僕はマンガが好きなので、定期的にマンガ喫茶に行きます。
月1くらいで。
そのくらいのペースだと、読みたかったマンガの新刊がちらほらとあるのでちょうどいいのです。
最近は若い時のように、
「何でもかんでも気になったら読んでみる」
ということはしなくなりました。
というか、できない。
大抵のものは、第1巻を少し読んだだけで、
「ああ、アレみたいなヤツね」
と思ってしまって、それ以上読む気がしません。
別に今のマンガがダメというのではなくて、
現代では物語(ストーリー)というのは、もう語りつくされていますから、
「これはすごい!」
と単純にストーリーベースで思うものがない、とうことです。
そういうストーリーのダブりというのは、特に少年向けのマンガで顕著に現れる、
と僕は思っています。
というのは、子どもの価値観・嗜好・憧れというのは大人と比べ変化しにくく、
理解力も限られますから、
「子どもに受けるストーリー」
というのはどうしても範囲が狭くなってしまい、
その分、ダブりが生じ易くなる、というわけです。
それは少年向けマンガの宿命だと思っていますから、別に気にならないのですが、
他の点でちょっと気になることがあります。
どうも、最近のマンガは連載期間がやたらと長い気がしてなりません。
僕の若い時のマンガといえば、やっぱりドラゴンボールで、
「あれは随分長く連載してたよなー」
と思うのですが、それでも全部で30数巻で終わっています。
それが今では30巻なんて全然大したことなくて、
平気で40巻、下手すれば100巻近く続くものが多く現れています。
「こち亀」や「美味しんぼ」など、元々ストーリーにあまり意味がないマンガはいいとして、
ちゃんとしたゴールがあるようなストーリー構成のマンガでそれだけ続くのは、
「延命措置」
以外の何者でもないと思います。
具体的な例を挙げるのは控えますが、どう考えても
ストーリーが破綻していて収拾がつかなくなっている
ものが多数あるように思えます。
また、どう見ても作者がやる気を失っているものもたくさんあるように思えます。
出版社の事情・作者の事情、両方あるのでしょうが、
完成度の高かったものが、少しずつ輝きを失って、評価が徐々に下がっていくのは、
とても不幸なことです。
物語は終わるもの
「終わらない物語」はミハエル・エンデだけで十分なのでは?
と。
今日は一日雨模様だったので、ほとんど家でゴロゴロしてました。
昼寝の気持ちいいったらありゃしない。
おかげで溜まった疲れがすっかり消えて、気持ちも前向きになれました。
やっぱり休日は何もしないのが一番、かな?
特に何かに刺激されたでもなく、ふと昔のテレビ番組の映像を思い出した。
それは、どなたか高名な美食家(残念ながら故人)が、料理について語っている場面。
その方が言うには、
「最近『究極の料理』みたいな言い方が流行っているようだけれども、問題は
『誰にとっての究極か』
ということで、それを抜きに語ることはできない」
とのことでした。
リアルタイムで見たときは、
「あー、何かカッコイイこと言ってんなー」
くらいしか思わなかったのですが、未熟ながら社会に出て経験を積ませてもらった今では、 その言葉に心底共感できます。
それって、料理に限らずすごく普遍的なことなんですよね。
人間の考え方は千差万別。一人一人の価値観がある。
そして会社、地域なり、国といったある集団にはそれ固有の考え方がある。
だから、「良いもの」っていうのは、常に「誰にとって」良いものなのかを考えなくちゃいけない。
仕事でもそう。
「○○に関する資料を作ってくれ」
と上司に言われたとする。
よくありがちなのが、作ってみたものの
「これじゃダメ。こうして」
と何回も直されて、仕舞いに
「じゃあお前作れや」
と逆ギレするパターン。
こういうとき、大抵の場合は、部下の方が上司の真意を汲み取れてないのでは。
多分、OKをもらえないのは、
「誰にとって良い資料か」
を考えて作ってないからじゃないかと思う。
その資料とは、
1.誰に見せるのか、あるいは誰にも見せない上司自身のためのものか
2.どんなシチュエーションで見せるのか
3.どの程度重要性があるのか
4.どのように資料が活用されるのか
そういうところを慎重に考えれば、ムダな時間を大幅に削減できるのではないかと。
1.上司だけが見るのなら、見栄えにこだわる必要はないし、
鉛筆でメモ書きを入れてもよし。
外部の人間が見るなら、さすがにキレイにまとめないと×。
見た目でダメだとマイナス評価されやすい。
2.大勢の人に対して大きなスクリーンで見せるのなら、 字は大きく、視覚的な効果を使って見やすくする。 色合いのメリハリがないと見にくい。
また、資料を見る人が知識を持っている人かそうでないかで 内容を変えないと×。
専門家でない人が対象なら、専門的な言葉の使用は できる限り控える。
逆に専門家ばかりなら、ブレのない表現をするために、 専門用語を使った方が話が早い。
3.ある会議の中のほんの少しの話題程度のものであるなら、 やはり細かいところは不要。
逆にメインとなる話題であるなら、話題の中心以外に、 関連する事柄についても出来る限り資料に盛り込んで、 比較対照ができるようにする。
4.その資料がその後基礎的資料として様々な場面で使用されることが 予想される場合は、細かい記述や誤解されるような表現を避けると 同時に、視覚的効果を十分使用する。
そんなところかと。
結局これって、
相手の立場に立って考える。
ていうことなんですかねえ。
つまり
小学校から教えられてきたことじゃん。
義務教育ってすごい。
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