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2005年09月17日(土) 家について・・・

杏珠先生

こんばんは。
今日も暑い日でしたが、お変わりありませんか。

(省略)
おかげさまで先月の激痛に比べると、ずいぶんよくなっていると思います。
ご祈祷のおかげでしょうか。
本当にどうもありがとうございます。

ただ、少し気になることがあるのですが、お話しさせてください。
昨日(省略)に住む(省略)が家に遊びに来ました。
その彼女は、霊感の強い方で、うちの二階に初めて上がったのですが、
階段の上段から廊下にかけて、気持ち悪くてあがれないというのです。
何か背中に被さってくるような感じがするのだそうです。
私は、幸い(?)何の霊感もないので、何も感じたことがないのですが、
この家は築50年ほどたっている古いものですし、
前につきあっていた人にも、この家はよくない、というようなことを言われたことがあります。
(省略)
私自身は身代わり念珠もしていますし、
六明師さまにご祈祷もしていただいているので、
大丈夫だろうと思っているのですが、
たとえば(省略)痛などに関してこの家の影響もあるのだろうか、とか
部屋の配置等で私が間違ったことをしているのではないか、
など少し不安になりました。

もしも、何か気をつけた方がよいことや、
家に対して施した方がよいことなどがありましたら
お教えいただけますでしょうか。
私には、掃除をするとか、風通しをよくするくらいしか思いつきません。
大変申し訳ないのですが、お答えいただけると幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます
                (一部省略・抜粋)

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メールを拝見いたしました。
今住んでいる家については、これまでの貴方の感覚のままでいるのが
一番望ましいと感じます。

貴方自身も仰っておられるとおり、
身代わり念珠と「霊障解除」(霊的な障りを取り除き、浄化する目的の祈祷内容)が常時貴方を護っていますから、
その家にいるものがあなたに対して悪さをしたり
障ったりということは全く無いからです。

霊的な目を持って視てみれば、建物や土地に何の障りや因縁、
そして霊の存在が居ない場所は存在しません。

逆に掃き溜めのような場所で
一箇所だけ浄化した場所をつくったとしたら、
その周りには救いを求めて恐ろしい数の霊が集ります。
(夏の街灯に集まる蛾のように・・・)

貴方の(省略)痛については、何度もお話している通り、
今までの行い(業)によるもの、(省略)などが原因ですから、
改めて霊視を致しましたが・・・
貴方の家のものが障っているということは視えません。
ですから、今まで通り『気にしない事』が良いのです。

もし仮に何かのきっかけで、ありもしないものが視えたとしても
「こんにちは」位の度胸で軽くかわしましょう・・・
              (一部省略)

          杏珠



2005年09月15日(木) 新天地・・・

杏珠先生

お返事ありがとうございました。
日本はそろそろ秋の気配を感じる頃でしょうか?

前回のご報告からまもなくして(省略)を経ち、
現在は(省略)のバックパッカーにいます。
丁度今日が4日目です。

たった4日ですが既にいろんな気持ちを体験しました。
まず飛行機での着陸前・・・外から見る海は確かにキレイなのですが、
陸地に見える街はとても小さく、見る限りのほとんどが森ばかり。
そして空港から一歩外に出ると、(省略)とは全く違った蒸し暑さ。
地中海性気候から熱帯雨林気候になったので当たり前ではあるのですが、
改めて(省略)の大きさを感じたりもしました。

さて、早速シティに下ると、そこには別の驚きが待っていました。
どこもかしこも日本語表示だらけ、日本人だらけ。。。
英語を話している日本人の姿はどこにもなく、
むしろ日本語を話す(省略)人がいます。

何とも言えない妙な失望感でいっぱいになりつつも、
とにかくバックパッカーを予約し、
長期の部屋探しに街に出て、次の日に見学に行く約束をとりました。
(省略)
しかしいざバックパッカーに帰ってみると、アジア人は私だけな事が判明。
バックパッカーで友達を作ろう!と意気込んでいたのに、
英語のテンポがまるで違う欧米の旅行客同士の会話には
なかなか入ることができませんでした。

それでも話しかけてみよう!というキッカケもすぐに起こりました。
(省略)の韓国人の(省略)が紹介してくれた、
2ヶ月前から(省略)で生活しているサニーを紹介していてくれてたのです。
2日目に彼女と食事をしていると、
同じレストランに入ってくる人の何人もと知り合いの様子。
なんでも同じバックパッカーだった人というだけなのだそうですが、
その友達のバラエティの豊かさやキャラクターの豊富さはビックリでした。
英会話力は私とさほど変わりは無いのに、
彼女はこうやって交友関係を築いている・・・

何より彼女は話せないながらも"伝えよう”としているし、
人を楽しませようとしているんですよね。
(省略)

暑い中あちこちに足を運びながらの部屋探しは
(省略)とは別の意味で大変な部分もありました。

その少しの落ち込みに追い討ちをかけるように
小さなアンラッキーが昨日は重なり、
「自分は本当に(省略)に来てよかったのかな?」
といった気持ちになってしまう時間もありました。

しかし今日の昼、たまたま電話をかけた部屋のオーナーがバックパッカーの近くにいて、
早速家に見に行くと初めて見る程の素敵な部屋なのに一番値段も安い!
という掘り出し物件に出会い、その場で即決しました。
(省略)
次は一番の難題の?仕事探しです。
実際のところ日本語を使う仕事ならいくらでもあるのですが、
希望する英語環境の仕事場を見つけるのはなかなか難しそうです。

しかし何はともあれ、トライしていきます。
それではまた、ご報告いたします。
                 (一部省略・抜粋)

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メールを拝見いたしました。

何処にあっても同じことが言えますが・・・
自分の環境を良いと考えるのか、
悪いと考えるのかで見える風景さえ変わってしまうものです。

起きてくる物事に対しても同じです。
その物事をどう捉えるのか・・・
それによって結果は全く違ってきます。

「塞翁が馬」そのものです・・・
頑張りましょう。
            (全文掲載)

        杏珠




2005年09月07日(水) 「愛」とは・・・

話は変わりますが、先生のダイアリー、とても勉強になります。
「うらぼんえ」の話もとても興味深かったです。
今まで確かに8月頃体調が優れなかったし、
妙に周囲が湿っぽい気がしていたのは、
地獄の釜が開いたせいだったのですね。よく若者が開放的になって、
悪さをしたりする理由もそのためなんだと納得しました。

そういえば、先生のダイアリーの中に、
目連尊者の母親が「かわいい我が子のためを思って、
欲深い行動をしていたために地獄へ落ちた(=自分のためであった)」
という一節があったのですが、そういう母親でも、
この場合はたまたま高僧目連尊者様ですが、
地獄に落ちざるを得なかった母親を思って号泣するくらい母親を
愛していたのだとしたら、その母親の愛の、どこに問題があったんだろうと思いました。
先日、法句経を読んだ時に

 210:愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。
 211:それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。

という箇所があったのを思い出しました。確かに、妄愛や執愛はいけないかもしれないけれども、どうして「愛する人」を作ってはいけないんだろうと思ったことを思い出しました。
そう考えると、親の愛とはなんだろうと思いました。地獄に落ちるほど自分のことしか考えない愛を注がないためには、どのように「愛」を捉えて実行していけばいいんだろうと思いました。
(一部抜粋)

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「愛」についてを説明する事は、とても難しいものですが・・・

お釈迦様が説法の中で「愛する人をつくってはならぬ」と
説いて居られたことは、もう一つの質問である目連尊者の母親の愛
とも関連しています。

餓鬼界に落ちてしまった目連尊者の母は、
自分の息子を育て上げる為に生前一体何をしていたのでしょう・・・

例えば、自分の子供だけの事しか眼中に無く、
息子にお腹いっぱい食事を与える為に他所の子供たちの食べ物を
奪っていたとしたらどうでしょうか?

自分の息子の幸せの為ならと、
人道を踏み外すような事をしていたとしたらどうでしょうか?

これは、今の世の中にも通じると思いますが
『自分の子供さえ良ければ・・・自分さえ良ければ・・・』という
自己中心的な考え方と同じであり、
これが本当の ”愛”なのでしょうか・・・

お釈迦様は決して『愛』自体を禁じて居られたわけではありません。

仏教に於いては ”見返りを期待せず、唯与える”という
『慈悲』という言葉になりますし、
これは、キリスト教でいう愛に近いものだと私は考えています。

通常でいう「恋愛や愛」というものは、本当の『愛』ではなく・・・

「私はこんなに想っているから、私の事を想ってほしい」
「私のことだけを見てほしい」
このような感情を相手に対して持つ事や、
感情を相手に押し付ける事が愛だと考えている人が殆どでしょう。

このような感情に心を支配されてしまう事。
それは、相手に対する執着となり、貴方の苦しみを生むことになる・・・

そういう意味で、
お釈迦様は「愛する人をつくるな」と仰ったのだと私は解釈しています。

実際には、
本来の母親が子供に対して与える無限の愛が慈悲に近いと思います・・・

自分の子が可愛い、愛おしいのはもちろんですが、
他所のお子さんも同じように大切に想うことができれば、
その愛は慈悲に近いのです。 
(省略)
言葉で表現する事は、とても難しいものですね・・・
もしわかり辛い箇所がありましたら、お便りを下さい。
                 (一部省略)

             杏珠


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