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2004年06月27日(日)
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『新選組!』を見ている。
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咳は大分収まってはきたのだけれど、まだ一端咳き込むときつい。 声はまだ低いがかすれは取れてきた。咳だけでもなんとかならんかのう。
『新選組!』を見ている。 そもそも新選組自体を好きだし、三谷幸喜について喜劇作家だからとか言って馬鹿にする風潮があるのでムキになったりして、(なんであんたがムキになる?)見ている。
歳さんがカッコいいのでお気に入り。 丁度半分6月最終週でやっと新選組が出来た。これからは暗くなる一方だな〜。 普通ドラマってこれからどうなるのかしら?って見るのに、歴史ドラマだとあの人は何時死ぬのかしら?とか、思いながら見てる点で一種異質だよね。
子犬がじゃれてるみたいだった多摩時代が懐かしい。 せめてこのまま、別の話としてどっかで楽しくやってるストーリーを読みたいなとか思う。 新選組が出来ちゃうと、後は内部粛清を避けて通れないし、池田屋あたりをピークに落ち延びるだけだし、暗〜いだけ多かりき。
マイケル・ムーアの911について書く。見てもいないのに書く。 森達也は爆笑問題のテレビ番組で、是枝監督は新聞に同じような事を書いていた。 つまり、自分だったらああは撮らないと。あれはドキュメンタリーではなく、意見書だって言っていた。 911からこっち、アメリカに蔓延する悪い奴らはやっつけろ!との風潮とイラク戦争へののめり込み。 それについて、馬鹿だ!アホだ!と言う映画を作るという行動は、つまりブッシュへの断罪と反発で、それはテロと同じフォーマットなんじゃないか?って。
テロってつまりは反発でそこには+と−がある。正と誤、善と悪。 スクリーンに登場人物が現れた時、「ねぇ、あの人はいい人?悪い人?」って聞いて、どっちかわからないとすっきりしない。 闘うためには誰が敵かをはっきりさせないと始まらない。味方と敵がいて、敵は全てお馬鹿なんだ。
だけど、人もものも決まりも制度も、そんな風に○と×ですっきり分けられるのか? ドキュメンタリーってあるものをあるがままに投げ出し、あとは見る人にゆだねるものなのではないか?というのが、森監督の主張。
二人ともが言っていたのは、判断して選別することがそんなに偉いのか?と。すっきりきっぱり決然としててカッコいいけど。 人間そんなに割り切れるものだろうか。 「どーしようねぇ。。。」って考えてく、くずくずが人間そのものではないのか?と。
まぁ、マイケル・ムーア。アメリカ人だからねぇ。あんなもんじゃないの〜?(だから、そーやって個体差という曖昧さを国籍でくくって捨ててとこが、テロリスト思考なんだってば。)
それにしても肺が苦しい。夜になると咳が出る。本の感想も書きたかったけど、苦しくてもうだめ。
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2004年06月24日(木)
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声、は、出る、けど、
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声、は、出る、けど、咳が、でる、んで、苦しい、んです。 と、この位のペースでしか話せない、呼吸困難な私。 ラッシュは避けて遅れて、でも出社。だって具合は悪くないんだもん。
胸がかゆいけど、息がヒューヒューいってるけど。で、咳が止まらないけど。 きっと傍迷惑だよなぁ。一日咳き込んでるし、マラソンから戻ってきた人みたいにヒューヒュー呼吸してるし。
うるせぇから来るなよ!みたいな。 という時とばかりに行ってみる。怠け者の節句働き。
書きたいことはあるんだけど。 マイケル・ムーアの911について、森達也や是枝監督が言ってたことについてとか。 でも、息が胸が苦しくて。だから、今日はここでおしまい。
声はさらに出ない。咳も出てきた。うーむ。結構長引くかも。 ハスキーなのはいいんだけど。咳は肺が痛い。それにあまりにも声が出ないと日常生活がそれなりに不自由だ。
ものを大切にすることと、必要なものだけをスーツケースに詰め込んで旅立てる事、その両方が欲しい。 でもって、欲しいと思う意気込みもあるパワフルな人にもなりたいのだ。
もののことだけでなく。 人間関係や経験についても。いとおしみ、抱え込まず、かつ貪欲。 でっきるわけねーやん、とは思うが目指す事を無駄とも言い切れない。
HAPPYって難しいなぁと。 とりあえず、咳が止まれば今は満足なんだけど。(やっぱり、幸せには不幸は不可欠なのか?)
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2004年06月21日(月)
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トカゲとトンボとゴキブリの夢
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気持ちが前向きだと幸せになるとか病気にならないとかの可否はわからん。 だって、IF分岐を2つ経験する事は出来ないから。
でも、過去の経験から言える。 気持ちがまずへたれる。と、大体具合が悪くなる。
15日に健康診断に行った。 その前からなんだか全てにやる気がなくて、書く気もなければ買う気も無い。 健康診断の後で、色んな店を見て歩いたんだけど、何も欲しくないの! 10万渡されて好きなもん買え!と言われても、「えーっだるい。」と言わんばかり。
変だ。ここで気づくべきだった。
翌日4時。大噴水。 上から下から。トイレと友達。メキシコで食あたりした時以来です。水曜日、会社を休んで寝入る。 翌日、顎下腺が血が出そうに痛い。私は風邪を引くとまずここに出る。風邪やぁ〜と、木曜日。会社を休む。
で、止せばいいのに。金曜日に買ったごまクロワッサンを食べる。 弱った胃腸に酸化した脂。これが最後の一押しだった。午後から死にそうに具合が悪い。 立てないどころか座る事すら出来ない。ただただ、寝そべってうめくのみ。 水も飲めない。食べれない。立てない。歩けない。もう、このまま干からびていくのかと思ったぜ。 ほぼ戻るものの身体はしぼりかすの様。金曜日も休む。
現在、なんとか復活。微熱はあるけどな。声がかなりハスキーだけどな。 以前、出なくなった時のことを思うと出るだけましだが。出ないと日常生活不自由なのよ。昼食の注文も出来ないんだもん。 それに比べれば。まぁ、いっかぁ。
後は物欲。お洋服とか本とかを手当たり次第欲しがるようになれば立ち直り完!。 ただ待ってるだけではなんなので、とりあえず頑張って体重を増やす事から始めてる。 痩せるのは簡単なのに、太るのって大変!!! 食べなきゃそれだけで痩せるんだもん。何もしなければ自然と痩せられる。でも太るには食べなきゃ(という能動的な行為をしなきゃ)いけないから、エネルギーがいる。大変。
カロリーを取れば太るかと、ロールケーキとシュークリームを食べる。おいしくも何ともない。
この間、夢を見た。妙に象徴的な夢。 部屋からの戸口に立って、部屋から出ないように追い返す。 それは、トカゲとトンボとゴキブリ。
ゴキブリは出た。が入り口のすぐわきで裏返って死体となっていた。既に何匹か転がっていてそこに1匹追加される。 トンボはうちわみたいなので追い返す。トカゲも部屋から出さない。
部屋は自分の心だとする。 虫は嫌いな人、物の象徴とすると、ゴキブリ、つまり嫌いなものは自分の心から追い出して、しかもそれは死んでしまっている。 これは心の自浄作用としてはすこぶる健全。うんうん、ここらへんはよろしい。 問題は残りだ。爬虫類は本能だという。トンボは虫だけど、羽があることから鳥を重ねるとこれは自由の象徴。
嫌なものは排除して、それなりに心は平穏。 ついでに本能と自由も閉じ込めてさらに平穏。つまり、そーゆーことかぁ?
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2004年06月08日(火)
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憎悪の理由は殺意の理由じゃない。
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犯罪が行われた時、刻々と動機を伝える報道は被害者に追い討ちをかけるものだと思う。 「デブだって言われた。」とか、こんなイヤなことされた、言われたとか、毎日毎日伝えられると、なんか、ほぉらこんなことしてると殺されるんだよ、と念押しされてるみたい。
嫌いだと思うことと、喉を掻き切ることは繋がらない。 憎悪の理由は殺意の理由じゃない。 どんな悪い事をしたとして、それが一定量溜まれば、それは殺されてもいい理由になるというわけでもあるまいし。 どっちもどっち、だったとして殺された側には反論のしようがないあたりも悔しい。 しかも、そのことに速報の必要も感じない。 せめて1週間とか10日とか時間をおいて、まとめてから一回言えば済むのではなかろうか?
ってゆーか、憎悪の理由なんてどうでも良くない?。 好き嫌いは生理的なものでつぼは人によって全然違う。 私はガムをくちゃくちゃ噛んでる人がすっごく嫌いで、隣でやられると『私が金正日だったら銃殺』とか思うけど、そんな人それぞれの憎悪の刺激点を100集めても、人生色々以外の何もわからない。
嫌われる理由を知って、さぁ嫌われないように振舞いましょうね。ということがそんなに重要なことには思えない。 私が知りたいのは殺す理由だ。 表現の手段として殺す事を、カッターナイフで喉を切る事を選択した理由が知りたい。 自分が殺さないために何に気をつければよいか、自分の周りの人に殺す事を選ばせないために何をすればよいかを知りたい。
前に人のホームページで、佐賀でバスジャックした少年のホロスコープ分析をしたってことが書いてあって、彼の図は全然異常でもなんでもなく、かわいい男の子の図だったという。 犯行の日、確かに象意は読み取れたらしい。"刃物を持っての自己表現"。
でも、選択肢は包丁を持ってバスをジャックし、人を殺す以外にもあったはず、と書いてあった。 例えば、釣りに行って魚を釣って、美味しいお刺身を作って人に振舞う。。。とか。 彼がそういう表現手段を持っていたら、何もバスを乗っ取る必要は無かったのだ。
柳美里は小学生の頃、自分をいじめる相手をあらゆる手段で殺す物語を書いていたと言う。
友達に悪口をぶちまけるでも、ペットに悩みを聞いてもらうでも、ピアノを弾くでも、歌うでもなんでもいい。 たまった感情をぶちまけるのに、何か自分なりのツールを持たなかった、その貧困さ(こんなになんでもあるのに、心を乗せるものだけがない。)に寒々しい思いがする。
その貧しさの理由が一番知りたい。 そんな社会をどうすればいいのか。多分簡単にはわからないけれど、一歩を踏み出すのならばまず何を?ということが知りたい。
話は変わって。忘れそうなので夢話。 ・サンダルがない夢。 これはわりと簡単。靴は社会的人格。で、ゴミ捨てとかで近所に行くのに履いているサンダルがないってことは、私的人格において、どーすれば良いのか、ご近所などのプライベート空間での自分の位置などがわからない状況を表しているのではないかと思う。
もう一つの夢は混沌としている。覚えている断片はこんな感じ。 ・ショッピングモール。広くて新しい。 ・メキシコである。 ・3階くらい。母とトイレに行き、トイレの前で待つが、母が出てこない。 ・私を呼びに来る人がいる。3人くらい。一人はMさん。後は不明。母はもう戻っているという。 ・なので戻る。(何処にかは不明) ・つるつるの床をスケートで滑るように歩く。 ・特に私はとても滑らかに滑り、どーやってそんなに滑るの?とか聞かれている。 ・店からK氏が出てくる。 ・店の前で転倒。滑るので起き上がれずばたばたしている。 ・私たちはスピードをつけて滑っているので止まらない。じたばたしている彼を飛び越える。
・ショッピングモールのあたりの地区は日本人駐在員の多い地区で、自分がいるショッピングモールは日本人向けになっている。 ・窓から他のスーパーが見える。 ・前に見たあの店だ。と思う。(実際に前の夢でその店を違う角度から見ている。) ・ここより、現地の人が言っているスーパーの方がものも豊富だし、安そうだし、いいなと思う。
うーん。K氏を飛び越えるあたりが象徴的。言うなればモトカレなので。 あっちのスーパーの方が魅力的。って見るところも、なんつーか現状に不満ありありな気持ちが良く出ているような気がする。 さて、本日は?
alain
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