うさぎのつぶやき
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今日は「本の日」だとか。
小さい頃から本が好きで、いつも読んでいたけれども、 同じものを何度も読んだというのは、数えるほど。
<小公女> 作:バーネット これはもう本を話すときには絶対に外せない一冊。 子供のころ、数え切れないほど読んだように思う。 少年少女文学全集50巻の中で、一番手垢がついている思いで多い本の一つだ。
<大地> 作:パールバック 中学の頃読んだのだが何故かとても感動して脳裏に刷り込まれてしまった。 十年ほど前に文庫本を買い、もう一度読んだのだけれども、何にあんなに感動したのか 分からなかった。男女の事、夫婦の事も全く分からなかったはずなのに、そのことも含めて 一体何に感動したのだろう? 読み返したときはむしろ、憤りさえ感じたのに・・・。
<愛情はふる星のごとく> 作:尾崎秀実 高校を卒業して、社会人になった頃に読んだ一冊。 共産主義者で、反戦主義者であった尾崎が、ナチスドイツのゾルゲの特殊任務に 協力したスパイ容疑で、投獄、処刑された「尾崎 ゾルゲ事件」。 この投獄されている間に娘 楊子に宛てた二百数十通の獄中通信を本にした実話だ。 これも涙が止まらないほど感動した本なのだが・・・。 やはり十年ほど前に父が贔屓にしている、古本の通信販売やさんで、探してもらい買い求めたもの。 読み返してみたが若い頃に受けた感動がなく、逆に尾崎に対し苛立ちさえ覚えてしまった。
<新宿馬鹿物語> 作:半村良 SF作家として名を残した半村良だが、私は彼のヒューマニズムともいえる部分が顕著に 出ているこの作品がとても気に入っている。 この作品は大人になってから読んだので、今もって同じように心を動かすようだ。 彼が作家として世に出るまでの間、さまざまな職についていた時期があって、その一つ、 バーテンダーとして新宿にいた頃の自分を、主人公仙田として登場させ、書き連ねている。 実名で書かれている店もあったりしたものだから、 これを読んで、本気で新宿に行ってみたいと思ったりした。
そのほか中也の詩集や、啄木、藤村などはふと思ったときに読んではいるものの、 小説の類では繰り返し読んだ本というのは、この四冊くらいか・・・。
人の気持ちなんて時代と共に変わり、成長するに伴い変わって行くものなのだろう。 初めて読んだ時の感動、感激というものは概してその時だけのもののような気がする。
やっぱり・・・。 何かそんな感じがしたんだよなぁ・・・。 映し出されたあの3人の様子が何となく嘘っぽくて、でもそんな事書いて、あれが事実ならば 顰蹙ものだしと思って、書く事が出来なかったんだよなぁ・・・。
政府はそれを察知して、 きっぱりと決意表明をしたし、メディアにもそう感じた人がたくさんいたらしい。
日本に近づく程に顔色が悪くなり、気分が悪くなっていったのは、 駆け引き、取引に使われた自分自身への後悔、憤り、そして事の重大さを改めて 認識させられ、したためか・・・?
でも嘆くなかれ!
「自己責任」云々と騒いではいるが、自衛隊問題を正当化するためには、何が何でも 犠牲者を出してはならないという、政府の意図があったからこそ、必死に ならざるを得なかっただけで、自分達の大義名分の為に莫大な税金を使ったようなもの。 映像を見て、家族が、マスメディアが、国民が、騒げば騒ぐほど、思うつぼだったのでは ないだろうか? そして保護が確認できた途端にそのことは棚に上げて、「自己責任」だの「費用」だの とのたまう。
「自己責任」と言うのなら、救出も手を出さなかったら良かったのだ。 彼らは(日本に)帰りたいとは言わなかったはず。 捕らわれて助けてくれと叫んだわけではない。 恐怖も痛みも不安もあっただろうが、恐らく「自己責任」を全うするだけの 決意は持っていたはずだ。
ただ国としてはそういうわけには行かない。日本国のパスポートを持って出かけている人を バックアップしなければならない訳だから、不測の事態が起こった場合は手を出すのが 当たり前なのだから。 それにかこつけて恩着せがましくのたまっているだけのような気がするのは私だけだろうか?
忘れてはいけない。 初めにアメリカありきなのだ。
自衛隊のイラク派兵は違法である。
2004年04月19日(月) |
◆「紅テント」その-3- |
≪4/18の続き≫ 紅テントの入り口で、靴を入れるためのビニール袋をもらって、中に入った私達は 比較的前の方に場所を見つけて座りました。 ゴザ敷きという事を聞いていたので、敷物を持参していましたから、それを広げて 周りの人たちにも座ってもらい「袖刷りあうもなんとかって言いますよねえ〜」 なんておしゃべりをしながら開演を待っていました。
唐さんのお芝居は(今では殆ど死後に近い)「アングラ劇」だという事は知っていました。 だから余り私の好みではなく、というよりそれを受け止めるだけの感性を 私は持ち合わせていない事は充分に自覚していましたが、いつも誘ってくれる友人に、 断り続けるのも悪いような気がして、誘いを受けた昨日の私でした。
でもやっぱり・・・。 何がいいのか、なにが面白いのか、さっぱり分からずお芝居の内容を把握しようと 顔をしかめて見入っていたのは私だけではないかしらん?。 もらってきたパンフレットに書いてある筋書きをご紹介しますね。
≪津波≫ 烏帽子岩浮かぶ湘南の海臨む、茅ヶ崎・<湘陶>衛生陶器工場。 かつての賑わい今はなく、人もまばらになったその工場の女子寮に住み続ける職工・照屋照は、 仕事を取るべく向かった松島屋デパートで<8階×8個の64個>の便器の発注を受ける。 そして更にその製作中に腕を見込まれた照は、 その内1つを特注品としサンプルに、見せて欲しいと依頼されるのだった。 サンプルには記念に発注元の名前も入れて。その名は<八重さんに>。 そのサンプルの出来を鑑定してもらおうと、照屋に代わって小倉の石屋・染谷影作が 訪れた先は、かつての湘陶の名工・夢尻丈が居候する美容室“甘えん坊”。 桃色の足掛け持つその便器は「股がったら夢の馬が走り出す」鞍のようだと お墨付きの判をもらい、傑作の一品はそこに完成するが・・・。 後略
どうですか? 私が誘ったんだからとチケット代を受け取ってくれなかった友人には悪いけれども 便器を担いで現れた唐十郎さんや、大きな声で、お芝居をする出演者の人たちの全てが 全く理解できなかった私でした。
2004年04月18日(日) |
◆「紅テント」 その-2- |
唐十郎さんの紅テントのお芝居、昨日行ってきました。
大阪城の東側にあるグランドが会場でした。 その片隅に赤いテントが張り巡らしてあり、受付は小型のバン。 その後ろを開けてチケット売り場が作ってありました。(まるでフリマみたい)
入り口はテントの一箇所の幕が開けられるようにしてあり、その横に ダンボールに赤いマジックで「入り口」と。 受付で、入場料を支払うと整理券をもらいました。 みんなテントの周りに三々五々集まってはいますが野外なので、 何だか漠然とした感じで、時間待ちをしています。
開演前30分程になった時、テントの前で、 「只今からご案内させていただきます。整理券1番から50番までの方は、 こちらに一列にお並びください。」と出演者の一人が大きな声で叫びました。 続いて51番から100番まで・・・、と300番位まで順番に並ばされてまるで、 「学校の運動場でやった朝礼みたい・・・」となんだか楽しくなってきた私でした。 一列目の人たちが先に案内されてテントの中へ。 私たちは119番と120番でしたから3番目に呼ばれて中に入りました。
入り口で、ビニール袋を渡されてそれに脱いだ靴を入れるように言われ、又びっくり。 中はゴザが敷いてありみんなてんでに好きなところに座っています。
−今日はここまで− 実は先ほどお風呂上りに扇風機に当たっていて方向を変えようと持ち上げた瞬間、 左手薬指を扇風機の中に入れてしまい怪我をしてしまいました。 キータッチがそれでなくても遅いのに、ますます不自由で、疲れてしまいました。 続きは又明日に・・・。ごめんなさい、痛いです。
2004年04月17日(土) |
◆「紅テント」その-1- |
今日は今からお友達のお誘いで、唐十郎さんの赤テントのお芝居を見に行ってきます。 大阪城公園の中であるんですって。野外なので、風邪を引かないようにしなくっちゃね!。 又帰ってきたら報告しますね。行ってきま〜す。
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