僕より若い(25歳くらい)職場の同僚Aと、他の同僚の人物評をおもしろおかしくしていたとき、
じゃあ自分はどうか、という話になった。
Aは
「おれは何でも偏りなく、バランスを大事にしているつもりです」
と話していた。
要するに、明る過ぎず暗過ぎず、真面目過ぎずふざけ過ぎず、
何でもそこそこな自分でいるようにしている、ということらしい。
それを聞いて僕は、10代の頃を自分を思い出した。
僕も、かなり長い間、「バランスの取れた」人間を目指していた時期があった。
そして、それは、バランスを取ろうとして取れず、苦しんだ時期でもあった。
今思えば、バランスを取ろうなど、笑止なことだったのだ。
(Aが言う「バランス」と僕の考えていた「バランス」は、別のものだろうと思うから、Aが間違いだ とは思わないし、Aをバカにするつもりはない)
そもそも、バランスって何ぞや?
僕の考えていたバランスとは、結局
「何でもそこそこできる」
「何でもそこそこ分かる」
ということだった。
何という傲慢さ。
人間一人の能力など高が知れているのにに、何でもできるなど……。
若さ故の過ちか。
今思い返してみれば、僕はただ、
「何かの立場に立つ」
ということを恐れていただけだったのだ。
バランスを取る、などと格好いいことを抜かしながら、本当は、
自分という人間が何を考えているか、を明確にする勇気がなかっただけ。
早い話が、自分に自信がなかったのだ。
僕は自分に自信がないことを(自分自身からさえも)隠して、他人の考えにケチを付け、
軽蔑することで自分を保っていた。
イタイ。
壮絶にイタイ奴だ。
そりゃ友達少なくなるわ。
今は、そんな思いからは全く解放されて、幾分かはマシな人間になったと思う。
人間は偏ってて当たり前。
そう思えるようになったら、他人も自分も受け入れられるようになった。
少しは、大人になれたようです。
2008年10月25日(土) |
まごまごしていいのは29までだよねー。 |
この1か月間、怒涛のような毎日で、気が付くと全然日記を更新していなかった。
日記を書く、というのは意外とエネルギーのいる作業で、疲れてるとどうしても書けなくなっちゃう。
疲れているということは、いろいろ何かあったから疲れてるわけで。
だから、日記を書かなかった日の方が実は書く話題がたくさんあった、ということはよくある。
今回もそう。
1か月振り返ってみると、不思議なほど特別な出来事が集中していて、久しぶりに、心底忙しかったと思う。
軽く、人生の転換期だったかも。
先月、僕は三十歳になったのですが、最近急に(僕の大好きな)孔子の言葉を意識するようになりました。
「子の曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず」
これです。有名ですね。
三十にして立つ。
ちょうど今、自分はそんな状態です。
僕はこれまでの人生の殆どを、
「あれもこれも何でもできるようにしなきゃ」
と考えてきました。
でもその結果、自分でかけたプレッシャーに押しつぶされ、どうすればいいのか分からず、
逆に、何にもできないような人間になっていました。
今は少し違います。
おぼろげながら、人生の目標というか、今後どうしたいかを自分で決めています。
『あれもこれもなんて馬鹿馬鹿しい』
そう思えるようになったとき、目の前の霧は晴れて、やるべきことが明確になりました。
まさに、三十にして立つ、です。
四十にして惑わず、の境地になれるかは今後の努力次第。
……案外いけるんじゃないか、と思っています。
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