はぐれ雲日記
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2006年05月25日(木) 月山 (がっさん)

いまだ生を知らず いづくんぞ死を知らん。

これは、孔子に、弟子の顔回が「死ぬとはどういうことでしょうか?。」と尋ねたところ
孔子はカラカラと笑って「わたしがそんなこと知るもんか。 今こうして生きてるということがどういうことかすらわかってないのに・・・」
と応えたという、あまりにも有名なことばです。

森 敦著「月山」 のとびらの部分にこれが記されていました。
芥川賞受賞のこの本は本まるごと一冊曲にしてしまったということで当時話題になったものです。
電通のサラリーマンをしながらシンガーソングライターでもあった新井満さんが”組曲・月山”を作りました。

長く、庄内平野を転々としながらも 私はその裏ともいうべき肘折の渓谷に分け入るまで
わたしはなぜ 月山が月の山と呼ばれるかを知りませんでした。

という書き出しで始まるこの小説は、森さんの葬儀でも、お経のかわりにこの組曲を流したそうです。
以上はマエフリ。

今日は森さんのお母様のことを書きたかった。
森さんは旧制高校から東大へ進んだのですが、途中で感ずるところがあったのか中退。
ラーメン屋の出前持ちになりました。
その時のお母さんの態度がステキでした。
「敦、偉い。 東大も大学だが、ラーメン屋も人生の立派な大学だ。」 と励ましたそうです。
これはとても・・・わたしなんか言えません。本当に。
流浪の小説家、森敦はこのようなおおらかなお母様のもと育まれました。

月山は鳥海山とともに山形に位置し、その姿は牛が寝そべっているように見えることから正式には
臥牛山(がぎゅうざん)と呼ばれています。
前日の”暗闇から牛”を無理やり引き出したようですね・・・。


2006年05月24日(水) キューポラのある町

小学校のころ、川口にしばらく住んでいた。
キューポラの町。鉄錆びた町。ブリキの臭いがした。 すぐ裏は”坂下鉄工所”という町工場だった。
5、6人のあんちゃんが機械油で真っ黒になって朝から晩まで働いていた。
その中にターぼうという年のころ18、9のくらいのいつもとびきり上機嫌のあんちゃんがいて
仕事中、のべつまくなしに歌を歌いまくっていた。
別れの一本杉。 ごめんねチコちゃん。りんご村から。美しい十代。 達者でな。錆びたナイフ・・・。
ちょっと九ちゃんに似たにきび面で、よくもまあと思うほど次から次へと大声で歌いまくった。
夜になってハダカ電球が点っても、仕事に歌謡曲にしばしも休まず精出していた。
窓は全部開放されていたので学校帰りなど、遠くからでもその歌声は聴こえた。

「ひっさしぶりにい〜手をひいてぇ〜おやこでーあるけるうれしさにいぃぃーーー」
歌の途中で「ターぼう!」とだれが呼んでも知らんぷり。
「ここがここがあ〜二重橋ィー記念のしゃっしんを撮りましょうねえーーーーー!」
と最後まで”東京だよおっかさん”を歌いきらないと絶対返事はしない。
たとえ社長が来てなにか尋ねてもだ。
社長はしかたなく手をブラブラさせたりして、歌のキリの良いところが来るまで
キマリ悪そうな顔をしながらも、手持ち無沙汰でじっと待っている。

どんな寒い朝でも上機嫌で私たち子ども等には「おっはよー!」帰った時には「おかえりィッ!」
と声をかけてくれるので、ターぼうは近所でも人気者だった
土曜の午後など、鉄錆びた窓は子ども達が鈴なりに顔を連ねてターぼうの歌声に聞きほれた。
おかげで色んな歌を覚えることができた。
♪ABC〜XYZそれがおいらのくちぐせさあ〜 子ども達も加わりみんなで大合唱となるこの曲。
18番はフランク永井の”有楽町で会いましょう”  だが、ABCXYZなどと言う
そんな口癖ってあるんだろうか? いまになって思うと不思議ではある。

高度成長期、中卒が”金の卵”ともてはやされたころの話である。
石油ストーブの普及で、石炭を使うダルマストーブが急滅し、キューポラの火も消えた。
しばらくして坂下鉄工所も工場(こうば)を閉鎖。
ターぼうをはじめとするあんちゃん達は田舎へ帰ったり東京へ再就職したりして、みんないなくなってしまった。

いなくなってしばらく経ってからも、三丁目の垣根の角を曲がり、ぽっかり浮かぶ雲を見上げたりすると
ターぼうの歌声が風にのって聞こえてくるような気がした。

♪これこれ石の地蔵さ〜ん。西へ行くのはこっちかえ〜。だまっていてはわからなあい。
ターぼうの大好きな祐ちゃんもひばりちゃんも天国に召され 昭和も徐々に遠くなりつつある・・・。


2006年05月23日(火) 青葉繁れる

意思を継ぐ。 夢や野望を遂げられずに生涯を終える
人間の意思を誰かが引き継ぐという話は無条件に心を打たれる。
年とったせいかなあ・・・。
今日、ラジオで聞いたんだけど”戦国時代”にちなんだ曲をインターネットで
探してリクエストするという番組の中で(ちょっと変?)紹介されてた話。

関が原の合戦の時に、家康の子どもの秀忠は、戦いに遅れて来たという。
合戦に勝った後、家康は部下(家来?)の前で厳しく我が子を叱ったそうな。
しかし、のちに判明したことには、家康はわざと我が子を遅刻させたと言われている。
それは、戦に負けても秀忠が生き残り、意思を引き継がせる意図でそうしたそうな。

まったくたぬきおやじのやりそうなことではないか。
ずる賢くて、計算されつくした度胸があって、いつでも裏の裏まで読んでいる。
ほんとアッタマ来る〜。こういう奴って職場に一人はいるんだよなあ。反面、妙に感心したりして。
コネズミ総理は”徳川家康”読んだことあるのかな?
コータローはOYAJIの意思を継いで走るのかいな?プ。

ところで、戦国時代にちなんだ曲。難し過ぎ。平成ポンポコ合戦ではだめだろうし・・・。
旗本退屈男?古城@ミハシミチヤ?青葉繁れるはどんなもんだろー。

♪青葉繁れる櫻井の里の渡りの夕まぐれ。木の下蔭にとめて
世の行く末をつくづくと偲ぶよろいの袖の上に散るは涙か、はた露か。

まちがっているかもしれない。なにしろ幼いころ祖父に教わった歌だ。
楠正成が戦にでる時に我が子正行(まさつら)に後世を托した歌と聞く。
なんか・・・じ〜んときてしまう。 年とったせいか。

わたしがぜひ、子ども達に託したいもの・・・。

それは財産ではなく、借金の山である。

むひょ。


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