俳優ユースケ・サンタマリア氏を個人的趣味で鑑賞...いえもと(改名しました)

こちらでは、ユースケ氏の出演作品の中から、後世に残したいとまで気に入った作品&ここまでこのドラマを食い入るように観てるのって私だけだろうと思ったドラマを、筆者が勝手に必要以上に評価させて頂いています。ネタバレ有です。
ドラマのあらすじを知りたくない方にはお勧めできません。
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「ほんとにあった怖い話3 憑かれた家」フジテレビ 鏡の中の顔 - 2005年11月30日(水)

「ほんとにあった怖い話3 憑かれた家」フジテレビ 2003年9月放送

事故で息子の伸之が死んでしまって、妻とも別れてから、何の張り合いも生きがいもない、緑川律夫。
ユースケ氏の、虚脱感あふれる情けない表情がぴったりだ。
彼の生活は、とある一軒屋に引っ越してきてから、一変した。
そこにどうやら、子供の幽霊?がいるらしい。顔は見せずに足音と気配だけ。
律夫はそれを我が子だと信じた。信じたかった。
なんとかして、伸之に会いたい。伸之を喜ばせたい。律夫には生きる目的が復活した。子供に会いたい一心で、残業もせずにまっすぐ帰宅。

息子の好きな縫いぐるみが手に入るまで、ひたすらに小銭をつぎ込み続け、ゲーム機に向かって叩いたりどなったりしてる律夫の様子は、何かに取り憑かれてしまったかのような雰囲気だ。

※余談になるけれど、こんな風情のユースケ氏をどこかで観たような気がした。映画「ドッペルゲンガー」で、自分を裏切った早崎(役所浩司)に復讐するシーンだったかもしれない。一心にというか無心に早崎を凶器で殴るところ。そのときユースケ氏が演じた君島って男は、わりと俗物で、馬鹿そうに見えてて、でも執念深くて、なんだかカワイソウなくらい早崎に翻弄された人。
こんなふうに、ちとアブナイほどの粘着な感じを普通っぽい雰囲気の中に混ぜ込んで時折見せるユースケ氏もいい。

でもそんな律夫の異常なまでの必死な愛がこもった縫いぐるみは、その謎の子供に跳ね返されてしまい、空振りに終わる。
子供の心をつかみかねて、焦る律夫。
別れた妻の忠告にも耳を貸さずに、その子供のことに執着するのだった。

ある夜、子供の足音とともに、律夫の寝室の戸が開こうとする。いよいよ伸之に会えるのかどうなのか、期待がピークに達する律夫の表情に、非常に息が詰まる。
しかし幽霊「達」は、我が子ではなかった。その並ならぬ驚愕と失望。
やがて事情を知るにつれ、律夫には冷静さが戻ってくる。
見知らぬ子の霊達のために線香を立てて祈る彼の顔は柔らかい。

※また余談になるが、「ホームドラマ!」で、妻と息子を事故で亡くした悲しみを抱えつつ、擬似家族とのふれあいの中で、いつしか表情が和らいでいった秋庭智彦・ユースケ氏。こういう役が結構似合う。実際まだお子さんはいないユースケ氏だが、きっと情のあるパパになりそうだなあ、と想像するも嬉しい。

ラストでは、なにげないいつもの朝の身支度の、鏡の中の視界の端に映りこんだ見知らぬ子供の姿に、気づいているのに気づいていないような、
静かに何かを思っているような律夫の表情が、印象的だった。
その霊とは、面と向かっては関われないけれど、正視せずにワンクッション置いて見守る関係というか、共感を持って黙認している存在というか、仲間と言ってもいい、縁がある。
そんな子供の霊と並んで映る自分の姿と心に、律夫は向き合っている。
もうそこには、恐怖とか疑いとか焦りとかは、感じられない。かすかな悲哀混じりだけど、落ち着いた感じがある。
なくなった我が子への、もう届かない父親としての思いと、そこに漂う子供達の、永遠に満たされない親への思いとが、音も立てずにひっそり共存しようとしているひととき。
きっとその後も、そうやってその気持ちと折り合いをつけながら、虚しさをいつか乗り越えて、彼らと同居していくんだろうな・・・。

※またまた余談になるが、「鏡に映るユースケ氏」の顔って、なんかカッコイイ、と思うのは私だけだろうか?余談ついでに、私が見たことのある「鏡越しの顔」他の作品中のシーンをピックアップ。
☆「アルジャーノンに花束を」父親の営む床屋で散髪してもらい、自分の正体を言い出せずにじっと父親を見つめている藤島ハル
☆「お見合い結婚」これから節子とデートなので、過大な期待を膨らませつつ、念入りに身だしなみを整える広瀬光太郎
☆「踊る大捜査線」本店がもみ消したい暴行事件を世間に明らかにしようとしている恩田すみれについての事情を、青島とトイレでおしゃべりしたあと、手を洗う真下正義
・・・覚えているのはこれくらい。
普段見ている顔が、左右逆になると、なんとなく新鮮で、ステキなような気がする。それにこの鏡の顔は、ご本人がそれを見ながら容姿をチェックしているであろう顔なわけで、ご本人の自己イメージと合致しているものだろうから、それを垣間見せてもらえるシーンとして、誠に貴重だと思う次第。



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「Don't trust over 30」 ホリプロ・ナイロン100℃ ユースケ氏、初の「舞台」 - 2005年11月25日(金)

「ドント・トラスト・オーバー30」ホリプロ・ナイロン100℃  2003年5月上演 

個人的に、タイムスリップ物が特に好きだ。それも、飛んでいく時代とタイミングを自分ではコントロールできない時間旅行。既に人はもともと生まれてくる時代や場所を選べないし出会いも運命としかいいようがないけれど、そこに更にこの「タイムスリップ」という神様のいたずらが加わったとき、さあ一体どうするの、という設定が大好きだ。
一緒になるはずの二人はすれ違い、本来出会うはずのない男女がなぜか出会う。出会ってはいけない人を好きになって辛い。会えないはずの人を好きになれて嬉しい。そういうプラスマイナスないまぜの運命の贈り物って、(観ているほうとしてはあくまでも他人事だし、自分では絶対実感として味わえないから)すごく魅力的だ。
もしかしたら、私たちも所詮そんな時間の流れの運命いたずらに翻弄されてる存在なので、それを強調デフォルメしてくれてるこのシチュエーションに惹かれてしまうのかもしれない。どうせ短い人生で出会える人間も限られてるなら、その間に何を考えて感じていきるのかなあってことにときめいて過ごしたいという欲なのかも。

でも、特にこのお芝居には、「これってテーマやストーリーと何の関係があるのかなあ」という要素がすごく多い気がする。だから、それがまた楽しい。
結構長丁場の舞台で、最初は4時間半だったんだそうだ。泣く泣く削って3時間半におさめたものらしい。けれどそんなに長さを感じなかった。

テレビドラマは、一話完結物のせよ連続ストーリーにせよ、何かテーマがあったらそれに向かって不必要なものは大体そぎ落として作られているものだけれど、舞台ってこれまた違う。
その日・その夜、劇場に観に来たお客が、音楽や美術などの仕掛けも合わせて、役者の立ち居振る舞いとか雰囲気を、数時間の一回こっきりのうちに、しっかりと味わって楽しめるライブのしくみが求められてる。そうすると、いろーいろ枝葉末節に至って見所てんこ盛りだ。
テレビドラマが、有効成分を抽出したビタミンエッセンスドリンクを綺麗にグラスに注いであるんだとすると、舞台は、皮もまだ剥いていない野菜そのまんまの色とりどりが転がってるって感じがする。
どこから食べていいんだかとまどう。噛んでるうちにわかってくる、雑多な素材の雑多なおいしさ。
それは、リアルな日常生活に、より近い感覚かなと思う。普段関わる家族や友達やその他の人間たちは、人生テーマに一見関係ないこともしゃべるし、やってるし、新聞の経済欄読みながらも歯痛の心配していたりしながら明日のデートの都合を携帯メールしていたりするものだ。
もしそんな日常の一部分をそっくり切り取って舞台にのせてみれば、それこそ交錯しながら同時進行するテーマ達のための、膨大な大道具小道具と、横道にそれたBGMやセリフの数々だろう。
つまりこの舞台は、とりとめのない現実の世界をちょっと大げさにアレンジしてひねって見せてるものなので、別に一心不乱に人生のテーマを感じながら観ている必要なんかないのだ。そこにいるカラフルな仲間の繰り出してくるものを、一緒に生活しているように味わいつくしているだけで楽しめる。

ミュージカルと銘打っているけれど、歌に聴き惚れるための舞台じゃないし。(はっきり言って歌は上手とは言えない)
でもいつまでも耳に残って離れない面白い歌が満載だ。
好きな歌を個人的にランキングすると、
第1位 ゲバルト・ア・ゴーゴー(ピン子、モケ美、ローザ) 「ゴマ団子〜」の歌だ。わけのわからなさが、ダントツ最高だ。
第2位 金魚鉢(五十嵐アゲハ。エンディングでは全員) 歌詞を聴くと意味不明だけれど、物悲しくてやりきれない感じがすばらしい。
第3位 大変で行こう(田中レイコ) 面倒でも、まずは毎日歯を磨くことから始まるという、その趣旨に心から賛同する。秋山奈津子は歌がうまい。
第4位 プラマイゼロ(裕之介、全員) 深い哲学がノリ良く頭にこびりつく。上記の「いやでも毎日歯を磨け」とともに、この言葉も座右の銘にしたい。
第5位 距離のあるダンス(ユーイチ、レイコ) 所要時間のつじつまの合わなさが気に入った。二人のダンスもなんだかお洒落だし、微笑ましい。
第6位 暴力猿(アゲハ) 可笑しいけど、どこか懐かしい感じがする。犬山犬子が可愛い。

もちろんユースケ氏のファンとしての楽しみ方もある。ドラマでは観られない魅力。ほら、そこにユースケさんがいる、やだー何かおかしいこと言ってるよ、という楽しみだ。
きっと普段のユースケ氏と仮にもしもお友達だったら、こんな彼をいつも見られるんだろうな、と想像できる楽しみというか。
息きらして汗かいて歌ったあとの、観客に向かっての呼びかけとか。客席の間を通り抜けるときのにぎやかな様子とか。元気いっぱいに上空を飛んでいるのとか。最後の一本締めとか・・・。
その他、劇場ではワーッと浮かれて観てしまったけれど、後でビデオでシーンを確認してみて、ここは特に中山ユーイチがカッコイイor可笑しいなーと思ったところをピックアップすると。
☆タイムスリップしたばかりのユーイチが明らかに知らない通行人達にヒューヒュー言われていたくないんです、と困惑しながらツッコむ場面
☆不思議な少女メグミとの会話の端々に出る探りあいとかごまかし笑いなど、多彩な表情
☆メグミをいじめる不良少女に立腹して彼女達の足を踏んづけたりビンタを張る暴力的なユーイチ
☆トイレから出てきたレンゲに遭遇したときのあわてぶり
☆結婚式でのレイコのわがままぶりに、どんな顔をしていいかわからないでいるシーン
☆すっかり汚くなって笑顔を忘れたレイコに、笑顔を思い出させる際「ダンドリで笑うなよ」と指導するユーイチ
☆シャークスのヒデに「もしホエールズが勝ったらシャークスは解散、メグミにももう会わないと約束する、ほんとにそれでいいんですね」と、ユーイチが出し抜けに念を押す、ユーイチのハッタリだか本気だかわからない雰囲気
☆楽屋でのメグミと二人きりの会話のしみじみとした様子。未来のことを語ろうとしたユーイチにメグミが「言わないで!」と口をふさいだときのユーイチの表情がちょっと切ない
☆ひざの中に倒れ込んだ、歳とったメグミの髪を撫でながら、泣いている(実際に泣いているように見える)ユーイチ
※ユースケ氏の泣くときの表情として、代表的なパターンは
1、目がじっとりどこかを睨みながら情念を込めて一筋二筋静かに涙を流す(例・「眠れる森」の敬太、「あなたの隣・・・」の欧太郎)というものと、
2、思い切り八の字眉毛で子供のように情けなく泣く(例・「お見合い結婚」の光太郎、「アルジャーノン」のまだ悟りを開いてないハル)というのがある。
このラストの場合、どちらかというと2に分類されるかと思うが、なぜかそんなに終末的な悲しさという感じはしない。どこかに「また会える」という希望がわずかに潜んでいるから?

また、この舞台を見て、思わぬ拾い物をしたなあと思ったのは、ユースケ氏が、若いころのマチャアキに似ていると言われれば、確かに似ているね、と教えられたことであった。なるほどね・・・とても考えさせられた。




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