世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2013年09月10日(火) 口紅を買う

  
今日は久しぶりに買い物をした。
米や生姜も買ったけど、買い物というのはそのことじゃなくて口紅。


思えばこの夏は口紅も日焼け止めも買わないうちに過ぎていった。
口紅がなくなったのはたしか5月頃ではなかったかと思うのだが、メンソレータムのリップクリームでも全然いけるじゃんと思っているうちに数カ月が過ぎてしまった。


日焼け止めも、化粧下地にSPF15という表示があって、実際に太陽に当たるのは一日のうち自転車で駅までいく10分足らずがほとんどなのだから、なくてもそんなに困らなかった。


そのかわりと言ってはなんだけど、白ワインはたくさん飲んだなあ。
もう馬鹿みたいに暑くて、飲まなくちゃやってられなかった。で、ゲヴュルツだのソアヴェだのあれこれ飲んで、美味しかったのはお客さんにすすめて、たくさん売った。


ソアヴェは安ワイン(千円ワイン)みたい思われてるけど、丁寧につくられたものはめっちゃ旨い。千円でも美味しいけれど、千三百円を超えると旨さのレベルが一段階上がる。二千円以上なら至福の時が味わえる。


でも、もう(というか、やっとというべきか)日中の気温も27、8度になって秋の気配が濃くなった。これで、普通に食べられて、よく眠れるようになると思ったら、急に口紅がほしくなった。いったんそうなると、凄くほしい、いますぐほしい!となったのが面白かった。


数ヵ月ぶりに気に入った色の口紅を買って、サッカー日本代表もガーナに逆転勝ちして、ちょっと良い日だったな、きょうは。












2013年09月08日(日) 東京五輪

 
朝起きてテレビをつけてみたら、東京五輪、決定していた。
東京開催の五輪、私は二度目だ。1964年のときも世田谷にいた。
選手村で外国人に抱っこされている写真(父が撮った)がある。
半世紀も生きているといろんなことがあるなあ。


首相は誘致を成功させたい一心で、んまあ、思い切った発言を。これで、自国民のみならず、全世界に言質とられたわけで。
もう発言以前には戻れない。このまま言いっ放しにはできない責任が生じましたね。


占星術の世界では、現在はトランスサタニアン時代の真っ最中。世界的に社会システムの書き替え期だそうだけれど、東京五輪は書き替え後の世界に明るさをもたらすものであってほしい。


でもなあ。私が何より気になるのは地震。首都圏に直下型の大地震が必ず来ると言われていて、でもそれがいつなのかはわからない。
わが家の玄関には、五輪開催の有無にかかわらず、以前から非常持ち出し用のリュックサックが置いてある。


これから五輪開催までの7年の間に、どのタイミングで大地震が来たとしてもあらゆる意味でかなり困ったことになると思うのだけど。
その件については国内外のみなさんはどのように考えたのだろうか。











2013年08月26日(月) 2013年8月に読んだ本

 
本を読む習慣が静かに、少しずつ戻ってきた。
経済的な理由から新規購入は極力ひかえ、忙しかったころに買って、持ち歩きに不便という理由から長らく積ん読になっていたハードカヴァーを読んだりしていた。
それがなかなか楽しくて、矢作俊彦の「港の永爾ヨコハマ、ヨコスカ」なんか寝食忘れるくらい夢中になってしまった。酷暑のワクワク本4冊。




「異国の客」 池澤夏樹(集英社文庫)

池澤夏樹が家族を連れてフランス、フォンテーヌブローに住んでいた間の覚書的著作のうち、最初の一年間の報告書が「異国の客」、その後の二年半をまとめたのがこの前に読んだ「セーヌの川辺」。読む順番が逆になってしまった。
その「セーヌの川辺」が問題提起に満ちた、ややしかめつらしい内容だったのに比べ、こちらは新しい暮らしの新鮮な楽しさをストレートに伝えていて楽しかった。

 ところで「セーヌの川辺」には清水徹という人があとがきを書いていて、この清水さんというひとがどういう人なのかわからない。あ、バレリーナの…と思ってから、それは清水哲太郎さんの間違いだと気がついたり。ネットで調べればすぐにわかるだろうに、なんとなくそのままにしていたある日、エアコンの付け替え業者さんがやってきたのだった。そして工事が終わりお茶も飲み終わり、部屋を出る段になって、壁の書棚の前に立ってじーっと一点を見つめていたのですね。

 私はなんとなくもじもじしてしまった。おじさんの見ているのがちょっと恥ずかしいタイトルの本の背表紙だったりしたらどうしようと思って。たとえば「おとこくらべ(嵐山光三郎)」とか「ホモセクシュアルの世界史(海野弘)」とか…。それで、業者さんを玄関まで見送ったあとでおじさんの見ていたあたりを確認してみると、そこにはみすず書房刊「吉田健一 友と書物と (清水徹 編)」というアンソロジーの背表紙が。

 おじさんがその一冊の背表紙をガン見していたのかどうかは定かでないけれど、おかげで清水徹さんが仏文学者であることがわかったのだった。まさか、自分の家の中に清水さんの編著があったとは(しかも吉田本の)。あー、びっくりした!



「僕はいかにして指揮者になったのか」 佐渡裕(新潮文庫)

 レナード・バーンスタインと小澤征爾を師にもつ指揮者、佐渡裕の自叙伝です。指揮者として正式な教育を受けていない、自称「雑草」、謎の新人が海外のコンクールに勝ち抜いて世界的な指揮者へ近づいていくストーリーにワクワク。やっぱり世界で活躍するようになるひとは、そこへ至るまでの決断と行動力がすごい。

 それと、バーンスタインとの師弟関係について書かれた部分が面白かった。世界的なマイスターに対する、無名の佐渡裕の意地と根性。ただ技術的に優れた「良い弟子」であるだけではだめなのだな云々。色々と考えさせられたのでありました。



「三島由紀夫 神の影法師」 田中美代子(新潮社)

 意図したわけではなかったけれど、あともう少しで読み終わるというタイミングで終戦の日が来てしまったのだった。今年のその時期、なぜ戦中派は8月15日を「終戦」ではなく「敗戦」と呼ぶのかということを考えていて、なぜなら、死んだ父親も「終戦」という言葉をつかったことがなく必ず「敗戦」という言葉をつかっていたから。

 そして今年、この三島に関する本やなにかを読んだりしながらひとつわかったのは、戦の勝ち負けにこだわって(アメリカに負けたから)「敗戦」なのではない、それは、天皇がある日を境に「人間」になったことと関係があるのではないか?ということだった。三島に関する本を読むと、どうしてもこのあたりをウロウロすることになる。気がつくと必要以上にシリアスになっちゃってたりして困るな。

 この著者の書いた本で、読み物として面白かったのは「小説の悪魔 鴎外と茉莉」の方だけれど、これは、三島関係本となるとシリアスになり過ぎてしまう読み手側の問題なのかもしれない。

 それから、この本を読んでいるあいだ中、ずっと頭の一部で響いている声があって、それは「三島の貰わなかったノーベル文学賞をどうして村上春樹が貰えるわけがあるんだよ」という自分の声なのだった。こいつがなかなかうるさくて、閉口した。



「ロング・グッドバイ」 矢作俊彦(角川書店)

 












2013年08月25日(日) エアコン問題の終わり

 
とてもやっていられないような暑さ続きの今夏だが、部屋に付いているエアコンは、昨年春に越してきたときからすでにちょっとおかしかったのだった。冷房はあまり冷えないし、暖房はあまり暖かくならない。
それでも、修理を頼むのが面倒くさくて一年以上無精たらしくやり過ごしてきてしまった。


それが7月半ば、梅雨が明けると同時にいきなりの猛暑にガツンとやられて、身構える間もなくフラフラになった。梅雨明け宣言から二日目にしてすでにだめだこりゃ的状態に。
ところがその後、今年は百数十年ぶりの記録的な暑さになるという話が喧伝されていた折も折、ほぼ一週間ほど朝晩は涼風がたってエアコン不用という、まるで昭和四十年代の夏休みみたいな日が続いた。


で、結果的にはこれがたちの悪いフェイントになって油断してしまったのだ。エアコンの修理依頼は遅れ、戻ってきた馬鹿酷暑のなか、就寝時にはタオルを巻いた保冷剤でおでこだの二の腕だのを冷やしながら休む日々。
8月上旬、不動産会社に頼んでやっと調べに来てくれた業者さんは、小さくて痩せていて、四十年前の野口五郎みたいな髪型のすごーくおとなしい男の子で「調べた限りではどこも悪いところはありません」と蚊の鳴くような声で言うのだった…。


四、五日後、今度はベテラン中のベテランという風情のおじさんが見に来てくれたのだけれど、室外機のガスのプレッシャーも、室内の吹き出し口の冷風温度も正常だと言う。
そもそも建物の築年数がまだ3〜4年で、エアコンは建てたときに付けたものだから普通に考えたらこんな不具合あるわけないのだ。
おじさんは、もしかしたら機種と部屋の広さが合っていないのかも。考えられるのはそのくらい、と言って帰って行った。


それで、調べてみたら、それだった。
取扱説明書によると、付いていたエアコンの対応面積は9平方メートル。てことは六畳弱ってことだね。うちは十畳弱の部屋に三畳ほどの台所が仕切りなしでつながっている。対応面積の倍くらいあるってことだ。
そりゃアナタ、去年から冷えないわけさ!


しかし、この時点で不動産屋さんは一週間のお盆休みに入っていた。それで、休みあけを待って連絡をとり、ああしてこうしてこうなって、やっと今日、新しいエアコンに付け替えてもらうことになったというわけだ。もちろんすべての費用は家主さん持ちである。



今日は曇りで日射しがなく、皮肉か?!ってくらいに涼しい日だったけれど、工事の人も付け替えを待つ私も、大汗をかかずにすんで助かった。
業者さん(ベテランと新人さんのコンビのうちベテランのおじさん)は、これで大丈夫。でももう夏も終わっちゃうね、と言って笑いながら、ぬるめに淹れた日本茶を飲み干して帰って行った。
エアコン問題の終わりは、ほとんど夏の終わりでもあったのだった。












2013年08月20日(火) 驚いたこと、ふたつ

 

その一

少しまえに、録画してあった「ブロンテ姉妹」(1977年、アンドレ・テシネ監督)という映画を観ていたら、最後の最後でロラン・バルトが出てきた。
最初は、この人知ってる、誰だっけ?と必死に思い出そうとしていたんだけど、一瞬「ガンッ」という衝撃が走って、同時にバルトだと気がついた。

バルトはサッカレー役で、鬘をつけていた。長い長い、謎のようなセリフを不思議な間合いでしゃべるのだ。プロの映画俳優ではあのセリフ回しは逆に出来ないんじゃないかと思わせるものがあった。

われながら酷いと思いながら書くと、化粧のせいもあるだろうけれど、ゲイリー・オールドマン演じるドラキュラに少し似ていると思った。バルトが自分の容貌に強いコンプレックスを抱いていたことを思い出した。

なにしろ、生きて動いているバルトをみたのは初めてだったし、予期せぬことだったので驚いてしまった。
(そうだ、それがきっかけでエルヴェ・ギベールを読み直したのだった。エミリー・ブロンテ役はイザベル・アジャーニ)
 
 
 

その二

読み終えたユリイカ('78年 特集 植草甚一氏の奇妙な情熱)の中に「99の質問」というアンケートがあって、その66番目、「孤島へ行くとしたら本は何を持っていきますか」という問いに、JJ氏は「吉田健一全集、三十冊が出つくしていたら、それ」とこたえていた。

それから篠田一士との対談ではニューヨークのヴィレッジについて話している中で、吉田健一の名前が出てくる。
「時間」のなかのひとつにニューヨークの夏が出てくる、あの暑さを書いたものは、ほかにはないなと思って、まだ印象に残っています、とJJ氏。


別に驚愕したとか、うれしくて胸が躍ったとかいうのではなくて、要するに、植草さんがまだ生きていた頃、好奇心だけは旺盛だった二十歳以前の自分というのは未だ子供にすらなってはいない、アカンボウのようなようなものだったのだなぁ、という感慨が積乱雲のように湧いて出て、そいつに打ちのめされてしまったのだった。











2013年07月17日(水) 驚いたこと

 
少しまえに妹と電話で話していて「どこの墓に入るか」と聞かれ、驚いたことがあった。


福島に住んでいた妹の義父(ダンナのお父さん)が去年亡くなって、そのお墓を思い切って横浜に建てようかという話になっているのだそうだ。


それで、横浜の、私たちの両親の墓のある霊園内に墓所を買おうかという相談をしているらしい。義弟は長男だが今後福島へ帰るつもりはなく、また実家もお父さんが亡くなって空家になっているそうだ。


それで妹は、別件で電話をかけてきた私に「お姉ちゃん、お墓はどうするの。あたしたちのところに一緒に入ることにする?」と訊ねたのだった。独り身の姉の行く末を気遣っての言葉である。


いやはや。亡母の墓をどうするかでまだ存命だった父と妹と私と、あちこち霊園を見て回ったのが十一年前のこと。いくらなんでも、こんなに早く「自分の墓」のことを具体的に考えることになろうとは思ってもみなかった。ケアする側からされる側に、供養する側からされる側への移動距離は以外に短いのだな。


で、そのときは「パパとママの所へ入るつもりでいたんだけど。あそこ、つめればもうひとつは収まるはずよ」と答えたのだった。けれども勿論、こういうことをこの歳で、こういう状態で、はっきりと決定するのは難しい。死んだあとのことより、生きているいまの問題の方が先だもの。


後日この話を年若い友人にしたら、「電車の座席みたいでおかしい」と言って、大笑いされてしまった。「詰めれば入る、って。それ電車で座るときでしょう」。悪気もなく明るくそう言うので、私まで笑ってしまった。













2013年07月16日(火) 今年前半に読んだ本

立花隆「ぼくはこんな本を読んできた」以外の、今年7月上旬くらいまでに読み終えた本のタイトルをメモ。



「ブドウ畑で長靴をはいて」新井順子(集英社インターナショナル)

「猫の一年」金井美恵子(文藝春秋)

「ユリイカ1978年11月号 特集*植草甚一氏の奇妙な情熱」(青土社)

「オオカミの護符」小倉美惠子(新潮社)

「思い出すままに」吉田健一(講談社文芸文庫)

「ロゼッタストーン解読」L・アドキンス/R・アドキンス(新潮文庫)

「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」エルヴェ・ギベール(集英社文庫)

「セーヌの川辺」池澤夏樹(集英社文庫)

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ギベールの「ぼくの命を〜」は、まだきちんと読んだことがなかったので。
「オオカミの護符」はやっと、本当にやっと、読み終わった。

読みかけて途中でストップしているのが、岡本太郎「美の呪力」。美の、というより太郎さんの呪力に負けそうで…。ちょっと休むつもりが、長いお休みになっております。








 


2013年07月15日(月) 作戦終了!


ベランダで栽培していたコリアンダー(パクチ−)のその後をご報告。





五月上旬、連休中に間引いて移植。お行儀よく整列しました。





それから三週間後くらい? やや徒長気味だけど元気です。





この頃は、柔らかい葉を摘んで、たまに料理に使っていました。





これはフォーに入れたところ。ミントなどのハーブやレモンと一緒に。
この食べ方はパリの中華街のヴェトナム料理店風。
あと、魚醤を入れたりしても美味しいのです。





と、ここまでは概ね順調だったのですが、ある日予想外の事態が。
苗で買ったコリアンダーに花が咲いてしまったのです。
一年草は花が咲いたらお終いなのです。咲いて実がなって、枯れる。あららー


そして、同時期に種から育てていた鉢にも、アブラムシの発生+徒長して倒れるという不幸が…。
毎朝、水遣りの際に指でアブラムシを潰して退治していたのですが、ついに力尽きました。


六月の半ば過ぎ、梅雨入りの頃に作戦終了を宣言することにしたのでした。
え? 作戦失敗じゃないのかって? 違いまーす、あくまでも終了でーす。
はー、われながら善戦したー!!
以上です!









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