私の雑記帳
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2009年04月08日(水) 節目

紆余曲折あったが、長女が無事に高校に合格できた。
その高校に惚れぬいて、もっと確実に合格できる学校を選んだほうがよくないか?と先生に言われても頑として志望校を変えなかった娘の思いが叶えられて嬉しい。
合格発表の当日、発表の5分前になり「ではそろそろ見に行ってくるよ」といいながら、車の中で待機している私に唐突によこした手紙には「あのテストの結果ではたぶん落ちていると思う。お母さんを憎んだこともあったけれど今では感謝している、これからも一生よろしく」というようなことが書かれていてこれ以上ないというくらい切なくなった。そして数分後に「(番号が)あった・・」と言った後、声にならずに泣いていた娘。切望していた高校に奇跡的に合格できて(たぶん本当にギリギリだったと思う)本当に私も嬉しかった。
私の受験した時代と違い、今は不合格が珍しくない。あとから、知った名前の子が何人かダメだったという話を聞くと今更ながら切なくなる。

3月はそんな長女の受験があり、子供たち二人とも卒業式があり、月曜にはは中学と高校それぞれの入学式があった。私は中学のほうに行かなければならないが、高校の入学式も見てみたかった。私自身もその昔、憧れた高校なので。

卒業式が二日続いたので緊張して感慨に浸ることも出来なかったが、中学も最後は良い先生と良いクラスに恵まれたとしみじみ思う。次女の中学校生活も友達に恵まれますようにと願う。
妹が私に言った「人生究極には、健康な体と友達さえいれば生きていける」という言葉をあらためてかみしめている。


2009年03月17日(火) 春はやってきたけれど

眠剤を飲むから眠るけど夜中に必ず目が覚める。
娘が地元難関高に奇跡的に合格し、ほっとしたのもつかの間、己のふがいない現実にまた気が滅入る日が続いている。
私は子供の足を引っ張ってばかり・・。子供に申し訳ない。とても辛い。そう思うと、指の痛みはどんどん増してくるし腎臓界隈の痛みも増す。痛いのは事実なのに疾患ではないと言う事実。
明日は次女の卒業式で、明後日が長女の卒業式。今年の春はめまぐるしく忙しい。


2009年02月20日(金) 苦しい

食欲が全くない。精神的に参っているが正直これほどお腹が空かないと気味が悪いくらい。ダイエットになって嬉しいとは全く思えない。食事が美味しくいただけないのは不健康だし不幸だ。
今日は次女の中学の説明会に行ってきた。すでに長女で経験したことなのでそれほど気は重くなかったが、この学年のお母さんたちとあまり親しくない。親しくなりたいわけじゃないけど、ちょっと馴染めないことが気が重い。

相変わらず指もしびれて腎臓界隈も痛い。イヤになる。


2009年02月19日(木) パキシル復活

どうにも辛くて心療内科を受診し、先生と話す。
数年ぶりにパキシルを服用することになった。
手の痺れや右腎臓の痛みはたぶん、心の問題が原因なのだろう。
ある程度、自分がわかってくると以前よりそういった症状の出るハードルが低くなるのだそうだ。つまり早めにSOSを出すようになるらしい。
パキシルはかつて飲んでいた薬なので怖くはない。
とにかくいまは辛い。でも昔の自分に戻ったわけではない。
今は娘ともうまくいっている。親子関係はかなり良好だと思う。
それはとても幸せだと思える。
だから、頑張ろう、もう少しだから頑張ろう。

私はダメな人間だけど、きっともう少しマシになれると思う。
なにかきっかけさえあればきっとマトモになれる。
もう少し、きっともう少しだから。


2009年02月16日(月) 気疲れ

娘が、併願した私学(いわゆる滑り止め)の高校を合格した。
まわりも受かっていたが、とにかく第一希望の理数科の方で
合格したことをまずは喜びたい。

でも娘の親友は特待で合格した。
彼女は地元の一番の進学校を希望していたのだが直前のテスト点が思わしくなく、
うちの娘と同じ公立高校に志望校をひとつ下げたのだ。
それでも、地元一番の進学校を受ける子たちを抜いて
滑り止めとはいえ、特待合格なのである。

よそと比べることは無意味だ。
なんとか本命の公立に受かって欲しい・・・。


pearl〈パール〉 |MAIL

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