私の雑記帳
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今日は父の誕生日である。77歳、喜寿だ。
生まれたときにすぐに心臓が止まったり、お産婆さんに この子は大きくなれないよ、と言われた出生だったが、 寿命があったのか、77歳だ。
キチガイの母との生活は父にとって(私や妹も) 人生最大の不幸である。
でもなんとか生きている。体重が40キロない(37キロくらい) ひ弱な小さな体で、細々と生きている。
人生の落伍者である娘の私は、近くにいて何もしてやれない。 それどころか、年老いて醜くなり衰えた父を日々疎ましく思う。 私だって辛いのだ。
父が生きている間に、何とかなりたいと、祈るような気持ちである。
今日の昼過ぎに玄関外の傘立ての傘に放火され、炎が天井近くまで燃え上がっていたところを、通りかかった別部屋の住人の知らせで知り、慌てて消火。大事には至らなかったものの、4階建ての3階にある我が家を狙ったものなのか、わからない。大家にも知らせ、警察にも通報し事情を話すが、被害は傘1本であったこともあり、正式な被害届けは出さないことになった。被害届けをだせば、捜査でマンションの住民全軒にも警察の調査などが入ることになり、まあ平たく言えば話が大きくなり、ここに住む以上、感情的に面倒なことにもなりかねないというのである。 しかし、被害届けを出さないということまでも、一筆書かされた。誠に事務的ではある。 わざわざよそから放火に来たとは考えにくいが同じ建物の住民だとしたら、ちょっと気になる家が2軒くらいある。(うちが恨まれているとは思えないが) 被害届けをださないとは言っても、もちろん警察ではこの記録は残るそうで(現場写真も撮って行った)、今後パトロールを強化してくれるという。
うちは角部屋であり、炎はかなりの高さで黒い煤(すす)は、天井まで達している。状況から見てわざわざ放火しなければあんなには燃えない。タバコのポイ捨て程度ではたった傘1本に火はつかないだろう。
いやな事件だ。事情聴取では、怨恨の可能性で子供の交友関係まで聞かれた。 恨みと言えば、私だって思い出したくない過去まで記憶をさかのぼり、逆恨みされているのかと思ってみたり。しかし何年もたって住所を調べて傘に放火するかなぁ。
何を思ってみても、どうしようもないのだけれど、なんだかんだすっかり落ち込んだ。いやだいやだ。
2007年06月27日(水) |
相変わらずに、生きている |
先月の誕生日の次の日に、気まぐれに電話で占い(霊感)をしてもらったが、彼から近いうちに電話があるだろうという話だった。1〜2週間以内、遅くてもひと月以内と言った。彼と最後に話したのはずいぶん前で、その後は音沙汰もなく、月末になると月々の返済金を振り込んでくれるだけだった。電話があるかもしれないと少し期待したが、やはりない。占いで言われたリミットまであと1日となった今夜、突然電話がなった。 用事ではなかったが「生きてるか?」とだけ言った。 彼は相変わらずマイペースであり、私の入り込む隙間がない。私を愛していないのは明らかだが、そのことにいちいち虚しくなって悲しみたくはないと覚悟は出来ていた。 キャロル・キングが来日するらしいという話を、もし電話があったらしようと思っていたのに、すっかり忘れていたな。 わたしは彼が70年代の洋楽の話をしている時が一番好きだった。たぶん、それだけ。だから彼の存在もそのくらいの割合で、心に留めておきたいと思う。 そういえば最後に逢ってから今日で10ヶ月。これでまたしばらく彼と話すこともないだろう。そうやって彼が遠い人になる。
子供たちのピアノの発表会、今年は最初でたぶん最後?の姉妹連弾もあり、先はわからないが節目の年と思い、特に力を入れて、年明け早々から取り組んできた。
実は直前に思いがけない事件が私にも娘にもあり動揺した本番ではあったが、出来は75点くらい。もっと仕上がって欲しかったが、こんなものだろう。 いろいろ思うことは沢山ある。でもとにかく終わった。親の思い出作りのためにやらされているとしたら可哀相にも思うが、親の強制無くしては、上手くなるはずもない。 娘たちはピアノも音楽もたいして好きではない。私がやめてよいと言ったら、たぶん続けたいとは言わないだろう。それを思うと虚しくなる。 弾けるようになりたかったのは、他でもない私自身だったのだから虚しいのも仕方ない。 今年は最後から2番目に弾く、気難しい長女の念願で、従姉妹(私の姪・小1)を私が前日に三鷹に迎えに行き、当日に大きなバラの花束を渡してもらうという段取りに、どれだけ手間がかかったことか。そうまでしても、今年長女には気持ちよく弾いてもらいたいという、出来る限り最大限の私の配慮であった。 1分もじっとしていられない手のかかる姪を連れてくるにあたって大きなリスクもあり、また私と妹との関係も難しいところにあり、本当にぎりぎりのところでの決断だった。花を渡すだけのことながら、親である私から花束を貰うのは嫌だという。しかし、姪以外に適任者はいない。その子の親である私の妹は下の子供(2歳)に手がかかり、どうしても来られないという。だから私が迎えに行き、ご機嫌をとり、なんとか花束贈呈をやって「いただき」、三鷹までまた送り届けた。正直、姪には手を焼いたがこちらの頼みごとに、文句は一切言えない。 それでも発表会が、なんとか済んでくれてほっとした。 今朝になり、先生(私は個人的にも仲良く付き合ってもらっている)から電話があり、まあまあよかったという話と、彼女の兄嫁さん(そちらはもっとすごい先生で、毎年発表会の手伝いに来る。辛口で厳しい人)が、40人の出演者のなかで今回褒めた2〜3人のなかに次女の名前があったというのである。もともと野心?のある子や親のくるようなレベルの教室ではなく、とくにうちの次女は、同年代では下手な方だと思っているぐらいなので、まったく思いがけないことだった。もっときちんと練習させれば、あるいは長女より上手くなるのかもしれない。長女は感情の起伏が激しく(私に似ている)、ピアノを憎んでいるようなところがある。見ていてわかるが、弾き方も(指の形)きれいではない。何度も注意されているが、変な癖が直らない。だからきれいな音が出ない。致命的かもしれない。
次女は、やる気も向上心も無いが、何も考えていない分、素直に吸収できるところはある。とにかくまさか、あの厳しい人が少しでも褒めたというのは本当に驚いたし嬉しかった。といっても所詮はなにもかも親の自己満足だが。
うちにはオルガンに毛が生えた程度のグラビノーバしかなく、ハッキリ言ってそれでは練習にはならない。でもピアノを置ける環境ではなくまたお金もない。続けさせるには、なんとかしなければ、と焦りが強くなってはいる。本当はやっぱりピアノが欲しい。そもそも今うちはピアノを習える状況ではなく、かなり無理をした大きな贅沢であることも私の胸のつかえになっている。いまの私の置かれた状況では分不相応もはなはだしいと自分でよくわかっている。
☆
頑張らなければ、と思う気持ちと、何もかもが虚しい気持ちが入り乱れている。暗闇に引き込まれそうなのだが、気持ちを切り替えて落ち着きを取り戻そうと、いま懸命になっている。いやでも辛くても、やはり生きなければならない。
三鷹で妹に思いがけない、きついことを言われた。 それはお互いの考え方の違いであるから、私は形こそ謝罪したが、ショックはおおきく、やはりどこまでいっても妹とは分かり合えないのだと心底身に沁みた。妹に気づかれぬよう私は、声を殺して泣いた。 身内だろうが血のつながりがあろうが、他者とは分かり合えない。 大人になってから、元は私の失言からだったとしても、私の心に残るいくつかの厳しい言葉を私は忘れてはいない。無論、引き金は私なのだから妹をせめられはしない。だとしても、私はひどく傷ついたり虚しい思いをさせられたのもまた事実である。
わたしは今度こそ、これ以上傷つきたくないから、これからは心の距離をとろうと決心した。 期待しても仕方がない、考え方がまるでちがう。子供の頃に散々いじめたことを私は悔いているし大人になってから何度か謝罪もした。私の罪はなくなりはしないが、未来に向かっては、私なりに妹とはうまく仲良くやっていきたいと本気で思っていた。 でもその方向が妹とは違う。 悪意ではないので妹にはわからぬだろうが、私は大人になってから妹の言葉で何度も傷ついた。 (もちろん、私も知らずにひどいことをしたり言ったりしているのだろう)
でも、もうたくさんだ。 私の気持ちなど、もうわかってもらえなくていい。もう近づかないことに尽きる。心に壁を作り、自分が傷つかないように、より注意するのだ。 人を恨むより、自分の身は自分で守らなければならない。 だれかにわかってもらいたいなどと思うのがほとんど無理な話であり、期待をするから落胆もする。
寄りかかりたいけれど、本当は誰もいないことに、悲しいけれど気が付かなくてはならない。 満たされない気持ちはどうすればいいか。少なくともそれは自分自身でなんとかすべきことであり、自分のご機嫌を他者にゆだねてはならないと、幾度となく思う。 でも、私はさみしくて泣く。泣いても事態は変わらず、まだ生きなければならないことを虚しく思う。
久しぶりに友人に手紙を書く。
メールというものはとてつもなく便利、手軽だ。 でも、そのせいで、私は手紙を書く機会がほとんどなくなってしまった。 たいして緊急の用事でもないが、電話するには忙しい友人に申し訳なく、ためらわれる。 理屈はともかく、とにかく手紙にしたかったのだ。
彼女は私が尊敬する数少ない古い友人だが、彼女とは今は接点がない。 彼女はミクシ日記をまめに更新しているので、近況は伝わるけれど、私からは遠い人になってしまった。かつて私が崩れ落ちるほどダメになった時、親身になって心配してくれたし、何よりどんな時でも私を傷つけない優しさが(慈愛)私はいつもありがたいと思う。 しかし、彼女は私よりも彼女と気が合う友人が沢山いる。 私と関わるときは、だいたいが私側の問題で、彼女の悩み事ではない。 だから、電話もためらわれる。
私の抱えるさまざまな問題や苦しみ、それをどうしたらよいのか。こんな時、誰かに優しくしてもらいたい。話し相手になってもらいたい。でも、だれでもいい訳ではない・・というのは前に書いたな。
手紙を書く、というのはその行為が楽しい。 なのに、いまやその手紙を書く相手もろくにいないわけだ。
私はいま自分がどうしたいのかも、よくわからない。 私が何かを書こうとすると、いつも最後は迷子になって終わる。
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