こちらでは、ユースケ氏の出演作品の中から、後世に残したいとまで気に入った作品&ここまでこのドラマを食い入るように観てるのって私だけだろうと思ったドラマを、筆者が勝手に必要以上に評価させて頂いています。ネタバレ有です。
「アルジャーノンに花束を」フジテレビ その2 ハルの心の変化 - 2005年10月02日(日) その2 ハルの心の変化 ☆第1話〜第2話 知能は幼児並みだけれど、もともと明るくて人間が好きで、人が笑っていれば幸せ。からかわれても、いつも笑っている。母親に認められ受け入れられる日を心待ちにして、頭が良くなりたいと頑張っている。母に捨てられたことなど全く思いも及ばない。学校のエリナ先生が大好き。エリナを好きだという晴彦の存在は、同志だと感じている。エリナ先生を喜ばせたいと懸命になるが、低い知能が災いして、うまくいかないこともある。頭が良くなれば、きっと母も迎えに来てくれるし、同僚とも更に仲良くなれると信じて、実験的脳手術をうける第一号となる。 ☆第3話〜第4話 頭がよくなる手術を受けたはずなのに成果が出ないことで、初めて自分の能力に対して悲しみを覚える。しかし知能が上昇してくると、今まで理解できなかったことが理解でき、難しかった料理などもできるようになって、今までにない喜びを味わう。 しかし同時に、自分によせられる感情が、好意だけではなく、パン屋の同僚に見下されていることがわかってしまう。笑われても嬉しく思えない。そして実は母親に捨てられたということも悟ってしまう。 ☆第5話〜第6話前半 本当は同僚からは笑いものにされていたこと・彼らはハルの頭が良くなることを望んではいないことなどを実感してしまい、ハルの中に憎しみが生まれる。馬鹿にされたくないというプライドが強くなる。世話をしてくれていた桜井恭子にも不信感をあらわにしてしまう。母親に会いに行くが拒絶され、人間不信に拍車をかける。エリナに対する好意も、恋愛感情に変わり始め、その感情をどう扱っていいかわからず、もてあまし気味。友達だと思っていた晴彦に対して、嫉妬という感情が芽生える。まだまだ小学生レベルの成長段階かと思われる。 ☆第6話〜第7話前半 パン屋を出て大学に住み、研究にいそしむ。知能は天才の域に達したのに、人間とどうつきあっていいかわからない未熟。自分を実験材料として扱う建部教授への軽蔑・怒り。と同時に、知能の低い人間を、かつての自分の姿とダブらせ、嫌悪する。エリナに恋する自分への晴彦の友情を信じることができず、晴彦の立場に届かない自分に引け目を感じる。自己嫌悪と人間不信が表裏一体となっている。そして自分の受けた脳手術に対する、ある疑いが芽生え始める。 ☆第7話後半〜第8話 この手術の結末を知ってしまう。自分の知能は今後どんどん下がってしまい、もと以下にまで達するだろうとわかってからは、高い知能のある今のうちに自分のできることをきちんとしておこうとの思いもあり、エリナに自分の恋を告白する。しかもエリナの気持ちの負担にならないように・かつ本当の愛情を誠実に伝えるという、やや理屈っぽい大人の告白をやり遂げる。その上で、小さなプライドはあえて乗り越え、学術的な真実を訴えるため、学会への出席を決意。道すがら思いがけず実の妹に出会うが、彼女の幸せを壊したくないので、名乗らずに握手だけするハル。相当な大人に脱皮。しかし真実を知った妹・冬美が会いに来る。兄貴として一日だけのデートを楽しむが、高い知能の兄の姿だけ知っていて欲しいという思いで、「外国へ行く」と嘘をついて、母を許してあげて欲しいと告げ、別れる。その後建部教授らと和解し、協力して知能低下防止への道を探る。結果としては知能の低下は避けられなかったけれど、ハルにとっては人の善意を信じられる出来事となり、大きな収穫を得た。 ☆第9話〜第10話 ともすると恐怖と悲しみに襲われながらも、知能がすっかり元に戻るまでの残された時間を、大切に使おうとするハル。自分の症例をきちんと論文にまとめる作業。自分の運命を、少しでも世の中に役立てて欲しいという思い。会いたかった父親にも会いに行くことができたが、既に幸せな家庭を持っている父親に、名乗ることはできなかった。エリナに対する愛情もすっかり昇華して、「生まれてきて良かった」「知能が高くなって良かった」と、周囲の人間に対する理解や感謝を深めていき、エリナの罪の意識を取り除こうとする。晴彦との友情も復活し、エリナの幸せを晴彦に強く託していく。そして今一度、母親に会って、生み育ててくれたことに「ありがとう」と伝えることができるまでになる。自分の人生を愛する心が戻り、他人の幸せを強く願うようになった。無私の愛情にたどり着いたハルは、すでに悟りの境地といえる。 ☆第11話 子供→思春期→青年→老年?と心の成長を一気に駆け抜けてきて、赤ちゃんのように純な善意でいっぱいになったハルに、もはや恋の悩みもなく、ただ愛する人の笑顔が見たいだけ。パン屋の同僚もハルを暖かく見守って暮らしているし、ミキちゃんはかつてのハルを目標に前向きに生きている。晴彦とエリナはそんなハルの気持ちをありがたく頂いて、幸せな家庭を作る決心をする。そしてそんなハルの祈りが通じたのか、母はやっとハルを受け入れられる母親に成長した。ラストの幸せはハル自身が呼び込んだものだろう。まったくもって大団円である。 - 「アルジャーノンに花束を」フジテレビ その1 原作とは別物 - 2005年10月01日(土) 初回放送から、もう3年も経ってしまったけれど、いつまでも忘れられない。 3周年記念ということで、感想文を書いてみる。 「アルジャーノンに花束を」フジテレビ 2002年秋 ※このドラマのせいで私はユースケ氏のファンになってしまったのだった。 その1 原作とはまた違う、テレビドラマの良さ 当時は賛否両論あったようだけれど、あまり原作にとらわれずに鑑賞するのがよいのでは。 時間も場所も人間関係も設定を変えてあるし、原作とは別な作品と思ったほうがいい。 けれど題名も原作と同じなのだから、簡単に比較してみると。 原作では、チャーリィとアリスの間に恋のライバルはない→ドラマでは、エリナは晴彦とカップルで、ハルはエリナのことを最後は晴彦に託す。 原作では、チャーリィには性に関する罪悪感が根強くある→ドラマでは、性的なコンプレックスはあまり取り上げられていない。 原作のラストでは、知能が元に戻ってゆくチャーリィの、誰にも迷惑かけたくないというような悲壮な感じの遺書的な覚悟が前面に出ている→ドラマでは、その段階を通過した後に通り越し、最終話では更に「原作の続き」が描かれて、ついに母親がハルを受け入れる。(この「続き」を蛇足だと感じる人もいると思う) その他細かく書けば違いが諸々あるけれど。 ドラマは、原作という素材の中から、ある特定のテーマをクローズアップして、独自の物語に仕上げている。これはこれで私は好きなのだ。 この脚本では、あらゆる登場人物が、最後は結局ほとんど善人になっていく。これは好き嫌いが分かれるところだと思う。でも私はこれが好きなのだ。 ここまで周りの人間たちを優しくしたのは、つまるところ「ハル」という人間の人間性が、そうさせたのだと思う。 ハルが人を許すから、周囲もハルに感化されて幸せになっていったと考えられる。 このドラマは「アルジャーノンに花束を」の一見ありえないような設定を借りて、一人の人間の成長&周りの人間の成長を書きたかったのかもしれない。 -
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