極端なつぶやき
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2006年10月11日(水) 最近気付いたこと

今日は、いつもより思い出し怒り状態に行く力が強い。
朝は、結構衝動がきた。
でも、物には当らなかった。
空気にはちょっと当った(笑

朝は、嫌な気分がわいてくることが多い。
でも、こうして書いている今は落ち着いた気持ち。
本当に感情はお天気のように変わりやすい。移ろいやすい。
大事な自分のことを知る手がかりの一つだけど、非常に移ろいやすいことも知っておかないといけない。
ないがしろにしてはいけないけど、あまり真に受けすぎてもいけない。

昨日は、少し泣いてしまった。
ある人とのやりとりを思い出して、辛くなって泣いた。
もう2年も前の出来事だけど、未だに私の心を揺すぶる。
その人(Aさん)にメールして、謝ってもらったけど、思い出すとやっぱり辛い。
Aさんからのメールの返事を読んだ時は、心がほどけてAさんと和解できた気がしたが、思い出し怒りの状態になると、Aさんが謝ってくれたことより、Aさんが私にひどいことを言ったことの方に意識が行ってしまい、Aさんが敵にしか思えなくなる。
Aさんが感じる心、考える頭を持った人間とは思えなくなる。
心のない極悪人のように思える。
とても辛い。

たまに、人から言われたネガティブなことばかり思い出して、真っ黒な世界に入ってしまう。
自分以外がみんな敵に見える。
すべての人が自分を責めてくるように思える。
そういう状態はとても辛い。
昔の辛かった体験の後遺症なんだろう。

Aさんの話に戻るけど、昨日は、私はAさんに分かってもらいたいんだって気付いて泣いた。
今まで、記憶の中のAさんが怖くて、責められる気がして、Aさんから自分を守らないと、と思っていた。そればかりに囚われていた。
その囚われは私にとって辛いものだった。

昨日はその囚われから一歩抜けて、私はAさんのことを理解しようと、Aさんとコミュニケーションをとろうと努力した私をAさんに分かって欲しいし、認めて欲しいんだって気付いた。

Aさんが極悪人で私を責めてくる、攻撃してくると、体を硬くするより、Aさんに分かって欲しい、認めて欲しいと泣く方が全然楽。

他者不信でいっぱいの真っ黒な世界にいる時、自分以外の人が感情のない、でくの棒のように思える。
心の中で、相手に「どうせ何にも考えてないんだろうし」ってつぶやくのが習慣になっている。
そうやって、私は自分の周りに殻を作って生き延びてきた。
それは本当に役に立つ方法だった。
でも、もう今はいらない。捨てていい。
今度、そういう思考の習慣が出てきたら、「そんなことないよ。人って考えてる時もあるれば、ないときもあるよ。」って自分に言おう。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私は、Zさんに母を重ねてみているんだなと気付く。
Zさんの人を受け止める余裕のなさは、母にそっくり。
だから、こんなに反応するんだ。

気付いただけでも一歩前進。


2006年10月10日(火) 本当は怒りじゃなかった

先月のカウンセリングで、私の思い出し怒りのメカニズムがかなり解明される。

どうやら、私は思い出し怒りする時、本当は怒ってるんじゃないらしい。

どうやら、私は怒っているんじゃなくて、感情を感じないようために、思い出し怒りの一連の流れにシフトしているだけらしい。

このことに気が付いてから、大分思い出し怒り、ムカツキ発作が減った。
思い出し怒りの方に自分が行きそうなときは、自分に聴いてみる。自分の精神状態をチェックする。

「今の気持ちを感じていいよ。」
「今疲れてるの?不安なの?」
「悲しいの?」

私は、気持ちのエネルギーをお腹や胸に感じるんだけど(実際に波動を感じる)、そのエネルギーを止めないようにする。
波動を、ただ感じる。
すると、ある時波動が収まる。

このやり方で、ここ1か月ほどは、ほとんど思い出し怒りが起こってない。

私って結構すぐ不安になったり、人とのやりとりのちょっとしたことで傷ついたりしてるんだなーってことに気が付いた。

思い出し怒りで紛らわしちゃうと、その気持ちは感じきられないまま、心に残るけど、こうしてきちんと感じると、ちゃんと終わっていく。

感情を感じきる。
感じても大丈夫。
感じても壊れない。

これは、私にとってすごいシフトです。


2006年10月04日(水) 最近は

最近は、こっちの日記を全然書いてませんでした。

mixiの日記は、音楽関係の知り合いが読むので、軽めに明るく、音楽ネタが主。
こっちには、それに書けないちょっと重めの話。
と分けている。

重めの自分がいなくなったわけじゃないけど、なんか書く気がしなくて、放置してました。
こっちの日記を書く自分は、ああでもない、こうでもないと考え、悩む自分。
mixiの日記の自分は、こんなことした、あんなことしたと行動した自分。

前は、考え、悩む自分を文章にして、誰かに読んでもらうことが必要だったけど、それが今は少しずつ変わってきた。
まっ、いいか、という感じ。
考え、悩む自分は変わってないけど、その自分に対する視線が変わってきた。まっ、いいかって。

それに、わざわざ人に読んでもらう必要はないか、と思うようになってきた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私がZさんを拒絶しているのだと気付く。
Zさんに共感能力がないこと、Zさんが人の話を聞かないことは確かだろう。
だが、そういうZさんを私が拒絶しているのだ。

Zさんと私の共通の友人、Aさんから数ヶ月前、こんなアドバイスをしてもらう。
「betyさんとZさんは一緒にいる時間が長すぎて、お互いの嫌なところが見えすぎたんだよ。」
「もう、Zさんのこと観察するのやめな。」
「今は、ライブを成功させることだけ考えた方がいいよ。」
なんと、的確なアドバイス。

本当にそうだと思う。

Zさんのことをすごく気にしている私。
閑な時、気が付くとZさんのことを考えてしまっている。
それも、昔あんなこと言われてむかついたとか、Zさんが不幸にならないかとか、Zさんが他の人からも嫌われて、孤立すればいいのにとか、考えている私がいる。
そんな時、いつも明るく、自分に言い聞かす。
「過去は終わっている。もう、そのことはお終い。もう、それは過ぎ去ったこと。同じことは起こらないよ。私は、もうそれを乗り切ったよ。私は私、ZさんはZさん。私はZさんを変えられない。自分がZさんに反応していることは認めて、あとは手放していこうね。」

ゆっくり行こうと思う。
Zさんを受け入れなきゃと思うと苦しい。
Zさんに、もう囚われないようにしようと思っても、自分の気持ちはコントロールできない。
コントロールできるのは、行動だけ。
Zさんに囚われる自分を責めない。
Zさんへの囚われが湧いてきたら、ただそうやってアファメーションする。


2006年08月30日(水) 思い出し怒り

疲れてくると、昔の嫌な思い出ばかりが溢れてきて、怒りたくなります。
私に嫌なことを言った人をこてんぱんにやっつけてやりたい衝動に駆られます。
もう何年も昔のことなのに、過去の記憶がリアルに迫ってきます。

記憶がリアルに蘇る

その時の相手の嫌な言葉、態度が迫ってくる感じになる

怒りと恐怖

自分を守りたい、相手を打ちのめしたい

物にあたりたくなる、もしくはあたりたいと思っている自分を意識する余裕もなく、物や自分の体にあたってしまう

このループに何年、はまり続けたことか。

人前ではいい子、一人になると思い出し怒り。

怒りを表現できない私。
怒っている人を引き寄せてしまう私。

母親が私の怒りを受けとめてくれない人だった。
母親自身がしょっちゅう怒っている人だった。
人間に対する不信感でいっぱいの人だった。
忙しそうで余裕がなくて、抱きついていったり、甘えたりできなかったな。

そこから何でも一人で抱え込むようになってしまった。
人を信頼することや人と繋がることがわからないまま育ってしまった。

ここで、母親のせいにするのは簡単だけど、そんなことしたら被害者で人生が終わってしまう。
それは嫌。
母親からの影響は確かにあるけど、でも今の私は大人で、自分の人生に対する責任がある。
私は力を持っている。

この思い出し怒りのループとも、少しずつ距離がとれてきた。
ループがグルグル回りだしても、巻き込まれる時間が少なくなってきた。
あっ、今ループに入ったんだなって気付くようになってきた。
なにより、このループを作り出すのも自分なら、止めるのも自分。
私はこのループを止めれるってことに気付いた。
そして、このループに入ってしまう自分を許そうとも決めた。

思い出し怒りのループに入りそうになるたび、自分に言う。
「それはもう終わったこと、過去は学んだらもう終わり。過去はなんの力も持ってないよ。持っているように思えたとしても、それは私が力を与えただけだよ。
過去はもう終わり。
私には今があるよ。
どんどん、どんどん新しい時間が私に与えられてるよ。」って。


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