プラチナブルー ///目次前話続話

ウィンクと裏拳
April,24 2045

11:25 ローゼンバーグ総合大学 試合会場


「汚い真似しやがって…」

ブラッドが怒りまかせた勢いでその場で立ちあがると、左に座っている男の胸倉を掴んだ。
すぐさま壁際に座っていた係員達が卓に駆け寄ってくる。

「いかがなさいましたか?」

ブラッドは男の胸元から手を離すと、その手で左側で仁王立ちしている女を指差した。

「この女が現れたせいで…落ちた牌をロンと宣言したんだよ!部外者の卓上への口出しはありなのかよ!」
「あら、随分と酷い言い方ね、牌を河に置いたのは、そちらの不注意以外の何ものでもないでしょう?」
「ふざけるな!」
「まあ、乱暴な生徒さんをお持ちのようね・・・ファンデンブルグ助教授」

矛先を混乱させるかのように、話題を摩り替えようとしたチェン教授の言葉を、ヴァレンは無視した。
係員の男達2人は、二、三言ボソボソと会話をした後で、誰に伝えるでもなく言葉を発した。

「いかなる理由があろうと、場を差し戻すことはできません。
河に置いた牌を戻せないというのは、正式なルールでございます。このまま続行願います」

「おい!」

怒りの収まらないブラッドが、係員に詰め寄ろうとした瞬間、

「ブラッド、座って・・・」

と、ヴァレンがいつもの口調で微笑みかけるようにブラッドに言葉を投げかけた。
ブラッドが、納得できないといった様子で渋々と席についた。

「チェン教授は、あちらの席へ、ご案内いたします」

係員の男達が、部屋の左奥の椅子に向かって手の平を向けた。
チェン教授がポーチからドリングの瓶を取り出し眼鏡の男のサイドテーブルに置くと、男に耳打ちをした。
そして、係員の指示に素直に従うように部屋の奥の椅子に腰を降ろした。

東2局 
東家 眼鏡の男 23,300点
南家 ブラッド 19,900点
西家 狐目の男 19,900点
北家 ヴァレン 36,900点


眼鏡の男がサイコロを振り、全員が配牌を取り出した。
親の眼鏡の男は一打目の牌を切る前に、サイドテーブルのドリンクの蓋を開け一気に飲み干した。

「おお、これはこれは・・・牌がよく見える…」

独り言を呟くと、ブラッド、狐目の男、ヴァレンの手元を順番に見渡すと、
それぞれの13枚の手牌の背中を見て不気味に笑った。

6順目に一向聴を迎えたブラッド。

東2局 6順目 ブラッド


ここに6ピンをツモり、ペンチャンの8-9ソウ落としを目論んで、8ソウを河に捨てる。
次の順目に親が6ソウを切ってリーチを宣言した。

「リーチ」

ブラッドはツモ山に手を伸ばし、恰好の五萬をツモってくると、迷わず9ソウを横に向けた。

東2局 7順目 ブラッド


「リーチ」

「ロン…リーチ、一発は3,900点。裏ドラは…六萬か…」

東2局 眼鏡の男のアガリ形




眼鏡の男は裏ドラを開くこともなく手牌を倒し、点数を申告した。

「追っかけリーチは、2-5-8萬待ちですか…」

ブラッドは眼鏡の男に待ちを言い当てられたことよりも、倒した手牌を見て首をかしげた。

(6ソウではなく9ソウを切れば、4-6-7待ちの3面待ちじゃないか…何で9ソウ単騎なんだ? ペンチャン落としを狙われたのか?)

男が裏ドラの表示牌を捲ると五萬だった。裏ドラは男の宣言通り六萬。
ブラッドは、上家の男が適当に牌を言っているだけだと、深くは考えずに点棒を支払った。

東2局 一本場
東家 眼鏡の男 27,200点
南家 ブラッド 16,000点
西家 狐目の男 19,900点
北家 ヴァレン 36,900点


7順目、絶好のカン五萬を引くと、ブラッドは字牌を横に向けリーチを宣言した。

東2局一本場 7順目 ブラッド 


「ふ〜ん。3-6ソウね〜果たして山にあるのかな・・・」

ボソボソっと上家の男が呟いた。

(なんだ?コイツ・・・)

ブラッドが眼鏡の男の言葉へ不快に反応し、山を見渡す男の目を見た。

(コイツ・・・瞬きをしてない・・・目が血走ってるじゃないか・・・薬か?)

明らかに、ドリンクを飲んでからの男の言動と顔つきは別人のように変わっている。
3-6ソウ以外の牌を惜しげもなく、切り落としてきた。

その男に呼応するかのように、下家の狐目の男もいかにも危険そうな牌を切り続けた。
結局、ブラッドはツモルことが出来ず、流局した。
上家も下家も聴牌形を晒し、一本場はヴァレンの一人ノーテンだった。

「左から5枚目の牌を差し込めば良かったのに・・・」

眼鏡の男は相変わらず瞬きひとつせず、ヴァレンの見えないはずの手牌に語りかけた。
ヴァレンは、男の言う5枚目の牌に視線を移すと、男の云った通り、その牌は6ソウだった。

東2局 ニ本場
東家 眼鏡の男 28,200点
南家 ブラッド 16,000点
西家 狐目の男 20,900点
北家 ヴァレン 33,900点
流局 リーチ棒 1,000点


「いい加減なことをベラベラと語ってんじゃねえよ」

ブラッドは苛立ちを隠すことも無く、無造作に山を崩すと次の局の準備を始めた。

「くっくっく・・・あっはっは」

突然、眼鏡の男が笑い始めた。

「全ての世界が透き通って見える・・・」
「は?・・・頭がイカレてるのか?お前」
「イカレているなんて、とんでもない・・・」

眼鏡の男は勝ち誇ったような表情でブラッドに笑いかけると、牌を取り出しながら呟き続けている。

「ほほう・・・黒い下着ですか・・・これは色っぽい・・・おや?左胸にキスマークが2つ・・・濃密な夜をお過ごしのようで・・・」

男に胸元を見透かされたような視線を感じたヴァレンは、咄嗟に両腕で胸を隠した。

「お相手は、こちらの彼かな?・・・おやおや、違うようだ。お気の毒に・・・」
「いい加減にしろ、てめえ!」


「ぐわっ」

ブラッドの左手の裏拳が、眼鏡の男の鼻先にめり込んだ。
男はピンポン玉のように、後方の壁に向かって規則正しく3度跳ね、壁に頭を打ちつけると大の字にのびた。

「ルールブックに裏拳禁止ってのは、確か無かったよな」
「至急確認いたします」

駆け寄ってきた係員に、平然と尋ねるブラッド。
先程の2人組みの係員はオロオロと会話を交わし、ルールブックを捲ると、

「ルールブックに禁止事項の記載はございません・・・」

と、返事をした。

唖然としているヴァレンに、ブラッドはウィンクをしようとしたが、片目ではなく、両目を瞑ってしまった。

それぞれの光
April,24 2045

11:35 ローゼンバーグ総合大学 試合会場

眼鏡の男が大の字にのびてしまい、試合が中断されていた。
例の係員達2人が、壁際で慌しく協議をしている姿が見える。
ブラッドは、待たされている時間に煙草に火をつけ、目を閉じていた。
睡眠不足のせいか、時間の経過とともに体がどんどん重くなってくる。

「フォンデンブルグ助教授・・・大変申し訳ありませんが・・・」

ヴァレンの隣で、係員が腰を低く落とし状況を説明している。

「そう、わかったわ・・・1時? それなら2時からにして・・・食事を済ませておくわ」
「かしこまりました。2時再開ということで、よろしくお願いします」

立ち上がった係員が深々と頭を下げると、ヴァレンは席を離れ、ブラッドの隣で立ち止まった。

「2時から再開よ・・・ 一度、研究室に戻りましょう」
「はい」

ブラッドは、半分吸いかけの煙草を灰皿に押し付けて消すと頷いた。

研究室へ向かう廊下に出ると、対戦相手の予備要員を補充するのに時間がかかる為、
午後からの再開になるとヴァレンがブラッドに説明をした。

ブラッドは、自分の左手を上下に2度ひっくり返し、顔の前に近づけた。

「見事に決まっちゃったわね。貴方の裏拳」
「あはは、つい手が出ちゃいました。すいません」
「いいのよ・・・でも、驚いたわ、穏やかな貴方があんなに怒るなんて」
「・・・すいません、昨日余り眠れてなくて、イライラしてたもので・・・」

ブラッドの二重瞼が目の奥にくぼみ、何度も瞬きを繰り返している。

「あらあら、遅くまでアンジェラとミーティングをしていたの?」
「いえ、打ち合わせというよりも・・・雑談で遅くなってしまって」

ブラッドは、アンジェラとの昨日の夜の出来事をヴァレンに伝えようかと迷っている間に、
大きな欠伸がブラッドを支配し、頭に浮かんだ昨夜の残像を揉み消した。

2人が、試合会場の校舎と研究室のある校舎をつなぐ渡り廊下まで来ると、

「ヴァレンティーネ様・・・2時まで中庭のベンチで横になってきます」

ブラッドは、ヴァレンに一礼をして、中庭の緑の中に姿を消した。

ヴァレンは研究室塔のエレベーターホールに出ると上階へのボタンを押した。
エレベーターが一階まで降りてくるのを待っている間に、トッティの電話を左腕の携帯端末で呼び出した。
3コールを鳴らしたところで、エレベーターのドアが開いた気配を感じ、携帯端末の蓋を閉じた。
顔を上げ、一歩前に踏み出そうとすると、中から、黒服の男達が4人降りて来て、ヴァレンを取り囲んだ。

「ファンデンブルグ助教授、少々お時間を頂きます」

声を掛けてきたサングラスの男は、トッティの店でチェン教授と同行していた男だった。




11:35 ファンデンブルグ研究室

「・・・アンジェラ、それは重度の恋煩いね」

ベッドの上に横たわっているアンジェラの傍でトッティが大きなため息をついた。

「好きになんて、ならなきゃよかった・・・」
「・・・と言っても、心のアクセルもブレーキも壊れちゃってるんでしょう?」
「わかんない…。寝ても醒めてもアイツのことばっかり考えてるの」
「いい子だからね、彼は。アナタが好きになるのも無理ないわ」

布団に潜り込んだまま、アンジェラは鼻から上だけを外の世界に晒している。
トッティは、昨夜のブラッドとアンジェラの出来事を聞き入っていた。

「でも、アイツ、お姉ちゃんのことが好きだっていうの・・・」
「それは、アンジェラが尋ねたからではないの?」
「うん・・・そう、アタシが訊いたの、訊かなかったほうが良かったのかな・・・」
「どっちが良いかは、解らないわね。それに、スキじゃないって云っても、アンジェラは信じないでしょう?」
「うん、信じない・・・でも、どっちもスキだなんて・・・ズルイわよ」

トッティは、一呼吸おいてアンジェラに言葉を返す。

「アンジェラもヴァレンも素敵なんだから、しょうがないわ。アタシだって2人のこと大好きだもの」
「・・・でも、トッティの好きは・・・やらしくないもん」
「あらあら、アンジェラ。年頃の男の子なら、女の子にキスされれば、誰だって舞い上がるわよ」
「・・・で、許可無く、胸を揉むの?」

率直なアンジェラの質問に、トッティが苦笑いをしている。

「う〜ん、というか、よく、そこで止まったわね。勿論、揉んでいい?なんて尋ねる男もいないわよ」
「・・・そんなこと・・・訊かれても、困るけど・・・」
「キスまでよ、胸までよ・・・なんて話を、事前にするほうが不自然だと思うわ」
「あ〜〜〜もう!」

トッティが呆れたように笑っていると、アンジェラは、不貞腐れたように布団を頭まで被った。
携帯端末をトッティが開くと、着信を知らせる青いランプが光っている。

「あら、ヴァレンからだわ、試合が終わったのかしら・・・」

ボタン操作をしてヴァレンの居場所を探る画面を呼び出すと、赤い光が4つヴァレンを取り囲んでいた。

「大変・・・」

トッティは慌てて、部下のシルバーの番号を呼び出した。

フェイス
April,24 2045

11:40 ローゼンバーグ総合大学 東広場

試合会場と研究室の二つの校舎に挟まれるように緑の生い茂っている東広場。
太陽の位置は丁度、南中している。

南側から射している陽射しが、二つの塔を繋ぐ広場の北側の窓ガラスに反射して、
その光が木々の合間から木洩れ日となって降り注いでいる。

そんな中のひとつのベンチに、ブラッドはおもむろに横になると右腕を顔の上に置いた。
光と闇の二つの世界が、ブラッドの右腕の上と下とで分かれている。

睡眠不足のせいか、すぐに睡魔が忍び寄ってきて、眠りに落ちる前の幻想をブラッドの脳裏に映し出した。
うたた寝の世界の夢を映し出す頭の中のスクリーンには、面子選択の悩ましい手が揃っていた。



「一気通貫か…三色同順か…」

ブラッドは迷っていた。

「9ピンかな〜、でも四萬や4ソウを引くと平和だけだし…
かといって、マンズかソウズのメンツを外して、引いてくると頭にくるし…」

ブラッドが夢の中で迷っていると、円香がブラッドの横で牌を見て微笑んでいる。

「シーナ先生、イッツーと三色、どっちを狙ったほうがいいんですか?」
「それは好みの問題よ。どちらも2翻役だからね」
「ええ…」
「融通の利く手は三色の方だし、頑固な人はイッツーを狙うって良くいうわね」
「9ピンかな〜」
「そうね、絶対に正解ってわけではないけど、無難ではあるわね」
「無難か〜、そういえば、調子のいい時は迷わない入り方をするのに…」

円香は答えをブラッドに教えるわけでもなく、ブラッドの意思に任せている。

「調子が悪く感じるときは、5.6のメンツを外した後に、誰かからリーチが入って…」
「3とか6を引かされて振り込むんでしょ?」
「ええ」
「そういう時は、切っちゃ駄目よ。まず当たるわ」
「…ですよね。何度悔しい思いをしたか…」

ブラッドが、牌の選択を決めかねていると、ヴァレンとアンジェラが登場してきた。

「そこは、9ピンを切って、柔軟に受けるといいわ、三色も見えているし」

ヴァレンがブラッドに微笑みかけた。

「やっぱりそうですよね」

ブラッドが、9ピンに手をかけた瞬間、アンジェラが、ブラッドの右手を掴んだ。

「切っちゃ駄目。その手は不確定な三色よりも、食い仕掛けもできるイッツーを狙おうよ。雀頭がドラだし」
「なるほど、確かに、4ピンが出れば、仕掛けてもいけるな〜」

「何いってんのよ、それは9ピンよ」
「いいえ、イッツーです」

いつの間にか、ヴァレンとアンジェラが言い争いをし始めていた。
うたた寝の中でブラッドは呆然としている。

「アタシの言う事が聴けないわけ?」
「どうして、ブラッドはいつもいつもお姉ちゃんを選ぶのよ」

二人の怒りの矛先がとうとうブラッドに向けられた。
円香は、ただその様子を見て笑っている。

「うう…ヴァレンティーネ様かアンジェラか? そういう問題じゃないのに…」
「あら、そんな簡単なことも選べないわけ?」
「そういう問題? ここは選んで貰うわよ! ブラッドはいつも優柔不断なんだから」

突如、舞うような風が東広場の木々を揺らした。
その風の遥か上空では、ヘリコプターが東校舎に下りようとしている。
プロペラの旋回する音と、機体から聞こえる機械音とが激しく校舎の谷間で反響し、
その大きな音のために、ブラッドは夢の世界から現実の世界に引き戻された。

「…夢?」

木洩れ日から微かに覗く光さえも眩しく感じたブラッドが目を細めた。

「ああ、生きて帰れた…」

大きな音が、ブラッドの左腕の携帯端末機の着信音を掻き消していた。




11:45 ファンデンブルグ研究室

布団を頭の上まで被ったアンジェラに、トッティは出かけてくると告げ、研究室の外に出た。

「ブラッドったら、この一大事にどこにいるのよ」

トッティは、ブラッドの留守番電話に至急、研究室に戻ってアンジェラの看護をするようメッセージを吹き込んだ。

「シルバー、今、どこに居るの?」

トッティは、ヴァレンの護衛のリーダーであるシルバーに連絡を入れた。

「東塔の屋上に向かっています」
「屋上?」
「はい、既に、外部にでる東門と南門には、2人ずつ配置しております」
「門のところは分かるけど、何で屋上?」
「東塔の屋上にヘリコプターが先ほど降りてきましたので、万一に空に飛ばれたらお手上げです」

トッティが、シルバーと会話をしながら、画面を見つめている。

「そうか、これ、立ち止まってるわけじゃなくて、上の階に移動してるのね」

トッティが独り言のように呟き、シルバーの機転に感心していた。

「上出来よ、アタシも、すぐに行くわ」
「了解、ボス。接触したらすぐに奪還のミッションに移行してもいいですか?」
「相手はヴァレンの周りに4人、ヘリの中にも数人いるはずよ、足止めしてて…できる?」
「勿論です!お任せください。ヴァレン様は、リストバンドをつけている模様、危害は及びません」
「そう、クラゲモードのスイッチを遠隔操作でオンにしておくわ、ヴァレンに触れたら感電するわよ」
「あはは、了解!」

トッティの顔つきが、精悍な男モードに切り替わった。

作戦Bとデニス
April,24 2045

11:55 ローゼンバーグ総合大学 東広場

東広場のベンチの上で、束の間の休息を取っていたブラッドの頭上では、降り注ぐ光を遮るように覆っていた木々が大きく揺らめいている。
ヘリコプターの降下の影響で、吹き降ろしの風が一層強くなっていた。

「うるさくて、眠れねえよ・・・」

ブラッドが文句を口にして上半身を起こすと、ほぼ同時にプロペラの旋回音が小さくなり、やがて消えた。
ダウンウォッシュによる風が止み、緑一面の天井が静けさを取り戻すと、鳥のさえずりが、どこからともなく辺り一面に少しずつ広がっていく。

ブラッドは左腕の青い光を放っている携帯端末機に気づくと蓋を開けた。

「昼食のお誘いかな・・・今日は珍しく腹が減ってないんだよな・・・というか眠い・・・」

呑気な気分を吹き飛ばすような真顔のトッティが現れ、その下にメッセージがスクロールを始めた。

「アンジェラの看護?具合が相当悪いのかな・・・オレ、整形が専門なんですけど・・・」

独り言を携え、渡り廊下から東塔のエレベーターホールに入ると、上階へのスイッチを押す。
無意識に視線を上げた先には、5階で停止しているランプが点灯している。
ポケットに手を突っ込み、じっと待っては居るものの、エレベーターの籠は一向に降りてくる気配もない。
待っている数秒の間に、ブラッドに睡魔が容赦なく襲い掛かり欠伸を誘発した。

「早くしろ〜」

咄嗟に口走り、ドアに蹴りを入れた。
その瞬間、ブザーが鳴り、停止中の赤いランプが点滅を始めた。

『振動を感知しました・・・停止します。復旧の為の緊急連絡先は・・・』

「げ、やっちまった・・・誰か乗っていたら、ごめんなさい」

ブラッドは、エレベーターのドアの上から流れる録音されたアナウンスに向かって謝ると、左手にある階段を勢いよく掛け昇リ始めた。


11:55 東塔 5階

東塔の構造は、1階は180名と240名が収容できる大講義室、2階は50名程度収容の一般講義室が南北に8部屋、
3階、4階に助教授の研究室、5階が教授室と、それぞれのフロアーが分かれている。
屋上へは、最上階の5階でエレベーターを降り、非常階段で昇る構造だ。
屋上に繋がる非常階段は、中央付近と北側外壁とにあり、ヘリポートは建物南側に設置されていた。

ヴァレンに声をかけた男を、『デニス』と、周りの男達が呼んだ。
黒服にサングラス、髪は茶色で長髪、エレベーターに乗るようにと言葉を発っしてからは無言のままだ。
他の3人の男達も同様に黒服とサングラスをかけているが、髪の色は東洋系の黒髪だった。

東塔5階でエレベーターのドアが開くと、デニスは先頭に立ち一歩踏み出した。
男が左右を見渡してから振り返り、中から出てくるよう手招きをした。
全員がフロアーに出ると、デニスは、一人に屋上へ行くよう指示を出す。
続いて、他の2人にも、エレベーター前と非常階段前で、待機の指示を出した。

3人の男達が指定された配置へ移動すると、デニスは南側にある喫茶フロアーに歩を進めた。
オープンキッチンになっているその一角に座るように、デニスが無言のまま椅子を引き目配せをした。
ヴァレンは、その木目調の椅子に腰を下ろすとテーブルに両手を置いた。

ヴァレンの向側に男が座ると、両肘をつき、身を前に乗り出して口を開いた。

「ファンデンブルグ助教授。黙って聴いてくれ」

ヴァレンは頷く代わりに男に顔を向けた。

「オレの名は、デニス・T・ヴォルフガング・・・率直に言おう。アンタと取引がしたい」

ヴァレンは、無表情のままサングラスに反射している自分の姿を睨みつけた。
デニスは、取引の内容を一方的に話し始めた。

一通りの条件を男が話し終えると、ヴァレンは無言のまま小さく頷いた。

「OK!取引成立だ」

そう云って、デニスが立ち上がると、20m.程離れているエレベーター前に居る男の場所へ移動した。

「これからは算段通り、12:00に作戦Bに移る。」
「はい」
「ヘリが飛び立つまでは油断できない。失敗は許されないから、お前とアイツはここで待機だ」
「はい」
「ヘリが飛び立ったら作戦は成功だ。教授への連絡はオレが入れる。任務はそこで終了だ。以上!」
「了解!」

デニスは、階段の前で見張りをしている男にも同様の指示を出すと、ヴァレンを呼んだ。
ヴァレンがデニスの近くまで来ると、二人は階上へ向かって歩き始めた。

鎖骨と水滴と
April,24 2045

11:58 東塔 屋上

東塔北側にあるファンデンブルグ研究室から屋上へは、建物中央にあるエレベーターを使うよりも、
非常口の扉を開け、外壁に螺旋状にデザインされている階段を使うほうが早い。

トッティは、シルバーとの連絡をオンラインにしたまま、非常口から北側階段を昇っていた。
西側から吹きつける偏西風が、この季節にしては強く吹いている。
ステンレスとガラスで組み上げられている階段は、頭上を見上げると青い空に雲が流れているのが見える。

トッティが屋上まで登り360度の視界を見渡すと、大学の北側と東側との塀際に緑色の樹木が一列に並んでいる。
その向こう側には4車線の道路に車がまばらに往来しているのが見える。
南側と西側は、その端が見えず、この大学が広大な敷地に存在しているということがよく分かる。

試合会場のある中央塔と、その向こう側にある西塔の高さはほぼ同じで、それぞれの塔の屋上南側には、
赤十字のロゴの入ったヘリが一機ずつ停まっていた。

西塔は、普段、アンジェラやブラッドがローゼンバーグ教授の授業を受けている医学部塔だと聞いていた。
医学部塔の屋上には白衣を着た人の姿が数えるほど見えるが、中央塔とこの東塔の屋上に人影はない。

トッティは一度後ろを振り返り、尾行の有無を確認してから屋上中央に歩き始めた。
視線の先にある東塔南側には黒塗りのヘリが停まっている。
左耳につけているワイヤレスマイクでシルバーの名を呼ぶと、すぐに応答が返ってきた。

「ボス、中央階段を囲む建て物の西側にいます」

トッティが西寄りに進路を取ると、コンクリート造りの構造物の壁際にシルバーの後姿が見えてきた。
シルバーの報告では、今トッティが昇ってきた北側階段から到着し待機を続けているものの、
ヘリのプロペラが止まってから動きが全くないということだった。

「そう・・・。一体どこで道草しているのかしら・・・」

トッティが左腕の携帯端末機を開くと、5階エレベーター前、5階中央階段前、
そして、このコンクリートの構造物の南側に、1人ずつの存在を示す赤い光が点灯している。
ヴァレンの位置を示す青い光は、もうひとつの赤い光と共に中央階段を南方向へ移動している。

トッティが、背後のコンクリートの壁を肩越しに右手の親指で示した。
シルバーは黙ったまま頷いた。

まもなく、背後のコンクリートの構築物の南側で、青い光が1つ、赤い光が2つ合流した。
ものの数秒も経たないうちに、赤い光が1点、建物南側に向けて移動を始めた。

黒服の男が一人、ヘリに向かって駆け出したのが、トッティとシルバーの視界に入る。
ヘリまでの距離は、目測でおよそ250m.

「敵が一人なら・・・殺れますね・・・」
「ヴァレンの安全確保が第一よ」
「勿論、心得ております」
「あの男の距離がもう少し離れたら指示を出すわ」
「はい」
「シルバー、貴方はこの構造物の東側に廻って頂戴」
「了解!」

30秒程で、黒服の男がヘリに乗り込むと、ゆっくりとプロペラが回転を始めた。
トッティは足音が聞こえなくなる位、機械音とプロペラの羽音が大きくなるのをじっと待っていた。

再び見上げた空は、西側から流れてきた雲が太陽の姿を遮り、光と陰の2つの世界をひとつにした。

「これで忍び寄っても、南側に影は伸びないわね・・・」

額から落ちてくる水滴がトッティの鎖骨に泉を作った。


12:00 ファンデンブルグ研究室

ブラッドがジーンズの後ろポケットに突っ込んでいた財布から、カード式の学生証を取り出すと、
研究室入り口のカードリーダーに通した。

認証が終了し、自動で開いたドアから中に入ると、研究室の中はひっそりとしていた。

「ヴァレンティーネ様とトッティは、お出かけ中か…」

ブラッドは、まず自分の部屋に入ると顔を洗い、手に取ったタオルを首に引っ掛けると冷蔵庫を開いた。
冷えた飲み物を両手にひとつずつ持つと、体ごと冷蔵庫の扉を閉めた。

隣のアンジェラの部屋をノックしたが、中から応答はない。

(眠っているのかな…)

部屋の奥に進むと、予想通りアンジェラはベッドで眠っていた。
ブラッドが窓際に回りこみ、ブラインドを静かに下ろそうとすると、屋上から飛び立ったばかりのヘリコプターの後姿が見えた。

防音対策がしっかりと施されているのか、先ほど感じた喧騒さは全くなかった。
黒塗りのヘリの姿が小さくなるのを見届けて、ブラッドはブラインドの角度を変え、明るさを半減させた。

体を翻し、ベッドの入り口側に移動しようとした時、床に這うコードに足が引っかかった。

「うわっ」

突如バランスを崩したブラッドは、前のめりになり床の上にうつ伏せに倒れた。

「痛た…」

ベッドの下方の手すりを持ち、体を起こすと同時に、落ちていたタオルを拾って顔を上げた。
不意に、ベッドの上でこちらを見つめているアンジェラと目が合った。

「すまん、起こしちまったな…」

アンジェラは瞬きするわけでもなく、こちらを見つめている。
ベッドの横までくると、サイドテーブルに置いた飲み物を手に取り、アンジェラに差し出した。

「飲むか?」

アンジェラが、布団の脇から左手を出し、冷えたアルミ缶を受け取った。
手渡した後で、その体勢では飲めないことに気づいたブラッドは、上半身を起こそうとするアンジェラの背中を支えた。
Tシャツ越しに伝わる体温は、午前中に抱きかかえ運んだ時よりも、幾分下がっているように思えた。

「どうだ?具合は…」

アンジェラが左手に持っている缶を、ブラッドが片手で添えるようにして、もう一方の手でプルトップを開いた。

「アタシを運んでくれて、ありがとう…」

小さな声でアンジェラがお礼を伝えると、その口に缶を運んだ。
アンジェラの喉越しを通過した液体が、2.3度彼女の喉を膨らませた。

寝ている間に汗をかいたのか、アンジェラの鎖骨のあたりに水滴が光っていた。
アンジェラは、ブラッドの首にかかっていたタオルを手に取ると、自分の首に巻き端を顔に当てた。

「ブラッドの匂いがする…」

ブラッドは、静かに左手を伸ばしアンジェラの頭を撫でた。
アンジェラが半日ぶりにいつもの笑顔で応えると、張り詰めていた空気を一瞬で入れ替えたような風が、ブラッドの全身を包んだ。

選抜大会2回戦
April,24 2045

14:00 ローゼンバーグ総合大学 試合会場

2回戦 東2局 二本場 ドラ八萬
東家 眼鏡の男 28,200点
南家 ブラッド 16,000点
西家 狐目の男 20,900点
北家 ヴァレン 33,900点
供託 リーチ棒 1,000点


「それでは、午前の点棒を確認の上、始めてください」

午前中、東2局二本場で中断された試合は、係員の男の発声により、牌の取出しから始められた。
ブラッドの対面には、ヴァレンではなくアンジェラが座っている。
上家と下家は、相変わらず同じ顔ぶれだ。
朝と違うのは、『上家の男の挑発的な眼つき』と『チェン教授の姿』の両方が消えていた。

東2局 4順目 ブラッド


4順目の四萬ツモで、ブラッドはノータイムで9ピンを外す。
イッツーと三色の両天秤から、タンヤオでも平和でも捌けるように受けた。
6順目には7ソウをツモり、三色の聴牌を逃したブラッドは、円香の言葉を思い出していた。

東2局 6順目 ブラッド


「手変わりを待っている間に、アガリを逃すことは本末転倒よ」

ブラッドは円香から、高目、安目の点数の設定を3飜3,900点とマンガンの8,000点を境界に考えること、
1ピンが高目になるなら闇、1ピンが安目になるならリーチでカバーするようにと教わっていた。

「リーチ」

東2局 7順目 ブラッド


ブラッドは、8ピンを横に向け聴牌を宣言。
そして、11順目にあっさりと7ピンをツモる。

「ツモ! メン・タン・ピン・ツモ・ドラ2 3,000-6,000の2本場・・・3,200-6,200」

リスタート後に早々の大物手を獲て、ブラッドは肩の力を抜くように息を吐き出した。



東3局 東家 ブラッド ドラ4ピン
東家 ブラッド 29,600点
南家 狐目の男 17,700点
西家 アンジェラ 30,700点
北家 眼鏡の男 22,000点


前局のハネマンを象徴するかのような好調な配牌とツモで、6順目には一向聴を迎えていた。
そこに持って来たのがドラ傍の5ピン。

東3局 6順目 ブラッド


イッツーも見える手で、どの5を落とすかを迷うこともなく、五萬を手出しで切り出した。
配牌からピンズが一枚もない状態に少しの違和感を覚えると、そのタイミングで上家の仕掛けが入った。

7順目 上家
「ポン」

8順目 上家
「チー」

アンジェラのペンチャン落としの9.8ピンを続けざまに喰い仕掛けてきた。
ドラがピンズであることを考えると、完全無視というわけにもいかない。


東3局 9順目 ブラッド


上家の仕掛けと河を見ながら、ブラッドがツモってきた牌は5ピン。

(最悪の入り目だ・・・)

4人の河には九萬と5ピンが一枚ずつ切られ、4枚目の5ピンはドラ傍の牌だ。
ドラ面子も、一気通貫も消えてしまう牌勢に、ブラッドは九萬をトイツから1枚外し一向聴に戻した。


11順目 上家
「チー」

上家 眼鏡の男


3回目の鳴きが上家から入ると、九萬のトイツ落としの2枚目と入れ替わった牌は4枚目の九萬。

(あらら、アガリを逃してしまった。危険信号だな・・・)

トイツ落とし2枚目の九萬を、手の内から河へ置きながら、ブラッドが河の字牌とピンズの枚数を数えた。

(東南北が3枚切れ・・・中は4枚切れ・・・西が2枚、發が1枚、白は見えていない・・・捨て牌は・・・)

上家の河


13順目、初牌の白を掴むと本来アガリ牌だった九萬を切った。
そして、上家の男がドラの4ピンを手の中から切り出すと、ツモってきたのは4ソウだ。

東3局 14順目 ブラッド


「調子の良し悪しのバロメーターは、トラップ系のツモに惑わされないことよ」

講義を受けていた時のように、何度も繰り返し聴いた円香の声が脳裏のスクリーンに登場した。

結局、ブラッドが初牌の白を抱えたまま、場は流局し、親番が終わった。
聴牌宣言をした男の手は、白と西のシャボ待ちだった。


流局 上家の聴牌形



「ん・・・」

ブラッドは、上家の手牌を確認すると下唇を前に出し2,3度頷いた。
そして、左手でノーテンの1,000点を卓上に置き、次局への洗牌を始めた。

東4局 流れ一本場

東家 狐目の男 16,700点
南家 アンジェラ 29,700点
西家 眼鏡の男 25,000点
北家 ブラッド 28,600点

折り返し地点
April,24 2045

14:15 ローゼンバーグ総合大学 試合会場

東4局 流れ一本場 ドラ6索

東家 狐目の男 16,700点
南家 アンジェラ 29,700点
西家 眼鏡の男 25,000点
北家 ブラッド 28,600点


前局の親で、ブラッドが上がりを逃した後の配牌は予想通り冷えていた。
(酷い配牌だ…)
東4局 配牌 ブラッド


東4局 6順目 ブラッド


6順目にようやく字牌を整理できたものの、相変わらず凸凹なツモが続く。
アンジェラの手元と顔色を伺うが、親を蹴れるほど軽い手は入ってなさそうだ。
ブラッドは、7順目にドラ表示牌の5索をアンコにすると、喰い仕掛けを試みた。

「ポン!」


その後の4順で牌の出し入れを行っていく。
東4局 11順目 ブラッド



ツモってくる牌は内側に寄っていくものの、シュンツとして横に伸びず縦に重なっていく。
11順目、親の狐目の男の切った七萬が横に向いた。


下家(親)狐目の男の捨て牌


「リーチ」


中を手出しでトイツ落としをしての聴牌形は、おそらくメンタンピンの手。
『役牌のトイツ落としの後のリーチは、役牌待ちよりもいい待ちになっているから注意が必要よ』
円香が画面を指示棒で叩き、注意を促した講義のシーンが、ブラッドの脳裏を横切る。
(ちっ、鳴きで親に聴牌を入れちまった・・・)



上家 眼鏡の男の捨て牌


「リーチ」


続けざまに上家の眼鏡の男が、7索を横に向けリーチ宣言をした。
ブラッドは、3人の河を一通り見渡し、アンジェラの河を見て、ピンズの下のほうを固めてくれと祈った。
(どこだ? こちらは・・・5-8索か6-9索待ち辺りか?)



アンジェラの捨て牌




「チー」

宣言牌の7索を喰い、親の現物で、4枚見えている5索の壁で3索を落とす。
13順目に親が5ピンをツモ切りすると、上家のツモ切りは四萬。

東4局 13順目 ブラッド



「ポン」

東4局 14順目 ブラッド


ブラッドは四萬を仕掛け、上家の現物、下家の筋牌の2ピンを捨てた。
ここまで50枚余りの牌が河に棄てられているとはいえ、
自分の手牌と合わせても136枚のうちの半分が見えているに過ぎない。

あれこれと思いは巡るものの、『既に相手も手変わりができない状況なのだ』と自分に言い聞かせ、
一枚一枚ツモって来る牌を、河と照らし合わせながら切り飛ばしていく。

東4局 15順目 ブラッド


『聴牌が入っても、嫌な予感がする牌をツモってきたら回ることもひとつの手段よ』
円香のそんな声が聞こえてきそうな牌を掴んだ。
五萬は親には無筋だが、上家の男が一枚外しており、ブラッドのイメージでは
6779の形からの97落としと、6679の形からの97落としの2パターンが映し出された。

(6779なら、97と連続で落としてはず…六萬が雀頭か…5-8索とピンズの上筋6-9の2点は切れない…)

東4局 16順目 ブラッド


この状況で最悪なのは、4枚使いの5-8索、ドラ筋の6-9索での放縦と、ピンズ打ちのダブロンだ。
幸か不幸か、次順、ブラッドがツモって来たのは先切りしていた7ピンを引き戻し聴牌が復活した。

東4局 17順目 ブラッド


(よし!うまくいく時はこんなもんだ…5-8ピン出てくれ!)

ブラッドの強い想いが叶ったかのように、目の前に、下家から8ピンが零れた。


「ロン!」

東4局 残り8枚 ブラッド


ブラッドは、リーチ棒2本を片手で順に拾い上げると、下家の投げ出した2,300点を箱に仕舞った。
全3回戦の丁度半分が終了し、勝負は後半戦に突入した。

南1局 

東家 アンジェラ 29,700点
南家 眼鏡の男 24,000点
西家 ブラッド 32,900点
北家 狐目の男 13,400点


エアーポケット
April,24 2045

14:25 ローゼンバーグ総合大学 試合会場

南1局 東家 アンジェラ ドラ5索

東家 アンジェラ 29,700点
南家 眼鏡の男 24,000点
西家 ブラッド 32,900点
北家 狐目の男 13,400点


点棒をヴァレンから引き継いだアンジェラの親番。
午前中の具合の悪さに比べれば、体調は幾分マシになっているものの、
アンジェラの意識は断片的に記憶が途切れていた。

本調子ではないアンジェラは、失点こそないものの、小さなミスでアガリを逃し続け南入を迎えた。

南1局 配牌 アンジェラ


風牌とドラが2枚ずつの好配牌に、アンジェラは肩で呼吸をするように背筋を伸ばし西から切り出した。
序盤は、急所を引くわけでもなく、ツモ切りが続いた。

6順目にブラッドが南を河に捨てた。

「ポン!」

アンジェラは右端の2枚を鳴くと、9ピンを切った。

南1局 7順目 アンジェラ


上家の狐目の男は、親のアンジェラに対して牌を絞るわけでもなく、ツモ切りと手出しを繰り返している。
下家の眼鏡の男も、ツモが好調なのか、さかんに手の中から余剰牌が零れている。

アンジェラがツモ切りを3周続けたところで、右側の男の手が一瞬止まった。
(そろそろ、一向聴ってところなのかしら・・・)

バラ切りされた字牌、端牌の順で捨てられている河は平和系の手造りが窺えた。
対面のブラッドを見ると、眉をひそめて面子選択に苦労しているようにも見える。

11順目に上家から7ピンが切り出された。

「チー」


南1局 12順目 アンジェラ 


役牌ドラ2(5,800点)の一-四萬待ちの聴牌。
アンジェラが河を見渡すと、マンズの下は比較的で誰も使っていない雰囲気だった。
北家の河を見ていると、南家の眼鏡の男が、リーチ棒を卓に置いた。


「リーチ」



南家のリーチに対して、ブラッドが四萬をツモ切りした。
アンジェラは、この半荘はブラッドからの当り牌を全て見逃していた。

ブラッドの捨てた四萬には反応せず、上家のツモと捨て牌に視線を移した。
上家は、ブラッドの四萬をちらりとみると、13枚の牌の左端から一萬を切り出した。

(あん・・・もう、同順だからロンできないじゃない・・・)

そんな恨めしそうな思いを表情には出さず、アンジェラが山に手を伸ばした。
ツモってきた牌は、9ピン。アンジェラの動きが止まる。

(上家の彼は、一萬のトイツ落としだと思うんだけどな・・・)

アンジェラは意を決したように、9ピンをツモ切りした。
南家の男は、声を出すわけでもなく、ただ河に置かれた9ピンをちらりと確認すると、山に手を伸ばした。

そして、不要牌をそのまま河に並べる。
ブラッドは続いて、またも四萬を捨てた。

(ちょっと、ブラッド・・・待ってよ)

喉まで出掛かったロンの声をアンジェラは封印した。
案の定、上家の男も一萬のトイツ落としをし、さらに、その一萬を横に向けた。


「リーチ!」





(もう!・・・でも、きっと一萬は山にあるわ・・・)

アンジェラが山に手を伸ばしツモって来た牌は2索。
無筋であることは、分かっている・・・が、アンジェラは強打するわけでもなく、いつも通り河にそっと置いた。


「・・・ロン」
「ロン!」

下家が牌を倒すと、少し遅れて上家も手牌を倒した。
裏ドラは下家の男がめくった。

「メンピン裏・・・3,900点」
「リーチ・一発・ピンフ・裏・・・8,000点」


「うわっ! ダブロンかよ・・・」

ブラッドの声が卓上に発せられたが、アンジェラは無言のまま二人に点棒をそれぞれに渡すと、天を仰いだ。


南2局
東家 眼鏡の男 28,900点
南家 ブラッド 32,900点
西家 狐目の男 20,400点
北家 アンジェラ 17,800点


両チームの持点が、50,700点対49,300点と拮抗した状態になった。

ツキの行方
April,24 2045

14:30 ローゼンバーグ総合大学 試合会場

南2局 北家 アンジェラ ドラ七萬
東家 眼鏡の男 28,900点
南家 ブラッド 32,900点
西家 狐目の男 20,400点
北家 アンジェラ 17,800点

南2局 配牌 アンジェラ



楽勝ムードだった東場から、拮抗した状態になった南場に入り、
アンジェラの牌勢は見た目通り下降気味だった。

配牌から、目指す最終形のイメージをマンズの一気通貫に照準を合わせ、
アンジェラは牌の出し入れをする。

牌を山から取り出しながら、不要な牌を捨てる。
シンプルな作業を繰り返しつつ、アンジェラの思考は別の事を考えていた。

ブラッドとアンジェラが、円香の講義を受けていた時のシーンを思い出していた。

「また、当り牌を掴んじゃったよ。ツイテないな〜。オレも聴牌してたのに…」

円香がブラッドによく話をしていたのは、
自分の配られた牌を使いアガリを目指すのが第一のステップ。
それを同時に4人が行っているということ。

自分よりも聴牌の早い者もいれば遅い者も存在する。
聴牌を一番最初にしたからといって、必ず最初にあがれるわけではないということ。
つまり、他人のアガリ牌への対処が第二の作業。

「ツイテないと感じる現象に対して、きちんと分析をして、
次回からの対応策を自分なりに答えを用意すること。明日までの宿題よ」


円香に毎晩宿題を出されていたブラッドの様子を思い出し、
アンジェラは思わず笑い出しをしそうになった。

「例えば、ブラッドが観戦をしていた時に、『何でその牌を切るんだ?危ないだろ?』
という感覚は、打っている本人よりも、観戦している人のほうが当然冷静に見えるわけでしょ?」
「ええ、そうですよね。観戦をしていると全体が見えるから…」
「そうよ、その全体を見渡す感覚というのがとても大事よ」


そういった客観性を持って常に打つというステップを、円香は第三の課題として講義に取り入れていた。
アンジェラは、そんな話を思い出しながら、前局の2索打ちが正しかったのかどうか考えていた。

南2局 8順目 アンジェラ


8順目にドラの七萬をツモったアンジェラは、9ピンを横に向けた。

「リーチ」


「一番大事なのは、その聴牌に対して、アガリ牌が山にあるかどうか読みきること。
そして、相手がその牌を不要としているかどうか、きちんと判断できること。
それが、第四のステップよ」


(アタシは、この三萬が、山にあるかどうか読めない。他人が使えないかどうかもわからない…)


アンジェラは、リーチ宣言をした自分に、円香が語りかけて来たような気がして、
心の中で、このリーチが正解なのかどうかを迷っていた。

私の答えは、『敵が三萬を掴んだときに、それを止めたならツイテいない。ではなく、
相手が真っ直ぐ打っていて、使えないはずの三萬を掴まなかった時にツイテいないと感じます。』

『上がれても、上がれなくても、結果よりもプロセス大事よ。
振り込みを恐れて上がりを逃すことのほうが、振り込むことよりも時として悪いこともあるから』


…という円香の言葉に自分を納得させていた。

南2局 流局


ブラッドがハイテイの牌を河に置くと全員が聴牌をしていた。
三萬は、ブラッドが一枚。
上家と下家は、三萬が使えない形だったが、持っていなかった。

(三萬の残り3枚が、王牌の中って…ツイテないわ…)


「アンジェラ…最終形まで努力しても100%上がれるわけじゃないのよ、人間相手だから。
だけど、最終形までの努力を全くしなければ、一度だって最終形で上がれることは無いの。
努力を続けている限り、報われるときは必ず来るから、諦めずに頑張って」

アンジェラは自分に言い聞かせるように、南2局一本場の配牌を取り出した。

南2局 一本場 北家 配牌 アンジェラ ドラ8ピン


(この手の最終形はトイトイドラ2…ううん、鳴かずに三暗刻を目指そう!)

アンジェラは、滅入った気分を払拭するように顔を上げた。
すると、他の三人は、難しそうな顔でそれぞれ自分の手元を見ていた。

(苦しいのは自分だけじゃない…そんな風にも見えるわね)

アンジェラは、いつの間にか熱が下がり、頭の中がスッキリとしている自分を感じていた。

駆け引きのタイミング
April,24 2045

14:40 ローゼンバーグ総合大学 試合会場

南2局 一本場 南家 ブラッド ドラ8筒
東家 眼鏡の男 28,900点
南家 ブラッド 32,900点
西家 狐目の男 20,400点
北家 アンジェラ 16,800点
供託 1,000点


南2局が流局し、アンジェラの出したリーチ棒の1,000点差で、両チームの順位は逆転していた。

(このまま、トップを獲れれば、ボーナスの10,000点加算で勝てるけど・・・
微妙な点差だから、中途半端にアンジェラに差し込むのも危険か・・・)
 


思わず失望の溜息が出てきそうな配牌に、ブラッドは一抹の不安を抱えていた。

南1局 一本場 配牌 ブラッド


『南場に入ったら、オーラスを見据えて点棒のやり取りを考えること』

マンガンツモで移動する点棒は10,000点。トップ目が親なら、12,000点が移動する。
トップが狙える順位にいる時には、南4局までに10,000点差内に追いつくこと。
また、自分がトップ目なら、10,000点以上の差を開けられるような手作りを南場ではすること。

円香の講義で点差を考えた時の手作りの練習を幾度も練習したブラッドは、2位との点差4,000点の状況で
仕掛けても、せいぜい2,000点しかイメージできない配牌に、今、自分が何をすべきかを必死に考えていた。

4順目までの全員の河には、ピンズの上は一枚も切られていない。
ブラッドの手の中に、ドラの8ピンが無い以上、誰かのところに面子になっていると考えたほうが自然だ。

南1局 一本場 4順目 ブラッド


引いてくる牌は縦に七萬・4ピン、そして外側に広がる9ソウと、
配牌時の不安は、やがて失望に変わっていく。

チャンタのふりをして字牌を切りにくくするか
染めているふりをして親に神経を使わせるか・・・

ブラッドはあれこれと考えてはみるものの、どれもこれも効果的では無い気がして
ひとまずは、受け優先で、字牌を止め親の現物を集めることにした。

「リーチ」

突如、対面のアンジェラからリーチが入る。
前局アガリを逃してたアンジェラからの聴牌宣言にブラッドは顔を上げ、河を見つめた。

南1局 一本場 6順目 アンジェラの捨牌


早いリーチだけに、どこで待っているかは全くわからない。
状態が余り良くなさそうだから、愚形のリーチで追っかけられなきゃいいけど・・・
アンジェラのリーチに対して、親の眼鏡の男も、下家の男も、一発目から無筋を切ってくる。

初牌を切って、敵を楽にするようなことはしちゃいけないな。






こんな形からの四萬なら、八九萬よりも先に切るよな・・・
とりあえず、ブラッドは、マンズ待ちは無いだろうと一萬、三萬と落としていく。

10順目までの状況は、親は真っ直ぐに不要牌だけを切っているようだ。
上家の男は、3ソウや3ピンが固まっているのか、2ソウ、2ピンと続けてトイツ落しをしている。

ブラッドはマンズの1-3を落とした後、南、西をツモ切りした。

「リーチ」

11順目に親から、追っかけのリーチが入る。

11順目 親の捨牌


まずいな・・・じっとしていると、ツモられるかアンジェラがロン牌を掴みそうだ。
役は無いが、7ソウを鳴いてズラしてみるか・・・

ブラッドが、親のリーチ宣言のところで動きが止まると、下家の男がそれを察知したのか、

「ポン」

と、7ソウを仕掛けてきた。
吉と出るか、凶と出るかはわからない下家の動きに、上家の親は不満そうな顔で、狐目の男を睨んだ。

(なるほど・・・一発ツモの自信でもあったのだろうか、連携エラーなわけだ)

親に差し込むつもりなのか、下家の切り出したのは無筋の4ピン。
しかし、親からもアンジェラからも声はかからない。
むしろ、4ピンのトイツ落としの猶予を与えられたブラッドに有利な展開になった。

ブラッドの目の前に積まれている山に、対面のアンジェラは前屈みに手を差し出した。
親指が牌の裏側に触れた瞬間に、手を伸ばしたまま、上目遣いでこちらへ微笑んだように見えた。

アンジェラは、積もった牌を右にそっと置くと、その牌はドラの8ピンだった。

「ツモ」

「おお・・・」
「ちっ!」

思わず声の出たブラッドの左耳に、親の眼鏡の男の舌打ちが心地良く聴こえてきた。
アンジェラは、手元の13枚の牌の両端を持ち、ゆっくりと倒した。


アンジェラの手牌


目次前話続話
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