私の雑記帳
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2007年09月10日(月) 蓄積

今日の昼ごろに、すぐ近所の知人(私より3つ上なだけ)が
パート先で突然倒れ、救急車で運ばれたものの、脳に出血があり
緊急手術になったそうだと共通の友人からの電話で知り、動揺。
彼女は睡眠時間が約4時間で、もともと丈夫ではないのに
体に無理をしているように見えたが、まさか倒れるとは・・。
(体を大事にしようと、いつも声をかけていたのに・・。)
自分の限界を超えて無理をするというのは、結局のところ
自分の体に返ってくるのだと、思い知らされたような
気がした。
自律神経が悪くて調子が悪い私の場合も、体のためには
早く寝ることが一番、量の問題もあるが、やはり早寝が一番のようで、
それも、悪くするのに何年もかかったのだから、早寝の習慣も
年単位で続けなくては、良くなることは難しい。
とにかく、長い戦いだと思って地道に努力するしかないのだと思う。


2007年09月07日(金) 元気が一番

次女が、二泊三日の自然体験教室(校外学習)から
無事に帰ってきた。
行き先は富士山で、朝霧の研修センターに滞在。
今回の台風の影響で予定は大幅に変更になったが。

学校からは逐一、状況報告のメールがくる。
なんだかんだ言っても、全員無事の言葉に安堵。
学校からのメール配信システムのおかげで
ずいぶん便利な世の中になったものだ。

正直、次女がいなくて寂しかった。
お天気のこともあったのでちょっと心配もした。
生き物と暮らすというのは、それだけ大きな心配を一生にわたって
背負いながら生きるわけで、親というのはまったく割に合わないし
とにかくしんどい。
しかしいつの間にか精神的に依存する存在になってしまっている。
まったく情けない私。

とにかく、生きていてくれるだけで何よりの親孝行なんだと
しみじみ思う。
以前テレビで五嶋節さんが、「子供に望むことは?」の問いに
「元気で長生きしてほしい」と答えていたが、本当にそれに尽きる。




2007年09月03日(月) 少し残念

中学で行われる合唱コンクールのクラス伴奏、長女は
オーディションで落とされ、同じピアノ教室に通う、
レベル的には格下の男の子に負けた。(勝ち負けという
言い方は、いやらしいが)
たまたま、ピアノの先生と今日久しぶりにお茶をしたが
今回のうちのクラスの曲は「島唄」で、伴奏は難しくない。
選ばれたY君はその曲のCDを買って猛練習した甲斐があり
リズムは抜群にうまくなっていたそうだ。
先生の話だと、伴奏譜がもっと難しければ、Y君は
ひきこなせなかっただろうとのこと。多少技術で
勝っていても、曲が楽だったおかげで同じ土俵での
勝負になり、そうすると、今回の曲はY君の方が
「出来ていた」のだろうと思う。
長女はたぶん自分が弾きたかっただろうが、ならば
もっと練習すべきだった。今年のクラスでは、間違いなく
自分が伴奏だとタカをくくっていたのだと思う。
しかしながら、長女にはピアノのセンスがない。
才能がないのだと思う。しかもピアノは親に強制されて
イヤイヤやっていると、まだ思っている。
単純に音楽が好きになってもらいたいという親の心子知らず、
で、娘は今後何かしらの気づきがない限り、上達は期待
出来ない。そう思うと、ちょっと哀れである。
長女は私にそっくりで、感情が激しく揺れ動きやすい。
心のコンディションが一定でないのが、弱点である。
のんきな次女なんかより、猛烈に頑張ったりするのだが
落ち込んだときのふてくされ方が、どうしようもなく、
こちらの腹も立つ。

先生ははっきりとは言わないが、ピアノのセンスは実は
次女のほうがあるらしい。次女にないものは、闘争心である。
そして、音楽そのものに興味がない。
性格は持って生まれたものであるから、親がどうにもしようがない
とも思うが、根気よく興味を持つようになるまで待つしかないのかな。
細々とでも続けて、長く音楽が身近にある環境は維持したいと
思う。それにしても、次女は本当に練習しなくて困る。
放っておけば1週間の練習がゼロだったりするのだ。
怒鳴ってまでやらせたくはないが、怒鳴らないとやらないのには
困ったもの。

 長女は結局、指揮をやる。Y君とは去年も同じクラスで、
去年は長女が伴奏でY君が指揮だった。偶然だが、今年は
その組み合わせが入れ替わったことになる。
気持ちを早く入れ替えて、すっかり滞っていた通常の基本の
稽古をまた頑張ってやってもらいたいと思う。

仕事が一区切り付いたので、昨日今日と休んだが明日にはまた
次の分の仕事が届く。私にはまた怒涛のような仕事に追われる日が
待っている。肩も指もきついなあ。


2007年08月31日(金) 虫の音

仕事でキーボードをたたく日々。

子供たちの学校も始まり、少しずつだが夏が去っていく。

昨年の7月に彼と逢ってからもう1年が過ぎた。
1年も逢えないとは思わなかったが、逢えないことが
もう当たり前になっている。
しかし、昨年は娘を泣かせてまで彼と会ったのが罰が
あたったのだろうか。
迷ったが、3ヶ月ぶりで彼と電話で話した。
いつもと同じように「どうもこうもない」と彼は言ったが
入院していた母親が今月10日に亡くなったそうで、
いろいろ大変だったらしい。昨年、父親が亡くなって
今年は母親である。だが、それほど落ち込んでいる感じは
なかった。仕事のことや生活のことで、
それどころではないのだろう。
私は彼の何が好きなのかよくわからない。
私は愛されていない。
40代というのは過酷である。もうやり直すには
遅いのかもしれない。
誰かと新しく始めたいと思っても、私と価値観の同じ
人でなければうまくいかないし、そんな相手はいない。

私は何のために生きているのかと思う。
惨めな生活はこれからも続き、待っているのはひたすら
現実と老いである。
こんな気持ちは、彼にはまったくわからないだろう。

いつも変わらず私は混迷の中にいる。

私は他者の存在なしに、幸せや楽しみを見つけることは
できないのだろうか?
なにも進歩がないのなら、せめて絶えず感じる苦しみからは
開放されたい。馬鹿に思われていいから、
ぼんやりとした心持でいたい。
だが、苦しいと思うから人生なのだろうか?

いま目の前にある仕事を終えるまでは、あまり苦しいことは
思い出さないかもしれない。
でもそれは仕事がきついということであり、私の体が
悲鳴をあげているのである。

いつの間にか蝉の声はなくなり、夜には秋の虫の音が聞こえてくる。
私にも穏やかな日常はやってくるのだろうか・・。


2007年08月26日(日) どうにかして〜

ここ数日、今朝もそうだが腰の痛みで眼が覚める。
寝ても覚めてもという言葉があるが、身体はだるいし
横になれば椎間板ヘルニアが痛いということになり休まらない。

昨日、父が転んで足を強打し救急に連れて行く。
骨に異常はなかったが、傷口が深いので少し縫った。
救急外来を受診する事も縫うこともかたくなに拒否している
父を説き伏せるのに一苦労。結果的にはやはり受診してよかったのだが。
月曜から父の傷の成形外科通いが加わる。
朝から行っても総合病院だから半日がかりだろう。

私の血圧の薬もいよいよ今日で切れるが
まだ受診できていなくて困った。月曜の午後に
なんとか行って来たいが。

しかし、腰である。
咳でもしようものなら激痛で飛び上がるほど痛い。
ブロック注射も効果なしで、もうなにも打つ手なし。
歩くのは平気なんだけど、横になると痛くてたまらない。

痛い痛いと書いたってどうにもならないのだけど。
明日から長女は学校が始まるので、しっかりしないと!!


pearl〈パール〉 |MAIL

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