チャックルの日記
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2005年07月21日(木) 独り立ち、でびゅー!

今日、スロ歴3年?にして初めて一人でホールに行った!
一人で打った!!


いつものホームグラウンドがリニューアルオープンだった今日、
彼は体調優れず私の誘いに乗らず諦めていた。


ところが、自分の中でどういう風が吹いたのか、お昼ご飯を食べがてら
行ってみよう!という気になってお昼頃でかける。


ケンタで腹ごしらえをし、いざホールへ。1時過ぎに着いたら何やら列が出来ている。
「?」車を停めて様子を見に行ってみると、オープンは15時(14:45入店開始)とのこと。
駐車場入り口では100円で見てくれる占いとか無料の飲み物とかう団扇配布とか、
小さなイベントをやってて、スロにもパチにもそこそこ人がいる。


外で待ってても仕方ないから車に戻り1時間半ほど雑誌を読んで時間潰す。
14時半になって様子を見に行くと整理券を配っているではないか!!
慌ててもらうと、なんと『77』!おおっ!なんと縁起がいい(^-^)
気分良く開店までの15分を待つ。


さて、整理券のためか目立った混雑もなく目星をつけていた北斗台の近くをゲットし
15時と同時にスタート。


初めて一人で来て、一人で並び、一人で打つ。メダルを入れる手も心なしか震えてる(>_<) 


何だか落ち着かないまま1万5千円投資してBB5回。悪くはない台だと思いつつ、
隣が調子よさげだったから諦めて不武へ移動。1万円投資してバケ2回(T_T)


結局初めての一人打ちは2万5千円負けと言う苦いデビューとなりました。
それでも面白かった。やばいよ、癖になりそう。もう一人で行けちゃうもんね。
誰か止めて〜(;_;)



2005年07月20日(水) 風邪でダウン

してました。一週間。

先週の火曜日の明け方に吐き気を覚えて何度かトイレに駆け込むうちに
本当に吐いた。

それからは吐ききれなかった残留物に悩まされ胃が重く気持ち悪く、
吐いた後の特有のダルさと関節痛にうなりながら一日を過ごした。


水曜日は一旦治まったかに見えて、部屋とトイレの掃除・洗濯して
割と気分良く過ごせた。なのに・・・


木曜日から喉が痛くなり、金曜日からは咳とくしゃみが出始めて、
土曜日にやっと「これは風邪だ」と気が付いた。


結局世間でいう連休は殆ど寝て過ごした。今週の月曜日が咳・鼻水
共に一番辛かったかな。


彼も私より一足先に風邪引いてダウンしていたから、この二日間は
互いにメール交換しなかった。面倒だったからね。


火曜日19日は診察日。まだダルかったけど気分は悪くないから、
予約時間を30分オーバーしても病院へと足を運んだ。


幸い月曜日が休みだっただけあって患者さんが待合室にあふれてて、
初めてパイプ椅子が出ているのを見た。それでも座れない人が
立って待ってた。


そんな風だから、順番が来たのは2時間後。待つのは慣れてます。


まだ元気だった先週の月曜日に両親とも話をした今後=復職のこと
について先生には次のように話した。


「元の会社には戻りたい。理由は自分がこうなってしまったのは
会社のせいだから、このまま辞めるのは悔しい。半年なり何年か
働いてある程度お金も溜まったら次のことを考える。」


ところが先生の意見は次の通り。


「環境は以前よりも厳しいと思っていたほうがいい。どの会社でも
長いこと休んでいた人を手放しで歓迎してくれるところは、ない。
即戦力になるならまだしも、復職したら一ヶ月くらいは様子を見る
ために定時で上がったりしてノンビリやらなければならない。ましてや
貴女の場合、友達が辞めてしまったでしょ、愚痴を聞いてくれる人も
いないと考えなければいけないと厳しい。『お金のため』と割り切れる
かどうかだね。」


むむむ。いつものことながら的確かつ説得力のあるご意見。
そうなんだよね、友達が辞めたことが私には痛い(>_<)
唯一残された、しかも入社当時からの一番の仲のいい友達だったし、
職場にはもう友達と呼べる人はいない。後輩ならいるけど、全てを
さらけ出すまでには至れない関係だもんなぁ。


病になる前は「一人でも平気!」な人間のはずだったのに、ここにきて
心細くなってきた。家族とも今までになく親密になったしな。
その家族も9月から約2ヶ月はブラジルに行って留守になるし、
話しを聞いてもらえる人がいなくなるのは不安だ。彼は当て出来ないし。


「まずは風邪を治してからでないと先には進めないよ」とは先生の締めの
お言葉。確かに(^_^;) 


午後は今度は内科に行って薬をもらう。一日に病院の梯子とは情けない。
しかも先月扁桃腺腫らして行ったばっかり。免疫力落ちてる(-.-;)
もっとプロポリ飲まなくちゃ。あとは体力向上。市立のジムに行こうかな。


夕方から実家へ。先生とのやり取りをいつものように報告する。父も
先生の言葉に納得。「さすがよく分かっているね」と感心。


私に対しては、「以前は会社に戻ることに難色を示すというか曖昧な返事や
回答しか出てこなかったけど、はっきり「元の会社には戻る」と言える
ようになっただけ前進したね(^-^)」と言ってくれた。言われてみて初めて
気付いた。そっか、少し前までは自分では決めているつもりでもはっきり
口に出して断言できていなかったんだ。うん、確かに前進だ(^_^)v



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



ところで、何を隠そう、今日は誕生日だったのだ!朝いつもの時間に
彼が「おめでとう!」とメールをくれる。


本当はHGで北斗を打った勝ち分(勝つと見越して)で誕生日を祝って
もらう予定だったのが、19・20日とリニューアルのため閉店とのことにより、
てっきり誕生日のことなんて忘れ去られているかと思ってた。


昨年の今頃は彼とケンカ別れ(いつもの音信不通だったけど)したけど、
普段と変わらない、否、自由で晴れ晴れした気分で元気で過ごしていた
ような記憶が。


それが今年は彼は元に戻ったけど体調はイマイチだし、やる気が出ない。
でもそれも仕方ないか。去年はブラジルに行くという目標が目の前に
あったけど、今は復職が迫っているんだもんね。お金の余裕もないし。


そんな中迎えた37回目の誕生日。36という数字は好きだったから何の
抵抗もなく「36歳です!」と言えたけど、37は好きじゃないのよね。
あと38も。だから39歳までは何となく憂鬱な時を過ごすのかな?


いやいや、そんな弱気ではいけない!
この一年が素敵な年になりますように!!☆☆☆




2005年07月11日(月) 前進!

今日は診察日。

特に変わったこともなく(注:水曜日に昼間6時間寝たことは除く)平穏な一週間を過ごしたことがよかったのか、「ムラもないし落ち着いているね」と言われ、トートツに「復職のこととか考えてる?」と聞かれた!


「行け!と言われればいける気がしないでもありません・・・。」と答えつつ、『おっ!ついに来たか!!』と二つの意味でドキドキ(>_<) 一つは『やっと先生から復職=将来のことを話題にされるまでに回復したか(^-^)』と期待半分。もう一つは『このまま復職するのか・・・』と不安半分。

「色々選択肢はある中で、消去していけばいいから。例えば復職して仕事を続ける、あるいはこのまま辞めて別の道を探す。またはブラジルに行くということもあるしね。それを、一日のうちに時間を決めて考えましょう。一日ずっと考えているとまた沈んでくるから、例えば毎日夕方4時から5時の間考えて、そこで迷ったら続きは次の日に考えるようにしようね。」

なるほど。でも大丈夫。今日は敢えて話さなかったけど、一応次の道は決めてあるのだ。そう、一度は今の会社に戻る。元の職場に戻るかどうかは別として、このまま辞めたのでは負け犬になってしまうから、会社には復職する。そして半年か一年働いてから次の道を考える。その時になって初めてブラジル行きのことも視野に入ってくると思う。今はまだその段階ではないな。

先生としては、「どちらを勧めるかと言えば、(復職は)まだ早い、と止めます。」。それは、「どうしても復職したい!、と本人が強く望まない限りは原則反対に回ります」からだって。

理由は何でもいいそうだ。経済的な理由でもこの生活に飽きたとか同居の親がうるさくて、とか。兎に角その気にならないと、また元に戻ってしまう恐れがあるそうだ。大事なのは本人の強い意志か。今の私にはまだないな。今日復職の話が出たことは、病状も回復してきていることの表れだから嬉しいけど、だからって復職できるかというとまだ無理。それだけは分かる。コップに半分の水、ってとこかな。満杯になるまでもう少し時間ください、って感じ。

そうそう、将来のことを考える中で、「彼とのことは考えなくていいから(言い方悪いけど、と断られてから言われた。確かにストレートだよね(笑))。なぜなら、彼とのことはこの先の流れで変わってくるものだから。」ん!確かに!私達の関係は結婚とか将来のことは考えていない付き合いだから(と少なくとも私は思っている)、将来のこと考える上でどうなるか分からない彼とのことを考慮していたら先に進めない。もしかしたら妨げになるかもしれないもんね。折角ここまで来れたのだから、この先も自分本位で決めていかないと。

そんな訳で今日は初めて一歩前進したおめでたい日。この調子で無理せず歩いていこう(^_^)


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