2012年08月13日(月) |
予想された場所から半歩先だけ進んでおく |
エアブラシを購入してからの私の模型(主にガンプラ)作成技術の向上っぷりが半端ないのは、この日記にも書いた通りなのですが、いくらパねぇと言っても所詮素人に毛が生えた程度だと言うのは自分が一番良くわかっているつもりで、 模型作りを趣味としてらっしゃる方々のサイトを覗いて見れば、そりゃもう模型作りの「猛者」がゴロッゴロいるわけで、自身が触り程度でもその世界をかじったからこそ改めてそのスゴさがわかる昨今。コンテスト出品作品や、作成過程における技術の応酬、そして何よりその熱意を見せつけられると、最早彼らは「猛者」を通り越えて(賞賛な意味で)「変態」と呼びたいくらいで、そんな彼らのサイトを参考に見ているだけでも、私自身は「素人に毛が生えた程度」だと改めて思い知らされ、同時に芸術作品を目の当たりにして「こんなのが作れるようになれたらなぁ」と憧れを伴った清々しく嬉しい気分になるのです。
それでも先日、古い友人に久し振りに会った折に、ふと「最近ガンプラにハマってるんだ〜」なんて言いながら、撮影した画像を見てもらったら絶賛してくれたのは素直に嬉しい。 サイトに掲載されているような方々に比べれば、そりゃ比べるのもおこがましいレベルではありますが、つい1年前まで素組みで満足していたような私を知ってる人間から見れば、その飛躍っぷりはじゅうぶんハンパ無いレベルに相当するのだとか。ありがたい話だ。
三日会わずば刮目して見よ、と言いますが、私はそんな感じで久し振りに会う知人友人を驚かせるのを楽しみにして取り組んでる事も少なからずあるんじゃないかなと。プロレベルとは行かないけど、イチから始めたにしてはスゴイと思わせられる…ってまぁ、ぶっちゃけ中途半端と言ってしまえばそれまでなんですがね。
ピアノでも英会話でも演劇でもそしてガンプラでも「趣味レベルでもここまでやれるぜ」的なモノを「証明する」って行為が私にとって結構なモチベーションに繋がったりするんだなぁと、最近思うようになりました。
倉庫で密かに建造中?
愛機(と言ってみたかっただけ。)ケンプファーに 「チェーンマイン」という武器があるのですが。
ちなみに私がEテレで観る番組に出てくるのは「まいんちゃん」でありまして。
私の中で今ふたつの「マイン」が熱いです。
なんやかんやで、もう2〜3年くらい熱いです。
バカ。
小学校の時、「世界平和」を題材にした絵で町内のコンクールで入選したことがあった。 画用紙の中心に鳩を描いて、その尾を不死鳥のように枝分かれさせてその先に 各国の国旗を描いた…確かそんなデザインだったと思う。
まだ世界という単語も平和という単語も漠然としか理解できなかった小学生なりに考えた世界平和の図であるが、その頃からひとつのテーマとして扱われてきた「世界平和」 果たして今現在の世界は、あの頃より少しはマシになったのだろうか?
経済成長目覚しい国が増え、それに伴い国際的な発言に影響力を持つ国が増えてきたのは確か。 結果、武力だけでなく経済、強いては精神、思想的な衝突と多様化し「国の威厳」というわけのわからんプライドの元に絶え間なく互いに「物言い」を繰り返している。 互いの民度の低さを露呈しながら揚げ足を取り合い、重箱の隅を突付き合う。姑息で醜い争い。
スポーツの祭典観て「平和って何だろう」と柄にもないことを考えてしまった。 一連の誤審や競技問題に対する各国の反応を見てると、まさにこの「醜い争い」の縮図を見ているようでならない。 競技場の中で一生懸命頑張っている選手を他所に、関係ない者達が場外で水を差し合っている。 その温度差を感じれば感じるほど、頑張ってきた選手が不憫に思えてならない。
オリンピックの開会式には必ず平和の象徴として「鳩」を登場させなければならないと決まっているそうだ。 今、鳩を見て思う私の気持ちは、多分、小学生の時の私の気持ちの足元にも及ばない。
※…何処かの国を指して「民度が低い」なんて言葉をよく耳にするが、車の走行中にタバコをポイ捨てする風景を目の当たりにしてるうちは、日本も十分民度は低いと思う。
一歩も ダイ大も デスノも とんちんかんも
…もしかしたら捨てられてるかもしれない! なんで気づかなかったんだ。あの時!
捨てられるくらいなら、持って帰って読んでから売るのに!
定期的に親会社の社報(冊子)が配られるのです。 毎回大した記事もなく、主にその親会社の出来事、と言うか自慢話をこれ見よがしに掲載してくるので、流し読みだけしてポイするのがいつもの流れ。
今回もパラパラとめくると、「ボランティアで地域清掃に参加」という見出しで その会社の社員が、ごみを拾う様子が写真とともに掲載されていたのです。 その記事(写真)を目にして呆れ返った…と言うより苦笑しちゃったよ。私は。
多分、同じ会社内の広報部の人が撮ったのだろうねぇ。 そして、自社の入口で撮影したのでしょう、 複数枚ある掲載写真のその全てに「会社の看板」が写ってる。 しかも構図として、ゴミを拾ってる人よりも看板のほうが目に付くように。 更にゴミを拾ってる人の後ろで、立て看板を持った社員が一人。その看板には 「〜クリーン作戦実施中」←多分、今回のゴミ拾いのイベントの名前。 超不自然な構図極まりない…と思ったのは私だけではないはず。
なんかね、もう、あまりにわかり易い構図に言葉を失ったよ。 例え構図を意図的に作るとしても、もう少し自然さを出していきましょうよ。 これじゃぁせっかくのゴミ拾いという行為も「拾ってるフリ」に見えて仕方がない。
ここまで徹底するとわざとらしさを超えて、もう悪意すら感じるね。 なんと言いますか、ツッコミ処が満載過ぎて逆に言葉を失う。 自分とこの会社のいつもは掃除しないところをちょっと掃除して それを「ボランティア清掃」と称し、しかも大々的に 「私たち社会的貢献をしてますー」 「ホラ(看板を指して)ウチの会社ですよー」 と全面的に押し出して恥ずかしい。なんというミサワ。 ボランティアの言葉が聞いて呆れるわ。見てるこっちも恥ずかしい。(二回言った)
こんな素人でもわかる幼稚で安っぽい写真をね、さも自慢げに掲載し しかもそれを「良し」とする風潮。 まだそんな姑息なアピールが通用すると思われてるかと思うと情けないわ。
「にわか」な私が言うのもなんだが 柔道の代表選手は男子も女子もキャラが立ってるから好きだ。
これまでダイジェストで結果しか知ろうとしなかった私が「にわか」になるくらいだもの。
「ひぐらし」の鳴き声を浴びながら走る山道はノスタルジー。
気分はもう夏休み。 それ故に職場に戻った時の絶望感はいつもより5割り増し。
そんなある夏の日帰り出張。
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