まゆのウォーキング、ぼちぼち日記

2011年11月15日(火) ■被災地支援手伝いの報告6…「どうにのなんねもの」と言われたこと

震災被災支援手伝いの話の続きになります。

明日から、いよいよ稼働開始。
夜に、明日何をするかの連絡がくるというので、
待っていると…来ました!



私がやるべき仕事は、
フラッグへの書き込みのお願いと、
被災者との話をすることでした。




具体的に言うと、
11月11日に南三陸町に掲げることになっている、
「絆レインボーフラッグ」に多くの方からの
メッセージを書いてもらう仕事と、
(コンビニの前、病院内、観光ホテル内などで)
その依頼をしながら、現地の方々の、
今何が必要か、どんな状況か、
などコミュニケーションをとる仕事です。

ちなみに、「絆レインボーフラッグ」というのは、
私が参加した、社会貢献共同体ユナイテッドアースの
プロジェクトのひとつで、



「9月以降、被災者の方数名に
 「忘れ去られるのが一番辛い」
 と言われました。
 9月11日以降はすべての情報や、
 支援も激減してきております。

 そこで、2010年「平和」への意識を
 若い世代に大きく広げていくムーブメントとして
 実施して大成功となった
 「絆レインボーフラッグ」プロジェクトを、
 今度は被災地応援バージョンとして、
 「希望」をテーマに実施することにしました」

(詳細は→「東北を忘れないで!」



というものです。
日本全国からメッセージを書いてもらい、
(一部他の国々からも届いています)
それを、南三陸町で掲げるプロジェクトです。


と、話は戻って、私は、短期間しかできないし、
瓦礫処理でも炊き出しでもなんでもしようと
思って行ったので、張り切って出発。

最初に、志津川病院に行き、
病院内の一角で、書き込み依頼できないか、
リーダーが交渉に行きましたが、
この日は混んでいて、バタバタしているので、
遠慮してほしいということで、
この日、病院ではしないことになりました。



それもそのはず。
志津川病院は今、仮設病院で、
こんな感じだったのです。






(手前は仮設トイレ)



(病院の入り口)



(診察室前の待合所)



外はもう寒いので、患者さんたちは、
仮設の待合室に集まっていました。








職員さんは、この仮設病院をあちこち
行き来していて、大変だということが
よくわかりました。
職員さんたちの顔が、
笑顔だったことが幸いでした。
まだまだこんな状態です。




さて、病院がダメだったので、今度は、
道路沿いにあるコンビニの店頭でのお願いをすると、
快諾してくれ、店頭で、
お客さんに、フラッグの書き込みを
お願いすることにしました。



「レインボーフラッグに、
 メッセージ書き込み、
 お願いします」




と、お客さんに声をかけると、
反応はさまざま。



「うん、いいよ〜」
と快くペンを持ってくださる方、
考えて書き込んでくださる方、

「もう、前に書いたよ、
 がんばってね」
と応援してくださる方、

「今日は、忙しいから」
「書くことないから」
とやんわりと断る方、

まったく無視という方など、
いろいろおられました。





コンビニに買い物に来るお客さんも、
現地の方もいれば、三陸町に仕事に来ている方、
ボランティア作業に来ている方など、
などさまざまで、それぞれ、
状況が違うのだろうなと感じられました。

この中で、
いくつか印象に残った出会いがありました。

70代くらいの男性に声をかけると、
やや怒ったように、



「書ぐことなんてなにもねぇ。
 書いたって、どうにもなんねもの。
 こんな状況じゃ、どうにもなんねべ」




と、言われたのです。
そこで、こう話しかけました。



「そうですね、この状況だと、
 どんにもなんね…ですね」
「うん、津波で全部持っていがれだしさ。
 どうにもなんねね…
 なんにもねもの。
 だから、書ぐごともね」
「じゃ…その気持ち、
 書いてもらってもいいですか?
 どうにもなんね、って」




すると、この男性はニヤリとして、
静かにペンを取り、




「どうにもなんね」




と、書き込んでくれました。
もちろん、私もニヤリとしました。
その後、こんなやりとりがありました。



「どうにもなんね、ですけど…
 私たち大人はそれでもいいけれど、
 息子さんや娘さん、孫たちのため、
 これからの若い人たちのために、
 なんとかしていかねばなんね、
 のではないでしょうか。
 大変だけど、もう一踏ん張りして。

 私たち大人があきらめたら、
 いけないと思うんです。
 こうして、若い人たちがんばっているし。
 それが、私たち大人に課せられた
 このたびの役目だと思うんです、
 うんと、大変だけど…。
 私も何かやれることやりますから」




と、偉そうなことを言ったのです。
すると、この男性は、
しばらく黙っていましたが、
一言、




「んだな…」




と言ったのです。
私は、その一言を聞いて、
そのあまりの重さに、
涙がこぼれてしまいました。



すると男性は、
私の肩をポンポンとして、
車に乗り込みました。
そして、車の窓から、手を差し出し
私の目を見て、しっかりと握手してくれたのです。
そして、じゃ、と手を振って
去って行きました。
ありがたかったです。




男性の顔には深い皺が刻まれており、
今まで懸命に働いてきて、この地で、
いろいろなものを築いてきたと察せられました。
それを、すべてなくしたのです…

そのことを思うとき、
これから先もまたがんばることの大変さ、
大きな喪失感、あきらめ、との戦いで、
やる気を出すことのむずかしさなどなど、
感じられて、ただ頭を下げました。
そして、最後まで手を振って車を見送りました。


こんな印象的な出会いが
いくつかありました。
明日も、またこの続きになります。




■コメントが書ける「ぼちぼち日記」はこちら


 気軽にコメントが入れていただけます。 →「ぼちぼち、お散歩日記」
■「ことば探し」に戻る時→  「ことば探し」
■「ことば探し」メールマガジン(月〜金)発行しています。

 「今日のことば」以外の過去のことばも紹介しています。
  コンパクトで、読みやすい構成にしています。
  →「購読申込み」



2011年11月14日(月) ■被災地支援手伝いの報告5…ボランティア拠点での不安

震災被災支援手伝いの話の続きになります。

ボランティアスタッフに南三陸町志津川の
全体像や街の細かな様子などを見せてもらった後に、
ボランティア拠点(志津川の山側にある)に移動。



私がお世話になったボランティア団体は、
「ユナイテッドアース
南三陸町復興支援プロジェクト」

というところ。
震災直後から、この地で活動をしています。




拠点はすでにボランティアをしている方々が
40人ほどおられて、共同生活をしていました。



男女半々くらいで、
20〜30代の方々が多いという印象。
他の年代はちらほらって感じ。
震災直後からいる方々から、
2ヶ月くらいの長期滞在している方、
そのほかリピートで、
何度も来ている方がとても多く、
それにプラス、日々新しい方が入る、
ということでした。




その日のボランティア作業が終われば、
その日の反省会をしたり、好きなことをして過ごす、
そんな自由な感じがありました。
部屋は、男女別に分かれていました。


さて、初めてこの活動に参加する
私たち7人は、拠点に着いてから、
この活動のリーダーから、
拠点施設説明、共同生活の注意点、
現在のボランティア活動や実際の仕事などの
レクチャーやミーティング、
その後、自己紹介などをし合いました。



驚いたのは、この日ここに来たのが、
兵庫、愛知、静岡からの方もいて、
私のように短期間でなく、
1週間〜2ヶ月という方が
大半だったことでした。




年代は私がもちろんいちばん上。
一番下は、兵庫県から来た女子大生。
これから福祉の仕事をしていきたいということで、
一人で兵庫県からバスを乗り継ぎ、
2日間かけてきたとのこと。



「偉いなぁ〜」
と言うと、
「そんなことはないです。
 私が通っている大学では、
 多くの人がすでに来ています。
 神戸震災も経験しているから、
 みんなボランティア活動に対して、
 積極的なんです。
 私は遅い方で、いつか来たいと
 思っていてやっと来たんです」




と、張り切っていました。
もっとも、この女子大生は私と同じ短期滞在。
二人で、短い間だけど、
やれることはやろうと言い合いました。

私が、今みている友人の娘(ほぼ同年代)とは、
なんという違いだ、正直思いました(笑)
娘の話はまたいずれ。

その後、みんなで夕飯をいただき、
(夕飯を作ってくださる後方支援の
 ボランティアスタッフがいます)
この日は終了、その後自由行動。




1つだけ、正直、
「大丈夫かなぁ」
と、不安に思ったことがありました。

それは、トイレ。
 
この人数(40〜50人)にして、
簡易トイレが1つしかないのですね。




でも、文句は言ってられないし、
不安に思っても仕方ないので、ここでまた



「できるようにしよう。
 みんなこれでちゃんと生活している。
 私にだって大丈夫。
 なんとなる」




と、思い、不安を払拭。
どんなに快適な生活に慣らされているか、
しみじみ実感。
そして、その後、
本当に何とかなりました。
よかったです。




外に出て街の方向をみると、
光はほとんどなく…
星がとてもキレイに見えました。
ああ、南三陸町に来たんだ、と
実感しつつ、
こうして活動できることを、
心からよかったと思いました。





お風呂もひとつしかないので、
この日は、私は入らず、
荷物の整理や拠点状況をつかんで就寝。
でも、お風呂に関しては、後で、
すばらしい報告をします。



そして、次の日。
いよいよ活動開始。




明日から、この活動について書きますね。




■コメントが書ける「ぼちぼち日記」はこちら

 気軽にコメントが入れていただけます。 →「ぼちぼち、お散歩日記」
■「ことば探し」に戻る時→  「ことば探し」
■「ことば探し」メールマガジン(月〜金)発行しています。

 「今日のことば」以外の過去のことばも紹介しています。
  コンパクトで、読みやすい構成にしています。
  →「購読申込み」



2011年11月11日(金) ■被災地支援手伝いの報告4…がんばっている店がある、人がいる

《お知らせ》
14日月曜日は、午後1時頃のアップになります。
いま、しばらくお待ちくださいませ。
どぞ、よろしくです。<(_ _)>




被災地支援手伝いの続きになります。

志津川の街の全体像を見てから、
志津川中学校から降りてきて、
街の中を見て回ることになりました。
もう少し街の紹介させてくださいね。



街は、まだまだこんな感じの
ところばかりでした。









これでも大分片付いたのだと
スタッフが教えてくれました。




また、この建物は、
あまりに有名になった
「防災対策庁舎」
日が暮れて、左上の方に、
美しい三日月が見えていて、
あまりに悲しい風景でした。









ここで最後まで、
「高台に逃げてください」と
放送し続けた遠藤未希さんほか、
職員の方が何人か亡くなられました。

そんな遠藤さんや職員の方々のための、
こんな祭壇が出来ていました。
私も、手を合わせてきました。








そして、
瓦礫がまだまだ片付かない街中でも、
店を開いているところもありました。
ほら、青空ガソリンスタンドです。









ちょっと嬉しくなって、働いている方に、



「屋根なしでもやれますね」



などと話しかけると、



「やんねばね、
 屋根なしでもね〜」




と、嬉しそうな笑顔が返ってきました。
私も、大きく頷き、その方と
握手などをしてきました。




このような
ちょっとしたふれあいにも、
何かこう通じるものがあるのです。
お互いに、やれることをしよう、
と、いうような思いです。
そういう思いが互いに
感じられるのです。





また、コンビニもがんばっていました。
何もなくなった道路に、
こんなふうに、ポツンと
セブンイレブンやローソン、
ファミリーマートなどとありました。









そして、そのコンビニの脇に、
こんなふうに仮設トイレが作られていました。








手前に見えるのは、手を洗うための水タンク。
これらを、コンビニが供給しているのです。




コンビニ偉い!
コンビニスゴイ!
コンビニやるな!
と、心から思いました。





街は、まだ復旧の見込みもたってないけれど、
こうして、がんばっている店や方々が
あちこちにいて、応援せねばな、と
本当に思うのでした。

来週は、出合った方々の話を中心に
していきます。



《お知らせ》

私が参加した社会貢献団体(ユナイテッドアース)が、
震災から8ヶ月の本日11月11日の夜、
各地域でイベントを開催するようです。
もし、よろしかったら、参加してみてくださいね。
■詳細はコチラ→「絆プロジェクト」




■コメントが書ける「ぼちぼち日記」はこちら


 気軽にコメントが入れていただけます。 →「ぼちぼち、お散歩日記」
■「ことば探し」に戻る時→  「ことば探し」
■「ことば探し」メールマガジン(月〜金)発行しています。

 「今日のことば」以外の過去のことばも紹介しています。
  コンパクトで、読みやすい構成にしています。
  →「購読申込み」



2011年11月10日(木) ■被災地支援手伝いの報告3…高台に行き見た街は…

被災地支援手伝いの続きになります。

山の中の道端に降りて、
この辺りは、大丈夫だったのだろうか、
ときょろきょろしていると、
現地のボランティアスタッフが
車で迎えに来てくれました。

この日は、私と同じように支援手伝いをするために、
一緒に移動してきた人たちが7人いて、
その7人と車に乗り込み、活動拠点の宿舎へ…
と、思ったら、
迎えに来てくれたスタッフが
こう言ったのです。



「初めても方もおられるので、
 ちょっと志津川の街を
 見ていきましょう」




そこで、山を下りて志津川の街へ。
私は、一度きているので、だいたいの街の様子は、
しっていましたが、その時にはいけなかったところも、
いくことができました。




そして、もっと悲惨な
志津川の街の状態を知ることに
なったのでした。





スタッフが、



「まずは、
 街全体を見てみましょう」




と言うことで、
震災のときによくTVに出てきた
高台にある志津川中学校に向かいました。




車から降りて、
街の全体を見渡せる場所に行くと、
そこには、
何もなくなった土地が見えました…









先の方に、今は穏やかに見える海から、
15〜17メートルの津波が襲ってきて、
多くの方々と街を飲み込んでいったのです。




ここに生活の場があったのです。
みなで暮らしていたのです。
でも、今は、何もないのでした。





ちなみに、以前の志津川の街は、
こんなに豊かだったのです。
(河北新報写真より)








それが震災後、
こんな状態になりました。








以前はこんなに活気あふれる市場が、








こんな状態に破壊されつくしました。








でも、今は少しづつですが、
市場の片付けも進み、
漁業も再開されてきているそうです。
ちょっとほっとしました。

この街の全体像を見て、
本当にどうしていくのだろう、
これからどうなっていくのだろう、
と、思うことだけしかできませんでした。



「あれが、避難所になった中学校で、
 その先にあるのが仮設住宅です」




と、次に、スタッフに促されて、
志津川中学校の方をみると、
これが志津川中学校の一部の画像。
(全体像はこちら→「志津川中学校」








中学校の校庭の一部に、
仮設住宅が建っていました。
林の下の方の建物がそうです。









ここで今、
街に住んでいた方々が、
生活しているのです。





でも、ここはかなりの高台で、
車がないと不便なところです。
かなり不便を強いられているとわかりました。

そして、志津川は高台にそれほど土地がないので、
仮設住宅を作るにも、住居を建てるにも、
苦労しているとも知りました。

スタッフの好意で、街を見てまわり、
胸が苦しくなりつつ写真を撮り続けましたが、
明日は、前回では紹介できなかった街の様子や、
拠点情報など報告します。
いよいよ活動開始です。





■コメントが書ける「ぼちぼち日記」はこちら

 気軽にコメントが入れていただけます。 →「ぼちぼち、お散歩日記」
■「ことば探し」に戻る時→  「ことば探し」
■「ことば探し」メールマガジン(月〜金)発行しています。

 「今日のことば」以外の過去のことばも紹介しています。
  コンパクトで、読みやすい構成にしています。
  →「購読申込み」



2011年11月09日(水) ■被災地支援手伝いの報告2…バスを乗り継いで着いた町

しばらく被災地支援手伝いの話になります。

宿泊施設、交通機関が少ないこともあり、
自分が思い描いていた計画
(ホテルか旅館に泊まってそこを拠点に活動する)
からは、大きくずれてしまいましたが、
現地のボランティア団体の活動に参加することにして、
ともかく出かけることにしました。

やや不安やとまどいはありましたが、
そんな自分の不安や戸惑いより、
ともかく行ってみよう。
行けば、なんとかやれる、と思って。




荷造りをして、
いざ南三陸町に出発。





今回は、現地で役立つようなものは、先に送り、
(毛布、タオル、米、カップラーメン、コーヒー、お菓子など)
手に持って行く荷物は、日数分の着替え
(短期間の人は、現地での洗濯はできないので)
日々使う生活用品を中心に詰め込みましたが、
なんだかんだと揃えたら大きな荷物になり、
結構な重さになりました(苦笑)




それらを引きつつ、
新幹線で仙台に。





仙台駅に着き、駅がどうなっているかと、
きょろきょろ見渡してみると、
駅の中は震災前と変わらずにぎやか。









「やっぱり仙台駅は
 立派で大きいなぁ」




と、感じました。
ただ、よーくみると、あちこちで修理がなされており、
震災の爪痕は、まだまだあるのが実態です。








仙台の街も相変わらず華やかで、
多くの人が行き交っていて、
仙台駅近辺を見る限り、
震災前と変わったところは
見受けられませんでした。




さて、そんな仙台駅のバス停から、
バスを乗り継ぎ、南三陸町に向かうのですが、
こんな乗り継ぎをしていきます。



○仙台13時10分発
   ↓
 登米市役所14時46分着
   ↓
○登米市役所15時10分発
(南三陸町 平成の森行きのバス)
   ↓
 入谷中の町15時50分着 
   ↓
○現地ボランティアスタッフのお迎えで、
 志津川町内へ




だいたい、南三陸町志津川に着くのは、
16時15分頃の予定。




いよいよ、登米市役所へ
向かって出発。





時間通りに来たバスに乗り込み、
窓の景色を見ると、
東北の秋を感じることができました。
その風景は、何事もなかったように
本当に穏やかでした。
これは、北上川です。








バスを乗り継いで着いた
登米(とめ)市役所がこちら。








この辺りは、内陸部でしたが、
6弱〜6強の揺れがあり、
建物被害や橋や道路が壊れ、
死者22人、負傷者51人もあり、
かなり大きな被害を受けたということでした。

また震災前後は、
避難者が6230人にいて、
南三陸町からの避難者も830人に
及んだということです。





この市役所の前のバス停から、
次の入谷中の町に。









登米の町中は、とても美しく、
並木道の銀杏がすばらしく色づいていました。








しかし、次に降りた、
入谷中の町はこんな山の中。










やや不安になりましたが、
もちろん、現地スタッフがちゃんと
迎えに来てくれて、無事に志津川に
着くことができました。



そしてこの後、現地スタッフが、
宿泊所に行く前に、南三陸町志津川の街を
見せてくれたのですが、今までの景色と一変し、
まったく違う町並みに呆然としたのでした。




この続きは、また明日。




■コメントが書ける「ぼちぼち日記」はこちら

 気軽にコメントが入れていただけます。 →「ぼちぼち、お散歩日記」
■「ことば探し」に戻る時→  「ことば探し」
■「ことば探し」メールマガジン(月〜金)発行しています。

 「今日のことば」以外の過去のことばも紹介しています。
  コンパクトで、読みやすい構成にしています。
  →「購読申込み」



2011年11月08日(火) ■被災地支援手伝いの報告1…そっか、まずはここからか…

復興支援、法事を無事に終了いたしまして、
元気に戻ってまいりました。
また、通常通りにアップしていきますので、
どぞどぞよろしくです。<(_ _)>

今日から、南三陸町復興支援手伝いに
行ってきた話を報告していきますね。
まずは、終わっての印象。



「2〜3日では、
 短か過ぎるなぁ。
 これじゃ、何の
 手伝いにもならないな」




ということでした。
今回の被災地支援手伝いは3泊4日でしたが、
移動にほぼ1日かかる(交通手段がない)ので、
とても効率が悪く、働けるのは、
実質2日半くらいだったのです。



被災地現状からすると、
最低でも1週間は滞在して
働きたいところです。
今度は、そうしますよ〜




もっとも今回は、現地に行き、
何かしらの手伝いをしながら、
「自分にできることを探る、
 手伝えることを探る」
という目的だったので、その目的を達成するべく、
いろいろと聞いたり、見たりしてきて、
これからの私なりの支援方針を決める貴重な
体験となりましたのでよかったです。
現地に行き、体験しないと
わからないこといっぱいありますからね。



そんな短い
被災地支援手伝いでしたが、
いろいろな出会いがあり、
いろいろ感じることもあり、
何度も号泣したり、
笑いあったりしました。
今回は、
出会いや現地模様を中心に
報告していきますね。





さて、
復興支援手伝いの旅は、
こんな実感から始まりました。




今回の支援手伝いをするために、
現地のボランティアセンターに問合わせしたり、
いくつかの団体にコンタクトをとったり、
したのですが、当然ながらこう言われるのです。




「宿泊手段、移動手段は、
 各自で確保お願いします」





「わかりました」と答えるのですが、
実際に現地のホテルや旅館、宿泊所に電話をすると、
すでにいっぱいで泊まれないのです。
宿泊施設も被災しているので少ないし、
仮に泊まれるとしても、だいたいは、



「車ですか?
 あ、車じゃないんですか…じゃ、
 ボランティアセンターまで行く交通手段が
 ないので、通えないと思います」
「バスとか、ないのですか?」
「ないですね…」
「タクシーはどうでしょう?」
「ありますけど…
 車で30分くらいかかるから、
 遠いし、お金がかかりますよ」




と、言われるのです。
が〜ん、です。
また、



「隣町だと泊まれるかもしれません。
 朝と夕方のバスがありますし」




と、言われて隣町をあたると



「すいません、お一人さまは、
 受け付けていないのです、
 部屋数が少ないので」
とか、
「企業が借り上げ契約しているので、
 いっぱいなんです」




と、言われたりして、ともかく、
宿泊場所を確保すること、
交通手段を確保すること、
が、大変なのです。




そうか…
こういうことから始めなくちゃ
いけないんだね。
普通とは全然違うんだね。





と、しみじみ実感したのでした。



といって、
寝袋もテントもないしなぁ〜
今時期は、寒いだろうし…
でも、必ず手はあるはず…と、今度は、
「宿泊ができるボランティア団体」
を探し、そこでお世話になりつつ
手伝うことにしたのでした。




そう決めたものの、
初めての場所、もちろん団体生活!
そんな生活を何十年間もしていない私にとって、
戸惑いと不安は大いにありました。



一緒に生活できるかな?
トイレはどんなかな?
お風呂はあるかしら?
どんな人たちがいるのかな?
耐えられるかしら?
などなどね。





でも、
そんな贅沢は言ってられない、
ともかく現地に行き、
手伝うことが大事!
行けば何とかなる!





と心を決めて、
自分なりに必要だと思うものをつめて、
荷造りして出発したのです。
何とかなったかどうか、
明日から書いて行きますね。



そうそう、今は、旅行社が企画している
「ボランティアツアー」などもあります。

(観光付きもありますよ〜)

こちらに行くのも手ですが、このツアーは、
だいたいは半日〜1日くらいの手伝いしか
できないことが多いのと日程が決まっています。
でも、気楽にいけるのでいいと思います。
観光で支援もありだと思いますし。
これにも一度は、行ってみようと思っているところです。
(詳細は→「ボランティアツアー」

また、私は、宿泊施設に予約できませんでしたが、
早い時期に予約すれば、現地のホテルや旅館も、
宿泊できると思います。




■コメントが書ける「ぼちぼち日記」はこちら

 気軽にコメントが入れていただけます。 →「ぼちぼち、お散歩日記」
■「ことば探し」に戻る時→  「ことば探し」
■「ことば探し」メールマガジン(月〜金)発行しています。

 「今日のことば」以外の過去のことばも紹介しています。
  コンパクトで、読みやすい構成にしています。
  →「購読申込み」



2011年10月28日(金) ■大いに違和感あるね〜何が意味があるのでしょうかね?

《追記》

もし、現地のネット環境がよければ、
その日の状況を配信いたしますね。
行ってみないとわからないので、様子をみて。

《お知らせ》

31日から、被災地に後片付けのボランティアに行き、
その後、法事が続くので、11月7日(月)まで、
お休みにさせていただきます。<(_ _)>
がんばって働いてまいりますっ。
そして、また報告いたしますね。



今年の秋は、暑かったり寒かったりの差が
大きいなと感じています。
そんななので、暑くて半袖の次の日に、
寒くて2枚着たりして調整しています。

そんな気候変化に、
違和感を感じたりしていたのですが、
ウォーキングをしていても、
違和感を感じたものがあったのです。
今日は、



「うーん、まいったね、
 違和感あるね〜あるね〜」




と、申し訳ないけど、
しみじみ思っちゃったもの紹介です。



まず、最初はこちら。








2つの道路で、Vの字になっている
真ん中のところに、
こんなものがひっそりとありました。









お地蔵様なのか、
かつてここで事故でもあって、
それを弔うものなのか、
誰かのお墓なのか、
ここを通るたびに、
どうしてここにあるのかな?
と、疑問に思うのですね。





周りをみても、何も書かれていないし、
何かの名残なんでしょうね、おそらく。
囲みが白く、新しく作られたようなので、
どっかから、持ってきたのかもしれませんし、
もともとここに建っていたお宅に
あったものかもしれません。
だとしても、不思議な場所にあるなぁと思うのでした。

でも、いつもちゃんと花やお茶がお供えしてあるから、
きっと、何かあるのでしょうね、意味が。



でもま、これは「なぜ?」
と疑問には思うけど、
それほど、違和感は感じませんでした。





が…次に紹介するのは、
大いに違和感あるねと
びっくりしたのです。



それは、こんな通りでみつけました。
真ん中あたり、何かが立っていますよね。









これね、近づいてみたら、
立派な立派な




「観音様」
でした。
ほらね。










でも、この観音様が立っているのは、
こんな今風のマンションの前。
バックはこんな風景。









う〜ん、どこにあっても、
観音様はいいのでしょうが、
この環境に、この観音様、
大いに違和感あるなぁ…






と、私はしみじみ感じたのでした。
かつてここにお寺があり、
その名残でしょうかね?



そんでもって、
この観音様は、
こう呼ばれているようです。










「おふくろ観音」




私の心の中は…もやもやで、
違和感でいっぱいでした。




このような場所にあるからありがたいのか、
庶民的なおふくろ観音様だから、身近なのか…
ともかく、ここに観音様は
静かにたたずんでおられるのでした。
もちろん、手を合わせてきました。
帰ってきてから、調べてみたら、



「今から7年程前、
道の高速道路建設に伴い
小さな三角形の土地しか
所有出来なくなってしまった寿徳寺は
管理しているこの僅かなスペースに
“おふくろ観音”と名付けた
青銅製の観音様を奉りました。
どんな人でもお袋さんがいるので
誰からも馴染み深い観音様であってほしいと
住職はこの名前を付けました」




ということがわかりました。
やっぱり何か意味はあるのですね。
(それでも、違和感あるなあと思うのですが)
道ばたにはいろんなものがありますね。
だから、楽しいですね。

では、しばらくお休みいたします。
どうぞ、よろしくです。





■コメントが書ける「ぼちぼち日記」はこちら


 気軽にコメントが入れていただけます。 →「ぼちぼち、お散歩日記」
■「ことば探し」に戻る時→  「ことば探し」
■「ことば探し」メールマガジン(月〜金)発行しています。

 「今日のことば」以外の過去のことばも紹介しています。
  コンパクトで、読みやすい構成にしています。
  →「購読申込み」


 < 過去  INDEX  未来 >


まゆ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加





《旅に行きたいですね〜》