銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2007年03月13日(火) 職場に行ってきました。

今日は記念すべき(?)僕の職場復帰の日。

とはいうものの、実際には職場へ行くのが怖くて怖くて仕方なかった。

「自分は皆についていくことができるだろうか」

前日からそのことが頭から離れず、よく眠れなかった。

シャワーを浴びて、身支度をする時間を計算すると、午前7時に起きれば十分すぎるほどに間に合うのに、僕は6時くらいから起きて、忘れ物はないか調べたり、皆に最初に挨拶するときのことをイメージしたりして、焦りを感じながらそわそわしていた。

そしていよいよ出社の時刻が来た。

職場は自宅から歩いて15分ほどのところにあるが、職場が近づくにつれ、僕の心臓の鼓動も早くなった。

「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせるが、効果はない。

僕の机がある部屋の扉を開けるときは、何度も深呼吸をした。

ようやく踏ん切りがついて、扉を開けると、部屋の中にはポツリポツリとしか人がいなかった。
少し、来るのが早かったのだろう。

僕は席次表を見て、自分の席に座った。

机の上にはパソコンと、業務のマニュアルらしきものだけが置いてあった。

パソコンは既に立ち上がっていた。外見が古ぼけていたので、もしやと思いパソコンのOSを調べてみると、WIN98だった。
僕が余剰人員として配置されていることがそれだけでよく分かった。

しばらくすると、休職中お世話になっていた課長が部屋に入ってきたので挨拶に向かった。

いつも携帯の声だけを聞いていたひとだが、実際会ってみると想像していた容姿とは全く違っていたので、少し意外に思った。

課長に挨拶した後、僕は課長に引きつられて各課の挨拶に回った。

その後自分の席に戻り、僕の受け持つ仕事の説明を受けた。
僕のやる仕事は単純作業で、期限のない、楽なものだった。

僕の課の人たちは皆優しそうな人ばかりだったので、少し安心した。特に僕より年下の青年は、とても親切にしてくれた。

「何とかやっていけるかな」

自信はないけど。

僕はそう思った。



2007年03月10日(土) あ、ダンディだ

雨上がり決死隊が司会を務めるアメトーークを見ていたら、ダンディ坂野が出演していた。

ダンディをテレビで見るのは久しぶりだったので、「あっ、まだ芸能人としてがんばってるんや」と本人には失礼なことを思ってしまった。

ダンディ坂野は石川県出身の数少ないタレントの一人だ。
僕がダンディを知ったのは「爆笑オンエアバトル」がきっかけだった。

詳しいことは忘れてしまったが、かなり初期の頃からダンディのことはチェックしていた。
別に「この芸人は売れる!」と思っていたわけではなく、単に芸風が好きだっただけだ。

ダンディのネタははっきり言って「さむい」
さむいところがおもしろい、という芸風だ。
「その芸風好き」という人と「何がおもしろいか分からない」という人にすっぱり分かれるタイプの芸風だと思う。

石川県出身だと僕が知ったのは、彼が売れ始めてからのことだった。

石川県民として(僕は生まれは愛知県だけど)活躍が続くように願っていたのだけれど、予想通り(これも失礼だけど……)売れっ子の時期はすぐに終わり、ダンディをテレビで見る機会はすっかりなくなってしまった。

「ダンディはトーク下手だなあ……」
売れっ子で、バラエティ番組に多数出演しているときに僕はそいう印象をダンディに対してはすごく感じていた。

トーク、というか即興性というか、そういう部分が強くないとお笑い芸人は幅広く活躍できない、と僕は思っているのだけど、ダンディはそこがうまくなかったんだと思う。

今は一発芸人としてがんばっているらしいけど、いつか新境地を開いてもう一花咲かせて欲しい、と陰ながらダンディを応援する今日この頃です。


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