| 2009年03月17日(火) |
振り込み詐欺撲滅!賛成です。 |
最近の掲示板事情の続きです。 昨日は、犬の散歩の注意喚起が多いと 書いたが、次に多く 貼ってあった注意喚起はコレだった。

振り込み詐欺撲滅だ。 まだまだ多いんだね。
「振り込んじゃダメ」 「手渡しちゃダメ」
と、書いてあったけど、 この掲示板の貼り紙をみて、 気をつけてくれるといい、 そして、本当に撲滅したいと思った。
我が家には、このような 電話がきたことはないけれど、 周りに聞くと結構かかってくる、 ということだった。
このあたりでは、ときどき 注意喚起のチラシも入ってくるから、 被害があるのかもしれない。 このチラシは、実家に、
「何があっても振り込みするな。 オレ(私)は大丈夫だから。 そんな電話があったら、 必ず電話してきて」
と、息子や娘がまめに 連絡するといいと書いてあった。 他人事と思わず、 気をつけなくちゃねと、思う。
そのほか、こんなポスターも あちこちに掲示板に貼られていた。

このポスターによると、 ○オレオレ詐欺 ○架空請求詐欺 ○融資保証金詐欺 ○還付金等詐欺 が多発しているらしい。
悪いヤツらはいるんだね。 これから、還付金もあるから、 本当に気をしっかりもって、 だまされないようにしてほしいと思った。
さて、そのほか、こんなポスターも よく貼られていた。

住宅用火災警報機設置促進の ポスターだ。新宿区でも、 来年の4月から義務化になる。
そのために、 こうして促進しているのだと思うけど、 このポスターの写真、 なんだかな、と思った。
「住宅用火災警報機を早めに 設置しましょう」 のワキには、
「伝説は 現実のものとなる」
などという火災警報機設置促進の、 ポスターの意図から考えると、 やや不気味とも思えるような、 コメントが書かれていて気になった。
下の方には、 「DRAGONBALL EVOLUTION」 3月13日公開のお知らせもあった。 東京消防庁とのコラボレーションとか、 なにかあるのかな?なんて思った。 (調べてみたけど、表だっては 何もないようだった)
個人的には、 DRAGONBALL実写版も、 ヤッターマンの実写版の映画も 見に行きたいと思っているけど、 この火災警報機設置のポスターに使うには、 やや無理があるような気がした。
促進させるなら、もっとわかりやすい、 絵柄(例えば、火災警報機そのもの)とかの ほうが、わかりやすく効果があるのではないか、 と、私はひそかに思ったのだった。 確かに、このポスターは目立っていたけどね。
というわけで、このあたりの掲示板事情でした。 みなさまの近所の掲示板にはどんなことが 張りだされていますか? みてみてくださいね。
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| 2009年03月16日(月) |
昨日、犬のうんこを踏みました。 |
今日は、最近のこのあたりの掲示板事情紹介です。 久しぶりに掲示板を見て歩いたら… どうやら、いろいろとあるらしいことがわかった。
「ふぅん、なるほど、 こんなこともあるのね、 ふむふむ…」
なんて、思いながら、チェックしてきた。 都心では、かなりの多くの掲示板が 設置されている。 そして、その地域の行事や、 注意事項、お知らせなどが こまめに張り出されている。


今回、見て回ったら、 いちばん多い張り紙が、 これだった。

そう、犬の飼い方、散歩についての 注意を促したものだった。 これは、何カ所かの掲示板で見かけた。
ちゃんと、リードをつけて 歩かないとね。
そして、さらに、 こんなに具体的な注意も 見つけた。

どうやら… この方は… うんちを踏んだらしい…
「靴の溝の中に入った うんこの始末は、 くさくて大変でした」
なんて、書いてあった。 きっと大変だったんだね、 うんちは、くさいからね… 踏んだら、辛い… 気の毒なことだった。
それに、玄関前にうんちをされて 怒っている人もあると書いてある。 それは、怒る。 誰だって怒る。 自分ちの前ですればいいのにね。 いかんね。
本当に、飼い主さんには うんちの始末はしっかりしてほしい、 ちゃんと、うんち袋ももってほしいと思う。
あちこちの掲示板に、 こんな張り紙をしてあるところをみると、 マナーが悪くなっているのかもしれない。
張り紙には、そんな方を見かけたら、 「見てみないふりをせずに、 ひとことかけて注意を促そう」 なんてことも書いてあった。 そうだなぁと思ったけど、 実際に見かけると、なかなか いえないんだな…と心で思った。
まだまだ、いろいろな張り紙が あったので、これはまた明日紹介します。
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| 2009年03月15日(日) |
あのおんぼろ家が、こんなふうになるとは… |
今日は、かつて書いた記事のその後です。 先日、ウォーキングで撮った写真データを 大分なくしましたが、この写真はかろうじて、 違うデータに残っていたので、嬉しくなりました。 やっぱり、データのバックアップは、 こまめにしておくべきですね〜
さて、以前、 「あっ、あの、おんぼろ家が…」 で、かなりのおんぼろ家を紹介しましたが、 この家のことが気になっていたので、 ずっーと見てきたら… このたび、すごいお家になったので、 紹介したくなりました(笑)
これは、2006年の2月頃の状態ね。
ほらね、こんなひどい状態で、 今度地震や強い台風でもきたら どうなるか、ととても気になっていたのだ。


そして、2007年の2月。
いよいよ解体がはじまって、 3月頃には、こんなふうに すっかりとキレイになった。

「おや、すっかりと キレイになったね〜。 これからどんなおうちが 建つんだろうね」
なんて、人ごとながら 楽しみにしていたのだ。 しかし、しばらくこのまま 空き地となっていた。
「どうしたんだろう? もしかしたら、土地が売れないのかしら? それとも、何か事情があるのかしらね?」
なんて、これまた余計なお世話だが、 ひそかに心配していた。 もっとも、おとなりのアパートの人たちに とっては陽が当たって、きっと 建たない方がいいと思っていると思うけどね。
そして、2008年の10月に ついに工事が始まった。

「お、いよいよだね。 どんなおうちになるかなぁ」
と、たびたび見にいくようになった。
すると、11月のはじめには、 こんな感じになってきた。
ちょっと変わった感じの建物と なりそうだった。

11月の末には、 こんな形が見えてきた。

「おや、上の方に、 大きな窓でもできるのかしら?」
と、楽しみにしていた。
そして、3月になって、 ついにできあがったのだ。 ほら、こんなふうに。

「わぁ〜立派だねぇ〜 モダンとでもいうのかなぁ。 でも、窓がすくないね。 周りから見えないように したのかもね」
なんて、思ったのだった。 家の前もすっきりとして、 駐車スペースになっているようだった。

2006年から、2009年まで、 かかったんだね。 ともかく、あのおんぼろ家が こんなふうに立派な家になったのだった。
「よかった、よかった、 もう地震がきても、台風がきても 大丈夫だね」
と、人ごとながら、 思ったのでした。
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| 2009年03月13日(金) |
自殺をしようとしたそのとき…奇跡が!「奇跡のリンゴ」より |
今日も昨日からの続きになります。 今日も、この本からの紹介です。
「奇跡のリンゴ」より
木村さんの人柄が出ていて、 心があたたかくなります。
さて、昨日からの続きです。 木村さんは、6年間も必死の思いで いろいろとやってきても、何の効果もなく、 万策尽き果て、山にロープを持って、 自殺しようと決意します。 そして、そのロープを枝にかけようとして、 勢い余ってあらぬ方向へ飛んでいきます。 木村さんは、こう思います。
「この期になってもへまをする。 なんて駄目な男なんだ」
そう思いつつ、そのロープを拾いに 山の斜面を降りかけた、その瞬間、 木村さんは、あるものを目にしました。
月の下にリンゴが あったのです。 そして、そのリンゴは、 魔法の木のように、 輝いていたのです。
葉の1枚1枚が、満月の光に照らされて、 輝くのまではっきりと見えたといいます。 そして、それは、のびのびと枝を伸ばし、 すべての枝にみっしりと葉を繁らせていました。 そのとき、木村さんは、 さらにこう思います。
「誰が、農薬を撒いて いるのだろう?」と。
しかし、ここは深い山の中。
「農薬なんて撒く人は いないはずだ!」
脳天を稲妻で貫かれたように、 そう気づき、そのリンゴの木のところに 走っていきます。 心臓を高ぶらせながら。
走っていってみると、 それは、リンゴの木ではなく、 ドングリの木であることがわかりました。
しかし、ドングリでも何でもよくて、 どうして、この山奥で、農薬もかけないのに、 こんなに立派な木になるかということが不思議でした。 この木々たちは、農薬もかけてないのに、 葉は健康だし、実もびっしりとなっている。 虫も、病気もの菌があるのも同じなのに… そして、はっとします。
「自然の植物が 農薬の助けなど借りずに 育つことをなぜ、 不思議に思わなかったのだろう。 ここに答えがあるのだ」 と。
そして、この木々たちを我を忘れて、 観察し、決定的に違うことを発見します。 決定的に違うこと…それは、
雑草が生え放題、 地面は足が沈むくらい ふかふかで、 土が全くの別物
ということでした。 その瞬間、木村さんは 気がつくのです。
「土だ! 土が違うのだ!」と。
そして、この土を無我夢中で掘り、 匂いをかぎ、口の中に含み、 土の感触を確かめました。 そして、さらにこう気がつくのです。
「自分は今まで、リンゴの木の見える部分だけ、 地上のことだけを考えていた。 目に見えない、リンゴの木の地下のことを 考えていなかった。 堆肥を与え、養分を奪われないように、 雑草を刈ることしかしてこなかった。 葉の状態ばかりが気になって、 リンゴの根のことを忘れていたのだ」
ついに、答えを見つけ出した 木村さんは、踊るような気持ちで、 山を下ります。
帰りの遅いことを心配した美千子さんと 子どもたちが畑まで様子を見にきていたのですが、 木村さんがあまりに意気揚々としていたので、 狐につままれたような顔をしたそうです。
さて、答えを見つけた木村さんは、
「自分にはもう 何もできることはないと、 思っていたが、 何も出来ないとおもっていたのは、 何もみていなかったからだ。 見えないものを見る、 努力を忘れていた」
と、万策尽き果てたと思っていたことが ウソのように、土を調べ始めます。 あちこちの土を掘り返し、 山から土を持ち帰り、研究に研究をかさねます。
比べてみると、木村さんの畑は、土が硬く、 山のような匂いもせず、土が違うことが はっきりとわかりました。 土の違いは、その土の中にいる、 微生物の違いであることも突き止めました。
《7年目》
リンゴの木を丈夫にするには、 山の土にするしかない、と考えて、 この土づくりをしていきます。 もちろん、山がそうであったように、 雑草もそのままにしました。
木村さんは、家計を助けるために、 キャバレーで働きます。
《8年目》
無農薬を始めたときには 800本あった木が、 400本くらいになっていましたが、 新しい枝をだし、そして、 なんとその中の1本の木が、 7つの花を咲かせたのです。 そして、そのうちの2つに リンゴがなったのです。
このリンゴは、神棚に上げて、 それから家族全員で食べたそうです。 そのリンゴの味は、
驚くほど、 美味しかった、 そうです。
《9年目》
畑一面にリンゴの花が咲きました。 夫婦でその光景を目のあたりにしたとき、 言葉も表情も忘れて、自然に涙が流れてきて ただ、その場に立ちつくしたとか。 そして、このリンゴたちは、 ピンポン玉のようなリンゴをつけました。
もちろん、こうして実のったからといって、 すぐにこのリンゴが売れるわけではありません。 20代でリンゴを作り始めた木村さんは、 すでに40を超えていました。 このリンゴを大きくしたり、 売れるところを探し、木村さんの苦労は続きます。 そして、あらゆることをして売り込みます。 そして、徐々にお客さんが増えていったのです。
土の改良をしてから、 リンゴの木たちは、元気になりました。 雑草も虫も種類が増えました。 何千種類もの生物が互いに、競争したり、 依存したりしながらも、互いに自然の中で 共存し、土作りに協力しているのだと、 木村さんは言います。
「農薬を使わなくなってわかったことがあるのな。 農薬を使っていると、リンゴの木が病気や虫と 戦う力を衰えさせてしまうのさ。 楽するからいけないんだと思う。 クルマにばっかり乗っていると、 足腰がよわくなるでしょう。 同じことが起きるわけ。 それでな、リンゴの木だけじゃなくて、 農薬を使っている人間までもが、 病気や虫に弱くなるんだよ。 病気や虫のことがよくわからなくなってしまうの。 農薬さえまけばいいから、病気や虫のことを ちゃんと見る必要がなくなるわけだ。 人のことを言っているんじゃなくて、 この私がそうだった」
さらに、こんなふうに言っています。
「人間にできることなんて、 そんなにたいしたことじゃないんだよ。 みんなは、木村はよく頑張ったって言うけどさ、 私じゃない、リンゴの木が頑張ったんだよ」
ということで、木村さんは 「奇跡」とも言われるリンゴを作り出しました。 そして、先日も書いたとおり、 現在では、ほとんど手に入らないリンゴとなりました。
現在の木村さんはというと、 日本だけでなく、外国までも農業を教えに いったりするような有名人となりました。 しかし、現在でも、生活はあくまで質素で、 リンゴづくりをしているそうです。 いろいろな研究をしながら。
そして、何より、 木村さんはよく笑う人で、 (本の表紙のように) その笑い声はとても陽気で、 濁りがなく、あたたかいそうです。 会ってみたいですね。
私は、この本を読んで、 リンゴだけじゃなくて、 人間も、見えていない部分が大切で、 それをしっかりとしていかないと、 強くはなれず、誰も支えてもいけない、 と、感じました。 また、木村さんは、 リンゴの木から選ばれた人で、 天からもそう指命を受けた人なんだと。
この本には、 木村さんの心に響くことばが まだまだたくさん書かれています。 ひとつひとつが心にしみてきます。 また、周りの方々とのエピソードも、 こんな人たちもいるんだ…と 心があたたまるものが多いです。
機会があれば、 ぜひ読んでみてくださいね。
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| 2009年03月11日(水) |
「奇跡のリンゴ」木村さんの希望と絶望の8年 |
また、昨日からの続きになります。 今日も、コチラの本からの紹介です。
「奇跡のリンゴ」より
さて、ではどんなふうに木村さんが 「無農薬栽培」に立ち向かっていったのか、 ですが、それは、こんな具合でした。
《1年目》
木村さんは、当初4つあったリンゴ畑の 無農薬栽培を1つの畑で試します。 収入のことも考えて。
その畑で、農薬をいっさいやめて、堆肥を使ってみる。 リンゴの花は5月咲くが、これは、問題なく咲いた。 6月になっても順調で病害虫の被害はなし。 木村さんは、 本当は農薬など必要ではないのでないかと 思い始めて楽観視する。
しかし、7月に入ると、 リンゴの葉が黄色く変色し、 8月にはほとんどの葉が落ちる。 斑点落葉病にかかってしまったのだ。
そして、この枯れ山で、秋にリンゴの花が いっせいに狂い咲きし、来年咲く分の花芽が なくなってしまう。 (このことは、来年5月に花が咲かず、 実もならず、収穫がないことを示している)
しかし、この状況を見て、 木村さんは俄然やる気になり、 自分の力で 「この枯れ木の山をなんとかする」 と、強い決意を持つ。
そして、この斑点落葉病を 自分たちが食べている食品で防げないかと いろいろと実験をはじめる。 しかし、効果がみえない。
《2年目》
様々な実験をするために 2つ目の畑も無農薬畑にする。 卵の卵白を散布したり、牛乳や焼酎、 わさびをまいてみたりするが…
斑点落葉病は猛威をふるい、そのうち、 ものすごい数の害虫が発生する。 ハマキムシ、ケムシ、モングロシャチホコ などなど、蛾の幼虫の天国になる。
害虫など手で取ればいいと思い、 家族総出で虫取りをするも、 1本の木からスーパーのビニール袋3つ分の 虫が捕れる状態で、虫はいっこうに減らず… もちろん、リンゴはまったくならず。 リンゴ畑は、ひどい有様になっていった。
《3年目》
あと1年だけ頑張ってみようとして3年目。
「去年より、葉の状態がよくなっているから、 今年こそはうまくいく」 と思い続けた。
しかし、畑はよくなってはいなかった。 畑は、ますますひどい状態になっていった。 そして…木村さんは、どんどん、 抜き差しならない状態に追い込まれていく。
《4年目》
リンゴの花は全く咲かず、 蓄えは底をつき、義父の退職金も使い果たす。 売れるものはすべて売る。 娘3人、妻の両親と合わせて7人が、 貧乏のどん底になる。 電話は通じなくなり、健康保険証も 取り上げられ、服も学費にも事欠いた。 消費者金融からも借金をする。 リンゴ畑の隙間で、野菜をつくり、 それでなんとかしのぐ。
リンゴ以外(米、キュウリ、トマトなど) での無農薬栽培は、ほとんど成功していた。 「ほかの作物でこんなに簡単にできるのだから、 リンゴだけが不可能なはずはない」 と、信念を持つ。
いつしか、4つの畑をすべて無農薬栽培にした。 (ただし、いつの頃に4つの畑を無農薬にしたか、 はっきりと書かれていません)
《5年目》
友人たちから、 「いい加減目をさませ、生活のことも考えろ」 と言われるようになるが、意固地になり、 なんとしても、やり遂げると言い続け、 友人たちが去っていく。 そして、木村さんの味方をする農家は誰もいなくなる。
あれこれと陰口を言われて、憎まれもし、 木村さんは村人を避けるようになる。 家族も、必死の思いで支えていた。
木村さんは焦り、妻の美千子さんに、 「もうあきらめた方がいいかな」 と弱音をはく。 そのことを、美千子さんが話すと、長女が、 「そんなのイヤだ、何のために、 私たちはこんな貧乏をしているの?」 と、父の夢を支えた。
しかし、リンゴの木は衰弱していくばかりだった。 木村さんは、心の中で、 「必ず出来る」と、「絶対にできない」 という自分と戦っていた。
借金もふくらみ、水田も売ったので、 米もとれなくなり、生活はますます困窮する。 冬場に出稼ぎに行き、がむしゃらに働くも、 たいした稼ぎにならず… 家族の困窮が続く。
《6年目》
一日中、夜明け前から、日が暮れるまで 畑にいるも、リンゴの木はぐらぐらになり、 根っこまでだめになっていた。 4つの畑の800本のリンゴの木が、 衰弱して、枯れかけていた。
虫取りをして、酢をまいたりしたが、 その酢を買うお金もなくなったので、 ただでもらえる、クエン酸などを使う。 しかし、リンゴは衰弱していくばかり…
そんな八方ふさがりの中、木村さんが、 リンゴの木に話しかけるようになる。 そして、1本1本のリンゴの木に頭をさげた。
「無理をさせてごめんなさい。 花を咲かせなくても、 実をならせなくてもいいから、 どうか枯れないでちょうだい」 と。
木村さんは、ありとあらゆることを 試していて、もう何もできなくなって、 リンゴの木にお願いするしかなくなったのだった。
そして、ついに万策つきはて… 絶望し、木村さんは、ついに、 ロープを持ち、岩木山に登って、 自殺しようと決める。
そして、 ロープを木にかけようとして 失敗した、まさに、 そのとき… あるものを 見つけたのです。
それは、ドングリの木でした。 このドングリの木からヒントを得て、 木村さんは、この後、 また、新たな実験をし直していくのです。 元気を取り戻して。
人生は、こんなに追いつめられ、 ぎりぎりのところまでいかないと、 光がみえないものなのでしょうか… この続きは、また明日書きますね。
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| 2009年03月10日(火) |
「奇跡のリンゴ」の木村さんの話…そのきっかけは偶然だった |
さて、昨日からの続きになります。 今日も、この本からの話です。 深くいろいろと考えさせられた本だったので、 じっくりと紹介したいと思います。
「奇跡のリンゴ」 木村秋則さんの、無農薬リンゴができるまでの、 壮絶な闘いのお話です。
昨日も書きましたが、無農薬のリンゴを作ることは、 100%に近いほど不可能なことで、それほど、 リンゴの無農薬栽培はむずかしいのだそうです。
なぜなら、私たちが今食べているリンゴは、 古代の野生のリンゴとは違い、品種改良に改良を重ね、 そして、大量生産できるように考えられた、 ある意味工業食品ともいえるようなもので、 そのために、リンゴが自分の力では実をつけることが できなくなっていて、農薬や肥料や人間の手をかけてこそ、 できる実なってしまっている、からです。 そのことについて、この本ではこう言っています。
「日本の研究によると、農薬を使わなければ、 病害虫の被害によって、リンゴの収穫は、 90%以上も減ると言われている。(略)
農薬の存在しない時代には、たとえ品種改良で、 甘いリンゴを実らせる木が生まれるとしても、 その木が病害虫に弱ければ育つことはできなかった。 別の言い方をすれば、農薬など使わなくても病害虫に 負けない品種しか栽培できなかったのだ。
ところが農薬の出現とともに、 その制約がはずされることになる。 害虫や病気との戦いは農薬が肩代わりしてくれるのだ。 病害虫に対する耐性を考えずに、より大きく、 より甘いリンゴを実らせる木をつくることだけを 目的とした品種改良ができるようになった」
そして、これは、 こんな問題提起をしているそうです。
「その積み重ねの結果として、 農作物は、自然の産物というよりも、 ある種の石油製品になってしまった。 現代の農業は、 大量の化学肥料や農薬を投入し、 農業機械を使わなければ、 成り立たなくなっている。 化石燃料が枯渇したら、 いったいどうなるのだろう」
そして、リンゴのという果物は、 他の果物や野菜と違い、 虫と病気の絶望的な戦いの歴史から生まれた果物で、
「農薬に深く依存した、 現代農業の象徴的存在」
ともいえるのだそうです。 ちなみに他の果物、野菜はリンゴよりは、 簡単に無農薬栽培ができるということです。
さて、こんな事情があるリンゴのことを、 青森県で生まれ育ち、リンゴ畑を4つも持つ、 木村さんもよーく知っていました。 そして、年に十数回も農薬を散布しながら、 リンゴを作っていたのです。
ところが、 ある偶然が木村さんを この不可能とも思える 「無農薬リンゴづくり」 に向かわせます。
その偶然とは… 一冊の本でした。
木村さんは農作業の暇な間、図書館に通ったり、 本屋に出かけて農作業の疑問に答えてくれる本を 探しては、読みふけり、勉強をし、 アイデアを思いつけばノートに書いたりしてました。
こんなふうに勉強するための、参考資料を探しているときに、 (このときは、トラクター農業に関する資料を探していた) 偶然に出合ったというのです。 木村さんの言葉によるとこんな具合です。
(欲しい本が、棚の上の方にあったので、 本当なら、踏み台を探すか、店員を呼ぶべきだったけど、 ちょうどそこにいい具合の棒があったので、 その棒で本を取ろうとした)
「その棒でさ、トラクターの本をつっついたわけ。 そしたらよ、隣の本も一緒になって2冊落ちてきた。 慌てて拾ったら、隣の本のカドがつぶれてしまっていたの。 雪だか雨だかで床が汚れていたから、泥も少しついていたかな。 それで、しようがないから、その本も一緒に買ったの。
値段は2000円近くしたと思う。 結構高いのにさ、なんか安っぽい紙を使っていてな。 本の綴じ方も良くなくて、開いただけで 破けてしまいそうな感じでよ。 これは損をしたなぁと思って、家に持ち帰ってからも、 しばらく放っぽらかしにしていたの。(略)
ちゃんと読んだのは、それから半年後が、1年後。 暇だったときか何かに引っ張り出してみたの。 表紙に稲の写真があって、本のいちばん最初のところに、 『何もやらない、農薬も肥料も何も使わない農業』 と書いてあった。 ああ、こういう農業もあるのかなと。 自分でやるやらないは別としてな、同じ百姓として 興味がわいてきたのさ。 それから何回、その本を読んだかわからない。 本がすり切れるほど読んだ。 福岡正信さんの書いた『自然農法』 という本でありました」
この偶然に手に入った本が、 木村さんの人生を変えることになったのです。 また、奥さまの美千子さんが農薬に弱かったと いう事情もありました。
私は、この言葉を読んだとき、 ああ、木村さんは 「これをやりなさい」 と、天から選ばれた人なんだ と思いました。
そして、木村さんは、 この本に導かれるように、 不可能と言われていた 「リンゴの無農薬栽培」を してみようと決意するのです。 自分なら、それが出来ると信じて。
そして、その後、木村家は、 この無農薬リンゴ栽培のために借金をし 生活することさえもむずかしくなっていき、 村人からも疎外されていきます。
木村さんのリンゴ畑は4つあったのですが、 農薬散布をしないために、 ほとんどのリンゴの木がダメになりかけ、 成果がでない8年間に、 木村さんは、何度も絶望します。 そして、自殺しようとまで思い詰めます。
しかし… 自殺しようとしたそのときに、 本当の奇跡が起こったのです。
そして、11日の「ことば探し」でも書いた、
「バカになるって、 やってみればわかると思うけど、 そんなに簡単なことではないんだよ。 だけどさ、死ぬくらいなら、 その前に1回はバカになってみたらいい。 同じことを考えた先輩として、 ひとつだけわかったことがある。 ひとつのものに狂えば、いつか必ず、 答えに巡り合うことができるんだよ」
に、結びついていくのです。 このあたりの話は、明日書きますね。
木村さんの運命を変えた、 福岡正信さんの「自然農法」は、こちらです。↓ (改編されているので、木村さんが読んだものと 全く同じではないと思いますが)
実はこの本、私もかつて読んだことがありました。 無農薬トマトを育てようとして。 でも、私には何がなにやらわからない本でした。 ただ、こんなことが本当にできるのか…と 思ったことだけは覚えています。
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| 2009年03月09日(月) |
「奇跡のリンゴ」をつくった木村さんのお話 |
先週末は、かなりパソコンと格闘しました。 セキュリティ対策をしっかりしようと、 セキュリティソフト、 ウィンドウズサービスパック3 の、アップデートしたら、なんと、 パソコンが起動しなくなってしまって… これを戻すのに、再インストールやら、 ソフトのインストールなど大変でした。
我が家のパソコンは、カスタムメイドだったので、 それが仇となり…一筋縄ではいきませんでした。 (あれこれとCDからインストールせねばならなかった) その上、データを、もう一台のパソコンにコピーして いなかったので、取り出すことができず… ウォーキングで、ぼちぼちと撮ってためてあった 写真の半分くらいなくなってしまいまいた。 そのほかのデータも… がっくり…(大泣)
写真は、また、気を取り直して、 撮りだめせねばと思っています。 (おもしろい写真…あったんだけどなぁ。 また撮りにいかなくちゃ)
そんなわけで、今週は、 パソコンも正常に動くようになったし、 もろもろ今日からスタートで、 今日は、本の紹介を…
と、その前に… ウィンドウズのサービスパック3を アップデートするときには、必ず、必ず、 パソコンメーカーのsupportに一度確認を してくださいね。 かなり、不具合が起きているそうです。 (ソフトとぶつかって) また、動作が遅くなります。 そして、データ保存をするのをお忘れなく…
さて、今日は、 ちょっと前に読んで、とても、 よかった本の紹介です。
もっとも、本がよかったというより、 この本の主役の「木村秋則さん」 という方の人間性がすばらしいのですが。
今日は、この木村さんと、木村さんがつくった 「奇跡のリンゴ」のことを書いた本の紹介です。 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」 (2006年1月)でも、紹介されたので、 ご存じの方も多いと思います。 (残念ながら、私は見逃しました…) この番組を放送してから、反響が大きく、 ついに本にもなったのです。
「奇跡のリンゴ」
私は、よく知らなかったのですが、 リンゴの無農薬、肥料なしは、 100%不可能といわれているほど 難しいものなのでそうです。
それを、この木村秋則さんは、 8年にも及ぶ試行錯誤の末に やり遂げたのです。 そんな木村さんの壮絶なる 8年の闘いの記録が 書かれています。
さて、現在木村さんの作っているリンゴは、 完全なる無農薬、肥料なし。 そして、例えば、こんなふうだそうです。
「通常2つに割ったりんごは、 切ったまま置いておくと、すぐに 茶色に変色し、やがては腐るのだが、 木村さんのりんごは腐ることなく、 まるで「枯れた」ように小さくしぼんでいて、 赤い色をほのかに残したまま、 お菓子のような甘い香りを放っていた」
そして、味は? この本の著者によると、
「外見はごく普通で、形は少しゆがんでいるし、 小さなキズもある。それほど大きくもない。 少なくてもデパートに並ぶような一級品ではない。 しかし、この何の変哲もないリンゴに 初めてかじりついたとき、 涙をこぼしそうになった。 そのリンゴは、 信じられないくらい美味しかったのだ。 あまりにも美味しいものを食べると、 人は涙を流すのだということをそのとき、 初めて知った。
一口頬張った瞬間に、大げさではなく、 自分の全身の細胞が喜んでいるような感じがした。 「これだ!これだ!これだ!」 細胞という細胞が、そう叫んでいるような気がした。 甘さとか、酸っぱさとか、香りとかの話ではない。 もちろん、そのリンゴは、その要素も ひっくるめて美味しかったのだけれど、 それ以上の何かがリンゴには満ちていた。 その何かを言葉で説明するのは難しい。 無理矢理言葉にするなら、 生命とでも表現するしかないもの。 あるいは、この世に生きる喜びの エッセンスというべき何かが、 そのリンゴには充満していた。(略)
ふと気がつくと、手の中に残っているのは、 リンゴの種だけだった。 リンゴの芯まで食べていたのだ。 そのことに気づかぬほど、芯まで 美味しいリンゴだった」
と、いうことです。 食べたくなってきますよね。 こんな生命力あふれたリンゴ。 涙がでるリンゴ…
いつも食べているリンゴと どう違うんだろう? どんな味がするんだろう? って。
でも…残念ながら、 この「奇跡のリンゴ」は、 大人気で、生産が追いつかず、 現在手に入れるのは、困難なようです。 どうやら、この公式サイトで、 手に入るようですが、 抽選形式らしいです。
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また、東京に 木村さんの極上のリンゴスープを出す レストランがあるそうですが、 一年先まで予約でいっぱいだそうです。
さて、このリンゴがどうやって つくられたのか、そこにどんな壮絶さが あったのか… 木村さんは、リンゴがうまく育たなくて、 自殺しようとします。 この木村秋則さんとはどういう人なのか。 そして、この無農薬リンゴがどうやって できるようになったのか…
木村さんの言葉がとてもいいんです。 心に残ります。 明日から、じっくりと書きますね。
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