銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2007年03月07日(水) 今更デスノートです。

今日、病院でカウンセリングを受けた帰りにマンガ喫茶に寄った。

そこで前々から気になっていたマンガ「デスノート」を全巻一気に読んだ。

ので、今日はその感想と読んだ後に思ったことを日記に書こうと思う。

デスノートのあらすじはこうだ。

死神界という死神が住む世界で退屈な思いでいた死神デュークは、自分の暇つぶしのために、デスノートと呼ばれるノートを二冊わざと人間界に落とす。
デスノートは、殺したい相手の名前をそこに書くだけでその殺したい相手を殺すことができるとてつもない力を持ったノートだ。
デュークは、それを拾った人間がどのようにノートを使うか、ノートを使うことでどんなことが起きるのか、それを傍観して楽しもうとしたのだ。
二冊の内、一冊は夜神月(やがみ・ライト)という青年が拾う。
ライトはデュークにノートの内容を説明されると「僕が世界を変えてやる」と心に決める。
自分のことを「キラ」と名乗り、ノートによって次々と凶悪犯罪者を殺すライト。
そうすることにより「悪い事をするとキラによって殺される」という意識を世界中の人間に植え付け、犯罪を発生させることを防止しようとしたのだ。
ライトの企みは成功するかに見えたが、そこに「L(エル)」と名乗るライバルが現れる。
Lは世界中の犯罪者が恐れる腕利きの追跡者(探偵)だ。
Lはキラを捕まえるべく、様々な手段でキラを追い詰めようとする。
そして、ライトとLとの壮絶な戦いが幕を開ける……。

まあ、こんな感じだったような。
一回通して読んだだけなので、多少違うかも、ですが。

さて、それでは読んだ感想なのですが……。
デスノートの感想は数えきれないくらいの方がブログ等で書いているので、正直、今更僕が書いたってなあ、と思うのですが一応。

まず一言、とてもおもしろかったです(←当たり障りのない言葉)。

マンガの質としてはかなり高い方だと思います。

話の内容と絵が非常にマッチしていて、キャラクターが生き生きとしています。人がよく死んだり、心理描写が多いので、もっと濃い目の漫画家を起用した方がよいのでは、と考える人がいるかもしれませんが、僕はこの漫画家さんがベストだと思います。絵の無機質さが主人公(ライト)とL(やライトと敵対する側)との心理戦の緊迫感をうまく引き出しています。

肝心のストーリーも、マンガとしては十分な構成を持っています。

ずるずると話を引きずらないで、終わるべく所で終わっている所も評価できます。人気があるからといって下手に延命させると徐々に作品の質が落ちていきますから。

と、褒めちぎりましたが、もちろん難点もあります。
というより、突っ込んだらキリがないほど「粗」はあります。
粗についても、数限りなくいろいろなブログ等で書かれているので、詳細は述べようとは思いません。
ただ、その粗を踏まえた上で、総体的には「よかった」と言える作品だと思います。


次に、作品を見て思ったことを書こうと思います。

このマンガでは作中、「キラの効果で犯罪発生率が激減した」という描写が何回か出てきます。主人公ライトの思惑通り、キラに殺されることを恐れて人々が犯罪を行うことが減ったのです。

僕がこの作品で一番考えさせられたのはこの部分でした。

僕は「もしキラという存在が現実にいたとしても犯罪発生率は殆ど変わらないだろうな」と思いました。

なぜなら、犯罪は貧困や家庭環境などの社会的要因や性格などの人格的要因などが複雑に絡み合って半ば必然的に生まれるもので、キラという存在があったとしても、犯罪を起こす人間にとっては抑止力となりにくいからです。

また、もう一つ理由があります。それは、キラが行った行為(犯罪を犯した人間を死に追いやる)は、刑法の犯罪抑止力の延長線上にあるもので、決して目新しいものではないからです。極端に言えば、キラの行為は現行の刑罰をより厳しくしたもの(例えば、万引きでも死刑にするとか、そういうもの)でしかないのです。

また、キラがいたところで、戦争がなくなることはないでしょう。パレスチナとイスラエルの関係のように、歴史的にも感情的にももつれてしまった糸は、デスノートではときほぐすことはできません。

その考えは、僕を打ちのめします。「この世界には神はいない。救いがたいものだ」ということをあらためて認識させられます。

しかし、一方でこういうことも思うのです「この世界にデスノートはない。そんな便利な道具はない。だとすれば、一歩一歩人間は理想とする社会になるよう進んでいくしかない」それはポジティブで、正当な考え方です。

ライトのように、犯罪を減らそうと考えたとき、我々デスノートを持たない一般の人間は、犯罪が起こる背景を詳細に分析し、原因を捉え、それを踏まえた上での的確な防止策を練るしかないのです。


「デスノート」という作品は、僕にそんなことを考えさせてくれた、いいテキストでした。



2007年03月04日(日) 僕+A+M<3

前日、3月3日の深夜11時頃、僕は中学時代の友人AとMに「これからお茶しないか?」と連絡を取った。
こいつらなら絶対まだ起きてるし、暇なはずだという読みがあった。
予想どおり、OKの返事がすぐに返ってきた。
そして、近くのジョイフルで待ち合わせしようということになった。

僕はすぐに身支度を整え、ジョイフルに向かった。
絶対こっちの方が早く着くと思っていたのに、僕が着いたときにはもう二人はジョイフルの前でぶらぶらと待っていた。

僕は待たせたことを詫び、店内へと入った。

土曜日ということもあってか、深夜にもかかわらず客は多かった。周辺に24時間オープンしているレストランが少ないことも原因かもしれない。

僕らは今年の1月2日にも同じように深夜に会っている。
偶然、今日僕らが座った席もその日と同じ席だった。

僕は二人の近況を聞いたが、特に変わりはないようだった。前に会ってから2ヶ月しか経っていないのだから、当たり前と言えば当たり前だった。
Aは相変わらずニート。Mも相変わらずフリーターをしていた。

話していて気が付いたのだが、Aは自分のどんな恥部もさらけ出して話すが、Mは逆に自分の話はなるべく避ける。
今日、Mが実は大学を中退していたという話を聞けたのは、おそらく奇跡的なことだったろう。

僕の目から見て、二人は「一般人」の枠内から少し外れているように思う。

Aはニートだということもあるが、思想的なところで独自なものを持っているし、Mは(詳しい話は聞けていないが)趣味が変わっていて他者とうまく溶け込むことが苦手だ。

そんな二人とうまく交わることができている僕も、もちろん一般人ではないのだろうと思う。「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものだ。

そんな三人が集まって何を話すのかというと、これが案外真面目な話だから面白い。

自分の人生観や最近のニュースについて思うことを、だらだらと話すのだ。

まともな社会からはみ出した三人がそんなことを話したってしょうがないのだから、客観的に見れば笑止だと言わざるを得ない。が、僕らにとってはそれが面白いのだがら仕方ない。

会話の中で、おもしろいことを二人は言っていた。「いつかゲームを作りたい」それが彼らのささやかな願望らしい。
Aの話では、Aの友人にプログラマーはいるので、後は脚本家とプロデューサーがいれば何とかなるのではないか、ということだった。
「でもまあ、脚本家は見つかったかな」
Aは言う。
「誰?」
と答える僕をAは指差した。
僕に脚本を書けということらしい。
僕は笑って「どんな脚本になっても知らんぞ」と答えたが、頭の中では「やってみたい」という気持ちがもう湧いていた。
自分が脚本を書いたものがゲームになる。想像しただけでも楽しい。

気が付くと、僕らはジョイフルで6時間過ごしていた。

少しだれてきたな、という感じがしていたので、僕は二人をドライブに誘った。午前6時近くのドライブだ。

二人は断らなかった。二人ともこの学生時代のような羽目を外した遊びが面白かったのだろう。

その後、僕らは一宮から22号線に乗り名古屋へ向かい、名古屋に着いた後そこでUターンし、今度は岐阜の関市まで行った。

車内は、僕が運転手でAが助手席、Mが後部座席という配置だった。

自然に僕とAが話す機会が増え、Mは主に聞き役に回っていた。Mにとってはその方が気楽だったろう。

ドライブの最中、Aは深刻なことをさらりと言った。
「おれは後14、5年経ったら自決するつもりだ」
それがAの人生設計らしい。
「おれは自決するときすぐに死ぬ方法は取らない。じっくりと死というものを味わって死にたい」
そうAは言う。
Aは、このまま生きていればやがて生活できなくなることを自覚しているのだろう。Aは「おれはそうしたいからニートをしている。覚悟はできている」と以前言っていた。
何とも言い難い、破滅的な人生だが、もしかしたらそれがAらしさなのかもしれない。
Aは非常に腕のいい絵描き(二次元のみ)だが、芸術のセンスが優れている人間はなぜこうも歪んだ人が多いのだろう(僕の偏見だろうか?)。

ドライブの終わり、二人を家に送ったとき、Aは車を降りるときにこう言った。
「じゃ、近いうちにまた」
またすぐにでも会いたい友人として認めてくれたということを、暗に言っているような気がした。

Mとは普通に「じゃ」とだけ言って別れた。
Mと僕とは連絡を取っていなかっただけで、もともと中学時代から仲が良かったから、友達だと今でも互いに思っているはずだ。Aのような表現をしてさよならを言う必要はない。

僕が家に戻ってきたのは、9時を少し過ぎていた頃だった。

ほぼ12時間、僕らはずっと会話を続けていたことになる。
よくそんなに話すことがあったものだ。

次に会うのは夏休み、お盆辺りになるだろう。
そのときが今から楽しみだ。


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