チャックルの日記
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2005年11月12日(土) 久々に落ち込んだ

それは水曜日のこと。


彼からスーパー銭湯へのお誘いがあって、いつものように私が車を出して行った。
行きの車の中では、彼の後輩の話で盛り上がり楽しく過ごせた。


問題は銭湯に着いてから。彼が私の買った入場券を持っていってしまったから
結局二人分を支払った私。余りにも彼が迫真の演技だったから私もマジになって
彼を攻め立てたのよね、ネチネチと。いつも車を出していることなんかに対しても。
でも私は口調はキツクても冗談で攻めていたから、
まさか彼がそれでいつの間にか気分を害していたとは気づかなかった。


結局彼は「お前がどういう反応をみせるか試してみた」と言って入場料を返してくれた。
そして、日曜日に予定していた私のカレーを食べに来るのを「辞める」とも。


それからは帰りの車の中は互いに無言。
で、彼の家の近くになったら突然「アパートの鍵、帰すよ」と言い放った彼。
驚いて「急になんで?」と聞くと「行くことないし」。
確かに今の彼の状態では自分で運転して私の家に来ることは出来ないだろう。
それにしても不気味だったのは、カレーのことといい鍵のことといい、
彼の言い方が非常に穏やかだったこと。いつものような突き放すような、
ぶっきらぼうな言い方ならまだよかったかもしれない。
妙に穏やかだったから逆に私は不安に駆られてしまった。


「別れるつもりなのかな・・・」
勝手なもので、今年の春先には自分から彼に別れを切り出して鍵の返却を求めた
時もあるのに、今回は彼から言われて動揺してしまった。


翌日、友達の家に遊びに行く予定だったから、一度は7時に起きて新聞ゴミをまとめたりしたけど、
気分が苦しくなってまた布団へと逆戻り。友達の予定もキャンセルしようかと思い悩んだけど、
復職したらまたいつ会えるか分からないし、気分転換が必要だと思い直して家を出た。


結果は行ってよかった。友達に話を聞いてもらえたものよかったし、彼女の子供と遊んだのも
気分転換になったみたい。久々に真夜中の帰宅となって疲れたけど楽しかった。


今でもまだ彼の言葉の真意が気になる。異動のこととも相まっていまだ心中は穏やかじゃない。
でも考えても仕方ないし、ほんとうに彼のことを自分が必要としているのかも分からないから、
ここにこうして書き込んだらあとは忘れようと思う。もう苦しい思いはしたくない・・・。


2005年11月08日(火) 復職決まったぁ!

今日部長と会ってきて、無事に仮出社承認と配属先と復職日を言い渡された。
復職日は11月21日(月)からで、配属先は異動になった。


今までの、お客さんと直に接したり本社の人と一緒に仕事したり、
と言うようなものとは違って単純作業がメインの職場に異動。


残業も殆どなく、仮出社期間(1月末まで)残業が出来ない私には
居易い場所みたい。


部長と別れた後は、異動になったことがショックで落ち込んでしまった。
説明では、休職期間が長かったし時間的制約(残業禁止以外にも
月曜日は朝がきついから10時からで金曜日は通院のため5時上がり)
のある私に向いている部署だろうと言われた。
会社側も色々考慮しての上だと思うけど、冷静にそう思えたのは
実家に行ってから。それまでは会社を出た途端泣けてきちゃって
(少しだけね!)、すぐに実家に電話しちゃった。


実家に行って両親と話していたらようやく落ち着いて、
これでよかったんだと思えるようになった。両親も喜んでくれたしね。


確かに、元の職場に戻ってもメリットは少なかったと思う。それよりも
デメリットの方が大きい。仕事の量は配分が分かるけど、あの女性上司との
人間関係はどうなるか分からないしね。責任の重すぎる仕事はもう嫌だ、
と休職前には散々思っていたから、まさに今度の仕事はうってつけかも。
責任がないわけじゃないけど重さや複雑さでは今までより負担は少ないから。


でも、そういう部署だからこそ、当初はショックを受けたのかも。
そんなところに“飛ばされた”という意識が働いてしまってね。
「私は元の部署には必要とされていないんだ・・・」と。
それだけ元の職場に誇りを持っていたし、社内でもいろんな意味で
特別な部署で働いているという自負もあったから、そこに戻れないことが
負けちゃったことのように感じて・・・。


職場復帰と同時に新しい仕事・人間関係を築いていくのはちょっと気が重いけど、
元の職場であの女性上司(係長)と顔を合わせてやっていくこと考えれば
これでよかったのかも。



やっと復職日も決まって、ようやく落ち着いた。
残された貴重な11日間、好きなように過ごそうと思う。
最近ようやく昼間の眠気も治まってきたし、体調はほぼ万全(^-^) 
体力不足はやむをえないところ。これから通勤すれば嫌でも鍛えられる、かな?


思えばこの1年と6ヶ月、両親はもとより姉夫婦にも病気発症の時
(たまたま姉と電話で話している間中泣きっぱなしだった)から
ブラジル滞在中もずっと心配かけてしまった。
あのブラジルの3ヶ月は本当に貴重だった。あれがなかったら
現状もどうなっていたか分からない。


この休職期間、ブラジル滞在や姉達の帰国、一人暮らしの再開や両親の
ブラジル行きなどほんとうにいろんなことがあって、その度に体調を崩しつつも
一つ一つ乗り越えていったから、それが今の回復につながっていると思う。
ただ単調に1年6ヶ月過ごしていたわけじゃないから、相当鍛えられたと思う(笑)


両親、姉、義兄、姪、そしておじさんおばさん従兄達・・・
みんなの支えがあったから無事に乗り越えることが出来た。
ほんとうに感謝!
先生曰く、「これからが本当に大変な時」だから油断は禁物だけど、
まずはここまで来れた事に感謝。


復職後はしばらく毎日実家に寄って夕飯をご馳走になるつもり。
話も聞いてもらったりしてね。
先生には「親には遠慮しないで甘えられる時に甘えるのも親孝行だ」と言われた。
その言葉に従って引き続き甘えることにする(笑)


復職後もいろいろあるだろうけど、今は考えない。新しいことにワクワク
する気持ちも少し出てきたから、その気持ちを大事にしながら、
残りの休職期間を大事に過ごそう。。。


2005年10月28日(金) 保険師との面談

昨日、会社で保健師との面談をしてきた。


実に休職以来初めて会社内に入ったけど、新人のようにドキドキしちゃった。
とても新鮮だったぁ(笑)


当初は部長も同席の予定だったけど、最初の10分程度保健師から説明があった後は、
部長は退席して二人だけで話をした。


聞かれるままに原因と経過と現状を話していたら
あっという間に1時間(^_^;) ほんと私っておしゃべりだわ。


驚いたのは、保健師と産業医の間に情報交換がないとのこと。
主治医の先生は、あまり保険師のことを重要視していなくて、
産業医への橋渡し役、程度の説明しかしてなかったけど、
うちの会社ではそうではなくて、これから毎月1回保険師との面談が
組み込まれるとの事。その結果によって、その後の職場での対応や
場合によっては上司への進言なんてこともしてもらえるそうだから、
保健師との面談は重要になってくるみたい。


この保健師制度は16年1月から始まったそうだから、まだ2年弱。
それでも、社内で相談者は非常に多いらしい。
保険師は専属ではなくて、保険師所属の団体から定期的に派遣されてくるそうだ。
うちの事業所の担当者は2名で、そのうち今日担当した人は
年令は50代くらいで、話し方もおっとりとした、
ちょっと物足りなさを感じるくらいの穏やかなおばちゃん(笑)
でも、カウンセリングを行うんだからそれくらいの人の方がいいのかも。


で、気になる配属先と復職日だけど、まず配属先はまだ未定と部長から言われた。
やはり事業所移転によるゴタゴタが私に及ぼす影響がネックになっているみたい。
それと復職日もまだ未定。保険師によると、11月中旬頃、となっているらしい。
まだしばらくは自由の身?でも何も決まらないんじゃ落ち着かないよ〜(>_<)


面談後は気分が高揚して、予定していた彼との夕食は彼の体調不良でキャンセルに
なってしまったから、代わりに復職を機に機種変更を考えている携帯と財布を見に
家を通り越して駅前へと急ぐ。


でも、携帯は機種を悩んでしまい、財布も色が決まらず見ただけでお預け。
昨夜は共に悩みながら布団に入ったせいか久しぶりに寝付きが悪かった。


携帯はねぇ、機能を取るか使い易さを取るかで決められない。
着うた機能は、もし移転する職場に配属となったら電車通勤になるから
是非欲しい機能。でもその機種は非常に使いにくい。
一方の使いやすさで一押しの方は着うた機能がない!
他にも機能も使い易さも兼ね備えた機種もあるけどデザインが気に入らない上に
高いε-(´o`;A
どれも帯に短したすきに長し。これは!というものがない。
様子を見たいところだけど今の携帯の電池も消耗激しいし、
そろそろ飽きてきたから、復職記念に機種変はやはりしたいと思うところ。
あぁ、また今日も一日悩みそうだ・・・。
でも、こんなことが目下の一番の悩み事だなんて、幸せなのかしら???


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