2007年03月03日(土) |
恩師とお茶。友人とお茶。 |
昨日から、僕は愛知県の実家に帰ってきている。
職場復帰が決まったことや結婚式の日取りが決まったことの報告、それに結婚式に呼ぶ親戚の範囲をどうするかの相談のための帰省だ。
まあ、どれも電話で済ますことのできるものだけど、会って話した方が話が進みやすいし、事のついでに友人に会うこともできるので、そうしたまでだ。
それらの用事は、昨日の晩ご飯の間に全て終わった。 結婚式についての両親の考えは分かったので、後はそれを参考に自分たちの考えで事を進めればいい。
お昼過ぎに、僕は高校時代の友人Yと一緒に、僕らの高校時代の部活の顧問だった先生とお茶をした。
場所はコメダ珈琲店。僕は初めての入店だった。(名物のシロノワールは食べなかった。今度実家に来るときは食べようと思う)
そのT先生のことを、僕ら高校時代の仲間内では「親方」と呼んでいる。 中背だがでっぷりと太っている風貌が、何となく土方の親方のようだったから出来たあだ名だ。 そのあだ名を考えたのか誰なのか、今はもう覚えていない。……たぶん、僕なんだろうと思う。僕は周囲の人間にあだ名を付けるのが得意だった。
親方と再会するのは8年ぶりくらいなのだが、親方は殆ど変わっているように見えなかった。 親方は顔や体も丸いが、性格はもっと丸い。 生徒思いのいい先生だ。
久しぶりの会話は楽しかったが、何を話したかはもう覚えていない。 でも、それでいい。会ったということが重要なのだ、と思う。
その後、僕とYはこれまた高校時代の部活仲間のMの家にお邪魔した。 Mは既に結婚していて、子どももいる。ついでに、家も持っている。中古住宅だが、アパート暮らしの自分と比べると羨ましい限りだ。ま、人は人、自分は自分だけど。
Mの子どもは生まれたばかりだが、健康そうで何よりだった。 僕の姉の子どもが障害児なので、子どもが健康であることの幸せは、他人より少しは理解しているつもりだ。
会話の殆どは他愛のないものだったが、一つだけ、気になること、というか、これから考えないといけないことについては真面目に話し合った。
それは、毎年恒例になっている、大晦日の日に行っている部活仲間の集いのことだった。
その集いは高校在学中から続いているから、過去12回行っている。一大イベントといってもいい。毎年、大晦日の日はオールナイトで遊ぶのが僕らの過ごし方だった。
それが、ここ数年、仲間の結婚や出産で参加人数が減ってきているのだ。 実際、去年は僕を含め3人しか集まらなかった。 そして、ついに今年はもうその集いが出来ないところまで来てしまった。 僕が今年中に結婚するために、さらに参加人数が減るからだ。
僕らは話し合って、とりあえず今までの集いに変わる何かをしよう、ということに決めた。 具体的な結論には至らなかったが、今後話し合おうということになった。
今日は恩師との旧交を温め、友人一家との親睦を深めた、有意義な一日だった。
夕方、職場の課長から電話があった。
内容は、健康審査会というところで、正式に復職が決定されたということだった。
病気で休職になると、職場復帰するためには、毎月一回開かれるその健康審査会で許可が下りなければならない。また、健康審査会ではどのような形で職場復帰するかも同時に判定される。 僕の場合は、職場復帰後半年間は半日以上8時間未満の時間で労働する、という条件が付いた形での職場復帰となった。
課長は「いやあ、よかったねえ」と言葉をかけてくれた。 「ありがとうございます」僕は答えたが、内心は複雑だった。
職場復帰するところまで回復したことは素直に喜ぶべきことだが、果たしてまともに仕事が出来るのかどうか、自分に自信が持てなかった。
職場復帰した初日のことを想像してみる。すると様々な不安が湧いてくる。 「まず誰に挨拶をしよう?」 「隣の人とはどう接したらいいだろう?」 「半日で帰る自分を皆はどう思うだろう?」 「大きな仕事を任されたらどうしよう?」 まるで切りが無い。
しかし、ともかくも、人生の再スタート地点に立てるところまで漕ぎ着けたことは間違いない。 不安に打ち勝つには、勇気を持ってぶつかるしかないのだろう。
そして努力する。生き抜くために努力し続ける。 ちょっとオーバーな言い方だが、そういう姿勢が必要になってくるだろう。
でもまあ、一番重要なことは「あっかるく、悩まないこと」なんだろうなあ。
職場復帰正式決定祝いに、どこかいいところで夕食を取ろうかと思ったが、やめた。大げさなことのようにせず、普通のこととして心に受け取るべきことだと思ったからだ。
とにかく、プレッシャーに負けないようにしよう。 あくまで自然体。 周囲の評価は気にしない。 それらを心がけていれば、自然と結果はついてくるはず、と思いたい。
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