■二度目の不倫②■


電話で話した声は、とても心地良い
話す内容も誠実に思えた

離婚経験者で子供がいることを告げた私に
「僕も同じような境遇だから」と言った

私は彼も離婚経験者だと判断して、会ってしまいました
その頃は、もう既に彼を信用して、彼に惹かれ始めていた

二度目のデートの夜、彼に妻子がいることを告げられる
「結婚していても冷め切っている」
「ただの同居人」
「もうSEXもしない関係」
そんな言葉を私は信じて、海さんと付き合うことを決めた

メル友の内から妻帯者だと知っていたら
間違いなく、私は海さんと個人的に会うことはなかった
私はメールで不倫相手を探す人種は、好きになれなかったから

(したい人はすればいい・・・あくまでも私の主観であるだけだから)
それに、一度目の不倫で私は二度と不倫なんかしないと思っていた
人を傷つければ、いずれ自分にも返ってくる
古臭いけど、おばあちゃんに言われた迷信を私は信じてもいるんだ

そんな私が再度不倫を始めてしまった
海さんは「不倫」と言う言葉を嫌った

そして妻と暮らしていても、妻への愛情はないから
私と対等でいると思っていたようだった

独り身の私にしてみれば、海さんと私は対等ではない
根本的に思考が違っているから、ぶつかり合う

私は寂しくて海さんとお付き合いが始まったのに
いつも会えない海さんのことを考えては、泣いていた日々だった

こんなに哀しくさせるなら、何故ウソをついてまで私と会ったりしたの?
何度も心でそう思った

誓って言う
私はもう二度と、不倫はしない

会えばホテルへ行ってSEXをする
SEX抜きの不倫なんて有り得ない

奥さんにときめかなくなった男性が、他に快楽を求める・・・

今はそんな風にしか思わない

それを純愛だと思っていた私は、バカだ

2005年02月17日(木)

■二度目の不倫①■


旦那さんと離婚して約5年
北海道から関東へ
特別「好き」と思える人にも出会えない

会社の同僚は同僚で、仕事の域を越えるほど感情を持てないでいた

「メル友募集」の掲示板で募集をした
誰かに何かを話したかった
誰かに何かを話して欲しかった

言葉にすることが苦手でも、文字での会話ならできると思った
会社では悩みなんかないって顔しても
いつも笑っていても
あの頃の私は感情を持たない女だった

メル友募集のメールアドレスには、すごい数のメールが受信された
いかにもセフレ希望の人
愛人募集の人
遊びで付き合いたいのがミエミエの人
簡単な文字
複数にコピペで送っているのが分かる人

その中でとても綺麗な文章を送ってくる人がいた
海さんと言う5歳上の人
海が大好きな人で、私も海が好き
綺麗な文に惹かれて、返信をした

何日メールをしただろうか?
海さんが写真を送って来た
いつしか会ってみたいと思った

2005年02月16日(水)

嗜好品


私はヘビースモーカー
ストレスがたまる仕事をしているせいもあるけれど
旦那さんとの別れを経験してから、ヘビーになってしまった

ゆうさんも、かなりヘビースモーカー
私以上かも?

ゆうさんと付き合う前の彼は煙草もお酒もしない人だった
私の煙草をひどく嫌った
「kissをすると煙草の臭いがして、気持ち悪い」って言われたことも^^;

嗜好の趣味が合わない人との付き合いは、続かないなと思う

勝手だけれど、そう思う。

「もう少し煙草を減らせば?」って云うほど、ゆうさんはヘビーだ

ゆうさんと一緒に禁煙しようと思ったのに、ゆうさんは却下。

そりゃ・・・
ストレスたまり過ぎだものね^^;

ゆうさんと一緒に飲む雰囲気も好き
鍋をすれば全てゆうさんが用意をして、私の器に次々盛られる
もう食べられないよ~ってくらい

なんだかずっと笑って、笑って
笑い過ぎて泣いているかと思った?
幸せ過ぎて、泪がでたの・・・

「貴方が好き。」
そう云ったら、ゆうさんビックリするだろうな

だって甘い言葉なんか、二人で言い合うことは稀だから^^

2005年02月15日(火)

想い合う心


現在の私は、本当の恋愛をしています

別れた旦那さん、たかちゃんを好きになって結婚して、離婚して
離婚から6年・・・

やっとやっと好きと想えるゆうさんと云う人と出会えた

実はゆうさんと知り合う前、1年半お付き合いした人がいた
寂しさから?だったかもしれません・・・
メールで知り合った人でした
結果的には【不倫】でした
その人への私の思いは、また今度・・・

本日は私とゆうさんのことを。

私とゆうさんの関係を知っている同僚たちは
私とゆうさんの恋愛のカタチこそ、真の恋愛だと云ってくれる

私とゆうさんは、誰よりも近い存在でいるけれど、恋人ではなく
お互い想い合えていても、身体の関係は一度もない

ゆうさんも心に傷を持つ人で
私も色々と経験して
身体の関係は自分の欲望のハケグチ程度にしか感じない

「何いってんだ?w」って思う人はたくさんいるかもしれないけれど
人は人 私たちは私たち^^

SEXが愛情に繋がるとは、もう考えなくなった
ゆうさんも同じで、文字にすることは難しいけれど
私たち幾度かそんな会話をニュアンスでした

ゆうさんと知り合って1年
一緒にランチしたり、時間が合えばディナーへ行ったり
仕事帰りに一緒に帰ったり。
二人だけの隠しホームページを持ち、そこでも会話をする
俳句の詠み合いをしたり、なんとも古風だったり^^

会社の飲み会の帰り、駅まで腕を組んで帰ったことがあった
私はそれだけで、幸せだった

ゆうさんが去年の夏、病気で1ヶ月半入院した
仕事中は、お互いに同僚の域を越えず・・・で過ごしているけれど
やっぱりフロアの中にゆうさんがいないと、ひかりがなかった

お見舞いにでかけては、消灯時間までいてずっとお喋りした
病院内の公園で木陰のベンチで、何時間も会話をする
私たちは会話に困ったことがない
他人には自分のことを話さないゆうさんは、私に何でも話す
プライドが高いゆうさんが、情けないことも、格好悪いところも
哀しかったことも、楽しかったことも。
何を聞いても、私は嬉しくて嬉しくて
私も今までの歩んできた人生を何でも話した

関東に出てきて、自分のことをあんなに話したのは、初めてで
ゆうさんも故郷から出てきて、人とあんなに話したのは初めてだと云った

休憩時間とか、みんなで集まって煙草で一服する
私たちのことを知っている同僚が
時々ゆうさんと私がする「目で会話」を目撃して
〝あんたたちって、えっちだねぇ・・・^^〟って云う
〝視線でSEXしてる〟
〝それってSEXするより、えっちよね~〟って

たしかにね。
その時間は数秒だけど、たしかに私は胸が高鳴っている^^

バレンタインデー☆
甘いものが大好きなゆうさんへ
おっきなハート型のチョコケーキをあげた

おっきなケーキなのに数分であっという間に食べちゃったって^^
喜んでくれて良かった

2005年02月14日(月)

あれ(離婚)から


離婚後の私は、笑っているけれど心から笑えないでいた

時々・・・笑っている自分に気がついて

「何を私は笑っているんだろう?」
「何か楽しくて笑っているの?」
「笑いたくなんかないのに、バカみたい」

そんな思いでお店に立っていた

現在の私はあの頃の私を振り帰ると「何をして、何を考えていた」のかさえ
あまり記憶にない

そして、心から笑っている現在が
未来にあることさえ、あの頃は考えられなかっただろうと思う

人間のカタチをしていても、心を失ってしまったロボットのようだった

自宅にこもっている時間、娘の顔を見て生きている実感はしていたけれど
それ以外の時間、私は他人から背を向けていた
他人の心を読もうともしなかった
もう誰も私の領域に入ってくることさえも、身体全体で拒んでいた

色など発色せず、ただグレーの世界だったと思う

たかちゃんとの記憶だけを胸に残して、生活していた毎日でした

2005年02月13日(日)

続・2度目の離婚


たかちゃんとの離婚までに時間はかからなかった

結婚前に聞いていた借金の金額と離婚を決めるまでの数年で
たかちゃんの借金の金額は、ほぼ倍の金額に脹れていた

高利な利息と、それを返すための更なる借金で
一般サラリーマンが一生かけても返せない金額になっていた

別居だけでは、すぐに妻の居場所をみつけて取りたてる
もちろん不毛な取りたてだけれど、拒むことも法律上許される
けれど毎日の鳴りやまない電話は、強い心を持っても、強迫観念に囚われる

私とたかちゃんは話し合って、完全に離婚することに決まった

多感期を迎える娘の将来を思い、二人は離婚を決めた

もしかしたら、私と娘を肩に背負って歩くことに
彼はもう逃げたかったのかもしれないと、今はそう思う時もある

破産宣告はしないと云う
「借りたものは最後まで返したい」
たかちゃんは、男気をみせているつもりでも
妻子はどうなるのか?
そう問い詰めたかもしれない・・・

今となっては、二人の会話もよく思い出せない

離婚後の私は、腑抜けになった
思考能力も止まり、食べることも飲むことも忘れ
仕事さえ行けない日々が3ヶ月続いた

娘をただ抱きしめて、哀しい顔で抱きしめて
娘が眠った頃、私は声を殺して泣いていた日々だった

こんなに苦しくて、寂しくて、胸が痛いなら
いっそ「死んでしまいたい」「消えてなくなりたい」
そう思い繰り返す毎日だった

とうとう生活費が底をつき、大家さんが家賃を取りに来た
1ヶ月3万5千円の家賃が払えず、このままではダメだと思った

私一人消えてなくなるならいい・・・
けれど私には娘がいた
娘には、幸せになってもらいたい未来がある
この子を初めて抱いた時、この子は愛情いっぱい育てようと思ったものだ

苦しみのハードルをひとつ越えることができた
また仕事へ復帰することになって、それからはがむしゃらに働いた

もう二度と人なんか愛さない
もう誰も愛さない
恋なんて絶対しない

≪幸せの先は いつも 不幸≫

そんなことしか考えられなかった5年間だった・・・

2005年02月12日(土)

2度目の離婚


たかちゃんとの結婚生活を終えて、現在で6年
時間が流れることが早かったのか、遅かったのか

内、ほぼ5年間は誰も愛せない日々を過ごしていた

幸せなことに私には一人、娘がいる
私が悲しみを抱えながらも生きることができたのは
娘がいてくれたからこそ

たかちゃんの借金返済ができなくなった
トップの営業成績で自信に溢れていた彼も会社の倒産で自信を失った

2ヶ月
3ヶ月
仕事を探すと告げてふら~っと家を出て行って、真夜中に帰宅する
知り合った頃のように彼は自暴自棄になって、毎夜飲み明かしていた

不況の時期に入り、たかちゃんは職を探すことに苦労した

プライドが仕事探しに壁を作り、彼はいつまでも職が決まらずにいた

倒産後、社長さんの計らいでしばらくはポケットマネーから
彼に月の給料分の料金が貸し出されていた

返済は気長に待つと言う社長さんの言葉に甘えて
彼は定職に就くことはしなかった

自分の人生が狂ったのは全て社長のせいだ!と言わんばかりに
たかちゃんの日々は荒れていた

もちろん借金返済も止まった
社長さんのポケットマナーは、彼の飲み代へと流れていく

私が夜の勤めのほか、昼の勤めを始めたことにより
たかちゃんのプライド心を更に傷つけてしまったのだと今になって思う

取りたても厳しく、娘が下校する時間帯でも玄関の前で恐いお兄さんが二人
ドラマのようにお兄さんの足元には、数十本もの煙草の吸がら
一日中ドアのチャイムと電話が鳴り響いていた

私とたかちゃんは別居するしかなかった・・・
2005年02月11日(金)

2度目の結婚生活


たかちゃんと晴れて結婚した私は
毎日が幸せでした

彼とは好きな音楽も同じ
ドライブもお互い好きだったので、連休には必ずドライブに出掛けた
娘もすっかり彼になついて、いつもパパと手を繋いで歩く
私と娘で、いつもたかちゃんを取り合ったりした

たかちゃんは「男子たるもの・・・」の傾向が強く
甘い言葉も言ってくれなかったし、割りと無口な人だった

それでも私はいつも彼にくっついているような生活だった

たかちゃんにも結婚歴があった
別れた奥さんと奥さんの父親に騙されて、借金があった

借金を返済するために、結婚以降も私は夜の勤めに出ていた

全て納得して【頑張ればなんとかなる】と思った私が甘かったのだと
たかちゃんと別れて6年が経った現在思い返す

それまで消費者金融の利息の高さも知らずに過ごしていた私
たかちゃんの借金の金額を聞いても
二人で働けば、すぐに返済することができるとタカを括っていた

借金があっても、貧乏でも愛さえあれば幸せであると疑いもしなかった

毎日が幸せ過ぎた
ある日レストランで娘と彼が仲良く遊んでいる姿を見て
自分が幸せ過ぎて泣いてしまい、たかちゃんを困らせたこともある

「家族」を知らない私とたかちゃん
初めて「家族」の温かさを知った

隣にはいつも彼がいて
彼の隣には私がいた

ささやかだけど、幸せはいつもすぐ傍にあった

2005年02月10日(木)

夜の帝王


13年間もの間、夜の蝶として勤めていた私の主観ですが
ホステスにモテる男性は・・・

・お金持ちであること
・ケチケチしない人
・身体の関係を求めない人
・物静かだけど、笑顔が優しい人
・歌が上手い人

お金を持っていて、札束をちらつかせて身体を求める人
私の中では最低な印象であった

私のポリシーはお客さんと身体の関係は持たないこと
そんな考えはお客さんに持たせないこと

身体だけが目当てだったお客サンは、みんな別の女の子を求める
13年間、お店を移ってもついて来てくれたお得意さんは
本当の意味でよいお客サンだったとしみじみ思う

夜の勤めを辞めて、今年で4年目
今でもメールをしたり、電話で話したりしている

勤めを辞めたと同時に、私は生まれ育った街から関東へ引っ越して現在に至る
出張で関東にきたお得意さんとは、たまにこちらで食事もする

そんな男性が真の夜の帝王じゃないかと思う、今日この頃

2005年02月09日(水)

現在の私


たまたま私の日記をみつけて読んで下さっている方にしてみたら
こんな私の日記はつまらないものだろうと思う

会社の同僚がこの日記の主が私と知ったならば
こぞってさぞかしビックリすることでしょう・・・
そして「ふむふむ・なになに?」と喜んで完読することでしょう^^

会社での私は悩みなどしらず、バツがついて子持ちでも
天真爛漫に過ごし、毎日が幸せに満ちて生活していると思っていますから

姐御肌で同僚たちのムードメーカ的存在と評価を得ています
同期のリーダーであり、ボスとまで言われている私ですから・・・^^;

この年になれば(30半ば)仕事もできないと厄介払いされますし
常にトップクラスでいなければ、自分を支えられない
それはそれは、いつもいっぱい×2でございます

今の私の仕事はお客様のクレーム処理から、対応まで
日々ストレスと戦いながらの仕事です

精神を病み、辞めて行く同僚も少なくありません

「鬱病」と診断される同僚もまた少なくありません
次の更新と同時に切られてしまうのです

月の半分以上も休んでしまうので
仕方ないと言えば仕方ないことかもしれません

何故か私は鬱と診断されてしまった人に頼られてしまう
なんでも話しを聞き、励ましてあげるのが一番なんだけど
「がんばれ^^」はご法度

それでも私は思うのです
社会人として働いていても、親と同居、ご主人がいる、何故かお金持ち
仕事を多少お休みしても生活に困らない人が鬱と診断され会社を休む

自分が働かなければ、生活ができない人は鬱にもなっていられない

他の鬱患者さんと話したことがないので、分かりませんが
私の周りにいる鬱と診断された人々は、みんなそんな人です

甘えが許されない人は
鬱になどなってはいられない精神の持ち主なのかもしれませんね

現在の私は、そんな人です^^;

2005年02月08日(火)

歌でも唄って / こころ

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