* たいよう暦*
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2003年11月23日(日) |
時を共有しているから |
坂の多い町まで、足をのばしました。
「どこか曲がる度に、なつかしい町に出会えます」
そうかかれた案内図をたよりに、あちこち見て歩きました。
とても風景が絵になるいい町で、曲がり角の度にひらける景色がおもしろい町。 そう思ったけれど、最後までなつかしい町に出会えなかったのは、この町と私に、歴史がなかったからでしょう。
私の生まれ育った町は、ごみごみとした、どちらかというと下町っぽいお世辞にも環境がいいとはいえない、なんの変哲もない昔ながらの町。 お寺があちこちに・・・普通の家の隣に突然あらわれるのが、特徴といえば特徴かもしれない、普通の町。
それでも、長く家を留守にしていたり、少し出かけたりしていた後、車で、自転車で、歩きで、町に帰った時。 ああ、帰ってきたなあとしみじみと、そして、なつかしく思うのは、そこここに、小さい時の私。や、少しなまいきな私。や、社会人になった私。がいるからだろうな。
このいい町を、なつかしく思える人がいるのも少しうらやましいけれど、それでも、私には普通だけれどなつかしい町があることがうれしい。
私は私の育った町が、好きなんだな。
久しぶりに、おもうようにならない、想像どおりにいかないことに困ってしまった。
もうちょっと、なんとかなると思っていたのに・・・。
「まだ始めたばかりだもんね。これからだよ」
その言葉がとってもあったかかった。 気持ちが軽くなって、遠くへむかうバスに乗り込むことができた。
言葉をどうもありがとう。
ひとつのテーブルを囲んで、楽しい会が始まりました。
テーブルのまわりに座ると、押し合いへしあい。 隣の人と肩がふれあうぐらいで、ホットプレートにのびるお箸もたくさんたくさん。 それでも居心地がよくって、わあわあ笑って、たくさん食べて、たくさん飲んで、楽しい夜はふけていきました。
テーブルを囲んだその距離感が、そのまま、そこにつどった人達の距離感をあらわしているようで・・・。
夜が更けると、どんどん冷え込んできましたが、とってもあったかい夜でした。
「状況をかえようと思ったら、当たり前だけど、相手をせめているだけじゃなんにも変わらないんだよ。 周りの環境のせいにしても、もちろん、なにもかわらない。 まず、自分がかわらなくっちゃ、相手も環境もかわるわけがない。 小さいことでもいいから、ひとつづつなにかをかえていけば、相手も周りも必ず変わっていくよ。むずかしいけれどもね。」
最近、親しい人から聴いて心にひびいた言葉です。
最近、いやなことがあった時に、周りの環境のせいにばかりしていませんでしたか? 相手とうまくいかなかった時、相手の態度に文句をいうこと以外に、それに対してなにかしましたか?
周りの環境のせいにしていたなあー。 自分は愚痴を言う以外、なんもしてへんかったなあー。
ちょっと反省。 そして、聴いた言葉が、ちょっと新鮮でした。
その人は、1年半かけて、自分を変えてみたそうです。 そうしたら、いろいろとゆっくりとではあるけれど、なにかが変わってきたそうです。
1年半かけて、自分をゆっくり変えていくなんてすごいなあ。 わたし、最近、自分磨きをさぼっていたかも・・・。
きゅっ、きゅ。きゅっ、きゅ。 がんばって磨かなくちゃ。
今日は、その言葉を思い出して、小さなことをひとつ変えてみました。 そうしたら、思いがけなく、いつもと全然違った方向になって、聴いた言葉が生きた言葉として自分の中で響きました。
ゆっくりでいいから、ちょっとづつ、自分をかえていこう。 今の自分に甘えて、このままでいるのだけはやめよう。
当たり前だけど忘れかけていたこと。 それを気づかせてくれた親しい人に感謝の気持ちがわいてきました。
2003年11月19日(水) |
エリック・クラプトン |
ギターの神様の公演に行って来ました。
神様かどうかだなんて、そんなことはわからなかったけれど、 音楽の女神(ミューズ)に、 愛されて 愛されて愛されて 愛されて愛されて愛されてやまない人だとははっきり感じました。
美しい旋律。 のびやかな歌声。 ここちいいギター。 なにもかもが、そろった、空間。 体のなかにどんどん音楽が満たされていった。 広い広い空間いっぱいに、いろんなものが満たされた空間がどんどんひろがっていった。
心がふるふるとふるえた。 どんどん音楽がしみていった。 心の奥底が、解放された気がした。
いま、私のこころは、ぷるっぷる、げんき、です。
女子中女子高女子短と、8年間どっぷり女ばかりの生活につかっていた私。
一番近くにいた友人達は、とってもぱっきりした「男らしい」もしくは「おっとこまえ」な人が多かったけれど、圧倒的多数を締めるいわゆる「おんなおんなした人たち」にうんざりしてしまった時期も多かった。
だから、学校を卒業してからしばらくは、女だけのあつまりをわざとさけていた時期もあった。取捨選択せずに十把一絡げに。
今が、女だけのあつまりをわざとさけていた時期じゃなくってよかった。 女だけってのもいいもんだ。
今日は、そうしみじみと思った夜でした。 たのしかった。と一言で言うのは簡単だけど、そんな一言では表現しきれないいい夜でした。
今日は元気がなかったね。 ちょっと魂が弱っているかんじだった。 いつもと違ってみえたので、どうしてあげたらいいんだろうって思ったよ。
なでてさすってあっためて。元気を取り戻させてあげたいなあって、いろいろ思っていたけれど、あんまり元気にならなかったね。どうしたらいいんだろう。
そっとしておくのは冷たいかなあとも思ったけれど、そういう種類の優しさもある。
ゆっくりいつもの姿に戻るのを なでずさわらずあっためず。 じっと待っているね。
かかせないもの。
お正月のおせち料理と初詣。 節分の巻き寿司のまるかじり。 3月のおひなまつりのちらし寿司。 桜の季節のお花見。 新緑の季節のドライブ。 夏のキスとアジ釣り。 秋の温泉。 紅葉の季節の京都。 誕生日とクリスマス。
どれがかけてもなんだか物足りない一年になる私の大事な年中行事。
季節がめぐることに、幸せを感じる。 季節を感じることに、幸せを感じる。
四季のある日本に生まれてよかったなあ。 とつくづく思う、秋の一日でした。
小学生の頃、時々、駅まで父親と二人乗りして出かけました。 改札まで送って、ばいばい、と手をふった後は、二人乗りしてきた自転車を今度は一人で乗って帰るという寸法です。 その逆もありました。電話を受けてから、自転車に一人で乗って駅までお迎えに行き、帰りは二人乗りして帰ってくるのです。
毎日というわけではなかったので、きっと、父親が寝坊したときや疲れたときなんかにやっていたのでしょう。 私と弟は、その「時々」が嬉しくて、順番を奪い合いながらやっていました。
あるとき、弟が朝送っていったまま、いつまでたっても帰ってきませんでした。 自転車で片道5分強、子供がゆっくり乗って帰ってきたとして10分、往復で15分の道のり。ところが、そのときは15分すぎても、待てどくらせど帰ってこなかったのです。
実は、そのとき、弟は車とぶつかっていたそうです。 車がほとんどスピードを出していなかったのと、弟の体が軽かったおかげで、車のフロントをごろんごろんと転がって、地面に落ちただけですみました。 擦り傷もほとんどなく、本人もけろりとしていました。
でも、その日以来、私たちの送り迎えはなくなってしまいました。 私は、父親を独占しての二人乗りも楽しかったし、改札で「いってらっしゃ〜い」と手を振り、父親が「いってくるよ〜」といった後、階段を降りる寸前に、こちらを見ずに手だけふって消える姿も好きだったし、電車がきたあと、たくさんの人が改札を出てくる中で、父親をみつけだすのも好きだったので、それはすごく残念でした。 でも、きっぱりその日以来一度もその楽しい送り迎えはなくなってしまいました。
「いってらっしゃい」と「いってきます」 「おかえりなさい」と「ただいま」
送ったり迎えにいったりした先で言うのは、家の玄関で言うのとまた違って好きだなあと思うのは、そんな小さな頃の思い出があるからかもしれません。
今日は、駅まで人を迎えに行きました。 二人乗りのできない自転車で。 「わざわざ迎えにこなくてもよかったのに〜。家でまっとったらよかったのに〜」
うふふ。その「わざわざ」が楽しいんだよ。
今日の格言。
「体の老いは必ず訪れるものだけど、心が老いてはいけません。」
心はいつもきらきらと。 いつもいろんなことに敏感で。 なんにでも、わくわくと。
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