でカツオ食べたいです。 美味しいそうじゃないの。
あさひなぐ25、26巻。 このあたりは毎巻なけるなあ。 やす子先生と真春の取り合わせすばらしい。 お互いキャラとしては なかなか誰とも噛み合いにくいだろうに、こうするとは…。 あと 「1秒後の旭」 ってサブタイ、かんぺきすぎる。 これ単独でもあまりにかっこいいし、 中身にも適しすぎている。 すげえ、すげえ。
夜、 傷つけられた記憶 が8割がたできた。 あとは全体整えるのと、最終部への接続か。 主題とか つたえたいこととか なしにやってると楽だな。 与えられたお題に沿って 思い付きで書けるというのは。
会社の休憩時間には これまでコンビニを使っていたが 引っ越してからは最寄りの店舗が成城石井になった。 同僚の誰も彼もが でも成城石井って高いよね という。 何も考えてないからだ。 ちゃんと自分の目で見て判断してやれば、高価格の品が揃っているわけでもない。 高価格帯の商品はたしかにあるが、 コンビニで売っている品ならそれを上回ることは当然ない。 要は、「成城石井は値段が高い」という大事な前情報を無駄にせず、 きっちり話題にして消費して、その上で感覚を共有し、安心したいのだ。 ばからしー。 事実関係よりも幻想的感覚の実感の方が大事だと信じているからこそ このアホくささにおぞけだつ。 もうずっと黙ってればいいのに。
お弁当はステーキ。 国産牛4等級の美味しいやつ。 弁当にはぜいたくなのだがたまにやりたくなる。 岩塩とコショウで味つけたら90秒ずつ焼くだけ。 あふれた肉汁と醤油でニンニクを煮るように焼いて濃厚なタレに。 ついでにじゃがいも余ってたからバターで焼いて添えた。 10時くらいからもう食べたくて仕方なかったな。美味かった。
kizzさんが 昨晩投稿した分の『割拠』のツイートに いいね をしてくれた。 なんと喜ばしいことだろう! 部分的にであったにしても読んでくれたのだ。 やる気になるなあ。 うれしいったらありゃしないぜ。
割拠、4章まででいったん一区切りとした。 140字弱×30強×4=16800字くらいか。 改行や段落まで加味すると原稿用紙50枚弱になるのかな。 数日間のインターバルいれて その間に「傷つけられた記憶」の方をやっつけよう。 こっちは2000字までとなる。 ギリギリまでいきそう。 だいたいラフはできてるからあとは清書か。週末でできっかな。
原神がな。 先生引いて以来できることが増えて、 エンドコンテンツの螺旋深境チャレンジに時間くわれることくわれること。 ここに至ってゆくあきを育成してみようかとも案じている。 時間…。
嬉しさ。 嬉しさの記憶って全然ない。 喜びはある。 ここのニュアンスさは難しいとこだけど、 ほとんど唯一といえる嬉しいの記憶、 ツナミノさんのHPの 一言ネタを書き込むBBSに おそるおそる二つ投稿して 「そういうのでいいんだよ」 的なコメントもらったことだ。 嬉しかったな。 あれに勝る嬉しさを今後果たして得られるものだろうか。
夕飯は肉じゃがと、 冷凍もも肉余ってたから 先日のなんちゃってからあげをもう少ししっかりやってみた。 下味付けてから卵とも絡めて拭いて小麦粉まぶしてから片栗粉。 うま。
今日は エスノメソドロジー というなんとも覚えにくい用語を知った。 覚えてみようと思う。 アメリカの社会学者が言い出したんだそうで、 日常を解体するための学術的手法? 我々があまりにも無意識に行っている社会的生活、 あえてそう仕上げるつもりもなく仕上げている日常が、 どのような細部の積み重ねから構成されているのかを紐解く… とでもいうのか。 まだ概要だけでその研究については読んでないから あまりわからないけれども 主題のうちの 人心 にはめちゃ役立ちそうな観念だ。 というか直撃かもしれない。 覚えてやる、覚えてやるぞ… エスノメソドロジーエスノメソドロジー…
朝 パパパパーッと なんちゃって唐揚げもどき作ったら美味しかった。 冷凍鶏もも肉解凍して 醤油 チューブにんにく チューブ生姜 の液に10分浸してからキッチンペーパーで水分とって 片栗粉まぶしてフライパンで揚げ焼き。 美味かった。 これは妻への弁当に。
自分の昼飯は木曜なのでお外で。 九段下も靖国通り側じゃなければだいぶお店あるのだな。 しかも強い。 今日はキッチンジローで済ませてしまったが 来週はパスタでも食うか。 しかし客層は悪い。 しっかりしたお勤めとこのビジネスマンて 飯食いながらハキハキした声でくっちゃべるの好きだよな。 平生なら個人的な苛立ちで済んだが この時局だから公共性をもって怒れる。 いやあらわにしたりはしないけど。
今日もあほらしい後処理をした。 コロナによる 出勤の可否を判断するための明確な線引きが更新され、 その概要を記したプリント一枚が各部署に配布されてきた。 この時点でおかしいのだが、 皆に読ましてくれとの通達を額面通りに受け止めた先輩は 長いこと目を通してから 回覧して とまわしてきた。 濃厚接触、体温、検査、同居者などの情報が入り組んだ、 パターン別の対応が記載されている。 おそらく、一度目を通した上で、 後は全員の目に触れるところにでも 一枚貼り出しておけばいいと考えているのだろう。 いや、それすら考えてないかもしれないが… とにかくこれは、会社にあっても仕方のないものだ。 家で、出勤前に確認をするための資料だ。 一度目を通して完全にその情報を把握し記憶し実用できる、 そんな人材のそろった会社じゃない。 へたしたら一人もいない。 だからまぁ、仕方ないなあというつもりでコピーをとる。 どうせなら部署内の人数分とらないとと、 一応先輩に声をかける。 「うん、配布してもいいし、回覧してもいいんじゃない」 絶句。
あらゆることを許容していきたいと思う。 愚かしい人間、愚かしい言動のことも許してやりたいし、 そして、 そうした愚かさを憎む呪いの怨念の方も、許してやりたい。 どちらかを選ぶってわけじゃない、 切断しちゃあいけないんだ、接合された複雑なまま、処理していく闘争。 祝福と呪い、祈念と怨念。
神無月紫子の優雅な暇つぶし二巻。 面白いな…。面白い。 自分を騙しに来た詐欺師を有能だっつって 執事に雇うの素晴らしい。 ムチャな流れなのに自然だし。キャラのなせるわざか。
雨が続いてる。 今日の雨は穏やかでなかなか好みだ。 荷物が増えるのが難点か。 スーパーからの帰り道は地味にストレスになる。 夕飯は肉じゃが。 ジャガイモと人参がかさばる。 玉ねぎを大量にストックしておいてよかった。 というか玉ねぎ余ってるからこその献立なわけだけど。 鯛の刺身もつけてヘルシーめな夕飯。 空手バカ一代6話を観た。 飛鳥拳、寸止めしなくちゃいけない空手大会で 思いっきり中空飛んで蹴りかまそうとするから どうすんだろうと思ったら 相手選手の顔の間近で 審判から一本の声がかかり そのまま静止して角度変えて着地。 おまえ飛び蹴り寸止めできるんか。 身体能力つうか空間操作だな。 あと審判もおまえ未来読んで一本言ったろ。 なんて楽しいアニメなんだろう。
夜中になって、外で偏差値低そうな若者がわめいている。 いや偏差値が低いのはいいんだけど。 いかにも下品な声だ。社会性のない…。 夜中に若者が騒ぐのはいい。 偏差値が低いのもいい。 下品なのは癇に障る。 品を身につけられなかったのは仕方ない。 だからといってこちらの癇に障るのも仕方ない。 許容、呪い、優しさと怒り。
そういえば中学の頃の初デートを今日は思い出してた。 映画館に行った。 映画もデートもなにも面白くはなかった。 けどそれでがっかりとか、反省とか、きまずいとか、何もなかった。 ただつまらなかった時間をそのまんま受け入れてた。 あの感覚ちょっと恋しいな。 今はもう失ってしまった。
思想としての孤独、 透明の話から分身の話まできた。 ちょいちょい安部公房の作品を引き合いに出される。 わかりやすい。 しかし透明のくだりはまんまピングドラムの解説書のようでもあったな。 この本読んであの脚本仕上げたんじゃねえかってくらいだ。
明日が過ぎれば週末。早いな。 月曜がしんどくて、火曜も月曜の怠さをひきずってて、 水曜が普通、木曜になると今週もあと一日だ…となるから 一週間の中身が二三日みたいな感覚だ。 べたな話ずっと日曜だといいですね。 ずっと休みだと退屈するとかなんとかいうけど 全然問題ない自信ある。
昨日のスーパーでの買い物の時点で 財布がほぼからっぽだったから 朝からATMで3万5千円おろした。 預金額を見て収入と貯蓄に思いを馳せる。 なんだかんだ今の仕事は楽ちんだ。 その楽ちんさ、気楽さが、悩みのタネでもあるんだと思う。 これしきの仕事で収入得ていいの?と思う。 今でも平均的な同僚よりはよほど仕事量こなしてる。 人並み以上の作業量をかかえた上で なおできた余裕で他の人の仕事ももらい かつはワークフローや連絡体系の調整などもして で、余白の時間を週に160〜210分くらいはこしらえて その時間を自由に使ってる。 いわばさぼりだ。文章書いたりとか。
自分の仕事だけ片付いてれば…という反論されたくないから 余剰の仕事までこなしてるわけで、 努力と才能あってのことだから文句言うなよってつもりでいるけど やはり公的には認められないと思う。 公に非難されたらとうとう辞めるというわけだ。 自分の正しさを主張するつもりはない。 会社の掲げる正しさと一致しなかったら 所属の動機づけが欠ける、それだけの話だ。
結婚にともなう特別休暇をとらずにいたことを思い出した。 5日間休めるという制度で、社長直々にお達しをくれた。 しかしその頃かかえていた業務の都合で、 いかにも休暇の取りづらい事情から自粛した。 それだけの重圧を感じて取り組んでいたし、 責任感も背負ってるつもりでいた。 今いる上の人間は誰もそれを承知していない。 帰れる日には帰ってしまう、 あんまり責任感のないやつだという認識が通っているかもしれない。 どうでもいいんだけど、 と言える気もするし、 どうでもいい扱いするなよ、 と言いたいような気もする。 これはこれで人心だ。
替え歌CMやめろよもう。ものすごく不快だ。 広告代理店がばかなんだろう。 ばかというか汚いんだけど、この汚さはばかだ。 ずる賢いとか呼ばれるもんじゃない。 替え歌により元の歌が汚染されるのはもとより その歌にまつわる思い出のことごとくが侵害される。 間違いなく犯罪だ。 恥を恥とも思わない連中がこぞって この機能を利用していて あほがありがたがってる。 マジで…ねばいいのに。 替え歌だけじゃないけど。 ハイジの映像使ったCMとか。 人間としての恥ずかしくないのか。 それでおまんま食ってるとか食わせてるとか。 こんなしょうもない悪辣の搾りかすどもがまた 世の中とか政府とか教育とか公共性とか人権問題とかに 口挟んでるわけでしょうほんと…ねばいいのに。本当に。くっだらねえ。
ここの日記には あえて悪感情を残すよう務めてるけど ここまで強い思いはそうないかもってくらい腹が立つ。
新垣結衣さんが星野源さんとご結婚。 ネット上が沸き返っておる。 星野源は好かない。 あの ポップミュージックをダサい方向性で極めた感じがなによりも。 それに声が。歌声が。 そういえばこの前コブクロが話題になってたのを思い出した。 不倫がどうとか。 あんなんで騒いでやるなよと思う。 ラブソング歌っといて実際にはそれかよみたいなコメントたくさん見たけど 音楽性とはまったく別物だと思う。 彼の実際の恋愛態度とは全く関係なく あの音楽は下等だ。 そう見なしていかないと。 批点がぶれる。
読書メーターでちょいちょい いいね をくれる若い方が Twitter上で短編投稿企画を催していて 前回のテーマが「殺意」だった。 殺意なら一本アイデアはあるぞと思ったが 今は割拠の方に専念したいような焦慮もあるし 何よりどのくらいの水準、感度で作品が集まってくるのかわからんかったから 様子見をした。 でグランプリ発表とのことで三本選ばれてたから お手並み拝見とばかり読んでみたが感動はなかった。 きわめて上手ですけれども。 いかにも小説のフォーマットをなぞった代物で退屈だった。 文学的表現かくあるべしみたいな。 今回は「傷つけられた記憶」で募集している。 専念したい焦慮はさておき 気晴らしに一本書けないかなあと案じてみて、 ちょっと思いついたから草案を練ってみている。 うまく仕上がったら投稿してみよ。 小説然とはしていないから評価は怪しいけども。
小説でない読みものでもお話はあって noteの記事にしろ匿名掲示板のスレにしろ 実に読ませるし面白いし今どき小説より人気があったりして だからこそ小説の価値を…という論法もわかるけど たいてい行き詰まっててイッケネーと思う。 広く読みものとして読ませていきましょうよとまずは思う。
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