舌の色はピンク
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2021年05月18日(火) なんともいえない感情の渦巻き

朝番組で
多摩地域にあるゴミ屋敷を特集してた。
テレビ局はちょいちょいこういう露悪的な取材しますね。
一歩引きながら見てた。
例によってガラクタが盛り沢山だったり
悪臭撒き散らしてたり
ろくに屋根もなかったりだけど
今も姉妹が住んでいるという。
近隣住人からの評判は最悪。
花屋の主人は注意しにいった歳にエプロンを剥ぎ取られてしまったり
あとコチョウランなんかはハエ一匹とまっただけでダメになってしまうそうだ。
たしかに気に障る。
ゴミ屋敷の住人よ憂き目に遭えと呪ってしまう。
かつて自分がその近隣住民だったら、を
何パターンかに分けて想像してみたこともある。
大分自分の醜いところが発露しそうだった。

が今の自分には、彼女らへの理解を示しうる新たな秩序がある。
彼女(たち)にも、「その時の正しさ」があるはずだ。

取材してるスタッフが彼女に
常識上の質問を投げかけるのを聞きながら、
そんなことはわかってるって話だよなあと思ってると、
まさに
「そんなことはわかってる」
を連呼する受けこたえ。
「これがまともな家に見えます?」
 「わかってる。わかってますよ」
  「どうしようもないんです。だから仕方ないんです」
   「わかってるから」

僕はずっと
人心の正体
を追っていて、
日常生活のいたるところに見え隠れするそれを
どうにか捕獲したいと必死だ。
このやりとりにはかなりのヒントがある。

彼女には彼女なりの常識があり、定見があり、判断がある。
これを突き詰めていくと、なにをどう責めていいものやらってなる。

そのときの正しさ。
映画館でバイトしていた当時、
館内を歩き回り
アイスクリームを手売りで販売する
ホーキングと呼ばれる業務があった。
毎日担当は変わる。
その日僕がホーキングをしていると
館内の目立たない通路にあるソファベンチ席で
たまたま別のセクションの女の子とすれ違った。
ちょうど上映時間の隙間の暇な時間帯だったので、
挨拶を交わしてさらに軽口を叩いた。
やってらんないすよねえ、的な。
向こうもノッてきたので、
わずか1分にも満たなかったが
ちょっぴりはしゃいだ雑談をした。
周囲を警戒しながらソファベンチに腰掛けたりして。
「大丈夫ですか? こんなところで油打ってて」
「ちょっとくらい平気ですって。
こんなカッコでアイス売りとか、どうせ全然売れないし」
1時間か2時間後、
先輩に問い詰められた。
「お前には期待してたんだけどなあ…」
「真面目なやつだって思ってたのに、バレなきゃいいと思った?」
「フロアの女の子から聞いたよ。サボりに付き合わされたって」
このときの感情のうずまきを忘れない。
言い分はあるけど
自分の悪いことはたしかで
しかしそこまで悪かったか、
誤解はある、でも自分が悪いことに違いはない…


そのときの正しさ。
中一の春、バスケ部に入部したての当時
部員が一列に並んで
次から次へ代わる代わる
ドリブルシュートをしていく練習があり
皆もくもくと励んでいた。
一緒に入ったカズマに
「けっこう難しいね」とか
「カズマ上手いじゃん」とか
ちょこちょこ話しかけたところ
あぁとかうんとか返事ならぬ返事。
とうとう
「ごめん俺バスケは真面目にしたいから」
とシャットアウトされてしまった。
カズマは中学で知り合ったばかりの男で
まだよく人となりは知れていなかったが
チャラめの浮ついた印象だったから意想外の反応だった。
このときも言いようのない感情がうずまいた。
バスケ部はその数日後に辞めた。

こういう思いで、感情の記憶、大事にしていきたい。
自分はこれでできている。


あさひなぐ読み返してて
三須さんのことが好きになってしまった。
もともと国陵の芯のところを支えてる役回りに好感あったけど
真春との試合で
1分半もたせる目標を人知れずかかげて
無事達成して
自分だけは褒めてあげようってところに
感動して好きになってしまった。


昨日油ハネで首に火傷を負った。
痕になってることに今日気付いた。
老いた染みみたいだ。残らなければいいけれど。


「バーカ! お兄ちゃんのシスコン!」
てフッと思いついた。
妹が好きでたまらない兄扱い(勝手に)。

「手荒な真似がしたい」
て一言も。
これは使えるかも。
穏便に済ませたくないときだな。
円満に片づけたくないときだな。


夕飯は酢豚。
豚もも肉はいつもサボッて揚げやきにする。
しかし美味かったな。
明日の弁当もこれだ。


妻から
主治医についての話を聞いた。
恥を忍んで。常識知らずなもんで。
主治医っていったいなんなのかと。
あれはセフレみたいなもんらしい。
別に何人主治医がいてもいいのだと。
そして
一度でも関係もってれば
あとは勝手に
主治医扱いしてもいいのだと。
うーむなるほど。
僕はめったに病院にかからないから主治医がいない。
セカンドバージンみたいなもんだ。


田村正和さんが亡くなったらしい。ご冥福をお祈りします。
ご本人へは好悪の念はないけれど
おやじぃ。というドラマが本当に嫌いだった。
親父役で出てたわけですが。
旧世代らしい、頭の固い頑固親父が
下の世代の振る舞いにいろいろ身勝手なことをいう。
ヒステリックに理不尽なことをいう。
それで煙たがられるのだけど、
物語の展開で
結局
「親父の言ってることが正しかったね」
となる。
カスみたいな作劇だった。
その展開も
親父の理屈や行動には全く関係のない
たまたま
であったりして、
結果だけ見て親父の言い分が正しいとするなよと。
言ってることマジでめちゃくちゃだったからな。
それを
「さすがだね」
みたいな。
醜くかったな。

その役の印象が強すぎて
古畑任三郎は見てこなかったけど
ブームもすっかり去ったころ初めて見たらえらい面白がれた。


2021年05月17日(月) 月だる

月曜しんど。
意外と昼間はもつ。
夕方から夜にかけてがしんどいだるい。


昨晩手のり動物のお話を終わらせた。
フクロウさんが手のりサイズより大きくなってしまったから
一味から脱会するという決意をして
その送別会の最中に
羊さんから毛を借りて針の尖りを匿わせていたハリネズミさんが
ちょっと前にフクロウさんと一緒に寝て
そのとき毛が付着してフクロウさんのボリュームが増えてただけだった、
なーんだ、というオチ。


「将来なりたいもの? ”そこの民間人”かな」
というのを思いついたけどちょっとやだな。
Twitterくっさって感じ。
一度は言いたいこのセリフ、
みたいなの今も面白がってる人たち恥ずかしいんだよな。
マンガやドラマにありがちだけど
前日では使わないみたいなやつ。
もう10年くらい前にさんざんやったじゃんそういうのって。


夕飯は手抜きして味噌ラーメン。
塩コショウ多めにきかせたもやしをたっぷりと。
あと白髪ねぎ。
なんだかんだで今日も逆転人生見てしまった。20分だけだけど。
製糸工場の跡取りが主役。
若いころは糸を作るなんて底辺の仕事じゃんと思ってたらしい。
でも大本の素材を牛耳ってるって
いわば上部構造を支える下部構造の主体なわけで
あなどりがたいんじゃないかな、と思ってたら
イタリアの工場長に
おれたちはファッションの土台をつくってんだ
って言われて感激したんだって。
それをさらにMCの山里が
「底辺っておっしゃられたけど、土台って考え方にできるんですね」
ときれいにまとめてた。


だるい。だめだ。
洗濯もの部屋干しして寝る。








2021年05月16日(日) 妻誕

午後から雨の予報ではあったが
午前中から降り始め
布団を干すのに難儀した。


野方の輸入食品店への道中濡れに濡れおなかを冷やした。


Eテレの日曜美術館見てたら
最新のテクノロジーを駆使して
失われた仏像を復刻したんだとか。
もともと文化的に価値があるものなんだとか。
藝大生のが共同参画してるんだとか。
かんとか。

まぁ失われた遺物を現代の技術で再生させるってこと自体が
賛否両論を招くのはもちろんとして、
今回はこともあろうに仏像でしょう、
諸行無常って仏教の基本でしょう。
何もかも移りゆきやがてが失われるのだから
事物に執着するんじゃありませんよっていう。
それを無理やり力業で復活させて
ありがたやありがたやって
ばかみたいだ。


ルルナさんは皆がプリチャンを楽しむにあたって
もう失敗をさせたくなかったそうだ。
失敗するんじゃないかという不安ごと取り去ってしまいたかったらしい。
それで、完全の秩序を敷こうとした。

ライブやってなんだかんだで和解。
ルルナの笑顔がめちゃんこ可愛かった。
そしてソルルはずっとルルナを泳がせてただけみたいだ。
ようやくわかってくれたねみたいな。
しかしいきなり地球の危機が叫ばれだしたのでそれどころではない。
これはクライマックスなのか新展開なのか。


ミュークルドリーミー、
今回あたりから2期目が軌道に乗った感じだ。
ちあふるタイムまだ端折られないな。
ガンバッテ続けてってほしいと思う。
くるっとジャーンプはいらないけど。


昼にはナシゴレンを出した。
妻のリクエストにのって海老せんつき。
スナック菓子ぽかったけどやたらと美味いやつ。
食べながら見たスクール革命、
ディズニーのプリンセスを5名答えよって問題で
他の人が白雪姫とかシンデレラとかいってるなか
八乙女くんの答えが
「美女」

すげーと思った。
仮にこれがなんらかのヤラセだったとしても
それならそれで思いついた人がすげーです。


今日は妻の言いなりということで
食後もヌガーグラッセと海老せんを
何度も食べさせることになってしまった。
あさひなぐをたくさん読んだ。

申し訳ばかりに花を買って贈った。
カスミソウとなんかおっきい丸いのとちっこい丸いのと
あと何本か、寒色主体でちょっと黄色が差しこまれるだけの。
あまりお祝いっぽくはない。
赤や朱色も入れたかったけど
その色で気に入る花がなかった。
花選びの難しいとこだなあ。
そもそも店にあるものの中から選ばなきゃいかんというのも。


夕方から夕飯の仕込み。
今回はそこまで気取ったご馳走ではなく
いつもの献立のマックスの形を示すのがコンセプト。

マッシュルームのクリームスープ。
うちにミキサーはないのですり鉢でペースト状にする。
裏ごしがたいへんだがサボらずやる。
おかげで滑らかかつ濃厚に。

サラダは、ベビーリーフにルッコラを足して、
フルーツトマトとプロシュートとモッツァレラチーズを散らした。
モッツァレラはふんぱつしてブッラータ。
先日の新玉ねぎドレッシングにオリーブオイルとバルサミコ酢を和えて
塩とブラックペッパー。
岩塩が切れてたのが心残りか。

メインはホワイトアスパラガスのリゾット。
塩豚を足した。
あと思い付きで、
ミックスチーズに薄力粉をまぶしてフライパンで焼いて
何個か分に分けてって小さいボール状にした。
これをリゾットにのせてみた。美味かった…。

妻は大満足だった。

ダーウィンも面白かった。
帆立。
こいつ意味わからん。
そもそも貝が生きてるというのがわからない。
でこいつは動く。というか泳いだりする。
あと貝殻の開閉口にびっしりたくさんの目が散らされてる。
お前視界とかあるんか。
はじめは小さい帆立も
プランクトンを食べて大きく育っていく。意味わからん。
番組では帆立が30万匹集まるスポットを紹介してた。
意味わからん…。


読書はあんまり進まなかった。
思想としての孤独。
良本の予感はある。
こっから面白くなってくはずだ。


休日は映画を観ないと
いまいち脳が活性化しないみたいだ。
でも映画探し苦労するんだよな。
DVDで見たいし、
かといって近所のDVDレンタル店では
めぼしいのほとんど見ちゃったし。


2021年05月15日(土) 石を叩き割ろうとする飛鳥拳

ろくになんもしなかった。
無為に時間が過ぎていった土曜日。

図書館には行った。
三冊借りた。いずれも社会学。
道中思ったこと。
本を読んで仕入れられる知識や仕込める知恵、眠れる知は、
実際に人と相対して得られる生きた知に比べると数段落ちる、
"だから"、
読書は素晴らしいものだ。
なにしろ人と会って時間つかって
ひいひい言ってコミュニケーションして
ようやく得られる知より数段落ちる程度の知を
たかだか本を読むくらいのことで得られてしまうのだ。
だいたいが、そう面白い人や賢い人、
刺激のある人に囲まれているわけじゃないのだ、一般人は。
「本なんか読むより、人と話した方がずっといいよ!」
という文言は恥ずかしい。

ついでに。
本を読むなら面白くないであろう本も読んだ方がいいし、
自分に向かない本も読んだ方がいい。
偏るから。
ある程度自分の好みの領域で探していると
複数の本で似たような言説が並ぶことがあり
このとき
錯覚が生じかねない。
「みんな言ってる」「どの本にもそう書いてある」
という偏向だ。
これはよろしくない。
そもそも本を読まないならいいだろうけど。

ついでに2。
人もそうだ。
面白い人や賢い人に囲まれるばかりの好環境、
あまり望ましいとは思えない。
範馬勇次郎いうところの
「薬も食らう。毒も食らう」
の精神が至高だと思う。
なにしろこの世界に生きている限りは
面白くない人や賢くない人の方が多いわけで、
そっちにも精通できてないと
つまりは世界に精通できてないことになる。
知見が狭まる。

3年半くらい前だったか、
20歳のころ仲良くしていたMくんと久しぶりに会って
ものすごくガッカリした。
彼は当時から
バックパッカーとして世界中の国々を
何か月も旅してまわる生活を繰り返してきていて
日本で金を稼いでは飛んでたそうだけど
ある時期思い立ち
フィリピンでいちばんの大学に入って
経済を学び
今はビッグデータの勉強を延々している…という話を聞いた。
その半生の中で様々な
常識では考えられないような
「すごい人」
と出会ってきたそうで、
それだけにほとんどの人のことがアホに見えるのだと白状していた。
しかしよくよく話を聞いていると
彼が何のために生きてるんだかよくわからない。
優しさや慈善は結局自分のためだとか自明のことを声高に主張したりとか
芸術は教養のために学ぼうとはしたとか
とりあえず年収1000万が今の目標だとか
会社員を続けてきた僕のことがバカバカしく見えるとか。
「久しぶりになんというか、普通のひとと話せて、
あ、これが普通の世界なのか、って学ばせてもらいました」
とか
「この先連絡を取り合い続けるのは構わんのですけど、
正直、今の私とでは、レベルが違いすぎて、大変ですよ」
とか
まぁだいぶきつかった。
"普通"の価値や意味を解体して再構築してみたりしてこなかった人だ。
人文科学と文芸とフィクションとネット文化に触れてこなかった人だ。
20歳のころは互いに尊敬し合える仲のつもりでいたから
この現実はショッキングだった。
彼には何をどう言い聞かせようとしても
それが言論にとどまる限り
鼻で笑われてしまうだろう。
行動と実践を主体にしていると見なしてあげれば
彼の振る舞い彼の価値観彼の生きざまは
十分主題にしてやれる。
一応、彼のことを敵として照準合わせてはいる。
この場合の敵というのは
人生におけるアンチテーゼの意だ。


昼飯は素麺。
北斗の拳のアニメを見ながら。
ケンシロウまじでこいつ面白がって人を殺してんな。
すんなり殺せばいいのに
背中折り曲げさせたまま
硬直させて
30秒後背中が曲がりきって死ぬ
って
いるか? その30秒。
最高だぜケンシロウ。

夕飯は揚げ出し豆腐。
空手バカ一代を観ながら。
飛鳥拳、大きな石を拳で割ろうとする修行に入った。
大きな石は鍛えた結果拳で割ることがかなうんであって、
大きな石をただ叩き続けても
それは目的達成への道筋から外れてるんじゃないか、
それ全然修行じゃないぞ、
と思うんだけど
こんな理屈はどうでもよいのだ。理じゃない。
大事なことだ。


あさひなぐ読み返してる。
面白い…。
人間の妙が面白すぎる。絵もいい。


読書メーターに上記の読書についての所感を呟いてみた。

 ちょっと思ったこと。「本なんて読むより生で人と触れ合った方が得られるものが大きい」みたいな言説がありますが(ありますよね)自分もまさしくそうだと思うのですが本を開く程度のことで人と触れ合って得られる知に近い知が現れるのだからこれは一種の逆説が成り立ちやはり読書には十二分に価値が認められるんじゃないでしょうか。だいたい、人と話すと得られるものが多すぎてパンクする。1分話したら3日分くらいの思考の物種が溜まる。人との触れ合いは刺激強すぎ。本ぐらいがちょうどいい。
 あと「次に読む本探し」は面白そうだとか自分好みだとかの領域に限らない方がいいと思います。視点が偏向的にならないように。それに、人相手でもそうだけど、つまらない、醜い、愚かしいものに向き合っていかないとなかなか弱る。ECサイトのリコメンデーションはさいあくだと思います。ついでにサブスクも大きらいです。人の世界を勝手に狭めようとしてきやがって。個人的には本当はゴミ捨て場から拾ってくるくらいが理想です。しないけど。

そしたらひっっっっっっさしぶりにコメントがついた。

 偏っちゃいけないってことなんでしょうなぁ。私は結構考えてしまう人間なので生の経験とか行動とかするする飲み下す人を羨ましく思いますけど、やっぱり生の言葉で伝えられることって曖昧さもあるし、そこに人がいることによる忖度もあるでしょうし。ある程度自分の好きに読める本は本のありがたみがあると思いますわ。それでもその言説は本に偏っちゃいけないということに対する戒めとも思いますけどね。

こっちの文意を読み取ってるのかどうか不確かですっごいレスに悩んだ。

 一冊も本を読まなければいいんですけどね。今日アニメの「空手バカ一代」観たんです。そしたら主人公の飛鳥拳が山籠もりしながら、拳で石を叩き割る修行をし始めたんです。ひたすら石を叩きまくってて。…鍛えた結果として石を叩き割れるほどの屈強さや極意が会得できるのであって、ただ割れない石を叩き続けても鍛えることにはならないと思うんですけど。しかしこんなのは理屈です。無力だ。僕は飛鳥拳がうらやましい。結局飛鳥拳になれないから本など読んでいるのです。読める本を選んで。まぁ飛鳥拳は一冊の本で人生決めた空手バカなんですが。

狂ったようなレスになった。



レスを考えながら、
正しくない意見などあるだろうかと思案してみた。
どんな意見も、ある見地からは正しい。
そして発信者はその見地に立っている。
いや、正しくない意見はある。
わかりやすい例が、それを裏付けるデータに反する場合だ。
しかしそれにしてみても、
発信した「その瞬間」は、彼にとっては反していなかったのだ。
客観的事実と反していたとしても。

やはり僕は、「意見の正しさ」の可能性を支持していきたいと思う。
思案の足りない意見はある。
そもそもほとんどの意見は、思案が足りていない。
足りているといえるのは神の意見だ。
言葉が足りない意見はある。
そもそもほとんどの意見は、言葉が足りていない。
足りているといえるのは神の意見だ。
こんな論法からすれば、
やはり世間でいう「正論」なんてものは覚束ない。
相対的にはなんだって正論に祭り上げてしまえる。
絶対的に成立するのは神の論理のみだが、
思案も言葉も足り切ってる論理を、人が、
それも素人が、そのへんの村夫子が、実現できるだろうか。


引っ越しのタイミングと
新型コロナワクチン接種のタイミングがややこしい。
妻の妊娠(するかも)のタイミングも加味しないといけない。

でもすごく生を実感する。
それぞれは独立事象で、本来互いに因果関係がない。
それらの事情が複層的に絡まり合って
現在の状況をかたちづくって、
立体化な視野を必要とさせてきている。
たまんねえな。
おりゃあ角度の違う事情が絡まり合うのが大好きなんだ。
だから細雪が好きなんだ。


2021年05月14日(金) オフィス街のマンションに住むシミュ

スパイスとカスタード最終巻。
素晴らしい漫画だったな。
キャラがいきいきしていて…。
ポジティブシンキングな主人公すばらしい。


午前中は弁当が楽しみで仕方なかった。
朝からオムライスをこしらえたのだった。
しかし実際は途中でちょっと飽きる。
大盛にしてるのが悪いのだな。
自宅ではデミグラスソースでぺろりだけど
弁当だと味がずっと単調だ。


九段下方面を散歩するのはなかなかたのしい。
知らない町を徘徊する感覚がまだ楽しめる。
大通りから一本入った小道に面する
単身者用とおぼしきマンションが
土地柄に似つかわしくなくなんだか貧乏くさくて
とても気に入った。
この部屋に住んだら…という想像を働かせてもみた。
いい感じだ。
貧乏でも、住み心地悪くても、生の実感は得られそうだ。
ずっと都市的なノイズが窓から絶え間なく聞こえてくる感じ。
でもネオンもなく、若者の喧噪もない。
オフィス街のエアポケットのような場所で、
なにやら後ろめたいような、見つかっちゃいけないような、
でも堂々としてていいんだおれは住人なんだという特権階級のような
複合した意識で呼吸するのはなかなか満たされそうだ。


お夕飯は
塩豚に
昨日仕込んどいた玉ねぎを合わせた。うんま。
タイタニック後半(二夜目)の
後半部(22時から)の前半(20分ほど)を観た。
浸水していく過程。
そういえば中学校のとき社会科の教師だったかが
タイタニックを観たと感想していたのを思い出した。
面白くなかったと。
同じ海洋パニックものなら
なんとかいう映画の方がずっと面白かったと。
…タイタニックをパニックムービーとして楽しもうとしてたのか?


原神、11層がクリアできない。
いやクリアはしたか。星が6に届かなくて12層が解放されない。
三問目後半のアビス二体を倒すために
第二パーティーを強化してるから
第一パーティーが虚弱。ジンさん頼り。
天賦があとイッコ強化できればいけるかな…。
ものすごく惜しいところまではいってるから
何度も挑戦してしまう。
あれこれ工夫を試してみるのも楽しく、時間が溶けていく。


油壷のマリンパークがつぶれるらしい。
ショ、ショック。
いいとこだったな。
全然覚えてないけど。
ものすごく楽しめたって記憶だけはある。


そういえば昨晩妻に
男子の排尿メカニズムについてとうとうと説いた。
お小水を立って済ませたときに
全身をブルブルッと震わせるあの所作は
映画なり漫画なりで見覚えがあるらしいが
あれは排尿に必ず伴う生理現象というわけではなく
尿切れを促すための筋肉運動だからうんぬんと説明してるさなか
嘘でしょ信じられない
と引き気味であったのが見ものだった。
僕自身意識してみたことはなかったがおそらくそうだろう。
座っていればあのブルブルは発生しない。
おそらく女性であっても
立って排尿したらああした所作が必要になるんじゃないだろうか。
こういうのどこで聞けばわかるんだ。
ネットで検索する気にもなれないし。


2021年05月13日(木) かっこつけとか

すごい長々書いてた日記が
全部消えてる…。
ショックだ。

部分部分、思い出して書いておこ。


今日は雨だった。

とうとつにアバンストラッシュが放ちたくなった。
傘でやる真似事じゃなくて。
ものほんのアバンストラッシュを。
でも陸海空の剣技をきわめてないからだめだ。
世の
アバンストラッシュ放ちたい勢は
設定の上だけでもいいから
ちゃんと空裂斬とかできることになってるんですかね。
え? おい。
どうなんだおい、え。


高円寺駅前に響き渡るような威勢のいい声で接客してる
八百屋が邪魔。
公道にせり出してバンバン商品置いてるし
客も道に群がる格好になるし
路地がほとんどせき止められてるし。邪魔。公道なのに。
今日みたいな雨の日はなおさら。
でもこれを許容せんと町が死んでいくのよな。
生きた町を愛好していくには仕方ないのか。
邪魔だけど…。


脳内シチュエーションおったてて
かっこつけシミュレーションしてた。

店とか駅とかで
おじさんが女の子を威圧してるような場面で
割って入るわけです
そのくらいにしときましょうよと。
でもおじさんも引くに引けないから
罵詈雑言をかましつつ
かっこつけてんじゃねえよと
こちらを非難する。
そこでこれから彼を叱らなくちゃならないんだが、
彼にはあまり正当性が認められない。
私は叱りっぱなしになるだろう。
でもそれじゃあ彼の立つ瀬がない。
かわいそうというわけでもないが、
総合的な観点から踏まえて上手じゃない。
味方してくれないか.
あなたはもっとかっつけた方がいいですよ
という。
どれだけ冴えない人生でも
かっこつけることはできますよ
という。
そっちの方がましですよ
という。
勝ちだし正しいしかっこいいと思う。
何が勝ちで何が正しくて何がかっこいいか
そういう定義づけの足かせを吹っ飛ばす力もある。
大体かっこつけられるとこはかっこつけた方がいい。
そしてここの文章は最悪だ。
かっこつけないとこんなことになるのか。
まとまりないし
言葉選んでないし
文法もめちゃくちゃ。
かなり本音を書けてるとは思うけど。
でもかっこつけてるときだって
本音は本音だ。


夕飯は手抜きしてロースかつ。肉屋で買った。
冷ややっこ。
こちらはショウガと鰹節、ネギを散らした。
食後に、新玉ねぎを1玉刻んで
塩とブラックペッパーとリンゴ酢で仕込んで置いた。
万能ドレッシングになる。


社会心理学講義、おもしろい!
Twitterですかぢ先生が激賞してたから
取り寄せて買ってみたけど、早くもこれは名著だ。
直前まで読んでた
だれもわかってくれない なぜあなたは誤解されるのか
という
アメリカの社会心理学者による本は全然面白くなかった。
心理方面にばかり傾きがちで、
しかも理論を現実世界に用立てようとするばかりに
類型化されたコミュニケーションをなぞる
ビジネスマンの上っ面なやりとりを奨励するような
自分でものごとを考えられない人向けというか
実に程度が低かった。
そういった、似非みたいな「社会心理学」を批判してくれてるので気持ちいい。

「僕が一番興味あるのは社会心理学なのかもしれないと思って」
「フーン」
「本屋や図書館でうろうろしながら、
うわぁこの本棚読みたいのばっかりだな、
って思ったら区分が社会学なんだよね。
その中でも社会心理学が一番興味を誘う。
なんでいままで気づかなかったんだろうって。
出会った!て感じでさ」
「恋みたいだね」
妻はそういった。恋か。ふーむ。

誕生日のお祝いについては本人に相談してみた。
「というわけで、時局柄、なかなかプランが立てにくくってね」
「そんな程度で負けちゃうの?」
「負けはしないが、最高のにはしかねる。
この条件下における最適を目指すことになるね」
「ごちゃごちゃうるさいな」
「あ?」
「お?」
「だから、まあ、本来ならきみの望む通りにでもすればいいんだろうが…。
しかしなんだね。
アレがほしい、コレをしろといってその通りにするのは簡単でも、
きみあたりが望むのは、
自分でも意識していない欲求を叶えてほしいってとこだろ。
潜在的欲求を見出せというわけだ」
「まあ、そうだね」
「これがなかなか難しいんだぜ」
話しながらふと思いつき、執事デイをやることにした。
一日好きにしていいと。言いなりだと。
しかし普段からある程度似た関係性ができあがっているからか
ことさらに言い聞かせようとしてもイマイチ思い浮かばないようで、
口の端にあがるのは罰ゲームめいた発想ばかりだった。
そういえば、
SMのSの方はサービス精神が旺盛でないと向かないらしい。
Mはただ受け手でいればいいのだが
Sには絶え間ないアイデアが要求されるわけだ。
「じゃあもう考えておいてよ」
厄介なものだ。


2021年05月12日(水) 慰めたがる男たち

北川みゆき先生の最新刊面白すぎる…。
どうしようもない僕とキスしよう4巻。
冒頭10Pくらいだけでも、
それまでのあらすじ知らずにいきなり読んだってこれ面白いもんな。すげえぜ。
なんでベテランなのにネタが尽きないんだ。
安定感にとどまることなく
脂ののった中堅作家みたいな勢いまであるし。


妻の誕生日が近い。
がコロナでデートも行けないし、大がかりな真似もできない。
今年もこじんまりとしたお祝いになりそうだ。
料理とケーキか。
世間一般に照らし合わせれば十分なのだろうけど
わりとイベントは大事にしてる。
それは機会が訪れるごとに試されてるような気がするから。
試されるのはよい。
ありもしない課題を乗り越えていこうとするとき
生を実感する。


新しい性風俗を考えた。
客である男が女の子に優しくするサービスだ。
女の子は悩みごとを吐露したり
愚痴や弱音を吐いたり
とにかくメソメソしてたりする。
男がそれを慰める。
偉そうなこともいう。
そして女の子はその言葉に(ヤラセで)感じ入る。
泣き真似くらいしてもいいだろう。

キャバクラやガールズバーなんかでも
女性を…あるいは水商売を…見下して
説教したがる男は多いそうだし
そういうしょうもない自尊心を
まだ平和的に満たせると思う。
わかりやすくヒーローにもなれるし
善人ぶるのってとても気持ちいいと思う。

でも結局最後には金払うわけだからな…。
成立しないかな。難しいか。
でももともとある商売に
このシステムを組み込むのならできそうではある。
というか人気のある風俗嬢って
これに近いことやってるんじゃないだろうか。
ウシジマくんのイメージくらいしかないから心もとないけど
そういう賢さ強かさはいかにもありそうだ。


いまさら原神が面白くて
ちょこちょこちょこちょこやってる。
鍾離先生引けたのが大きいんだな。
ドンドン強くなるから育成が楽しいし
パーティーが強化されてできることが増えた。
螺旋11層をクリアできたのは感激だった…が
星が足りずに12層は開放されてない。
先生かジンさんの次の天賦次第でいけるかな。
11層の3問目後半のために第2パーティー強化してるから
第1パーティーが貧弱でというかジンさん頼りで
2問目前半が突破できなくなってもうた。


昨日の夜に仕込んどいた塩豚を
ナスとともにオリーブオイルとバルサミコ酢で炒めて
ブラックペッパー振って弁当にしたが実にうまかった。
塩豚は今回塩に漬けてから一晩だけだから
さっと水洗いしらくらいで、炒めてる最中に醤油までちょっと足した。
塩豚は塩加減が全然読めない。今回はうまくいったけど次回どうなるやら不安だ。

でも夕飯のペペロンチーノにも加えてみた。
こちらは塩っ気の調整が割りとなんとかなるから気軽にやった。
ペペロンチーノは
はじめ10回くらいは試行錯誤してたけど
麺をかなり早めに引き上げて
にんにく唐辛子炒めてたフライパンにお湯ごとぶちこんで
茹で炒めながら乳化させるという荒業覚えてからは失敗知らずだ。
わかりやすいし。
具はキャベツが一番活躍してる。
次点でエビか。でも値が張るからな。


2021年05月11日(火) 駆逐

人心とか他者性とか地獄の正体とかいう
主題にあたるパートと
お話の筋立てとあって
前者の方ばかりに気を取られていたから
5章を過ぎると筋立てがおろそか。今のところ。
終盤のたたみかけは大体決まってるから
そこにいたるまでの中盤だな。中盤がすかすかだ。
それだけに自由にこれから詰め込めるともいえる。


ウーバーイーツやっぱ邪魔だなあ。
あのばかに大きい荷台の自転車を路上に置いて
運転主が植栽の縁に座り込んでスマホいじってる姿にいらいらする。
通行を妨げてるし。
これが単なる一般人ならそう気にはならないけど
(荷物量が同じだったら邪魔ではあるけど)
そもそもこの商売がなかったら
この空間にはなかったはずの障害物なわけだから
全然仕方ないとは思えない。邪魔だ。うっとうしい。
カスみたいな商売だと思うんですけどね。
「ビジネスチャンス」って
人の潜在的な欲求をかなえる
隠れた需要を見出す
みたいな商魂がたっとばれれて
建前上は「人のため」になるよう論法がくみ上げられてるし
実際「人のため」といえてしまえるような現実を達成しようとはしてるけど
「世のため」からはかけ離れてるケースがほとんどだ。
近視眼的というか。狭い、しょうもない視野で「人のため」とかいって。
バカみたいなビジネスが横行しくさってるから
世の中がドンドンつまらなくなる。

モノポリーの駆け引きの一つで
物件の権利書をトレードするにあたり
こちらの物件の方が格が落ちるというとき
じゃあ3回までならおれの物件止まっても無料でいいよ
みたいな条件で成立させることがあって
一見公平感はあるのだけど
これはトレードに参加してない者にとっては
相対的にただただ損だ。

需要があるからといって
その価値を直鉄的に享受する市場参加者にとっては
そりゃあありがたいことであっても
それ以外の人に不利益をもたらすようなビジネスは
まぁことごとく駆逐されろとまでは言わないが
すくなくとも
人のためになってます
社会のためになってます
みたいなツラしないでほしい。
そしてことごとく駆逐されてほしい。


まだ疲れてて全然本読んでない。


2021年05月10日(月) おなまけ

月曜日だけの特別な疲れ。
朝の時点で警戒してたから腹式呼吸を心がけた。
腹式呼吸で過ごすと明らかにだるさが緩和する。

が、妙といえば妙だけれども、
だるさに甘んじていたいというのもある。
気力を発さずに
身体が重いままに身を任せるのも
これはこれで一つの快感で
それを放棄するのはもったいないというような。
いや、だるさが不快なのは間違いない。
だがそれを解消しようとしたときに
なまけたいという衝動がばくはつてきに沸き立ち
なまけへの誘惑が強められ
それが快感になるという…

まるで宿主を操る寄生虫だ。
快不快まで左右されてしまう。
だるさの生存本能。
やつらは始末されたがらない。


今日は仕事が忙しく
それだけに気分がマシだった。
忙しいと裁量権が確保される。
仕事を円滑に裁くだけの能力が上の人間にないから
こちらで切り盛りしてやる格好だ。
あれとあれのあいだにこれをやって、
それをしながらこの準備をして、
彼にはこの指示を、彼女にはあの指摘を、
いついつまでにこれが終えられた場合に限りこのプランを…
と考えながら動いている分には時間がたつのも早いし充実している。
要はアホの言いなりになりたくないのだな。
実によく聞くやつだ。ありがちだ。


今日の弁当のおかず、
茄子とひき肉の豆板醤炒めがかなり美味かった。
いつもは豚ひき肉なのだが
明らかにヘルシーじゃないので
せめて鶏むね肉の方がマシかなと試してみたところ
むしろこっちの方が美味いかもしれない。
葉物に添えた鶏むね肉も抜群の出来。


今日読んだ少女漫画。
Cheeseのコーヒー&バニラ。
深見さんのビジュアルどんどん良くなるな。
リサさんはちょっとお人よしが過ぎる、
もうちょっとぐらい醜いところがあっていい。
ぶりっこみたいだから。
プレミアCheese掲載のコーヒー&バニラ-black-。
こっちの男は
女たらしの遊び人という類型であるのに
現代の価値観(というか需要)に合わせて
一途っぽさも前面に押し出さなきゃだからタイヘンだ。
破綻してないように見せてるけど
ちょっと破綻してるようでもあるし
でもそれらをひっくるめて成立してもいる…
同雑誌のパーフェクトスキャンダル。
この立ち位置同士なら
いがみあったりしつつ仲を深めるのが王道だとも思うけど
普通に互いに距離感さぐりつつ
くん付けさん付けで親しい男女っていうのは新鮮だった。
Sho-comiの仁義なき婿取り。
主人公死にかけ。終わりが近いか。
この作家さん、
毎回1シーンはオンナノコのお色気描写ないと気が済まないようだけれど、
今回は気を失った主人公が
男の子にお姫様抱っこされてるコマの
スカートの垂れ下がり具合がすごく見ばえ良かった。
藤原よしこ先生のあしなが王子様は失恋する2巻。
大ベテランなのに全然失速しない…。
ますます面白いな…。
でも新キャラ、
せっかく王子様の彼に初めて親しく接してきたって役柄なのに
いまいちパッとしないな。
うるせえ奴という印象がぬぐえない。


家帰ったら
怖れていた書類が届いていた。
賃貸契約更新のお知らせだ…。
6月には引っ越ししないと…。


夕飯はぶっかけ。
10分版ダーウィンを観ながら食べた。
小さい島を覆いつくすセイウチの群れ。
岩にも見える
というか岩にしか見えないセイウチの群れ。
衝撃映像だった。


疲れ。疲れ。疲れ。
今夜は洗いものをさぼってしまう。
明日の朝やろう。


2021年05月09日(日) 5月のいい日

NHKの100カメで
結婚相談所のドキュメンタリーを観た。
所員は電話で恋愛相談のようなこともする。
ちょっとしたアドバイスや
ときには説教に近い意見まで投げかけるのだが
自分が客だったら
または相談員だったら
を想定してみるとどっちにおいてもきつい。
というのは部分で判定されるからだ。
自分が客側だったとして
ある振る舞いや選択に対し品評されるのは耐えられない。
部分的な行動、部分的な思考を
その単位で見て取って
全体図を見れないというのは
誰しも正しくないと気づいてるはずだけど
本当にその例は多い。
いわゆる
正論
とか呼ばれる感じの指摘も、
大体部分に限っているので
その通りに改めたら
どっか別の歯車が狂う、全体の流れがねじれる、
ってことが往々にしてある。
それはお前の全体図にとってのみ成立するんであって
こっちの秩序には反するものなんですよっていう。
こんな簡単なことがわからんのだ。
政治についての指摘、次いで仕事が多いか。
バカ丸出しで恥ずかしい。
でもいつもそれが誤るわけじゃなく
それなりに成立するようなこともあるから
余計にたちが悪い。

「それになんの意味があるの?」とか
「今のやり方おかしくない?」とか
まぁ大体似たようなあほさだ。
テーマにしがいがある。


プリチャン面白かった。
まさかプリチャンライブ中の
お城まわりを走る演出が伏線になってるとは…
キャッスルなんとかとかずっと言ってたもんな。

ミュークルドリーミーはめちゃ面白かった。
お空の女王様二名が
せっせせっせと赤ちゃんぬいぐるみを縫って
なんとかできあがって
せーので息を吹きかけて
生命が宿って
みなでお祝いムードを盛り上げるだけ盛り上げて
地上へ向けて投げ捨てた。
ダイナミックな捨て子。
絶対に育てたくないでござるというような。

空から落ちてきた赤ちゃんぬいぐるみは
みゅーちゃんが拾って
ちあちゃんという名前を付けていた。
ちあふるタイムでも活躍すんのかな。
ちあふるタイム癖になる。頭ん中で再生される。
応援してもらってる感じで気分がいい。


昼はジャージャー面。
白髪ねぎの下処理委時間が短かったから辛かった。
その後パウンドつくった。
キャラメル紅茶パウンドのつもりだったけど
アールグレイパウダーがなかったから
ほうじ茶パウダーで。
作りながらザ・ノンフィクション。
コロナ禍の女性タクシードライバー。
夜分に交差点で
無理やり目に右折しようとしてきた対向車と
あわや衝突と瞬間
ハンドルを左にきって
無事減速できていたからよかったところ
目の前には歩行者がいて
当のドライバーは心底ふるえあがっていた。
とはいえ彼女自身
黄色が赤に変わるところで強引めに信号を突っ切ろうとしていたから
過失がないとはいえないだろうと思われた。
その後Twitter覗いたらトレンドにザ・ノンフィクション。
毎回放映時間はトレンド入りしてるよなあと思い
かるく見てみると案の定叩きが。
生きがいなんだろうなあ。
叩きやすい人をつかまえて
叩きやすい構成で編集されてる番組見て叩くの。
醜いったらありゃしないぜ。


昨日にもまして天気がいい。
暑いってくらい暖かくて気が休まる。安らぐ。
妻とあさひなぐを読んだり
ちょっとだけ昼寝したりして
暑さが収まってきた16時ごろ
野方方面の公園に読書しに行ってみた。
男子小学生が10人弱も集まって元気そうに遊んでいる。
ボールもなしに何が楽しいのかキャアキャアはしゃいでいたが、
やがて500mlのペットボトルに水を入れ蓋をしたそれを
上空めがけて投げ飛ばし始めた。
代わる代わるに投げ飛ばす。
惜しいとか、あとちょっととかいった声が叫ばれる。
どうやら園内の照明設備の上に載せてみたいらしい。
10m近くありそうなのその設備のてっぺんには
たしかに50cm平方ほどの水平な領域があった。
しかし載らない。
僕の座っていたベンチからは
どれだけ角度がズレているか丸わかりだったが
彼らの位置からは空間が把握しにくいのだろう。
なかなかいい光景だった。
あんな遊びは、
本当にやることがなくて暇で仕方ない、
という状況でなければ到底するものじゃない。
子どもは暇で暇で仕方ない、という環境に置くべきだと思う。
自分で遊びを作り出せるし。
どう見ても文明的じゃねーので
大人から見ると何やってんだこいつらって感じだけど
尊重すべき。
子どもからしてみても
何やってんだろ俺らって感覚あるだろうけど
尊重すべき。
大事な大事な時間だ。


夕飯にはホッケの塩焼き。
それと珍しく惣菜を買ってみた。チーズコロッケ。
妻は焼き魚を嫌がる。
せめて何か一品足してくれとねだるので今回は甘やかしてやった。
調理時間が短いから
ついでに鶏むね肉を柔らかく茹でて
あと鶏ひき肉で肉だんご作っておいた。こちらは弁当用。

ダーウィン、今週は先週に引き続きチーターの群れ特集。
三年追ったドキュメントだーっつって、
5匹それぞれのキャラ付けもしてあって
ストーリー仕立てで
最悪だった。
人間の見方で
動物たちをキャラ付けして物語にするのは
自然を追ったドキュメントとしてフェアじゃないと思う。

食後、録画してあったNHKのドキュメント72時間を見る。
とにかく録画機器が復帰したから録っては見てるのだ。
今回は海上タクシー。
港周りの人々を追っていたなかで
小屋で飯食ってるおじさん見つけて
撮影スタッフがお仕事なんですかと聞くと
「大工さん」
との答え。
自分でそう呼ぶのいいなあ。
その後この大工さんは海辺に歩いて行って
弁当の一部を海の魚に投げ与えてた。
「日本の魚だからコメの方が好きだろう」
っつって。
いいなあ!
これ映画や漫画や小説なら相当上等なセリフだ。


書いてる読みもの、
小説と呼ぶのが一番近いが
なるべく小説の型にしばられないようにしたい。
ウェブ日記だとか2chで見るようなスレ主の語りのように
人名がなく風景描写がない。
ごく個人的な手記のように心境のアカラサマな書き連ねが多い。
小説には縛りが多すぎる。
小説はもっと自由でいいはずだ、
とされながらもなお、
良い小説かくあるべき、という最低限の秩序はあって、
そこんとこを全然満たせてないわけですが
今回はもういい。

やりたかったのは
今考えてることのオモテ面を全部日本語文にぶちこむこと。
つまりは人間界のよしなしごとを。
できるならエッセイでもよかったが
お話にとじこめる方がより適してると思われただけだ。
だから小説として優れてなくっていい。
逃げ口上みたいだけど。
いや実際逃げ口上ではあるか…。
小説を書ける人間であればきっとうまいことやるのだろうし。




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