俳優ユースケ・サンタマリア氏を個人的趣味で鑑賞...いえもと(改名しました)

こちらでは、ユースケ氏の出演作品の中から、後世に残したいとまで気に入った作品&ここまでこのドラマを食い入るように観てるのって私だけだろうと思ったドラマを、筆者が勝手に必要以上に評価させて頂いています。ネタバレ有です。
ドラマのあらすじを知りたくない方にはお勧めできません。
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「その族の名は『家族』」の、きっとこの世のどこかにいそうなお母さん  追記あり - 2011年04月25日(月)

「その族の名は『家族』」作・演出 岩井秀人(ハイバイ)2011年4月 青山円形劇場にて

追記 4月28日 観劇二回目(最終日のお昼):

最初に観た時よりもさらに、強まった思いがあって、
こどもたちそれぞれにもお父さんにもお母さんにもすべての人に感情移入してしまい
不覚にも涙が出た。頬っぺたベタベタになった。(だからマスク持ってきててよかった)

「このお母さん、なんでもすぐ茶化せてる技の持ち主なのに、ホントどんーだけ可哀想なんだろう。どんーだけ優しいんだろう。」
「太郎君の怒ってたのを、泣いてたって解かってたのはお母さんだけじゃん!どんーだけみんなのこと解かっていたんだろう。」
「ヘタするとこのママとパパは結局は別れないのかもしれないな。ああそうだヘタすると別れないぞこりゃ。辛抱強く心で泣いても顔で笑っちゃう日本のお母さんじゃん。だめじゃん!別れないのかい!?どうなの!?」

でも、

「りヴぁさいっ!」「ぼんばへっ!」
「次郎君を抱きしめたい山田君こそを抱きしめたい!」
「いまどきペナント集めかっ!そんなにそれ貰って嬉しいんだ!」
「葬儀屋さんうるさくておかしい!」
「小樽がどうした!」
「通子ちゃんと丑三つ時遊びしてかわいいおばあちゃん楽しいね!」

なんかそんなことで、頬っぺたゆるゆるになった。(だからマスク邪魔で取って観た)

4月20日 観劇一回目

※初演は「て」というタイトル。
(そういう背景とか初演を一切観てないのですが、その時はお母さん役は岩井秀人さん自身が演じたんだって。いつも男の役者さんがお母さんを演じることになってるらしい)

案山子みたいな肩幅で取ってつけたようなオカッパ頭で
喪服姿のお母さんのいでたちで、ふらっとそこに現れて
ゆるく優しく親しみのある虚実ないまぜトークをするユースケ氏に、
ほんの一瞬だけ「うわー、女装」って思ったけど、それはほんとに一瞬で、
すぐに「ああ、こういうよそのお母さんて、普通にどっかにいるよな」って思わされて、もう違和感はさっぱり消え
それからは、
女っぽい男とも男っぽい女ともちょっと違う、
どこかにこんな感じの人がいそうな風情な、お母さんという生き物・・・そういえば女だったっけねお母さん、
っていうものに成っていた。

そしてその「彼女」の、ゆるトークが終わらないうちに
いつのまにか物語は始まってた。

円形劇場でお芝居を観るのがそもそも初めてだった。
大がかりな舞台装置がなく、その丸い空間が、シーンによって
教会になったり実家になったり、おばあちゃんの部屋になったり、外の道になったりしているけど、
同じ空間にそれらが半分ずつ混在していることが多々あり、
登場人物がそのどっちに居るのかは、
彼らの視線やしぐさや、
金属パイプにくっついたドアノブだけの見えないドア、の開け閉めで
観客にそれと分からせる。
役者さんがお芝居しながらさりげなく自ら小道具を運び、
自ら小道具をセットしながらもその動きは無かったかのようにその芝居が続く。
あー面白いなあ。

その混在する空間の、片方からもう片方にスポットが切り替われば、一時停止したほうの空間と時間のほうから観客は目をそらし、主となっている人間のやりとりに注目する。
でも物語の途中の、とある時点で、しばしば時間が巻き戻ると、
その一時停止していた側の裏事情が、明らかになり
時間を二重に味わわされることで、全ての登場人物の視点というか感情、主張、
それぞれの人間の、いちいちは言ってなかった言い分ってものを
それこそ相手の身になって体感できるシステム。
円の中に居る人間同士はすれ違ったままでも、
神様のようにその周りで観ている観客だけはみんなの心の内を、
知っているよ!大丈夫だよ。みんなホントに、けなげだよと言ってあげたくなるような。
誰も悪い人じゃないじゃない。よかれと思っていながらこその大喧嘩。
(あ、でも、お父さんにだけは、厳しい目を注いでしまうなあ、私は)

時間を巻き戻す前と後でセットになって炙りだされてくることは、
誰が悪いんだかわからないけど、自己流で家族を愛するゆえに互いに傷つけあい
我慢をため込みため込みして暴発させ、
各々の自分の正義をぶつけ合って
互いに大いに気になる存在故に、喧嘩を繰り広げる彼らの、
分かりあえなさ加減のもどかしさー。

そんな中、そのピリピリした不穏な空気を読まない人のようにわざわざ明るく振舞っていたお母さんは、
観てて恥ずかしくなるほどの野暮ったさも伴った、まるで滑った芸人のような(←これはユースケ氏の芸でもあると思う。「観てて恥ずかしくなる空回り」という一つの芸術)。
でも、ああ、実は彼女は裏でこんなに涙ぐましい努力で子どもたちを気遣っていたし、
つなぎとめようとしていたんだなあ、そうだったんだー。
ということや。

歌声が聞こえる部屋の外でお母さんが部屋内の様子を想像(妄想)していた、
みんな仲良くリバーサイドホテルを唱和しながらの組体操こそ、
叶えられなかった願望、夢だったんだな・・・と思うと
こっちも、泣けてきちゃった。

お母さんの、人知れずの嗚咽は、こよなく女々しい雰囲気ではあるけれども。
とうとう夫に別れを切り出してからの爆発ぶりは男らしいというか、母の強さを見せつけた。

冗談めいて妙に明るい振舞いの、一層下にある親のこまやかな情、そして夫に怯えてた弱い部分、
で、もっと掘ると更にその奥の層に、子どものために堪えていた女親ならではの強さがある、
全て同時に存在させられるこのお母さん、けど結構そういう複雑な女心を抱えていて離婚したくてもしなかったお母さん方って
世の中に結構居ると思う。
そんな人間を演じているのがユースケ氏(性別:男性)なので私はやっぱりファンをつづけてしまうのだった。


大団円は物語の時間内には決して来なかった。
これは私の予想だけど、あの話に続きがあるのなら、
数年を経たらば、お母さんはお父さんのことを結局は許してしまうのではないか。
そして息子たち娘たちも、歳をとるにつれ、いつかお互いを許してしまえるのではないか。
自分の正義にこだわる気持ちが上手に枯れていくのではないか。

そんな希望が見える気がするのは。認知症がすすんだあのおばあちゃんの心の中には
あまりにも綺麗なものしか残っていない、その様子から感じる。
人生の終わりに近くなって、ああ成れるのといいなあっていう、願望を感じた。

神共に居まして〜の歌を、唯一人だけまっとうに歌詞の意の通りの心持で歌っていたのは
逝ったおばあちゃんだけだったし、
円の中の哀しく愛しい諍いのことを眺め、誰の上にも平等に優しい視線を注いでいたのは、
観客以上におばあちゃんだけだったし。
そんなおばあちゃんのことを、誰もキライじゃなかったんだ。

研ナオコさん、ほんと可愛い。

※みんな良かったよー。特に長女が妹にどうしても歌わせようとするシーンとか
妹のだんなさんとお兄ちゃんのささやかな触れ合いとか
葬儀屋の可笑しいほうの人とか、細かいところが
ひとつひとつ。
で、円形劇場は観客席と役者さんの物理的な距離がめちゃめちゃ近くて。
でも
客席によっては、登場人物の表情のどれが見えてどれが見えてないか違ってくる。
※そこで、お勧めなのは
席を替えて(つまり二回以上の公演を)観ることなのかな。
先週の水曜日に観たけど、今週もう一回のチケットを持ってるので。







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いいなあ。きっといいにちがいない。いいにきまってる。(お知らせ) - 2010年11月01日(月)

私はこの回、観に行けないけど、多くの人には観てほしい(聴いて欲しい、かな)。

LOVE LETTERS(舞台)ユースケ・サンタマリア氏&永作博美
2010年12月14日(火)19:00〜  (PARCO劇場)

※永作さんと言えば。
私はユースケ氏が結婚したというおめでたいニュースの時は「良かったね」と思っただけだったけど、
なぜか永作さんと一緒のお仕事と聞くと何だかなんでだか妬けてしまう。


※夜に舞台を観に行くのは個人的な家庭の事情にて来年春あたりまでお預けをくらっているので、
多分、日輪の遺産の鑑賞まではサイト更新もできないかも、という見込み。


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