2012年12月26日(水) |
■本からの話…世界の偉人たちから届いた10の言葉 日本への「ありがとう」から |
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今回のテーマは、 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると幸いです。 そういうわけにはいかないところもあり「ショックだ」との 感想もいただいておりますが、そんなところばかりではないので、 一部ではありますが、見てみてくださいね。 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>
昨日は、失礼いたしました。 無事に、法事を終えることができました。
気がつけば、12月ももう少し。 早いなぁと感じております。 体調管理をしっかりしていきましょう。
さて、今日は、 昨日紹介する予定だった本を紹介します。 いい話集なので、どうしても紹介したくて。 今日から2回に分けて紹介しますね。 お正月休みにでも、ぜひ読んでみてくださいね。 こちらの本です。
「世界の偉人たちから届いた10の言葉 日本への「ありがとう」」 波田野 毅著
読むと、嬉しくなります(笑) そして、グッときます。 そして、日本ってすばらしい、 日本人ってすばらしい、 でも、周りの国々も人々も すばらしい、そう思えてきます。
この本には、 感動する話が10話書かれています。
◆アインシュタイン 私は日本と日本人に魅せられています ◆ヘレン・ケラー ヘレンと日本人の友情 ◆チャップリン 世界の喜劇王の願い ◆エジソン 発明王と「武士道」 ◆ジョン・レノン 松尾芭蕉とジョン・レノン ◆ゴッホ 日本人になりたかった画家 ◆ザビエル 日本の道徳と文化に驚嘆 ◆ガリレオ 「地動説」に登場する「日本」 ◆杉原千畝(ちうね) シンドラーを越えた正義の人 ◆エルトゥールル号事件 善の連鎖
どれもいい話なのですが、 今日は、この中から、 私も全く知らなかった話、
◆エルトゥールル号事件 善の連鎖
を紹介します。 この話は、トルコと日本のつながりの本で、 トルコの教科書にも書かれているそうです。 (P97〜103から引用)
《日本への恩返し》
1985年、平和な日本では、 つくば科学万国博覧会が 茨城県つくば市で開催され 大変な人気を呼んでいました。
しかし、中東の地では、 イラン・イラク戦争が両国都市への ミサイル攻撃などで一層激化していました。
そしてこの年の3月。 突然イラクのフセイン大統領が
「今から48時間後にイランの上空を飛ぶ 飛行機があれば撃墜する」 と発表したのです。
さあ、大変です。
日本人の技術者や商社員、 そしてその家族など大勢が イランにいました。
脱出を図ろうとしますが、 各国の航空会社は自国民を 救出するのを優先し、 日本人ははじきだされてしまいます。
また他の国は 救援機を緊急に手配しますが、 日本は対応が遅れました。 現地に残された日本人は、200名以上。 予告時刻まであと数時間です。
このままでは 取り残されてしまう と、絶望感がただよったとき、 真っ赤な垂直飛翼に、 「三日月と星」の トルコ国旗があざやかな 旅客機が飛んできたのです。
タイムリミット 1時間15分前でした。 日本人を乗せ、 大きな喜びとともに、 飛行機は旅立ちました。
この救援機がやってくる少し前のことです。 トルコのオザル首相は日本人の友に答えました。
「わかった。 飛行機の手配をしよう。 われわれトルコ人は、 日本人に恩返しをしなければ いけないからね」
こういって、救援機を飛ばす決意をしました。 オザル首相の指示によってトルコ航空では 即座にこの危険なフライトをしてくれる パイロットを募りました。
「日本人を救出するために イランに飛んでくれないか?」
すると、 なんとその場にいた全員が 志願したのです。
さらなるトルコ人たちの 善意があります。 この自国の救援機に 乗れなかったトルコ人たちは、 危険きわまりないイランの地を、 3日かけて陸路で脱出したのです。
日本人を優先的に脱出させて、 自らは危ない状況で脱出したことに対して、 非難するトルコ国民は、 誰一人いませんでした。
日本人は、なぜいきなり トルコ航空機がやってきてくれたのか、 誰も知りませんでした。
そして、なぜこれほどまでに トルコの人々は、 日本人を救おうと思ったのでしょうか?
それは、その時から約100年前に起こった 大きな事件が原因だったのです。
(ここまで引用)
なぜ、トルコの人々を日本人を 助けてくれたのか… その話は、本当に感動するものでした。 この続きは、明日書きますね。
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2012年12月21日(金) |
■クリスマスに話したいいい話、その8…多くを持っているということはどんなこと? |
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今回のテーマは、 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると幸いです。 そういうわけにはいかないところもあり「ショックだ」との 感想もいただいておりますが、そんなところばかりではないので、 一部ではありますが、見てみてくださいね。 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>
今日は、この本からの紹介です。
「こころのチキンスープ8 探しものは何ですか」
心に残るいい話、感動する話が多いので、 ぜひ、読んでみてくださいね。 おすすめの本ですよ。
心がふっとあたたかく、 あるいは、楽になりますよ〜 今日は、この話になります。
「小さなリース」 (P15〜21〜引用)
あと2週間でクリスマスというときに、 私は望みもしなかった場所にいました。 病院で、手術後の回復を待っていたのです。(略)
私は、左の脇腹に走る傷みを何週間もほおっておき、 いよいよひどくなってから病院に行きました。 医者が、レントゲン写真を見ながら言いました。 「胆石ですね。 紐でつないだら、ネックレスになりそうだ。 すぐに手術をしなくては」
「こんな時期に入院なんて困ります」 と言いはったものの、 私もさすがに脇腹の激痛には勝てずに、 しぶしぶ手術台にのったのでした。(略)
手術後まる2日うつらうつら眠り続けてから、 私はやっと目を開けました。 意識がはっきりしてくると、 目を見張りました。
なんと、病室がクリスマスシーズンの お花屋さんさながらになっていたのです。 窓辺には、赤いポインセチアの鉢や、 その他のいろんなお花がところ狭しと 並べられていました。 それから、開封されるのを待ちかまえている お見舞いカードの束。
ベッド脇の台には、 小さなクリスマスツリーまであって、 子どもたちが作ったオーナメントが飾られています。
そして、洗面台の上の棚には、 インディアナに住む両親が送ってくれた 1ダースの赤いバラと、近所の人から 贈られたキャンドルつきのユールログ (クリスマスイブに炉に入れて燃やす薪) 私は、これほどみんなから愛され 心配してもらっていることを知って、 胸が熱くなりました。 ひょっとして、クリスマスどきに 入院するのもそんなに悪くはないかもしれない、 と思いました。
夫によれば、友人たちが食事を運んでくれ、 4人の子どもたちの面倒も見るからと 申し出てくれたそうですし。(略)
息子のアダムがどうしているか心配になりました。 アダムは障害をもって生まれ、5歳でやっと 歩けるようになったのです。
あの子は、あのほそっこい足で氷や 雪の上を動き回れるのかしら? 学校でそり遊びをするときは、 誰かに面倒を見てもらっているかしら?
「またお花よ!」 という声で、私は我に返りました。 看護婦さんが、きれいな花束を抱きかかえてきたのです。 彼女は私にカードを手渡し、その花束を窓際の ポインセチアのあいだに置きました。(略)
私がお見舞いカードを 読んでいると、 「わぁ、そのお花好き」 という声がしました。 見上げると、カーテンが開いて、 隣のベッドの女性が顔を のぞかせました。
私のルームメートは、 40を少し過ぎたダウン症の小柄な女性でした。 目は茶色で、ショートヘアの巻き毛には 白髪が混じっています。
彼女が着ている入院患者用の寝間着は、 一番上の紐がほどけていて、 下を向くと背中がむき出しになりました。 私は、点滴につながれていて、 その紐を結び直してあげることが できませんでした。
彼女は、私のお花を、まるで 子どものような感嘆のまなざしで ながめました。
「私はボニーよ、あなたは?」 「ジンジャー」
と言うと、彼女は天井を向いて白目をむきだし、 唇を噛み合わせました。
「先生があたしの足を治してくれるの。 明日、しゅじゅつするのよ」
私はジンジャーと夕食まで おしゃべりをしました。
彼女は自分のいる施設のことを話してくれ、 どうしてもクリスマスパーティまでには 帰りたいと言いました。 家族のことはひとことも言わなかったので、 私もあえて尋ねませんでした。(略)
その晩、 私のところには何人かの見舞客がありました。 その中に、息子のアダムもいました。
ジンジャーは、みんなに陽気に話しかけ、 私のお花がきれいだと言いました。 でも、そのあいだも、ほとんど アダムの方ばかりを見ていました。 そして、みんなが帰った後、 ちょうどお花のときと同じように、 何度も
「わあ、アダム好き」 を繰り返すのでした。
翌朝、ジンジャーは手術室に行き、 私は看護婦さんに付き添われて、 ちょっとだけ廊下を歩いてみました。 ふたたび歩けるのはいい気分です。
病室まで戻り、 ドアを開けて入ったときです。 私は、部屋の両側があまりの対照を なしていることに驚きました。
ジンジャーのベッドはきちんと整えられ、 その主の帰りを待っていましたが、 そこには、カードもお花もなければ、 見舞客もいませんでした。 それにきひかえ、私の側はお花であふれ返り、 お見舞いのカードの山がみんなに どれほど大事に思われているかを 知らせてくれています。
ジンジャーは、誰からも、 お花やカードをもらっていなかったんだわ。 そういえば、誰もお見舞いに来なかったし… アダムもいつかこんな日がくるのかしら? でも、私はすぐにそんな考えを 頭から追い払いました。
そうだ、と私は決心しました。 彼女に何か分けてあげよう。
私は窓際に行って、赤いキャンドルを立てた 聖なる小枝のリースを手に取りました。 でも、これはクリスマスの食卓の真ん中に 置いたらぴったりだわ、と 思い出し元に戻しました。
ポインセチアはどうかしら? この深紅の花を玄関に置いたら、 あの古い家もパッと華やぐでしょうね。
もちろん、両親からの赤いバラは あげられません。 だって、今年のクリスマスには、 両親に会えないことがわかっているのですもの。
いいわけは次から次へと浮かんできました。 この花はしおれかかっているからダメ、 これをあげてしまったら、 あの人が気を悪くするかもしれないし、 あれは退院してから使える…
結局、分けてあげられるものは、 何一つありませんでした。
それから、私はベッドに戻り、 こう決心することで自分の後ろめたい 気持ちを紛らわせました。 明日の朝になって、 売店が開いたら、 ジンジャーのためにお花を注文しようと。
手術が終わり、 ジンジャーが戻ってくると、 ボランティアの女の子が彼女に、 赤いリボンのついた 小さなクリスマスのリースを 届けに来ました。
彼女はそれを、 ベッド脇の殺風景な白い壁に、 掛けました。
その夜は、 私のところにまたお見舞いの 人たちがきました。 手術を終えたばかりだというのに、 ジンジャーは一人一人に挨拶して、 自分のクリスマスリースを 嬉しそうに見せました。
翌日、朝食がすむと看護婦さんが来て、 ジンジャーに退院を告げました。
「ホームからのお迎えの車が もうすぐ来るわよ」
ジンジャーは、 クリスマスパーティまでに 帰るれることになったのです。
私は彼女のために嬉しく思いましたが、 病院の売店があと2時間は 開かないことに気づくと、 自責の念にかられました。
もう一度、私は病室のお花を見渡しました。 どれかひとつあげられないかしら。
看護婦さんが車椅子を運んできました。 ジンジャーは身の回りの品をまとめ、 クローゼットからコートを取り出しました。
「あなたと知り合えてとても楽しかったわ、 ジンジャー」
その言葉は本当でした。 でも、私は自分のせっかくの思いつきを 実行に移せなかったことに心がとがめました。
ジンジャーがコートを着、 車椅子に乗るのを看護婦さんが手伝いました。
それから、壁から小さなリースをはずして、 ジンジャーに渡しました。
二人がドアの方に 行きかけたとき、 ジンジャーが言いました。
「待って!」
車椅子から立ち上がり、 足を引きずりながら 私のベッドまで ゆっくりと歩いてきます。
彼女は右手を差し出し、 私の膝の上に小さなリースを そっと置きました。
「メリークリスマス」 と彼女は言いました。
「あなたはとてもいい人だわ」 それから、 私をぎゅっと抱きしめました。 「ありがとう」 私はつぶやきました。
彼女が車椅子に戻ってドアに向かうあいだ、 私は何も言えませんでした。
涙に曇る目で、 その小さなリースを見つめました。 ジンジャーにとって たった一つの贈り物だったのに…… それを私にくれたのだわ。
彼女のベッドの方を見ると、 またふたたび空っぽで殺風景になっていました。 ジンジャーが乗ったエレベーターのドアが 閉まる音が聞こえました。
そのとき、 私にはわかったのでした。 彼女の方が、私よりも ずっとずっと多くを 持っていたのだと。
ボニー・シェパード (ここまで引用)
心に多くを持っている… それがどんなことか、 考えさせられました。
今のような世の中だからこそ、 心豊かでありたいと思います。 そう思っても、ケチくさい自分、 欲深い、損得を考える自分がいて、 なかなか思ったようにはいきませんが、 できることはしていきたいと思っています。 それが、うんと小さなことでも。
いいお話満載の本なので、 ぜひ、読んでみてくださいね。
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2012年12月20日(木) |
■クリスマスに話したいいい話、その7…なぜ、無休営業5000日をやることになったのか? |
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今回のテーマは、 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると幸いです。 そういうわけにはいかないところもあり「ショックだ」との 感想もいただいておりますが、そんなところばかりではないので、 一部ではありますが、見てみてくださいね。 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>
今日は、昨日からの続きになります。 こちらの本からの紹介です。
「80点コロッケ」 『上柳昌彦のお早うGood Day!』 (編集)
山田さんは、 なぜ、そんなにも頑張るのか? 実は、一つの「きっかけ」があったようで、 今日は、その話です。
《無休営業5000日の大衆食堂》 (P36〜41から引用)
山田さんは、「自分の店を持ちたい」 そんな目標を持って料理の世界に入りました。 その夢が実現したのは、 30歳を少し過ぎた、1973年のことです。
最初はメニューがラーメンだけの 小さなお店だったといいます。 それでも一国一城の主。 毎日必死で働いて、 いつしかメニューも増えていきました。
ところが、 自分の店を始めて15年ほどが 経ったときです。 少し頑張りすぎたためか、 腰を痛めてしまい入院生活を 余儀なくされたのです。
当初はすぐに退院するはずでしたが、 予想に反して治療が 長引いてしまったといいます。
結局、入院生活は半年に 及んでしまいました。 入院中、いっこうによくならない病状に、 最後に自ら命を絶とうか? そんな思いがよぎるほど 追い詰められたそうです。
「この先、私はどうすればいいのか…」
病室のベッドの上で、 自問自答を繰り返す毎日。
そして最後の最後に たどり着いた結論は…
「安くてボリュームのある料理を 毎日たくさんの人に提供したい。 そんな店を自分が厨房に立って やり続けたい」 ということでした。 山田さんが店主として 小さなラーメン屋さんを はじめたとき第一に考えた 純粋な思いだったのです。
ようやく痛みも引いて退院したとき、 山田さんは心に決めました。
今後はお客さんを がっかりさせるようなことが あってはいけない。 いつ来ても安くて ボリュームのある料理が 食べられるように、 もう今後は何があっても 「店は休まない」。
そして、 普通はさげたりしまったりで 営業のあるなしを知らせる 「暖簾」を、しまうのは やめようと考えたのです。
そして再開した店の営業。 最初の区切りとなった1000日は、 気がつかないままに過ぎていたそうです。
連続営業2000日は、 2000年の一月。 ミレニアムという言葉とともに、 2000日並んだことで地元のマスコミに 取り上げられたといいます。
こうして続けながら3000日、 4000日が過ぎて… いつの間にか積み重ねた日数は、 5000日となっていたのです。
13年と8ヶ月。 これまで続けてこられた 秘訣は何だったか?
何か特別なことをしていたのか? そんな質問に山田さんは、 そんなものはないと言い切ります。
もちろん風邪もひけないし、 ケガもできない。 プレッシャーはあるけれど、 いつものように 「いつもの1日」を 無事に過ごすことだけを 心がけていると山田さんは言います。
特別なことは何もない、 そんな「いつも」の積み重ねの中で、 大きな記録が生まれるのだと 感じているからです。(略)
ああ、毎日同じでつまんない。 なんか面白いことないかなぁ… そんなボヤキがでるようじゃ、 積み重ねることで生まれる 「大記録」は実現しないのです。
今日も朝10時。 5000と38日目。 大衆食堂「たつみ」の 営業が始まります。 (2008年5月12日放送)
(ここまで引用)
そして、この「たつみ」は、 なんと、なんと、 現在でもまだ記録を伸ばし続け…
6666日も過ぎたのですよ〜 ほら、この山田さんの笑顔 みてください。 しかも、山田さんが持っている ボリュームある定食もすごい!(笑) (どうやって食べるんでしょう…)
「大衆食堂「たつみ」【函館】」↓ (北海道ニュースより)
すごいですね〜 「いつも」の積み重ねの中で、 「いつも」を積み重ねれば、 いつか大記録になっていくのですね〜 今年10月の記事ですから、今日も日々、 記録を伸ばしていると思います。
ああ、毎日同じでつまんない。 なんか面白いことないかなぁ… なんて、ぼやいていては、 いけないのですね。
私も、「いつも」を続けよう、 「ことば探し」も「ぼちぼち日記」も いつも通りに続けていこう、 そうすれば、きっと、 日本一の本の登録サイトになると、 信じて頑張ります(笑) どうぞ、これからも よろしくお願いいたします。
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2012年12月19日(水) |
■クリスマスに話したいいい話、その6…無休営業5000日の大衆食堂 |
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今回のテーマは、 「望んでいるセックス、愛を感じるタイミングの違い」 デリケートな話題ですが、さらりと読んでいただけると 嬉しいです…そういうわけにはいかないところも あるとは思いますが(苦笑) 一部ですが、一読してみてくださいね。 どうぞ、よろしくお願いいたします<(_ _)>
今日は、こちらの本からの紹介になります。 クリスマスというより、年末年始に向けての、 お話になるかな。 どうぞ、よろしくです。
「80点コロッケ」 『上柳昌彦のお早うGood Day!』 (編集)
この本は、ご存じの方も多いと思うのですが、 ラジオ、ニッポン放送の朝の番組、 「上柳昌彦のお早うGood Day!」で、 (現在は、終了しています) 話されていた感動の話をまとめてあります。 身近ないい話が多く、読みやすくコンパクトに まとまっているので、すぐに読めてしまうと思います。
師走ともなると、気持ちも焦りがちになり、 何をやっているのかわからなくなりがちですが、 この本を読むと、立ち止まって、 「待てよ、もう少しじっくりゆっくりいこう」 という気持ちになります。 ぜひ、読んでみてくださいね。
《無休営業5000日の大衆食堂》 (P36〜41から引用)
北海道函館市のJR函館駅。 その駅から市営の路面電車に乗って7分ほどで、 「宝来町」の停留所に到着します。 そこから歩いて数分のところに 一軒の大衆食堂があります。 一般のお宅に並んで、 静かにたたずむように のれんが風に揺れています。
看板を見れば、 店の名前はひらがなで 「たつみ」 「心の味の店」 とあります。
見たところ特に変わったことのない、 普通の「大衆食堂」に見えます。 店内に入っても、その印象は変わりません。 カウンター席と小上がりに4卓のテーブル。 さげられたメニューには、 「から揚げ」をはじめたした定食や、 ラーメン、函館らしく「海鮮丼」などが 並んでいます。
ちなみに一番種類の多い定食は、 どれも700円でおつりがくる値段で、 都心に比べればずいぶん安い値段です。
実はこの大衆食堂「たつみ」、 ここまでの説明ではちょっとわからない、 一つの大きな特徴があるんです。
その特徴とは、 入り口にさげられた暖簾になります。 「たつみ」の文字が 白く染め抜かれたそれは、 「さげられたまま」なんです。
いつ見ても 店の入り口に出されていて、 中にしまわれることがないんです。
夜の11時、店が終わった後でも、 さげられることがありません。 これはべつに店主が不精だからではありません。 「たつみ」には、休みがないんです。
よく店の広告で 年中無休の文字を見かけることが ありますが、年末年始をはじめ、 年に何回かは休むのが普通です。 でも「たつみ」では、 大晦日や元日も、 お盆休みもなく、 365日文字通り「年中無休」 で店を開けています。
だから、このことを お客さんにもちゃんとPRしようと、 決して暖簾をしまわないでいるわけです。
その甲斐があって、 「いつ行っても必ずやっている食堂」、 そんな「たつみ」のウワサは地元の住民や 近所の学生さん、さらには観光客や ツーリングのオートバイライダー、 そしてトラックやタクシーの運転手の 間にも広まっています。 だから、函館ではちょっとした「有名店」
年末年始もここなら必ずやっていると、 意外なほどたくさんのお客さんがきてくれるそうで、 たとえ元旦でも、店は開けたものの 席はガラガラ、なんてことにはならないのだそうです。 味の評判がいいのはいうまでもありません。
そうして営業を続けてきた 今年(2008年)の 4月4日、ついに「大きな記録」が 作られました。 休まずに営業した日数が、 なんと連続5000日に 達したのです。
1994年の7月から数えて 13年と8ヶ月。 「たつみ」と書かれた暖簾は、 ただの一度もしまわれることは なかったのです。
記録達成の当日、お客さんに感謝を表すために、 いつもは500円の店自慢の塩ラーメンを 特別に50円に値下げして、 いっしょにビールもふるまったそうです。
この店を切り盛りするのは、 ご主人の山田征勝さんと実のお姉さん、 山田さんの三番目のお嬢さんの3人です。
もちろん、5000日も休みなしで営業を 続けてきた間には、大変なこともありました。
本来なら休まないといけない、 そんな「場面」にも遭遇しています。
その一つが、山田さんのお子さんの「結婚式」です。 これまで5000日の間に、お二人のお子さんが 結婚していますが、普通ならお店を休んで、 その日は「晴れの門出」をお祝いするのが 一般的でしょう。
でも山田さんは違いました。 いずれもわざわざ午前中に式をしてもらい、 少し営業を遅らせて、午後からちゃんと 店を開けたといいます。
でもなぜ、そんなにも頑張るのか? 実は、一つの「きっかけ」があったと 山田さんは教えてくれました。
(ここまで引用)
このような記事を読むと、
「自分の信念を貫いて、 本当に頑張っている人がいるんだ、 日々頑張っている人がいるんだ、 自分もやらないとな」
と、思えてきて、力がもらえます。
人を動かす原動力はそれぞれ違うと思いますが、 原動力となるものを見つけ、それを力とし、 自分が動いていく… 人がどう言おうと、 人がどう思おうと。 すごいことだなぁ、思います。
なんで、山田さんはそんなに頑張るのか、 どんな原動力があったのか、 どんな思いで店をやってるか、 そして今は、どうなっているかなど、 明日、書きますね。
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2012年12月18日(火) |
■クリスマスに話したいいい話、その5…小さな村の村長が見せたかったものは? |
今日は、こちらの本からのお話紹介です。 ちょっといい話が100ほど、おさめられています。
「ちょっといい話」 佐藤 光浩著
やや古い話が多い「いい話」集ですが、 短めで読みやすいので、すぐに読み切れ、 穏やかな気持ちを取り戻すことができると思います。
これからの季節に読むにはいいですし、 気持ちがざわざわするとき、 落ち込んでいるときなどにも、 読んでみてくださいね。 今日は、この本の中から、
「ああ、よかった、よかった、 無駄だと言われることもあるけど、 これは、今も本当に役立っていて、 そして、村を変えたんだね」
と、とても嬉しく思った話です。
小さな村の村長が見せたかった、 夢のような光景 《奇跡の井戸水》 (89番目の話より)
日本はこれまで、多くの 開発途上国にODA(政府開発援助)を供与し、 経済や社会の発展、生活の向上に役立てるための 資金や技術の提供を行ってきました。
しかし、ただ援助をして生活を支援するだけでは、 本当の発展は望めません。
1996年、 当時の駐セネガル大使のもとに、 手紙が届けられます。 それは、9年前に深井戸を掘って 給水施設を無償援助した、 小さな村の村長からでした。
その村は、ずっと昔から 放牧をして暮らしていました。 しかし、水資源が不足しているため、 貯めておいた雨水がなくなると、 男性は家畜を連れて水を求める長い旅に出てしまい、 残された女性と子どもは、村に一つしかない 浅い井戸の水でしのがなければなりませんでした。
ところが1970年代に、 その井戸も枯渇。
彼女たちは8キロ離れた隣村まで 水をもらいにいくのですが、 そこの水が汚れていたため、 多くの子どもたちが病に倒れてしまったのです。
1983年、 日本の技術者が村を訪れます。 そして、地下130メートルの 深井戸が掘られ、 3カ所の共同水くみ場と 4カ所の家畜用水飼い場も 設置されました。
村民はもちろん、 家畜にもたっぷりと水を 与えられるようになったのです。 それは夢のような出来事だったといいます。
しかし、大使が実際に 村を訪れてみると、 もっと夢のような状況が 広がっていたのです。
共同水くみ場の蛇口は、 子どもたちが水を無駄遣いしないよう、 夜間になると水道管理人が しっかりと鍵をかけて閉鎖。
さらに村民たちが水道の使用料を出し合い、 集まったお金をポンプ保守技師の給与や 部品の調達、燃料費などに利用していました。
さらに、 ストックされたお金が大きくなると、 パイプの延長工事を行い、 学校や保健所に水を引き、 さらに野菜畑や果樹園にも延ばし、 収穫量を増やしていました。
若者たちの仕事も増え、 さらに貯水池をつくって、 魚の養殖をしようという計画まで あるというのです。
ずっと放牧生活を続け、 自然の成り行きに身を任せてきた村民たち。 しかし、井戸ができてから、 村民たちが生活を向上させようと 知恵を出し合い、 努力するようになりました。
そう、 村長が大使に見せたかったのは、 井戸からあふれ続ける水でもなければ、 喜んでいる村民たちの姿でもありません。 自分たちの努力の成果を 見てもらいたかったのです。
(ここまで引用)
セネガル大使も、この光景をみて、 感動し、とても嬉しかったでしょうね。 この話は、大使によって広がったと 思われますので、そう思います。
また、この深井戸を掘った方も、 この話を聞いたら、嬉しかったでしょうね。 やった甲斐がありましたね。
国によっては、深井戸を掘って、 争いになってしまうこともあるとか… セネガルの村は、本当によかったと思いました。 村長の力もあったと思いますし、 村民の頑張りもあったと思います。
今は、魚の養殖をしているんでしょうか。 この後の話がわかれば、また書きますね。
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2012年12月15日(土) |
■クリスマスに話したいいい話、その4…秘密のサンタ、恩人に会いに行く |
さて、今週〜来週は、 クリスマスに読んで欲しい本や心に残った話、 感動した話など紹介していきますね。
今日は、前回の「秘密のサンタ」の 補足その2で、続きになります。
ラリーさんは、 1995年に匿名で取材に応じたことが あったそうですが、彼も本人も一切表舞台に 出ようとしなかったし、家族も 出ようとはしなかったそうです。
そして、ラリーさんは、 多くの人に感謝されるにつれて、 どうしても、レストランにいた 男性に会いたいと 思うようになってきます。
そして、ついに、 1999年12月 会いに行くのです。
ミシシッピ州のトゥペロという 小さな町に住んでいる男性に 会いにいったのです。
どうしても、 会いたかったのでしょうね。 自分の恩人ですから…
その方は、 テッド・ホーンさんと言う方でした。 そして、そのテッドさんに、 お礼を言ったあと、 ラリーさんはこう言ったのです。
「あなたがいなかったら、 今の私はなかった。 あなたがしてくれたことを、 いつか私も他の人たちに したいと思っていました。 お金がなくて悪いことをしようと 思った時もありましたが、 この20ドルのことを思い出し、 思いとどまることができました」
と。 そして、テッドさんに 28年ぶりの恩返しをしたのです。
ラリーさんは、そのお礼にと、 テッドさんに1万ドルを渡します。
テッドさんは、断りましたが、 「今あるのは、あなたのおかげだ」 と、言って渡します。
すると、テッドさんは、 受け取ったお金を、なんと、 近所の病気で困っている人たちや 生活に苦しい人たちのために 使ったということです。 テッドさんも、やはり、 すごい人だったのですね。
テッドさんは、その後、 「あの20ドルのことを覚えていて、 それが秘密のサンタ活動に つながったのは うれしいことだし、 すばらしいことだと思う」 と、話していました。
ラリーさんは、その後も、 活動を続けます。
2001年同時多発テロがおこると、 クリスマスにはニューヨークに行き、 ホームレスや職を失った人を中心に 2万5千ドル配りました。
2005年には、 ハリケーンで壊滅的な被害を被った ミシシッピ州を中心に 7万5千ドルを配りました。
そして、2006年、 ついに彼は、 身元を明かします。 重い食道ガンを患い、 死期をさとったからです。 ラリーさんには、世界中に 「思いやりを持つこと」 を伝えたかったのです。
この反響は大きく、2日間で 7000通もの手紙やメールが 彼のもとに届きました。 その多くは、 「自分も秘密のサンタになりたい」 というものでした。 日本、イギリス、ドイツ、中国など、 世界各国から。
2006年のクリスマスも 彼は病気を押してサンタの 活動を行いました。 そして、2007年1月12日、 58歳という若さで、 静かに息を引き取りました。
27年間で700万にの人たちに 150万ドル配ったそうです。
生前、ラリーさんは、 「シークレットサンタ協会」を 設立していました。 「会員資格は少なくとも1回他人への 親切な行為を行うこと」
現在でも申し込みが多いそうです。 そして、クリスマスになると、 あちこちの街で、秘密のサンタたちが、 活動しているそうです。
(※アンビリバボーの過去のVTRと、 HP上の記事を参考にしました)
27年間もこの活動を続けていた ラリーさん、そしてそれを支え続けた家族、 本当にすごいことだなぁと思います。
ラリーさんのこの活動にあやかって、 私も、クリスマス前には、 必ず、誰かに親切な行為をして、 シークレットサンタ協会の会員になる 資格を得たいと思います。
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