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2003年11月09日(日)
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各局が選挙速報ばっかりなのはなぜ?
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選挙に半分くらいの人しか行かないのに、各局が選挙速報ばっかりなのはなぜ? 政治部のお祭りだから?
しかし、自民党はすっかり田舎政党。 支持者は地方の土建屋か農家。 細川たかしとかのコマ劇場の公演とかぶる。その心は。 ファンが年々歳食って死んでいく。
でもさぁ。街の声とか聞いて「景気を良くして欲しい。」って、言うのはなんなんでしょうと思います。 小泉総理の政策が「景気を悪くします。」ってもんで、その線にそってがんばってんなら、話はわかる。 が、それなりに良くしたいという方向性で動いているはず。 (公共投資でいくか、不良債権処理でいくか、IT投資で行くか。方向性は色々あるが・・)
景気って、誰かがどーにかして、すぐ上手く行くもんなの? 精々邪魔しない程度じゃないのだろうか。
景気を思い描くと、頭の中に大河の流れが浮かぶ。 流れの向きを導く事は出来るかもしれない。 でも、一人の人が指先でつまんでなんとか出来るレベルの話じゃない。
神様に拝んでるんでも、幼稚園の先生に泣き付いてるんでもあるまいし。 「景気、景気。」って言ってるのを聞くと、"甘えた"いってんじゃねーよ。って、あきれてしまう。
金曜日に足(膝下)の脱毛1回目を決行。 わきの下をやったあと、散々散々考えて、で3回パックじゃなくて、一回あたりのコースが出来たのを機にいよいよ踏み切る事にした。 何回やるかは未定。わきの下の経験から言って、3回やると大方抜けるようだ。 が、いまさら生足で売る気もないので、3回はやらないかも。
別に剃っててもいいかなって思ったんだけど。 ちょっと切っちゃったりってことも、ままあるし、寒いと毛穴が立って気持ち悪いし。
最大の理由は、生命力かな。 今、事故に会って例えば下半身不随とかになって、足の筋肉がどんどん落ちて、本人もどんよりしている時に、きっと、すね毛だけはイキイキと伸びているのだろうと思うと、その生命力に、仮想現実の話であるとはいえ、すっかりおののいてしまい、もう、なんつーか、居たたまれなくなってしまうのだ。
で、一生懸命働いた万札に火をつけて燃やすような行為に走ったと。 勿体無いし、ばかげてるとは思うけど、そうせずにはいられなかったし、金の使い道に意味を求める事は、つまりブランド志向と通じるところでも有る。 刹那に金を使うのも、また良し。と。
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2003年11月05日(水)
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被害者なら、何をしても許されるのか。
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拉致被害者の会が、衆議院選挙の立候補者全員に質問を送ったとか言う記事を読んで、すっごくやな気分になる。
被害者なら、何をしても許されるのか。 被害者だから、他の人より大切に扱われるべきで、守られるべき、それはつまり、人に義務を押し付ける事で、 そのことに轟然と胸を張って、躊躇いがないところが、たまらなく、嫌だ。
中国4千年の味!と、CFで四本指を立てたら、被差別団体からもう抗議がきて、結局、金で解決しなければならなかったことがあった。 (と、叔父に聞いた) これは差別への抗議ではなく、たかりと呼ぶのがふさわしい。
「慰謝料ということで、いかがでしょうか?。」 「ま、かんべんしたるわ。このくらいで。」と指を四本立てる。ずばり「四千万」 な、ことはではなかったと思うが・・・。
拉致家族会もそんな感じ。
「官邸に行く時とか、前はハイヤーが玄関まで迎えに着たのに、最近はこなくなった。日本政府は冷たい。」 ここまで好き放題言われて、その他一億2千万は、拉致されてなくてすみませんねぇとうなだれながら、黙って聞き入いてなくてはいかんのか。 うんざりする。
口を開けば日本政府をこきおろすくせして、NPOが北朝鮮から手紙を持ち帰ると、「そんなえたいの知れない団体に関わって欲しくない。」と、切り捨てる。 外務省の人なら、よくご存知で、えたいがしれているということなのでしょう。 家が隣だったとか、部活が一緒だったとか。
試験受かっただけで、何もしなくても給料が出て、2、3年で仕事の担当を変える"他人"と、有象無象であっても自分の食い扶持は自分でなんとかする"他人"の、どっちを信用すると言ったら、私ならどっちとも言えない。 国でなくては出来ない事もあるとは言え、自分の才覚で糊口をしのいでる人を、肩書きでばかにする姿勢には、すごい矛盾を感じた。
曲がりなりにも交渉して、多少なりとも(個人的にはかなりな)成果もあげた事に誉めもせず、口を開けば非難ばかり。 でいて、信頼しているのは、非難対象であるお国だけなのだ。
その甘えは、反抗期の中学生を思わせる。
いや、親は感情の生き物だから、何言ってもしょうがないと思う。言わしとけ。 その片言隻句を報道するメディアが、ホントうざい。
話はとぶ。 最近、つつじが咲いているらしい。2名からそんな話を聞いた。 磁気嵐か、フレアか、二ビル星か、フォトン・ベルトか、そんなもんが関係してるだろうか。
さらに話は飛ぶ。 電車のつり広告で見た。Gacktの自伝。『目白』 なぜ、目白?住んでんのか?と思って、良く見たら、自白だった。納得。
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2003年11月03日(月)
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WEBに対する距離感への違和感
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しばらくWEBから、遠ざかっていた。
疲れていたというのが一つ。熱出したり、いや、今も熱っぽいのだが。あと、忙しかったりとか。
そんな外的要因は理由にはなる。他者に説明するには楽な理由だ。 でも、そんなことは全然関係ない。
一言で言うと、WEBに対する距離感への違和感なんだと思う。
ネットにUPする文章を書くということに、笹舟に思いを乗っけて川に流すイメージを重ねてきた。 川を下って下って、川幅はどんどん広くなって、海に繋がる。途中で沈むだろうけど、どこで沈んだかはわからない。万に一つくらいは、どこかの誰かにたどり着くかもしれない。
って、そう思ってて。
最近、流す事よりも誰かにたどり着くことを思ってる気がして、それはなんか違うんじゃないかって気がしてた。 そもそもインターネットとかメールとかを、そんなに繋がれるメディアだとして認識してない。
きっかけにはなるし、時間も距離も越えられる。 調査にはいい。情報収集にはいい。 定期的にROMに行って、会った事はないけど、この人好きって、人のページもある。読んでて楽しい。
けど、そこで出来た繋がりは、バーチャルだと思う。どんなに太くても、それは自己の中でのイメージの中でのラインの太さとしか思えない。 自分が勝手にこの人さんせー、この人好き、って思ってても、その人は全然その人本人じゃなくて、自分の中のその人でしかない。 もちろん、人間関係一般にそうだけれども、WEBだと、それが純化する。
インターネットが情報量の少ないメディアであるが故だ。 電話では、スズムシの声は聞こえないという。その周波数の音を伝えるようには出来ていないからだ。 余分なものとしてカットされて、相手に届けられる。
インターネットは電話より、さらに大きなものを落としていってるツールだと思う。 感情というノイズの多いものを伝えるには、怖い。
仕事でメールを使いまくって、そう思った。 話さなくてもメールで済むやいいやって思えたのは、ほんの1,2年だった。 結局、足を運んで会って話さないと、メールのフォローをいれないと、結局話はまとまらない。 用件は済んでるわけだから、この訪問は"ご機嫌伺い"と称される。 無意味なようでも、これをこまめにしていかないと、いざという時、問題の瑕がどうしようもなく深くなっていくのだ。
なんか、話がどっかにいってるな。
自分の中で、こうやって文章を書いていて、それはつまり、自分の中へ中へと自閉していってることだと思っていて、でいて、外に受け手を求めているところもあって、一体、何をしているんだか、よく分からなくなって、面倒になってしまったのだ。
で、生きてる以外、何もしない生活をしてみた。 食い扶持をかせぎ、身の回りを小奇麗にして、風呂に入って、食べて、寝る。という生活。
それは、とても楽だった。本も再読ばっかりだったけど、がんがん読めた。 何もしなくていい。時間もたくさんあった。良く寝られた。
それも一つの選択肢としていいかもしれないと思った。 生きるだけをする。ということ。
で、今、生きるだけでいいかも、と思ったということを綿々と書いているかというと。 基本的にはそれでいいかもだけど、やっぱ、それだけじゃ、脳が暇ということ。
飽きちゃうんだよ!
だから、とりあえず。このページはこのまま続ける。 書きたいときに書く。内向するために書く。
だったら、外に流す必要が無いではないか。 と、も思うのだが。
外があるから内があるのであり、内向するには、外部がないと行かんと言う考え方も有る。 一般に人間は、地球に引きこもった存在であるとは言わない。 それは地球外に出て行くという常識がないからだ。 部屋の外に出て、学校なり会社なりでSHOPなり公園なりで、活動をすることを前提とするから、引きこもりという言葉が生まれる。
というように、ある程度、自分を他者とみて、自分の中の混沌を、屁理屈であっても意味が通るように言語化する。 そんな、内向をぽろぽろとしたペースで、続けていこうと思う。
外部に出るのは別の方法論で、やりましょう。別のフェーズで。で、目標としては、最低、窓を開けてみるということで。 物理的にではなく、エーテル的に。
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2003年10月21日(火)
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もう、全員死んでしまうしか、解決策ないのでは?
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破壊を望むのは、変化への言い訳が欲しいからなのだと思う。 何かが達成されそうになると逃げてる。逃げてきた。 失敗はもちろん、成果ですら忌避してる。成し遂げてしまうと、それはそれで自分が変わってしまうことが怖い。
自分で引き起こした事だから、自分で決断した事だから、責めは自分に帰せられる。 それがきつい。
例えば、地震とか戦争とかで、家がぶち壊れて野宿暮らしになったら、自分がゴミ箱あさってても、それは自分のせいじゃないって言える。気がする。 日がなのたくた暮らしても、「あの時、戦争さえなかったらね・・・。みんな戦争が悪いのよ。」と言える。気がする。
自分がどーにかなる責任を人に押し付けたいがために、暴発を望むって。ださすぎ。
『あなたは絶対!運がいい。』とか、前向きになれば全てが解決するっていう本と同じくらいださい。 心のもちようで幸せになれる。願いはかなうって本なんだけど、いや、心が弱ってる時に、うっかり買ってしまって、後から買ってしまったことに尚どよんとしたりしてる。(←恥部だ恥部だ)
これって、退屈で平穏な人生だから言えること、ってことくらいはわかる。
家はアメリカの爆撃でふっとびました。 冬が近づいてきて、とても寒いです。 旦那の足は地雷で飛びました。劣化ウラン弾の影響でしょうか、2人の子供には障害があり、大人になっても自活できるとは思えません。 両親は肺と心臓を病んでいます。 旦那はどなる。小姑はこづく。両親はおどしたり、泣きの手段でうったえたり、家の中は殺伐としてます。 それはともかく、お腹がすきました。食べ物を買うお金がありません。
お金お金。一週間後の幸せより、心の平穏より、今日の食費。
祈れば叶うということで、手を打つ? 私は打てんなぁ。
でも、ここまで書いてて思ったんだけど。 それでも宗教はなくならない。
宗教ってやっぱわかんない。 頑張って信じたのに、難民キャンプで職も無く・・・じゃん。じゃあ、もうちょっとご利益ありそうな神様拝んでみようかって思わないんだろうか。
たしかに、イスラエルは建国できた。 でも周りは敵だらけで、とても平穏無事とはいかない。 神様信じてて、結果これかい?!とか思わないのでしょうか。
パレスチナ。信じてたのに、国なくなっちゃったじゃんよー。 力ないなぁ。じゃあ他の神様にすっかー。とか思わないのかしらん。
お稲荷様拝んだり、お寺行ったり、占い師に守護霊見てもらったり、賛美歌で崇高な気分になったり、気分次第にすればいいのに。
こじれすぎてしまって、今更も何言ってもどーなる気もしないけど。 もう、全員死んでしまうしか、解決策ないのでは?って思う。
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2003年10月19日(日)
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ヴィトン選びはお休み。
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内藤剛志の出てる端麗純米なんとかかんとか・・・っていう、お酒のCM。 草原や滝をバックに、内藤剛志が褌で漂ってるあれです。
ターゲット層がまるで読めない。 あえていうなら2丁目ねらい?10%がホモという説もあることだし、一億の半分が男でその半分ととれば、充分に集団としては大きい。 最近のテレビで見たものの内、毎日のニュースも含めた中で、一番頭をひねらせてくれた映像であった。
最近と言えば。最近の決断。(って、そんな大事でないあたりが、のたりとした日常を髣髴させて、書いてて、小バカな笑いを投げ捨ててしまう。) ヴィトンのバックを買おうと、では折角だから買うまでの、あれがいーかな、これがいーかなを精一杯楽しもうと、ムックのヴィトン特集号まで買ってはみたものの。
買う気無くした。
気にしてない時は、あんまり目に付かなかったけど、気にしだすといるわいるわ、世の中にこんなにヴィトンがあったのか?!って、びっくりしてしまった。
こんなかに埋もれるのもなーって気分。(←ごーまんである。) あんまりマニアなのも嫌だし、安っぽいのも嫌だし、プチ贅沢して自分って大したもんな気分も欲しい。 バックの値段が高いからだから何?!ってことは、そりゃ誰に言われなくてもそーだけど。
それを買ったのが自分であったとしても、誰か(自分を含む)にそれだけのものを買い与えられてる自分、それだけの金額を使われるに値する自分、という感覚は悪いもんじゃない。 そして、その"それだけの金額を使われるに値する自分なのよ!"という証拠を、肩からぶら下げて歩くと、周りの人もその証拠から、自分の価値を読み取ってくれる。よーな気がする。
かつ、そんな保証ラベルのほかに、実用性と価格の折り合いも欲しい。 エルメスは使いにくそーだし、いくらなんでも高すぎる。
その点、ヴィトンは、"丈夫で一生使えるから・・・"というEXCUSEもあって、買いやすかったのだ。 と、思う人が多いから、あんなにヴィトンが多いのだろうか。
しばらく、ヴィトン選びはお休み。 JPGの斜めがけバックで、昔の郵便屋みたいに暮らしていく事にしました。
なんか、気分が内向き。 くらーいっていう意味ではなく。性質ではなく、行動のベクトルの話なのだが。 INPUTの時期とOUTPUTの時期でいうと、かなりINにかたよってる。
本を色々買って、読んで。 今は感想書くより、その時間読んでたい気分。 何なんでしょう。ま、また風向きが変わると思う。
深い洞窟の地底湖な感じ。って、今のイメージを表現して初めて気づいたんだけど、これって蠍座なんだよな。 そろそろ蠍座の意識が強くなる頃(私のホロスコープの中での話)なので、これはわからない話じゃない。
そういう時期であるならば、深ーくねっとりした水を堪能したい。 積極的にそーしたいわけではないのだが、そーであるなら、気持ちを楽しむ方向に持っていって、やりすごす方が何かと楽ではないかと思うのだ。 自分を甘やかす事にかけては天下無敵である。
alain
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