だれがなっても・・・ これが、この民族性なのだ!
歴史「日本は変化と行動を」=「過去」優先解決求める―韓国新大統領 時事通信 3月1日(金)10時44分配信 【ソウル時事】韓国の朴槿恵大統領は1日午前、日本による植民地支配に抵抗して1919年に起きた「三・一独立運動」の記念式典で演説し、「日本は歴史を正しく直視し、責任を取る姿勢を取らなければならない」と強調、「韓国と日本がつらい過去を一日も早く治癒し、共栄の未来にともに進めるように、日本政府は積極的な変化と責任ある行動を取らなければならない」と述べ、日本が歴史問題を自ら解決するよう強く求めた。 朴大統領は2月25日の就任後、麻生太郎副総理との会談などで、日本に歴史問題への対応を求めているが、演説で日韓関係についてメッセージを発するのは初めて。竹島、慰安婦問題など具体的懸案には触れなかったが、未来に向かうためにまず過去の問題を解決すべきだという内容で、安倍政権に厳しい注文を突き付けた形だ。 大統領は「歴史に対する正直な省察がなされるとき、共同繁栄の未来も共に開ける。加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」と言明。日本が歴史を直視し、責任ある姿勢を示したとき「両国間に固い信頼を重ね、真の和解と協力も可能になる」と指摘し、「両国の未来の世代にまで歴史の重荷を負わせてはいけない。われわれの世代の政治指導者の決断と勇気が必要なときだ」と強調した。
何をどうしろというのだ! 自分の言葉そのものを自分の国にあてはめてみろ!ってんだ! 「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」 結局、被害者意識だけで、金をぶんどろうとしているだけだ! そう!「われわれの世代の政治指導者の決断と勇気が必要なとき」あなたの決断と勇気をみせてチョーよ!
2012年12月27日(木) |
うそも100回言えばホント? |
中国外交文書に「尖閣諸島」=日本名明記、「琉球の一部」と認識―初めて発見 時事通信 12月27日(木)14時0分配信
【北京時事】沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐり中国政府が1950年、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す外交文書を作成していたことが27日分かった。時事通信が文書原文のコピーを入手した。中国共産党・政府が当時、尖閣諸島を中国の領土と主張せず、「琉球の一部」と認識していたことを示す中国政府の文書が発見されたのは初めて。 尖閣諸島を「台湾の一部」と一貫して主張してきたとする中国政府の立場と矛盾することになる。日本政府の尖閣国有化で緊張が高まる日中間の対立に一石を投じるのは確実だ。 この外交文書は「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」(領土草案、計10ページ)。中華人民共和国成立の翌年に当たる50年5月15日に作成され、北京の中国外務省档案館(外交史料館)に収蔵されている。 領土草案の「琉球の返還問題」の項目には、戦前から日本側の文書で尖閣諸島とほぼ同義に使われてきた「尖頭諸嶼」という日本名が登場。「琉球は北中南の三つに分かれ、中部は沖縄諸島、南部は宮古諸島と八重山諸島(尖頭諸嶼)」と説明し、尖閣諸島を琉球の一部として論じている。中国が尖閣諸島を呼ぶ際に古くから用いてきたとする「釣魚島」の名称は一切使われていなかった。 続いて「琉球の境界画定問題」の項目で「尖閣諸島」という言葉を明記し、「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」と記している。これは中国政府が、尖閣は「台湾の一部」という主張をまだ展開せず、少なくとも50年の段階で琉球の一部と考えていた証拠と言える。 東京大学大学院の松田康博教授(東アジア国際政治)は「当時の中華人民共和国政府が『尖閣諸島は琉球の一部である』と当然のように認識していたことを証明している。『釣魚島』が台湾の一部であるという中華人民共和国の長年の主張の論理は完全に崩れた」と解説している。 中国政府は当時、第2次世界大戦後の対日講和条約に関する国際会議参加を検討しており、中国外務省は50年5月、対日問題での立場・主張を議論する内部討論会を開催した。領土草案はそのたたき台として提示されたとみられる。 中国政府が初めて尖閣諸島の領有権を公式に主張したのは71年12月。それ以降、中国政府は尖閣諸島が「古来より台湾の付属島しょ」であり、日本の敗戦を受けて中国に返還すべき領土に含まれるとの主張を繰り返している。 領土草案の文書は現在非公開扱い。中国側の主張と矛盾しているためとの見方が強い。
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