うさぎのつぶやき
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『テルミン』と言う楽器があるのをご存知でしょうか? 大人の科学 〜テルミン〜 1920年にロシアで発明された世界最古の電子楽器なんだけど これがなんとも不思議な楽器なのです。
数年前にTVで取り上げていたのを見てずっと気になっていたのです。 で昨年秋に「大人の科学」という雑誌の付録にこのミニチュア版が 付いて発売されたと聞き、すぐに本屋さんに行きましたが、人気が あったらしく売り切れていました。 大手の書店、紀伊国屋、旭屋、ジュンク堂等々探し回りましたが どこにもなく住んでいる地域の書店も殆ど回ってみましたが皆無。 仕方がないのでAmazonや楽天で検索してみたらこちらも同じく売り切れ でした。 但し年末に増刷されるとの事で予約受付中だったので待ち遠しいけれど 注文したのです。
待ちに待った12月27日、ようやくAmazonから品物が到着。 しかし仕事が忙しく、年末の慌しさもあったりしたものだから結局 年明けてお正月休みの時までおあづけと相成りました。
そしてゆっくりした日におもむろに開いて説明を読みながら取りあえず 組み立てをして早速トライしてみることに。 なんとも表現しがたい異様な音しか鳴りませんでしたがそれでも長い間 待ち焦がれたテルミンを体験する事が出来た私は、嬉しさの余り一人で ニヤニヤしながら悦に入ったひと時だったのです。
以来ちょっと時間があると練習に励んでいます。 観客は「みーちゃん」です。
ようやく復活にこぎつけました。 別に本当に別に何の理由もなく一年間も更新をサボってしまいました。 そしてここに来てHTMLが恋しくなり始めたのです。 MIXIもブログも良いけれどタグ打ちしてHPを作る楽しさには 又違ったものがあるのです。
と言うわけで以前のようには行きませんがぼちぼちやっていきますので 又よろしくお願いいたします。
先日10年ぶりの積雪で賑わった大阪でしたが我が家の前の道路をパチリです。
一昨年夏の帰郷中に母がバイクで自損事故を起こし鎖骨、肋骨骨折で緊急入院を余儀なくされ、 わずか十日間ほどの予定が二ヶ月近くの滞在となったことがありました。 そのあと、11月にも短期で帰郷しましたので年末からお正月にかけての帰郷はやめて大阪で 過ごしたのですが、昨年からパートの仕事に就くことになり結局、昨夏も帰ることができませんでした。
父も母も口には出しませんでしたが淋しいと感じていたようで、親戚などには 「長いことみどりが帰ってきていない」など洩らしていたようです。 最近では「長いこと会ってないなぁ〜」とか頻繁に電話がかかってきておりました。
仕事も繁忙期を過ぎようやく落ち着いてきましたので一週間ほどお休みをもらえることになり 15日から帰郷することとなりました。 父からの年賀状には「帰宮を楽しみにしている」と言う言葉が添えてありました。 母からは先ほども「早く帰っておいで〜」と催促の電話が入りました。
同級生からの年賀状には、介護の生活をしているとか、義父母の世話を・・・といった文面が 増えてきましたし、父が(母が)亡くなって淋しいなど書かれていたりすることを思うと 二人揃って元気でいてくれることのあり難さをしみじみと感じてしまいます。
いつか介護をしなければならないときが来るかもしれない いつか大阪を離れなければならない日が来るやも知れない
そんな危惧感はここ数年だんだんと強くなってきつつありますが、それでも 「毎日のご飯がおいしいね〜」と二人で楽しく穏やかな生活をしている両親を見るとき どうかどうかいつまでも元気でいられますようにと全知全能の神に祈らずにはいられません。
「楽しみに待っていてね」そう言って電話を切った私でした。
一週間と言う短い期間ですが15日から帰ってきます。
親がいて、子供がいて、学校があって先生がいる。 学校で嫌なことがあると、子供は学校を休んだり親に訴えたり、日記やネットに書き込んで・・・。
そしてそういうことが出来ない子供は内に篭もってしまう。
どちらもどうしたらいいのか分からず時間がたち、そうこうしているうちにますます「ネクラ」になって 「うざい」とか「暗い」などのレッテルを貼られいじめの矛先を向けられて・・・。
テレビのニュースになるような事件へと繋がっていく。
親は学校の対応が悪いという。 テレビの中で評論家達は学校の対応と教育委員会の対応の悪さを指摘する。 加えてその指摘は警察まで向けられたり・・・。
そして私達は テレビや新聞で報道されたりネットで配信された情報しか知りえないからそれらで判断をしてしまう。
報道されていることから判断してみると、 確かに学校の対応や教育委員会の対応には呆れてしまう事も多々あるけれども・・・。
多くの非難を覚悟で言うと・・・。
子供は事の全てを友達や先生のせいにしていないだろうか? 親はその全てを学校の、教育委員会のせいにしていないだろうか?
まずは家じゃないかと思うわけです。
些細な本当に些細な事から問題は始まるわけで、その些細なことがあったその日のうちに 「今日こんなことがあっってん・・・」と話せる家庭だったろうか? 「私はこう思うけど、こうしたんだけど、どう思う?」 と夕飯のときにでも話せる環境を作ってあげていただろうか? 「今日はちょっと元気がないね〜。何かあったん?」 と小さな綻びに気づいてあげただろうか?
そして自分の子供が間違っていれば分かるように話してあげただろうか? 間違っていなければ 「お前の言うことは正しい、でもそれぞれ考え方や意見は様々なのだから人の意見も受け入れてみてはどうかな」 などと話し合う雰囲気があっただろうか?
“臭い”といわれたのなら、それが体臭であるならば、 洗濯の方法を変えてみるとか、石鹸や洗剤を変えてみるとか、体臭をカバーするエチケットスプレーを 何気なく買ってくるとか。
“暗い、うざい”と言われているようなら ほんの少しの努力で明るくなれることを教えてあげるとか、 もしそれが本来の性格であるなら、それはそれでいいところもたくさんあるんだから卑屈になる事はないんだと 言ってあげるとか・・・。
そしてそれ以前に、親と子が信頼しあえるのかどうか、信頼しあえていてこそ家庭内での話し合いが 功を奏すと思うのです。
親は、わが子が自分で命を絶つほどに思いつめていることに気づかなければならないわけです。 そして気づいたなら何としてでも解決策を考えなければならないわけです。 学校を先生を頼る前に、親としてなりふり構わず真っ向から取り組まなければならないと思うわけです。
仕事を休んででも子供と向き合って一緒に考えてみなければならないと思うのです。 そして世界中があなたを非難しても私はあなたの味方なのだから安心しなさいといってあげなければ ならないと思うのです。
「学校に送り出してしまえば全てのことは学校側の責任」かと言うとそうでもないと思うわけです。 子どもの全ては親の責任、育てた責任なのですから。
そう考えると、つまりは幹の太い、揺らぎのない“こころ”というものを持つように育てることが 出来たかどうかという事に行き当たるような気がします。。。
学校の、教育委員会の、ひいては文部省の責任だと言ってしまえば楽なこと。 事実そうかもしれないけれどそれは第三者が糾弾することで、まずは親としてどれだけの事をしたか ということを真摯に考え直してみることが必要なのではないでしょうか?
そして・・・ そう考えると、結局親の資質と言うことに行き着くような気がするのですが。
『子供は、育てたように育つ』のですから。
若い頃の私は一人暮らしの経験がないまま結婚しました。
社会人になってからは会社の寮に入っていましたし、一人暮らしをしている男性との お付き合いもしたことがありませんでした。 だから恋人同士でお互いの部屋を行ったり来たりや、二人っきりで一緒に生活したことがありません。
でももしそういうひと時があればきっと好きな人の為に慣れない手つきで料理を作ったでしょう。 料理の本を見て、献立を考え、二人でスーパーに買物に行って・・・。 そんな些細なこともきっと楽しいと感じたに違いありません。
事実寮生の中には一人暮らしをしている彼氏のいる人がいたりして、そんな彼女たちはきっと そういう楽しさを味わっていたでしょうから、私たちの年代が特別だということでは決して無いと思うのです。
昨日スーパーへ買物に行ったときのこと。 ジーンズのホットパンツにへそだしルック、高いヒールのサンダルを履いて綺麗な付け爪の女性と Tシャツにジーンズの男性、見るからに恋人同士の若いカップルが私の前でレジの清算をしていました。 かごの中を見るともなしに見てみると、たくさんのカップラーメンやスナック菓子、さきいか、 そしてパックに入ったお稲荷さん。 「今日の晩飯はこれかぁ〜」 「え〜やんかぁ〜へへへぇ〜〜」 聞こえてきた会話はこんな感じでした。
私が若い頃の時代に生きていた男性諸君!! あなた方はきっと幸せでしたよ〜〜〜。
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