プラチナブルー ///目次前話続話

アンの病名
April,10 2045

20:15 クルツリンガー邸

「よう、アンジェラ、元気になったか?」
「ううん」
「何だよ、まだ治らないのか?その仮病」
「仮病じゃないもん 元気じゃないんだもん」

アンジェラはソファーの上で膝を立てて座っている。
その膝の上にクッション、左腕の順に置き、携帯端末の画面の中のブラッドを睨んだ。

「俺の専門は整形外科だから、病の処方はわかんないけど」
「・・・」
「そのアンジェラの顔つきから診ると・・・腹ペコ病だな」
「な・・・何よ、そのへんな病名は」

朝、目が覚めてから何も食べていないアンジェラは、ブラッドの適当な診断に、
抱きかかえていたクッションをさらに強くお腹に押し付けた。

「朝から、何も食わずに、クッションでも抱きかかえていたんだろう?」
「うっ・・・」
「で、暇つぶしにオンラインゲームの麻雀でもやって、周りが見えずに振り込みまくって更に不機嫌が加速」
「うっ・・・な、なによ、勝手なこと言わないでよ」
「あはは、まあ俺だったら、そういうパターンになりそうだな・・・ってことだ」
「もう、ブラッドと一緒にしないでよ」

アンジェラは図星をつかれながらも適当に反発を繰り返す。

「今さ、赤いワゴンのクレープ屋の前にいるんだよ」

ブラッドがアンジェラに車が観えるようにカメラの角度を変えた。
画面の中には美味しそうなクレープを持ち帰るカップルの姿が観える。
何組もの人垣に混じって、白銀の長い髪のヴァレンの後姿を見つけた。

「あ、美味しいのよね、そこのクレープ屋さん・・・」

アンジェラは抱えていたクッションを左側に置き、半身を乗り出して、画面に映し出された絵に見入った。

「あと、20分待ちだってさ・・・アンジェラの分を注文しても間に合うぜ?」
「・・・」
「身支度整えて、いつでも出かけられる準備は出来てるんだろう?」
「・・・」

ブラッドの指摘通り、アンジェラはいつでも外出できる格好は出来ていた。

「ふふふ、アンのことをよく理解しているようじゃの、ブラッド君は」

アンジェラの後ろからクルツリンガーが声をかけた。

画面の中では、ヴァレンがブラッドと会話をしている。
ワゴンに向かって指を指しているヴァレンの姿を羨ましそうに見つめた。

「ヴァレンは、何を注文したんだろう…」
「きっと、アンの好物と同じでイチゴのたくさん入った生クリームのやつじゃな」

画面のこちら側を指差しながら、ブラッドがヴァレンに声をかけている。
ヴァレンが近づき、ブラッドの左腕を取ると、画面にヴァレンが現れた。

「ほら、アン。早く来ないと、アタシがイチゴのクレープを2つとも食べちゃうわよ」

不意に『アン』と呼ばれて、アンジェラは言葉を失った。

「本当に、アンタの頑固なところは、昔から変わってないわね」
「ガキの頃から頑固者の常連かよ、早く来ないとクレープだけじゃなく、俺もヴァレンティーネ様に食べられちゃうぞ」

ヴァレンの頬にぶつかる位近くに顔を寄せたブラッドが、こちらを覗きこんでいる。

「おお・・・ヴァレンがお前のことをアンと呼びおった・・・」

アンジェラの肩に手をかけていたクルツリンガーの左手が震えている。
アンジェラの瞳には大粒の涙が溢れ、画面に映る二人の姿がぼやけてきた。

「おねえちゃん…」
「二番街3のストリートの東側よ。パパ、アンをお願いね」
「じゃあな、アンジェラ」

ヴァレンの体が反転しワゴンに駆け出したところで、ブラッドの顔が画面に大きく映り、通信が途絶えた。

9回目の講義
April,20 2045

9:00 ファンデンブルグ研究室 

「おはようございます」
「おはよう。貴方達に教えるのも、いよいよ今日と明日の2日間だけよ」

トッティの紹介で、ジパング国から講師として来た円香が鞭撻を取るようになって9回目の講義。
円香の講義は、土日は彼女がジパングへ帰国するため、月曜日の朝から金曜日までの5回ずつの計10回。
今日は2週間目の木曜日の朝だ。

この2週間のスケジュールは、ブラッドとアンジェラ共に、
9:00 前日のオンライン麻雀での修正点の補正。
10:00 麻雀卓を使って、ブラッド、アンジェラ、ヴァレン、円香による実戦3回。
12:00 反省会を兼ねたランチタイム。
14:00 オンラインゲームでの円香戦の観戦3試合と解説。
16:00 ブラッド、アンジェラ、ヴァレンのうちの2人ずつが同卓でプレイし、コンビネーションの確認。
17:00 反省会を兼ねたディナータイム。
19:00 キャリアと課題をこなす為の、ブラッド、アンジェラ個人のオンライン対戦10回戦。
22:00 フリータイム。

と、ほぼ一日麻雀漬けの九日間。

ブラッドとアンジェラが講義の中で共通して教えられたのは、『トップを獲るための打ち方』だ。
状況的に意味のない1,000点の仕掛けをし、何万回上がったとしても決して上達しないということや、
同じく、どんな相手との対戦でも、最善手を打てていたかどうかの見直しする事を徹底的に叩き込まれた。

「勝っても負けても、貴方達が対戦した経験の正しい記憶の全てが、強さに変わっていくの」

円香は2人に、『やみくもに対戦数を増やして、ただ経験しただけ』ということを禁じた。

「少ない対戦数からでも、必ず対戦した譜面を補正し、正しい打ち方はどうだったかを記憶していって」

という一見地味な作業の繰り返しの重要性を2人に伝えた。

「結果からミスを悔やむよりも、プロセスからミスを見つけ出し補正すること」
「自分の持っている感性を拡げるために、円香戦の観戦で感じた牌選択の疑問点を質問し理解すること」


鳴かせてもいい相手。鳴かせてはいけない牌。上がらせてもいい相手。絶対に切ってはいけない牌・・・
状況に応じ、一打一打に具体的な理由を付し、ブラッドとアンジェラの打ち筋を円香が助言した。

ブラッドとアンジェラは、円香の的確な指摘に常に新しい発見と経験を重ね、即座に理解し実践した。
その理解力と行動力は、教えた円香も、そばにいたヴァレンも驚き呆れるほどの成長ぶりだった。


ブラッドとアンジェラの部屋をつないでいる壁が、ヴァレンのボタン操作によってオープンになった。
2人のデスクを横に並べるような形で合わせ、立体のフォログラムがふたつ隣同士で立ち上がる。
フォログラムの中には、再生された第1回目の時の牌譜が現れた。

「この9回のレッスンで、ほぼ、貴方達へ技術的な事は伝えられたわ」
「はい」
「今日は、9回分のレッスンの復習、明日は、大会用の講義をします」
「はい」

「ブラッド君、この配牌を覚えている?」
「ええ、31回戦の時のものですね」
「よく覚えているわね、10日前のものを・・・」

ヴァレンがブラッドの記憶力に改めて驚きの声を上げた。
途中まで再生された牌譜は、ブラッドの対面の親が、マンズ、ソウズをチーして、5ピンを切り出したところで停止した。

「8順目、六萬のドラ面子と、赤5ソウのソウズの面子を鳴いているところね」
「はい、僕が何も考えずに不要牌の4ピンを切ろうとして、シーナ先生に怒られたところです」
「8順目に入れば、他の3人の捨て牌、特に、親の切り出しと捨て牌、親の上家の捨て牌を見なくちゃ駄目よ」
「はい」
「アンジェラ、分かる?」
「・・・親がタンヤオ狙いなら、ピンズの3-6.4-7 親の上家が3ピンを5順目に切っているから4-7ピンが本命」
「そう、マンズの筋は全部見えてるでしょ、ソウズは2-5-8ソウだけが無筋ね」
「ええ」
「この状況なら、ソウズの2-5-8とピンズの4-7は止めなきゃ駄目よ、勿論字牌の初牌もね」
「この時、僕はまだ、リャンシャンテンだったからな〜 言語道断っすね」
「そうね、でもブラッド君はその後、自分の手と相手の手との相関関係で牌を切り出せるようになったでしょ」
「ええ、目からウロコでしたよ、親の上家の捨てている牌にもヒントが隠されていたなんて・・・」

続いて、円香がヴァレンに次のシーンをフォログラムに映すようにサインを送った。
画面に食い入るように身を乗り出したアンジェラは、先日以来、赤いリボンと金髪のウィッグを外している。
頬杖をついているブラッドは、フォログラムを操作しているヴァレンと、白銀の髪のアンジェラの横顔とを交互に見つめていた。

女の企みと煙
April,20 2045

10:00 議長ヤン教授の部屋

ジパング国・オンラインカジノ研究への調査費用として組まれた予算は5百万ユーロ(約7億5千万円)
派遣者3名分の出張費用と滞在期間3年間の当面の生活費用として算出されたものだ。

24日の月曜日にヴァレン達の対戦相手となる教授のチェンは、ヤン議長の研究室のドアをノックした。
プロイセン国オンラインカジノ研究の第一人者であり、今回の派遣委員会議長のヤンが内側からドアを開けた。

「おお、チェン。待ち侘びていたぞ」

齢65の白髪混じりの初老の男は、白衣を着た黒髪の女が部屋に入るなり、女の腰に両手を回した。
そして自分のほうへ引き寄せながら右手を白衣と素肌の間に滑らせた。

「まあ、ヤン様ったら・・・」

女は、自分よりも背の低いその男の耳元で甘えた声色を出した。
そして、胸を掴んだ男の手の甲に自分の手を重ねると、懇願するかのように囁いた。

「ヤン様、お願いがあるんですが・・・」
「これこれ、来たばかりで急くでない、風情の無い奴め・・・」

ヤンは、名残惜しそうに女から手を離すと背を向け歩き出した。
ソファーに身を預けると、女に向かい側に座るように手招きをした。
チェンは、手土産に持参した紙袋をテーブルに置くと、男の反対側正面に腰を下ろし、膝に両手を置いた。

「お前のお願いというのは・・・次の予選会のことか?」
「ええ、左様でございます。2点ほどお願いがあって参りました」

「最近のお前ときたら・・・ワシの顔を見る前にお願いばかりじゃのう・・・」
「申し訳ございません。ジパング行きの切符を手に入れることが出来たなら、必ずや御礼を…」

男は小さく頭を左右に振って、テーブルに置いてあった葉巻を取り出した。
女は、男の咥えた葉巻に火を点けると、男をじっと見つめた。

「チェンや・・・勘違いするでない。ワシはこうしてお前と過ごしている時間が楽しいのじゃ」
「はい」
「大きな金が動いたとしても、ワシは礼など受け取るわけにはいかんし、また、金には興味がない」
「・・・存じております。ヤン様はとても器の大きな方ですもの」

「あはは、世辞などいらん。まあ、こうして時々話しに来てくれるだけで十分満足しておる」
「なんて無欲な方なんですの」

男の吐いた煙はゆっくりと真上に向かって踊っているように見えた。

「・・・で、話を聞こうか・・・」
「ありがとうございます。2つのお願いというのは・・・」

チェンは、あらかじめ用意しておいた用件を男に話した。
内容は、大会の打ち手は生徒から選ぶだけでなく、陣営側の誰が打ってもいいことにする。
もう一点は、万が一、停電が起こり全自動卓が使用不能になった場合は、そのまま手積みで続行する。
というものだった。

男は、表情ひとつ変えずにもう一度煙を吐いた。

「ふん、何を企んでおるかは訊かぬが・・・余り、キナ臭い匂いをさせるでないぞ」
「・・・滅相もございません・・・ただただ、我等に有利な条件であれば周到に準備をしたいと思っているだけでございます」

女は口元に笑みを浮かべると立ち上がり、男の座っている側のソファーに移動した。
男が咥えている葉巻をゆっくりと取り上げると灰皿に置き、煙を吐き終えた唇を塞ぎ、目を閉じた。





手出しの牌の枚数
April,20 2045

11:30 ファンデンブルグ研究室

「シーナ先生、質問があります」
「どうぞ、ブラッド君」

「相手の闇テンに刺さったり、リーチをかけられた時に切り遅れたと思う牌が結構あるんですけど・・・」
「ええ」
「先生の試合を観戦していると、当り牌になる可能性のある牌は、一手早く処理できてるとか、
危なそうな牌の隣は切らず、相手の当り牌がそれにくっついてあがれたり・・・そこら辺を具体的に教えて欲しいんです」
「わかったわ、それではデータを出すから、まずはこれを観て」









NameLevel向聴聴牌和了
東家BRAD3802712
南家ANGELA41041116
西家RED86031013
北家MULLER56051317


円香は、フォログラムの画面にブラッドの過去の牌譜から何点かをピックアップすると、
全員の手牌がオープンになったものを表示した。

ツモ切りの牌と手の中から捨てられた牌の区別が色分けされて映し出されている。
牌譜の左上には、コンピュータが予想した期待値が表示されていた。

「ブラッド君、向聴数(シャンテンスウ)は分かるわね」
「はい」

「これまでの10日間で約100戦、自分の配牌の向聴数の平均ってどれくらいだったか覚えてる?」
「う〜んと・・・3〜4向聴くらいかな〜」

「そうね、貴方の435局のデータだけで云えば、平均3.56向聴、一般的な平均値よりは恵まれてるわね」

フォログラムの中には、配牌、7順目、10順目、12順目、14順目、16順目の6枚の全体牌譜が並べられている。

「オンラインゲームでは、配牌を取り出したときに、こんな風にテンパイ、アガリまでの平均値が出されるの」
「へ〜」

「さて、ここからが本題ね」

円香が、ブラッドとアンジェラに、16順目時点での手出しの枚数を河から数えるように指示を出した。

「捨て牌から、テンパイを読むときには、ツモ切りの牌は消して考えるといいわ」
「逆に、ツモ切りされた1〜4枚目位までの牌からは、相手がどんな手を作っているかイメージできるでしょ」

ブラッドがペンを額に当てながらカウントしている横で、アンジェラがそれぞれの手作りをイメージする。

「今回は私を含めて、3人が平和系の手、ブラッドは役牌を仕掛ける手ね」
「うん・・・北家が三元牌を一枚ずつ持ったままだ。どおりで鳴けなかったわけだ」

「そう、親のブラッドが手の中から3枚目を捨てた6順目で一向聴。当然、他家は警戒するわ」
「そうか、手の中から3枚も出てくれば、早いってことを察知されてるわけだ」
「そうね」

「10順目で西家が4-7ピンの聴牌だ…あ、アンジェラが7ピンを止めてるし…」
「うん、私も一向聴だったけど、西家が4枚目の手出しの牌を切る時に一瞬考えて…5枚目の手出しの牌が5ピンだったから…」
「ふ〜ん、よく見てるんだな、アンジェラは…」

互いにツモ切りの牌を数えながら、アンジェラの言葉に関心するブラッドに円香が言葉を付け加えた。

「端的に云えば、長考する時のパターンは、一向聴でのメンツ選択のケースが多いの」
「・・・確かにそうですよね」

序盤に切り出された牌の裏筋(4が切られた時の5-8待ち)や中盤に切られる跨ぎ筋(5が切られた時の3-6、4-7)を、
円香は画面に指示棒を当てながら、一般的なケースとしてそうなることが多いと説明を加える。
また、オンラインゲームでは画面に表示される色区分も、卓での実戦では、河と相手の手出しを交互に見るように伝えた。

「肝心なことは枚数を数えることではなく、相手の聴牌気配を悟ることよ」
「はい」
「手出しの枚数をカウントすることはあくまでも、ひとつの手段だから」
「はい、でもそれを知っているだけでも随分と卓上の景色が変わりますね」
「そうね」

「なるほど、中から3,4枚出てくれば、聴牌していてもおかしくないもんな・・・」

ブラッドが頬杖をつき、フォログラムに映し出された画像を観ていると、突然チャンネルが切り替わった。

「うわっ」

驚いたようにブラッドが椅子に座ったまま体を仰け反ると、画面にはローゼンバーグ教授が現れた。

「熱心に頑張っておるようじゃの」
「教授…おはようございます」

フォログラムの中のローゼンバーグに挨拶をしたアンジェラにつられるように、ブラッドも声を出した。

「諸君、おはよう…月曜日の予選会のルールに追加があったので知らせておこう」


フォログラムを囲むように座った4人にローゼンバーグは変更点を説明した。

「ええ〜それなら、シーナ先生に打ってもらえれば最強軍団だ」
「うふふ、アタシは24日は予定が入っているから、貴方が頑張らなきゃ・・・」

円香がブラッドを奮起させるように言葉を返した。

一通りの説明を終え、ローゼンバーグが画面から姿を消すと、まもなく時計の針が縦に重なり12:00を告げた。

「あ、もう、お昼だ。早いな〜」
「じゃあ、お昼にしましょうか」

背伸びをしたアンジェラにヴァレンが提案をした。
その横で、相変わらずペンで額を叩きながら、ブラッドは円香に言葉を投げかけた。

「シーナ先生、もう一つ質問があるんです、お願いします・・・」
「あら、熱心ねブラッド君。わかったわ、ヴァレンとアンは、先に行っててくれる?」
「OK」

ヴァレンとアンジェラが部屋を出ると、ブラッドは椅子から立ち上がった。
そして、同じ部屋の奥に置いてある雀卓の椅子に移動し、卓上の牌をかき混ぜ始めた。

円香から継承されたもの
April,20 2045

12:30 ファンデンブルグ研究室

「シーナ先生、お、オレ、体が震えています」

ブラッドは円香が卓上で繰り広げた技を、まるでマジックショーを観た後のように感動し呆然としている。

「いい、ブラッド君。今見せた技は、本来、イカサマと呼ばれるものよ」
「ええ、本で読んで存じています」
「本番で使うことは勧められないわ」
「勿論です。ただ、相手が仕掛けた時に見破れないと、きっと後悔すると思って」
「そうね、一通りを教えたつもりだから・・・対応できそう?」

ブラッドが円香から教えて貰ったのは、必要牌を呼ぶ時の隠喩、リーチ宣言時に置かれた牌の位置、
あるいは、掛け声とリーチ棒の出るタイミングの違いから疑うケースなど、所謂、クチローズとか通しと呼ばれる技。
そして、実際の牌を使い、牌を河から拾ったりすり替えたりする基本的な抜き技や積み込み系の技。
牌に目印をつけ、次がどの牌かを知るガン牌。さらには、コンビ打ちによる空リーチの使い方。
牌を左手に2枚握りこんでロン牌を変幻自在に宣言したり、山の上下のツモをずらしてツモったりと・・・
嘗て、一世を風靡した時代があったという、本の中の文字でしか知らない100年前の技を目の当たりにして、
ブラッドは、ここ数日の講義で学んだ麻雀とは、全く別の世界観を感じていた。

「あはは、シーナ先生のように華麗にこなせる人がいるとは、とても思えないですけど・・・」
「今時、手積みの麻雀はほとんど存在しないからね、でも、停電になった時には注意してね」
「ええ、僕も先ほどのローゼンバーグ教授の話を聞いて、必ず仕掛けられた停電の時間帯が来ると・・・」
「ふふふ、なかなか鋭い勘をしているわ・・・」
「どうも・・・です」
「貴方もそういう洞察力を、恋愛に向けられればいいのにね」
「ええ??」

突然、円香の口から恋愛というキーワードが飛び出し、ブラッドは先ほどの驚きとは違うリアクションで驚愕した。

「あはは、アタシの独り言だから、気にしないでね。さあ、ランチに行きましょう」
「め、目茶苦茶、き、気になるんですけど・・・」

ブラッドは動揺した声で、先に席を立ち歩き出した円香の後を追った。

「シーナ先生!」
「なーに?」

円香が含みを持たせた笑みを浮かべ、同じ歩調で歩くブラッドの顔を覗き込んだ。

「僕に、足りないものって何ですか?」
「足りないもの?」
「ええ、僕、好きな人がいるんですけど、相手にとって僕が不足だらけだ、と感じているんです」
「あはは、面白いわね」
「わ、笑わないで下さいよ。真面目な話です」
「そうね〜。でもね、恋愛で、相手にとって足りないものなんて・・・何も無いわ」
「はあ?」

円香は納得できないというポーズをとるブラッドの腕に自分の素肌を絡め、手を握り締めた。

「いい? 恋愛の経験だとか、自信だとか、そんなものは自分にしか見えないの、相手には関係ないことよ」
「本当ですか?」

今度は、ブラッドが円香を覗き込み尋ねた。

「ええ、貴方には愚直なまでの正直さがあるじゃない、貴方を知って嫌う人なんて、この世に存在するとは思えないわ」
「愚直の意味がわかんないんですけど・・・でも、シーナ先生にそう云われると、自信が300%アップですよ」
「あはは、だから、その自信なんてものは相手には関係ないんだって・・・」
「確かにそう云われると・・・自信満々で見知らぬ女性に迫られても困るぜ〜〜って気もします」

円香は自分の右手とブラッドの左手を繋いだまま、体を折り曲げながら笑った。

「もうすぐ食堂に着くわ、このまま手を繋いでおく?」
「シ、シーナ先生。僕、先生と手を繋げて非常に嬉しいんですけど・・・
今、頭の中では、何故手を繋いでいるかの説明だとか、言い訳だとかで頭が混乱しています」
「あはは、繋ぎたいから繋いでいるんだ〜で、いいじゃない」
「そ、そんな乱暴な・・・」

円香とブラッドが食堂の入り口にたどり着いくと、円香は小走りでブラッドの正面に立ち、ブラッドの襟を正した。

「さあ、アタシを素敵にエスコートしてね」

ブラッドは顔面を蒼白にし、仏像のように身動きひとつ出来ずにいた。

リトルヴァレンと弟子
April,23 2045

12:30 日曜日のファンデンブルグ教会

ゲーテ、バッハ、メンデルスゾーンなど偉人とかかわりの深いプロイセン東部の古都、ライプツィヒ。
その都の西側に中世文化の名残を漂わせた教会がひっそりとそびえるように建っている。
100年前の大戦で、多くの由緒ある教会が跡形も無く壊されたが、それぞれの地で、有志による再興が進んでいた。

荘厳なゴシック様式の装飾に彩られた教会の中庭では、パイプオルガンの音色が緑色の風景を優しく包んでいた。
中庭の芝生の上では、日曜日恒例の、トッティによる昼食会が催されている。
人々の中には、大学で教鞭を振るう傍ら、休日は教会で司祭として過ごすローゼンバーグの姿もある。
いつもと同じように、トッティの指示でテキパキと動いている教会出身のスタッフ達の笑い声が聞こえる。
そんな笑い声の中にアンジェラの姿も溶け込んでいた。

「こっちにボールを投げてよ〜」
「今行くよ〜」

トッティやヴァレンを取り囲む子供たちの歓喜の声が、聴こえてきた。
その声を、食後、木陰に腰を下ろしたブラッドが遠目に見つめている。

「ふ〜、食った食った・・・トッティの作る美味い飯を日曜日ごとに食べられるなんて、子供たちも幸せだな」

体の3倍もあろうかという太い木の幹にもたれ掛って、ブラッドは青い空が正面に見えるくらい寛いでいた。
ふと、横に目をやると、7歳位の女の子が隣の木の下で、ブラッドと同じような格好をして空を眺めている。

「あの雲、キリンに似ているな。首が長いや・・・」

ブラッドは、小さな女の子に聴こえるように大きな声で、空を指差した。

「・・・空に、キリンがいるわけないじゃない」

予想に反した・・・いや、予想もしなかった女の子のリアクションに、ブラッドは指をかざしたまま固まった。

「アンタ・・・アタシのこと可哀相な子供だと思ったんでしょ」
「・・・トッティやヴァレンと出会う前なら・・・きっと、そう思っただろうな〜」
「ふ〜ん、否定しないんだ・・・珍しく正直な大人なのね・・・」
「あはは。オレ、体はでっかいけどまだ子供の仲間だぜ・・・」

ブラッドが体を反転させて、右腕で頬杖をつき、体を横にしたまま少女に微笑みかけると、
少女は様子を伺うようにブラッドを観察してから、グルグルと芝生の上を2回転して近づいてきた。

「ねえ、アンタ・・・約束は守れるタイプ?」
「ん? そうだな・・・約束を破ると・・・後で痛い目に合うだろ? だから、約束を破れないタイプかな・・・」
「あはは、面白いわね、アンタ」

そう云うと、少女はさらに2回転して、遂には、ブラッドのすぐ横に転がってきた。

「オレ、ブラッドっていうんだ。君は?」
「アタシは、リトルバレンティーネ」
「へ〜、いい名前だ」
「うふふ、ありがとう」
「君は、大人が嫌いなのかい?」
「当たり前でしょ。アタシを捨てた大人なんて大嫌い!」

突然、体を起こして、リトルヴァレンティーネと名乗った女の子が大きな身振りで主張した。
その様子に驚きながらも、ブラッドは元のままのポーズで、優しく語りかけた。

「ん〜、そりゃ憎みたくもなるよな、でもいい大人もいるぜ?」
「そうね、アタシ、ヴァレンお姉ちゃんが大好きだから、リトルヴァレンティーネを名乗っているの」
「ほほう、君のセンスは抜群だ。彼女は最高だもんな」
「あら、アナタ、いい趣味しているわね」

女の子は、ブラッドに褒められたのがよほど嬉しかったのか、一転して、雄弁にブラッドに話しかけてくる。

「ひょっとして、ブラッドって、ヴァレンお姉ちゃんの彼氏?」
「ううん、違う・・・」

ブラッドは、さも残念そうに大きく首を振った。

「あら、そうなの、さっきからチラチラ、お姉ちゃんを見てたから・・・あ、ひょっとして片思いってやつ?」
「ああ」
「可哀相・・・アタシなんてこの歳で両想いの男の子がいるっていうのに・・・」
「凄いな〜リトルヴァレンは・・・恋の師匠って呼んでいい?」
「ふふん、いいわ、ブラッド。弟子にしてあげる」

少女は、ますます得意気な陽気さを醸し出している。

「でも、ブラッドは・・・ヴァレンお姉ちゃんのこと好きなんでしょう」
「ん? ああ 大好きだ」
「珍しく素直な反応ね」
「なんだ そりゃ」
「大人って いつも 嘘をつくの」
「大人か・・・ 微妙な年齢だよ・・・彼女の4つも年下だし・・・」
「無理して大人ぶらなくていいじゃない、ヴァレンは子供が大好きなのよ。ブラッドも子供のままでいたらいいわ」

遠目に見えるヴァレンは、子供たちに囲まれて無邪気に笑っている。

「本当だ。リトルヴァレン師匠・・・あんな風に笑うヴァレンティーネ様は初めて見るよ・・・」
「ふ〜ん よっぽどお姉ちゃんの前でツマンナイ男を演じているのね」
「おいおい・・・いや、師匠、それは笑えない冗談ですよ・・・」
「しょうがないわね、ブラッドは・・・アタシが特別に恋の魔法を教えてあげるわ」
「お願いします」

そういうと、ブラッドは上半身を起こして、真面目に師匠に向き合った。

「いい?男は嘘を優しさと履き違えちゃダメよ・・・悪ぶっていても正直でいるのと、真面目そうにしていてコソコソするのは全然違うでしょ?」
「・・・は、はい・・・」
「ちょっとくらい、悪っぽく見えてもいいのよ、そのほうが男は魅力的よ。アナタには悪魔的センスがないわ・・・」
「・・・なるほど、師匠・・・凄いですね」
「うふふ、アナタを見てればわかるわ。さあ、頑張って頂戴。あ、御礼はアナタのその胸にかけているペンダントでいいわ」
「え・・・マジ?」

ブラッドは、胸に掛けていたプラチナコインを指で掴み掌に乗せた。

「これ、トッティから貰った大切なモノなんだ・・・しかもヴァレンティーネ様のピアスとお揃いで・・・」
「・・・それは、難しい決断が必要ね」
「う、うん・・・でも、師匠なら、大切にしてくれそうだ」

そういうと、ブラッドは首からチェーンを外し、リトルヴァレンの髪に引っかからないように丁寧に掛けた。

「あら?本当にいいの?」
「ああ、約束は守らなきゃな・・・」
「ブラッド、貴方素敵だわ・・・ヴァレンお姉ちゃんに振られたら、アタシが付き合ってあげる」
「あはは、光栄です。師匠」

リトルヴァレンは突然立ち上がると、ブラッドを見おろして諭すように言った。

「祈るだけじゃ駄目よ、ブラッド!行動しなきゃ!」

子供の純真さは 時として刃物のように鋭い。
7歳の小さな子供の言葉が頭の中で山彦のように反響した。

そう言い残すと、リトルヴァレンはトッティとヴァレンのいる人の輪の中に姿を消した。
頭の後ろで腕組みをして、再び空を見上げたブラッドは、いつしか目を閉じてウトウトとしている。
ゆっくりと流れる時間の中で、そよそよと偏西風に乗ったヴァレンの香りが、ブラッドの鼻先をくすぐっていた。

決戦前夜
April,23 2045

22:00 ファンデンブルグ研究室

『ロン』

「あちゃ〜、やっちまった・・・ここは、聴牌外せ〜・・・かよ・・・」

ブラッドは、椅子の背もたれに大きく仰け反り両腕を広げた。

「ただいま〜」

突然、部屋の扉が開き、アンジェラの陽気な声が聴こえた。

「おう」
「はい、これ、お土産」
「うわっ、冷て・・・」

アンジェラは、背伸びをしているブラッドの額に、冷えた缶ジュースを置いた。

「あら、オーラスでこけちゃったのね・・・」
「ん・・・対面のリーチしている奴の現物待ちだったから・・・」
「はは〜ん、で、一発で6ピンをツモギリで・・・お陀仏ってわけね」
「ああ・・・」

ブラッドは、アンジェラに貰った缶ジュースの蓋を開け、半分ほどを一気に飲んだ。

「ふ〜。どうだった?神父さんの話は・・・」
「うん・・・長くなるようだったから、また来週、お邪魔することにしたわ」
「そっか・・・」
「ヴァレンはトッティの手伝いをしてから帰るって」
「うん」

アンジェラは、ブラッドが座っているテーブルの椅子ではなく、隣の麻雀卓の椅子に座ると、牌を指先で転がした。

「いよいよ、明日ね・・・」
「ああ」
「勝ったら・・・ジパング。負けたら・・・どうなるんだろう・・・アタシ達」

卓上の牌を捲ったり裏返したりしているアンジェラが独り言のように呟いた。
ブラッドは、返す言葉も見つからず、残り半分のジュースを一気に飲み干すと、椅子から立ち上がって歩き出した。
アンジェラの後方を通り、冷蔵庫から缶ビールを2本取り出すと、一本をアンジェラにそっと投げた。

「アンジェラ、テラスに出たことはあるかい?」

アンジェラは手を止め、ブラッドの声に振り向くように西側の窓のほうを見た。
ブラッドがステンレス製の扉を開け、テラスに出て行こうとしている。

「ドアの向こうはテラスになってるんだ・・・知らなかった」

後を追うようにドアを開けると、横に長いテラスが広がっていて、右前方のベンチにブラッドが座っていた。
外壁にかかる薄暗いライトが3つ灯っている。

「隣に座っていい?」
「うん、今夜は、月が出ていないから、星がよく見えるよ」
「本当だ・・・綺麗ね〜。あ、流れ星だ・・・」
「ん?」
「ほら、あの・・・はくちょう座の上あたり・・・」
「多分、こと座流星群だ・・・この時間だと、今から数十個は見えるぜ」
「本当? じゃあ、願いごとをしなくちゃ・・・」
「あはは・・・」

アンジェラは東北東の空をじっと見つめ、次の流星が降り注ぐのを待っている。
ブラッドは、手に持った缶ビールの蓋を開け口につけた。
校舎の合間を吹き抜ける風が、アンジェラの肩まで伸びている髪を躍らせ、横顔を隠すように舞い上がる。

「あ、来た! 明日勝てますように・・・ ほら、ブラッドもお願いして・・・」
「うん・・・あ、消えた。次のを待とう・・・」

夜空の明るさに目が慣れてくると、星空が鮮明に見えるようになってきた。
アンジェラは立ち上がり、ブラッドの後に回ると、両肩に手を添え、上空をグルっと見渡した。

「流星を見つけたら、肩を叩いてあげる。」
「あはは、たくさん流れるよ」
「じゃあ、私も次のお願いを考えておこうっと」

その矢先、2人の目の前に5つの流星が尾を引き、時間差で降り注ぎ始めた。

「うわ、今度のは凄いぞ・・・」
「綺麗〜」
「あはは、見惚れていて、お願いするのを忘れてたよ。アンジェラは出来たか?」
「うん」
「何をお願いしたんだい?」
「・・・ブラッドが、私を好きになりますように・・・って」
「はい?」

背中越しにいるアンジェラを、ブラッドが顔を右上に捻るようにして左肩を下げた。
ライトの影になっているアンジェラの顔がシルエットのまま近づいてくる。
アンジェラの口元が微かに微笑んだようにも見えたのは、ブラッドの唇に重なった後だった。

ブラッドの手から零れ落ちた缶の、コロコロと転がる金属音が鳴り止んでもなお、
唇を重ねたままのブラッドの頭の中のスクリーンに、何度もアンジェラの微笑の残像が繰り返されていた。

選抜大会1回戦
April,24 2045

10:00 ローゼンバーグ総合大学 試合会場


『ロン・・・リーチ、タンヤオ・・・2,600点』

「え?」

1回戦 東1局 東家ブラッド 25,000点持ち ドラ東



親のブラッドは、ドラのW東を4順目で食い仕掛け、6順目に聴牌をしていた。
下家に座っているアンジェラのリーチ後、8順目に切った七萬をアンジェラがロンを宣言。

(おいおい、アンジェラの捨て牌の現物で、俺が敵からロンするシナリオじゃないのか・・・?)

2,600点の点棒をアンジェラに渡しながら、東2局の配牌を取り出す。
ブラッドの頭の中は、開幕前から混乱を引きずったままだった。

9:30からの開会式には、ヴァレンも敵のチェン教授も姿を現わすこともなく式が終わり、
議長のヤン教授の簡単なルール説明の後、早速、試合が始まった。

選手の名前を紹介されることもなく、牌の取り出しで、ブラッドが東家、アンジェラが南家に決まった。
対戦相手である、東洋系の眼鏡を掛けた男子学生風の男が対面の西家。
同じく、東洋系の赤茶けた顔色の狐目の男が北家に座っている。

大会は東南戦の全3回戦。
2人ずつの点数の総合得点が高いチームの勝利となるシンプルなルールだ。
さらに、トップ者にだけ、ボーナスの10,000点を加算して計算することが確認された。

東2局 北家ブラッド 22,400点 ドラ一萬



(ん、ドラが2枚か・・・何とか闇で上がれる手が出来るといいけど・・・)

5ソウ・・・4ピン・・・と順調なツモで5順目に一向聴。そして、三萬ツモの後、四萬が入れば平和ドラ2の聴牌だ。
ようやく、手牌に集中できる状態になりつつあったブラッドの7順目のツモは五萬。



(げげ、役無しの五萬が来るのかよ・・・)

ブラッドは、全員の河を流すように見ると、三萬を横に向け聴牌を宣言した。

「リーチ」

南家のアンジェラは、ノータイムで字牌をツモ切りした。
対面、上家は現物を捨ててきた。

(この手、ツモると、アンジェラが親被りしてしまうから、敵から当りたいな・・・)

一発目にツモって来たのはドラの一萬。

(うわっ、一巡待てば五萬と入れ替えられてた・・・)

複雑な思いが交錯したものの、リーチ後のアガリ牌以外は全て河に置かなければならない。
ブラッドが、やや力を入れ、河に一萬を捨てた。


『ロン・・・チートイ、ドラ2・・・9,600点』



ロン宣言をして、手牌を倒したのは、またもアンジェラだった。
ブラッドは、訳が解らないといった表情を見せ、無言で点棒をアンジェラの前に置いた。
アンジェラは、目の前に置かれた点棒を左手で取ると、ブラッドを見ることもなく、1本場を宣言した。

その後、こう着状態のまま場は進んでいく。
敵チームの2人も、予想外に大きな動きはなく、時折、仕掛けは入るものの、
南2局に、対面がマンガンのツモアガリをした以外は大物手が成就することもなく、南3局を迎えた。

ブラッドの手牌には、白と中が配牌でトイツで入っていた。
大物手の予感が一瞬したものの、3枚目の白と中が姿を現す前に、發が4枚とも河に捨てられた。
結局、白と中を仕掛けて、ブラッドが対面から2,000点のアガリでオーラスになった。

南家 ブラッド 11,800点
西家 アンジェラ 34,300点
北家 眼鏡の男 30,900点
東家 狐目の男 23,000点

(さて、俺かアンジェラが3,900点以上であがればいいんだな・・・)

南4局の配牌は、その日の状態を象徴するような酷いものだった。
瞬く間に、親が2つの食い仕掛け、対面の男も仕掛けてきた。

12順目にアンジェラからリーチが入った。

(そうか・・・2人の合計点が足りなくても、アンジェラがトップなら10,000点が加算されるんだ)

ブラッドは、敵の2人に通りそうな牌で、アンジェラの本命の5ピンをアンコから切り出した。

『ロン・・・リーチ、タンヤオ、ピンフ・・・3,900点』


WINNER Angela 38,200点・・・2位 ・・・30,200点・・・


集計係の者が、4名の点棒をボードに記していった。

チェンチーム合計 53,900点
ヴァレンティーネチーム 合計 56,100点(46,100点+トップ賞10,000点)
2回戦開始時間 11:00

「ふ〜。」

ボードに集計係が書き終わると、ブラッドは大きなため息をついた。
対面と上家の男が東洋系の言葉でやり取りをしている。・・・が話の内容は聞き取れない。

下家に座っていたアンジェラの姿が無いことに気づいたブラッドは、部屋をグルッと見渡した。
それぞれの関係者達が慌しく動き回って入るものの、知り合いは誰一人として居ない。

ブラッドは、胸ポケットから煙草を取り出すと、火をつけ煙を天井に向かって吐いた。
無意識に、胸のペンダントに触れようと手探りをした後、リトルヴァレンにプレゼントしたことを思い出した。

「今朝のアンジェラの態度ときたら・・・、まるで3人目の敵のような感じだったな・・・」

ブラッドは、朝からアンジェラとひと言も、会話をしていなかった。
話しかけても、アンジェラから言葉が返ってこない理由を、あれこれと思い浮かべてみるものの、
ブラッドには思い当たる決定的な瞬間が浮かんでこない。

「やはり、昨日の夜の、俺の態度が悪かったのかな・・・」

ブラッドは、アンジェラが唇を重ねてきたシーンまで記憶を巻き戻して、頭の中で再生させ始めた。

すれ違い
April,24 2045

10:35 ローゼンバーグ総合大学 試合会場 

ブラッドの回想

ブラッドの父親は、プロサッカー選手だった。
物心がついた時には、近くのスタジアムに整形外科医である母と応援によく行った。

父が怪我をするたびに、母の勤めていた病院で治療を受け、その時に二人は恋に落ちたらしい。
父親が現役から引退すると、家庭の中の雰囲気はやがて一変していく。

引退してまもなくは、家族サービスは大事だと父は語り、
昼間はサッカーの試合を応援に行ったり、週末の夜は近くのレストランに食事に出かけたりしていた。

父親の時折交えるジョークは、イングランド人よりは面白くはなかったが、
それでも小さなブラッドが笑うには十分だった。

プロイセンの男性気質は、ローマ人よりも勤勉に働くが、それは、家族と過ごす時間を作るためであり、
職人のように仕事一辺倒の男性像と言うものは100年前の伝説の中にしか存在しなかった。

父親もサッカーには真面目に取り組んでいたと母親は話していたけれど、
引退後は、定職に着いても上司と折り合わず、転職を繰り返していたようだった。

家で過ごす時間が多くなった父親は、小さなブラッドとよく遊んでいた。
家計は母親が支えるようになった。平日の夜の食事は、父親の担当だ。
食卓の上には、ソーセージとジャガイモと冷凍ハンバーグがいつも並んでいた。

だた、週末になると、家族で過ごす時間は減り、平日の夜の両親の口論は増えていった。
母親のヒステリックな言葉は年々過激になり、一方で父親の口数は晩年、激減した。

ブラッドが6歳になる頃には、父親は家に帰って来ることが少なくなり、
母は、父が外国のチームで頑張っている、と話したが、その活躍をメディアで知ることはなかった。
7歳の誕生日にサッカーボールをプレゼントした父親の姿が記憶の最後のページとなる。

「女の扱いは、サッカーボールのリフティングよりも難しい」


ポツリと呟いた父親の言葉を、ブラッドは目の前に揺れるタバコの煙を見て思い出した。

機嫌の悪くなった母をなだめる為に、あれこれ苦心していた父親の姿は浮かんで来るものの、
今のアンジェラとの状況を好転させるようなアイデアは全く浮かんでこない。

1回戦の終了から5分が経過していた。

「トイレにしては長いな・・・アンジェラ探しの旅に出よう」

ブラッドは一人になった卓の椅子から立ち上がると、左腕の携帯端末装置を開いた。
廊下を歩きながら、ヴァレンに連絡を入れるが不通。トッティの携帯は運転中のアナウンスが流れた。



10:40 ローゼンバーグ総合大学 東広場

アネモネやヒヤシンスが咲き誇る紫系と緑色のコントラストの強い中庭の一角。
日差しが校舎の影になっている駐車場横、東広場のベンチにアンジェラは座っていた。

「あ〜、もう嫌になっちゃう・・・」

アンジェラは昨夜のブラッドとのやりとりを思い出してため息をついた。


アンジェラの回想

流星群が降り注ぐ夜空に向かって無意識に口にしたブラッドへの想い・・・
自分を見上げたブラッドに表情を見られたくなくて口付けをした。

頭の中が真っ白になり、ブラッドの唇のヤワラカさもアタタカさも覚えていない。
ただ、気がつけば、ブラッドの右手が左胸を触っていた。

「な、何をするのよ・・・」

動揺する私に、ブラッドは、頭を掻きながら、困惑しているようにもみえた。
お互いの重なった視線が途切れる前に、何かを伝えなければ・・・私は無我夢中で、ブラッドに尋ねた。

「ねえ、私のこと、好き?」

ブラッドが小さく頷く。

「どれくらい?」

投げかけた言葉に、返ってくる言葉が聞こえないんじゃないかと思える位、胸の鼓動が高鳴っている。
息を吸うことも忘れるほど、ブラッドの口元をじっと見つめていた。

だんだんと息苦しくなる中で、時間が流れていることを実感する。
しかし、そんな苦しさから解き放たれるような言葉は、ブラッドからは何一つ返ってこない。
心の重さが、元の重さに戻リたがっているのが自分でも良く分かった。

そして、ブラッドが視線を逸らした瞬間、私の張り詰めていた感情は、四方に飛び散った。

「もういい」

諦めたようにその場を立ち去ろうとすると、振り向きざまに、不意にブラッドに腕を掴まれた。

「痛っ・・・」

次の瞬間、掴まれた腕の痛みが消え、背後からブラッドに抱き締められていた。

「返事を・・・考える時間もくれないのかよ・・・」
「ひとつのことを考え込んでいる時に、次々と質問するなよ」

ブラッドの声は、怒りに任せた口調ではなかったけれど、これまで、聴いたことのないような声だった。




「あら、アンジェラ。試合は?」

ふと、トッティに名前を呼ばれ顔を上げると、目の前にトッティとヴァレンが立っていた。

「うん、一回戦が終わったところ・・・勝ったんだ」

現実に引き戻されたアンジェラは、無理に笑顔を作って応えた。

「本当?凄いわね・・・でも、アン、貴女、顔が真っ青よ。体調が悪いの?」

ヴァレンがベンチに座っているアンジェラの隣に腰を下ろし、額に手をあてた。

「ちょっと、熱があるじゃない・・・トッティ、研究室までアンを運んでくれる?」
「いいわよ。ところで、ブラッドはこんな時に何をしているのかしら」
「呼び出してみるわ・・・」


10:50 ファンデンブルグ研究室

試合会場の隣に建っているファンデンブルグ研究室にいたブラッドは、壁にかかる時計の針を見つめていた。

「研究室にいると思ったんだけどな〜。どこにいるんだよ。アンジェラは・・・」

ブラッドがぼやいていると、左腕の携帯端末機に着信を知らせる音が鳴り始めた。

右手から零れた牌
April,24 2045

11:15 ファンデンブルグ研究室 

ブラッドが部屋を出てから数分後。
アンジェラが横たわっているベッドの脇では、トッティがアンジェラの額を冷やしていた。
アンジェラの朦朧とした意識は、肌に伝わる冷たさに反応して目覚めた。

「・・・トッティ?」
「あら、アンジェラ、意識が戻ったのね。良かったわ」

トッティが安堵の笑みを浮かべ、アンジェラに微笑みかけた。

「ここは?」

東広場のベンチに居たはずの自分が、ベッドの上に寝ていることが理解できないのか、
アンジェラが緑色の瞳を動かして部屋を見回している。

「あ、研究室?」
「そうよ・・・」
「トッティが、私を運んでくれたの?」
「ううん、ヴァレンがブラッドを呼んで・・・彼が貴方をこの部屋まで運んだわ」
「・・・そう」

アンジェラはトッティの言葉に静かに反応すると、東側の窓の外を見つめた。

「トッティ・・・今、何時?」
「ええ〜と、11時15分ね」
「ええ? 2回戦が・・・。行かなきゃ・・・」

アンジェラは、上半身を起こしたところで、貧血を起こしたように頭に揺れを感じ、動けずにいた。

「安心して寝てなさい・・・試合には、ブラッドとヴァレンが行っているから」
「・・・」

トッティがアンジェラの背中に右腕を回し、寝床につくように体を支えた。
再び横たわったアンジェラは苦しそうに目を開いた。

「アナタ、目の下にクマが出来ているわ・・・昨日は寝てないの?」
「・・・うん」
「試合前日で気持ちが昂ぶっていたのはわかるけど・・・無理しちゃ駄目よ」
「・・・うん」
「飲み物は?」
「ううん、いい」
「そう」

アンジェラは、張り詰めていた気持ちが解れてきたのか、天井を向いたまま しばらく一点を凝視していた。
トッティがアンジェラの横顔を見ていると、やがて、彼女が瞬きをするたびに頬に涙が零れていた。

「綺麗な涙ね・・・」

トッティが呟くと、アンジェラは意識的に数回瞬きを繰り返し、雫を瞳から弾き飛ばそうとした。


11:15 ローゼンバーグ総合大学 試合会場

2回戦 東1局一本場 東家 ヴァレン 26,000点

「ツモ・・・4,100オール」

東1局が2軒リーチ、3人聴牌で流局した後、一本場の親でヴァレンがマンガンをツモ。
リーチ後、2順目にツモった4ピンを右側に置くと、ヴァレンの透き通るような声が会場に響きわたる。

東1局一本場 ヴァレンのアガリ形



西家に座ったブラッドは、対面の親のヴァレンと向き合うように座っている。
上家には眼鏡の男、下家には狐目の男が1回戦に引き続き勝負に挑んでいた。

『やられた』という表情を浮かべた上家の男は、眼鏡のレンズを布で拭くと
すぐに、集中するように配牌を手元に手繰り寄せる。
東1局の二本場では、2順目早々、上家の男が9ソウをポンと仕掛けてきた。

7順目、一向聴になったブラッドが、一瞬迷って捨てた初牌の『東』をヴァレンが右端の2枚を同時に倒す。
次順、眼鏡の男がノータイムで3ピンを河に切り出すと、ヴァレンが静かに残りの10枚の牌を倒した。

「ロン…2,900点の二本場で、3,500点」

男の眉が微かに歪み、眼鏡越しの眼光はヴァレンの倒された手牌をじっと見つめていた。

(よし!)

ブラッドは声には出さず、胸の内でガッツポーズをした。

東1局三本場
東家 ヴァレン 45,800点
南家 眼鏡の男 14,400点
西家 ブラッド 19,900点
北家 狐目の男 19,900点


三本場の配牌を全員が取り出すと、ヴァレンが一呼吸おいて牌を切り出した。
ドラは3ソウ、ブラッドの手は相変わらず冷えたまま、上がれる気配すらない。

上家の男は、ヴァレンの手元と河を睨みつけるように見ている。
下家の男は、手が入っていないのか覇気の無いツモ切りが続いていた。

『チー』
『ポン』
『カン』


上家の男が発する独特のイントネーションが、卓上の主役に躍り出た。
眼鏡の男の仕掛けで、ブラッドの左側には、







と並び、男の手牌は4枚になった。

(そんなミエミエの染め手に誰が振るもんか・・・)

ブラッドは、眼鏡の男が河に捨てられているソーズの牌を目で追う視線の先を見つめた。

(ん?6ソウをカンして6-9ソウ待ちなのか?…それだと、4枚目の6ソウでツモあがりしてるはず・・・)

ブラッドは、トイツの面子選択を9ソウと4ピンのどちらにしようかと考え、安全策で4ピンを1枚外した。
下家の男が2ピンをツモ切ると、ヴァレンがブラッドの目の前にあるツモ山に手を伸ばした。

その瞬間、ブラッドの座る位置の後方にあるドアが大きな音を立てて開いた。
ヴァレンの視線が、ブラッドの右耳の上あたりを通過し奥に注がれている。

(ヴァレンティーネ様の上目遣い・・・最高だ!)

ブラッドが不埒なことを考えていると、後方からカツカツとヒールの踵の音が急接近してくる。
モデルのステップのようなリズミカルな足音ではなく、突進してくるような不協な音だった。

足音が、ブラッドの左側で止まった瞬間に、眼鏡の男が唖然として顔を上げた気配が分かった。

「一体、この展開はどういうことよ!」

ブラッドが、びくっとし、意に反して思わず振り返ってしまったほどの大きな声。
左側を振り向くと、チェン教授が仁王立ちして眼鏡の男を睨みつけていた。

『カツーン』と、牌が卓上に落ちた音が、ブラッドの右耳に同時に届く。
90度右に振り向くと、ヴァレンの伸ばした右腕が卓の中央に、その真下に9ソウが跳ね、倒れた。

「あっ…」

と、ブラッドとヴァレンが同時に声を出した。

眼鏡の男は、眉間の辺りで右手中指の内側で眼鏡をせり上げると、4枚の手牌を倒した。

「ロン…8,000点は三本場で、8,900点」

ヴァレンは、倒された4枚の手牌をチラっと見ると、頭を小さく左右に2度ずつ振った。

目次前話続話
Presents by falkish