* たいよう暦*
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わくわくしてきました。
わくわくしてくると、体調もどんどん上向きになってきました。
おや、いいこといいこと。 体は正直ですねえ。
食べ物を粗末にしてはいけません。
小さな頃から、同居していた祖母に、口すっぱく言われつづけました。 お茶碗にごはんつぶの一つでも残っていようものなら、すかさず「ちゃんと一粒残さず食べなさい」と飛んできた声。 その声をよく覚えているせいか、冷蔵庫の中で食べ物がくさっていると、ひどく悲しい気持ちになる。ぞんざいに扱われ、捨てられている食べ物をみると、ひどく憤りを感じる。
いま、全国の港には、くさってもいないし、ぞんざいに扱われているわけではないけれど、捨てられるのを待っているおにくがたくさん並んでいる。 間もなく、焼かれるおにく。 誰も食べる人のいない、焼肉がはじまる。
人間の都合でだとはわかっているけれど、なんだかとってもやりきれない。 ただ、やかれる為だけに存在したおにく。
このおにくのことを、私は忘れないだろうな。
2004年01月20日(火) |
かにかにパーティー♪ |
よわよわの合間をぬって、毎年恒例の豪勢なかにパーティーに参加。
思い起こせば2年前、私はこのおたくに初めておじゃまして、おじゃまして10分後には、豪勢なかにをたらふくごちそうになっていたのでした。
それから3回目の蟹パーティー。 今年も、いつものように豪勢で、いつものようにおいしくて、いつものように幸せで楽しい夜が更けていきました。
来年は、一回休憩になっちゃうこの蟹パーティー。そう思うと、すごくさびしい。
今まで、たくさんの思い出ができた。 蟹だけじゃない、たくさんの思い出。
写真を一枚一枚のぞいてお気に入りをみつけたことや。 すごーくよっぱらった夏の昼間のことや。 雨の中みた安芸の宮島や。 部屋中焼肉くさくなったことや。 女だけもいいよねーと盛り上がった日のこと。
いつも、おいしい酒とごはんと笑顔とおしゃべりがセットでした。
来年は休憩だけど、再来年は、また会が再開してるといいな。
すこーしさびしい気分を心の底で感じながら、それでも楽しい夜を過ごしました。
2004年01月19日(月) |
いったいいつになったら・・・? |
よわよわです。 あまりにも。 いまだ、治らず。 やや上昇気味ですが、それでも、完治にはほど遠い。 一体、いつになったら、治るのだろう・・・。 少し、不安になってきました。
心をいれかえて、山行きの為にスクワットに励んだ2002−2003年。 実は、一年半、まったく風邪をひきませんでした。 こりゃ、私も心を入れ替えたから、体も丈夫になったのかしら。 ちょっとおごっていたのがいけなかったのか。 山行きが無事にすんで、体がだらけてしまったのか。 ひさしぶりに風邪を12月にひいてから、1月に入って種類の違うものをふたつ。つまり、このシーズンもうすでに3つも風邪をひいたのです。
風邪菌の攻撃に、なんだかわけがわかんなくなって、どんな状態が元気な状態だったのか忘れてしまいました。
早く思い出さなくちゃあ!
2004年01月18日(日) |
きのうにひきつづき・・・ |
自宅にて静養中。 ただひたすら、眠るのみ・・・。
風邪がなおらなーい!
あの大きな地震の時。 我が家は神戸から離れていたこともあり、幸いたいした被害も受けませんでした。 その当時飼っていた猫のうちの一匹が地震に驚いて飛び出て行って、しばらく帰ってこなかったのが、被害といえば被害だったかもしれません。
名は「チチ」。 ミルク色にくろぶちの、牛柄猫でした。
地震の直後、オーストラリア人と電話で話す機会がありました。 もちろん、私のつたない英語で。 そして、時には両親とも教師で、中学生の時に数ヶ月日本にいた彼のつたない日本語で。
「大きな地震だったけど、ダイジョウブ?」 「はい、○○さんところは、マンションが傾いたけど、会社の避難所にいるから無事です」 「それはよかった。あなたのところは?」 「はい、うちはKOBEから離れているので、ダイジョウブ。」 「ほんとに?よかったね」 「でも、飼い猫のチチが地震にびっくりして家を飛び出して心配している」 「おお!それは大変!ほんとに?戻ってこないの?」 「そう。心配」 「きっと無事だよ。ダイジョウブ。」 「ありがとう」
その時は、気づかなかったのですが。 なまじっか、彼が片言の日本語を理解できるのが、その先の騒動の元になりました。
彼の口を通して、私の「チチ」ではなく「父」が家を飛び出し行方不明になったことになっていたのです。 現地では大騒ぎになりました。
たいそう驚き、心配してくれたみなさん。 翌日の昼前になって、やっと電話が私につながり、「’ちち’違い」だとわかり、ようやく一件落着。 あの時、遠い異国から、心配してくれたみんな。 「’ちち’違いで本当によかった」と 安堵の息とともに言ってくださったあたたかい心が忘れられません。
「’チチ’は’父’じゃなかったのね!ごめんね!僕が間違えたんだ!」 そうか。おかしいとは思ったんだよ。 猫が飛び出ただけで、あんなに驚くとは思ってもいなかったから。 「地震に驚いて父が飛び出て行方不明」 うん、確かにびっくりするなあ。
避難する人がいたり、けがした人がいた暗い地震の話題の中で、唯一の笑い話として、しばらく語られたこの話。 「やっぱり、彼が日本語の’父’という単語を知っていたのも誤解の原因だけど、私の英語力のなさも誤解の原因だよなあ」 と反省し、英語力アップを目標とした私。
あれから、何年もたちました。 でも、やっぱり英語力はついておらず、英語の書類とメールを前にうんうんうなっている私がいます。
ふむ。あの時の決心は、どこに行ってしまったのでしょう・・・? せっかく思い出したのですから、ちゃんと実行すると・・・しますか・・・?!
今日は、意味もなく八つ当たりしてしまいました。
当てられてしまったあなた。
ごめんなさ〜い!
祖母が私が生まれたときにあつらえてくれた振袖があります。 20年間、私が着るのをずっと箪笥の中で待っていてくれた振袖。 成長した私にあつらえたものではありませんが、成人式に着せてもらうと、私の体にぴったりでした。
それって実はすごいことだったんだな、と気づいたのは、私より縦にも横にも成長した妹が成人式を迎えた時。 妹は身丈が足らずに、その振袖を着ることができなかったのです。 初めての女孫に振袖を着せたい。と願った祖母の思いが、天に通じて私はこの身長に成長したのかもしれません。 祖母の願い通りに、着物を着ることができてよかった。 成人式から何年もたって、祖母もいなくなってから、初めてそう思いました。
その当時はそんなことにも気づかず、ごく当たり前に用意された振袖を着せてもらいました。 振袖を着こなせるはずもなく、借り物のようでしたが、それでもいそいそと式典に出かけました。
いざ会場について、まわりを見渡すと、途端にうらやましくなりました。 友人の着物は、色もかわいらしく、赤やピンクや山吹色。金銀のぬいとりや、派手な柄が入っていてとても華やかにみえたからです。 それにひきかえ、私の着物は、まず色が違う。柄も入っていますが、もちろんその色使いも人とは違う。金も銀も入っていない派手さもない。 着付けの人には「なんていいお着物なんでしょ」と誉められたけれど、誰も友人はほめてくれない。かわいらしさというものがない。
その着物が「粋」で「華やか」で「すばらしくいいもの」だとわかったのは、20歳を随分すぎてから。 そして、そのよさがわかった上で、その着物を着こなせるようになったのは、さらにそこから何年もたちました。
戸籍上は、大人と呼ばれる年齢を迎えても、ものの良さや大事なことが少しも見えていなかったんだな。 今でも胸をはって「立派な大人」とはいえませんが、それでも、少しはものの良さや子供の頃は見えなかったものが見えてきたような気がします。 まだまだ「立派な大人」ではないけれど、それでも20歳からは少しは成長しているな。もっともっと、子供の頃に見えなかったものが見える「立派な大人」になりたい。 「立派な大人」でないことを少し恥じながら、そう、思った今日はごく普通の平日だったけれど、昔でいう成人の日。
いまだに「1月第2週目の月曜日」が成人の日だなんてぴんとこないなあ。
くっしょん!
・・・・・・・・ん?
ずるずる。
・・・・・・・・んん?
こほんこほん!
・・・・・・・・んんん?!
どうしたんだ、私のからだ? お〜い、がんばれえ〜!!
振り返って。 自分がちょっと嫌いになったかもしれない。
キライになってきた理由ははっきりしているのだけれど、 どこをどうすればいい方向に転がっていくのかも、ちょっとよくわからない。
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
でも、できればキライになりたくないので、 好きになれるように、とりあえず、ちょっとづつ変えてみよう。と、考えた。
ひとーつづつ。 ひとーつづつ。
・・・・・・・・うん、ひとつづつね。
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