銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2008年11月03日(月) バランス、ですか。

僕より若い(25歳くらい)職場の同僚Aと、他の同僚の人物評をおもしろおかしくしていたとき、

じゃあ自分はどうか、という話になった。


Aは

「おれは何でも偏りなく、バランスを大事にしているつもりです」

と話していた。


要するに、明る過ぎず暗過ぎず、真面目過ぎずふざけ過ぎず、

何でもそこそこな自分でいるようにしている、ということらしい。


それを聞いて僕は、10代の頃を自分を思い出した。

僕も、かなり長い間、「バランスの取れた」人間を目指していた時期があった。

そして、それは、バランスを取ろうとして取れず、苦しんだ時期でもあった。



今思えば、バランスを取ろうなど、笑止なことだったのだ。

(Aが言う「バランス」と僕の考えていた「バランス」は、別のものだろうと思うから、Aが間違いだ
 とは思わないし、Aをバカにするつもりはない)


そもそも、バランスって何ぞや?


僕の考えていたバランスとは、結局

「何でもそこそこできる」

「何でもそこそこ分かる」

ということだった。


何という傲慢さ

人間一人の能力など高が知れているのにに、何でもできるなど……。


若さ故の過ちか


今思い返してみれば、僕はただ、

「何かの立場に立つ」

ということを恐れていただけだったのだ。


バランスを取る、などと格好いいことを抜かしながら、本当は、

自分という人間が何を考えているか、を明確にする勇気がなかっただけ。


早い話が、自分に自信がなかったのだ。



僕は自分に自信がないことを(自分自身からさえも)隠して、他人の考えにケチを付け、

軽蔑することで自分を保っていた。


イタイ

壮絶にイタイ奴だ


そりゃ友達少なくなるわ。



今は、そんな思いからは全く解放されて、幾分かはマシな人間になったと思う。


人間は偏ってて当たり前。


そう思えるようになったら、他人も自分も受け入れられるようになった。



少しは、大人になれたようです。






2008年10月25日(土) まごまごしていいのは29までだよねー。

この1か月間、怒涛のような毎日で、気が付くと全然日記を更新していなかった。

日記を書く、というのは意外とエネルギーのいる作業で、疲れてるとどうしても書けなくなっちゃう。

疲れているということは、いろいろ何かあったから疲れてるわけで。

だから、日記を書かなかった日の方が実は書く話題がたくさんあった、ということはよくある。


今回もそう。


1か月振り返ってみると、不思議なほど特別な出来事が集中していて、久しぶりに、心底忙しかったと思う。


軽く、人生の転換期だったかも。


先月、僕は三十歳になったのですが、最近急に(僕の大好きな)孔子の言葉を意識するようになりました。


「子の曰く、吾れ

  十有五にして学に志す。

  三十にして立つ。

  四十にして惑わず。

  五十にして天命を知る。

  六十にして耳順がう。

  七十にして心の欲する所に従って、

  矩を踰えず」


これです。有名ですね。


三十にして立つ。

ちょうど今、自分はそんな状態です。


僕はこれまでの人生の殆どを、

「あれもこれも何でもできるようにしなきゃ」

と考えてきました。


でもその結果、自分でかけたプレッシャーに押しつぶされ、どうすればいいのか分からず、

逆に、何にもできないような人間になっていました。


今は少し違います。


おぼろげながら、人生の目標というか、今後どうしたいかを自分で決めています。

『あれもこれもなんて馬鹿馬鹿しい』

そう思えるようになったとき、目の前の霧は晴れて、やるべきことが明確になりました。


まさに、三十にして立つ、です。


四十にして惑わず、の境地になれるかは今後の努力次第。


……案外いけるんじゃないか、と思っています。





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