もし次に据え置き型ゲーム機を買うなら、 ドラクエ10やりたさに Wii U なんだろうなぁと思いつつ しかし歴代のドラクエの購入履歴を振り返れば、だいたいいつも発売されてから 数ヶ月〜1年以上後の購入だったりするし、ましてハードも新購入となると まだまだ先かヘタすりゃ購入見送り、なんて思っていたのだが…
フタを開ければまさかの、Wii U 予約購入(昨年12月8日発売日に購入)
しかも、モンハンパック(モンスターハンター3Gソフト、コントローラー付)で購入。
なんなんだよ。この裏切りっぷりは!(笑) 以前の私であれば、大抵このテの買い物は、十分過ぎるほどの事前調査を実施の上、 慎重に慎重を重ねた上で、購入を検討するはずだったのに 思いっきり勢いで買って(予約して)しまった。何があった。
過去には ガンダムオペレーションズトロイ が出ると言う理由でXBOXを購入の本気で検討し、
ガンダムペレーション が散々面白い、やろう、と回りから誘われて、PS3購入を本気で検討し、
それでも断腸の思いで購入を断念、見送りしたのに なんなのよ!っと我ながらツッ込みたい。
いやぁ、物事ってタイミングなんだなってつくづく思いました。
でもね
面白いのよ!モンハン3G
モンハンはMHP3rd(PSP)からデビューなんで 決して早いとはいえないのだけど。それでも十分楽しめる。 先月の舞台本番までの稽古時期では、精神的逃げ場にして 心の支えだったし 舞台本番が終った今となっては、ほぼ毎晩のようにプレイしている昨今。 これは絆同様、中毒性の高いゲームだ。
そいえば、以前 こんな日記 を書いてたのだが 見事その通りの展開になっています。笑え…笑えない。
嫌だと思ったら 嫌な予感がしたら
深入りしない。とにかく深入りしない。なるだけ深入りしない。
「それができりゃ苦労はしんわい。」 と後から思うことが大半であるが、それでも肝に銘じておくために改めて書く。 大事なことなので書く。
本来なら「関わらない」のが一番であるが そうはいかないモノである。ならばせめて
深入りしない。とにかく深入りしない。なるだけ深入りしない。
距離さえ置いて付き合うことができれば、大抵のことは笑って流せるのだから
そう、
ムキにならず
笑って流す為に
距離を置くのです。
深入りしないのです。
わかったか。
なんかね、もう。 文明の利器に依存しまくったが故に、とんでもない誤解を招くとこでしたよ。
今年の公演で客演として参加してくれた子がいたのですが(以下Aさん、因みにかなり若い子) ある日、劇団のメーリングリスト(そのアドレスに送れば劇団員全員にメールが届くのね)に、そのAさんから
『稽古場の鍵開けましたよー』
というメールが届いたのです。 まぁこの時期にはよくあるメールなのですが しかし、それ以前におかしいと思ったのは 普段、稽古場の鍵は劇団員の限られた人が管理していて、客演さんが鍵を所持しているのはまずありえないことなのです。 しかも、Aさんは車の免許を持っていないので、稽古場へは電車を乗り継いでいつも大変な思いをしてやってきてくれる子です。 いろんな意味で、稽古場の鍵を持つ可能性が最も低い人なのです。
その日の私は別用があって稽古参加の予定はなかったのですが、 買った小道具を届ける為に空いた時間に稽古場に寄るつもりでした。 そこへこのメールですよ。 私は当然、「客演さんが何故鍵を?てか、一人だったら危ないでしょう。」と思い 慌ててメールをしたのです。
『お疲れ様です私です。もしかしてAさん今一人?』
ちなみにメーリスではなくAさん個人に送ったのですが、5分経っても返事は無かったので とりあえず返事を待たずして小道具を抱えて稽古場に向かったのでした。
稽古場に着いたら、なんてことはないAさんの他に、劇団員のBさんもいて AさんはどうやらBさんの車で送ってもらって来たとのこと、そしてBさんから 「ヒマなら代わりにメール送っといて〜」と言われて代理でメーリスにメールしたとのこと。 …うむ、なるほど納得。
とりあえず私は小道具を稽古場に置いて帰路に着いたのです。
これが事件の始まりとはつゆ知らず。
その日は、何事も無く家に帰って就寝した私ですが 翌朝、Aさんからメールが届いていることに気がついたのでした。
『今Bさんと一緒ですが、どうかしましたか?』
どうやら私のメールに対しての返信が届いてたみたいなのですが 届いた時間を見たら、深夜0時前。 この時間を見た瞬間…
「これ、やばくね?」 と。
私がAさん個人宛に送ったメールが、届いてる時間によっては もしかしたらとんでもない意味深メールになっちゃってるんじゃね?と。
慌てましたよ。そりゃもう朝から慌てましたよ、私は。 慌てたと同時に血の気も引きましたよ。 次の稽古で顔を合わせるまで戦々恐々としてましたよ。
それから2日後に顔を合わせたのですが 顔を合わせるなり 「ねぇ!あのメール何時に届いたの!ねぇ!」 と、東京03の角田ばりの迫り方で誤解を解きにかかりましたよ。(それはそれでAさんは怖かったでしょう。)
どうやら、私の送ったメールはタイムラグが発生して、私が稽古場に顔を出した時にはまだ届いておらず、私が帰った後 さらに稽古そのものも終わって、Bさんに家まで送ってもらってる車中で届いたそうです。 Aさんはその時私のメールを読んで「何か演技指導のことで言いたいことでもあるのだろうか?」と良い方に解釈してくれたようですが、 しかしBさんは「私には言えない二人きりの話しでもしたいのだろうか?なんだろう?」と やはり一歩間違えばとんでもない誤解が生じかねないところまで来ていました。
とりあえず、誤解はとけてホッとしたのですが 本番後の当日打上げでの場で思いっきり下ネタトークをかましてしまい、 誤解とかそういうレベルではない埋めがたい溝をつくってしまい、全く努力が無駄となってしまいました。
「1月が一番忙しいしんどい大変な月」が最早定番になりつつある。 余りの速さと密度が故に、ビックリするほど一瞬で過ぎ去り、 残ったのは達成感以上の虚脱感…いわゆる「燃え尽き症候群」状態となった私。 年初の月から燃え尽きちゃってどうするのよ…と、毎回ツッコんでいるのだが さすがに5年以上こういうサイクルを経験すると、若干「しょうがない」と思い始めている自分がいて、 しかも、少しずつ適応し始めているから困る。 出来れば、この忙しさをもう少し平準化したい…と思うのだが、まぁムリだわなー。
特に1月の後半2週間なんかは 芝居やら会社行事やらでブッ通し走り回ってたのだが、 そんな中で救いだったのは、『来年もきっとこう(忙しく)なる!』と見越してか 一年前の私が、資料作りの段階で次回以降も融通が利くようにと土台、雛型を作っていたことだ。 おかげで今年の会社行事の資料作りはかなり楽になった。 去年の私に感謝だ。グッジョブ去年の私。
2月に入った、さぁこれでゆっくり出来るぞー。
…って思いたいのだが、 本当に「燃え次症候群」とは恐ろしいもので、「何かしたい」という思い以上に 「何もしたくない」という思いが強くなって、今年も案の定そんな感じな現在。 たぶん春過ぎ〜夏頃まで使い物にならないのだろうなぁ。 これが書けて、ちゃんと載せただけでも良しとしますか。 ゆっくりしよう、うん。
井上靖の氷壁を買ったまま枕元に半月以上放置。 じっくり読みたいのだけど、手に取った瞬間の睡魔といったら、そりゃもう。
この人(お局様のほう)
がまたやらかしてくれた。
OAタップ(コンセント差込口がいっぱいあるやつ)の発注依頼をしたのですよ。 一応、2ピン口タイプと、アース付プラグ用の3ピン口タイプがありまして いつも3ピンタイプを注文するのですが、その人ときたら「2ピン」「3ピン」を 「2P、3P」と言うモンだから、
「2P、3Pがあるけどどっちがいいの?」
「3P?3Pがいいのね?」
「じゃぁ3Pお願いしとくよ?」
と、コトあるごとに3P3Pと連呼しよるのですよ。職場で。 周りが「何事?」と注目する中、お構い無しに3P3Pと連呼しよるのですよ。 もうね… 笑いを堪えるのに精一杯でしたよ。 頼んどいてゴメンネ、でも、笑わずにはおれんかったよ。
「死ぬ前に何か一つ好きな物が食べられるとしたら何が食べたい?」
不意を突かれた形で、しかも全く考えたことも無かった質問を浴びて 即答も出来ず、ボケもかませず、暫く考えた末、出てきた言葉が
「おにぎり」
でした。 うん、米が食べたいよやっぱり。具は何でもいいから。
因みに、その質問をした人はというと 「旦那(嫁)が作ってくれた食べ物なら何でもいい。」と答え、続いて 「もし旦那(嫁)がもういなかったら、我が子が作ってくれた食べ物。」と言った。 なるほど、私にはそんな家族愛な回答は思いもつかなかったよ。
しかし、よくよく考えてみれば 「おにぎり」と答えた私の頭の中も、確かにコンビニのキレイな三角形をしたおにぎりではなく いびつながらも、間違いなく人がにぎったであろう有機的なおにぎりを思い浮かべていた。 少なからず私の中にも、人の心みたいなものがちゃんと存在してるようでちょっと安心した。
ところで、そんな質問を浴びせられたもんだから その話が終わった後も私の頭の中では、いつかはわからないが、いずれは来るであろう 「その時」の事を暫く考えてしまった
「果たして自分がそういう状況になった時、私におにぎりをにぎってくれる人はいるのだろうか?」
…ではなく、
「仮にそういう状況になった時に自分はどんな顔をしているのだろうか?」
と。 そして、何となくではあるが、 「自分が死んでこの世にいない」先のことまで考えてしまった。 これまで「自分が死ぬまで」のことは幾度と考えたことはあったが 「死んだ先」のことまでは深く考えたことはなかったと思う。
自分ひとりであれば、自分が死ねばそこで「終わり」である。 しかし世界は私一人だけではない。 大なり小なりの繋がりがあり、無視できない繋がりを持つ人だっている。
私はその方たちに 何かしら生きた証を残せただろうか? …
そんなことを延々と考えて とても悲しく寂しい気持ちにもなったが
いろいろ考えて、あれこれ考えて やっぱり、その辺のことはその時やその後にならないと判らないことだから いざそういう状況が訪れた時に、私の顔が全てを物語ってるんじゃないかなと。
だから最期は
「ありがとう」
と笑顔で食べるおにぎりだったら最高。
パスタと答えらず、裏切るカタチとなってしまいつけたタイトル。 しかし「最期のおにぎり」というタイトルはさすがに重いと思ってね。
1年目は「自分を保つ為に」自ら進んで参加した。
2年目は「受けた恩に応える為に」自ら進んで参加した。
3年目は「必要としてくれる人の為に」参加した。
4年目は「義理を果たす為に」参加した。
5年目は「よくわからんが」参加した。
ケジメは大切である。 参加したい意思は今も少なからずあるし、今後もあり続ける。 だが、今の環境は余りにも自分には適していない。 決して居心地の良いものではない。
来年のことはさっぱりわからないが 今の思いが少しでも残っていたら 同じ過ちを繰り返さないためにも 素直にそして潔く身を引こうと思う。 一時的になのか永遠になのかはわからんが。
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