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2006年03月12日(日)

捨てすぎ

捨てられない、片付けられないということを雑誌のTOPICでよく目にする。
が、これは全然実感がわかない。他人事。

気分転換が捨てることと、片付けることなんで、気持ちが分からない。
めちゃくちゃ捨て好き。捨てるとすっきりする。
ものを買う前に、仕舞うことのストレスを思って、気に入っても買わなかったりする。

同じく、ダイエットの記事も。
節制しないと体重が増えるということが、そりゃ意味は分かるけど、さっぱり腑に落ちない。
うっかり食べないでいると、知らぬうちに痩せていたり、貧血っぽくなったりして。
あー食べねば・・・と思うことはある。

が、かなり元気良く食べていると自分で思っている時期に、
ここまで食べれば少しは太っているだろうと思っても、太っていたことがない。

多分、この"片付かない"と"太る"は同じことなんだろう。
よーするに私が唯一片付けなければいけないものは、受け入れることを拒む壁っつーこと。

だから、傍で見ていると思うんだ。
片付かないこと、捨てられないことを嘆くこと無いって。
体重についても。ぷっくらした二の腕とか大好きだ。
地に足がついている逞しさと、異物からエネルギーをがっちり取り込む大らかさを感じられて、あこがれだ。

片付かないくらい、色々なものに広く興味を持って、自分のテリトリーにものを入れようとし、それが行動に移しているって、誇っていいことじゃん。

最近、色んな雑誌で"片付かない"を取り上げてるからさ。
何で否定的に書かれてんのかなーって、不満なんだ。
そんな記事に煽られて、そこら辺の女の子が排除にばっかり向かいだしたら、哀しいし、楽しくないなって思う。

情報過多が病気を作るっていうが、これもそんな類だと思ったのでした。


2006年03月09日(木)

自分の始末

ようやっと金曜日までたどり着いた。
あと一日。気合だ。

山本さん ぷっすまでるんだー。と今日知った。
何のコーナーなんだろう?ちょっとどきどきだが、当面はその日を目指して日をこなす。

ハーモニーベルは来週に予約を入れた。
週イチペースが良いともいうが、やっぱり一ヶ月に癒し系にそんなにお金をつぎ込むのもいかがかと
思う抑制があり、ま、2,3週おきで行ける時にとおいた。

毎週、夕方ダッシュで出るのもそれはそれで疲れるし。


世間は日銀だの金融緩和だの。
最近、報道がうざくて、ニュースはほとんど見ないのだけれども、それでも耳に入ってくる。

預金金利が上がる、物価も上がるという、そういう時期に入りましたっつーことらしいが。
目論見どおりに経済って動くものなのだろうか。

行き過ぎて、昔のドイツみたいにえらいことになったり、しないんだろうか?
きっと誰にもわからんのだろうな。

読めないことばかりで、その中で自分の操縦かんを握っていると、絶対の安全が欲しくてたまらない。
多少の札束では、もちろんあると嬉しいが、日本で考えたって、戦後のインフレを思うと、多少では全然意味なし。
建物は焼けるし、宝石とか美術品は鑑定眼とさばくルートがないと。
土地を持っているには維持費もかかるし。
何を持っていても、知恵が無くては掠め取られるリスクはある。

健康とか、友達とかは、よるべと言えばそうだが。
他の運が全く無いにも関らず、寿命だけはふんだんにというのも、それはそれで痛ましいものだ。
友達もいいけど、よるべとして考えるのは、何かね。
結果そうなっても、それは幸せではあるのだろうけれど、自分がいざというときの支えとして誰かに把握されているのも、興ざめだし、だったら人に対しても、思いたくない。

と、考えると。
多分一番頼れるのは、いざとなれば、これで喉を突いてしまえばいいや、と思える潔さなのだろうな。
でも痛そうだ。

ピストルだったら何とか出来るだろうか。
電車に飛び込むことも、ビルから飛び降りることも、包丁で喉切ることも出来なさそうだけど、
引き金なら引けるかもしれない。
リアリティがないからそう思うだけな気もするけど。

美意識と覚悟。拠り所ってこれしかないって思う。
が、どっちも自分にはなく。
どっかに売ってるものでもないしな。どうしましょうかねぇ。


2006年03月05日(日)

モーツァルトのCDと組!のサントラと

amazonで500円OFFのキャンペーンをやっているので、乗せられている
何か買いたいなー。
5000円以上にしなければなので、モーツァルトのCDと組!のサントラ第二弾をこの機会に買おうかと。
それに、茨木のり子を加えれば5000円は超えるだろう。
どれも欲しかったやつだから、無駄に買いあさったというものでもないし

モーツァルトはね・・・。
あの、楽観性と構成力(感情が破綻しない窮屈さ)というか、印象きれいに表面を磨かれてつるんとしているような、曲が苦手だったんですよ。ずっと。

無難ーって感じがして、聴くのも、弾くのも、別に嫌悪するわけではないけど、好んで手に取るものではなかった。

BSの『毎日モーツァルト』は単純に、山本耕史の声が聞きたかっただけ。
同じ時間にやっているのならば、行動のトリガにもなるしって、それで見始めて。
1月末から。

今は、モーツァルトが心地よくてしょうがない。
つるんとしたっていう印象は変わらないのだけど、
日差しがそのつるんに照り返されて乳白色の反射光が散っている感じが素敵。
逆にあれだけ好きだったショパンからはちょっと離れてきている。
ロマンティシズムが強すぎて、演歌っぽいというか。。。好きなんだけどね。気持ちTOO MUCHな気分。

人の好みって移り変わるもの。
縁って不思議なもの。

組!がなければ、山本耕史のFANにもならなかっただろうし、
ましてや『毎日モーツァルト』も見ることはなかったはず。
(っつーか、BSが見れることに気がついたのも、なんとしても元旦に組!!を見たいばかりに、試行錯誤したが故)
モーツァルトのCDを買うことは無かったのだろうなと、思う。

実は、茨木のり子も組!がトリガ。
この間亡くなったことで、番組とか、活字とかで詩を耳にする機会は得た。
『私が綺麗だったころ』は教科書で読んだか何かで知っていた。が、そっかーという位の思いしかなく。

たまたまつけたTVで『よりかからず』を朗読していて、これは琴線に触れて、ちょっと興味がわいた。
が、最大の一押しは、こばさんの日記。
組!で源さんをやっていた小林隆。彼が好きだという詩がのっていた。

読んで。
これー、好きかも。すっごく好きかも。ほれたかも。
この一押しで、茨木のり子の詩集を買う!って決めた。

色々なものが、色とか音とか物とか人とかが世の中にあって、でも何かしら繋がっているのが面白い。

偶然つながりで、HNK-BSのホームページに山本耕史のインタビューがあって。
(というものも読むというのは、全く・・・)
ジョナサン・ラーソン、土方歳三、モーツァルト。
長期間に渡って自分の人生に関わってきたこの3人が揃って35歳で死んでいるという話が出ていた。

山本さんは死なないでね・・・・。 何か怖いっすよ。
35歳か〜。 彼のホロスコープを見てみよ。
それにしても出生時間を知りたいな。何とかならないだろうか。


2006年03月04日(土)

ソシズノノ1回目

新選組!!のBLOGで片岡愛之助さんのインタビューがUPされていたので、iShuffleに入れて聞きながら散歩。
ときおりにやにやしながら歩く。
妙ではあるけれど、考えてみれば向かいから歩いてくる人が無愛想ならデフォで、にこにこしていたら警戒っつーほうが、よっぽど変だ。
と、社会に突っ込みを入れても受け手はいないので、せん無きことはせず。
まずは自分から。
不機嫌を振りまいて歩くことは、しないとまでは言わないが、出来るだけしないようにしようと思う。

片岡愛之助さんのインタビューは良く響くまったりとした関西弁で、とても品が良い。
気持ちがほっこりする。ずっと聞いていたい声。包まれてるっつーか、広く広がって、でも圧迫感がない。
彼の舞台も見に行ってみたいなー。

歌舞伎といえば、来週は三谷さんの歌舞伎を見に行くんだー。
楽しみ。


ハーモニーベルのセッションは行ったよ。
一応一段階が10回コースで、まずは一回目。

地図を頼りに行った場所は、あんまり綺麗とはいえない雑居ビルで、扉は厚いし。
何か怪しいものを買わないと出してもらえなかったら、どーしよう・・・とか一瞬不安にかられる。
正直インターフォン押すのは微妙に思い切りが要った。予約してなきゃ帰ってたかもしれん。
ちなみに部屋の中は綺麗で、別段怖いこともなく。

気持ちとしては、とりあえず10回はやってみようかと思う。

セッションは、受ける人はベッドの上に横になっているだけ。
うつぶせとか仰向けとか、ヒッポウ(ベルを鳴らす人)の指示で体勢を何回か変える。

ヒッポウは身体の上のあちこちで音叉を叩いている。(らしい。目を閉じているのでわからない。)
目は別に明けていても良いのだと思うけど、目が合ったら照れそうなので、閉じた。
のは、最初の内で、後は明かない。
まぶたが重くて明かない。仕舞いにはがん寝。

音はCDより、身体に響き、筋肉を揉むというか、浸透するように思えた。
終わった後はかなり身体が軽く、いい感じ。
電磁波をアースするマットだか何かを引いているベッドだそうなので、ひょっとしたらその所為なのかもしれない。
(それを買ったほうが早いかーとかも思ったり。)

また行ってみようかと思った動機の一つはこれ。
単純に気持ちよく、足ツボマッサージに行くみたいに通ってみてもいいかな、と。

もう一つは続けることへの興味。
エネルギーっつーか、気というか、そういうものが循環するのを感じたのね。
足は足で回っているのは感じた。ももから足の裏まで縦にぐるぐると。
で、腰の辺りは横回転。で、腹。胸。それぞれの場所で横回転の渦巻き。

気が巡っているなぁーこういう感じなのかーと思いながら、はがゆさというか、座りの悪さを2つほど感じた。
上半身と下半身の気が連動していないことが一つ。
上半身はそれぞればらばらに回っていて、お互いに関連していない。
しかも下半身と繋がってない。

後、もう一つ。
上半身の気のぐるぐるが、繋がっていないなりに、渦から漏れ出てくる気がある。
綿あめ作っている機械で、綿あめが渦からこぼれ出てくる、あんな感じ。
で、それぞれの気が上昇してくるんだけど、額でつかえる。
蓋してあって出られん!!!
というのが、はがゆい。気持ちがもぞもぞとかゆい。

何回かやっているうちに、流れがスムーズになるだろうか。
一応、宣伝にはなると書いてある。
そりゃ宣伝だからそうだろうが、馴れるとほんとにめぐりが良くなるという可能性も否定できない。

気が上半身から下半身に上から下に、下から上に、がーがー流れるととっても気持ちが良いだろうと、
そして額の蓋が割れて、突き抜けられると、快感だろうなーと。

それは効果というより、慣れとか、気の持ちようなのかもしれない。
が、錯覚だって良いではないか。
ジェットコースターだって、映画だって、気分をどーこーしたくてやるんだから、要は一緒だ。
気分を良くしてみたい。

ということで、しばし続てみよう。
思考過程はこんなところ。というわけで次回の予約を入れてみようとしている。


2006年03月01日(水)

ハーモニーベルのセッションを受ける予定

今週の金曜日に、ハーモニーベルのセッションを受ける予定。
どーなんだろうって興味がずっとあって、もう、考えていて面倒だから、とりあえず一回やってみることにした。

西洋占星術は好きで、多少は読むことが出来る。
けど、何かそれとは違うジャンルのものがまず必要なのではと、思ったのだ。

これは私見なのだが、西洋占星術ってHowToを読むのには凄く向いている。

というか、そう使うのが一番使いでがあると思う。
だから、鑑定に行く人にオススメしたいのは、『私はこれからどーすればいいでしょう。』という
問いではなく、『こーしたいが、さてどこから手をつければいいですかね。』という、
聞き方をすること。

例えば。
・事業を起こしたいがジャンルは何がいいか。
・この人を落としたい。彼の感性のどこをつつけばよいか。
・転職には何時がいいか。

その方が鑑定料分のアドバイスを引き出せるはずだ。

イメージはカーナビ。
だから、まずゴールの設定が必要。

となると。
翻って、自分。

現在、ゴールを決める意欲そのものが枯渇している。
あっても、逆切れだったりして、判断自体が捻じ曲がっている気がする。

自分本体が、盆栽のようによじれてる。
針金で締められて、曲がっている。っつーか、巻きつけたの自分。

という状態で考えたことの、HOWを追求しても益はない。
だから、まとわりつかせた、あれや、これやをとりあえず落とそうと思った。
で、一度FLATにしてから、そこから始める。
となると、それに向いていそうなものとして、ハーモニーベルがひっかかってきて、
気になるのだったらやってしまえ。

という状況。
さて、どーでるか。


alain

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