お菓子なまいにち。
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「モナちゃん、○○のこと同等な友達だと思ってるんだねー」
先日の折り紙の件でのお友達親子とまた遊んだ際に友人(○○ちゃんの母)から言われた一言。
うーん。。 確かに○○ちゃんとモナが同等に遊べているのかと言われれば遊べてはいないけど。 (生まれは半年違えど同学年な二人)
なんていうか‥ 事実は置いといて友人が二人は同等じゃないと思っている (からこそ出る言葉だよね?) ことが私は悲しかったよ。
子どもに同等って言葉は使って欲しくなかったなー。
私が見る限りでは友人の子もモナと楽しそうに遊んでるように見えたんだけど 実は仕方なく遊んでくれてたのかな。
友人にはその子とは別に障害を持つお兄ちゃんもいて 言われる側の気持ちを人一倍解ってくれてるはずなんだけどな。
悲しい。 でも、もしかしたら私も自分で気づかずに友人や他人を傷つけてたかもしれない‥。 何気なく出た言葉程本心に近いよね。
とりあえず寝て忘れよ。
2010年10月28日(木) |
結局行き着くとこはそこかい!(笑) |
ついにきたかも、人見知り。
一月程前からなんとなーく 「あれ?もしかして私がお母さんだって解ってる?」 と感じる事が増えてきた二女チヨ(4ヵ月) 他の人に抱っこされたり話し掛けられたりすると、泣きはしないまでも不安げな目で私を見てるような? って事がたまーにあって。 でも気のせいかも、とも思っていたのですが。
先日義実家へ行った時の事。 叔父夫婦が訪ねてきて、二人を見た途端見る見る内にべそかき顔に。 慌て隣の和室へ逃げたら大丈夫になったけど。 が、しばらくしてからまたリビングへ足を踏み入れた途端に再びべそかき顔に元通り。 わかりやすすぎてむしろ面白くなってしまい 何度もリビングと和室を行き来してました(笑) 赤ちゃんのべそかき顔って可愛いよね。
多分、その時あまり機嫌が良くなかったせいもあるんだろうけどね。 あと、義父と叔父の声が大きくてびっくりしたんだとも思うんだけど。 チヨは結構目に感情が出るような気がします。 二人目だから私がそういうのに気づきやすいのもあるのかな? 泣いてなくても今不安なのかな?とか何となく感じます。
あー、可愛い(笑)
育児をしてると自分までもう一度子ども時代を送っているように思える時がありません?
先日、お友達と折り紙で遊んだモナ。 幼稚園に入ってから折り紙に興味を持ちだしたモナさんです。 でも、まだ上手には折れません‥。 お友達は結構上手くてモナに色々教えてくれていました。 最終的にはやっぱり折れなくて私やお友達が折ってあげたんだけどね。 おかげ様で(私が)ハートと腕時計が折れるようになりました。 4歳児に折り紙を教わるアラサー女(笑) 私も折り紙は苦手で、モナに折ってと言われてもできない事が多いので、レパートリーが増えたのはありがたかったわ。
で、その日は親子共々楽しく遊んだんだけど、モナさんまさかの夜泣き。 日中興奮し過ぎた?と思ったら 「モナできない! ママや○○ちゃんみたいに上手にできないよ、うわーん!」 と寝言なんだけどリアルな発言。 その場では普通にしていたのに実は余程悔しかったらしい‥。
そこでハタと思い出した私の幼少時代。 幼稚園で鶴が折れなくて折り紙が嫌いになった事(そして未だに鶴が折れない私(^o^; 同じく幼稚園で「あ」の字がクラスでひとりだけ書けなくて家に帰ってから大泣きした事‥。 あー、自分にもあったなー、みたいな。
にしてもモナに皆と同じようにできなくて悔しいという感情が芽生えていたことにちょっとびっくり。 子どもの成長はあっという間だねぇ。
悔しいって感情は成長する上で大切なものだと思う一方で そこから自信を無くして自分はできない人間なんだ、と思って欲しくなくて早速折り紙の本を買ってきた私。 上の鶴の件以来折り紙なんて折ろうとも思わなかったんだけど、この際だから一緒に頑張りますかねー。 数十年経って再びあの日に帰ってきた気分。 ひとつ違うのは‥久々に折ってみたら案外折り紙楽しかったって事かな(笑)
「モナできない」 それが今現在○○ができないという事実を表してる言葉なら別に構わないけれど 「モナは何もできない、ダメな人間だ」 と言ってるようにもとれてしまって聞いてて何だか悲しくなってしまったんだよね‥。 「モナはできなくなんかないよ。」 って言ったら安心したかのように再び眠りについたモナ。
モナは私の子どもの頃によく似てるんだよね‥。 幼稚園児ながらに『自分は人よりできないから 小学校に上がったらのび太くんみたいになるんだろうなー』 とうっすら感じていたのを憶えていて、モナにはそんな風に思って欲しくないんだよね‥。
親として色々考えさせられた出来事でした。
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