舌の色はピンク
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妊活の相談をしに産婦人科へ。
道中、妻から 二世帯住居を構えていると 相続税が安くなるのだと聞いた。 この友達とのリモート飲みで知ったのだそうだ。 この制度を活用するためタイミングを見計らって 住民票を移し替えた人もいるとかなんとか。
僕は節税があまり好きではない。 日常生活の範囲内なら構わないが 法制度の隙を縫って 賢く立ち回ろうみたいなやり口は嫌いだ。
節税というのはおおよそ 累進課税の影響の強い資産家や高給取りが取り去汰しているものだが 例えば連中は あっちで買えばお野菜が20円安いの ここの自販機は高いだの といった 倹約家、吝嗇家の行動及び意識を見下しがちだ。 「そんなものに時間を使うな」 「その分稼げばいいじゃないか」 「単に貧乏くさい」 といった論法で。 それでいて こと税金となると いかに自分の金を国に納めず済ませられるか ガンバルっていう。 バカバカしいったらありゃしないぜ。 額の問題とかじゃないと思うんですけど。 性根がださい。
そんなことを バスを待ちながら目の前にある自販機を見て思った。
バス内ではアメリカの社会心理学者による 「なぜあなたはわかってもらえないのか」 みたいなタイトルの自己啓発書すれすれの本を読んだ。 面白くない…。 これから面白くなるのかな…。 社会心理学という分野には興味津々ではある。 とりあえず気になったのは サメと雷のどちらを恐れるか人々に尋ねれば ほとのどの人がサメと答えるが アメリカでは年間のサメの被害者数が数人であるのに対し 雷の方は何千人もいるのですとかなんとか。 いや母数を一括しちゃいかんだろ。 雷の方はほぼ全国民を対象にできるが サメの方は海に行った先でのできごとだろう。 それも浅瀬で海水浴しているわけじゃなく 沖の方にまで行ってのことだろう。 比べるなら 「雷がある日に誰かが被害者となる確率」 と 「サメが出るような海域にまで行った人が被害者になる確率」 だろう。 そのうえで、どうアンケートをとっていったのか 詳しいところは定かじゃないが 質問の術語が「恐ろしいか?」であれば そりゃあ落雷よりもサメに食われる方が恐ろしいだろう。 だいたい落雷による事故なんて 直撃して黒こげなんてもんじゃなく感電や轟音の衝撃なんだろうし。 サメの方はよくてパニックによる溺死、悪くて食われるだから。 そもそも落雷の被害者ってどこまでを数えてるんだ? 外傷あり後遺症なしの被害なんていくらでもありそうだけど。 …そういった側面を無視して 都合よくおのが理論に取り入れているから 牽強付会の感が否めず信用ならない。
産婦人科にはやや遅れて着いた。 本町三丁目という停留所を目指したが 路線違いで 中野区の本町(ほんちょう)三丁目と 渋谷区の本町(もとまち)三丁目が隣接してるようだ。びっくり。
ほとんど励んでもないのに 今後の方針を定めやすくするためにという名目で 来院は心から気は進まなかったが 院長先生の話は面白かった。 まるで妊娠にいたるまでの活動はまるでゲームのようだ。 それもバランス調整が抜群に訊いている。 検温、生理周期から妊娠しやすい時期をねらって励む、 おおまかに言えばそれだけとも言えるんだろうけど 数々の見えない内部ステータスがあるから それを読んでいくっていう。 一番は数こなすことだけれども 排卵を促す注射を打って当たりの率を高めるとか これっていわば課金制で手間暇をショートカットしてるよう。 あと、女性の中にはたまに 精子絶対殺してやんぞ抗体を有しているひとがいるらしい。 詳しくはわかってないらしい。 生命界にたてつくような設定だ。 精神どころか身体からミサンドリーっていう。発想にもなかった。
病院出てから入ったラーメン屋、 店構えは中華そばと銘打ってるし どこにもそんなことは書いてないのに にんにく量がすさまじいラーメンで気持ち悪くなった。 書いといてくれよ…
録画しておいた 逆襲のシャアを観た。 Gジェネとかのゲームでシナリオは知った気になってたけど ちゃんと見たことなかったので。 ガンダムの世界観に触れる自体久々な気がする。 宇宙世紀という設定の根幹にあたるコロニーは 「増えすぎた地球人口」への対処なわけですが 結果的には現実の世界は人口減少に向かっている。 ガンダムが放映されたのは80年代初頭だったか? この時代は日本のみならず先進諸国が 医療技術の進歩や 人々の健康意識および知識の向上、 食料の生産および分配の能率化、 といった数々の理由から人口増えきってたわけだ。 でも現実は人口減ってる。 少子高齢化は日本だけの問題じゃない。 これじゃガンダム始まらないな。 で 人が死ににくくはなってるのに 人口が減るってのはつまり 人が増えてない つまり出生率の低下 つまり子作りの問題 つまり今日病院で話をしてきたまさにそれが問題なわけだ。 こうつながってるくのだなあと実感した。
逆襲のシャアは 名作という声もあれば ファンからは不満という声もあったけど けっこうおもしろかった。 アムロとシャアが舌戦繰り広げてるだけでも楽しいからな。 トミノ節で。 しかしトミノ節なんて言葉でわかった気になっていいレベルじゃないよな あの魅力的なセリフの応酬の数々は。 名言も多いがそれだけじゃなく あるセリフに対する返しのセリフが ちょっとズレてる(ズラしてる)、 その具合がなんとも面白い。
あとνガンダムが小さいころ好きすぎて フィンファンネルについては 年が長じてからも大好きで 今回初めてアニメで見て あぁやっぱり富野だから わかりやすく大活躍みたいな感じじゃないよなあと むしろ安心した。 子どものころ見てならガッカリしたろうな。 無双してほしいものだし。
アムロになついたクェスが ハサウェイとともに車に乗せてもらってたシーン。 たまたま一行がシャアと出くわしてしまったので アムロと白兵戦になるも シャアの弁に同調したクェスがアムロを裏切ったところで シャアが一切戸惑わずに 「来るかい」 と手を差し伸べるのかっこよすぎる。 あれは惚れるだろう。
昼でウェップてなったから 夜はあっさりしたものを。 アジのなめろう。 また三枚におろした。 スパン短い。 飯食べながら録画しておいたソーイングビー見た。 お題が 70年代に流行ったらしいマキシドレスという丈の短いドレスで 仕上がったドレスの中では ぶっちぎりに チャイナ仕様をミックスしたみたいなドレスが可愛かった。 袖口が広く裏地を見せる格好。 柄も落ち着いてて可愛かったんだよな。
飯食ってからはゲームいっぱいした。原神。 ショウリ先生を入手出来てしまったので ひたすら強くする作業。 聖遺物鍛えて 武器鍛えて 突破素材集めて 天賦素材集めて 秘境出入りして スライム倒して 合成して合成して… おかげで1軍入り。
風がきんもちいい。 人と会いたくなるな。
仕事でちょっと面倒な成り行きに。 発注元がスケジュールを今よりタイトにしたいとの由。 僕が請け負うスケジュール管理は複雑になるが そう難しい話でもない。 しかし今は無能の先輩を間に挟まなければならないから 簡単な話もややこしくなる。 本来なら立場上はこの人が現場代表として営業と打ち合わせるのだが 全然仕事を把握できないので一緒に立ち会う。 事情を客観的に整理した上で、 当面の目標を定めつつ 不測の事態への対処はこれこれこうして、 このようにワークフローを改めて…といった話を ペラぺ〜ラしてたら それが終わるか終わらないかくらいのタイミングで なかば遮るように 「だからまぁ、きつくなったら残業で対応していくしかないってことですね」 殺すぞ…。
しかなくないし 全然 しかなくないし。 しかなくないってことを 懇切丁寧に説明していたわけだから。
〜するしかないって 何も考えてないやつの常套句だからな。 もともと大嫌いな言い回しだけど この先輩があらゆる場面でれんぱつしてくるからビックリする。
亜種として 考えなければならない とか 考えさせられました とかも 何も考えてないやつの常套句だ。
今の職場の何がつらいって こんな連中に囲まれてると 気付かぬうちに頭悪くなるんじゃないかって危惧だ。
「まわりの人間がバカばっかで〜」 て言ってる時点で雑魚っぽいもんな。 ここ以外で言うことはないけど。
魅力的で頭のいい人ばかりとまでは言わなくても 魅力的で頭のいい人が散らばってるような環境にいる人を羨む気持ちがある。 今は 自分でものを考えられない愚図にかこまれてしまい これは我が身を思えば悪影響に違いないはずなのだが そのせいでもたらされている悪感情は大事にしていきたい。 満足してりゃあ満足ってわけじゃねえんだ。
んー… やっぱこれ良くないのか…?
Twitterに載せる文章では ネガティブな内容を避けていた。 おかげで希望とか祝福とか喝采とか そういった観念を肌身になじませることができて それはもうかけがえない収穫だった。 だが more!more! の精神から やはり絶望とか怨念とか蹂躙とか ネガティブなハート&マインズも大事にしていきたい。
帰ってから 金曜ロードショーのタイタニック観た。 前後編の前編で、 その後半1時間分。 冒頭が好きなんだけどな。 ディカプリオ演じる金のない若者が ポーカーで勝負して 買って チケット巻き上げて キャッホーゥっつって 無限の希望を胸に豪華客船に乗り込む… という一連の場面が凄まじい早さで あの早さが好き。1分もかけてなかったような。
あの映画 ちゃんと男が女を口説くからいいな。 やっぱ口説かんと。正面切って。 しかしあの男は 金持ちの世界にあこがれて船に飛び込んだくせに 本当のパーティーを見せてあげるよと言って 労働者階級の催しの場を どうだ素晴らしいだろう と言わんばかりに持ち上げるのは気持ち悪いな。
毎晩妻に語り聞かせている寝入り話、 これまではお題を変えてきていたのに ここ最近はずっと 手乗り動物 の話をせがまれてしぶしぶ続けている。 逆盗賊の話だ。 道々で拾ってきた価値のありそうな品々を 訪れた町の民家に忍び込んで置いてきてしまう。 という一味の話ならぬ話。 話としては中身がなくとも 妻は寝る前には とにかく可愛い話が聞きたいとのことで この手乗りサイズの動物たちの奮闘記を気に入っている。 あとは毎晩お題を出すのにも疲れたのだろう。
会社連休終わり。 引っ越し先で初仕事。 一部を除いてだいたい皆もくもくと作業し始める。 感想とか全然なし。 コロナ禍で会話が奨励されないとはいえ異常な光景だった。 小学校のコンピューター室みたいな匂いしますね、とか 雑音が減ってキーボード叩く音が目立ちますね、とか そのくらいのコメントしてみても「はぁ」という感じで。
余計なコミュニケーションとらなくて済むのが 今の職場の良さでもあり問題点でもあり、 その雰囲気が嫌になった若手が何人も辞めてきている。 僕にしてみても 仲良くしたいわけでもない職場の人間と 意味もなく会話したいとは思わない。
だがしわ寄せというのはある。くる。 コミュニケーションには労力がいる。 あれは疲れるものだ。 ほんの一言二言であろうと、 友達でもない相手にそれを日々続けていくのはストレスだ。 だからそれを避けられるのであれば 避けた方が 疲れずに済む… と思いきや、その結果、余計に疲れを招く未来が待ってたりする。 というわけで、ほどほどにはやっといた方がいい。 …こんな話を当の同僚に伝えるわけにもいかないから難しいな。
職場にはもともと仲のいい相手が何人もいたのに 二年ほど前に皆やめてしまった。 おかげで毎日がつまらない。 唯一仲良くしている先輩と久しぶりに帰りの電車で居合わせた。 GW中のストレス…docomoへの不満などを笑い話の調子で語ってみた。 激情に駆られて 怨念まき散らして でもこんなことぐらいで感情高ぶらせるおれが 結局は一番おろかで幼稚で害悪なのだ… そういった口振りをしていったところ メンヘラみたいだと笑っていた。 本気でそうは思っていないから冗談になる。 そうだ、全然メンヘラではない。 しかし先輩も全然メンヘラわかってないな。
ものすごく眠くて帰宅してダウン。 夕飯は 鶏モモ肉とクレソンのスープご飯。 煮込むだけでできるから楽。 今回はしめじも加えてボリュームがある。 ニンニクを揚げて散らす。 楽だけどカフェ飯っぽい。 新玉ねぎをオーブンでとろけさせてやりたかったが 35分じゃ足りなかった。 しかもスープご飯のボリュームもあったから結局食べずに。 つつみなおして冷蔵庫へ。
読み物、三章目が終わった。 手ごたえがない。
観たり書いてばかりであまり読んでなかったから シティプロモーションてぇまちづくりの本を読みきった。 まち、地域ときたら人口が取り去汰される、 その人口はたんなる定住人口とは別に 関係人口と呼ばれる新たな概念があって より多様な関わり方をうんぬん〜という本だった。
昼は醤油ラーメン。めんま入り。
女子高生の裏社会て本も読み進めた。 2014年の本。 時期をかんがみると この世代が今パパ活がどうとかなってんのかな。 2014年時点で16歳だったら 2020年で22歳。大学生のおわり。 パパ活は去年あたりに話題になったけど こういうのはその数年前から成長し続けてるのが常だから かなりジャストなはずだ。 でも読んでると 性被害に遭ってる子が多すぎてへこむ。 女性がつねづね細かいところで 性被害を警戒してあるいは怖がって生きている、 というのは知ってるつもりだったし かなり意識できてる方だろうという自負もあった、 おくびにも出さないだけで 性被害に悩んでいる女性がいるというのも想定している、 だが たとえば身の回りの男が おくびにも出さないだけで 性犯罪の加害者かもしれない という想定はしたことがなかった。 「男は、女の前でしか見せない顔を自分一例しか知らないし、 女もまた、男の前でしか見せない顔を自分一例しか知らない」 って持論はあるのに。 知らないんだものな。 男友達が女に本当はどう接してるのか、接したいのか、 接してきたのかなんて。 おくびにも出さないだけで 本当は 軽かったとしても 女性を性的に悩ませてきてるのかもしれない。 それを 女性に対して 実は性的に悩まされてきてるのかもしれない と斟酌するのと同じレベルで 想定しなきゃならない、 と断じるのはまだ早い。 その是非はまた別だ。 しかし可能性の一つとして頭に描いてもみなかった、 これは情けない。
夕飯は真鯛のムニエルに マッシュルームのマスタードソースかけて かぼちゃとズッキーニを付け合わせにした。 うまいぜ。
Lo-fi HIPHOPいいなあ。 作業用BGMの究極という感じ。 原神のアレンジが気に入った。 ようやく流行り始めたくらいのジャンルみたいだし これから既存の音楽がアレンジされていくと思うと心躍る。
礼儀作法の本読んでたら アッて思った。 日常生活の場面ごとに 気遣いが審判されるわけだ。 人はその都度、どう振る舞うべきかを判断している。 振る舞いの一つ一つにはそれなりの理由がある。 これ "その時の正しさ" に通じるやつじゃん。 今の問題意識になにも関係ない本読みたいなって思って 何気なく手に取った本だったけど こうつながってくるとは。
というより主題を抱えていれば なんでもかんでも通じていくのかな。
晴れまくり。 朝のうちにゴミを捨てに行きたかったのだが 妻が自部屋のゴミをまとめるのを待っていたら 回収に間に合わず ちょっと揉めた。 何にも遺恨はないのだけど 後々役に立たせたいからその一幕を記録しておく。 …というのも、昨日見た4ヵ月〜でもそうだし、 あとはアスガー・ファルハディ監督の映画なんかでもだけど、 ちょっとした思惑のすれ違い、 互いに正しいとする言い分はあるのに諍いになる、 といった会話劇のドラマがすごく好きなので、 現実で起きたら一度はちゃんと残しておこうと思ってたところだったので。
発端としては昨夜の時点で、 深夜3時を過ぎてから、 本来朝に出すべきゴミもこの時間帯ならいいだろうと 絶対に今回は朝に出し忘れたりしたくない僕が提案したところ、 妻は いやここのゴミ回収はいつも遅い、午後まで放置されていたりするから と言い、自部屋のゴミをまとめるのは翌朝にすると突っぱねた。 ものの1分で終わるのだから今してもらえればそれで済むのに、 明日の朝にまた待たされたりゴミ捨てに行く予定を確保しといたりと こちらからすればデメリットだらけではあったが たかだか1分とはいえここで やれ と強制すると機嫌を悪くするのは明らかだったから彼女の案を呑んだ。 果たして翌朝、僕は8時前には目を覚ますが妻は遅い。 9時半まで寝かせておいて飯を食べさせ、 ゴミをまとめるよう伝えるが先に一服、 それから衣類を洗濯機へ、 ゴミをまとめるよう再度伝えたが 言われなくてもやるから と言い返し別の雑事を済ませ、 それからゴミをまとめて、10時になって、 コンビニに行くからついでに出してくると言う。 任せてみたところ、すぐ帰ってきて「もう回収されていた」とのこと。 「ごめん」と言い残し再び今度はコンビニへ。 数分後帰ってきて、僕が文句を言う。 「今回のゴミ捨ては、絶対に出したかったんだ。連休中で多いから」 「でも、ごめんて、謝ったじゃん」 「なにか、あぁゴミ捨てが自分の担当じゃないと思ってるから その程度の意識でいられるんだなって見えちゃうんだよ」 「別に、昨日の時点で自分の分だけでも 捨てに行ったらよかったんじゃないの?」 「……」 「勝手に待っておいたわけでしょ。え? どうしろっていうの?」 「過失を責めてるんじゃなくて…。次につなげてもらいたい」 「そういう意味で言ってたの? え、自分の担当じゃないから〜とかいうのも?」 「そうだよ」 「わかんない」 「…べつに、たしかに昼過ぎまで回収にこない例を きみは何回も目にしてきてたんだろうし、僕もまぁ知ってる。 怒れるいわれはないってきみが言いたくなる気持ちも、まぁわかる。 でも僕からしてみたら、こういうことが容易く想定できるから、 だから昨夜にせよ、今朝にせよ、何回もゴミをまとめろって言って」 「どうしろっていうの?」 「…僕はとても…ぶちぎれたいようなところを我慢して… とても不快になりながら… でも自分の正しさをただ並べ立てたって… きみの不備への指摘をたたみかけたって…仕方ない。 きみも、いま面白くない気分なのを我慢して、 そのくらいの態度にとどめてくれてるんだろう。 だから逆ギレってほどじゃない。 でも気持ちの上では納得いかないんだろう。 といったって、僕からしてみたらね。 そりゃあ、なんとでもいえるよ。 僕がいつもまとめてるキッチンのゴミを "自分の分のゴミ”だって? よくも言えるね? いつもゴミ捨ての予定とか段取りは僕の頭にはある。 きみはどうだ、って、責め立てても…仕方ない。 論破とかしたいんじゃないんだよ。 ただ…ハイ私が悪かったですとか、 そんなに私が責められることないとか、 そうじゃなくて、 私私、じゃなくて、 僕が不快になるのはごもっともな話だろ? こっちに目を向けてくれよ。 あなたが気分を悪くするのもしょうがないって理解を寄せてほしい」 こう言い聞かせると、しおらしい声で ごめんね と呟いて、僕の気もおさまり、そこからはいつもの仲に戻った。
実際彼女の判断は、そう悪くはないはずだ。 というより言い分がある(わざわざ口にしていなかったが)。 「昨晩は忙しかった、タイミングが悪かった」 「朝ちゃんとやるつもりだったのは本心だ」 「似た予定でこれまで何度もこなしてきている」 「ゴミの出し忘れ自体はそんなに大ごとじゃない。 今回は絶対に出したかったという夫の意は知らされてもなかった」 「自分の分のゴミだけでも自分で管理できていればいいはずだった」 「いつもできていないわけじゃない」 「他にもやることがいっぱいある。 ゴミ出しを意識してないわけじゃないが、 私がたくさんの仕事を同時に処理していくのが苦手だとは 夫の方でも承知しているはずだ」 「たまたま前日にゴミをまとめられなかったこと、 朝まとめるのがちょっと遅れてしまったこと、 今日に限って回収が早かったこと。 夫が今回は絶対に出したがっていたこと。 これらはそれぞれ別問題のはずだが、 偶然、不幸にもすべてが重なってしまった。 それを一つの大問題扱いされても困る」 「次は気をつけろというが、私だって気をつけていないわけじゃない。 私なりにちゃんとやろうとはしている。 さぼろうとかいうつもりでいるわけじゃない。 それでもこなせないのは私の限界なわけだから、 じゃあどうすりゃいいのって言いたくなる」 「いちいちあれしろこれしろって、言われたくない。 自分の時間を邪魔されると面白くない。 あれしろって言われたらやる気がなくなる。 やることはやっていきたい。 でもそれは自分のペースでのこと」 まだまだ出せそうだ。
幼いころ長兄と将棋していた記憶。 僕が指した一手に、横で見ていた次兄が 「バカじゃんそれなんの意味があるんだよ」 と口をはさんだ。 僕には僕なりの考えが、浅くともあった。 おそらく次兄の見通しの方が正しく賢いことは、 それは自分にもわかっていたが、 しかし僕にも僕なりの 「"その時"の正しさ」というものがあった。
架空の記憶。 誰かが乗る車の右横に立ち、運転席の彼と話している。 助手席に乗り込むよう促される。 車の前を回り込んで助手席へと向かう。 「ふつう後ろから行かない?」 と指摘される。 たしかにその指摘の方が真っ当かもしれないが、 助手席へと促された 「"その時"」には自分なりの判断があったはずだ。 自分に見えている情報から下された「"正しい"」判断が。 その判断は、判断と呼べるほどのものじゃない。 ほとんどどちらでもよかった。 でもなんとなく、今回は"その時"前からまわってみることにした。 その"なんとなく"にどんな判断が込められていたかは、 相手から指摘されることで立ち上がってくる。 「後ろを通って回り込むよりちょっとだけ距離短いから」 (ささやかな合理性) 「視界から消えられるのちょっと嫌な気分にさせちゃわないかなと思って」 (過剰な気遣い) 「家族の車に乗るときよくこんな風に前から乗り込んでたから」 (主観的経験) 「後ろの方に別の人が見えたから」 (気分) 「体が斜めに、どっちかていうと前の方を向いていたから、自然に」 (なんとなく、につけられそうな理由) いずれも、わざわざ口にして伝えるほどのこともない。 というより、口にすればするほど嘘っぽくなる。 だからこの手の理由付けは、人に語られることがない。
これが、今回僕が書こうとしてみている、「地獄」の正体だ。 他者は勝手な評価を下してくる。 これはサルトルの思想にもある、"まなざし"だ。 サルトルにおいては、"まなざし"の中に地獄がある。 他者から下された評価に対して、"私"は反論を試みたくもなる。 しかし自分一人では実証されない。 さらなる他者がそう認定されて初めて、"私"はその内実が認められる。
ところが、人には明かさないまま、自分の中だけにとどまる自分らしさ、 自分の正しさ、"私"像がある。 これが、先の言い分、言い訳、"その時"の正しさだ。 僕はこれこそを地獄とする。 そしてその地獄には、他人を招き入れることができる。 つまり、脳内論争みたいなものだ。 頭の中で、こっちの言い分を伝える。相手も言い返す。 実際にはそんなつまらない言い争いなどしない。 でも、頭の中では繰り広げる。 これが、「地獄に落とす」の正体だ。 これは"私"の核心ではない。 "私"の中でも端っこのものだ。 でも、髪の毛や爪のように、いずれ切り落とされたりはしない。 それを間近に目撃しながら、なおもしぶとく"私"にとどまり続ける… 爪の語源は「はし」からきているという説がある。 ならば、その地獄が爪の裏側に宿っていたっていいだろう。
そして。 そして、この地獄を、ただ忌まわしいものと呪わず、 祝福してやりたくもある。 人は呪いながら祝える。憎しみながら愛せる。 ちっとも矛盾なんかしない。 言い争いはさせてしまおう。 でもそれは、祝福の中で。 地の底のようなところでも、上を見上げれば美しい世界が広がっている、 そういう場のなかで。
…ちょっと論法弱いかな。 祝福についてはまだ練らないといけない。 ここの接続がうまくいくか次第で、 今回の読み物の価値ががらーんと変わる。
追加メモ。 主人公は他者を"私"に取り入れることに慣れている。 それは例の悪趣味において、さらには人口地理学において。 人様を情報として見なしているわけで、空海さんに怒られるやつだ。 レヴィナスにも怒られるやつだ。 「私はなぜ他者を渇望するのか。 それは他者が私から超越した存在だからである。 超越した存在は、そのものとしては、私のうちに同化されない。 つまり私によって所有されることがない。」 主人公は、女主人ビナについて誤解していることがある。 物語の終盤で彼女はそれを知り、 今までのビナとの日々の意味が変革されてしまう。 情報を追っていてはそうなるという仕掛け。その人を見よ。 「地獄に落とす」もつまりは情報により模擬戦みたいなものだ。 人は他者を"私"に取り入れながら接している。 誰しも、他者を地獄に落としている。 ある人は、関わった人々すべての人のなかに割拠している。 でも、本当は、それぞれ独立して、 人はみな"私"のなかに"私"を割拠させている。 三千世界は"私"の心の中にある。 だからいずれは、地獄には私一人の空間となる。 そのために祝福を… あぁこれならいいかもしれない。
2021年05月03日(月) |
iPhone、ゲーム、映画 |
iPhoneの交換機が届いた。 おおむねスムーズに移行できたが 唯一 やはりdocomoのアカウントまわりがカス丸。 こんなアプリを作ったり作るの指示したり 管理したりしてる人間一同全員恥を知るべしだ。 親兄弟に恥ずかしくないのか そういう陰湿な責め方をねちねちやってやりたい。 現場作業員はいいか。それより上の一同。 最悪。最悪はこのことだ。 いらいらしすぎて日常生活がままならなくなる。
昼は昨日作った餃子のタネが残ってたから これをごま油でトマトと炒めた。うまい。 再放送してたらんま1/2が録画できてたから観た。 キャラの絵がかなり可愛い。 深い意味じゃなくてシンプルに可愛い。
午後、母の日のための花を贈るため妻と花屋へ。 うちの母親へは蔓薔薇の鉢植えで決まったが 妻の母の方が決まらない。 7日までは配送間に合うそうだから先送りに。
女子高生の裏社会という本を読む。 2014年当時の JKリフレとかJKさんぽとかの 秋葉原っぽいグレーゾーンなビジネスが主題。 摘発を免れるために店舗を構えず マンションの一室を事務所にしている… というところで感興を得た。 今書いてる話、ボランティア団体の事務所を やはりマンションの一室にしてみてるから とても参考になる。 マンションやっぱ面白いな。 マンションをテーマにした話の方も早く書きたい。
うあ うおああああああああああああああああああ
文字だと気軽に叫べてよい。 なんで現実では絶叫しちゃいけないんだろうか。 目の前に絶叫し始めたやついたら 誰よりもいぶかってやる自分ですが。
休日だしーと思って 割とがっつりゲームやった。 原神。 長く続けてるから キャラクターへの愛着も湧いてきたな。 ジンさんがドンドン強まっていってて 今やかなりひいきしたい。
夕飯は天ぷら。 かき揚げと、ごぼう、大葉、かぼちゃ。 大葉がMVPだった。 天ぷらって安上がりだよなあ。 以前は油がもったいない気がしてたけど まぁ実際もったいないはもったいないんだけど コスト面だけでいえばけちることはないと知れた。
NHKの コロナ禍のタクシー運転手を追った軽めのドキュメンタリーを 食べながら見た。 女性タクシードライバーの車に乗り込むなり お姉さんタイプです と切り出したふぐ料理店経営の男が気持ち悪かった。 いかにも慣れていて。 あれなら女性もそう不快でもないだろうなあという程度で とりあえず言っとけみたいな軽々しさが 客観的にはとても不快だった。
映画。 4ヵ月、3週間と2日。 クリスティナムンジウの。パルムドールの。 ずっと再鑑賞したかったけどとっといたやつ。 妻が僕の薦めていった中から コレ と選んでくれたので。 「めちゃくちゃ暗いけど大丈夫?」 「いつか観るつもりではあったけど、 これからドンドン見づらくなるばっかりだと思って」 「なるほど」 果たしてやっぱり素晴らしかった。 妻は 「よかった。面白かった…。が、感想が浮かばない」 と締めていた。 この映画の良さは、脚本は勿論だけども、 時間の流れの演出が良い。 ある場面の映画内の時間と、それを見ている時間とは その秒数は一致しているはずでも 表現としては違う。 堕胎の支度を終えた友人の前で 黙って座っている主人公の画、 ただ座っているだけで一分くらいとっている。 これは、映画の鑑賞時間としてはすごく長い。 しかし作中の時間としては、もっと長い数分間を表現している。 それを数分間かけて描写せず、一分で見せるわけだ。 恋人の家族が集う食卓の場面でも、 あの会話シーンはすごく長い。言葉数も多い。 しかし作中の、…作中の"現実の時間"は、もっと長いはずだ。 これが映画の醍醐味だ。 小説でも漫画でも表しえない。 そして筋立てとしては、 どう展開していくかの出来事を見せるのではなく、 つまりこれから「どうなるか」ではなく 「どうなっていってるか」という 出来事と出来事の間、点ではなく線の方を味わえるようになっている。 クライマックスの、ルーマニアの暗い暗い夜を主人公が駆けて行く場面は、 何も起こっていない。セリフもほぼない。 あの場面に出来事はない。 出来事と出来事の間なわけだが、 作中で積み重ねてきた場面のすべてが あの映像に集約していく。 あぁ素晴らしい素晴らしい。 DVD買わなきゃー。
2021年05月02日(日) |
スマホ交換手続き、雨 |
起きて洗濯。 干して今度は布団を洗濯。 いつもの日曜日。 天気は最高。 でも急変の可能性があるらしい。 昨日は唐突な雷雨と竜巻注意報が東京をどよめかせた。 で今日も結局は振られた。 スーパーに出ている最中にお天気雨。 帰宅後、あわてて取り込んだら雨が止んだからまた干した。 で午後、図書館行ってる間に今度は瞬間的な豪雨。 雹みたいだった。 でも今度はほとんどぬれてなかった。 近所徒歩10分の地点で土砂降りだったのが、 ほんのわずかな差で雨を免れたみたい。 お天気雨ってそゆとこあるよなあ。 で、それから数十分差できた。雹めいた強い雨。
ドコモショップでスマホ交換の手続き。 オンラインではログインが依然かなわず ロック解除には端末操作がいるというし、 電話受付も当然ながら端末操作ができなきゃかなわんので 店舗からサポートセンターにつないでもらった。 担当女性の声が整っていて まるで機械音声のテンポをちょうどいい具合に速めたような よどみない スムーズすぎる語り口だったから 一通りの手続きを終えてから ご丁寧にありがとうございました、完璧な案内でしたね と一言加えてみたら間髪入れず ありがとうございます、励みになります というこれまたパーフェクトな受け答え。 交換料金は張ったけど まぁ気分は害されなかったからいいか…。
ミュークルドリーミーが総集編で悲しい。 制作会社のJCは今期6本アニメかかえてるとかで たしかに休んでほしいとも思うけど。 Twitterで 「近年の多くの日本製アニメは凄まじいスピードで 言葉と喜怒哀楽の感情演技が繰り出される。 この情報速度でないといまの視聴者には不満なのだろう。」 というツイートのRTがまわってきて、 これを先鋭化させていった究極が ミュークルドリーミーだと思う。 映画や小説では どれだけの余白をあしらえるかで 鑑賞者の意識も深化していく、 そういう構造があり ハリウッド慣れした層が 眠くなるようなアートフィルムでそれは顕著。 アニメはエンタメと親和性高いし 高尚な領域から離れていくのは自然な成り行き。 ところでミュークルドリーミーは 凄まじいスピードどころの騒ぎではない。 大洪水的情報のたたみかけで鑑賞者に その世界への集中 をうながし 余白を埋め尽くし ミュークル脳に染め上げてしまう。 これはこれでありだ。大いにありだ。 と直感してるのだが そこんとこの論法がかたまってない。 これからもミュークルドリーミーをしっかり視聴して その価値を研究していきたい。
陰惨でどうしよーもねー暴力映画が見たくなって 韓国映画「悪魔を見た」を。 ウーン…まあ確かに陰惨ではあったし… 猟奇の風味もあって、復讐劇としても退屈させないが… 結末の仕掛けもアイデアがあったが… 主人公がうかつ過ぎるのはいただけない。 怨敵を逃がして泳がして ってのがミソとはいえ 相手の自由度が高すぎる…。 戦力ももっと殺ぐべきだ。 つねづね思うのだけど 殺し合いに近い戦闘で 相手が倒れこんで お好きな一撃食わらせられるのだったら 真っ先に利き手の指先を叩き壊すべきだと思う。 戦意も戦力もがた落ち、獲物も握れなくなるし 逆転の工夫の余地もかなり狭めてやれる。 ダメージも与えやすく、頭を叩くより効率的だと思う。 軽傷でも一時的には戦闘不能になり ためらいなく叩き壊せば もう歯向かえまいよ。 そのうえでもう片方の指先や 足先を打擲すればいい。 復讐も 密室監禁してやりたい放題できるなら とりあえず歯を叩き壊せば 言いたいことも言えなくなって好都合だ。 もしその後逃がすというルートを取るなら やはり手の指は欠損させといて 両目も失わせて 舌もずたずたにして 鼓膜も破裂させといて コミュニケーション能力と五感を奪っておく、 そうしたら生きること自体が苦痛にもなるし 口もきけない字も書けない相手から 聞き取り調査をすることは困難。 死体は語る なんていうけど 半死半生の不具にしておいた方が 一番捜査は行き詰まるだろう。 フィクションだと話が立ち上がらなくなっちゃうから こうはしにくいだろうけど。
こんなことを中高生くらいのときに考えてた。 グロ漫画とか好きな方面に走らなかったのは 別にそういう趣味嗜好があるわけじゃなく ただ単に ある状況が与えられたときの 最適解を考えるのが好きだったから。 それが復讐だったら こうだな って思ってただけです。
昨晩妻が 「きみの話面白いよ」 と 僕の読みものを評価してくれたので俄然やる気に。 なにしろ妻だから身内びいきの最たる例で ひいきの念がなかったとしても 僕が何を表現したいか どこに面白さを込めているか 手法がつたなくとも見出せてしまう間柄だから そこんとこは差し引かなくちゃいけないにせよ 嬉しいものは嬉しい。
2021年05月01日(土) |
「考えさせられました」 |
会社の引っ越しの都合で、 平日である昨日とお休みが入れ替わっての土曜出勤。 私物の整理と機器の配線など。 てきぱき順当にこなしてって午前中に終わった。 しかしやはり無能な先輩にイライラしてしまう。 頭のなかが自分のことで手一杯なのだ。 エゴイスティックなわけではないからこそ、 当人にも、 自分は自分が損する格好で〜とか まわりに気を遣って〜とか そういう論法がまかり通ってるはずで、 自分を納得させる筋道が出来上がってるからたちがわるい。 世の中には 「上司がバカで死んでほしい」 という声があふれかえっていて その気持ちがようやくちょっとわかる。 擁護はできる。 できるからこそむかむかする。
帰り道が全然爽快でない。 本来ならないはずの障害物がイッコ挟まれてるわけで ほんと人生にとって邪魔だな。バカバカしい。 世の人の悩みを体感できるのはいいことだが ずっとこれが続くのは問題だ。
コンビニ人間読んだ。芥川賞の。 昔だったら 「なんだこの文章!」 とかいって投げ捨ててたろうけど 今はちょっとは小説の読み方がわかるから これは小説的に上手いのだと見なせる。 しかし主題は全然面白くなかった。 話題になった5,6年前に タイトルから そしてあらすじから 想像してみた型を一切はみださない、 さんざんマンガで見てきたようなテーマだ。 読書メーターにはこう書いた。
マンガで済むのでは。主人公は「普通」のひと。「普通」の枠型はあまりに狭小というのは90年代から主題にされ続けてきた現代の共通認識で、「普通」からずれた人があまりにも多いという実情は、逆説的に多くの「普通のひと」 を発生させている。だから本編の主人公も、(既成観念としての)普通からちょっとずれている、そういう類型の「普通のひと」。…結末はお見事ってなったけど、それでもやっぱり2000年代にさんざんマンガでやりつくされてきたテーマとしか見なせない。
追記でこうも書いた。
考えさせられました系のどくしょかんそうぶんがウジャウジャ湧いてそう。主題のパートなんかより、アパートの二人暮らしの空間の手触りがよかった。あの人物像だからこそ立ち上がってくる部屋(生存の証拠)のどうしようもなさとか、その中での虚無的な時間の流れとか…このあたりの描写、ほぼ言葉は割かれてないけども、そこへ至るまでの過程でなんとなく察せられるという、こっちの方によっぽど小説的感興をそそられた。
実際他の人の感想はひどいもんで、 「主人公はサイコパス風味で〜」とか 「独特な思考の持ち主」とか 「普通ってなんなんだろう」とか どれもこれも気持ちわるい。 何も考えてないから 「考えさせられました」なんて平気で言う。 何も考えてないのが悪いわけじゃなくて、 むしろそれは一つの美徳たりうるはずだけど、 "何も考えてないのに「考えさせられました」"は醜悪だ。
話題作だから読書メーターですぐにボンボンいいねがつく。 読メの呼び名はナイスか。 ナイスをつけた方々の感想は ごちゃごちゃのたまってるけど要は 「考えさせられました」系だから 本編もこっちの感想もろくに読んでない。 あとはあらすじをまとめてるだけとか… それで2000ナイスとか。あほっぽ!
夜、映画。 「アンナと過ごした四日間」。 幻の巨匠 とかゆう妙ちきりんなコピーがパッケージにはあった。 ポーランド映画。 セリフが極端に少なく、映像と芝居で見せてくる。 ストーカーの話。 時系列はばらばら。 硬質的なグレーの世界でロシア映画みたい。 映画そのものは、まぁ面白く作ってるわけでもないし 観ている時間楽しませてもらいましたってくらいで、 内容は一年したら忘れてしまうだろう。 観ながら何考えてたかの方が大事だ。 前に一度考えて眠らせてた マンガのストーカーネタを今一度練ってみた。 ほぼサイレント。 そう、ストーカーの話にゃセリフいらんよな。 主人公の男は懸想してる女の子の部屋を覗き見していて、 やがてそれがエスカレートして夜な夜な部屋に忍び込むようになる。 で、暗い部屋で物音を立ててしまう。 でも彼女は気づかない。ほっ。 部屋で静かに、彼女の寝息を眺めて過ごす。至福の時間。 あんまりリラックスしてうたた寝してしまった。 朝だ。彼女は…まだ寝ている。早く出なければ。 あ、彼女が目を覚ました。目が合った。 が彼女はそのまま何事もなかったように動き始める。 あわてて窓から逃げる男。なんだったんだろう。 今度は昼間にピンポンしてみた。出てこない。 鍵は…閉まっている。 合鍵がある。入ってみよう。開いた。 彼女はリビングでテレビを見ている。 そっと部屋に入ってみる。ノーリアクションだ。 ソファの隣に座って…みてもノーリアクションだ。 彼女がゲームを始めた。格ゲーだ。乱入して対戦してみた。 なかなか白熱した。 彼女との奇妙な生活が始まる。 食事を作ってやったり、洗い物を済ませてやったりする。 夜はソファで寝る。 彼女はベッドで寝ている。 手を…出してみようか。 頬に触れてもノーリアクションだ。ドキドキ。 男は上を脱いだ。ドキドキ。 そこで、ガチャガチャ。キイイバタン。 「うぃーす。 お前電話出ろよ。あれ、明かり… 寝てんのか? 起きろよ、おい」 明かりがつく。目撃。 「は?」 「え」 「は? なに? なにこれ?」 女が起きる。男をねめつける。 「あの、その僕は」 「こいつ誰?」 それぞれの顔。部屋の様相。 見開きで主人公の回想。走馬灯。 これまでの人生のエピソードばららららら。 <誰?> 「誰って…」女が答える。 なんて答える?
第一案 「赤ちゃん」 「あ、ああ?」 「…」 「お前、おま、すっとぼけんなよ。 赤ちゃん? こいつ、おま、こいつのどこが」 「…」 「お」 「…」 「おぎゃあ」 赤ちゃんの絵。 「おんぎゃあおんぎゃあ」 誕生へ。
第二案 「あんたこそ誰?」 「は?」 「勝手に人の家入ってきて、なに?」 「……。ああ。あっそ。もういいよ。 荷物は捨てていいから。 あ、でも二回目んときのぬいぐるみは、お前、大事にしろよ。 …ちっ。なんだ、くそ」バターン 沈黙 「あの…」口を開く主人公。 見つめ合う二人。 「誰が誰でもいいじゃん」と女。 「えっと…」 「"荷物は捨てていいから。" "ぬいぐるみだけは大切に。"」 そういって女は部屋を出ていく。 部屋に取り残される男。 男はこの部屋で生活をし続けていく。 これからは一人で。
第三案 「なにが?」 「あ? とぼけんなって」 「ごめん、あのね。何のこと言ってるの?」 「いやいや、こいつ。こいつ何って話」 「こいつ…?」 「いや久々に帰ってきていきなり 裸の知らない男見たらびびるでしょ普通」 「えっと?」 「あ、あの…」 ずいっと前へ出る女。 「あんたこそ誰?」 「あ?」 「仮に、あんたが言うように。 ここに裸の知らない男がいたとしましょう。 で? いくらこっちから連絡とろうとしても無視されて、 誕生日もクリスマスもすっぽかされて、 ずーっとさみしい思いさせられてた女の子に、 誰が誰だか、わかるっていうの? ねえ、あんたこそ誰なの?」 「あーーーー…。んだよ、メンドクセェな」 「めんどくさいって何?」 「ま、いいや。悪かっ「ちょっと」たよ。来いよ。 結局あ「やだ」の車おれのになったか「離してよ」ら、見せに来たんだ」 「あ…」 「…あんた、ちょっと落ち着かせてくるから、ここで待ってろよ。 1時間もかかんないから。寒くない? 暖房つけたら?」 「あの…」 オチ未定。
二案かなあ。 今どきの邦画っぽい感じだ。 誰が誰だかの錯誤でかろうじて 僕の主題を保ってるか。
ここ数カ月のBGMは lo-fi HIPHOPがメインで 夜のあやしげな精神にうってつけ。 これをいろいろ検索してたら FF7のlo-fi HIPHOPアレンジがあって その手があったかー と。
FF7は人気曲、定番曲がある程度固定化されてて それらに及ばない2軍も十分いい曲多いよね、 みたいな風潮あるけど lo-fi HIPHOPで組まれてる楽曲は まずまずのファンくらいからじゃ見向きもされてない ベンチ入りも怪しいような地味曲ばっかりで それがいかにもこのジャンルらしく 好もしく思った。
午前中、大泉学園駅へ戸建て賃貸の内見へ。 練馬まではバスを使う。 経路を確認する前に赤羽行のバスが来たから 運転手に 「練馬駅には止まりますか?」 と訊いたら 「止まらない」 とツッケンドンに返されて一瞬むっとした。 けどあれでいいと思う。 丁寧に返す必要なんかない。ですますもいらない。 で、こっちも別にそれに対して むっ としていいと思う。 といった話を妻にしてみたけどピンときてなかった。 それもそうか。
物件はやや古く使い勝手も悪そうで、 早々と落第させてしまった。 見どころは階段が二つあること。 玄関の両脇。 一方は書斎専用階段。これは面白かった。 また、もう一方から上がった二階にも、 廊下からではなく寝室から階段が延びていて、 そこからのみ書庫部屋に入ることができる。 備え付けの本棚は楽しかったけど日が差すようになってたから 実際には焼けまくるだろうな。
不動産の担当の方は若めで頼りなかった。 いろいろ話は聞いた。 やはり池袋線は混むらしい。 あと新桜台はこちらに比べると緑が少ないとか。
車で駅前で送ってもらって、 妻の調子が優れないのもありおとなしく帰路へ。 バスで上石神井駅まで行って新宿線で野方。 妻はあのエリアでよく体の調子を崩す。 「くんな、ってことなんかな?」 「でも僕らの家からだと、ルートが悪いから」 「そうなんだよね。歩くしバス乗るし乗り換えて電車乗って…」 まだ、石神井エリアで探していきたいとは思っている。
帰ってアラビアータつくって一息入れて スーパー行って レンタルビデオ店で映画3本借りた。
ショートケーキつくった。 スポンジが失敗。 昨日の時点で生地は焼いていて それも泡立ててる時点ではうまくいってて うまくいってるとドンドンとボリュームができてくるのが楽しく それをいつもの型に全部入れたら焼成中に片面からあふれた。 すでに固まりつつもあるから流動性を失って 片一方に生地が偏ったままとなり 熱が均一に通らず結果中央がへこんだ。僕もへこんだ。 へこむとスライスがうまくできない。 スライスがうまくいかないと三枚にカットできない。 やむかく二枚にカット。 通常五層となるところを三層に。 ナッペはなんとか形になった。ごまかし上手。
夕飯は豚汁とアジ。 アジは水煮。 本当は玉ねぎニンジンと一緒に煮込みたいけど 今回は水気切って皿に盛った。 窓を開け放して ちょっと肌寒いくらいにした室内に風が吹きこむと同時に 豚汁を掻っ込む。しあわせだ。
「はちどり」を鑑賞。ようやく観れた。 何も起こらない地味な映画…という触れ込みだったが どうやらそれはそういう系統の映画を見慣れていない方々の感想だったようで これは十分起きてる方だ。話もある方だ。 それでも、余白や間隙が散りばめられていて見ごたえあった。 僕が映画に期待するのは、イメージの積み重ねが何より第一だ。 この映画に埋め込まれている、 "再現されたあるイメージ"を感じ取る時間は心地よかった。 そしていろいろこちらのイメージも湧いてくる。
単純な意味で好きなシーンだと、 両親が大喧嘩して叫びあって妻が夫に傷まで負わせて 家庭崩壊寸前、娘も大泣き…という翌日に 気まずそうに娘がリビングに現れてみると 両親がソファに並んでバラエティ番組見て普通に笑ってるっていう。 もうイッコは主人公の女の子が入院した先に 友人が見舞いに来て それをおなじ大部屋の入院患者のおばちゃんたちが 「こっちの子も可愛いねえ」だの勝手な評判を立てだす。 二人にはこの時複雑な因縁があり 主人公はカーテンを閉めるのだが 今度はおあちゃんたち 「内緒話するのよ」 と小声ではやし立てる。 上手いよなあ…。
サイバーカスケードなんていうように ネットを情報の仕入れ先としてベースにしてるような生活では 知見が偏りがちだから 意識的に 自分と反する立場の声も見聞するようにしてるし また意識せずともランダムに そうしたノイズに触れられるようにも心がけている。 だからというわけでもないが、礼儀作法についての本を読みだしてみた。 小笠原うんぬんという由緒正しい宗家の宗主が執筆されたものだ。 もともとある先入観は取っ払って読む。 礼儀作法に興味はある。またそれぞれの由来についてはもっと興味ある。 礼儀作法を大事にするのはいいけど押し付けるな、 という現代人にありがちな声にも乗っかったりはしない。 公平性を保って読む。 ところが書き手に公平性がない。 いきなり現代批判から始まる。若い世代がなってないと。 僕は本には常に公平性を求めている。 そこんとこが欠如していると もう書いてあること全部がうさんくさく見えて信用ならない。 というわけで残念なスタートだった。 しかし、マナー講師への批判も高まる昨今、 マナーの教え手は、若い"なってない"世代に 歩み寄りがちなきらいはあるだろう。 そうなると、悪い言い方だが これはこれで「必要悪」だ。 歩み寄らずに、前時代的な観点を保つことが求められる立場で、 実践し続けることが仕事なのだから。 「価値観のアップデート」って言葉は随分流行ったけど ばっかじゃねえのとも思うのだ。 柔軟性も深みもなくて都合いいばっかりで。
レヴィナスを基本から読み直してる。 というか何度も何度も基本を洗い直してる。 そのたびに考えがずれていく。 他者は、自分が観測してその理知に取り入れた自分の延長としては存在しえない。 他者は自分とは絶対的に切り離されたところで存在している。 これが「地獄」のヒントとなるはずだ。 サルトルにとっては、他者のまなざしに晒される現実が地獄だった。 僕が思い描く地獄は、外へ明かされない言い訳によって構築されている。 私の行動の一つひとつには、それなりの理由がある。 どんなに愚かな、間違ったような行動にも、それなりの弁明が、本当はある。 「なんでそういうやり方するの?」 「どうしてそんな風にしか思えないの?」 といった他者による批判は、彼らが口にせずとも、こちらは勝手に受け取ってしまう。 「でも私にだって、その時はこんな考えがあったんだ。 こうした事情を鑑みて、こうしようと思ったんだ。 そうした背景を説明するのはあまりに面倒で相手にも退屈で、 きっと何時間もかかる。とうていやってられない。 だからわざわざ弁明はしないが、でも本当は私だって、変じゃないんだ」 というような言い訳が渦巻いた心の有様こそが地獄だ。 そしてこれは、他者によってもたらされている。 その他者とは、「自分が観測して勝手に取り入れた他者」であるはずだ。 これは、本来的な意味では他者と向き合っていない。 その人そのものと向き合おうとしたとき、 この地獄からは解放されるんじゃないか? 聞けばいいのだ。そして言えばいいのだ。 当たり前のコミュニケーションだ。 が、しえないよ。そんなことはわかってても、し続けられはしない。 だから、地獄を許容しよう。 せめてこの地獄を愛してやろう…。 という試みを、今回の読み物に込められるかどうか…。 正直なところ、あまりに読者が見えないから やる気がなくなってる。 ちょっとでも反応があればやる気がでるのは間違いない。 でも今は、あらかじめ考えておいた筋立てに 文章をのっけてるだけの作業で、創作意欲に接続しない。 まいったなこりゃ。 でも人に読んでくれーって頼むのもな。 単純に嫌だし、 完結してようやく意味のある作品だから 現時点で読ませてもそう面白くもないし。 じゃあTwitterでやんなよって話だから、 はじめからこれは織り込んでるのだ。 どんなに反応がなくてもやりきると。 だから、やる気がなくなってもやりきるつもりではいる。 でもそれでもやる気がほしい…。
会社引っ越し日。 社員の半分はお休み。 自分は半端な立ち位置にいるから出勤。 それ自体はいいのだけど やることやって やることなくなって あとはいるだけ邪魔になる、 という段になってなお 先輩があがらせないものだからかなり苛立った。 おくびにも出さないが 今日はさすがにその判断が無能すぎて ちょっと不機嫌がにじんでたかも。 時間にすれば10分や20分のロスだったろうが 無駄で無益な時間に耐えかね 上の者に働きかけてあがった。 こんな気分で連休を迎えること自体が癪だ。 バカバカしい。
妻が 花を買って帰ってきてくれ 夫セレクトで頼むというから 2000円分ぐらい見繕って よく名もわからん花々を買ってみた。 その物色をしている拍子に iPhoneがポケットから落ちて 衝撃と水気(今日は雨だ)でお亡くなりになった。 ちょうどこの連休中に交換しようと思っていたから だいぶショッキングだ。
これについてまた docomoのありえないような バカで汚い対応に見舞われたわけだけど いよいよ書き残すのもバカバカしい。
どれだけ正しい、正当性のある批判に本人からは思えても、 他人からすれば 「でもきっと〜」 といくらだって諭してやれる。 その論法は分かってる。 全面的に相手が悪いということはない。 自分にも非があるはずである。 当たり前の話だが、 ちゃんと自身の日常に一体化させている人は少ない。 しかしそういった一切を踏まえてなお、 「"憎んだ相手は憎んでいい"のではないか?」 とずっと考えてる。 それをなぜ、OKと認めてしまいたいのかも。
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