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少し前にある人に、私がこのページに書きまくっていることを知られた。 (このページの存在は、日常生活で関わりのある人は誰も知らない。)
「あの書き込みの熱量は普通じゃない。」とか言われたが、そーか? ま、そこにひっかかったわけではなく、 その衝動の元になっているのは、『いわゆる自分探し、じゃないでしょうか。』と言われたこと。
頷けない部分があった。 確かに書き始めた当初は、自分って誰?という思いもあったのは否めない。 が、最近は、もう"何考えてるんだかわからないし、だめなところも多いけど、愛着がある。" という自分像が出来ている。
外には『まったく困った奴』とか言いつつ、他の人に貶されると突然擁護しだすという、言わば身内意識。 全く持って愛着。
ここまでに至るには、WEBへの書きまくり、つまり、自分の感情の言語化と、 後から読み返すことでの客観視が大きな助けになっていた、とは思う。
でも、それは既に過ぎたテーマだ。 『自分って誰?』という問いに終わりのあるものではないことはわかるけれど、最早メインではない。 未だにつらつらつらつらと飽きもせずに書いている動機としては弱すぎる。
まだ、読み終わっていないのだけれど、冷泉彰彦の「関係の空気」「場の空気」を読んでいる。 "あ!これっ!"と思った。
今、私が探しているのは、自分ではなくて、言葉なんだと思う。
著者の冷泉彰彦が言うには、日本語は雰囲気醸成の機能に長けていて、 空気を共有している者同士が使うのであれば、柔らかく美しく言外の想いも伝える優れた面を持つ。 しかし、この暗黙の会話が、個性が多様になり、社会構造が複雑になっていくに従い、機能不全を起こしている。
常識とか目標とか将来像などを共有できない、つまり、同じ空気の中にいない者との、 コミュニケーションを取るための日本語がないのだ。
遺書のない自殺、突然キレる、予想できない突然の犯行。 これらの根は日本語の不自由さがその一因で、表出する現象は、 自分の想いを人に伝えるすべがなく、要するに、内圧に耐えかねてなべの蓋が飛んだ状態? (←この比喩は私の)なのだと、著者は言っている。
確かに言葉がどんどん何も語らなくなってきている気はする。
そして、私のこのページに書く動機はこれだ。 自分の考えていることを、言語化して公にする。その試行錯誤の舞台がここだ。
日常を共有する人に対して、伝えるのでもなく。 WEBのお友達に対してでもない。 (最初から掲示板もつけなかった。選択肢として考えたことはあったが、結局ブログにすることもなく続けている。 私のページには場を作ろうという意図がない。 って、今更気づいたのだが。)
"こんな人"に対して、ではなく、どこかの誰かを仮想して、自分の気持ちを言葉で掬い取る。 掬うことで取りこぼすものがあるのは、もちろん承知なのだが、 掬えた部分はせめて、どこかの誰かに歪まずに伝わるように、言葉を選んでつなげる。
この人は(←自分)はそれを練習しているんだ。 探しているのは言葉だったんだ。
何で、ほぼ毎日飽きもせず、意味のあることでも有用性のあることでもないのに、 ごちゃごちゃ書いているのだろう。動機は何なんだろう?って、 自分で何時も不思議だーと思っていたが、ようやく判った。 (って、これは自分探しか? この言葉って啓発の匂いがして嫌いだー。)
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2006年07月02日(日)
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ワールドカップとバーゲンと。
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もしも、江原啓之がゴールキーパーだったら。 「右隅にくるってわかっていました。だって守護霊様がそうおっしゃってますもん。」
・・・PK戦になったら無敵。か?
でも、レーマンってそれに近いもんがあるような。 全部読みきってたね。
イタリアはねぇ・・・・ 「ボール支配率で劣っていて、で、結果3−0って、これがイタリアの試合運びの上手さってこと? 戦争には弱いのになんで、試合運びだけ上手いの?」 「イメージ、仕事はアバウトで、女と見れば声をかけ、 アモーレ!カンターレ!マンジャーレ!で生きているような国が、 守備には几帳面なサッカーってわけわかんない。なんでなんで?」
すっかり、なぜなにぼーや。 サッカー好きに聞いてみたんだけど、答えがないのよー。
「本気だせばやるんじゃないのー? ローマ時代はのしてたんだし。」 というANSがいいとこ。
あぁ、それにしても、ばらばらなのにインスピレーションが繋がった時って、 静かな宇宙空間で恒星間に光のビームが流れるみたいに綺麗だ。
頭の80%がうっとりしてぼーっとしている。
残りを使って一応バーゲンも見た。 都心に行くともみくちゃにされそうなので、まずは近場で。
夏のサンダルも買っちゃったし、パンツもこの間の冬のバーゲンで調達したし、 半ズボンもリメイクで作ってもらったから持ってるし、 カットソーはもう引き出しいっぱいなので買わないほうがいいし・・・・。
ベルトがないから買うべ、と思って行った。 うっかり、Max&Coで皮のジャケットを買ってしまった。
なんかさー雑誌とかってもう秋冬だったりするじゃない? だからかなんなのか。 つい、冬のバーゲンで夏物、夏のバーゲンでは冬物を調達してしまうんだよな。
ま、結構使えそうなんで、元は取れると思う。
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2006年06月30日(金)
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『Death Note』
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スマステの月1ゴロー。 もう素敵。 TVでこれだけ思ったことを言い切る、特に邦画に対して、という人は、今いないんじゃなかろうか。
色々面倒なこともあるのだろうが、ここは一つジャニーズ事務所のメリットを生かして、やりきって欲しい。
『映画はイマイチだが、原作の力を感じた。読みたくなった。』 とのゴロー様のコメントに引きずられて、漫喫に読みに行ってしまった。 (ジョブがぽしゃって、ドキュメント後始末しかないので、非常に暇な昨今である。)
『Death Note』 やべぇ。面白れぇ。
あんまり遅くなるのもーと思ったので、まだ7巻までしか読めていないのだが、 話は「そのノートに名前を書けば、その人を殺せる」というノートをめぐる物語。 設定はシンプルなのに、伏線と謎解きが緻密に組み上げられていて、入り込んでしまう。 キャラも立っているし、正義とかシンパシーとかが、一元でないので、話が分厚い。
たしかに、映画では書ききれない分は残るよな。 でも、キャスティングは、予告を見る限りは嵌っているのではないだろうか。 (世評としてはどーなんだろう?)
藤原竜也の夜神月って、わかるなぁ。 新選組!の時もそうだったけれど、天才ゆえの無邪気な残酷さならば、藤原竜也というのが、デフォなんだろうか。
このまま年を重ねていくと、無自覚に無邪気な中年? 若さが無くなると、単なる自己中な鈍感にしかならないからなー。 労咳とは言わないが、どっか、どーん!としたヤマを超えたら、『人の痛みの判る大人』 (← 脳内には、おミツ姉さんとシーンがあるので、再生よろしく)として、 哀しさを滲ませるかっこいい中年になれるのかしら?
と思うような思わないような。
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2006年06月29日(木)
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ソシズノノ7回目 & 傷はまだ治らない
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口中の傷がとにかくじっとしていても痛い。 っつーか、先週の土曜日は体操に行ってばたばた体を動かしても大丈夫だったんだから、 その最初のうちに、イソジンかなんかで消毒をしておくべきだったのかと思う。
今となっては。もう、どーしようもない状況。 朝起きた時は白いもやもや(膿?)がこんもりと溜まっていて、水を飲んだりしているうちに、 それが流れてクレーターが表出し、どっちにしても痛い。
という中で、歯医者はキャンセル、 だが、ハーモニーベルは聞いているだけだから別に大丈夫だろうと、行く。
結論から言えば、キャンセルしたほうが良かったと思う。 何といっても、普通にしていてもじんじんするので、ベルに体を任せられない。 意識が体から離れられない。
それでも寝るあたりが、すごいなぁとは思うが。
気の流れは前回と同じ。円運動ではなく、2次元でのスライド。 仰向けの時に、体を上でヒッポウが音さでくるくる円を描いて音をかき混ぜる。 その時の空気の流れの円運動は感じられるのだが、 体内での気の流れみたいなものは、スライドないしは、すっと離陸という、直線での運動ばかりが目立った。
前回の6回目くらからなんだけど、気のフィジカルな巡りより、映像が見えることのほうが多くなってきたようだ。 あまりはっきり覚えていないんだけど、日が差してきらきらひかる葉の緑と、青い海が見えたと思う。
最近、海の青、空の青に惹かれている。 石井ゆかりの本『星栞』を立ち読みしたのだけど、水瓶座ページにある写真が、 どんぴしゃ!まさにこの絵だよ!これっ!という写真で、 ポストカードだったら即座に買ったんだけど、本だとなぁ。
自分の太陽星座以外はどーでもいいし...。 微妙にけち。
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2006年06月28日(水)
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また、ジョブが消えた。
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この頃都に流行るもの。
経営基本計画建て直し。。。。
メインバンクが経営基本計画を作り直せと言ったとのことで、ジョブがぽしゃったのは昨年12月。 そして、今6月。 今のジョブも親会社から経営基本計画の見直しが降りかかって、急に無くなってしまいました。
あんまり世間の景気とかって良くわからないのだが、 多少利益が浮いてきたので、先を見て投資計画を建てようとしているのか、 いよいよ嵐の前なので、基本計画を見直そうとしているのか。
どうなんでしょう??
こうなったら、3つ目が欲しい−−と思うのでした。
次のジョブの希望は?と聞かれてもいるのだが、 家から近くて、勤務時間が短いところ・・・・という以外に強い思いは何もないな。
alain
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