2005年07月26日(火) |
まずは自分が変わる事・・・ |
杏珠先生
お返事ありがとうございました。 直ぐにお返事を書きたかったのですが、 どうも自分が何を理解して何を書きたいでのか、自信を持って表現できない・・・ そんな想いの日々が続いていました。 そんな中、たまたま通りすがった本屋さんで、 日本の書籍の割引セールをやっているのを発見しました。 割引とはいえ日本で買うより2倍近くの値になってしまうし、 何より荷物が増える、という理由でこちらで本は買う気になったことがなかったのですが、 立ち読みはタダだし・・・となんの気なしに本を手にとってパラパラとみてみました。
その偶然手にした本の偶然開いたページの文章に、目を奪われました。 『私たちはベトナム戦争下で、非暴力による暴力の終結が可能なことを証明しました』 (省略) 具体的にはベトナム生まれの禅僧、ティク・ナット・ハン著の『禅的生活のすすめ』という本です。 そしてこの本の帯にはダライ・ラマ14世のこんな言葉も書かれています。 『本書は、人々の心の平和と世界の平和が地続きであることを教えてくれる』
杏珠先生も再三おっしゃっている、 "まずは自分が変わること" ”個人の意識や行いが、やがて世界の流れを変えていく” というお言葉にも通じている言葉に思いました。
この本は本当にシンプルな言葉で終始綴られている本で、 以前相談者の方が法句経をお読みになったときの感想のように、 うっかりするとサラッと読み過ごしてしまうかもしれない、 当たり前で、でもとっても重要なメッセージが込められているようです。
(省略) それでも既に、私の頭をガーンと打たれたような感覚を覚えた項がありました。 (省略) 著者はこの問題の解決策の例として、お医者さんを挙げていました。
『医者は患者の悪い部分を見つけ出して、治そう(解決しよう)とします。 決して悪い部分を持った患者を殺そうとはしません。』
だからこそ黙って相手の恐怖を丁寧に聞いてあげて、 明確にしてあげることが必要になる。 その為にも一人一人が、相手のどんな聞きづらい話(愚痴や不満)でも黙ってじっくりと聞けて、 受け入れられるキャパシティを持った人間になる事が先決・・・ それには自分に気を遣えて、慈しみをもつことが基本となる・・・ とも書かれていました。
(省略) 霊的な観点からの一人一人の”業”という感覚は、 正直なところ私には分かりづらいものがあります。
でも他人にはどうしてあげることも出来ないことがある・・・ それは最近になって段々分かってきた感じがします。
しかし時折発生してしまう自分の中のやりきれなさや怒りに、 一体どう対処していけば良いのか・・・それに悩んでいました。
私が次に近づきたい人間像は、この、 ”相手のどんな話でも黙って聞いてあげられる人になるために、頑丈な自分を育てる” というものなのかなと思います。
自分が不安定な状態で他人の苦労を聞いてあげる事で良いことをした、と勘違いし、 気づけば自分もネガティブな思考になってて別の他人を傷つけているようでは意味が無い。
それが杏珠先生もよく指摘されている”奢り”や ”自分を確立すること”という事なのかと思います。
相手の話を黙って聞いて、相手の本当の意を読み取るというのは、 実は簡単ではなく、ましてネガティブな話題・賛成できない話題ならなおさらに感じます。
でもそういう話も心乱されることなく聞けないと、 やがて相手を誤解するという事に繋がっていくんですよね。
またこの本では再三”意識的に行動する、心と体を一つにする” という話題にも触れられています。 体はココにあっても心がどこかに行っている・・・時に逆もあります。 (職探しをしていた私はまさにコレの繰り返しだったように思います) それでは今の有難さや感謝を感じられず、焦りや誤解、無駄な消費を生むばかりだと。
読み進める度に的を得た説明に圧倒され、ただただ凄い・・・と思うばかりです。
でもこの後の”実践”が物事を変えていくんですよ、とも再三書かれています。 へぇ〜、と感心しているだけでなく、実践をしていこうと思います。
今回杏珠先生がアドバイスしてくださった事から的がはずれていたらごめんなさい。 ただ久しぶりに心が揺り動かされるような本に出会ったような気がして、 ご報告せずにはいられませんでした。 (一部省略・抜粋) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
おはようございます。 メールを拝見いたしました。
仏教(禅宗)の書籍をご覧になって居られるとの事、とても嬉し く思います。
貴方の感想が正しいとか間違っている・・・ そんなことは必要ありません。
お釈迦様の教えに触れていただき、 ”感じる事” そして、それについて深く考える事自体に意味があるのです。
一つだけ付け加えるとするならば、 貴方が今「何となく」感じている事は、 私が伝えたかった事に通じるものです。
頑張って読破なさってください・・・ (全文掲載)
杏珠
2005年07月25日(月) |
拘り・・・その心の在り方は・・・ |
杏珠先生 こんばんは
先ほど新しい御念珠が無事届きました。 (省略) 今回御霊入れの際降りてきた言葉今の私にぴったりのお言葉でとても胸が痛かったです。
本当に現状から逃げることばっかり考えてました。 こんなにがんばってるのにまだゴールは来ないのかとか どうして他の人は早く卒業してるのに私はまだなのかと いつも比べてる自分がいました。 今まで先が見えないままの状態で長い年月を辛抱することがまったくできませんでした。
一日一日不平不満をもたずに感謝して生きてゆくことが苦手でした。 これからは反省して自分を変えてゆこうと思いました。精進します。
それから今回で御念珠は3個目ですが一番最初(一個目)の石と同じ瑪瑙(赤)でした。前回は紅水晶でしたが 前々回と同じ石が送られてきたということは 最初の精神のレベルに戻ったということなのでしょうか? (以前杏珠先生が宝箱でおっしゃってましたよね。) 後退してるということでしたらショックです。
どうなんでしょうか?成長していったらどんどん石の種類や色も変わっていくのですか? お暇なときにお返事頂けますでしょうか。 どうぞよろしくお願いします。(一部省略)
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メールを拝見いたしました。
御念珠の石について・・・ 確かに、その時のその方の霊的な状態や精神状態で、 六明師がお選びになる「石の種類」や「色」は変わります。
貴方は元に戻っているといって 「ショックだ」と仰っておられるようですが、そうではなくて、 貴方の ”精神的な波のある状態”は変わっていないということだと感じます。
霊障の状態は、祈願と供養によって改善されていますが、 精神的な波を自分でコントロールし、 人を思いやることができ、 自分のことを省みることに於いては、まだまだです。
これらができるようになれば、どんどんと変わっていくはずです。
御念珠が護ってくださっている有り難さより、 その石の種類に拘ってしまう・・・ その心の在り方に問題があるのが貴方には分からないのでしょうか? (全文掲載)
杏珠
2005年07月21日(木) |
明らかにする事・・・ |
杏珠先生へ
お返事ありがとうございました。 多分完全に理解するのは私のような凡人には難しいと思うのですが、 ご先祖様を単純に(省略)家として束ねることができない事は、 とてもよくわかりました。 血でつながっているものがご先祖様ということではなく、 魂でのつながりや因縁による結びつきがご先祖様であるという理解で 良いのでしょうか。 言葉にするのは大変に難しいですね。 子孫を残すということについても、 ご先祖様は血や名前を残すというよりは、志を継ぐということを指すのかもしれないなぁと考えたりもしました。いかがなものでしょうか?
どちらにしても、母にとっては良いことだと思いますし、 何ものにも代え難いプレゼントです。母には一応受け入れやすい 範囲でこのご祈祷のことと施主であることを伝えてみます。
それからもう1つお伺いしたいのですが、 以前、(省略)に御念珠を贈ろうとしたときには様々な邪魔が入りました。 しかし、今回母にご供養をプレゼントしようと思ったときには、 邪魔はまったく入りませんでした。 これは、私がご祈祷を1年以上続けていることや、 同じ(省略)家ということが関係しているのでしょうか。
(省略)
杏珠先生からもアドバイスをいただきましたが、 たしかに注意が必要だと感じています。 気を引き締めて、 (省略)1人の時間を大切にして向き合う時間を持ちたいと思います。
(省略)
私も弱いですし、グラグラします。 でもこうして友達が頑張っているのに、 1人魔に負けるようなことがあっては情けないですし、 これからの自分にも申し訳なく思います。 以前のように相手を探したいという変な欲はもうないですし、 今自分ができることをやって自立して、 1人でも生きていけるようになってこそ、そういう伴侶というのは、 もたらされるのだろうし、伴侶は寄りかかる相手ではないと思います。 (省略) 今は自分のことだけで精一杯だし、やりたいことがたくさんあります。 皮膚科も今日行ってきましたし、 明後日は(省略)教室に行けることになりました。 この自分を磨くお金は母からいただいた大切なお祝いを使い、 自分が綺麗になって嬉しくなった分、母に感謝したいと思います。
私は今までこういう気持ちが足りませんでした。 杏珠先生に本当に良いアドバイスをいただけて、 長い間抱えていたものが抜け落ちていくのを感じています。
ただ、私にはすぐ物事を型にはめ込んで考えたり、理屈に合わせたり、 変な勘でルール化するところがあります。 こうして考えていることも、 どこかに弱い点や勘違いしている点があるかもしれませんし、 杏珠先生からご覧になったら、危なっかしいと思われるかもしれません。 そのため、もし今の私の考え方で間違っている点がありましたら、 お知らせいただきたいのです。 それから、抜けている点がありましたら それもご指摘いただけると大変有り難いです。 (一部省略・抜粋)
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お待たせいたしました。
ご先祖様との関係について・・・ そうですね。 とても難しいのですが、 「志」というよりは、やはり「血」でしょう。
血脈に付随して、因縁(傾向)というものもありますから。 やはり言葉で説明するのはとても難しいですね・・・
お母様の先祖供養について邪魔が入らなかったのは、 貴方も仰っておられるように貴方が祈願(供養)を 続けていらした影響が大きいと感じます。
そして、異性に関しては・・・ 他のことにも通じることですが、 『欲しい欲しい』という想いに拘っている時には、 なかなか手に入れることすら難しいのですが、
『どちらでもいいかな(一人でも生きていけるかな)』というように、 明らめる事(明らかにする事)が出来るようになったら、手に入るものです。
しかし、あくまでもこういう心に自然になっていなければなりませんが・・・。
何だか、難しいお話ばかりとなってしまいました。 もし、分からない箇所や表現などがありましたら遠慮なさらず にお便りを下さい・・・(全文掲載)
杏珠
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