チャックルの日記
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両親は無事に一昨日の真夜中(ブラジルではちょうどお昼)に姉の家に着いた。 長旅にも関わらず二人とも元気な声で安心した。
父に会社のことを聞かれて、先生の前で泣いたことは隠して説明。 私の心境に変化がないと思った父は安心したみたい。ごめんね、嘘ついて。 でも、本当のこと話したらきっと心配かけちゃうから・・・。
大丈夫、今は元気になったから。明日の金曜日はいつも実家に行ってた習慣から もしかしたらまた不安定になるかもしれないけど、少なくとも今は大丈夫!
昨日はチャット上で知り合った女性と1時から3時までPMしてて、 その結果今日は12時に起きた(^_^;) とりあえずご飯食べてから また夕方までうつらうつら。変な夢(武田鉄也が教師役で出演、 なぜか、強迫神経症で電話に出られない、とか試験問題で校長から 叱責を受けた、とかほんとうに意味のない訳の分からないものだった・・・) を見て目が覚めた。深層心理に何か関係あるのかな?
昨夜のPMは眠くて続けるのが大変だったけど、内容は濃くて充実してた。 相手は私と同世代(年は1つ下)で、はっきり物を言う面白い人。 姉御肌で、会社を辞めた一番仲のよかった友達に似ているから 余計に親近感がわく。私の好きな性格みたいだし。 そんな彼女と楽しくPM出来たことが嬉しかったから眠いのも我慢できた(笑)
たまたまチャット先に選んだ部屋ではいい仲間に恵まれて、 最近では気の会う仲間同士だけでPMをし合って、とても楽しい。 そこの主なメンバーには今の私の状況は説明してある。 分かってもらった上で変わらず相手してくれていることに感謝。
そして昨日はついに一部メンバーとの写真交換が実現。 半月ほど毎日参加して、カメラや声を使って相手が信頼できる人と確信もてたから、 私も写真を交換。ただし、いまいち映りの悪いものをね(^_^;) 自信がないのと、やっぱりアップで素顔をさらしてしまうのも抵抗があったから。
目下の悩みは毎晩寝不足になることかな(笑) ゴミ捨てがある日は一旦8時には起きるけど、そのあと必ず二度寝してしまうし(>_<) 復職に向けて生活リズムを整えないといけない時期なのに、 毎晩10時頃になるとチャットに参加してだいたい12時から1時くらいまでいてしまう。 いかんなぁ・・・。せめて12時には寝ないと。今夜からちょっと気をつけよう!
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そうそう!昨夜はブラジルの姪っ子と、msnメッセンジャーを使って初めて話をした! あの子は午前中クラスだから、ほんとは平日は私と全く時間帯が合わないはずなんだけど、 昨日はたまたま休みで、それで11時頃にオンラインになって話しかけてきた。 便利な世の中になったもんだ。電話代も気にせずに話ができるなんて。助かる〜(^-^)
上の姪は11歳。いつまでこうして「お姉ちゃん!」と慕ってくれるやら。 私も話に付いて行けるようにいつまでも若くいなければ!
お昼過ぎに、無事に実家近くの駅から両親を見送った。
駅までの車中で、ずっと言えなかった言葉を両親にかけた。 「私のことは心配しなくていいから」 それを聞いて両親は 「よかった。その言葉を待っていたんだ。」
ほんとは大丈夫じゃないんだけど(-_-#) 安心して楽しんできてもらうためにもせめてもの親孝行(^_^)v
母はホームまでの見送りは拒否した。泣いちゃいそうだからって。 私もその危険性は十分に感じたけど折角だからホームまで行った。 幸い二人が電車に乗っても笑顔で手を振ることはできたけど、 電車が去った後は思わず泣きそうになった・・・。
今でも心の中がポッカリ穴が開いたよう。 一昨年同じように両親がブラジルに行った時には感じなかった寂しさが、 ヒシヒシと胸に押し寄せてくる。
今年に入ってからの8ヶ月、今までになく濃密な両親との時間を 過ごしてきたから仕方ないのかも。
そんな気持ちを彼にメールで伝えた。ここ一週間ほどお互いに音沙汰なし だったけど、今日は彼も返事をくれた。 特に慰めてくれるわけじゃないけど、さりげなく笑わせてくれて やっと気持ちが少し明るくなった。やっぱり彼の力は大きい。 以前先生に 「貴女は彼を必要としていない」 と言われたことがあり、自分でも実感したこともあるけど、 こういう時、こういう対応を彼がしてくれると有り難味が湧く。 ま、彼女(彼)が辛いときに助け合ってこそ連れ合う意味があるというもの。 当たり前のことをしてもらっただけのことかな?
今日はこれから病院。復職の決心が付いた事を先生に伝えなきゃ。 ほんとうは決心なんて付いてないけど、もう動かないと。 あぁ、複雑な心境だぁ(>_<)
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夕方、病院行ってきた。 今日は診断書が出ると思って覚悟していったら、 「診断書は公的文書だから慎重にいきましょう」 と言われて書いてもらえなかった。
恐らく、今日から両親がいなくなったという環境の変化に 私が対応できるか様子を見るつもりでしょう。 現に、食事がちゃと取れるかどうか(心配)だよね、と言われたし。 (今までは実家の夕飯の残りとか材料をもらって食べていたからね)
それと、先生がそこまで慎重になったのには、 不覚にも私が泣いてしまったせいだと思う。 そう、思わず「心にポッカリ穴が開いたみたい」 と言いながらめそめそと泣いてしまった。 先生には 「亡くなったわけじゃないんだから」 と笑われた(^_^;)
でもさすが先生、 「そんな気持ちになるのは、ご両親がお姉さんの所にいったからでしょう」 と読んでいた。 昨年自分がブラジルに行ったときには両親と離れても全然寂しくなかった。 ところが、今回は両親が姉の元へ行く=中心が自分から姉に向く、 それが寂しさの一因でもある、とのこと。 そうかもしれない。これがただの海外旅行ならここまで寂しくなかったかも。 自分だけが取り残されたような寂しさ。 独りぼっちになったかのような寂しさ。 これが気持ちを不安定にさせているのかもしれない。
それにしても、あぁ、情けない(>_<) いい年して親と離れて寂しいからと泣くかよ、普通ε-(´o`;A
先生の前ではよく泣く私。どーでもいいことでも 気持ちが高ぶったり不安定になるとすぐに目がウルウルr(T_T) でも、今はもう大丈夫。泣いたら落ち着いたみたい。 ちゃんとご飯食べたし気持ちも落ち着いてる。先生も、 「この(寂しい)気持ちは2・3日で(治まるで)しょう(^-^)」 とおっしゃってた。
とりあえず、会社の部長との面談は来週以降になったから、 どうやらまたしばらくは穏やかな日々が続きそう。 なんだか診断書が出ないことで気が抜けたような ホッとしたような、またまた複雑な心境。。。
いよいよ明日、両親がブラジルに出発だ。
金曜日から、荷物作りに協力してきた。 両親の荷物は半端じゃない!一番大きいスーツケース2個に 中型のケース2個に、恐らく手荷物としての限界の大きさの 手荷物が2個。 数から行けばまだ2個は持てるけど、移動が大変だし、 年を考えればこれが限界というところだろう。
自分たちが向こうで食べたくなるという日本食の乾物や レトルト食品なども多いけど、なによりほとんどのスペースを 占領していたのが姉達へのお土産。
最近はブラジルでも日本食の調味料や食材なども手に入るようになった とはいえ、やはり味は日本産が一番!
ということで、かつおぶしのパックやらインスタントラーメン、 とろろ昆布やふりかけ・カレー粉・煎餅・いかさき etc. 思わず笑いがこみ上げるものまでありとあらゆるものを 詰め込んだ。
今回は3度目ということもあって向こうでは買い物はしない、 と言い切っていた母。行きは山のような荷物だけど、 帰りはきっとスカスカ。 それでもいいから精一杯持っていってあげたいという親心。 親の子供や孫を思う気持ちには頭が下がります。。。
あぁ、いいなぁブラジル。私も行きたい!!(>_<) 姪に電話でさみしそうに 「お姉ちゃん(おばちゃん、とは呼ばせてません!)は来ないの?」 と言われて胸がチクリ。 「行きたいのはやまやまだよ〜(T_T)」 とこちらも泣きそう。
こうなったら、今の彼と別れてブラジル人の彼氏でも作るかな?!
明日はお昼過ぎに実家を出て、夜7時の便で成田を発つ両親。 いつもなら成田まで見送るのが我が家の暗黙の了承だけど、 今回は成田で別れると私が寂しくて泣いちゃいそうだから (いい年して情けない(>_<))、実家近くの駅まで送って そこでお見送り。そのあと病院へと参ります。
そのあとは、恐らく病院で復職の診断書をもらって、 火曜日に会社(部長)へ連絡をして、早ければ水曜日に面談だ。 その頃の両親はようやく姉の家で一息ついている頃だろう。 まさに両親のブラジル行きと共に私の復職活動開始は平行。 だから今回の両親のブラジル行きは特に感慨深い。
昨夜は最後の荷物を詰め終わった後、お茶を飲みながら母から 「部長との電話のやり取りは(まだその頃自分たちは飛行機の中だから) お姉ちゃんに電話しなさい。何かあったら先生に助けを求めなさい。 (部長には)構えなくても大丈夫、言いたいことを言ってきなさい・・・」 などなどを言われた。
やがて70になろうという母親にこんな気を揉ませて私ったら・・・ 早く元気に会社に通って安心させてやりたいものだε-(´o`;A
さて、今日もこれから実家へGO。 今日は荷物も詰め終わったから何するわけでもないけど、 部屋の掃除とか留守中の観葉植物の世話の伝授とか まあそれなりにやることはあるからね。
出発のことを考えるとおのずと復職のことも考えてしまうから、 今日も一日明日のことは意識しないで過ごしてきます。。。
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