極端なつぶやき
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Zさんその後。
去年の12月に一度、Zさんから私に話し掛けてくれ、少し関係がほぐれたかな?という気がしたが、土曜日久々に会ったら、二人の間にはいつものピリピリ緊張感。
私は、以前ほどではないけど、相変わらずよくZさんのことを考える。
BFにZさんと関係が悪いと打ち明けてからは、大分Zさんをめちゃくちゃにして滅ぼしてやりたい、という気持ちは薄れた。
サークルの集まりで、必要な事務的なことを私がZさんに聞いても、固まって答えてくれないZさん。 なのに、私が他の人と話していて、私の意見が自分の意見と違うと、「いや、それは違う」と話に割り込んでくるZさん。
全くもってコミュニケーションが難しい。
ここ数か月で考えた、気付いたことは、Zさんには自己を観察する自分がいないんだってこと。 あー今私はこの人に嫉妬しているな、とか、今私不安を感じているんだな、とか、自己を観察して認知する自分、自己の感情を言語化する自分がゼロに等しい。 無意識の人、無意識で人と関わる人。 自分とつながってない人。 だから、人ともつながれない人。 自分を認知し、受容する力のない人。 だから、人の気持ちを理解し、受容する力のない人。 自分とコミュニケーションしない、できない人。 だから、人ともコミュニケーションしない、できない人。
私は、Zさんのこういう面を憎み、軽蔑し、嫌っていた。 そして、できるものなら変わって欲しいと思っていた。
でも、最近カウンセリングやヨガで、このZさんの自己受容、他者受容能力のなさを責める気持ちがストレスを生んでいる、苦しみを生んでいることに気がついた。
さらに、私がZさんの自己・他者受容能力の低さにこんなにも反応するのは、Zさんに母を見ているからだということにも気が付いた。
母にそっくりなZさん。 母も自分に自信がなく、いつも人の評価を気にしている人だった。 自分が大嫌いで、他者への不信感でいっぱいの母。 父に暴力を受ける母。 恋人から言葉の暴力を受けるZさん。 それでも後から謝ってくるから、付き合ってるというZさん。 友達があまりいない母。 Zさんもあまり友達がいない。 やりたいことがほとんどない母。 私や他の兄弟を受け止めることなく、ただ自分を安心させるような人間になって欲しいと求めてくる母。 世間体ばかり気にして、自分がない母。
Zさんと母は人を受け止めることなく、他人に依存して、求めてくるばかりのところがそっくり。 でも、やりたいことがあまりないというところは似てない。
母親を助けたかった、母親を変えたかった、私の中にある強い強い欲求。 でも、それは無理なことだった。 諦めざるを得なかった。
母を助けられなかった、その自責の念、悔しさがZさんに向いたのだと気付いた。
母への怒りがZさんに向いていたのだと気付いた。
私が、自己・他者受容能力のないZさんを心の中で責めつづけたのは、Zさんに変わって欲しかったから、Zさんに変わって欲しかったのは母に変わって欲しかったから。
もう、Zさんを責めない。 Zさんを責めつづけるということは、Zさんと関わるということ、Zさんにエネルギーを向けるということ、Zさんに近づくということ。 それはしない。 今は距離を置く。
Zさんと母親は別の人間。 似ているところがあるけど、全然違う人間。 年齢も体型も声も顔も全く違う。
私はZさんを助けなくていい。 私は母親を助けなくていい。
母親と距離が取れたんだから、Zさんともとれるはず。
まあ、それにしてもZさんにああも怖がられるのは、すごいストレスだけどね。
今回のことで、たくさん学んだ。 人と関わる時、相手にどのくらい自己・他者受容能力があるか、見極めて関わることが必要だってこと。 自分には、自己・他者受容能力の低い人に反応する。低い人を責める傾向がある。 私には、受容能力の低い人を見下す権利はない。 それは傲慢なこと。 私だって、そんなに高いわけじゃない。 本当に受容能力が高ければ、Zさんのことを受け止めることができたはず。 自分にも、Zさんのような要素(人のことは受け止めないけど、自分のことは受け止めて欲しい)があるから、こんなに反応する。
私とZさんは五十歩百歩。 五十歩百歩だからこそ、私はこんなに反応する。 ZさんはZさん。 私とは違う人間。私とは違う人格。 今は関わらない。 距離を置く。 Zさんを責めない。 そして、自分を責めない。
私は母親を助けなくってよかったんだよ。 自分を幸せにするのは、その人しかできないことなんだよ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ Zさんと付き合うの、本当に難しかった。 私に対して、こっち見て、話聞いて、と依存してくるかと思えば、私の意見とZさんの意見が違うとすごく興奮して、自分の意見を強い口調で押し通そうとするし。
Zさんの人格の一貫性のなさに振り回されていた。
私は人のきつい口調に反応するところがあって、Zさんのその興奮して、自分の意見を押し通すところが本当に嫌だった。 怒っていた。
そういう意味でも、本当に距離を置いたことはよかったんだ。 近づくと互いにマイナス面が出てしまう関係だったんだ。
退屈だなあと思っていたら、それはBFからメールの返事がこない不安を感じないための自己防衛と気付いた。
返事が来ないっつっても、半日。 内容は、先日BFが出たあるライブの感想。 特に、事務的な内容は含まれず、返事は急がない内容、もしくは別にスルーしてもいい内容。
メールして、半日以上返事が来ないと不安になる。 昨日もそうだった。 一日空いて、夜、返事が来て安心した。 あとで、前日朝まで飲み会だったと知る、さらに安心。
あーあ、アホだなー
傷つかないために、BFのことそこまで好きじゃないもんとか、友達に毛が生えたような関係とか思おうとしたり、まあ、このままでいいやと思おうとしたり なんか、あまりにも友達以上恋人未満の関係が長すぎて、よおわからん。
このままでも、いい感じ。 BFが私のこと気にかけてくれるのわかるし、私の気持ちも伝わっているし。 でも、もしBFが他の女の子と付き合い始めたら、と考えるだけで、悲しいし、すごい喪失感だし。
距離を縮めたい気もするし、距離が近づいたことで起こる葛藤が怖い気もするし。
頭と心がグチャグチャ! シンプルじゃない。
あーあ、この間の週末は電話できたのにな。 (この一個前の日記とは別の日)
最初の10秒くらいは緊張したけど、その後は落ち着いて、「声が聞きたくなってかけた」っていえたのに、向こうも受け止めてくれて、すっごい幸せな気持ちで布団に入ったのに。
その後、さらに親密になれて、いい感じだったのに、それは何にも変わってないはずなのに、すぐ不安になるんだよね。
乙女やなー俺は。
2007年02月06日(火) |
ただ声が聞きたかっただけ |
2、3日前、凹むことが重なって、無性にBFの声が聴きたくなる。 うちらは友達以上恋人未満の関係、用もないのに電話するのは非常に勇気のいること。
30分以上携帯をにらんで、一度鳴らして、すぐ切って、その後やっとかけることができた。
恥ずかしくて、しどろもどろの私。 「間違えた」「何でもないです」「ごめん、変で」 30秒くらいで切る。 BFもめちゃ恥ずかしがりやの人なんで、ただ明るく「そうですか、わかりました、了解です」と言っていた。 最後に「ちょっと声が聴きたかっただけ」と言えた。その後、恥ずかしくて、即効切った。
その話をカウンセラーにすると 「恋は勇気ださなきゃ、ふられることもあるんだから」 と言われる。 冷水をかけられたような感じ。 「そっかーふられることもあるんだよね。全然考えてなかった。家族みたいな気持ちでいたよ。」 「そりゃ、誰に対してだってふられる可能性は半分以上あるでしょ。」 「……(私、しばし沈黙)でも、そんなことふられてから考えてればいいよね。」 「そうよ。」
今まで、私にとってBFは友達以上恋人未満の、なんとなく私を見ていてくれる安心できる人だった。 カウンセラーも、今はそれでいいのよ、と言っていた。
昨日は急にそんなハッパかけるようなこと言い出して、、、 何なのーって感じ。
でも、そう言われて、BFとの距離を縮めることが現実味を帯びてきた。
まあ、あんまり深く考えず、まずは素直になることから始めようっと。 もうすぐ、バレンタインだもんね。
BFにZさんと半年以上絶縁状態にあることを打ち明ける。 Zさんが受け止めてくれない分、話を聞いてくれるBFに八つ当たりしてしまいそうになって。。。 BFに申し訳ないので、これを知ったことでBFが気を遣うだろうなー悪いなーなんて思いつつ、打ち明ける。
メールの返事はまだ来ない。
もしかして、ずっと来ないかも。 (拒否という意味ではなくて、何も言わずにそっとしておいた方がいいとBFが思って、来ないかもしれない)
ちょっとグルグルするけど、BFと関係が悪くなりたくなかったので、打ち明けてよかった。 そのことで、どっちかに味方しようとするとか、仲裁に入ろうとかする人ではないし、きっとそっとしておいてくれるような人なので。 自分のドス黒いところが、また一つBFに露見したかと思うと落ち込むけど、自分が思っているほど、BFには私が黒く映ってはないらしい。
孤独を感じた時は、それをまぎらわそうとせず、覚悟を決めてみる。 そういう時、ジタバタして、誰かといようとすると、余計孤独を感じる。 こういう時もあると、覚悟を決めることで、孤独を受け入れられ、気持ちが落ち着く。
今は、覚悟を決める。 誰にも分からない孤独。 みんなが持っている孤独。 私だけが孤独じゃない。みんなが孤独。 孤独だけど、孤立じゃない。 孤独を持っていることでつながる。
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