私の雑記帳
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毎日、父の入院している病院に行く。 前回も感じたが、スタッフは悪くないが病院はよくない。 正直、私なら絶対に入りたくない病院だ。
時期も場所も違うが、知り合いがその病院で子供を亡くしている。 友達のお父さんがひどい告知のされ方をしてあっけなく亡くなっている。
しかし父は親友の息子に診て貰っていて、その紹介なので文句は言えない。
救急のベッドから3日目でようやく病棟に移ったが、4人部屋を6人に作り変えたような狭さで、まるで寝台車並みの狭さである、しかも薄暗い。 システムもよくない。目と鼻の先に、市立病院がありそちらの方が立て替えもありよほどマシだ。 なぜこちらは作り変えられないのだろうか? あの部屋ではいかにも惨めだ。 前回は個室に入ったが、高い割りにやはり程度が悪かったこと、父は出来れば色々な人と話をしたかったこともあり、今回は個室を見送った。しかし、この部屋に決まり、父はすぐに個室が空けばそちらに移りたいと病院に申し出ていた。 街中にあるから、狭くてもしょうがないのか?駐車場も数台しかない。総合病院なのに。 正直なところ、最悪な病院だと思う。医師も忙しいのだろうが紹介の割りに懇意には診てくれない。一方的な治療方針、腹立たしいこともある。
父は年老いて、ぼけてはいないものの、物の道理がわからないことがある。とにかく、身体も頭も老いたのである。そういう親を見るのは心底辛い。 私の子供達は、父を見舞おうとはしない。面倒だからである。子供である私と孫である子供達では、やはり温度差もある。
自分の生活もままならないのに、また父の入院しかも確実に衰えている父を見るだに、今後私はどうすればいいのか途方にくれる。
最近こうして夜更かしをするのは心が落ち着かない、ざわざわしているからだと思う。 私は私の居場所、生活の基盤がない。何のとりえもない中年女が私。
嫌だ嫌だ、苦しい・・と叫びたい。 助けてーと叫びたい。
老いた父親がいて、宗教に狂った頭もおかしい母親がいて、学生の子供が二人いて、私はどうしたらいいのだろう。どうにもならない。 苦しくてたまらないけれど、こういうただ吐き出すだけの日記をミクシには書けない。だから、ここでひっそりと吐き出している。 早く早く、自分の基盤が欲しい。
父、急に悪化し入院。 全く日赤はロクなもんじゃない。 しかし諸々の事情でどうしようもない。
父は衰えて、頭も衰えて、とろい。
これからまた毎日、病院通いが始まる。 ああ、しんどいなあ。
2010年02月27日(土) |
緊張してたまらない・・ |
お世話になっている知人のお父様がお亡くなりになり、 その知人が喪主に・・。 今夜が通夜で、私も行かないわけにはいかない。 明日は留守宅の留守番を頼まれた。 留守番って何を着ていくのかとか、とにかく冠婚葬祭全てに 弱い私は、戸惑うことばかり。 そもそも通夜のことだってよくわかっていない。 焼香も、それらしく出来ているとは思うが正直いつも緊張して 心臓がバクバクしてしまう・・。 いい年をして恥をかきたくないが、なにせ経験値も低いので・・。
そうしたら、父から電話で父方の伯母が亡くなり、 やはり今日明日が通夜葬儀だという。 冬場のお葬式は、あるときは立て続けにあったりする・・。 やはり身体によくないのかね、寒いのは。
他者とはわかりあえないという孤独感。
私をわかって欲しいと思う反面、親しい友人との 間にも深い深い溝を感じてしまう。 誰とも分かり合えないのだろうか。 共有できないのだろうか。
2010年01月31日(日) |
過去の日記の所在とかいろいろ |
(数日前にmixiに書いた日記から)
ずっとログインしなかったので削除されてしまったと思った過去のenpitu(別のIDの)日記が復活した。 消えてしまったことが諦めきれずに、殆ど使っていないメールアドレスの中身を隈なく漁り、当時の自分のIDを発見。たぶん使っていたと思われるパスワードを入れると、なんと日記が復活。5年ぶりに日記を更新しておいた。しかし、あの日記をやめたのは5年も前だったのか・・と思う。私は今回読み返すまで自分の日記のタイトルもそこでの名前も忘れていた。 自分の日記など読み返したくないし、特にあの頃の自分はかなり冬の時代だったので思い出したくないのだがお気に入りに入れておいた数人の日記のことが気になっていて、それがわかって嬉しい。でも二人くらいはやはり日記が消えていた。
古い記憶をたどってみると、たしか私がそこの日記を始めたのは2002年頃だったと思う。そこがまだ無料で日記開設できた時代。個人的に2000年ころから数年間は怒涛の時代だったので当時を細かく思い出したくないが、とにかく1度はその日記をやめてしまった。鬱々とした日記が多かったと思う。今でもだけど。 ほったらかしにしておいたら、無料版だったこともあり確か日記が消えてしまったと思う。それで新しくIDをとって2004年頃に再び日記を書き始めたが、そのときは有料で私は1年だけ会費を払っていた。 そのときに経緯は忘れたが、その無料版時代の消えた日記を復活してもらえないか、事務局に問い合わせたと記憶している。(そして確か復活してもらって、自分の新しい日記にお気に入り登録してあったはず)
2度も同じ失敗をして恥ずかしいが、とにかく今回2004年頃の日記が自分で復活できたのは1度でもお金を払った有料版だったからなのかもしれない。 しかしとにかく、そもそもIDがわからなければ問い合わせも何もない。 今回、一応復活した日記の中のお気に入り登録から、たぶん自分の一番古いIDを発見した。名前もタイトルも消えているので確証はないけれどたぶん、それだと思う。ダメ元で再び戻してもらえないか問い合わせてみようと思う。そこにはやはりお気に入り登録した日記が存在するはず・・。
当時、というのは離婚前だけれど、その日記サイトから私はある地元の主婦の日記から彼女のHPを知るようになり、そこの掲示版に顔を出すようになった。そこに来るのは私以外に一人か二人。こじんまりとしていて居心地がよかった。ネット上とはいえ親しくなってきて、少しずつ個人情報を知らせあうようになり(どの辺に住んでいるとか)、それで彼女が私の実家の斜め前に住んでいた一家の長女だということが判明した。本当にびっくりするような出来事だった。交流こそなかったけれど当然名前も知っていたし私より3つ上で高校も同じだった。一家は彼女が高校を卒業するかしないかの時に市内の北の方に引っ越してしまっていたが。 とにかく大人になってから、偶然にも交流を持つことが出来、もう一人の常連さん(埼玉在住)を含めて3人でお茶会もした。彼女は遅い結婚だったようで、当時子供が3歳くらいで二人目がお腹にいるという状況だった。 私も今思うと激動の時代がスタートした頃で、その後自分の離婚もあり忙しく、彼女もまた忙しく、結局そのHPは閉鎖してしまった。今では年賀状のやりとりしかなく、今年の年賀状には「私はmixi廃人になっています」と書かれていた。やはりmixiやってるんだなぁとは思ったが、それ以上踏み込めない空気があった。本当はまたお会いしたいのだけれど、向こうはそれほどでもないと思う。年賀状も私が出すので、やっと返事をくれる状態。
話が長くなったけれど、ここ(mixi)での名前を「椿」にした由来なのだが、その当時の思い出から。地元伊勢丹の並びに「椿」という渋い店があり、彼女がその店のことを日記に書いたのである。それで私も最近行ったということをコメントしたら「椿にいらっしゃったのですね・・」と返事があった。その時の日記がとても素敵だったこと、そして、その店がまもなく閉店してしまったこともあり、椿という名がその頃の思い出と共にずっと心に残っていたことに由来する。 ちなみにそのBBSで私は彼女からなぜか「マダム」と呼ばれていた。マダムのイメージは彼女の方であったはずなのに。彼女はピアノと絵が上手で頭もよくて、それからカッコよく煙草を吸っていた。妊娠八ヶ月でも平気だった。今思うとちょっと歎美な感じだったのかもしれない。 きっかけは忘れたけれど、彼女は私をいつもマダムと呼んでいた。彼女は当時まだ小さかった長女と会って「この子は早く大人になっちゃうねー」と言っていた。親のドタバタや私の不安定さを見て、精神的に早く自立せざるを得なかった長女の気質を見抜いていたフシがある。私が娘達のことをクソガキと書いたら「マダムのクレバーなお子さんをウンコ児童呼ばわりはいけません」と言われたりした。彼女の息子こそ、まだ3、4歳でも見るからに利発そうな顔をしていてまさしく「栴檀は双葉より芳し」であった。
過去は思い出したくないけれど、そんな懐かしい思い出もある。読み返さないけれど、その頃の日記は残しておきたいなんて、ほったらかしていたくせに矛盾しているのだが
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