うさぎのつぶやき
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ずっと以前にお世話になった方が入院されているという事で、お見舞い に行ってきた。
父と同じお年の方だけど、あちこちに爆弾を抱えていらっしゃって年に 2〜3回入院を余儀なくされている。 先日共通の知人の方から、入院されている事を聞いたのだが、いつも 本人さんから“病院に入った・・・”とお知らせがあるのに今回はなかった ので、その方と一緒に訪ねたら驚かれていた。
奥様をなくされて息子さん夫婦とご一緒に生活されてはいるものの、 あまりお世話してもらえないようで、これまで何度病院にお伺いしても ご家族とお会いした事がなく、いつも一人でベッドに横になっておられ る。 口にこそ出されないが、きっと寂しく思っていらっしゃる事だろう。
そんな事もあってか、身の回りの世話をしてほしくて私に電話をかけて こられるのだけれども、他人の私がして上げられることは限られている。 時々、華やかだった頃のことを思い出されるのだろうか、遠い目をして 窓の外を見ている様子をみるとなんとも言い難い思いがしてくる。
年をとるという事、病気になるという事、 誰もが経験することだけれども、自分がそういう立場になってみないと 寂しさや人恋しさ、体の痛み心の痛みはなかなか理解できない。
++++++ あなたの周りに寂しそうな人はいませんか? 声をかけてもらいたいと待っている人はいませんか?
“今日は寒いね”“お天気がいいですね” “顔色がいいですね〜”
一言でいいから声を掛けてみませんか?
更新作業が終わった。 大幅リニュとか何とか言ってごまかしていたけれど 本当は・・・ でもまぁこうやって作業も終えた事だし良しとしよう。
(待っていて下さった方ごめんなさい。毎日来て下さった方、有難うございます。これからも、 あんまり賑やかにせずひっそり細々とやって行きますので、どうぞ見捨てないで下さいね。)
ところで、そういえばン十年前の今日の今頃(18:00)、私はつい数時間前に夫となった人と、 東京の上野で蔵王行きの列車に乗るための時間待ちをしていたっけ・・・。
雪道用の靴など持って行かなかったので、銀座で長靴を買ってもらい その後上野に行きアイスクリームを食べた記憶がある。 (とてもおいしかったので、そのことだけは覚えている) 遠い遠い昔の一コマを思い出してしまった。
ブログをやめました。 なんか使いこなせなくて、 おまけに人気があるのかして混みあってることが多くて 読み込みに時間がかかるのよねェ〜。
高校を卒業して都会に出てきた私。
会社での研修期間も終わり、順調に新生活をスタートした私はその年の夏、 同じ宮崎市内から一緒に寮生活をスタートさせた数人の友人と共に帰省しました。
その一人「T」と青島海岸に泳ぎに行こうと約束をしました。 市内の目抜き通りで待ち合わせて、バス停で時間待ちをしている時でした。
カッコいい車に乗った若い男性が近づいてきて
男 「どこ行くの〜?」 T 「青島まで・・・」 男 「送っていこうか〜?」 T 「え〜ッ!?・・・でも〜」 男 「送るだけやし、乗って。さぁ乗って!」 T 「どうしよう・・・?」 私 「やめとこうよ〜、全然知らない人だし・・・」 私 「やっぱり、いいわ!バスで行くから」
ところがそのバスの時間はまだまだ1時間近く待たなければなりませんでした。
男 「青島行きはさっき出たところやから、まだまだ時間があるやろ」 「車で行けば30分くらいしかかからないし、早く乗り〜よ」
そうせかされて、じゃぁ送ってもらおうか・・・という事になりました。 相手は二人組み、私達も二人です。 車中、どこから来た?とか何歳?とか、他愛のない話して、もうすぐ青島海岸に着くと 言う時に、私達は後部座席でコソコソ話をしました。
T 「どうする?」 私 「うん、どうやって逃げようか?」
車が止まった瞬間にドアを開けてダァーっと走り出そう!という事に決めました。 周りには人がたくさんいるので、何とかなるだろうと言う考えでした。
着いた瞬間、ドアの取っ手に手をかけた時でした。
男 「じゃあね〜気をつけて!」
・・・・・・
別に本当に何かを期待していたわけではなく、むしろその逆を想像していた私達は なんだか肩透かしを食らったようで、あっけにとられてしまいました。 息せき切って走るつもりだったのに・・・。
思わず出た言葉
「エ〜ッなんで?泳がないの〜?」 「なんで?送ってやるって言っただけやろ、じゃ帰るわ。」
立ち尽くす私達を残して車は立ち去っていきました。 私は全く、べっぴんさんではないけれど、K子は飛びっ切りの美女です。 魅力がないはずはありません。
でも気を取り直してふっとした瞬間思いました。
そうや!これが宮崎なんや!!宮崎の人間なんやァ!! ってね。 都会に出て、わずか半年も経たないくらいしか生活していないのに いかにも都会人になったような気がして、ついこの間まで住んでいた所の人間の 気質を疑うなんて・・・。 かっこつけていた自分を神様が諭してくれたんだと大いに反省したのでした。 遠い遠い昔の笑い話です。
ところが最近は一寸事情が違ってきているようです。 犯罪が増え、そのケースや手口も都会並みになってきました。 先日起こった宮崎の殺人事件、
幼い子供を持つ主婦が、子供を幼稚園に送った後、男性と会い、その後殺められてしまった と言うのですから驚きです。 夕方ご主人に電話して子供をお迎えに行って欲しいと頼んだそうですが・・・。
「バッグを買って欲しいとねだられてかっとなって手をかけた」と犯人は供述しているそうです。
この事に限らず、最近宮崎でおきた事件がよく目に入ります。
遠い昔、体験したあのほのぼのとした人間性はもはや失われてしまったのでしょうか? そうだとしたら残念なことです。
三年前の年末に、PCクラッシュした事があります。
結局入院する事になってしまい、それまでどっぷりと浸かってネット生活を楽しんでいたので、 ぽっかりと穴が開いてしまいました。 で、その間に会社勤めをしていた頃の友人探しをしたのです。
その見つけ出した友人「E子」とは折に触れやり取りするようになりました。 遠く離れてはいますが、私の気持ちの中ではいつも彼女が存在しているのです。 そしてその彼女から先日、久し振りにMailが入りました。
と言うのも見つけ出すきっかけを教えてくれたもう一人の友人「H美」からその前日、 電話が入ったのです。 これと言うほどの用事ではなかったのですが近況報告を兼ねての電話でした。 朝の方付けが終わった時でしたので、ゆっくりと話をし懐かしい思いにも浸ることが でき、その時に当然「E子」の話が出て、「いつか皆で会いたいね〜。」「会おうよ!」 と進んでいきました。
「H美」は四国におりますし、「E子」は神奈川です。 ですから「真ン中辺りで会うと言うのはどう〜?伊豆の辺りでもいいし・・・」というのです。 そうね〜、私も会いたいしちょっと考えようかッという事で いつになるか分からないけれども、そう遠くないうちに会おうよという事になりました。 そんなこんなをその日のうちに「E子」にMailしたのです。
その返事が届いたと言うわけです。
『(略)ほんとに遠い昔になっちゃったね。
みんな元気でいるのかなあ。
あの時代の同窓会、できるといいな。
今のところ3人は集まれるね。
集まるんだったら大阪がいいなあ〜。
なんてね(ずっと行ってないので)
久しぶりに懐かしい思いに浸りました。
ありがとう。』
そういう文章で括ってありました。
「E子」「H美」共に私と同じ宮崎出身です。 それぞれ高校を卒業してすぐに親元を離れ、遠く宮崎の地から一緒に大阪の会社に 就職し、一時代を過ごした、いわば戦友みたいなものです。 宮崎にいる時には全く知らなかったもの同士ですが、寮では同県人同士の部屋割り でしたから「E子」とは同じ部屋でしたし、「H美」は隣の部屋でした。
大阪出身の人たちの洗練されたスタイルや物腰に見劣りしないよう、そして田舎者だと 笑われないよう、精一杯背伸びして、いっぱしの都会人ぶって、毎日を過ごしていましたし、 皆、口にこそ出しませんでしたが、同じ思いだったのではないかしら。
慣れないスーツ、ハイヒール、そしてメイキャップ・・・。 もっと言えば、電車ひとつとっても宮崎にはJRしか走っていませんので、地下鉄などは もう都会の象徴みたいな感じでした。 その地下鉄に乗って淀屋橋(大阪の中心にあるオフィス街です。)まで向かうのですが、 朝のラッシュタイムさえも私は何か嬉しかったりしたものです。
どれをとっても精一杯、筒一杯まで背伸びして、今考えるといじらしくもあり、おかしくもあり・・・。
そんな青春時代を一緒に過ごした仲間です、なんとも言いようのない不思議な連帯感 みたいなものが、未だに残っているのですね。
『ささやかな青春時代だったけれど、
楽しい時を送れたのはあなたと知り合う
ことができたから、
今でもそう思っています。
あの頃の同期会、実現させたいよね。
でもってやはり場所は大阪がいいね。
淀屋橋あたりでね。
前向きに考えようかな。』
そういう言葉で締めくくり、返信Mailを送りましたが、なんともほっこりした気分に させられた一日でした。
さぁ、春が来る頃までに楽しいお知らせができるでしょうか・・・?
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