まゆのウォーキング、ぼちぼち日記

2011年11月25日(金) ■被災地支援手伝いの報告13…何もないところからの出発

《お知らせ》

11月28日(月)はお休みいたします。
どぞ、よろしくお願いいたします。<(_ _)>




震災被災支援手伝いの話の続きになります。
今日で、この話も終わりです。


こうして、私は、被災地支援手伝いの旅から
戻ってきたのですが、振り返ってみると、
現地の若い人たちたちとも話しました。
そんな中で、こんな話を聞きました。




《20代半ばの地元男性》

3月11日は、
あの志津川の病院の近くで地震にあい、
そのあと、病院の屋上に登り、他の人を助け、
自分も助かったということでした。
その男性は、こう言うのです。




「震災は本当にひどくて、
 うん、地獄だったよ…
 でも、オレは、
 0からの出発でいいと思ってる。
 何にもなくなったから、
 逆いえばなんでもできる。
 今まで、何をしたらいいか、
 なんて考えていたけど、
 そんなことより、
 なんでもやると思えるし、
 今は、やってる。
 だから、オレはいいと思ってる。
 何もなくたって、
 できることはあるのさ」

「今は、何をやっているの?」
「車で食材や生活用品の
 移動販売している」
「まだ、店舗がないから、
 それは本当にありがたいね」

「今まで、人の役に立つ、
 なんて考えたこともなかったさ。
 でも、今は、役立てることが
 すごく嬉しいのさ。
 おばちゃんたちが、ありがとう、
 って言うんだ…
 こっちこそ、ありがたい、
 そう思うんだ。
 誰かを助けて、
 自分も力をもらう、
 そんな感じだな。
 前より…そだな、
 やっぱり大人になったな」

「三陸町でやってくの?」
「やっていく。
 オレらしかいないから」





この若者は、日に焼けた顔をして、
穏やかな笑顔でこう語ってくれました。
毎日毎日、車で移動販売をしています。
また、こんな拠点スタッフもいました。




《30代前半女性》

2ヶ月以上、このボランティア拠点で、
ボランティア活動をして、こう思っているそうです。




「名古屋で働いていたけど、
 職場環境に疲れたこともあって、
 仕事やめて、ここに来た。
 なんかできることしたくて。

 ここに来て、いろんな人と出会い、
 地元の人とも話をして、
 いろんなところも見て…ね、
 ここで自分が何かできないか、
 今、考え始めている。
 なんかできないかって。
 ここなら、できる気がするんだ、
 だから今は地元の方との
 協力関係をつくり、
 ここで働くことを考えているんだ」





私は、この方々の話を通して、
何もないところからの出発も力になる、
ということを知ったのです。



今回出合った多くの年配の方々は、
なくなった多くのものへの
愛着や無念さに力をなくしていました。
そして、疲れていました。

そうですよね、
今まで作り上げてきたものが、
一瞬にしてなくなってしまったのですから、
その喪失感たるや…想像を絶することです。
また、悲しみもまだまだ癒えてはいません。
そして、その思いの中で、力をなくし、
その力をなくした自分に苦しんでおられました。




しかし、若い人たちにとっては、
もともと持っているものは少なく、
これから自分のものをつくりあげていくのですから、
0からの出発、何もないところからの出発は、
力になるのだとわかりました。
また、いつまでも力をなくてばかりは、
おられないのだとも…。



そして、
ビニールハウス撤去をした農家の
息子さんが言ったこんな言葉が
思い出されるのです。





「かあさんは、疲れたし、
 また苦労するのイヤだから、
 もうやりたくないっていうけど、
 悪いと思うけど、今は、
 どんな助けもほしい。
 どうしても助けてほしい。
 でないと復興できない」





本当にそうだ、
どんな助けも大切だ、
これから先は、今まで以上に、
みなで力を出し合って、
助け合っていくことが、
必要なんだと思いました。




しかしながら、
こう言うことは簡単だけれど、実際には、
もうすっかり疲れてしまった方々もおられ、
仕事をなくされた方々もおられ、
この地を去った方々もおられ、
とても力を出せない方々もおられて、
こういう方々を支えながら、
出せる人が力を出す、
そうしていかねばならないのだと思います。
だから、本当に、本当に、




知恵があるやつは知恵を出そう
力があるやつは力を出そう
金があるやつは金を出そう
自分は何も出せないよ
というやつは元気を出せ

「松山千春さんのことば」




そうしていきましょう!
私も、東京にいてもできる支援は、
していくつもりだし、
自分なりに力を出していくつもりです。
もちろん、被災地支援手伝いは、
またいきますよ〜

ということで、私の今回の手伝いは
ひとまず終わりました。
いろんな方との出会いがあった手伝いとなりました。
現地の方々、拠点スタッフの方々に、
心から、御礼申し上げます。
ありがとうございました。

最後まで、読んでいただき、
ありがとうございました。<(_ _)>
来週から、またいつもの感じに戻ります(笑)
どぞ、よろしくです。





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2011年11月24日(木) ■被災地支援手伝いの報告12…生きねばなんねしね

震災被災支援手伝いの話の続きになります。
もう少し、おつきあいくださいね。

すばらしいホテルの温泉にも入れて、
2日めも無事に終わりました。

次の日は帰る日で、つなぎのいいバスがないので、
午後早くに拠点を出ないといけないので、
半日しか働くことができません。

その半日で、昨日の農家の
そのほかの片付けの手伝いをし、
拠点の掃除をし、この日、
私に与えられた作業を終えました。

そして、スタッフや残っている
仲間たちに別れを告げ拠点をでました。
(3泊4日は短い!)



スタッフがバス停まで
車で送ってくれました。
バス停がある場所は、
ここでした。










南三陸町の高台にある、
「ベイサイドアリーナ」
震災時にいちばんの避難所に
なったところです。





ああ、こうして落ち着いた時に来ると、
こんなに穏やかに見えるんだ…
ここに仮設の幼稚園もあったし、
炊き出しもしていたね…
診察もしていたし、
みんなで寄り添いあっていたね…




などと、震災のときのTVに映し出された
大変なときの映像が浮かんできました。
思っていたより、立派な建物だったので、
印象が違ってびっくりしましたが、
今の落ち着きをありがたく思わずに
おれませんでした。

このベイサイドアリーナの
すぐ目の前にバス停があり、
私は、ここでバスを待ちました。








バスが到着して、バスに乗り込むと、
4人ほどの現地の方が乗客しました。
60代らしい女性が1人、年配の男性が3人。

みな顔見知りらしく、バスに乗り込むと、
おばさんがこんな話をしはじめました。
(私は岩手県生まれで、方言がわかるので、
 方言のまま掲載しますね)



「あのさ、仙台にいる親戚が、
 ちっせい車、ける(あげる)っていうの」
「ありゃ、いがっだ(よかった)でねえの。
 車あれば、便利だべ」

「うん、そうだけどさ…
 津波のとき、車に乗ってで、
 それで逃げたから…さ、
 なんだかおっかね(恐い)ぐて…
 運転できねのさ」

「ああ、そっがぁ〜
 んで、その車はどうした?」
「流されだ〜
 車で逃げたけど、混んで、
 途中で車動かねぐなったもの。
 その後、山に登って逃げたのさ。
 その後、すぐに津波に
 持って行がれだんだ」
「ああ、んだが…
 本人無事でいがったな〜」
「んだ、命さもらった」




こんなことを話しつつ、
「○○さんは、まだみつがってね」
など、亡くなった人の話になり、
流された家の話になり、
今の仮設住宅の話しになったりしました。

大きな声で話していたので、
耳に入ってきましたが、
こんな話が、普通になされているのだと、
あらためて思いました。
その後、この会話が戻ってきました。



「んで、車どうする?
 あった方が便利だべ?」
「うん、そう思っではいる…
 バスも不便だしな」
「もらえばいいべ。
 あれば、誰が使うべ」
「んだな…
 運転できればいいけど、
 慣れでないど、できねし」
「そんなこと言ってられねべ、
 やるごといっぺ(たくさん)あっぺし…」
「んだな〜
 もらうべがな…」




という会話がなされ、
おばさんは、親戚から
車をもらうことを決意したようでした。

ああ、よかった、と思い、
おばさんの方を見ると、
おばさんと目があいました。
私がニッと笑うと、
おばさんも、ニッと笑い、
こう話しかけてきました。



「疲れでね、
 ホントは、何もしでくねのさ。
 何もいらねし、何もしでぐね。

 でもさ、そう言っでられねのさ。
 なんにもね(ない)がら、
 何でもやんねばなんね…
 この年になって、
 こんなにやんねばなんね
 なんてね…
 でも、生きねばなんねし…
 命さもらったがらさ…」




私は、黙って頷き、
また、ニッとすると、
おばさんも、またニッとして、
二人で頷き合いました。




ことばがなくても
何か思いが伝わる…
それは、
生きる重さや辛さ、
悲しみだったり、
いろんな思いが
混じり合ったものでした。





こんな出会いや、こんな瞬間が
たくさんあった被災地の手伝いでした。 

地元の方々はそれぞれ、
違う場所で降りていきました。

車をもらうと決めたおばさんも、
途中で降りました。
もう少ししたら、車が来て、
このバスに乗ることもなくなるのでしょうか。



ああ、もっと何かしたかったな、
もっと手伝いたかったな…
今度は、もっと時間をとってこよう、
と、しみじみ思ったのでした。




明日は、最後になりますが、
「ああ、こういう考え方の人たちもいるんだ」
と思ったお話です。
どぞ、最後までおつきあいくださいませ。<(_ _)>




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2011年11月22日(火) ■被災地支援手伝いの報告11…すばらしいホテル

震災被災支援手伝いの話の続きになります。

私たちは、ビニールハウス撤去作業が無事に終わり、
汗びっしょりだったし、スタッフが車を出してくれる
というので、「南三陸 ホテル海洋」の温泉に入りに
連れて行ってもらうことにしました。



これがすごく嬉しくて…
お風呂に入れるということが嬉しくて、
私たちは、大急ぎで準備し、
いそいそと車に乗り込みました。




ちなみに、場所は、志津川の元の港から、
右側の方、黄色の丸のキラキラみえるところです。









実は、このホテルには、
どうしても来たかったのです。
そうです、
以前ぼちぼち日記で紹介した、
従業員を解雇せず
地元復興のために、
がんばっている
「阿部長商店」が、
やっているホテルだったからです。

(写真は、昼に立ち寄ったときに撮ったもの。
 温泉に入りに行ったのは夜です)



着いてみると、
こんな立派なホテル。









ロビーに入ると、
そこにすばらしい
南三陸の海が
広がっていました。














「わぁ〜
 すばらしい景色だね…
 美しいね…」




私たちは、しばらくこの景色に見とれました。
この海が、牙をむいたなどとは
とても信じられない美しい光景が、
そこには広がっていました。

しかし、夜になると、街にも海にも光はなく…
今は、海だけしか見えないのでした。
かつては、港のあかりや漁り火が見えたことでしょう。




このホテルは、ロビーが5階にあり、
お風呂は2階にあります。
このお風呂がすばらしいのです。
露天風呂から、美しい海を見て、
海の音を聞いて入ることができます。

お風呂のすばらしさは、こちらをどうぞ↓
「お風呂」



私たちは、このすばらしいお風呂に入り、
一日の疲れをとることができたのでした。
復興支援手伝いに来て、こんなふうに
お風呂に入れるのは嬉しいことでした。
ちなみに、お風呂代は820円です。




さて、このホテルももちろん
大きな被害に遭いました。





ロビーや客室は被害が
すくなかったものの、
お風呂のある2階部分と、
1階にある会議室は、津波で、
全く使えない状態となったそうです。

それらの修復をして、やっと
7月末に再開に
こぎつけたということでした。





このときの被害や状況の話は、
こちらで読むことができます。
ホテルのおかみさんの話です。
( http://gra.world.coocan.jp/blog/?p=757
 ※コピーしてアドレスバーに直接入れてください。
 「南三陸の灯を消さない〜
 ハートブレイク・ホテルに集った人々」)

震災の日は、ホテルにはお客様が、
40〜50人くらい滞在しており、
さらに、この日は500人ほどのお客さまが
宿泊なさることになっていたそうです。

そんな中で、ライフラインが使えなくなり、
余震もあり、お客様への食事の手配など、
本当に大変だったということでした。
しかしながら、おかみさんは、



「お客様と近所の人たちに、
 できる限りいい食事を提供するようにしました。
 そのため、従業員には
 「おにぎり1個しかない時は、半分にして
  分けて食べてもらうかもしれない」
 と伝えました。
 本来であれば、お客様には新鮮な海の幸を
 提供したかったのですが、こういう事態です。
 提供できない事情を説明しましたが、
 ありがたいことにご理解いただきました」




ということで、できる限りのことを、
なされたのです。
本当にすごいことを体験なされて、
その体験から、絆は強くなり、
従業員一丸となって、復興に向けて、
がんばっているということでした。

お風呂も入り、お土産も買い込み、
拠点に戻る前に、ホテルスタッフの方に、



「この美しいホテルに、
 今度、必ず宿泊しにきます」




と、声をかけると、




「心からお待ちしております。
 南三陸は美しいところです、
 ぜひ、忘れないでください」





と、答えてくれました。
今回このホテル海洋は、予約がいっぱいで、
泊まれなかったのでが、今度は必ず泊まります。
必ず、来ます、そう思いつつ、
このホテルを後にしたのでした。
 



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2011年11月21日(月) ■被災地支援手伝いの報告10…「幸いってこういうこと言うんだよね?」

震災被災支援手伝いの話の続きになります。

すばらしい観光ホテルを紹介する前に、
もう一つ書いておきたい話がありました。

それは、私たちがビニールハウス撤去をした
農家のおかみさんの話しです。
こんなことを言っていたのです。



「震災があった日ね、実は、
 農産物のかき入れ時で、パートさんも
 お願いして、この場所から
 ちょっと下にある作業場で、
 みんなで作業していたのね。
 そしたら、大きな地震が来て…
 だけど、地震は収まって…
 で、また作業を始めたの。
 だって、やることいっぱいあったから
 ほら、あのへん」









おかみさんが指さした方を見ると、
見渡す限り農地のように見えました。
おかみさんは、そして、
静かにこう語り始めたのです。



「そしたらね…
 大きな声がしたの。
 上の方から、ね。
 「逃げろ、逃げろ〜
  津波だ、津波が来るぞ〜
  逃げろ、逃げろ〜」
 義母が、手を振り回して、
 今まで聞いたことないほどの、
 大きな声で叫んでいたの。

 私たちは、あわてて作業場を
 飛び出して、大急ぎで山側に逃げた。
 必死だった…
 年とったパートさんもいたけど、
 みんなで支え合って逃げた。
 逃げた瞬間に、津波が、
 ものすごい勢いでやってきた。

 あんなすごいもの…
 初めて見て…ただただ仰天して、
 気がついたら、足ががくがくしてた」

「みなさん、大丈夫だったのですか?」

「うん、幸い、パートさんはみな無事。
 でもね、パートさんが乗ってきた車と、
 作業場は、跡形もなく持っていかれた。
 あっという間よ。
 あれよあれよという間に…
 流されていった…
 みんな呆然としてた。
 結局、車もないし、どことも
 連絡とれないし、水は引かないし、
 パートさんたちは、うちに泊まって、
 不安な中でみんなで過ごしたの。

 やっと水が引いて、帰ろうと思っても、
 道がないし、瓦礫で動きようがなくて、
 2日ほど、動けなかった…
 パートさんの家族で、
 行方がわからない人も出たけど、
 どうしようもなかった。
 地獄だったな…」




おかみさんは、そう言うと、
ため息をついて、さらにこう続けました。



「流された作業場ね、
 2月25日に出来たばかりで、
 1500万円ほどかけて、
 建てたばかりだった…
 みんなでこれで今年は、
 いつもより収穫がうまくいくって、
 喜んでた。

 それが一瞬でもっていかれた…、
 こんなこと…あっていいのかと、
 何度も何度も思うけど、
 現実よ、夢でない。
 正直やりたくないの、もうね。
 この年で、また借金して一からなんて、
 やりたくないんだ…
 もう疲れたし…」




ここで、おかみさんは、
一息いれて、私の方を見て、
弱い笑顔を見せました。
そして、こう言ったのです。



「でもね、
 でもね…

 息子がやりたいって言うの。
 志津川でやりたいって言うの。
 ここでやるって言うの。
 地元のために、どうしても、
 ここでやるって言うんだ。

 そう言われたら…
 やらないとね、
 親が助けないとね、
 もう一踏ん張りするか、
 って、思ってね…、
 あなた方が撤去してくれたこの場所に、
 もう一度作業場を作ることにしたのさ。
 前の場所より高台だしね」




そのおかみさんの姿を見て、
私は、涙がこぼれてきて、
押さえようがなくなり、
ぼろぼろと泣いてしまったのです。

すると、私の姿を見て、
おかみさんも涙をこぼしこう言いました。




「今は、泣いちゃったけど、
 もう泣かないって決めたんだ。
 だって、うちは
 最低限の被害ですんで、
 みんな無事だった…
 そして、息子はここでやるって、
 言ってくれるし…、
 土地もある…
 幸いって、こういうこと、
 いうんだよね、きっと」





私は、大きく頷きました。
そして、手を握り合いました。
そしたら、おかみさん、
今度は、満面の笑顔になって、




「あのね、今度、
 孫も出来るんだ、
 初孫だよ」





と、教えてくれました。
私が、思わず、




「そりゃ、もっと幸いだ」




と答えると、おかみさんは、
とても嬉しそうでした。



この地で、やっていくと決めた息子さん、
その息子さんを支えていこうと
決めたおかみさん、
そして、この地に誕生する新しい命。
私は、この地に再び豊かさが戻ること、
大地の平和が戻ることを、
心から祈らずにはおられませんでした。




ということで、この日の作業を終え、
おかみさんにお礼を言い、この場を去り、
汗と疲れを流しに、私たちは、
観光ホテルの温泉に向かいました。
それは、すばらしいホテルでした。

明日は、このホテルの話しです。
 



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2011年11月18日(金) ■被災地支援手伝いの報告9…しろうと集団がんばる

震災被災支援手伝いの話の続きになります。

次の日。私が言いつかった仕事は、
農家の後片付けの仕事。
山間の農地も津波にやられて、今年は農作物が作れず、
瓦礫がまだ残っているところが多いのです。



この日は、畑にまだ残っている、
使えなくなったビニールハウスと、
鉄パイプの撤去の仕事でした。




私たち5人のメンバーが畑に行くと、
この農家のおかみさんがこう教えてくれました。



「このビニールハウスの使える部分は、
 大船渡の農家に持って行くの。
 欲しい人があるのであげるの。
 うちでは、もうビニールハウスは
 この場所ではやらないからね」





地域で使えるものは使う、
回し合う、補う、
互いに助け合うということでした。





そこで、私たちは、おかみさんの指示に従い、
まずは、散らばっている鉄パイプを一カ所に集めて、
使えるものと使えないもの、
大きさを揃えるなどの作業を開始しました。







鉄パイプは、長くて振り回されたりしましたが、
その作業にも慣れて、5人であれこれと手順を考え、
効率的に作業をすすめました。




難関だったのが、
ビニールハウスの撤去。









何しろ私たち5人は、ビニールハウスなど、
見たことはあるものの、こうして触ったり、
もちろん作ったり壊したりしたことなどありません。




そうです、5人全員が、
農家経験全くなしの
しろうと集団。





しかも、この農家のおかみさんは、
地域の集まりがあるということで、
鉄パイプの整理が終わると、
いなくなってしまったのです。

そこで、私たちは、
ビニールハウスがどう建てられていくか、
あれこれと話し合い、どこからパイプを
抜いたらいいか、どうしたらとれるかを
検討してから作業を始めました。

そう検討してはみたものの、
ビニールハウスはがっつりとしていて、
当然ですよね、雨風に耐えられるように
作られているのですから。
私たちが考えているようには行かないのです。



「グラグラと動かしてみようか」
「うん」

グラグラ、
思い切りグラグラ

「あーー、動いた動いた」
「もっと動かして〜」

ボキッ

「あ〜あ、折れちゃったよ〜」
「これじゃ、使い回しできないね」
「ここからじゃないのかなぁ」

とか、

「これは、引っこ抜くのかな」
「あ、ちょっと待って、ここに
 ネジがあるから、このネジを先に
 とってみよう」

ブーン、ガガガ〜

「おっ、とれたとれた、
 これが先だね」
「よかった、よかった〜」




などと試行錯誤し、使ったこともない、
ねじ回しだの、電動器具などを使って、
試行錯誤しつつ作業をし続けました。
そして、さらに、効率を上げるために、



「今日の4時までに、
 ビニールハウス撤去は終えよう。
 そして温泉に行こう」




と目標も決めました。
(近くに温泉があり、そこに行きたかったのです)
そして、パイプを引っこ抜いたり、
指定場所に黙々と運んだりしました。

この日は、暖かい日だったので、
汗びっしょりになりました。
でも、温泉に行くと決めていたので、
みなで、頑張りました。

途中に、おかみさんがいったん戻ってきて、
冷たい飲み物を差し入れてくれ、
とてもありがたくいただきました。








このような差し入れはよくあって、
本当にありがたく思いましたし、
嬉しいことでした。




そして、ついに、
私たちしろうと集団は、
ビニールハウスを
撤去できたのです。
ほらね。









「できた、できた〜」
「ばんざーい、やったね〜」

「ところで、今何時?」
「あーー、ぴったり4時だ」
「スゴイ、スゴイ!」




ということで目標の4時に
ビニールハウス撤去作業を
終えることができたのです。

この後、器具や周りを整えたりして、
全部の仕事が終了したのが5時前。



ボランティアの拠点に戻り、
この日は、近くの観光ホテルの温泉に
車で連れて行ってもらうことにしました。




それは、すばらしいホテルでした。
そして、この観光ホテルで、
南三陸志津川のすばらしさや
これからの未来を見つけることができたのです。

この話は、また来週。
もう少しだけおつきあいくださいね。





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2011年11月17日(木) ■被災地支援手伝いの報告8…「2000万円じゃだめね」と言われた話

震災被災支援手伝いの話の続きになります。

昨日まで、現地の方々との出会いの話しでしたが、
こんな豪快な方もおられました。
これは、南三陸町にある「ホテル海洋」
(7月25日に営業再開)
のエントランスでのことでした。



60代の女性が通りがかったので、
コメント書き込みをお願いしたら、
とても気持ちよく、




「いいわよ」




と、ペンをもたれたのです。



しかし、その後、
フラッグにコメントを
書こうとせずに、遠くの方を見て、
黙り込んでしまったのです。




私は、何を書こうか考えてくだっているんだと思い、
ゆっくり考えてもらおうと、少し離れかけました。
すると、この女性がこう話しかけてきたのです。




「2000万じゃダメね」
「えっ?
 2000万ですか?」
「そう、ダメね…」





そう言うと、また黙り込んでしまったのです。
2000万…何がダメなのかしら、
とんでもなく大金なのに、
と思いながら、しばらく黙っていると、
女性は、また、話しかけてきました。



「私ね、震災直後に2000万ほど、
 被災地支援に寄付したの。
 でも、今回、主人の会社の車で、
 岩手県の宮古から、海岸線を下ってきて、
 ずぅっと被災地を回ってきたら、
 海岸沿いは、ほとんど壊滅状態で、
 そんな金額では、とても足りない、
 そんな金額では、何もできないって、
 ……そう思ったの。
 もっと、お金ださないとダメね」




私は、頷きつつも、どう答えていいか迷い、
こう聞き返しました。



「ずっと被災地を回ってこられたのですか?」
「そう、1週間かけて海岸線くだってきたの。
 宮古にいく前には、福島にも行ったわ。
 どこも…ひどかったわ。
 言葉もでないくらいに」
「はい…
 震災直後よりは、大分瓦礫などは
 片付いたらしいのですけど」




すると、さらにこの女性は、
こう話を進めました。



「実はね、3月11日、
 宮古に主人の仕事で一緒に
 ついていく予定だったの。
 でもね、海外にいる娘が
 引越をすることになったので、
 急遽、アメリカの方に行くことになったの。
 でも、そうでなければ…
 震災にあっていたわ。
 行く予定になっていた宮古の建物は、
 跡形もなくなっていたのよ。
 まさに海岸の側にあったね。
 ちょっとしたことが、
 人の運命を変えるものね」
「まぁ、そうだったのですか…
 本当にそうですね」 

「アメリカのTVでもやっていたから、
 ひどいということはわかったけど、
 これほどまでとは思わなかったわ」




私が大きく頷くと、女性は、
ペンを持ち直し、フラッグに
こう書き込みしたのでした。




復興支援します。
これからもずっと。
負けないで、東北。





そして、こう言ったのです。




「もっと支援金を出すわ。
 おとうさんにもお願いしなくちゃ。
 私もだすわ。
 2000万円なんて、
 ケチなこといってられないわね」
「はい、お願いします」





女性は、大きく頷き、




「東北には、恩があるから、
 これからお返しするわ、
 出せるだけね」





と、言われて、初めて笑顔になりました。
どこかの会社の奥さまだったようですが、
かなり豪快な方でした。
そして、そう言うとしゃんとして、
立ち去っていかれました。

以前、「ことば探し」で、
松山千春さんのことばを紹介ました。
(こちら→「ことば探し」




知恵があるやつは知恵を出そう
力があるやつは力を出そう
金があるやつは金を出そう
自分は何も出せないよ
というやつは元気を出せ




私の頭の中には、このことばが
ぐるぐると浮かんできてました。
本当にそうだな、と。

ということで、
こんな豪快な方もおられて、
驚いたりもしました。



明日は、次の日の作業、
今度は、肉体労働をした話しです。
働きましたよ〜






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2011年11月16日(水) ■被災地支援手伝いの報告7…「なんでこんなに世の中不公平なんだ」と言われたこと

震災被災支援手伝いの話の続きになります。

私は、課せられた仕事をするべく、
コンビニの前や観光ホテルのエントランスで、
レインボーフラッグのコメント書き込みお願いを、
いろいろな方に声をかけました。
すると、また、こんな出会いがありました。








とあるコンビニの前でのこと。
一人の50〜60代の女性が車から降り、
コンビニに入り、買い物をして出てきました。
もちろん、声をかけました。



「よろしかったら、コメント
 いただきたいのですが、どうでしょう?」




すると、女性は、
こう言ったのです。



「書くと涙がでるから、書かない、
 ごめんね」




その女性の目を見ると、すでに涙の後があり、
とても辛い思いをしているのだとわかりました。
そこで、こう答えました。



「ありがとうございます、いいですよ。
 大丈夫ですか?」




すると、女性は、自分の服を指さして、
こう話し始めたのです。



「この服も靴も全部もらいもの。
 全部、なくしちゃったからね。
 何もかも、ね。
 今は仮設住宅、家にあるのも全部もらいもの。
 ありがたいけど、自分のものじゃないから、
 どうしても、似合わないわね」
「その服、似合ってらっしゃいますよ、
 ホントですよ」
「そう?
 でも、やっぱり違うのよね、感じが」
「そうでしょうね…
 全部なくされたんですね…」




そして、さらに女性は、
こんな話をし始めたのです。



「あのね、私、そのほか、
 3つもいっぺんになくしたのよ」
「3つですか?」

「うん…離婚して…
 そしたら、その後で、津波が来て、
 全部持って行かれて…
 そして、その後、体調がおかしくなって、
 病院に行ったら、乳ガン見つかって…
 今はやっと治療できるようになったけど、
 転移もしてるらしいし…
 髪も抜けてきたし…
 健康もなくして…」




私は、その話を聞いて絶句し、
涙がこぼれてきて、その女性も涙をこぼし、
二人で、手を握り合いました。
しばらく、二人で嗚咽した後、
女性は、こう言いました。




「なんで、こんなことばかり、
 起こるんだかね。
 私、悪いことなんて
 してきてないつもりだけど。
 なんで、こんなに不公平なんだと、
 怒りでいっぱいなのさ」





私も、そう思ったので、
大きく頷き、その女性の手をさらに
握ると、女性は、さらに、
こんなことを言ったのです。



「でもね、いちばん辛いのは、
 なくしたことでないの。
 いちばん辛いのは、
 周りの人たちの冷たいことばだね」
「冷たいことば?
 そんなこと、仮設住宅でもあるんですか?」

「あるんだよ…
 仮設は、知らない人ばかりで、
 どんな人かもよくわからないしね。
 抗ガン治療で体調が悪いので、
 あまり仮設のことを、掃除とか、
 手伝えないでいると、
 あの家は寝てばかりいるとかね…
 何もやらないとかね。
 辛いよ、そんなことばが」





3つもなくされて、
生きる力をなくしている方に、
さらに周りの冷たいことば…
仮設住宅にも、
事情はいろいろとあるのでしょうが、
あんまりだと、私にも思え、



「辛いですね…
 世の中、
 本当に不公平ですね…」




と、いうのが精一杯でした。
そして、再び、二人で泣き合い、
ただ手を握りあっていました。
しばらくすると、女性は、



「ありがとう、聞いてくれて。
 こうして聞いてくれる人がいると、
 少し元気になる…
 元気がないと、悪いことばかり、
 考えちゃうからね」




と言い、手をはなし、車に乗り込みました。
車の窓越しにこう聞いてみました。



「仮設はお一人で住んでいるんですか?」



すると、



「娘と一緒よ。
 それだけは幸いよ。
 ただ、今、仕事がないんだ。
 この辺りにいちゃ、ないんだわね、
 なんとかしたいけど…今は無理だね」




これが、現実なんだと知りました。
私は、ことばがなかったのですが、
最後にこう言いました。



「娘さんがいてよかったですね。
 こんなによくないことが続いたのだから、
 これから、きっといいことあります。
 私は、そう信じます」




すると、女性は、また手を握ってくれて、
にこっと笑って、車を出発させました。
私は、手を振って見送りしました。



しかし、こんな出会いばかりではありません。
とても豪快が出会いもありました。
明日は、この豪快な出会いの話をしますね。






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